社会政策学会史料集



『社会政策学会年報』第5集 学会記事

三十一年度

第十三回学会大会
第一日 四月二十九日 於日本大学
開会の辞 大沼健吉
挨拶 松葉栄重
自由論題(報告要旨は二二一頁参照)
(1) 家事使用人の実態 日本大学 小林 巧
(2) 船員労働の特殊性とその理論化の試案について――主として船員労働の実態とその特殊性が船員労働組織に如何なる作用を及ぼしているかの概括的な分析―― 商船大学 笹本 弘
(3) 戦後日本の婦人労働 明治大学 田辺照子
(4) 戦後アメリカに於ける団体協約による年金制について 明治学院大学 金井信一郎
(5) 日本における労働組合の賃金形態闘争の特質 静岡大学 角田 豊
総会
懇親会(於ステーション・ホテル)
第二日 四月三十日
共通論題「賃金」(報告要旨は二二六頁参照)
(1) 臨時工の賃金の実態とその問題点 北海道地方労働委員会 三好宏一
(2) 国民経済と最低賃金――賃金体系と最低賃金闘争―― 国民経済研究協会 永野順造 松尾 均
(3) 「最低賃金制に関する答申」とその検討 慶応大学 森 五郎
(4) 日本における最低賃金制の諸問題 労働科学研究所 藤本 武
総括討論 (座長) 慶応大学 藤林敬三
閉会の辞 大沼健吉
 大会は両日とも出席者二〇〇名をこえる盛会であった。第一日は自由論題に熱心な討議をなし、報告終了後は山中篤太郎氏を座長に総会を開き、役員(幹事)改選、諸報告があった。続いて会場を東京駅ステーション・ホテルに移して懇親会を開き藤本武氏の司会で談笑のうちに一同歓をつくして散会した。第二日は共通論題「賃金」に終始したが、論点は最低賃金制に焦点が集中し、藤林敬三氏を座長とする総括討論においては各会員の活発な発言討論によって最低賃金制を十分に掘り下げるという成果をえた。
 これより先、大会前日の四月二八日には生活保障・社会保障両分科会がつぎのごとき報告を慶応大学において行った。
(1) 貧困階層の発生過程 東京大学 氏原正治郎 江口英一 高梨 昌 津田真徴
(2) 東京下町における下層労働者の生活状態 大阪社会事業大学 坂寄俊雄
 また労働組合分科会は大会第二日終了後に日本大学でつぎのごとき講演を聴講し、質問、意見が会員により活発に行われた。
「春季闘争について」 総評 太田 薫

第十四回学会大会
第一日 十月十八日 於九州大学
開会の辞 平田富太郎
挨拶 森 耕二郎
共通論題「失業」(報告要旨は二二九頁参照)
(1) 常盤炭鉱地帯における失業者の存在形態 大原社会問題研究所 原 薫
(2) 炭鉱失業の諸問題 九州産業労働科学研究所 戸木田嘉久
(3) 炭鉱地帯における失業実態――特に三笠地区における世帯調査を中心にして―― 北海道立労働科学研究所 中村順子
(4) 後進国における失業問題 日本大学 岡村邦輔
(5) 潜在失業にかんする一考察 法政大学 高木督夫
公開講演 於西南学院大学
(1) 労働組合運動における内と外 東京大学 大河内一男
(2) 戦後社会政策の反省 東北大学 服部英太郎
第二日 十月十九日
自由論題(第一部)(報告要旨は二三二頁参照)
(1) 医療保障の財政計画 日本経営者団体連盟 松本浩太郎
(2) 貧困化の理論について 法政大学 上杉捨彦
(3) 戦前わが国の労働組合――総同盟の分裂、評議会の創立をめぐって―― 東京都立大学 塩田庄兵衛
(4) 就業時間について 明治大学 赤倉 武
自由論題(第二部)(報告要旨は二三五頁参照)
(1) 賃金問題に関する書評――最低賃金制度の問題点―― 早稲田大学 西宮輝明
(2) ILOにおける最低賃金制 国際労働局東京支局 高橋 武
(3) フォスター「世界労働組合運動史」の紹介――William Z. Foster.,Outline History of the World Trade Union Movement,1956.―― 慶応大学 飯田 鼎
(4) 「経済学教科書」序論にかんする問題点 早稲田大学 永山武夫
(5) 婦人労働研究の論点 明治大学 田辺照子
総括討論 座長 労働科学研究所 藤本 武
臨時総会
閉会の辞 正田誠一
懇親会(於博多大丸食堂)
 全国各地より約一五〇名の出席者を迎えて九州大学において第十四回大会が開催された。二日間とも好天気に恵まれ、遠来よりの参加にもめげず、熱心な討論に終始した。第一日の共通論題終了後には、会場を西南学院大学に移し、満員の講堂において大河内、服部両氏によって公開講演が行われ、併行してつぎのごとく分科会が行われた。これも傍聴者多く盛会であった。
I 労働組合・労資関係合同分科会
 (1) 職場闘争と労務管理 慶応大学 森 五郎
 (2) 北海道石炭鉱業における福利施設 北海道立労働科学研究所 森 光夫
ll 生活問題・社会保障合同分科会
 (1) 婦人労働と家族制度 日本女子大学 一番ヶ瀬康子
 (2) 医業経済をめぐる諸問題 慶応大学 中鉢正美
 大会第二日の午前中は、新しい試みとして自由論題一部、二部を併行しつつ行った。午後からは第一日の共通論題報告の総括討論を藤本武氏を座長として行い、炭鉱地帯における失業の実態を中心としつつ、討論がすすみ夕刻閉幕となった。続いて年報編集委員の改選等事務的報告を主とする臨時総会が行われ、会場を博多大丸に移して懇親会に入った。生ビールの乾杯で正田誠一氏の司会のもとになごやかな懇親の宴が初秋の夜をかざった。
 第三日は九州大学の御配慮で多くの会員が八幡製鉄所、高松炭鉱、三池炭鉱の三ヵ所へそれぞれ見学に赴き、大いなる成果を収めたことを特記しておきたい。
 また、学会本部も本大会終了後は従来の早稲田大学から法政大学へ移管となり、代表幹事は山村喬氏に交替した。(佐口記)

社会政策学会第十三回大会報告要旨(二一九頁参照)
〃自由論題〃
 一 家事使用人の実態 日本大学 小林 巧
