社会政策学会史料集



社会政策学会第三回大会記事

はじめに

   左の記事は、会員河津博士が国家学会雑誌第二十四巻第二号に寄稿せられたるものに就て、一二補遺したるものなり。

概 況

 社会政策学会は昨〔明治〕四十二年十二月十九日二十日の両日にわたり慶應義塾講堂に第三回大会を開催したり。第一日は、かねて委員会に於て決定したる如く、移民問題につき会員並に来賓の討議をなし、第二日を会員の社会政策に関する講演に当てたり。しこうして移民問題報告者は、委員会に於て高野福田両博士、ならびに財部学士を推し、同三君の快諾を経たりしが、その後高野博士は官命を帯びて渡欧せられしかば、委員会はさらに高等師範学校教授中島信虎氏を推して、報告の労を煩はせり。
 前大会に於て選挙せられたる準備委員諸氏は、数回相会して諸般の準備を整へられ、前回と同じく秩序井然として大会をして何等の故障なく、極て盛会ならしむるを得せしめられたるは、その労を多とせざる可らず。特に堀江、気賀、福田三委員は会場等のことにつき種々尽力せられ、桑田山崎中島の委員が会務につき奔走せられたるは特筆し置かざる可らず。しこうして本会も会を重ぬるに従ひ朝野の視聴を集むることを得、松岡前農商務大臣を初め、多数の来賓の来会を忝うせしのみならず、都下の諸新聞社は特に記者を派してその記事を報導し、さらに満堂数百千の聴衆はまことに倦怠の色なく、前後二日にわたり謹聴せられしは、本会の多謝する所なり。本会はますます努力して、以て社会政策の趣旨を朝野有力者の間に宣伝すると共に、その精神に基き社会制度の改善に貢献する所あらざる可らざるなり。予輩は例により禿筆を呵し、当日の演説の論旨の大要を報導せんと欲す。

 社会政策学会第三回大会順序
 第一日 十二月十九日(日曜)午前九時慶應義塾大学部第十八番講堂ニ於テ開会
一 開会ノ辞 東京法科大学教授法学博士 金井延君
一 歓迎ノ辞 慶應義塾々長貴族院議員 鎌田栄吉君
 討議 移民問題
 報告者
 慶應義塾大学教授 福田徳三君
 京都法科大学助教授法学士 財部静治君
 東京高等師範学校教授 中島信虎君
(正午ヨリ一時迄休憩)
来賓演説及会員討議
 衆議院議員 犬養毅君、衆議院議員 大石正巳君
 衆議院議員 竹越与三郎君、 法学博士 高橋作衛君
 法学博士 浮田和民君、 法学博士 戸水寛人君
 農学博士 横井時敬君
(外若干名)
一 懇親会
 午後六時ヨリ慶應義塾前東洋軒ニテ開会
 第二日 十二月二十日(月曜)午前九時ヨリ慶應義塾大学部第十八番講堂ニ於テ開会
一 講演
 中央銀行ノ利益ハ株主ノ独占スベキモノナリヤ 早稲田大学講師ドクトルフヰロソフヰー 服部文四郎君
 海上社会政策 東京高等商業学校教授 堀光亀君
 殖民地ノ貿易 慶應義塾大学教授 堀切善兵衛君
 欧米社会ノ近況 東京法科大学教授法学博士 金井延君
 移民カ移物カ 京都法科大学教授法学博士 神戸正雄君
 経済社会終極ノ理想 京都法科大学助教授法学士 河上肇君
 人口問題ト社会政策トノ関係 京都法科大学助教授法学士 河田嗣郎君
 本邦取引所改善問題 神戸高等商業学校教授 津村秀松君
 仏教ノ経済思想 京都文科大学教授文学博士 内田銀蔵君
 労働者ノ組織 慶應義塾大学教授 気賀勘重君
一 第四回大会委員ノ選定
一 閉会ノ辞
一 工場観覧
 十二月二十一日 富士紡績会社工場

