社会政策学会年譜(1896〜1924)


*1896(明治29)年 *1897(明治30)年 *1898(明治31)年 *1899(明治32)年 *1900(明治33)年 *1901(明治34)年
*1902(明治35)年 *1903(明治36)年 *1904(明治37)年 *1905(明治38)年 *1906(明治39)年 *1907(明治40)年
*1908(明治41)年 *1909(明治42)年 *1910(明治43)年 *1911(明治44)年 *1912(明治45)年 *1913(大正 2)年
*1914(大正 3)年 *1915(大正 4)年 *1916(大正 5)年 *1917(大正 6)年 *1918(大正 7)年 *1919(大正 8)年
*1920(大正 9)年 *1921(大正10)年 *1922(大正11)年 *1923(大正12)年 *1924(大正13)年 *凡   例
 

1896(明治29)年

月日

事   項

出 典

4月 2日山崎覚次郎、桑田熊蔵、加藤晴比古、織田一の4名、新橋有楽軒で、社会問題研究会設立について協議。高野「創立」
山崎「濫觴」
4月26日 社会政策の研究会を創立(会の名称は未確定)。毎月1回例会を開くこと、およびさしあたりドイツの営業条例に関する Landmann のコムメンタールを研究することを決定。会場は日比谷庚午倶楽部。参会者、山崎覚次郎、桑田熊蔵、織田一、小野塚喜平次、鈴木純一郎、高野岩三郎、中村進午。高野「創立」
山崎「濫觴」
5月 2日 例会を神田青柳亭で開催。わが国憲法は営業の自由を保証するか否かを論じ、否と結論。また工場建築・職工使用に関する規定は法律をもってするを可とす、と決議。 参会者、山崎覚次郎、桑田熊蔵、織田一、小野塚喜平次、鈴木純一郎、高野岩三郎、田島錦治。高野「創立」
山崎「濫觴」
5月23日 例会を神田九段下玉泉亭で開催。 Landmann のコムメンタールタール中、職工に関する規定につき討議。参会者、山崎覚次郎、織田一、小野塚喜平次、鈴木純一郎、田島錦治高野「創立」
6月13日 例会(神田玉泉亭)。 Landmann のコムメンタールにつき討議。参会者、山崎覚次郎、桑田熊蔵、織田一、小野塚喜平次、高野岩三郎、田島錦治。高野「創立」
7月14日 例会(神田玉泉亭)。鈴木純一郎、小野塚喜平次、高野岩三郎、田島錦治で雑談。高野「創立」
9月12日例会(神田玉泉亭)。山崎覚次郎、高野岩三郎で雑談高野「創立」
9月22日例会(神田玉泉亭)。山崎覚次郎、桑田熊蔵、織田一、小野塚喜平次、鈴木純一郎、高野岩三郎が参会し、主として洋行談に過ごす。高野「創立」
山崎「濫觴」
10月 4日桑田熊蔵外遊につき送別会を下谷の伊予紋で開催。出席は桑田熊蔵、織田一、鈴木純一郎、小野塚喜平次、高野岩三郎。高野「創立」
10月 ?日葛岡信虎、戸水寛人、窪田静太郎入会。高野「創立」
11月28日 会合(神田玉泉亭)。会員の増加をはかり、研究を秩序的に行うことを決議。小野塚喜平次が会の名称を「社会政策学会」と定めることを提案。参会者、織田一、鈴木純一郎、小野塚喜平次、高野岩三郎。高野「創立」
11月29日矢作栄蔵入会。高野「創立」
12月 1日 金井延入会。 高野「創立」
 

1897(明治30)年

月日

事   項

出 典

2月7日例会(神田玉泉亭)。農商務省技師加藤荘太郎の鐘淵紡績事件(阪神)の報告を聞く。参会者、鈴木純一郎、小野塚喜平次、高野岩三郎、田島錦治、矢作栄蔵、高野房太郎、日野資秀。この日、高野房太郎の入会を承認。彼は同日の日記に「此日午后、九段坂下玉川亭〔玉泉亭〕ニ至リ、社会政策学会ニ列シ、遂ニ会員トナル。」と記した。 高野「創立」
高野房太郎
『日記』
3月6日 例会(神田学士会事務所。以下例会々場は特記しないかぎり同所)。佐久間貞一、金井延、山崎覚次郎、田島錦治、小野塚喜平次、鈴木純一郎、高野岩三郎が参会し、研究的談話を交す。高野「創立」
3月14日(日)  午前9時学士会事務所に集まり、鐘ヶ淵紡績会社を見学。参加者、小野塚喜平次、矢作栄蔵、田島錦治、高野房太郎、高野岩三郎。正午に寄宿舎の職工用弁当(代金2銭)を食べる。午後3時仝所を去り千住製戎所を見学。高野房太郎
『日記』
4月24日例会。金井延、織田一、鈴木純一郎、田島錦治、小野塚喜平次、高野房太郎、高野岩三郎で議論。協議の上、会の名称を「社会政策学会」と決定。高野「創立」
「金井伝記」
5月8日例会。高野「創立」
10月3日例会。俵孫一の沖縄談。学会として沖縄の土地問題に関する調査委員(建部遯吾、高野岩三郎)をおくことを決定。片山潜、清水泰吉、窪田静太郎入会。
片山潜は7月以降に会員となっている模様。また、窪田静太郎は前年10月ころ入会との矛盾する記述あり。
高野「創立」
 