 紡績労働者や製糸労働者の状態がかなり詳しく報告されている今日において、全くかえりみられぬものに家事使用人がある。このことは一つには彼女たちの状態が極めて把え難かったというところにも原因していたのであろう。
 本報告は、彼女たちの集りである希交会の協力を得て本年三月行った個人別調査を基礎としたものである。調査人員は東京都内が一九〇名、近県都市並びに地方都市が九〇名である。調査に当っては、彼女たちをめぐる労働関係に勝れて特殊的、前近代的性格が含まれていないか、どうかを検出することに力点を置いてみた。
 賃金、休日をはじめとし約四〇項目におよぶ調査の結果、知り得たことは主家の職業が異なるに従って、雇用関係にも異同が生じているというこの点だった。例えば、商家では六割七分が主人と共に食事をすませているのに、専門的職業の家庭となると主人と共に食事をすますのは全体の三割五分程度にすぎない。
 本報告ではこうした点に考慮を払いつつ、忘れられていた家事使用人の状態を年令、学歴、実家の状況、前歴、経路、労働時間、休日、疾病、賃金、勤務年数等にわたって説明を加える予定である。
 二 船員労働の特殊性とその理論化の試案について
  ―主として船員労働の実態とその特殊性が船員労働組織に如何なる作用を及ぼしているかの概括的な分析― 商船大学 笹本 弘
(問題意識と概要)
1. 船員労働、船員労働組織、船員政策には大きな特殊性がある。本報告は組織の特殊性に重点をおきながら、労働、政策との関連で分析を試みたものである。なお、「賃労働の型」論、「労働市場」論、「企業別組合」論に対する実証的な一つの反論にもなっていると思う。
2. (日本)海運の特質(国家と戦争との結びつき、固定資産の九四%は船舶、船舶は全面的に労働者により資本の管理をはなれて運航、船員の力強大)は、独特な船員支配の政策を生みだした。例、国家による船員労働力の養成、船員の陸上労働からの分断(労働行政、運輸省)、封建的な統制紀律懲戒立法(船員法二、三章、職員法、旧懲戒法)、資本家の海陸分断策、船内統轄組織等。
3. 船員労働の実態は想像を超えたものがある反面、労働条件は同一産業の陸従にくらべてもはるかに劣悪。同時に組織を規定する要因も数多く含まれる。
4. 海員組合の一般的性格には多くの根拠がある。(国家の政策、国際性、勤務様式、封建性、職業幹部)
5. 単一組織の根拠・条件は、戦後しばらくの船員の雇傭形態は一元的、全面的に戦前幹部によって再建、産報の引継、船員の場合外からの枠ハメ容易、労働力の一括支配容易、労働市場支配容易、厖大な施設人員必要、資本家側の要請、国内外代表選出母体等。
6. 単一組織の維持策は、組合費の源泉徴収、財政の中央集権、統制権力の強化、教育宣伝の本部独占、労働市場支配強化、代議員選挙方法等。
7. 単一組織の矛盾は、企業規模間、企業間、職種間、本部支部大衆の間にある。
8. 展望としては、船員の意識は非常に高まりつつあり、また職場委員や職種団体を通じて本部をつきあげ、執行部自体も変革の途上にある。全海運、港湾とも共闘の方向にある。
1. まえがき
2. 海運産業と船員労働者
 (1) 海運産業の本質(範式、G−W‥A Pm‥‥P−G’
 (2) 日本海運の特質(国家と戦争と海運)
 (3) 日本海運の現状(再軍備政策とその矛盾)
 (4) 船員労働力の供給と雇傭形態
3. 船員労働の実態(労働組織に及ぼす影響を中心に)
 (1) 出身(給源)と就業年数
 (2) 船員生活
 (3) 勤務・労働
 (4) 労働条件
 (5) 失業と職業紹介
 (6) 職業意識
4. 船員労働組織の現状、ならびにその必然性、矛盾、展望
 (1) 概観
 (2) 海員組合の組織、機関、運営
 (3) 海員組合の一般的性格とその根拠
 (4) 産業別単一組織の根拠ならびに条件とその維持策
 (5) 産業別単一組織の矛盾
 (6) 統一団結の強化と海陸共闘、将来への展望
5. むすび
 三 戦後日本の婦人労働 明治大学 田辺照子
1. 戦後の婦人労働は、太平洋戦争による多大の犠牲「遺産」を引継いで再出発せねばならなかったが、一〇年の過程は勤労婦人を著しく増大させ、生産年令人口の増加を上廻り従来の非労働力人口を労働化させたことに特徴がある。すなわち(1)既婚婦人層の増大、(2)家族従業者の中の非農林業の増加、(3)雇用労働者の増加が主内容である。
2. 日本資本主義の戦後過程は従属経済と軍事化政策による犠牲を労働者・農民に転嫁し、低賃金・低米価政策は国民生活を一層窮迫化させ、貧困の抑圧は生計を維持するために婦人の労働力化を促進する契機となっている。
3. 戦後の婦人労働の発展過程は、短い間隔を以て起る恐慌と産業構造の畸型化、厖大なる過剰人口の圧力により、就業を必要とする婦人労働者の存在形態を著しく畸型的なものにする。すなわち、日本の婦人労働者の典型的労働市場であった繊維産業の戦後の縮小と、軍事化政策による重工業化とともに第二次産業部門への婦人の進出を困難にし、労働力需要は相対的に減少したが、流通過程における卸売・小売・サービス業等へは就業者の異常な膨脹となってあらわれている。その中には失業の一潜在形態である自営業・家族従業者の著しい増加がみられる。また失業者の増大・日傭・内職に家庭の主婦が家計補充のために顕在化してきたことは戦後の特色である。
4. このような存在形態は婦人の労働条件を如何にかえつつあるか。戦後民主化政策による諸立法は男女の基本的人権の平等・婦人労働の保護を規定し、労働者の組織強化如何により半封建的な労働関係を除去しうる条件を与えたが、反面失業者、半失業者の増大は長時間労働・賃金切下げ、その他の労働条件を悪化させる根本条件となっている。すなわち、婦人労働が労働者階級に対する搾取を強化するテコとして利用され、権利は次第に剥奪される。特に零細企業の未組織部門に滞留する婦人労働者には、原生的労働関係の存続や保護法規違反は一般的となっている。しかし働く婦人の自覚と権利を守る運動も次第に高められてきた。