第1日

 十九日九時半、討議を開始す。堀江教授司会者の席につき、開会を宣し、金井博士を紹介す。金井教授登壇、開会の辞を陳ぶ。その要に曰く、社会政策の意義ならびに精神は、すでに社会識者の諒する所なれば、さらに之を叙述するの要を見ず。本会の設立は既に十数年の昔にありと雖も、その社会に対し活動したるは数回に過ぎず。しかもその意見が多少社会の視聴を動かしたるは、会員の一人としてひそかに喜ぶ所なり。本日こゝに討論研究せんとする移民問題は、実に我国目下の重要問題なり。我国がすでに世界の舞台に上りたる以上は、万難を排しても之が明解を期せざる可らず。これ我国開国の大義にして、国民経済の消長の繋るところなればなり。政府は、米国に対してある形態に於て本問題を解決したるが如くなれども、その実然らず。本問の解決は未来の問題にして、前途なお遼遠なり。けだし米国に於ける移民問題は独り労働者が排斥せられたりといふにはあらず、きわめて複雑なる原因錯綜して起りたるものなり。ひそかに会員諸君の講究を煩はさゞるを得ざるなり。最後に、会員諸君に報導することあり。昨年六月瑞西バーゼル市に本部を有する「立法手段に由る労働者保護万国会議」書記長バウエル氏より、本会に宛て同年九月ルエッルン市に開会の大会に出席すべきことを紹介し来れり。たまたま予は公用を帯びて渡欧する筈なりしを以て、心ひそかに同会に出席せんと期したりしに、病の故を以て果さゞりしは甚だ遺憾なりき。後しばしば同氏と会談するの機を得、本会の精神等も之を伝へしかば、同氏を経て同会の支部たらんことを要望し来れり。その可否は会員諸君に於て熟考せられんことを望む、とて降壇せられたり。
 次で慶應義塾々長鎌田栄吉氏登壇歓迎の辞をのべらる。その要に曰く、本塾が斯界に重きをなす社会政策学会々員諸君を迎へて、その討論の場たらしむるは、切に栄とする所なり、諸君が知る如く、本塾は終始一貫個人主義を標榜して改むる所なし。本塾が個人主義を標榜して世に立ちたるは、当時封建制度は性質上としても、個人の発達を阻害したること多かりしが故なり。さいわい今日は、世態また当時の如くならずと雖も、なお個人主義を鼓吹するの不適当にあらざるを信ずるなり。けだし社会の事物は遠心力求心力の作用相倚り相待って権衡を有ち、従って発達進歩するものなれば、本会の如く社会政策社会本位の意見と駢びて、個人本位の意見が行はれてその宜しきを制するのは社会の利益なり。社会の発展は個人の発展を主眼とす。個人の発展なくして社会政策を行はゞ、君主専制の世となり、個人の発展の後に之を行はゞ即ち堯舜の世を出現す。このこと特に記せざる可らずと。塾長の論旨大に傾聴すベきもありといえども、社会政策の本義を誤解し、社会主義と混同せられたるやの感あり。社会政策は個人の発展を無規するものに非ず。之を無視するものに非ざるが故に、極端なる個人主義と社会主義とを排斥して、以て社会の改善を庶幾しょき〔希望〕するなり。その事福田博士が明に弁ぜられたるが故に蛇足を添ふるの必要を見ざるなり。
 本問題報告者福田博士は登壇、開口先づ、鎌田塾長の辞を捉へて、世の誤解を招く虞あるが故に、弁ずるの要ありといひ、社会主義と社会政策は同じく社会の二字を冠すと雖も、その実体は氷炭相容れざるものなり。社会主義は現代の経済組織を根帯より破壊せんこと理想とす。社会政策は即ち然らずと、夥多かたの例を引きて解明し、更に話頭を転じて移民問題に入り、移民は種々の点より之を観察するを得れども、予は観点の範囲を縮少して社会政策の観点より之を解釈せんと欲す。移民に二種あり、移出民並に移入民是なり。国によりて移入民多く、利害を感ずるものあり。また移出民につきて利害を感ずるものありと雖も、社会政策の見地よりすれば、移入を以てむしろ重要なりとす。何となれば、若し多数の人民が本国を離るれば、その行先に於てこそ夥多の問題を惹起すべしとはいへ、その移出国に於ては社会調和の問題を惹起すことあらざるべければなり。これに反し外国より多数の移民を吸集したる国にては、先住のものと新に移住したるものとの間に利益の調和し難きものあり、従て社会政策より之を講究するの要あるなり。之を歴史に徴するに、今日国民経済時代に於て政策の推移変遷は、昔都市経済時代に於て都市の政策の推移変遷したるに相類するものなり。都市は第一期は移民を歓迎せり。第二期に至り都市の住民はその特権を失はざらんが為に之を排斥せり。之と同じく、往時移入民を歓迎したる国も、先住のものその利益を失はざらんが為に、之を排斥せんとするなり。