社会政策学会 談話室






アメリカを引き裂く移民問題

桑原 靖夫

  パスポートやヴィザなどを所有せずに入国したり、ヴィザの期限を越えて数年間、ある国に滞在している外国人は、本国へ送還されるべきだろうか。それとも数年間がまんしていたのだから「恩赦」(アムネスティ)の対象となり、定住する権利を認められるべきだろうか。
  アメリカ移民問題を専門とする調査機関「ピュー・ヒスパニック・センター」の最新調査によると、「不法移民は出身国に帰るべきだ」が53%、「なんらかの法的地位が与えられるべきだ」が40%と、世論はほとんど二分されている。「今日、いたるところで、民族は国家を引き裂いている」といったのは、歴史家のアーサー・シュレジンジャーである(Times, July 8, 1991)。
  これまで度々移民法改正を行い、大火にいたる前になんとか消し止めてきたアメリカだが、ついに予断を許さない段階になった。連日、移民法改正反対の大規模なデモが全米各地で繰り広げられている。
  ブッシュ大統領は「包括的なアプローチ」を提案している。その内容は国境警備の強化、不法移民や雇用主の取り締まり強化、アメリカにいる不法就労者に期限を区切って就労を認める一時的労働許可制度(ゲストワーカー・プログラム)の3本柱からなっている。



強硬な下院

  これに対して、下院は昨年12月に規制強化だけを盛り込んだ強硬な法案*を通過させた。アメリカ国内にすでに入っている不法移民(家族を含む)に対する罰則の強化、メキシコ国境に新たに障壁を追加・新設するなどの対応を含んでいる。不法滞在を重罪とし、不法移民を雇った経営者にも違反1件について2万5000ドルの罰金を科す。メキシコ国境にも約1120キロのフェンスも張り巡らす。不法移民を助けた者にも罰則が適用される。
  他方、3月末から始まった上院司法委員会は、ゲストワーカー・プログラムを取り込んだ法案を可決。審議の舞台は上院本会議へ移った。



賛否が分かれる上院

  上院でゲストワーカー・プログラムを推進する勢力は、共和党のマケインJohn McCain議員と民主党のケデディTed Kennedy議員である。これについて、上院では「不法移民への恩赦(アムネスティ)は認められない」、「ゲストワーカー・プログラムは恩赦ではない」という応酬が行われた。
  アムネスティについては批判が多い。レーガン大統領当時、1986年の移民制度改革で、すでに入国していた不法移民の合法化(アムネスティ)と雇用主の罰則強化で問題解決を図ろうとした。300万人近くが合法化されたといわれる。しかし、その後も不法移民は増加し続けた。専門家が予想した通り、次のアムネスティを期待しての不法移民が流入し、事態は悪化してしまった。今回もアムネスティが対応案に含まれるという噂が広まると、国境を越える不法移民が激増するとの懸念も生まれている。
  「ピュー・ヒスパニック・センター」によると、アメリカ国内に居住する不法移民は1200万人近いと推定されている。2000年時点では840万人と推定されていたから、急速に増加したことがわかる。年85万人以上のペースで不法移民が増加していることになる。アメリカにおけるヒスパニック系の影響力は、政治・経済、文化などの面で明らかに拡大しており、政治的にも無視できない要因となっている。
  アメリカ・メキシコ間の賃金格差は数倍から10倍近くあり、その流れを阻止することはほとんど不可能である。国境の物理的障壁を強化し、不法移民への罰則を強化し、少しでも流れを弱めたいというのが強硬派の対応である。根本的には、メキシコの経済発展を促進することが最も有効な政策である。1994年にNAFTAが成立したときは、メキシコはもっと早期にアメリカ経済に追いつき、統合が進むはずであった。



国境隣接州のいらだち

  国境に隣接するアリゾナ、テキサスなどの州は、次々と進入してくる不法移民と麻薬取引の横行に頭を抱えている。たとえば、アリゾナ州はほとんど緊急事態宣言の下にある。連邦政府は国境管理に十分な対応をしていないとの批判が強い。確かに、アメリカの連邦国境管理はほぼ11,000人の人員で行われているが、ニューヨーク警察はこの4倍の人員である。
  不法移民が国境を越える地域も、カリフォルニアからアリゾナ、テキサスなどに移動しており、その方法も手が込んでいる。国境パトロールが人員、監視装置などの点で手薄なことが露呈している。このため、隣接州が自らの予算で防衛手段を講じる必要が生まれている。ミニットマンと呼ばれる自警団組織が編成されている。さらに、従来は平穏であったカナダ国境側も、管理強化の必要が生まれている。
  不法移民の多くは低賃金労働者として働いている。農業、果樹栽培、建築業など、移民労働者なしには存続し得ないような産業もある。他方、9・11の同時多発テロ事件以降、保守中間層を中心に「反移民」感情が高まってきた。彼らは「一部業界の利益のために、不法移民にかかわる医療費や教育費など国民の負担が増えて国益が失われている」と批判している。



行方の見えなくなった議論

  上院でゲストワーカー・プログラムを取り入れた法案が通過したとしても、下院との両院協議会がある。中間選挙、2008年の大統領選挙への対応を含めて、議論がどこに落ち着くか、行方は見えなくなった。ブッシュ大統領が不法移民に一定の合法性を認めようとするのも、もはや無視できなくなったヒスパニック系への配慮があることはいうまでもない。この問題については、まずまず妥当と思われる方向を選択しているブッシュ大統領だが、民主党自体をコントロールできていない。共和党は賛否二つに割れている。
  首都ワシントンをはじめとして全米主要都市で大規模な移民法改正のデモが展開している。デモの中心となっているのは、アメリカ国内にいる不法滞在の移民やその賛同者である。ヒスパニック系が圧倒的に多い。その規模は、イラク戦争反対のデモをを上回った。不法滞在者であろうとも、その数が大きくなると無視できなくなる。賛同者も増えて、大きな政治的圧力となる。
  フランスの「郊外暴動」の根底にも移民問題が存在したが、放置して不法移民が増えるほど、鬱積した不満の突然の爆発など、不測の事態に対応が難しくなる。不法滞在者を摘発して送還するだけで、定住・永住への方向性を示さない日本だが、どうするつもりなのだろうか。島国日本に安住している時間はとうに終わっている。

* 提案議員の名をとって、Sensenbrenner bill と呼ばれる。

〔2006年04月02日稿、2006年4月22日転載〕



  本稿は、桑原靖夫会員のブログ「 時空を超えて── 人生の断片から」の一文を、筆者の許可を得て転載するものである。
  なお、同ブログには、ここに紹介した論稿だけでなく、《移民政策研究》《移民の情景》《仕事の情景》など、本稿に関連するカテゴリーについても、数多くの興味深い文章が収録されており、一読をお勧めしたい。以下に、いくつか例をあげておこう。
    難航するアメリカ移民法改正(2006年04月12日)
   イギリス移民法改正のねらいは?( 2006年03月13日)
   複雑怪奇な国境の風景── 国境の複雑怪奇:アメリカ・メキシコ国境のトンネル(2006年02月02日)
   日本と中国が地続きであったならば ──絶え間ない越境者:アメリカ・メキシコ国境(2006年01月26日 )




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