1898(明治31)年

月日

事   項

出 典

1月13日 例会。内田銀蔵の沖縄土地制度に関する報告。和田垣謙三、戸水寛人来会。内田・戸水入会。ただし、戸水は、1896(明29)年10月ころ入会したと記憶する、との矛盾する記述あり。 高野「創立」
2月23日 例会。岸本賀昌の談話。内田銀蔵の報告。高野「創立」
9月24日 例会。高野「創立」
10月18日 例会。高野「創立」
10月26日 学会主催、神田青年会館で《対工場法案学術講演会》開催。金井延「社会政策学会について」、高野房太郎「職工保護」、片山潜「労働時間」、高野岩三郎「職工証について」、加藤晴比古「工場監督制度について」、立作太郎「社会問題に関する国際的運動」、金井延「職工保護の大勢」につきそれぞれ講演。 高野「創立」
毎日新聞
10・25
労働世界
11・15
11月15日 例会。医学博士坪井次郎の工場衛生に関する談話。4名入会 国家学会雑誌
12-142
12月13日 例会。原胤昭の免因保護事業に関する談話 国家学会雑誌
13−143
 

1899(明治32)年

月日

事   項

出 典

1月13日 例会。桑田熊蔵の欧州見聞談〔その一部は、国家学会雑誌11-130に、桑田熊蔵「独乙ニ於ケル社会政策協会大会ノ顛末」として掲載されている〕、また金井延が、People's Palade〔Paradeか?〕につき談話。3名入会。 国家学会雑誌
13-144
2月10日 例会。片山潜、労働組合期成会に関し報告。1名入会国家学会雑誌
13-145
4月22日 例会(東京帝国大学)。学会の本領を定め、綱領を発表することを決定し、綱領制定委員に金井延、加藤晴比古、桑田熊蔵、片山潜、山本〔名前不詳〕を選出。
毎日新聞
明32・4・24
5月5日 「社会政策学会の目的と主義とに関し協議の上決定する所あり」金井伝記
5月17日 例会。窪田静太郎、社会的諸制度に関する取調書につき報告。なお、この日、片山潜に退会を促す件につき重要議事があり、また、会の主義綱領を協議。金井伝記
7月9日 活版工懇話会主催の労働問題演説会、神田青年会館で開催。桑田熊蔵「改良主義」、高野房太郎「日本の労働運動の方針」、片山潜「調和主義と社会主義」、金井延「社会主義を駁す」、島田三郎「工業家の責任」、鈴木篤三郎(医師・神保院長)「労働と赤痢」。この演説会で、社会主義的傾向を強めていた片山潜と、これを批判する金井延ら学会主流との対立が鮮明化。 『労働世界』
7月19日 「社会政策学会趣意書」発表。『国家学会雑誌』130-150、『社会』1-6、『太陽』5-17、『日刊人民』明32・7・20、『日本』明32・7・20に全文が掲載される。 国家学会雑誌
13-150ほか
9月29日 例会。窪田静太郎、社会制度調査機関設置に関し学会の意見を発表することを建議。美濃部、窪田静太郎、金井延に委員を委嘱。4名入会。入会者中に、葛岡信虎の名があるが、すでに明29・10に入会と前出。国家学会雑誌
13-152
10月6日 臨時会。葛岡信虎、市街鉄道問題につき詳細に発表。市有説を学会の意見として発表することを決議し、その起草委員に、美濃部、葛岡信虎、加藤晴比古を選出国家学会雑誌
13-152
10月10日 市街鉄道問題委員会開催、公表意見につき熟議国家学会雑誌
13-152
10月11日臨時総会。市街鉄道公有意見書の公表を決定。『国家学会雑誌』13-152、『社会』2-10、『東京経済雑誌』1002号(明32・10・28)、『日本』附録週報(明32・10・16)に全文が掲載される。 国家学会雑誌
13-152
12月4日ふたたび市街鉄道問題につき、学会は『市街鉄道公有ノ議』をパンフレットとして発表。『国家学会雑誌』13-154、『東京経済雑誌』1008号(明32・12・9)、1009号(明32・12・16)、『日本』(明32・12・8、9、10)に全文が掲載される。このパンフレットは、田口卯吉らの東京経済学協会が民営説を発表した(『東京経済雑誌』1006号(明32・11・25)に対し反論したもの。 国家学会雑誌
13-154
 

