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第22回(2015年度) 学会賞選考委員会報告

 

2016年7月15日

【学術賞】

該当作なし

 

【奨励賞】


早川佐知子

『アメリカの看護師と派遣労働――その歴史と特殊性』渓水社、2015年5月。

 

森川美絵

『介護はいかにして「労働」となったのか――制度としての承認と評価のメカニズム』ミネルヴァ書房、2015年1月。

 

 

学会賞選考委員会

 岩永理恵、榎一江、小野塚知二(委員長)、駒村康平、首藤若菜、廣澤孝之、枡田大知彦

 

1.選考経過

 2015年9月12日および10月30日の幹事会で上記7名の選考委員が委嘱され、11月1日の選考委員会第1回会合を経て、選考委員の互選によって小野塚知二を委員長に選出した。
 委員会はメイル審議により、英語以外の外国語著書も選考対象とすること、「外国語の著書については、原則として、推薦していただいたもののみを選考の対象と」することを決定し、学会ホームページとニューズレターを通して日本語および外国語著作の自薦・他薦を呼びかけ、2016年1月31日の締め切りまでに、日本語著作について9点の自薦、1点の他薦を得た。外国語著作の推薦はなかった。
 これに、1月21日に平岡公一代表幹事より委員長宛に提供された、2015年1月1日から12月31日までに刊行された会員の著作と思われるものの一覧表に記載された117点を併せて計119点から、学会賞表彰規程第2条および第3条に定められた会員歴3年に満たないもの1点を除外し、118点を学会賞審査対象著作として選び、その一覧表を各委員に送付した。

 学会賞選考委員会の第2回会合を2016年2月26日に、慶應義塾大学三田キャンパス研究室棟522室にて開催した。(1)委員長に健康上の不安があるので、万一の場合に遅滞なく委員会の任務を遂行できるようにするため、首藤若菜を委員長代行に選出した。(2)単著以外の共著・編著・共編著のうち、個別論文の単なる寄せ集めではなく総論的な序章と終章を有して各章の個別的な内容・事例を一つの世界にまとめ上げた有機的な一体性を備えた著作、殊に会員と会員以外の方との共同研究の成果をいかに取り扱うべきかについて慎重に検討した結果、現行の学会賞表彰規程の運用上の解釈では済まない問題があるために、この点については幹事会に第23回以降の学会賞選考作業への指針を検討するよう依頼すべきことを確認して、第22回学会賞では上記の一覧表のうち共著・編著・共編著に当たる72点は学会賞の選考対象としないこととした。(3)一覧表の単著46点のうち、会員と同姓同名の別人の著作7点およびすでに死没した会員の著作1点を除外し、また、学会賞表彰規程第1~3条の定め(「優れた研究業績」、「顕著な研究業績」、「今後の研究の一層の発展が期待される会員」)と過去の受賞歴を考慮して26点を除外して、残った12点を第一次審査の対象とすることにした。上記(2)と(3)の結果、昨年(第21回)と同様に、教科書・概説書や啓蒙書は除外された。(4)第一次審査対象12点のそれぞれについて2名の委員を担当者として割り振り、次回会合までに各自候補作を選び、それを持ち寄ることとした。

 選考委員会の第3回会合を4月5日に東京大学本郷キャンパス経済学研究科棟第4共同研究室にて開催した。(1)第一次審査対象の12点について、担当の2名の委員の審査所見をもとに1冊ずつ審査を行い、授賞対象となりうる著作3点を選び、7名の委員全員が精査のうえ、各自それぞれの著作について覚書を作成して、次回会合に臨むこととした。(2)共著・編著の取り扱い(第2回会合議題(2))についての幹事会照会文の原案を検討した。

 選考委員会の第4回会合を5月7日に東京大学本郷キャンパス経済学研究科棟第4共同研究室にて開催した。最終選考の対象となった著作3点について、1点ずつ慎重に審査を行い、学術賞および奨励賞の対象について検討した結果、奨励賞として上記2点を選定し、学術賞については該当作なしとの結論を得るにいたった。

 

2.選考理由

 