 (1) 戦後の婦人労働力化の傾向
 (2) 婦人労働力化の条件
 (3) 日本の婦人労働の特徴
 (4) 戦後の婦人労働力化の客観的主観的条件
 (5) 戦後婦人労働の発展過程
 A 敗戦からドッジ恐慌まで
 B 朝鮮戦争から部分恐慌−−MSA受入れまで
 C MSA政策とデフレ恐慌以降
 (6) 労働条件の戦後の変化
 イ 保護法の適用と限界
 ロ 賃金問題
 ハ 労働時間
 ニ 生産技術の改善問題
 (7) 婦人労働運動の傾向
 四 戦後アメリカに於ける団体協約による年金制について 明治学院大学 金井信一郎
 第二次世界大戦中、アメリカ政府の賃金統制下に所謂“Fringe benefit”(附帯手当)の一つとして認められた年金制(Pension Plans)は、戦後、基幹産業労働者の協約闘争を媒介として急速に普及発展し、一九五四年の初頭には、全組織労働者一五〇〇万名の中、七〇〇万名がこの制度の下に包含されるに至った。このような事態を説明する最も直接的な要因として、(1)アメリカ社会保障体系の中核=養老遺族保険(OASI)の不完全性、(2)戦時中の政府の賃金政策、(3)戦後アメリカ経済の発展に対応する労働組合の賃金政策などが考えられるが、とくに、一九四六年の炭鉱労組、四九年の鉄鋼労組、五〇年の自動車労組などによる広汎なストライキを媒介とする年金制(協約による)の獲得は、アメリカ産業界に、この種の給付の標準型(Pattern)をつくりあげ、かくして年金制は広く団体交渉の重要な協議事項となるに至った。この制度は、各産業又は個々の協約に応じて、極めて多岐な内容をもつが、現在最も一般的な内容としては、(1)使用者の一方的拠出による資金供給の例が多いこと、(2)年金は連邦社会保障の養老年金に対する附加額として算定されること、(3)一般に二〇〜三〇年の同一産業への勤務と六五才以上での退職を必須受給条件とし、給付月額は、OASIよりの給付を合せて、平均一〇〇〜一二五ドルである、(4)労使双方の共同管理による〃基金制〃が近時多くなりつつあること、などをあげることが出来る。協約による年金制については、現在多くの問題点が指摘され、さまざまの角度からその功罪が論ぜられているが、このいわば私的な社会保障制は、一方では、立法による公的社会保障に対する補足物としての意味をもち、他方では、この制度の推進による産業負担増大から、個別資本がその負担を公的社会保障制に転嫁することを促進する労働組合の戦術としての意味をもっている。社会保障の協約闘争が、その立法闘争にまさって活発であることは、アメリカ労働運動の一特徴である。
 (1) 協約による年金制発展の基礎
 (2) 協約闘争による年金制獲得の著例
 (3) 年金制の適用範囲及び財政
 (4) 年金制の技術的構造
 (5) 年金制発展の現時の趨勢と問題点−特に社会保障の立法闘争と協約闘争との関連について−
 五 日本における労働組合の賃金形態闘争の特質 静岡大学 角田 豊
1. 戦後日本の労働組合の賃金体系闘争は資本家的賃金形態に対する闘争と考えられた。けれども組合の提起した賃金体系の問題は従来の賃金形態論の領域を出る多くのものがあった。
2. 最低生活保障賃金−電産型賃金体系−給与体系の合理化−職階制ベース賃金とベースアップ闘争−全自型賃金要求と一律+α要求−賃金据置−賃金総額引上げと組織づくり−賃金格差論−(国民所得の再分配)
3. 資本論の時間賃金・個数賃金の二つの基本支払形態から現実の賃金形態は複雑な組合せによる構成=体系であるとし、賃金体系論は賃金構成の面から、スライド制・マバ方式・べ−ス賃金・職階制反対など事実上は賃金形態全体をとりあげていると当時の賃金理論が指摘したように、組合は賃金形態闘争としていた。が、その内容は企業別組合の企業別団交による企業別従業員給与体系の決定という日本的特質を反映したものであった。
4. 戦前日本の労資関係は資本主義企業における産業位階秩序の形式をとりつつ封建的な身分関係の支配を実態としていた。戦後民主化時代の労働組合の活動は(イ)生活権の確立(ロ)身分制撤廃−−職場(経営)の民主化(ハ)福利厚生施設の管理運営参加に向けられた。そして企業別組合の企業別団交による企業別従業員給与の集団的決定が支配的なものになった。
5. 電産型賃金体系は日発・配電各社に共通する産業別統一の賃金協定であった。しかし電気産業は統制のもたらした公共的独占企業だったため最低生活保障賃金の金額を横断的協約のワクによって保障する意味が理解されないままに終り、また横断的協約によって保障する家族生活手当と社会保障の関連も理解されないままに企業別給与体系合理化の攻撃にさらされた。(能率給の問題)
6. 賃金闘争は総額引上げと最低額の保障体制づくりが組合わされるもので両者に企業別協定・横断的協約・立法闘争の闘争形態がある。
 (1) 問題の提起
 (2) 賃金形態闘争に関連する労資間の賃金問題の推移
 (3) 賃金形態闘争となぜよぶか
 (4) 労資関係の日本的特質
 (5) 電産別賃金体系の残した問題点
 (6) むすび
〃共通論題〃(賃金)
 一 臨時工の賃金の実態とその問題点 北海道地労委 三好宏一
 最低賃金制を確立するためには、当面、経営内で最低賃金をかちとることは不可欠の前提である。しかしこのために職階制ベース賃金の打破−下層労働者の賃金引上げとともに日本の低賃金体制−とくに封建的諸要素−を改変しなければならず、ここには臨時工制による低賃金機構が問題となる。
 臨時工制は、産業資本確立期の臨時職工にすでに与えられた基本的性格を内容とし、構成的失業の発生を条件として成立した収奪の機構=制度であり、臨時工の低賃金は、たんに半失業的ということに問題が求められるべきでなく、現役労働軍の賃金規制の一制度である点が着目される。