1900(明治33)年

月日

事   項

出 典

2月14日 例会。桑田熊蔵、英独仏3国における昨年度の労働問題概観を報告。金井延、鉄道国有法案の批評。国家学会雑誌
14-156
3月14日 例会。大学講師グリフヒン「トラスト」につき講話国家学会雑誌
14-157
10月10日 例会。葛岡信虎、産業組合の実例「碓氷社の組織及び沿革」について報告。2名入会。3月から10月の間に、「トラスト」問題調査委員会、外国人に土地所有権を与うべきか否かの問題に関する調査委員会が設立されていた模様。国家学会雑誌
14-164
11月14日例会。鈴木純一郎、パリ博覧会の社会経済部の状況について報告。
12月12日 例会。葛岡信虎、「トラスト」調査委員会の経過報告。宇都宮鼎、下級官吏と社会問題について報告。高木正義、米国における信託会社組織調査報告。1名入会。 国家学会雑誌
14-166
 

1901(明治34)年

月日

事   項

出 典

1月18日 例会。鈴木純一郎、我国労働運動の沿革、ことに労働組合期成会および鉄工組合に関する同氏の閲歴につき報告。国家学会雑誌
14-167
2月13日 例会。久保無二雄「大阪地方紡績工場視察談」。1名入会。国家学会雑誌
14-170
3月13日 例会。官業に関する調査委員会を設け、窪田静太郎、葛岡信虎、久保無二雄、高田、宇都宮鼎に幹事を委嘱。2名入会。 国家学会雑誌
14-170
4月10日 例会。中村某、労働保険について談話。鈴木、英国におけるトラスト問題につき報告。2名入会。 国家学会雑誌
14-170
5月8日 例会。高木正義、米国におけるトラスト問題につき報告。伊吹山徳次、英国における船舶同盟につき報告。葛岡信虎、官業調査に関して意見開陳。 国家学会雑誌
14-171
7月7日 「社会政策学会弁明書」発表
 *一般に「社会政策学会の弁明書」と呼ばれている。『日刊人民』明34・7・8、9、『毎日新聞』明34・7・9、『東京経済雑誌』1089号(明34・7・13)に概要掲載。
経済叢書
第2号(明34・7)
7月12日 安部磯雄「社会政策学会会員に質す」 毎日新聞
明34・7・12
7月20日 田口卯吉「社会政策学会の弁明書を読む」 東京経済雑誌
1090号
12月 葛岡信虎「東京経済雑誌と社会政策」 経済叢書(明34・12)
 

1902(明治35)年

月日

事   項

出 典

1月11日 田口卯吉「社会政策学会の答弁*を読む」。
  *葛岡信虎「東京経済雑誌と社会政策」(経済叢書第6号、明35年3月)を指す。
東京経済雑誌
1114号(明35・1・11)
1月22日 例会。横井時敬、鉱毒事件の調査委員の設置を提案、横井時敬、葛岡信虎、持地六三郎、柳田国男の4名を委員に決定。1名入会 国家学会雑誌
16-184
2月13日 例会。建部遯吾の欧州巡回談。葛岡信虎、労働問題に関する改正刑法案を評論。 国家学会雑誌
16-184
3月13日 例会。小野塚喜平次、欧州巡回談およびリープクネヒトとの会見談。 国家学会雑誌
16-184
4月26日 例会に替えて、日鉄大宮工場見学。 国家学会雑誌
16-184
4月27日 前英国代議士ドレージ氏を上野精養軒に招き、アイルランドに於ける農民産業組合につき説明を聞く。氏と会員の間に英国労働保険制度および社会党の近況に関し質疑応答あり。国家学会雑誌
16-184
5月14日 例会。竹村欽次郎の日鉄職工に関する談話。石渡邦之丞の航西雑談。3名入会。国家学会雑誌
16-184
6月11日 例会。長瀬鳳輔の厦門における政治商業教育事情に関する演説。森賢吾の英国労働者居住問題に関する講話。出席者12名、3名入会
 *同日現在の学会員数は、在京者49名地方在住者11名、海外渡航中の者8名
国家学会雑誌
16-184
9月24日 例会。矢野文雄、社会主義について講演、会員交々詰難す。 国家学会雑誌
16-188、
中島〔葛岡〕信虎
『無息庵存稿』636
10月8日 例会。吉田良春の別子銅山鉱夫の話。石黒男爵、旧幕時代の社会事情について談話。参会 者十余名、2名入会。 国家学会雑誌
16-189
 