 早川佐知子『アメリカの看護師と派遣労働――その歴史と特殊性』(渓水社、2015年5月、iv+372頁)は、アメリカ合衆国で専門性の高い職種である登録看護師(Registered Nurse)の職に、いかにして派遣労働が成立するようになったのかを、長い時間軸の中で跡付けた作品である。派遣看護師が協約上も確固として存在し、殊に手術室や集中治療室など高い技能・経験を要する分野で多く用いられ、その賃率も高いのはなぜかを解明しようとしている。アメリカにおける看護師の派遣労働を概観した第1章、医療政策と病院経営の変遷を論じた第2章を踏まえて、第3章では登録看護師が専門職として自律性を確保した経緯が明らかにされ、さらに、看護職種の分業システムの中で、下位職種(実務看護師、有資格看護補助者など)との関係で、いかに登録看護師の地位が形成されたかを、Team NursingとPrimary Nursingとの両面に注目して描く第4章は殊に興味深い。医療標準化と登録看護師の職務との関係を論じた第5章と、テクノロジーの影響を考察する第6章で、前2章の内容を補足して、終章ではアメリカで派遣看護師が専門職として成立した要件が明らかにされ(328頁)、日本の看護労働への示唆が与えられる。
 諸種の文書・文献を駆使して、専門性と自律性が確定した看護職種における派遣労働がいかになされているのかを、過去の経緯を踏まえて解明する作業は説得的になされており、本書が明らかにした知見は労働経済学、人事労務管理論、労働史、医療経済などの観点からも興味深いものである。
 とはいえ、本書には以下のように、決して少なくない弱点も指摘できる。まず内容的にみるなら、第1に、登録看護師が専門職としての地位を確立した経緯は説得的に説明されるものの、患者が増え、医療需要が急増し、また医療費を節減する必要性の中で、なにゆえ、有資格で供給も硬直的と考えられる登録看護師への依存が続き、製造業では常道であった下位職種の量的増大や下位職種への代替が徹底的に進行しなかったのかという点が、Primary Nursingが下位職種を排除したことや登録看護師の職務的柔軟化(「多能工化」)との関連を除くなら、充分に明らかにされていない。第2に、本書では登録看護師が圧倒的に白人・女性の職であることが示唆されているものの、性別については明瞭な数字が示されていない。白人・女性職であることが登録看護師の供給に硬直性をもたらし、職業独占を容易にする要因であったとも考えられるだけに、そのことの意味が充分に論じられていない点は惜しまれる。第3に、専門性の高い派遣看護師の存在は、看護師の就労形態が多様なことだけでなく、病院が登録看護師に対して開放的であることも意味するが、それは猪飼周平『病院の世紀の理論』(第17回奨励賞)が提示した医師に関する開放原理に類似しており、本学会のこうした共有財産への参照が求められるところである。他方で、仮に病院の原理が看護職についても日本のそれとは本質的に異なるのだとするなら、本書終章で提示される日本の看護労働への示唆(専門性を確立して長く働き続けられる多様な就労形態)には些か粗雑の感が拭えない。第4に、以下のような外形的な難点を免れていない。①単純なミスが残っている(図1-1と対応する本文の関係、Team Reader(181頁)、注240のV病グループ、有資格看護補助者と認定看護補助者の訳語の揺れなど)。②訳語の示されないカナ表記(「スキル」、「リ・エンジニアリング」)や生の英語表記が多用され、英語に依存しすぎているため、著者の概念規定が読み取りにくい。③資料からの生の引用が多く、長く、読みづらく理解を妨げている(著者自身の言葉で資料の内容を要約する努力が不足している)。
 こうしたもろもろの弱点・難点の存在にもかかわらず、それらは今後の彫啄の課題として残した上で、本書の著者が学会賞表彰規程第3条の定める「今後の研究の一層の発展が期待される会員」であることに疑いないと選考委員会は判断した。

 

