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第21回(2014年度) 学会賞選考委員会報告

 

2015年7月8日

【学術賞】

該当作なし

 

【奨励賞】


中島 醸

『アメリカ国家像の再構成  ― ニューディール・リベラル派とロバート・ワーグナーの国家構想 』(勁草書房)

 

朴 姫淑

『地方自治体の福祉ガバナンス  ― 「日本一の福祉」を目指した秋田県鷹巣町の20年』(ミネルヴァ書房)

 

 

学会賞選考委員会

 秋元美世、小野塚知二、駒村康平、清水耕一、首藤若菜、宮坂順子、横田伸子(委員長)

 

1.選考経過

 2014年10月11日の幹事会で上記7名の選考委員が委嘱され、選考委員の互選によって横田伸子を委員長に選出した。
 まず、前回同様、学会ホームページとニューズレターを通して日本語及び英語著作の自薦・他薦を呼びかけた結果、日本語著作について、3点の自薦、1点の他薦を得た。 
 さらに2015年1月末に、ワールドプランニングから会員名簿を取り寄せ、大型書店のデータ・ベースを用いて2014年1月1日から12月31日までに刊行された学会員の著作を検索し、そこから学会員歴3年以上の学会員の単著51冊を学会賞審査対象著作として選び、そのリストを各委員に送付した。

 第1回学会賞選考委員会を、2015年2月3日、東洋大学 白山キャンパス社会学部会議室にて開催した。
 最初に、学会の表彰規程に照らして選考基準を確認するとともに、教科書類は除外すること、当分共著も除外することなどを合意した。しかし、一般向け書籍の場合は、内容によっては審査対象となり得ることも確認した。この合意にしたがい、上記51冊を確認し、明らかに学術書でないものなど23冊を対象外とし、残りの28冊を1次審査の対象とすることにした。なお、当初受け取った社会政策学会員の単著リストに漏れがあったことが後にわかり、さらに1冊を追加し、29冊を一次審査の対象とすることにした。
 これら選考対象の著作をそれぞれ2名の委員に担当を割り振り、次回の選考委員会までに各自候補作を選び、それを持ち寄ることとした。

 第2回選考委員会を、4月18日に岡山大学経済学部中会議室にて開催した。
 一次審査の対象となった29冊について、担当の2名の審査所見をもとに1冊ずつ審査を行い、学術賞および奨励賞の最終選考に進むことのできる著作を選考した。
 そして、これら審査対象の著作に関し、7名の委員全員が精査のうえ、各自それぞれの著作についてコメントを作成し、次回の学術賞および奨励賞の決定に臨むこととした。

 第3回選考委員会を6月6日、東京大学本郷キャンパス経済学研究科棟第4共同研究室にて開催した。最終選考の対象となった著作について、1冊ずつ慎重に審査を行い、学術賞および奨励賞の対象について検討した結果、奨励賞として上記の2冊を選定し、学術賞については該当なしの結論を得るにいたった。

 

2.選考理由

 

 中島醸『アメリカ国家像の再構成 ― ニューディール・リベラル派とロバート・ワーグナーの国家構想』は、連邦議会資料などの膨大な一次資料を用いて、産業復興構想の形成過程と、第二期ニューディールで成立した全国労働関係法(ワグナー法)、社会保障法、合衆国住宅法の立法過程を検討し、ニューディール期に目指された国家像の特徴を明らかにしようとする意欲作である。まず、1930年代前半の産業復興構想をめぐる実業界保守派との対抗関係の中から、第二期ニューディールを支えた労働リベラル派と実業界リベラル派との連合関係が形成されたことが解明され、続いて、全国労働関係法、社会保障法、合衆国住宅法の各法案をめぐる両リベラル派と、実業界保守派、共和党、南部民主党の間の議論を紹介し跡づけることによって、ニューディールに政策思想史的な観点から新たな光を当て、ロバート・ワーグナーに代表される労働リベラル派の政策構想の歴史的・国際的位置付けを行おうとする研究の成果である。このように、本書は、これまでのニューディール研究の蓄積を踏まえながら、問題設定、論証、結論の対応関係も明晰で、随所に刺激的な考察が溢れる好作品である。

 しかし、本書にはいくつかの課題も指摘できる。

 まず、本書の叙述からは、労働リベラル派の推進したニューディールはヨーロッパ的福祉国家への展望を持っていたが、こうした国家構想は第二次世界大戦後には消え、結局、ニューディールは1930年代恐慌期という幕間のできごとにすぎなかったという印象を受ける。この点についてはまず何よりも、本書の元になった研究プロジェクトの後半部分が本書の続編として刊行されるのが望まれるが、本書においても、諸法案をめぐる言説対立だけでなく、法の成立を可能にし、また制約した社会的・経済的背景や労働運動等の諸アクターの動態も踏まえたうえで、ニューディール期の中に、その新しい国家構想を次代に消失させる要因が潜んでいなかったのか否かを明らかにすべきであろう。

 また、著者は、アメリカの特質として社会民主主義的な背景を欠いた介入主義である点を指摘するが、社会民主主義を標榜する組織・政党・運動に支えられていなかったことは政治史・政治運動史の知見としては首肯できるとしても、ワーグナーに代表されるニューディール・リベラル派が政治思想史的にも社会民主主義ではないことが説得的に論証できているだろうか。裏返していうなら、社会民主主義のアメリカ的な形態がニューディール・リベラル派であった可能性(たとえば本書も参照する紀平英作の見解)を完全に棄却できているだろうか。当時より今日にいたるまでアメリカの社会的文脈で「リベラル」と呼ばれてきた政治思想の潮流を文字通り自由主義寄りに解釈して、社会民主主義との相違を際立たせようとする試みは必ずしも説得的ではないように思われる。