1903(明治36)年

月日

事   項

出 典

3月11日 例会。伊吹山悳司、印度見聞談。金井延の提議にもとづき、学会の拡張および活動の方法につき協議。 国家学会雑誌
17-194
4月8日 例会。柳田国男、山陽地方の農民事情につき報告。次回は、工場法案の討議に決定。 国家学会雑誌
17-194
6月10日 例会。窪田重弌、海軍工場の職工の状態について講演。 国家学会雑誌
17-197
6月〔20日〕 「今や同会(社会政策学会)は其の規模を拡張して大に社会政策の学理を天下に拡充するの計画中なりと云ふ」
  *日付は、出典である国家学会雑誌の発刊日。
国家学会雑誌
17-196
7月8日例会。福田徳三、東北飢饉の実況につき講話。 国家学会雑誌
17-197
9月16日 例会。塩川三四郎、欧州社会運動の景況に関する最近の見聞談。これをめぐり座談会。 国家学会雑誌
17-199
10月14日 例会。板垣退助を招待し同氏の社会改良談を聞く。国家学会雑誌
17-201
12月16日 例会。塩沢昌貞、フル・ハウス〔Hull House〕の社会的植民事業につき講演。参会者7名。 国家学会雑誌
17-202
 

1904(明治37)年

月日

事   項

出 典

1月27日例会。統計局長花房直三郎、欧州主として独乙諸都市統計視察談。なお、当日学会会員住所氏名書を配布。 国家学会雑誌
18-204
3月16日 経済学攻究会と連合会。石渡邦之丞、支那歴遊中の所感。井上友一、支那の状態につき説明。 国家学会雑誌
18-205
4月13日 経済学攻究会と連合会。村田俊彦の支那幣制談。国家学会雑誌
18-207
  

1905(明治38)〜1906(明治39)

月日

事   項

出 典

 明37年5月−明40年5月の間における学会の活動は不明。 
 

1907(明治40)年

月日

事   項

出 典

6月?日例会席上、会員中より独乙の社会政策学会に倣い、大会を催すことの提案あり、来会会員がこれに賛成したので、桑田熊蔵、中島〔葛岡、改姓〕、平田徳次郎、高野岩三郎、福田徳三、矢作栄蔵を特別委員として、大会開催準備を行うことを決定。国家学会雑誌
22-2
9月16日例会。前記特別委員会の成案を議し、以下のような大会規定を可決。
一、社会政策学会ハ毎年一回大会ヲ開ク。
一、大会ニ於テハ社会政策ニ関スル討議講演等ヲナスモノトス。
一、大会ニ関スル一切ノ事務ヲ処理スル為ニ委員会ヲ設ク。
一、 委員会ハ幹事並ニ大会ニ於テ選定スル委員若干名ヲ以テ組織ス。但シ第一回大会ノ委員ハ幹事並ニ例会ニ於テ選定スル者ヲ以テ之ニ充ツ。
一、 大会ニ於テ討議スル問題ニ付テハ議決セズ。
一、 大会ノ議事ハ傍聴ヲ許ス。傍聴者ニシテ討議ニ加ハラント欲スルモノハ予メ委員会ニ通告シ其許可ヲ受クルコトヲ要ス。
一、 大会ニ於テハ会員以外ノ者ト雖モ社会政策ニ関シ学識経験アルモノヲ聘シテ講演ヲ求メ、或ハ討議ニ加ハラシムルコトアルベシ。
一、大会ノ記事ハ之ヲ公刊ス。
国家学会雑誌
22-2
10月9日大会開催準備会国家学会雑誌
22-2
12月22日
  〜24日
第1回大会(於東京帝国大学)、討議題目「工場法」。報告者、金井延、田島錦治、桑田熊蔵。傍聴者700〜800名。
 第2日講演会、神戸正雄「労働者保護の方法に就て」、平田徳次郎「社会問題」、横手千代之助「工場内の空気と職工の健康」、福田徳三「ツァイス工場の社会的設備」、塩沢昌貞「労働の本質を論じて労働者と資本家との関係に及ぶ」、小林源蔵「帝国鉄道救済組合に就て」、手島精一「社会に於ける職工の地位」、津村秀松「金の力と人の力」、横井時敬「農業と社会問題」。
 第3日参観(印刷局工場、芝三田煙草製造所、鐘淵紡績工場、東京養育院)
学会論叢
第一冊
 