 森川美絵『介護はいかにして「労働」となったのか――制度としての承認と評価のメカニズム』(ミネルヴァ書房、2015年1月、v+351頁)は、介護がいかにして有償労働として可視化され、社会的・経済的な評価を受けてきたかについて、介護保険制度導入前後を三つの時期(介護保険制度以前、介護保険制度の構想・開始段階、介護保険制度の再編段階)に区分して包括的に考察することを通じて、「介護が、介護保険制度という仕組みに包摂されること自体に起因する問題性」(306頁)を明らかにした意欲的な研究の成果である。すなわち、介護保険制度は、「強い」個人と行政統制に支えられた疑似市場的な必要充足モデルであるが、そこでの労働の担い手や行為の価値の再生産には限界が発生しただけでなく、介護保険制度自体が地域の共同性という「弱い」相互性に支えられてはじめて機能する部分システムにすぎないにもかかわらず、「地域に埋め込まれた資源としてその人の地域生活の継続を支える関係性を引き受けながら介護を担う」という介護実践は、制度の規範的承認とは結合せず、むしろ、介護に対する社会的想像力の拡張を阻みすらしてきたことが、諸種の文献と調査に基づいて解明される。
 本書が扱うのは介護全般ではなく、在宅での訪問介護である。それは訪問介護においてこそ、「一般的な日常生活上の管理・家事的なもの」と、「労働としての介護」としてなされるものとの境界が自明のものとはなりにくいからである(16頁)。その広範かつ不定型な仕事がいかなる社会的文脈のなかで労働として可視化され、また介護保険制度のなかで標準化されたのかが、周到に用意された概念装置や理論枠組を駆使して解明され、在宅介護が有償労働とは見なされにくく、職業化・有償化した後も「主婦役割」に引き摺られた形で訪問介護が「労働になった」ことを主張するところに、本書の戦略的な特徴と利点がある。
 本書の戦略は一方では、介護保険制度のなかで訪問介護の労働が「標準化」されることにより、介護・医療等の諸資源が高齢者の生活世界から切り離されて隙間が発生し、それを埋めるために「地域包括ケア」という新たな政策言説が介護保険制度の再編段階において求められるようになったことを説得的に論じうるという利点をもたらしているが、他方では、介護労働の有償化・職業化は、戦前以来の養老院などの施設介護において先行して進んでおり、その評価や報酬水準が必ずしも「主婦役割」に引き摺られたわけではないことも考慮するなら、本書が訪問介護に注目して、「主婦」の延長上に介護労働の特徴を見据えることの限界ないし制約についても自覚的である必要があるだろう。
 また、方法面でも、規範的介護モデルの設定、「労働としての介護の可視化の文法」、労働としての介護の評価をめぐる「行為の価値のパターン変数」などの理論枠組を自覚的に設定したことは、あとに続く研究者が数量化しがたい文書資料や聴き取り調査の結果を研究に用いる際に継受さるべき参照基軸を提供したものと高く評価できるが、一貫性のある自覚的な概念装置の設定に苦心した結果として、叙述の平明さが損なわれている点は改善の余地が残る。
 本書には、認識対象の選択(訪問介護)という点でも、方法や概念の設定という点でも高度に戦略的であることの利点や長所が明瞭に存在し、しかし、それと裏腹の関係で、戦略的であることの弱点や限界も免れていないが、本書が学会の共有財産として長く顕彰さるべきことは疑いを容れないと選考委員会は判断した。

 

 また、奨励賞の授与にはいたらなかったものの、最終候補に残った岩佐卓也『現代ドイツの労働協約』(法律文化社、2015年2月、v+220頁)について講評を記す。本書は、現在のドイツで、労働協約システムがいかに弛緩し、どのような深刻な問題が発生しているかを、協約拘束範囲の縮小(それにともなって発生する「負の賃金ドリフト」、労働時間増大、労使交渉と妥結内容自体への反作用)、協約規制の個別事業所化、協約交渉の対立先鋭化(2007/2008年小売争議)、協約賃金の低水準化、および派遣労働をめぐる協約問題に注目して、三つの業種・労働組合を調査して明らかにした労作であり、確実な概念規定と観察によって支えられた著作である。
 協約拘束範囲の縮小に注目した第1章が本書全体の序章に当たるが、奇妙なことに、終章を欠いているために、著者がドイツの協約システムの弛緩に注目して、日本の読者に何を伝えたいのか、その真意が明示的でない。日本の大方の読者(社会政策学や労働法学の研究者)は、たしかにこれまで、ドイツとは団体的労働権の強固に確立した社会であると考えてきた。しかし、それがもはや過去の幻影に過ぎず、その中で大きな力を行使してきたと思われているIGメタルすら、単純かつ古典的な仕方では協約システムを維持できていないことや、ドイツにもついに最低賃金制度が導入されたことなどは、本書がはじめて独自に明らかにしたことではない。
 この点についてひとつの解釈は、社会的市場経済とオルド自由主義(Ordoliberalismus)で特徴付けられてきた戦後ドイツ社会にも確実に新自由主義(Neoliberalismus)が浸食したことの負の作用を批判的に暴きたかったのだというものである。しかし、本書は明示的に新自由主義批判を展開しているわけではないし、ドイツにおけるその勢力伸長を観察しているわけでもない。「協約カルテル」批判の論調が必ずしも現在まで継続せず、使用者側にも完全には共有されていないと論じていることからも、単純に新自由主義が協約システムを浸食した原因と考えているのではないように思われる。
 むしろ、本書は協約システムを成立させてきた社会規範・法規範(本書の語で言うなら、「協約文化」や「協約風景」)の本質が何であったのか、それがいかに衰退してきたのかを、たとえば、団体的なドイツ労働法学を特徴付けてきた「従属労働」論的観点が弱まり、より水平的で個人主義的な観点に転換しつつあることを示すべきだったのではないか。こうした点で物足りない読後感が残るため、授賞にはおよばないと選考委員会は判断した。

                                                    (文責:小野塚知二)