これに反し、貨物の輸出は今日之を禁遏するものなしと雖も、移出民に対しては尚制限を設くる国少からざるなり。翻て移入民国につきて見るに、人間を要する国と仕事を要する国とあり。前者は多くの移民来住するもするも差支なし。その国の人口稀薄にして、来住するを許せばなり。勿論人口稀薄なればとて、直に多数の移民を要し、之を養ふを得といふにはあらず。富源を開拓し、以て人口を養ふを得る場合に、移入するに適するなり。いわゆる手の要る国は如何なる移民にても来住するものあればよしといふにはあらず。事業を遂行する労力を要すれども、単に来住して消費するものゝ如きは、これを歓迎せず。事業を遂行するを得る労働者よりいへば、最も移住するに適する国なり。米国の如きはいわゆる手の要る国なり。然れども、頃者けいしゃ〔このごろ〕移民を喜ばず、その多くの生活の程度の低き国より来れるが故なり。その生活の程度の低き国よりの移民を歓迎せざるは理由あるとにして、予にして米国に生れなば、同じく移民を排斥するやも知る可らず。もし生活の程度の低き国より移住する時は、一般の生活の程度を低くするなり。これ社会政策上よりいふも、慶すべき現象にあらず。且つやこれ等下等の労働者が移住し来る結果として、内国人は熟練なる労働者の位置に進まざるを得ず。その結果、労働の不足を感ずるなり。而して下等の労働者は、来るも人口こそ増加すれ、米国人は為に増殖せざるなり。米国が移民を排斥するは、まことにいはれある理由ありと信ず。これを移出国よりすれば、時に移出せんとするものを禁遏する必要なしとするも、之を移入国に迫りて移入を強ふる如きは解す可らず、是れ予が社会政策の見地よりする移民に関する意見なりとて降壇せられる。時すでに正午を過ぎしかば、司会者は休憩を宣し、来賓会員は午餐を喫し、おわって例により紀念として会員は撮影し午後一時再び開会せり。
 金井博士登壇し、会員諸氏に報告すべきとありとて、さきに農商務省より諮問に係る工場法案の修正意見を朗読し、本修正意見は本会員が数回相会して意見を闘はしたる結果にして、会員中異説なきに非ずといえども、その多数の意見を綜合取捨したるものなれば、本会の意見として之を復申せんと欲す。此旨諒承せられんことを望むと陳べられたり。
 次に財部京都大学助教授は第二報告者として登壇し、沈重の態度を以て、先づ本問題解決に資する統計材料を説明し、次に人口増加と移民との関係に移り、人口増加は内に対しては社会政策を生むと共に、外に対しては帝国主義を生む。この二方面は矛盾するが如きも、実は然らず。共に人口増加より生ずる弊害を救済する為に生じたるものなることを詳説し、更に進んで社会には毛細管作用に均しきものありて、自然に本問題に重大なる関係ありとて、最新の学理を紹介し、本問題の解決はすべからく消費の方面より之をなさゞる可らずと道破し、これ等諸問題につき蘊蓄を吐露せられたり。所説穏健にして、周匝しゅうそう〔周到〕最も参考とするに足るものゝ如し。
 来賓代議士竹越与三郎氏は、拍手に迎へられて登壇し、快弁を揮て説て曰く、移民の動機は人口、食料等の問題以外にPhysicalのものあり。すなわち地勢気候等の原因よりして、移民は北に伸びずして南に伸ぶるものなり。古来北方より南下して国をなしたるものありと雖も、南方より北を伐て成功したるものあらざるなり。故に我国が満州等に民を移して以て発展をなさんとするは、けだし難きを求むるものなり。世人は宜しく眼を南方に転じて、我国民の将来発展すべき地を求めざる可らず。しかも南方諸国には自然の恩恵に富み、しかも人種その他の関係より吾人の来住するを喜ぶもの少からずと説き、その例としてかつて踏査せるヂャバ島の経済並に政治社会等の近状につき、最も詳細に説明せられたり。
 次で中島教授は第三報告者として移民に関する諸種の問題を詳細に説明せられたり。先づ移民の意義より説明し、我国の国民籍を脱せずして他国に居住し生活を求むるものにして、実に十九世紀の産物なりといひ、転じてその動機に及び(一)賃金の差異(二)交通の便(三)内地に於る経済並に政治上の不満(四)外国居住者の通信に由りて土着心を薄くすること(五)汽船会社が政府の保護を受けて移民に私便を供する等の諸項を挙げ、実例を引きて之を説明し、次に移入国はその経済並に政治上の原因によりして移民を制限するを説き、米国の如きは既に千八百六十年頃より移民に制限を加へたり。