1908(明治41)年

月日

事   項

出 典

12月20日
  〜22日
第2回大会(於東京高等商業学校)、討議題目「社会政策より見たる関税問題」。報告者、神戸正雄、河津暹、矢作栄蔵。
 第2日講演会、滝本美夫「中等民の保護」、山内正瞭「関税に関する根本主義」、河上肇「農業保護策としての外米課税」、田中穂積「課税によりて貧富の懸隔を調和すべきか」、関一「都市交通機関の発達と居住関係」、津村秀松「農業保護関税の価値」、守屋源次郎「現代婦人とその教育」、筧克彦「人民の本質」、粟津清亮「現時の保険政策に就て」、建部遯吾「世界の大勢と勤険貯蓄」。
 第3日参観(東京帝国大学農科大学、芝浦製作所)
学会論叢
第二冊
 

1909(明治42)年

月日

事   項

出 典

2月17日 例会。杉田勇、欧米銀行事情につき報告。新渡戸稲造、台湾糖業政策につき報告。 国家学会雑誌
23-3
4月26日 例会。農商務省技師安藤広太郎、南アジアにおける米作業の概況につき講話。 国家学会雑誌
23-5
5月21日 例会。ヘンリー・ジョージ講演会。4月26日に来日し、5月末まで滞在した模様。 国家学会雑誌
23-6
11月19日例会。入江保之助、取引所の売買につき談話。 国家学会雑誌
24-1
12月17日 臨時会。工場法案の討議*学会の答申は社会政策学会論叢第三冊『移民問題』明43に掲載されている。 国家学会雑誌
24-1
12月19日
  〜21日
第3回大会(於慶応義塾)、討議題目「移民問題」。報告者、福田徳三、財部静治、中島信虎。
 第2日講演会、気賀勘重「労働者の組織」、河田嗣郎「人口問題と社会政策」、服部文四郎「中央銀行の利益は株主の独占すべきものなりや」、神戸正雄「移民か移物か」、堀光亀「海上社会政策」、金井延「欧米社会政策の近況」、河上肇「経済社会終極の理想」、津村秀松「本邦取引所改善問題」、内田銀蔵「仏教の経済思想」、堀切善兵衛「植民地の貿易」。
 第3日参観(富士紡績会社工場)
学会論叢
第三冊
 

1910(明治43)年

月日

事   項

出 典

2月23日例会。坪井鹿二郎、米国における市街鉄道について報告。矢作、市街鉄道は市有とし乗車賃は地価増加税を以て充当すべしとの意見口述。桑田、水力発電公営論。 国家学会雑誌
24-3
9月29日 例会。建部遯吾帰朝歓迎会。同氏視察談。国家学会雑誌
24-11
10月14日 経済学攻究会と連合会。法科大学講師ウェンチヒの「社会学、社会主義及び社会政策*」の講演。『国家学会雑誌』24-12に、”Sozialismus,Sozialwissenschaft und Sozialpolitik”として掲載、同誌25-1に訳出。国家学会雑誌
24-11
10月27日 例会。農商務省の諮問に係る工場法案の討議。国家学会雑誌
24-11
11月10日 工場法案討議。*学会の答申は『国家学会雑誌』24-12および社会政策学会論叢第四冊『市営事業』明44に全文が掲載されている。 中島「存稿」
670
12月10日 経済学攻究会と連合会。慶応義塾大学教授ヴィッカース氏送別会。国家学会雑誌
25-1
12月11日法科大学研究室において委員会を開く。 中島「存稿」
676
12月18日
〜20日
第4回大会(於早稲田大学)、討議題目「市営事業」。報告者、塩沢昌貞、関一。傍聴者800〜900名。
 第2日講演会、高岡熊雄「我国農民の負債に就て」、上田貞次郎「株式会社の倫理」、山本美越乃「工場法制定の精神を論じて我法案に及ぶ」、永井柳太郎「出産率上の一大危険」、渡辺熈「死亡数、罹病数、罹病日数の関係」、下村宏「都市の家屋」、佐野善作「商業上の興信調査に就て」、高野岩三郎「人民の自覚」、神戸正雄「交通機関の発達の地価に及ぼす影響」。
参観(東亜製粉株式会社工場)
学会論叢
第四冊
 

1911(明治44)年

月日

事   項

出 典

1月25日 例会。欧州から帰った佐野善作、印度から帰った伊吹山悳司の歓迎。中島「存稿」
686
4月26日例会。中島「存稿」
697
5月26日 例会。下村宏、日本の貯金につき報告。中島「存稿」
699
6月29日 例会。植原悦二郎、英国における社会政策・労働問題につき報告。国家学会雑誌
25-8
9月30日