 戦後臨時工制は全産業部門に滲透し、本工との賃金格差は四−五割(戦前は一−二割)に達し、とくに重化学部門の下落ははげしい。序列は中小企業−臨時工・日雇と平均的数字は示している。しかし、経営内においては、規模のいかんを問わず、必ずしも最低を形成しないが、常用工の平均以下約六〇%のグループと同位置をしめ、ほぼ規模の大小にかかわらず同一の水準をかたちづくる。
 賃金体系は実物給与・賞与慈恵的諸手当・退職手当をきりすてられ、基本賃金・労働強化賃金のみからなりたつ。基本賃金は職種・年令により決定され、(平均的にも・同一種をとっても)常用工の約六〇%であり、これが基本型となって独自の運動をするのである。ここには額の低さよりもその性格が問題となる。それは臨時雇用の性格に加えて、戦後臨時工賃金の発生した事情=封建的労働力供給機構解体の不徹底と時を同じくした職階制ベース賃金の確立、組頭制下の賃金が戦後日本の賃金の基本型へ編入される過程が検討されなければならない。確立した基本型は、職階制ベ−ス賃金の下に運動を展開し、臨時工賃金のもつあたらしい芽は発展することなく、旧い性格は温存され、職階制ベース賃金の運動に吸引されていく。
 二 国民経済と最低賃金――賃金体系と最低賃金闘争―― 永野順造 松尾 均
 本報告は次の二点とそのための資料に要約される。
 (1) 最低賃金制闘争
 第一の点は、社会政策としての最低賃金制の実現過程についてであり、最低賃金制は、企業別最低賃金や産業別最低賃金の積み重ねによって実現するのか、それとも、全国的な全産業的な最低賃金制のうえに立ってはじめて産業別最低賃金や企業別最低賃金が発展するのか、という問題を提起した。そして、これを最低賃金制の世界的な歴史、とりわけわが国の最低賃金闘争史によって、さらに、最長労働時間制の発展の歴史によって補足しながら論証を試みた。
 (2) 最低賃金額について
 第二の点は、最低賃金額の決定について、少なくとも社会政策学者としての立場において、そこにはなんらかの原則的なものは認められないのか、という問題についてであった。
 (3) そのための資料
 報告者は、賃金構造論の一環としての賃金格差論の立場から、賃金格差の全産業的・全国的綜合・全体としての賃金体系−断っておくが、賃金形態或は賃金支払方法とは区別して、報告者は賃金体系をかかる賃金格差の綜合・全体として理解する−の問題として、この賃金体系−全国的・全産業的賃金階層別労働者数の図表を昭和二年、八年、二三年、二九年の四つを作成し、この賃金体系の下端をどこで切るか、切った結果としてそれを最下限とする賃金体系の再形成についての考察を試みた。
 三 「最低賃金制に関する答申」とその検討 慶応大学 森 五郎
 我国における賃金問題のうちで最も重要かつ基本的なテーマの一つは最低賃金制の問題である。ところでこの問題は色々な角度から取扱うことができると思うが、これをきわめて実際的な諸条件のもとでそのあり方を検討するための好適な具体的ケースの一つは、昭和二五年一一月労働基準法の規定にもとづいて中央賃金審議会が設置され、三年有半の迂余曲折を経て二九年五月に漸く「最低賃金制にかんする答申」という極めて原則的なものを「答申」としたこの間の経緯と内容であろう。
 周知のように最低賃金制には適用労働者の範囲、最低賃金の算定基準(一律か地方別、産業別か、公正賃金原則か生活賃金原則か、産業支払能力原則かなど)、決定機関などの如何によって各種の類型があり、各国それぞれの特徴をもっているのであるが、しかしそれは単に技術的方法による相異であるというよりも、むしろ歴史的国民経済的階級的諸条件に規定されているところ大であるといってよい。その意味では我国の労基法の最低賃金制に関する規定はいかなる特質をもち、それにもとづいて行われた「答申」は具体的にいかなる基本的制約と特徴をもつものとなったか。また「最低賃金制」を布くことを「行政官庁が必要であると認め」(二八条)たのは何故であり、三年半もかかって原則しか答申しえず、その「答申」もそのまま次の段階にうつることなく今日に至っているのは何故であると考えられるか。これらの具体的諸点について、当時の関係者の一人として多少の検討を試み、最低賃金制問題の今後の発展のための問題点を考えてみたい。
1.まえおき
2.「答申」の経緯
3.「答申」の概要
4.「答申」の特徴と今後の問題点
 四 日本における最低賃金制の諸問題 労研 藤本 武
 他の論者との関係から〃なぜ日本ではこれまで最低賃金法制の確立がみられなかったか〃について述べる。
1. 最低賃金制はブルジョア国家が行うものであるから、国家権力の性格と日本の独占資本の性格がまず問題となる。
 (1) 日本の独占資本の性格としては、半封建的雇傭形態の存在、社会政策一般に対するてってい的な反対的態度(例労働時間制限立法に対する反対)・無慈悲な低賃金・過重労働・労働運動に対する奴隷主的反対等に典型的に示される半奴隷主的性格、戦後は特に之に加うるにアメリカ独占資本への従属化の下に生れた半植民地的な性格とそれにもとづく低賃金保持の必要性。
 更に、日本の独占資本は中小企業を従属化し、それによって間接的に中小企業労働者を接収しているが、この意味でも中小企業の低賃金から直接的な利潤をえていること。
 (2) 国家権力は戦前は絶対権力として労働者階級に中世紀的弾圧と独占資本の最大限利潤追求に必要な低賃金政策を行い、戦後はアメリカヘの従属化の下で、米日独占資本の利潤追求に必要な政策を行いつつある。
2. 最低賃金制は、労働者階級の闘争の結果として獲得されるものであるから、労働者がどのように闘ってきたかが問題となる。この闘いは、戦前では天皇制と独占資本の弾圧政策のために非常に困難をきわめ、広汎な闘争を展開する余地に乏しかったのであるが、戦後に問題をしぼると、次の点で、その闘争の展開を不十分にさせてきた。