ニュージーランド、カナダ、南米諸国もこれと類似の制度を設くる旨を紹介し、米国がちかごろ我移民を排斥するは吾人の甚だ遺憾とする所なれども、米国の側よりすれは相当の理由あることにして、必竟は両国の利益の軋轢よりして排斥の声を生ずるに至りたるものなりと断じ、暗に福田博士の意見を賛し、更に話頭を移出国に転じ、海外に移民を移出するは世人の信ずる如く決して利益あるものに非ず、現に伊太利の如きは昌に移民を出したる結果労働の不足を惹起したるに拘らず、而かも賃金の低落を致せり。これ必竟移民は生産階級に属するものなるが故に、その減少は生産力の減少を意味したるに外ならずと、夥多の実例を引きてその所説を確め、国民の中海外に出づることを欲するをも抑圧する理由あるべからずと雖も、強いて之を奨励する必要あらざる如しと結べり。移民に関する諸問題を綜合諸国の法制を参し、聴者をして移民問題の梗概を着取せしめたるは老手といはざる可らず。
 次に来賓高橋法学博士は、極めて明亮にその所信を吐露して世人をして向ふ所を知らしめられたり。博士は先づ、諸国は移民問題につきすこぶる意を用ひ、浩澣なる報告書を公にせる旨を説き、我国がこの重要問題につき研究する所はなはだ薄きは、実に浩嘆の至に堪えずと断し、次に本問題に移り、(一)我国は移民する必要あり人口甚だ多くして移民は未だ甚だ多からず、尚多くの移民を出すも我国は疲労する虞なし。(二)而かも、我国も亦移民を出す権利あり我国は諸国と異りて日米条約の第二条但書の如き制限あるは甚だ遺憾なり。我国は列国と均しき程度に於て移民を出す国際法上の権利あるを疑はず。(三)然らば如何なる移民を出さんとするかといふに、その国の法律にて適法と認むるものにて足れり。(四)而して移民は凡て生計の程度の低き国より、程度の高き国に到るべきを適当とす。我国人が満州等に移住するは、いはゞ朋喰をなすものにして、吾人は之を採らずと断じ、次に(五)移民は同化すべきものなりやの問題に移り、その然らざるを説明し、移民の価値前陳の如くなれば政府は移入国に対して移民をしてその国法上の位置を得しむるを勉めざる可らずと結びたり。
 浮田法学博士は徐に説いて曰く、予は移民は必要なりと信ず。その必要なりといふは人口論り来るに非ず。民族発展の必要上、世界文明の上に勢力を得ること肝要なるが故なり。学者往々権利論を楯として本問題を解決せんとすと雖も、予は之を採らず。我国が学童問題につきて争ひたるは権利論よりすれば兎に角、失策たるを失はざるなり。本問解決の如きは、肝胆相照して両国民の誠実なる意思を疏通して、初て之を望み得べきなり。之を米国につきて見る、我国のみが独り排斥せられたるに非ず。移民を排斥するは実に開国以来のことに属し、独乙人支那人伊太利人何れも排斥せられざるはなかりしなり。而して、移民はすべからく或程度までは彼国に同化するの要あり。同化をなさざるが故に自然排斥を受くるに至るなり。吾人の希望を以てすれば、両国民の誠実なる意思により之を解決し、我国人は欧州人と同一の待遇を受くるの位置に達せざる可らざるなり。米国はその国の運命上、東西の文明を渾和するの位置に立つものなれば、之れが運命の指導に従ふをその利益となすべし。若し米国にしてこの理を解せず、人種等の異同に藉口して吾人の要求を拒絶するあらば、已むを得ずんば戦争に由りて之を解決するあるのみ。その説穏健にして而かも強烈なり。
 次に横井農学博士は雄弁を揮ひて最も簡短にその説を披陳せられたり。曰く我国は目下の状態上移民を奨励する必要ある可らず。我国は農業を改善せば繁殖せる人口を十分養ふことを得べきなり。人口過多を憂ひて、移民を説くが如きは愚の至りなりと。
 最後に堀高等商業学校教授は登壇し、横井博士の説を捉へて駁撃し、移民は必竟我国の生存維持の必要より来れる要求なり。吾人は国民経済の維持発展上、閑隙の存するあれば南といはず北といはず、宜しく移住せざる可らずと断ぜり。
 時に既に五時半を過ぎたりしかば、なお会員中討議に参加せんことを希望するものあり。論議もまた未だ尽きざりしと雖も閉会することに決し、司会者桑田博士はその旨を宣し、併せて本会を代表して慶應義塾々長初め諸教授が本会の為に好意を以て各種の便宜を与へられたるを感謝したり。
 同夕三田東洋軒に於て会員の懇親会を開きたり。席上金井博士は、来賓鎌田塾長、浮田博士にその労を謝し、あわせて内田、神戸、財部、河上、河田、諸氏がわざわざ京都より、津村教授が神戸より東上せられ本会の為に光彩を添へられたるを謝し、なお本会のますます発展して初志を貫かんことを希望せられたり。鎌田、浮田、内田、神戸、津村、河上諸氏は之に答へ、桑田、福田、塩沢、関、河津の諸氏も亦その所見を披陳したり。清談尽くるを知らず、その散会したるは九時半なりき。