10月1日
社会政策学会、第1回地方講演会。第1日(於京都帝国大学法科大学)。堀切善兵衛「大なる意味の社会政策」、中島信虎「所謂王道と社会政策」、服部文四郎「割引政策と国際金融市場」、福田徳三「私法学と社会政策」、高野岩三郎「労働運動」。
 第2日(於神戸高等商業学校)。中島信虎「新旧思想の衝突」、河津暹「不廉なる生活」、関一「本邦社会政策の将来」、河上肇「社会政策の哲学」、堀切善兵衛「大なる意味の社会政策」、服部文四郎「高き公債か安き物価か」、高野岩三郎「細民調査」、福田徳三「私法学と社会政策」。
学会論叢
第五冊
12月24日
〜26日
第5回大会(於中央大学)、討議題目「労働保険」。報告者、高野岩三郎、桑田熊蔵、粟津清亮。
 第2日講演会、伊藤重治郎「海運会社の積立金」、石川文吾「労働保険の再保険に就て」、下村宏「日本国字の将来」、星野勉三「救貧費に就て」、坂西由蔵「社会政策上の根本問題」、松本烝治「私法と社会政策」、津村秀松「食物問題と国家社会問題」、神戸正雄「財政の心理」。
 第3日参観(三井慈善病院、東京府巣鴨病院)
学会論叢
第五冊
 

1912(明治45〜大正元)年

月日

事   項

出 典

1月18日例会中島「存稿」720
5月5日社会政策学会第2回地方講演会(於大阪高等商業学校)。伊藤重治郎「海員給料問題」、気賀勘重「同盟罷工論」、石川文吾「社会政策と保険」、桑田熊蔵「社会政策の方針」、福田徳三「生存権の理論」。国家学会雑誌
26-7
国民経済雑誌
11-6
10月19日〜20日 第6回大会(於専修学校)、討議題目「生計費問題」。
 第1日講演、田崎慎治「本邦海運保護政策の得失」、阿部助松「認識か経験か」、河上肇「共同生活と寄生生活」、新渡戸稲造「細民移植策」、神戸正雄「家計統計に就て」、平沼淑郎「貧民発生の原因」、和田垣謙三「サンディカリズムに就て」。
 第2日報告及討論、報告者、山崎覚次郎、堀江帰一、津村秀松、講演、岡実「職工の生計状態」。
 参観(東京米穀取引所、東京株式取引所、深川米穀倉庫)
学会論叢
第六冊
 

1913(大正2)年

月日

事   項

出 典

11月1日
〜3日
第7回大会(於明治大学)、討議題目「労働争議」。報告者、平沼淑郎、気賀勘重、田島錦治。
 第2日講演会、宮島綱雄「小額保険論」、高城仙次郎「利子歩合と国民経済」、内池廉吉「僥倖心の意義」、河津暹「欧州に於ける公開市場」、内田銀蔵「古代支那における社会問題」、鈴木文治「我国労働争議の特質」、山内正瞭「人の集中と労働問題」、添田寿一「資本労力の調和」。
 第3日参観(東京市営貸家及び職業紹介所、救世軍無料宿泊所)
学会論叢
第七冊
 

1914(大正3)年

月日

事   項

出 典

4月29日例会。中島「存稿」792
6月11日例会中島「存稿」794
11月7日
〜9日
第8回大会(於東京帝国大学法科大学)、討議題目「小農保護問題」。報告者、高岡熊雄、添田寿一、横井時敬。
 第2日講演会、井上忻治「少年犯罪と其防遏策」、阪本陶一「都市交通と都市社会政策に就て」、吉野作造「大塞耳亜主義」、津村秀松「日本の農業と社会政策」、植原悦二郎「社会政策の実現策」、藤本幸太郎「倫理並に心理より観たる社会的立法」、堀切善兵衛「資本移動と貿易の変調」、福田徳三「英仏開戦の際に於ける両国大小農制度に関するアーサー・ヤングの研究」。
 参観(東京廃兵院、巣鴨監獄)
学会論叢
第八冊
12月21日例会。簡易保険案討議。ほとんどの会員が、官営をもって得策と認めた。国家学会雑誌
29-2
 

1915(大正4)年

月日

事   項

出 典

1月21日 例会。亀田豊次郎、欧州における簡易保険および労働保険の近況につき報告。 国家学会雑誌
29-3
2月25日 例会。上田貞次郎、滞英中の所感。国家学会雑誌
29-4
5月30日例会。二階堂保則、青年の死亡につき報告。 国家学会雑誌
29-8
10月23日
〜25日
第9回大会(於東京高等商業学校)、討議題目「社会政策より観たる税制問題」。報告者、田中穂積、小川郷太郎、河津暹。講演、工藤重義「各種消費税の課税方法を論ず」。
 第2日講演会、高田保馬「文明か幸福か」、渡辺鉄蔵「社会政策と個人」、左右田喜一郎「経済政策の帰趨」、二階堂保則「本邦人の月別死亡に関する研究」、坂西由蔵「営利主義と慈善主義」、三辺金蔵「倫理の要求と経済の組織」、滝正雄「社会政策の理想」、高岡熊雄「戦争と農業」。
 第3日参観(東京府下八王子府立織染学校、片倉製糸場、久保田撚糸整理工場、井上染物工場)
学会論叢
第九冊
 

