社会政策学会 談話室




田中洋子

マレーシア・ボルネオ経済を歩く

 うっそうとしげる熱帯雨林のジャングル.50センチ幅くらいの蟻の大列が、大木のつるの間をねって何百メートルも続く。足元では図鑑でしか見たことのなかった食虫植物がハエをのみこんでいる。どこからか現れたカメレオンが、目の前の木でみるみるその色を変えていく・・・。
 今年3月から4月にかけて、マレーシア、シンガポールを訪れた.主に滞在したのは、東マレーシアのボルネオ島、サラワクSarawak 州。 熱帯雨林伐採の最先端地である。ヘビやヒルには幸い襲われなかったが、底なし沼のような川泥に、腰近くまで埋まりこんだりする、なかなかスリリングな旅である。



「首刈り族」イバン

 マレーシアといっても、サラワク州は人口160 万人中23の民族をかかえ、マレー人は21%にすぎない。むしろイバン族29.6%、中国人29.1%、ダヤック族(現在はビダユー族とも呼ばれる)8.4 %が目立つところで、ほかにもプナン族などの少数民族がジャングルの中に住み、なお伝統的な生活を保っている。イバンも、少し前まで「首刈り族」と呼ばれていた。もちろん今は冗談の種となっているが、民俗博物館のイバン族の家には、かつてのように人骨がたくさん置かれている。
 カピというサラワク内陸部の小さなイバン族の町で、更に奥地に入る許可を取り、木の細長い小舟で川を遡ってみた。カピの町は予想以上に近代化されているものの、多くのイバンはなお交通手段が小舟しかない、川のほとりの小さな集落に住んでいる。それはロングハウスと呼ばれる伝統的家屋で、例えば36世帯、400 人が大きな一続きの長屋で生活している。



イバン族のロングハウスを訪ねる

 イバンはとても素朴で人なつっこく、「おぉ遠くからよく来た、まぁ飲め、さぁ食え、のんびりしていけ」といった感じでどこへ行っても歓待される。あるロングハウスでは、村長から突然日本語で「わたくしの名前はスバンであります」「山脇中隊長殿!」と話しかけられた。聞くと、日本がボルネオを占領した際日本兵となり、サンダカンの激戦で多くの友人をなくしたそうで、イバンと日本との関係を改めて考えさせられる。
 彼をはじめ年長の男たちは、古い伝統に従い、のどやからだ中に入れ墨をして強さを誇示している。また重い飾りをつけるため、大きな穴のあいた耳たぶを肩までたらしている年配の人もいる。しかし若い人にはもうこうした習慣はない。
 ロングハウスでの生活は、スコールの水を溜め、陸稲や野菜・豆を自分たちでつくり、魚をとっては家の裏のいけすに入れておき、猪豚や鳩を飼って時々食べるという自給自足的なものである。手回しのフイゴで木を燃やして自分の刀を熱して鍛え、薪のかまどで料理をする。 時々、カピのような町に小舟で出かけ、野菜とほかの物を交換しにいく。カピの市場は、パイン数個や豚一匹、菜っぱ少しを売りにきた人達でいっぱいである。
 一方で、何人かの家にはプロパンガスのガスレンジもあった。息子が船員や出稼ぎとして海外に行っている世帯では、ラジカセやテレビ、日本語のCDなども置いてあり、生活の変化を感じさせる。



日本商社+中国人パワー=?

 1980年代以降の日本の商社を中心としたサラワク熱帯雨林の伐採以来、ジャングルの生態系が崩れ、それまで澄んでいた川も土砂の流出ですっかり茶色に濁ってきた。 伝統的な狩猟や漁労も成り立たなくなり、イバンの男は出稼ぎにでるようになった。森林破壊の被害をもろに受けたのが、今でも狩猟生活を営むプナン族である。彼らが87年、日本の商社に対抗して伐採道路をバリケード封鎖した事件はなお記憶に新しい。サラワクに住む先住民は、日本に安い木材を提供するための日本商社の活躍によって、伝統的生活の変化を迫られている。
 また、地元で目立つのは、中国人( マレーシア・チャイニーズ) のビジネスの力の大きさである。たとえ元は日本であっても、実際に木材を伐採し、運び出す仕事、木材加工や貿易などの仕事の多くは中国人によって担われている。イバンの町カピでさえ、食べ物屋、宿屋、銀行、金取引などはみんな中国人が経営している。
 せっかくマレー語を勉強していっても、町で実際役にたつのはむしろ福建語であり、時に潮州語、海南語などの中国語方言である。中国人はマレー語・イバン語がへたで、マレー人・イバン人は福建語等ができない。結局マレーシア人同士、互いに英語で話すことになり、奇妙な感じである。シンガポール人が英語を話すのと同じように、これは多民族・多言語国家が選択せざるをえない究極の「国際化」なのかもしれない。
 しかし、小さい頃から民族ごとに分かれ、別の学校で別の言語を学んでいる状態を見ると、経済力を持つ華僑への反発を含め、先日のインドネシア・メダンでの対華僑暴動のように、各民族間の相互理解のギャップが心配にもなってくる。



狩猟民族プナン族の「日本人」化?

 こうした大企業のイニシアと中国人パワーのもとで、森林を伐り、石油を掘ることによって、マレーシア・サラワクは近代化し、生活水準は向上し、清潔で住みやすい社会となった。今や新聞には、伝統的衣装を身につけたイバン族が、小舟から最新の携帯電話で連絡をする広告が載り、イバン語のカラオケも出回っている。いまだに捕った動物の毛皮をまとい、狩猟生活を森の中で転々と続けているプナン族が、資本主義化の波にさらされるのも、今や時間の問題なのかもしれない。
 平成時代の狸ではないが、自分たちの生活の基盤であった環境が大規模に破壊され、市場経済に巻き込まれていくと、それまでの伝統的な生活・経済パターンはいわば不可逆的な形で破壊されていってしまう。イバン族もプナン族も、結局は、「近代化」された「日本人」的生活に向かって、その歩みを進めざるをえなくなってしまうのであろうか。



往復66000 円、一泊800 円一食80円のサラワクへ!

 最後に、ぜひみなさんもいろいろな所に行って、自分の足で歩き、自分の目で見て、世界を考えてみることをお勧めしたい。 ちなみに、サラワクの中心都市クチンまで往復66000 円、一人一泊エアコン・シャワー付で800 円くらい. この7〜8月に行ってきたインドで一泊100 円〜だったのに比べると高いが、その分快適である。食事も2M$(=80円) くらい。日本で生活するより安くあがる。今ならまだ、森の中で狩りをするプナン族に出会うこともできるかもしれない。






〔2002年7月1日掲載〕



 本稿は、筑波大学・田中洋子会員の個人サイト《田中洋子研究室》「各国経済論」に掲載されているものです。初出は学生向けの学内誌『つくばStudents』第348 号、1995年。このたび、田中会員のご厚意で、本談話室への転載をお認めいただきました。


【関連情報】
サラワクの森・街・ひと
 住まい〜ロングハウス全村民がひとつの屋根の下に暮らすサラワクの住まいを写真入りで解説、食事〜イバン料理など
SCS(Society of Christian Service)サラワク州で活動しているNGO
The Official Tourism Site for Sarawak Tourism Board.
The Rainforest World Music Festival, 12 -14 July, 2002
ボルネオ研究──ボルネオ島と日本人の関係史-
サラワク・キャンペーン委員会《Sarawak Campaign Committee, SCC》

 なお関連情報は、二村一夫が加えたものです。


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