 (1) 日本の労働組合は企業外の労働組合ではなく、企業別従業員組合として組織され、そのような立場からの闘争が一般的であったし、特に一九四九年以降は一層その傾向は強められたため
(イ)闘争は個別企業毎に行われて、統一目標をもった統一闘争が少なく、特に賃金闘争については最低賃金法制の物質的基礎となる産業別ないし地方別の統一的団体協約の成立は殆どなく、
(ロ)企業外の、特に未組織労働者の低賃金をどうして引上げるかという問題について関心が低く、最低賃金制の問題を本格的に考えることも討議することもなく、それを過小評価してきた。
 右の点では、九月闘争から一、二年の間の労働者の最低賃金制確立のための闘争は今よりはもっと力強いものであった。
 (2) 近年は特にいわゆる"ベース"賃金の闘争が行なわれ、最低賃金の闘争は一時に比べると低調である。
 (3) この闘争を弱めたものとして労働組合の統一闘争の弱さ
 右の問題を不十分ながら若干の国ぐににおける最低賃金制の成立の諸条件と闘争の特殊な性格についてのべてみたい。

社会政策学会第十四回大会報告要旨(二二〇頁参照)
〃共通論題〃(失業)
 一 常盤炭鉱地帯における失業者の存在形態 大原社会問題研究所 原 薫
 1、実態調査について  この報告の基礎になる調査は、一九五四年一〇月、福島県常盤炭鉱地帯の、湯本市および磐城郡山田村における失対事業日雇労働者を主な対象として行われたものである。この報告では、そのうちとくに、平市平公共職業安定所の失対事業日雇労働者のカード(求職票)に記入された、各日雇労働者の大体戦後一〇年間における職業変遷状態の分析と、それに中小・零細炭鉱が散在している山田村における、炭鉱失業者、失対日雇、生活保護者などについての実態調査をとり上げる。
 2、報告の目的  失対事業日雇労働者のカードに記入された、各日雇労働者の失対就労にいたるまでのさまざまな職業変遷状態を各タイプごとに区分し、その職種、企業規模、就業期間などの変遷の特徴、その一般的な傾向の分析を行い、それを通じて、いわゆる潜在失業の解明に一つの手がかりを与えようとすることにある。
 これは、現時点におけるいわゆる潜在失業の構造を実態調査によって分析するというものではなく、しかも分析の対象となるのは失対労働者の職歴であり、又その基礎は専ら職安の資料であるから、そこにはもちろん多くの限界がある。たとえば、各職業の具体的な労働条件や、失業者の農村への流入状況などは把握できない。しかしこうした制約がありながらも、この調査によって、いわゆる潜在失業と顕在失業との構造的関連や、潜在失業というものの具体的な内容を、たんに炭鉱地帯における特徴のみではなくその一般性において、明らかにする上に役立つものと考える。
 二 炭鉱失業の諸問題 九州産業労働科学研究所 戸木田嘉久
 この報告の目的は、炭鉱失業を窮乏化法則の一環としてとらえること、また失業にたいする労働者の組織的抵抗の条件を明らかにすること、この二点にある。
 I
1、大手炭鉱における人員削減は、機械化を軸に職種別人員構成に相当の変化を生じている→坑内直接夫>坑内間接夫>坑外夫。この構成変化は、機械化以前の、間接人員の切捨てによる在籍能率の引上げをも反映しており、全体的な人員削減、直接人員の相対的増員、在籍能率の向上、この相関関係のなかに現代炭鉱の「合理化法則」が表示されているといってよい。
2、合理化下の大手資本は、労働力の「質」的再編をも企図し南九州二・三男の重点採用方針をとったが、失業にたいする大手労働者の組織的抵抗によって意図した成果を上げるにはいたらなかった。
3、排除された大手労働力は、炭鉱地帯で下降する傾向が強い。戦前に比し帰農条件が弱まり、また周辺工場地帯への吸収も不可能に近いためである。大手→中小→零細炭鉱または日雇、これが炭鉱労働力の基本的な下降法則である。
4、大手労働者の組織的抵抗は、移動率の極端な低下によって指標される。組織的抵抗による退職率の低下にともない、資本は「減員無補充」方針によって辛うじて人員削減を達成しえたというのが実状である。しかも三〇年の長期闘争は、この「減員無補充」方針さえも撤回させた。移動率の低下は、大手労働力を定着化させ、そのプロレタリア的意識を高め、それがまた組織的抵抗の条件を強めている。
 ll
1、戦前の中小炭鉱労働力は、主として大手からの転落者、渡り坑夫、周辺農村からの通勤坑夫からなっていたが、戦後のそれは、より「プロレタリア的性格」が強まったという点で、特徴的である。他産業、とくに工場労働者出身者が多くなったこと、大手からの転落者は戦後炭鉱労働運動の体験者であることなどが、その「特徴」を規定している。
2、中小炭鉱における人員削減の特徴は、機械化をともなわず、はげしい移動率と休廃山のもとで、労動力の切棄てがすすんできたことである。このはげしい移動率は、中小における労働者の組織的抵抗の弱さを指標する。またこのはげしい移動率は、中小炭鉱労働者の多くが不安定就業者であり、「事実上の失業者」であることを示す。中小労働者の多くが「事実上の失業者」であるということは、中小失業者の再就業先の多くが、また中小炭鉱であることによっても指標される。中小炭鉱以外の再就業先も、土建・日雇・拾い仕事などへの不安定就業である。
3、中小労働者の組織的抵抗は、全体として弱いが、部分的には激しい抵抗がおこっている。また中小失業者の組織的抵抗も、各地域で前進している。これら抵抗を支えている最大の条件は産業別組織の支援であり、中小労働力のプロレタリア化がもう一つの条件になっている。この事実は、産業別組織の支援が強化されるならば、中小労働者・同失業者の抵抗も、新しい局面へ向って前進しうることを裏書きしている。
 三 炭鉱地帯における失業実態−特に三笠地区における世帯調査を中心にして− 道立産業科学研究所 中村順子
 ―炭鉱にきちがいがふえて来た―