 以上の課題を踏まえつつも、本書を一つの土台として、著者がさらに研究を彫琢し、進展させることに期待したい。

 

 朴姫淑『地方自治体の福祉ガバナンス  ―  「日本一の福祉」を目指した秋田県鷹巣町の20年』は、住民の名によって「日本一の福祉」を目指し、先進的福祉の成功モデルともてはやされた一つの町が、市町村合併も含む地方分権改革の中で、住民の名によって「福祉突出」の全面的見直しへと転換していく過程を精緻に分析したモノグラフである。著者は、多面的な方法と情報を駆使してこの20年を跡付けている。すなわち、行政や議会、福祉施設、WGなどの住民活動に関する膨大な一次資料、新聞記事やルポルタージュ、ドキュメンタリーなどの二次資料の分析に加え、福祉施設の訪問や地域住民の小規模会への参加を通した観察記録、福祉推進派と福祉見直し派双方に対して行った246件にも及ぶ多数の聴き取り調査に立脚した調査研究である。

 しかし、地道な諸種の調査に立脚した研究としては例外的なほどに、本書からは多面的な発見や斬新な構図を見出すことができる。例えば、首長主導・行政主導の脆さがいつどのように現われるかが明らかにされ、意思疎通を阻害するほどの認識差異という壁の存在が描かれ、実名社会を調査することの難しさが率直に語られ、町村合併という外側から持ち込まれた激震に町の人々が揺さ振られる様が叙述される。さらに、自分が受けたい福祉と人に与える福祉との明確な二重基準の意識が露呈され、地方自治体が中央政府の政策変化に翻弄される姿が浮き彫りにされる。そして何よりも、福祉とは福祉のみで成り立つのではなく、教育や産業振興や諸他の政策との関係の中で、しかも財政的制約の中でしか実施しえないということが鮮明に導き出される。したがって、本書の持ち味は、福祉を固有の主題とした通常の社会福祉論・福祉研究というより、福祉のあり方の変化に注目して、地域社会、地方自治、住民参加、住民の意識やこれらをめぐる政治状況を、文献調査と聴き取り調査を踏まえて叙述した地域社会学のモノグラフとしてのおもしろさである。なお、選考委員会では、本書の「福祉ガバナンス」の概念規定の明確さと整合性をめぐっては評価が割れたが、福祉とは制度や供給側だけで決まるものではなく、本書が解明したような多様な要因によって重層的に規定されていると考えて、本書は顕彰さるべき質を備えた作品であると選考委員会は判断した。

 注文をつけるとすれば、第10章第2節で論じられている「対立を超えた連帯」の難しさをめぐる指摘が、本書全体の立論に活かされていないことが悔やまれる。要するに、対立した人々は必ずしも合理的でも理性的でもなく、利害関係だけで動いていたのでもなく、不分明な情念のようなものが背後に作用していたのではないかという仮説はたいへん示唆的なのだが、その仮説を本書全体の叙述に反映させたなら、文書資料や聴き取り調査結果の用い方にもさらに別の可能性がありえたのではないかと考えられる。容易には言語化し難い感情的な対立のような心理作用の領域は社会科学の今後の展開にとって大きな沃野を指し示しているだけに、著者によるさらなる考察と工夫が望まれるところである。

 

 最後に、学術賞の選定にはいたらなかったが、最終候補となった小路行彦技手の時代』(日本評論社、2014年6月)について講評を記しておく。

 本書は、著者の30年以上の研究の成果であり、明治から昭和初期までの技術系実業教育制度の変遷と工場内組織・職制の発展を、豊富な資料を動員して描き出した労作で、日本経済史・実業教育史の研究書としては一級品であり資料的価値も高いと言えよう。また、本書は、近代日本の中・下級技術者として、技術・技師と技能・現場の職工/職工長とを媒介し、融合する役割を果たした技手を扱った最初の本格的な研究であり、その先駆性と独創性は高く評価できる。本書によって、これまで未解明であった技手に関するさまざまな面がはじめて体系的に認識されるようになった業績は大きい。

 前編「実業教育の展開と工業学校」は、工業学校、職工学校、工手学校等々の実業教育=中・下級技術者養成機関に注目して、そこでどのような能力・資質を備えた人物をいかに生み出そうとしたのかを解明する。後編「工場の組織と技手・工手」は、前編を踏まえて、技手が、海軍工廠、三菱長崎造船所、鉄道工場、芝浦製作所、逓信省、電気産業(東京電灯会社、大阪電灯会社、東邦電力等)、化学工場、製紙業の諸事業所において、いかなる立場、身分に置かれ、どのように昇進可能であったのかを解明する。終章「技手の時代」では、技手が工場の重要な機能として存在した時代の特徴が簡潔にまとめられ、技手が存在しなくなった戦後をどのように理解すべきなのかの手掛かりを示して締めくくられる。

 しかしながら、本書が、「技術」、「技能」、「技術者」「技能者」、「職工」、「職工長」などの、分析の中心となる諸概念の明確な定義づけをしていないのは問題である。これらは、職工、職工長以外は必ずしも同時代的な組織内の用語ではなく、ある種の抽象度を有する概念だけに無前提に用いることは本書の価値を減じてしまう。また、技手の養成と組織内の立場や技師への昇進可能性などについては史料的に緻密に跡付ける一方で、技手と職工/職工長との関係については必ずしも充分に明晰ではない点が惜しまれる。

                                                    (文責:横田伸子)