第2日

 二十日、午前九時本会員の講演会を開催したり。聴衆千余名に達し、前日と均しくすこぶる盛会なりき。
 第一席、気賀慶應義塾教授は「労働者の組織」と題し労働者はその利益を保全する為にその自助の精神に基き組織を作る必要ありと説き、その組織を詳説したり。
 第二席、河田京都大学助教授は「人口問題と社会政策」と題し、説て曰く、世に人口過剰を口にするものあり、人口問題は食料品その物が少きが為に生ずるには非ず、人口全体の問題にあらず、或階級の者の問題なり。或階級の者のものが食料品を得る上に困難を感ずるより生ずるものなり。その階級は無資産者なる労働者を指すなり。而かもこれ等無資産者は、ますます増加するが故に、人口問題はますます急切の問題とはなれるなりと説き、既に人口問題は富の分配の不平均より来れるものとすれば、之を救済するは実に社会政策なり。社会政策よりいへば、人口の増加を喜ばず、むしろ平和の生活をなさしむるを理想とすることを詳説し、社会政策と移民問題とに論及し、吾人にして社会の富の分配にして公正なることを得ば、人口の増加の如きは毫も顧慮するに足らず、と結べり。論旨明晰にして傾聴するに価す。
 第三席、服部早稲田大学教授は「中央銀行の利益は株主の独占すべきものなりや」と題し、中央銀行の利益説くものその保証準備にて兌換券を発行するを挙げ、従て之に対して発行税を課するの基礎とすれど、予の見る所は中央銀行の利益は他に尚存するものなり。その特種の位置を有すること是れなり。国家の信用と銀行の信用とが一致するが故に、国家はその力を以て中央銀行の信用を維持せんとするなり。既にその利益は一二の特権あるが為に来りたるものに非ずとせば、中央銀行の普通銀行の如くにその利益を独占すべきに非るは疑なしと説き、更に如何にして社会はその利益に与る可きかといふ問題に及び、(一)農業に資金を貸付くべし、(二)中央銀行を官営になすべし、(三)その発行券に課税すべしとの提案を評し、その利益は国家と銀行とにて共に納むべきを説明せり。その造詣の深きに敬服すべきなり。
 第四席、神戸京都大学教授は「移民か移物か」と題し、先づ移物には二種あり、貨物の輸出と人民を物として送り出すこととなり。我国の移民の如きは寧ろ移物なりと称するを適当とすと喝破し、移民と輸出との優劣に及び、その国産業を振起し貨物の輸出を奨励する植民移民を奨励すると共に、職業難に対する救治策なりと雖も、移民には一面には利益あると同時に競争国の生産力を増加し自国の国防を減ずる等夥多の弊害あるが故に、輸出を以て優れりとせざる可らずと説き、次に物として移民につき海外に於る醜業婦契約移民の状況につき説明し、かくの如き移民は実に有害にして無益なりと断じ、我国は宜しく自国の産業を振作して貨物の輸出をなすに力を致し、若し移民の必要あらば満韓地方の如き人として移住するを得る地方を選びて以て移民すべしと結べり。
 第五席、堀高等商業学校教授は「海上社会政策」の題下に、海上労働に従事する者に対する社会政策は陸上労働者に対する社会政策と駢びて最も留意せざる可らず、然るに世上陸上社会政策につき云々するもの多しと雖も、海上社会政策に付き之を説くもの少きは嘆ずべしと説き、海上社会政策の諸項目につき、その梗概を紹介したり。時間乏しくしてその詳細を聴くことを得ざりしを憾みとす。
 時に正午を過ぎしかば司会者は一時間の休憩を宣言し会員は別室に於て午餐を喫せり。