 一九五三年の大量首切りに端を発し北海道の炭鉱地帯にもいたるところに失業地獄が現われた。ひとりこの石炭恐慌の矛盾のるつぼに陥ちこんだ中小炭鉱のみならず、合理化の重点鉱を中心とする大手筋炭鉱地帯においては、五四年になると「炭鉱に気ちがいがふえて来た」という声を耳にするようになった。人員整理を中心とする地ならしの下に作業組織の整備・機械化の増進を強化し、更には資材節減等合理化推進はきびしく現象している。これらの影響と犠牲は重く深く炭鉱労働者の肩に喰いこんで来ている。現場係員が「働いている時の坑夫の目付きが恐しい位にまできつくなった」という程の労働密度の増大、「間違うとけがが大きい」という異常なまでの緊張感から職場での疲労は増大している。又組合が特別生活資金貸付を始める程に生活苦に追われての「無尽」「掛買」がはびこっている現状である。更には人員不補充の原則・交替採用の渋滞化、附帯作業、施設の組立の切換え発註等徹底した人員縮減化策によって労働者世帯には失業者が増大する一方である。停年の七−八年前で息子と代替、息子を坑内に送り自ら退いて町の失対に働く例も少なくない。「気ちがいの発生」はかかる労働苦、生活苦、失業の脅威と労働者世帯の窮乏化を最終的に象徴する以外の何ものでもないのである。
 本報告は一九五四年実施の三笠炭鉱地帯(炭住及び市街地)における四二五世帯(総人員二、五三一)の世帯調査結果から職業階層別にみた世帯の就労状況、所得、生計、健康の実態指標、完全就労者層、不完全就労者層の就労諸条件比較、不就労者、失業者の実態分析結果を紹介するものである。
 目 次
 (1) 職業階層別世帯の就労状況
 (2) 職業階層別世帯の生活実態
 (3) 就労者の就労事情
 (4) 不就労者、失業者の実態
 (5) 三代に亘る職業階層系譜と職歴
 (6) 結論
 四 後進国における失業問題 日本大学 岡村邦輔
 後進国の定義については、例えば、アユブ・ヴァイナーやラグナー・ヌルクセ等をあげることができるが、これらは後進国特有の歴史的背景を不問に附している点で、必ずしも満足することはできない。根本的なことは、後進国即植民地・従属国として把握することである。
 後進国における失業問題の数量的把握はいちじるしく困難である。がそれにしても、後進国における失業は、慢性的な貧困と、不完全就業(偽装された失業)としてあらわされうる。インドは貧しい人々の国であるが、貧しい国ではない、というパーム・ダットの言葉は、後進国の特殊事情を端的にものがたるものであろう。
 後進国における失業問題は、特に農業労働に還元することができる。そしてそれは、後進国のモノカルチュア的産業構造によって深刻化される。後進国における厖大な失業者群は、国際的独占資本の安全弁的役割を余儀なくされている。すでに常識的となっているこれらの事実の上に、最近問題となっている後進国の開発問題にふれてみたいと思う。
 五 潜在失業にかんする一考察 法政大学 高木督夫
 (標題の潜在失業という用語は極めて常識的に用いたもので「見えざる失業」という程度の意味である。)
 わが国失業の特徴的形態としての、いわゆる潜在失業については非常に多く言及されながら、その内容は必ずしも明らかとはいえない。潜在失業と労働政策、社会保障あるいは労働運動との関連、さらには貧困化との関連等問題は極めて多い。ここではそれらの問題をとく手がかりとして、そのごく一部を若干の調査経験をもとにしながら取扱った。
 いわゆる潜在失業、見えざる失業の概念は極めて混乱しているが(この場合、調査測定上の具体的な指標ずけに関する問題は一応論外とする)、大別して初期の潜在失業推計論、適度人口論、近代経済学者の一部、相対的過剰人口論等の立場から取扱われるものに分類しうる。これらの概念はそれぞれ歴史的にも変化している。
 相対的過剰人口論の立場から問題を取扱う場合、以上のそれぞれの潜在失業の概念規定はいかなる意味をもちうるか。これが第一の論点である。
 このことは当然失業潜在化の原因の問題につらなる。従来わが国失業潜在化の原因として、前期的労働関係の存在を強調することが一般的である。しかし、潜在失業問題が大量慢性失業下に生じた歴史的事実よりするならば、この点は再考の余地はないであろうか。労働関係の近代化(さらには資本の不足の克服)は潜在失業にいかに影響するのか。いわゆる先進資本主義国と後進資本主義国の潜在失業に比し、わが国潜在失業の特徴はどこに求められるか。これが第二の論点である。
 上記の論点を基礎にしながら、貧困化との関連において、わが国の潜在失業はいかに考えられるか。又それはいかに変化してきたか、その場合、労働政策及び労働運動はいかに関連するか、を取扱うのが第三の論点である。
〃自由論題〃(第一部)
 一 医療保障の財政計画 日本経営者団体連盟 松本浩太郎
 1、医療保障制度の類型  九、〇〇〇万人の国民を医療保障制度適用の立場からみると、四階層にわけることができる。第一階層(組合管掌、適用人員一八、八〇〇千人。医療費七八九億)、第二階層(政府管掌、適用人員一四、二〇〇千人、医療費六二九億)、第三階層(国保適用人員二七、〇〇〇千人、医療費三一八億)、第四階層(未適用者三、〇〇〇万人、医療費六九五億)、であって、労災の五〇億を加えると、二七五一億(三一年度国民所得六九七一〇億の三・九%)である。これら各階層における財政負担を、保険料、自己負担、国庫負担で如何に賄っておるかを分析する。
 2、国民皆保険の問題  特に重要なものは結核対策(約六〇〇億、四分の一を占める)と五人未満の問題である。結核対策に、特別基金を設け、且つ、再保険を行い、予防対策に重点をおいた場合、結核費用は如何に低減するかを推計する。
 又、一人当り医療費年額三、〇〇〇円(英国ですら一〇、〇〇〇円程度)これを前記階層別にみれば健保被保険者六、〇〇〇円、日傭三、〇〇〇円、健保家族二、〇〇〇円、国保一、二〇〇円、一般国民八〇〇円の格差を如何に措置するかを分析する。
