武川 正吾
フル・モンティ
今から数年前,イギリスのシェフィールドという町で暮らしていました.そのときに知り合った日本人の友だちから「懐かしい景色がたくさん見られますよ」といって勧められたのが,『フル・モンティ』という映画です.実は,この映画,ある雑誌の映画紹介を読んで興味を引かれ,いずれ見に行くつもりでいたのですが,その舞台がシェフィールドだとは知りませんでした.時間ができたらと思ってのびのびになっていたところ,この友人の言葉で決心がつき,仕事の帰りに見てきました.
たしかに,懐かしい場面にたくさん出会いました.家族で週末によく買い物に行ったメドウホールという欧洲最大の屋内ショッピングセンターで登場人物の一人が働いていたり,在籍していた大学の校舎が景色の一部であったり,どこか見覚えのある陋屋──イギリス人にとってはということであり,日本人にとってはということではない──が出てきたり,そして何よりも,一度聞いたら忘れられないヨークシャー・アクセントの記憶が甦ってきました.ここの人びとはHのことをエイチではなく,ヘイチと発音します.
一般の日本人にはシェフィールドはなじみがないかもしれません.大学の同僚のなかにも原子力発電の事故があったセラフィールドとシェフィールドを勘違いしていた人もいます.ですから,字幕スーパーのなかでも,登場人物たちがシェフィールドと言ったところは「この町」という訳語に置き換えられていました.
しかし,イギリス人にとっては,シェフィールドは特別の響きをもった都市です.それは産業革命以来の工業都市で,脱工業化時代の今日,衰退しつつある都市です.また,強力な労働運動が存在した左翼的な町としても有名です.僕がいたときに行なわれた欧州議会の選挙でも,全国で最初に,労働党の候補者の当確が出たのはシェフィールドでした.題名は忘れたのですが,日本でも放送されたイギリスの政治ドラマのなかの労働党政府の首相も,たしかシェフィールド選出でした.また,シェフィールドは,英国人の人気サッカー・チームの本拠地でもあります.ですから映画のなかでも,主人公ガズとその息子のネイサンとのあいだでサッカーのことが話題になります.
過去の栄光と現在の衰退,これが,この映画の舞台の象徴的意味です.しかし,以上で書いたことは,この映画を見る上での不可欠な予備知識ではありません.ちょっと知っていると,おもしろさが少し増すかもしれない,といった程度のことです.
社会学的に見ると,この映画は,先進諸国の社会問題の縮図です.そのなかでも最大の社会問題は,長期化した失業の慢性化です.主人公はいずれも失業者で,彼らのたまり場は,職安です.この映画のように失業が日常化した社会というのは,先進諸国ではめずらしくありません.この映画が海外でヒットしている理由の一つはそこにあります.現在の状況を考えると,日本人にとっても,けっしてそれは他人事ではありません.
失業の他にも,離婚,親権や養育費をめぐる争い,ステップ・ファミリー,薬物依存,ゲイのカップル,ダイエット,セックスレス夫婦,老人介護,……と,社会問題の教科書で扱われるような素材が,この映画のなかにはあふれています.その意味で,これは社会学者にとって必見の映画であります.
このように,ともすると気が重くなるような素材が背景に散りばめられているにもかかわらず,この映画は軽やかで,けっして重苦しい雰囲気には包まれていません.それは昔だったら「社会病理」とも見なされかねない,これらの現象が,今ではあまりにも普通のことになっていて,とくに珍しいことではなくなっている,というような事情が働いているのかもしれません.
しかし,この軽やかさは,何よりも,荒唐無稽な話を徹頭徹尾真剣に描き出すイギリス人監督ピーター・カッタネオのユーモアに由来します.
失業中の主人公のガズが,息子の親権を喪失しないために,離婚した妻に養育費を払う必要を迫られ,思案したあげくに,男性ストリップ・ショーを企画して荒稼ぎする,という発想は,控えめに言っても間が抜けています.また,この企画を実現するために,ガズが,荒野の七人のように,自分も含めて一人ずつストリッパーを集めていき(ストリッパーは六人だが,息子のネイサンも入れれば七人),最後には,息子に励まされ,別れた妻と息子に見守られながら大成功のうちに終わる,という話は,どう考えてもバカげています.
しかし,こうした不真面目な話に真面目に取り組むこの映画のおもしろさは,僕にはこたえられません.笑いっぱなしの一時間半でした.
日本でも,欧米のような高失業社会が出現するかもしれません.そのときには,このような楽しい映画も一緒に出てくるといいのですが ... (1998/2/27)