 午後一時開会。金井博士は拍手に迎へられて登壇、「欧米社会政策の近況」と題し、一年有余欧米諸国を歴遊して親しく見聞する所を綜合して之を次の諸項に分ち説明せられたり。欧州諸邦の社会政策に関する思潮の大略を窺ふを得べく、極めて有益なる演説なりき。今その所説の大要を摘録すれば第一、欧州諸国の社会政策を行ふ手段に変化を来したるは注意せざる可からず。社会政策を行ふ手段は公の施設あり私の施設あり、前者は国家の経営に成るものと地方団体の経営に成るものとあり、後者は亦た個人の施設になるものと団体の施設に成るものとあり、国家の立法手段によりて社会政策を実行するに重を置くものは独乙にして、墺国は地方団体の経営に重きを置くものゝ如し。これに反し英国は主として私人の施設に待ちたりしものなり。然るに近年に至り、これ等の特長は漸く失ひ両者相近き共に二面の社会政策を行ふに至れり。英国に於て老年者の恩給法を発布し、ために同国の予算を膨脹せしめたる如きは英国が独乙式の社会政策を行ふに至りし証左となすを得べく、独乙に於いても国家の行ふ所の傍ら労働者は職工組合を設け平和的手段によりてその福祉を増進せんとし、クルップの如き企業家もその労働者の福祉を増進すべき施設をなすもの多きを致したる如き、英国式社会政策の発達と見るを得べし。
 第二、英独二国に於いて殆んど同時に同様なる社会政策の目的を達するが為に財政上の大問題を惹起したるは注目すべし。独乙に於る同問題は、相続税法の改正と士地増価税案の形によりて表はれたり。一面に社会政策上の目的を達すると共に、之によりて財政上の補填をなすを目的とするものなり。
 英国に於ける同問題は土地増価税案と老年恩給法案の形によりて表はる。特に老年者恩給法は実に五千万磅の財源を要するものなれば、為に財政上の大問題たるはいふまでもあらざるなり。
 第三、独乙の社会党が近年大に軟化したるは是また注目すべし。同社会党議員は四十三名にて、独乙の政党中第三位に居るなり。而して往年発表したる綱領の如きは之を棄てゝ顧みざるなり。従て社会政策上の問題起れば、之に賛成するを常とするに至れり。その変化実に驚くに絶えたり。
 第四、独乙にては社会政策上の施設を示し、以て世人をして一歩にてもその目的に近かしむるが為に夥多の機関あり。労働者の保護に関する展覧会の如きはその好例となすを得べし。二年前よりベルリンに開かれたるものには(一)災害予防(二)工場衛生(三)労働者の生計その他の設備等の三部に分ち、之に関する設備等を網羅し無料参看を許して、丁寧に説明を加ふ。
 第五、住居改良家屋改良に関する研究の着々進捗したるとはこれ又注意すべし。同上の目的を有する万国会議は、本年二月第九回の会議を千九百十年五月維納市に開くことを議決したり。また之と共に花園市の発達益々著し。その死亡率の如きは他の都市に比較して非常に少きは有力なる実物教示をなすをいふべしとて、二三の花園市につきその見聞する所を披露したり。
 第六、労働者失職保険の発達したるも亦注意すべしと説き、これ等は本演題に対しては九牛の一毛たるに過ぎずと雖も、之によるも吾人の就て学ぶべき所少からざるなり。社会政策は実に労働者の保護のみを目的とするものに非ず、社会の健全なる発達を目的とするものなれば、孔孟の教と選ぶ所あらざるなりと結べり。
 第二席、河上京都大学助教授は「経済社会終極の理想」と題し、劈頭先づ経済社会終極の理想は経済社会の滅亡に在りと断じ、二三の例を挙て之を証明し、その実態を説いて我等が遊んで食ふにありとし、此目的を達するには吾等が労働を遊戯化するにあり。さいわい十九世紀に入りて、より職業の自由と分業の発達は我等をして好む所に従って職業を選ぶを得せしめたるはその一着歩なり。吾人は更にその方向に猛進せざる可らず。人はいふ、よく勤めよく遊べと。予はいふよく遊びよく遊べと。奇警の語人をして送迎に遑あらざらしめたり。