 3、医療保障の再分配効果を如何に措置するか。療養の給付に対する流動性撰向が顕著なる事実に対して、保険制度をもってすすめることの是非を論ずる。均一拠出、均一給付の原則を維持するとすれば、標準報酬年額二八八、〇〇〇円(第一五階級)に止むべきである。又、平均医療費は一四四、〇〇〇円(第九階級)で七・五%で最高を示す。医療費と所得との関係を分析する。
 4、諸外国における医療保障の財政分析がI・S・S・Aブレチン一九五六年三月号で報告(ペトリリ氏)が行われているので、これの要旨をのべる。
 二 貧困化の理論について 法政大学 上杉捨彦
(1) 絶対的貧困化に関する二、三の問題
(2) 絶対的貧困化と相対的貧困化の相互関係
(1) について
 今日、貧困化の問題を扱う場合、相対的貧困化の事実は多かれ少なかれ肯定されているけれども、絶対的貧困化については必ずしもそうでない。絶対的貧困化の否定を生む事情は何か。私はそれを
 (1) 労働者階級の生活水準。社会的欲望
 (2) 本来的搾取、副次的搾取および失業
 (3) 戦争および恐慌
の三項目について簡単にふれたい。
(2)について
 労働者階級を全体としてとらえたときに説明されうる貧困化という一つの事実の二つの側面−絶対的と相対的−はどのようにからみあっているか。労働者階級の状態が相対的には悪くなるが、絶対的にはよくなるという関係は理論的になりたつかどうか。これは(1)の問題を別の角度から扱うことでもある。
 なおまた、労働者階級のなかのいろいろな層それぞれについて、右の二つの側面があらわれる形態にもふれたい。
 三 戦前わが国の労働組合―総同盟の分裂、評議会の創立をめぐって― 東京都立大学 塩田庄兵衛
戦前と戦後をつうじてわが国の労働組合運動を特色づけているものに、政治的意見・思想的立場の対立にもとづく組織の分裂のくりかえしがある。この不幸な歴史は、一九二二年九月のいわゆるアナとボルの対立による総連合運動の失敗にまでさかのぼることができるが、何といっても、一九二五年五月の総同盟の第一次分裂が、その後の運動に与えた影響の大きさの点で画期的であり、それが今日になお残している教訓も切実であると思われる。
 その経過は周知のように次のとおりである。すなわち、一九一二年鈴木文治の指導によって結成された「友愛会」が、第一次大戦とロシア革命・米騒動をつうじて労資協調主義から戦闘的労働組合の方向にすすみ(一九一九年、大日本労働総同盟友愛会と改称、さらに一九二一年、日本労働総同盟と改称)とくに関東大震災後の「方向転換」をめぐって「現実主義」化した「右翼」幹部と、下部大衆から台頭してきた「左翼」との対立が激化し、「内紛」の結果、「右翼」幹部の「左翼」除名をきっかけに組織が真二つに分裂し、一九二五年五月、三五組合、一三、〇〇〇の「日本労働総同盟」と、三二組合、一二、〇〇〇の「日本労働組合評議会」との左・右両翼の労働組合がうまれたのであった。
 この報告では、当時の客観情勢との関連で、「右翼」・「左翼」の労働組合理論と戦術を分析し(右は鈴木文治・西尾末広・松岡駒吉・麻生久・赤松克麿ら、左は渡辺政之輔・国領伍一郎・鍋山貞親ら)、この分裂の本質を検討し、日本の右翼社会民主主義の結集(共産党第一次検挙と震災テロル)、赤色労働組合主義の萌芽(コミンテルンは総同盟の分裂阻止を指令した)などの意義と特徴を明らかにしたい。
 四 就業時間について 明治大学 赤倉 武
 ここに就業時間とは労働時間といってもおなじであるが、ただ労働時間といった場合には、とかく官庁統計的な資料を基礎とした考えが支配的であるように見受けられる。就業時間はこれに対して、おのおのの事業所において現実的に見とられるなまの労働時間であり、したがってそれは官庁統計などと比べるとかなり様相の異なったものとなってくる。
 いったい労働時間の問題はいままでとかく労働災害や疾病との関連において問題とされており、労働の報酬としての賃金との関連において取扱うという態度がいくぶん薄弱であったように思われる。ところで労働時間はいうまでもなく賃金の欠かすことのできない重要な一因子である。周知のように労働者が所定の時間労働に従事したのちには、その体力は消費され、その労働意志は消失する。これを補い、体力および労働意志の再生産をはかる手段が賃金であることはいうまでもない。
 したがって賃金は、就業時間中に消費された労働者の体力および労働意志が充分に再生産されるだけのものが支払われているかどうか。これを逆の面からいえば、支払われた賃金に相当するだけの時間内で、労働者は就業しているかどうかか問題とされなければならない。
 就業時間は生産規模の大きな事業所においては比較的適正であり、かりに時間の延長がなされる場合には法規に則した適当なものであり、かつ、時間外手当などが適正に支払われている場合が多い。しかるに非農林業規模別就業者数についてみても、その六割にちかい零細な事業所(二九人以下)においては、その就業時間はまったく話にならないくらい原始的であり前資本主義的である。これらの中小事業所における就業時間の実態について二、三の例を挙げ、これら恵まれない事業所従業員の就業時間について報告する。
〃自由論題"(第二部)
 一 賃金問題に関する書評―最低賃金制度の問題点― 早稲田大学 西宮輝明
 本報告は特定の書物に対する書評ではない。サブ・タイトルに示した点を諸種の論文によって整理し、併せて自らの見解を明らかにせんとするものである。尚この報告に直接関係ある論文は別紙に示した。
 論点は次の如くである。
 (1) 如何なる目的をもった最低賃金制度を我々は問題にするか。
 この問題は最低賃金制度の内容を規制し、又最低賃金制のための運動を規制するものとして最初に整理する。特に資本家的最低賃金制との関連において問題をとらえる。
 (2) 最低賃金制度と最低賃金額