1916(大正5)年

月日

事   項

出 典

1月20日 例会。農商務省の職工扶助令規定事   項諮問案に対する答申につき討議。10名の特別委員を選定。国家学会雑誌
30-3
1月27日 職工扶助令規定事   項諮問案に関する特別委員会を開催。国家学会雑誌
30-3
2月3日 例会。特別委員会の答申案にもとづき、学会としての答申を決定。答申は、高野岩三郎「農商務省職工扶助規定事項諮問案と社会政策学会の答申」として、国家学会雑誌30-3に掲載。国家学会雑誌
30-3
6月1日 例会。海軍主計少監刑部斉、現時英国における軍需問題につき講話。国家学会雑誌
30-7
10月29日
  〜31日
第10回大会(於慶応義塾大学)、討議題目「官業及び保護会社問題」。報告者、堀江帰一、神戸正雄、堀光亀。第2日講演会、小泉信三「職工組合の現在及将来」、岡実「工場叢令の施行に就て」、松岡均平「疑問の濠洲」、伊藤重治郎「米国の船舶国有法」、内池廉吉「在米日本人の帰趨」、上田貞次郎「租税と社会政策」、本多精一「官業としての兵器製造業に就て」、田島錦治「経済と道徳」。第3日参観(鉄道院大井工場)学会論叢
第10冊
 

1917(大正6)年

月日

事   項

出 典

12月21日
  〜23日
第11回大会(於専修大学)、討議題目「小工業問題」。報告者、添田寿一、上田貞次郎、服部文四郎。
第2日講演会、北沢新次郎「戦時及戦後に於ける英国労働者運動」、気賀勘重「物価騰貴の影響」、武藤長蔵「アーノルド・トインビーに就て)、那須皓「農村問題の文化的背景」、内藤章「本邦に於ける下層金融機関」、森荘三郎「工場法と災害保険」、河上肇「未決監」、山崎覚次郎「保証発行制限額の拡張に就て」。
第3日参観(本所貧民窟)
学会論叢
第11冊
 

1918(大正7)年

月日

事   項

出 典

8月17日〜18日 社会政策学会北海道講演会。 第1日(於北海道帝国大学農科大学)、高野岩三郎「本邦の人口政策」、河津暹「戦後の経済戦」、福田徳三「物価騰貴と社会改造論」、矢作栄蔵「戦時に於ける英国の食料政策」、田島錦治「経済上に於ける個別的及合衆的報恩主義に就て」。
第2日(於小樽市堺小学校)、田島錦治「財の生産上に於ける経済と道徳との合致を論ず」。矢作栄蔵「戦時食料政策」、高野岩三郎「量か質か」、河津暹「第一印象」、福田徳三「極究権の実行」。
国家学会雑誌
32-10、11、
国民経済雑誌
25-3
11月?日例会。山川菊栄、婦人職業問題について講演。山川菊栄「婦人職業問題ニ就テ」として国家学会雑誌33-2および3に掲載。 国家学会雑誌
33-2
12月21日〜23日 第12回大会(於早稲田大学)、討議題目「婦人労働問題」。報告者、河田嗣郎、阿部秀助、森戸辰男。
 第2日講演会、塩沢昌貞「労働問題の精神的方面」、高橋誠一郎「権威の圧迫と労働組合」、井浦仙太郎「取引所と公衆」、森本厚吉「日米最小生活費の研究」、米田庄太郎「知識階級と労働者階級」。
 第3日参観(印刷局、中央電話局)
学会論叢
第12冊
 

1919(大正8)年

月日

事   項

出 典

2月8日 例会。鉱務監督官石原修、食料問題につき報告。国家学会雑誌
33-3
4月14日 例会。耕地整理課長有働良夫、開墾助成法について講演。国家学会雑誌
33-5
12月20日
  〜21日
第13回大会(於中央大学)、討議題目「労働組合」。報告者、小泉信三(ただし病気欠席のため高野岩三郎原稿代読)。
 第2日講演会、三辺金蔵「労働委員と労働組合」、鈴木文治「巴里国際労働法制委員会の経過」、高橋清吾「都市政治の民衆化」、添田寿一「大戦後の労働運動」、大内兵衛「日本銀行改造の社会的意義」、福田徳三「労働組合と階級戦争−併せて河上博士に答ふ」。
国民経済雑誌
28-2
 