 第三席、津村神戸高等商業学校教授は「本邦取引所改善問題」と題し、取引所改善問題の範囲頗る広汎、到底切迫せる時間内に説くこと能はずと雖も、第一の問題は取引所に於て当所株の定期売買を禁止するは最も必要なりとて、夥多の例を挙て実際を説明し、その取引所本来の職責を尽さゞるを道破し、かくの如きは必竟当所株の売買を禁止するに非れば百の改善策恐らくは徒労に属せんと説けり。流暢の弁、説いて尽さゞる所なし。
 第四席、内田文学博士は夥多の参考書を擁して登壇し、「仏教の経済思想」の題下に仏典の章句を引き古来未だ試みられざる研究を公にせられたるは、同人の最も敬服する所なり。その説の一端を挙ぐれば、仏教は悟を開くを主眼とするものなれども、決して財を無用とするものに非ず。財なければ布施をなすこと能はざればなり。されば仏教にも社会政策的思想の存したるを知るを得べし。財に内財外財あり、内財は身体を指し外財は衣食の料を指すものなりといひ、仏教には勤労を尚ぶと共に殺生を戒む旨を説き、特に農業を尚びその生産の三要素を認めたること、又仏は和合を尊び小を積んで大となすことを勤めたりとて、慈悲済度等より貧民救助病者保護交通等にも尽力せることを説き、特に施といふことを詳語し、その社会政策の思想に類似することを明にせられたり
 第五席、堀切慶應義塾教授は登壇し、快弁を揮って「殖民地の貿易」の題下に、古来本国と殖民地との商業関係より説き起し、近年益々殖民地貿易の国民経済上必要となり来れる所以を詳説し、英国と豪州間米国とフヒツピリン島との間の商業政策に関する諸制度を紹介し、経世家の意をこゝに致すべきことを警告せられたり。
 以上を以て予定の講演を畢りしかば、司会者桑田君は閉会を告げ、最後に来聴者並に会員特に遠来の会員諸氏に謝意を表し、次会は早稲田大学に開く予定なるを以て本年の如く賛助を仰ぐ旨を陳べられたり。金井博士の講演と河上学士の講演の間に、金井博士より次会の委員として稲田、服部、星野、戸田、高野、中島、山崎、堀、桑田、塩沢、金井の諸氏を指名して、その事を委嘱せられたり。同夕新旧委員会と京都神戸より来会せられたる諸氏慰労の会を兼ねて芝三縁亭に小宴を催す。席上次会の討議問題として「都市事業」を選定し、会場を早稲田大学に借るべき旨を確定せり。

第3日

 廿一日会員数名は、函根小山なる富士瓦斯紡績会社の工場に赴き、その労働の状態並に会社の労働者に関する施設等につき詳細に観覧する所あり。同会社は本会に多大の同情を寄せ、本会々員にして同社重役たる和田豊治君は社用滞京中なるがため自ら案内の労を執る能はざるを遺憾とし、特に高橋工場長を以てその任に当らしめ、持田技師長、井上工場主任、湯山監査役亦親しく案内の労を執り、工場全部、寄宿舎、発電所等洩れなく実地に就て説明し、終て同社倶楽部に於て重なる職員と共に会員の為めに懇篤なる晩餐会を開く等斡旋尽力到らざるなし。加ふるに和田君は同社事業の将来に関する有益なる論文を本会に寄稿せられたり。厚意誠に感謝に堪へざる所とす。

〔2005年4月13日掲載〕


《社会政策学会論叢》第三冊 『移民問題』(同文館、1910年6月刊)による。

 なお、ここでは読みやすさを考慮して、原文にはない「概況」「第1日」「第2日」「第3日」の小見出しを加え、原文では簡単にすぎる句読点を詳細にし、漢字の一部を仮名に改めている。また、〔 〕内は二村が追加した注記である。





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