 最低賃金額決定の原則については春の大会において永野順造氏より報告され、更にその後論文も発表されてある。一方又永野氏の原則とは全く背反する金額もかなり主張されている。こうした点を背景に論点(1)と関連させて検討する。
 (3) 最低賃金制とその運動との関連
 最低賃金制実現のために困難な障害となっているものについては屡々指摘される。本報告は最低賃金制の闘争は統一行動を組織する闘争であり、統一行動はよくこうした障害を克服するものであるという観点から考察を深める。
 二 ILOにおける最低賃金制 国際労働局東京支局 高橋 武
 (1) ILOの最低賃金制は条約・勧告・決議の内容からすれば、決定最低賃金制である。
 (2) どのような最低賃金制をとるかは、国際労働法では各国に委される。ただ一九二八年条約と勧告(商工業)では、団体協約がなく且つ例外的に賃金が低い職業、就中、家内労働に対し最低賃金制の設置を要求し、その際、女子が多く働く職業を特に考慮することが求められる。一九五一年条約と勧告(農業)、アジアの賃金政策に関する一九五三年決議では、「例外的に低い賃金」という限定はない。しかしいずれも基本的には「組織労働者の職業には団体交渉制、未組織者の職業には最低賃金制」という考え方のようである。
 (3) 賃金決定機構については一九二八年勧告は例示しているだけで、職業別賃金委員会、一般的な賃金委員会、強制仲裁裁定、団体協約の適用拡張等のいずれでもよい。
 (4) 最低賃金率を決める規準については、一九二八年勧告は「適当なる生活条件の維持」の必要性を謳い、そのため団体協約の類似の賃金率あるいは一般的賃金率の参酌を規定し、一九五一年勧告は更に「生計費、労務の公正且つ合理的な価値」の考慮を求む。いずれの場合にも「支払能力」に言及していない。しかし一九五三年決議は「経済条件のもとで可能なかぎり高い水準に賃金を決める」ことを一般原則とする。
 (5) 最低賃金制への労使の参加、最低賃金率の改訂規定、監督と制裁等も求められる。
 (6) 最後に、最低賃金制の妥当する一般的なケースは「高利潤、低賃金」の場合に限られ、労働者の低賃金(低所得)に対する万能薬でないように考えられるが、この点を問題として提起したい。
 三 フォスター「世界労働組合運動史」の紹介―William Z. Foster.,Outline History of the World Trade Union Movement,1956.― 慶応大学 飯田 鼎
 この本のなかで著者フォスターは、世界における労働組合運動の歴史をたどっているが、一八世紀中期のイギリスからはじまり、A・F・LおよびC・I・Oの出現に至るまでの過程を広汎な視野をもってまとめている。
 まことにそれは、資本主義の発展のいろいろな段階において、労働者階級の組織が、どのような状態にあったか、という歴史的な考察である。すなわち彼は、資本主義の発展を、「競争的資本主義」(一七六四−一八七六年)、「成熟する資本主義」(一八七六−一九一八年)、資本主義の一般的危機と世界的社会主義の誕生の時期(一九一四−一九三九年)、そして第二次大戦とそれ以後の時期の四つの時期に区分し、主要な資本主義国、植民地地域、社会主義圏における労働組合運動のそれぞれの問題についてふれている。そのなかには産業別労働組合や労働組合の政治活動、アナルコ・サンディカリズムやその他の傾向、など労働組合運動が直面するいろいろな問題について詳細に論じている。
 最後にフォスターは、今後労働組合が歩むべき方向、労働組合内部における民主化や、労働戦線の統一の必要性について論じ、世界の労働組合運動は、社会主義体制の建設を目標として発展しつづけることを力説している。
 四 「経済学教科書」序論にかんする問題点 早稲田大学 永山武夫
 「経済学教科書」は、いわゆる「広義」の経済学書として、一つの意義を持っている。
 経済法則には、各時代特有のものと、各時代にわたって、貫徹するものと大別できるが、「教科書」は「広義」の経済学書としての一貫性を強調して、各時代にわたる一般的な経済法則を、とりわけ重視している。「生産関係は生産力の性格に必ず照応する。」という法則をくりかえし強調する如きは、その重要な一例である。
 しかし、「教科書」は、「生産力」の概念を分析するにあたっても、必ずしも疑念を残していないわけではない。また、「教科書」の序論は、上部構造の分析でもいくつかの不明確な点にふれないままに終っている。報告では「序文」の一部、ことに次の諸点を中心として述べてみたい。
 (1) 生産力、特に生産用具とは何か。また労働用具との関係。
 (2) 上部構造、特に上部構造の役割は何か。土台と上部構造はどのような対応関係にあるか。
 五 婦人労働研究の論点 明治大学 田辺照子
1、 戦後の婦人労働の研究は、実態調査の段階を経て日本の婦人労働の特質についての理論的分析が試みられるようになった。また、社会政策の観点から、とくに戦後の国民生活の貧困化の研究に関連して、婦人労働者の顕著な増大傾向が重視され、婦人労働研究の必要性が指摘されている。婦人労働は婦人労働問題として、労働問題の中で独自の意義をもって調査研究されねばならぬが、最近あらわれている婦人労働の研究成果を中心的な素材として、今後研究のうえに考慮すべき方法論的反省、および若干の問題点を提起したい。
2、 報告順序
 (1) 日本の婦人労働の存在形態と、研究対象のずれについて。
 (2) 戦後の家族制度に対する評価=農地改革に関連して。
 (3) 出稼型論に対する検討、および方法論的反省。
 (4) 婦人の労働研究における労働運動、婦人運動の評価について。
(以上)

〔2006年1月2日掲載〕


《社会政策学会年報》第5集『最低賃金制』(有斐閣、1957年7月刊)による。






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