1920(大正9)年

月日

事   項

出 典

12月18日
  〜19日
第14回大会(於東京商科大学)、討議題目「中間階級問題」。報告者、河津暹、森本厚吉。
 第2日講演会、早川直瀬「養蚕労働問題」、高垣寅次郎「社会問題の心理学的考察」、増井幸雄「消費組合と社会連帯」、権田保之助「民衆娯楽の危機」、永井亨「労資協調に就て」、麻生久「現実に現れたる階級闘争」、大西猪之介「社会政策の人生観」、杉森孝次郎「新時代の常識の二要点」。
 参観(近衛師団、朝日新聞社)
国家学会雑誌
35-3、4、
国民経済雑誌
30-2
 

1921(大正10)年

月日

事   項

出 典

12月17日〜19日第15回大会(於東京帝国大学)、討議題目「賃銀制度並に純益分配制度」。報告者、福田徳三、神田孝一。
 第2日講演会、丸谷善市「時代と韻律」、出井盛之「社会問題と経済学説」、加田哲二「国家観上の一新傾向」、土方成美「累進税と平等犠牲説」、阿部賢一「社会主義と財政学」、山内正瞭「経済二元論」。
 第3日参観(府下蒲田松竹キネマ撮影所)
学会論叢
第15冊
 

1922(大正11)年

月日

事   項

出 典

3月7日過激思想取締法案に対し学会有志反対決議文を発表。有志氏名不詳。時事新報
大11・3・8
12月23日
  〜25日
第16回大会(於慶応義塾大学)、討議題目「我国に於ける小作問題」。報告者、石黒忠篤、佐藤寛次。
 第2日講演会、高瀬荘太郎「集団意識に就て」、二木保幾「アインスタイン相対性原理と社会政策上の概念」、高城仙次郎「教育平等論」、高島佐一郎「社会主義的思潮の肯定の否定」、矢作栄蔵「ジュネーブ第三回国際労働会議に就て」。
 第3日参観(内閣統計局)
国家学会雑誌
37-4
11月大正11年11月現在の学会会員数はつぎの通り。在京会員148名、東京附近会員10名、地方会員78名(以上のうち外遊中15名)。  
 

1923(大正12)年

月日

事   項

出 典

河田嗣郎、河上肇、神戸正雄の3会員、学会脱退を高野岩三郎宛通告。嘉治隆一氏談話
 

1924(大正13)年

月日

事   項

出 典

12月6日
  〜7日
第18回大会(於大阪市実業会館)、討議題目「労働組合法問題」。報告者、福田徳三、永井亨、高野岩三郎。
 第2日講演会、河津暹「経済復興」、向井鹿松「物産取引所問題」、村本福松「求職者に対する科学的撰択と労働権主張との調和如何」、小林新「経済指数に就て」、武藤長蔵「社会政策的西洋思想伝来史」。
国民経済雑誌
38-1、
大阪毎日新聞
大13・12・7、8、9


 
凡  例

 1) この年譜は、『社会政策学会史料集成 別巻』(社会政策学会史料集成編纂委員会監修、1978年、御茶の水書房刊)の巻末に「社会政策学会史」小委員会の名で掲載された「社会政策学会年譜」を基本としている。なお、同年譜の作成を実際に担当したのは関谷耕一会員である。
 2) ごく一部の項目について二村一夫が追加している。また、文言などについては、二村の責任で改めた箇所が少なくない。
 3) スペース節約のため、出典欄の記載は略記したものが少なくない。主たる出典の原表記は以下の通りである。

  • 高野「創立」=高野岩三郎「〈社会政策学会〉創立のころ」(『帝国大学新聞』1935年12月4日付)初出。
  • 山崎「濫觴」=山崎覚次郎「〈社会政策学会〉及び〈経済学攻究会〉の濫觴」(山崎覚次郎『貨幣瑣話』1936年)
  • 高野房太郎『日記』=法政大学大原社会問題研究所所蔵、高野房太郎の1897(明治30)年 の日記。
  • 金井伝記=河合栄治郎著『金井延の生涯と学績』


*1896(明治29)年 *1897(明治30)年 *1898(明治31)年 *1899(明治32)年 *1900(明治33)年 *1901(明治34)年
*1902(明治35)年 *1903(明治36)年 *1904(明治37)年 *1905(明治38)年 *1906(明治39)年 *1907(明治40)年
*1908(明治41)年 *1909(明治42)年 *1910(明治43)年 *1911(明治44)年 *1912(明治45)年 *1913(大正 2)年
*1914(大正 3)年 *1915(大正 4)年 *1916(大正 5)年 *1917(大正 6)年 *1918(大正 7)年 *1919(大正 8)年
*1920(大正 9)年 *1921(大正10)年 *1922(大正11)年 *1923(大正12)年 *本ページの先頭へ *ホームページへ