岩田 正美
イギリスのワールドカップ
この6月は、ワールドカップ開催国に比べればおとなしいものではあったにちがいないが、イギリスも何かと騒がしい月であった。Queen's Golden Jubilee Holidayが2日もあって、ついでにちょうど子どもたちの学校の中間の休暇があって、月初めのウィークエンドが長いものになった人も少なくなかったそうだ。そのうえ、ワールドカップである。
イギリスはもちろんフットボールファンが多い。ワールドカップ開始と同時に、私のいる地方都市のくすんだ建物の窓には、赤十字を大きく延ばしたようなイングランド旗が目に着くようになった。いくつかは手書きだったのもご愛嬌。またアイルランド旗も若干まじっていた。Golden Jubilee のパレードのときも、振っている旗にイングランド旗が混じっているのをテレビで見たが、どうもあれはワールドカップと併用したらしかった。
イギリス人は冷静で個人主義だというステレオタイプな見方があるが、賭事やスポーツになるとそれはかなり怪しい。4月に髪を切りに美容院に行ったら店主がテレビの競馬中継を見ながらカットをしており、レースの終盤にははさみを放り出して、Oh, My Boy, Go, と叫んでいたのでびっくりしたことがある。よくしたもので、顧客も一緒に騒いでいたけれど。ワールドカップも家でテレビを見るより、職場や学校、パブで誰かと一緒に見るというのが好きなようだった。一番望ましいのはパブ。多くのパブは,スポーツや競馬中継を売り物にしていて、ビールを片手に大きなスクリーンを見ながら応援し、良い場面で皆一緒にガッツポーズをするというのが約束事のようだ。結構集団行動も好きである。たまたま、イングランドの最初の試合は日曜日の午前中だったが、郊外の小さな教会にバッハのコンサートを聴きにいった時に立ち寄ったパブで、そのフィーバーの名残に出会った。残念そうに、いつまでも引き分け試合の分析をしている男性がいて、仲間に、それならおまえが監督やれとか言われていた。次のアルゼンチン戦の時も、たまたま休み中の友人に誘われてその両親の家に行く途中で立ち寄った小さな漁村のパブで、ベッカムのPKが入った瞬間を見た。居合わせた客の喜びようと言ったらなかった。ちなみにこの瞬間の写真や映像がその後あきるほど流されたが。
早朝にあった試合でも、パブで見ている人もいて、その手にはビールがあったのには驚いた(これはテレビ情報)。家のそばのパブは仮設トイレまで準備していた。しかしパブは大人だけなので、子どもはどうするかというと、これは学校である。早朝試合の時は、朝食まで用意して(ただし有料)皆で応援し、授業開始を遅らせたとか(これもテレビ情報)。家のそばの学校からも大きな応援の声が聞こえた。では、働いている人はどうするのか?これはテレビとラジオの黙認が対応策のようだ。私のいる大学の共同研究室のテレビもこの期間は特別につけっぱなし。バスの運転手はラジオ。店の人々はテレビである。インタビューに行ったホームレスの相談機関でも、やり手の所長がしょっちゅう休憩室に来てはラジオを聴いていた。イングランドの試合ではなかったから、これは本当にフットボールファンのようであった。こうしたビッグマッチでは賭けをするというのも、お約束らしく、大学でもどうやら行われていると聞いた。
さて、ワールドカップの開催国ということもあって、この期間は急に日本や韓国へのイギリス人の関心が高まったようであった。日頃は中国人?とまず聞かれることが多いのだが、ようやく庶民レベルで日本が個別に認識されたらしく、郵便局のおじさんにも、日本でやっているよねと言われた。私の主治医は、診察も程々にさっそく日本の話。さらにこういう機会に世界の人が知り合うのはとても良いことだと思うと真面目に締めくくった。この期間、イギリス人は日本でよほどよいもてなしを受けたらしく、繰り返し日本は親切で良かった良かったという特派員報告が流された。どうもこれも日本人にちょっと温かい気持ちになる原因だったようである。イングランドチームも、日本でイングランドとベッカムがこんなに人気があるとは知らなかったという正直なコメントを残したほどである。
BBCラジオではワールドカップはマダムバタフライの曲にのって始まる。テレビでは、日韓の伝統的な芸能や寺社、富士山に混じってかならず新幹線が入っている映像がオープニングである。いささか古典的ステレオタイプな日本・韓国観に辟易とさせられたが、新幹線は、鉄道問題(最近は飛行機も)がNHSとならぶ大きな国内問題である英国では、触れないわけにはいかない、というところであろう。しかし、中には物静かな日本人だと聞いていたのに、新宿ではどなりあっている男性を見たとか、おとなしいはずの韓国女性がはつらつとボーイフレンドをひきつれて大声で応援していたとかに驚いた記者の記事もあって、私もイギリスで同じことを感じているなと笑ってしまった。
もちろんイギリスらしい批判の目もある。これもステレオタイプといえばそうであるが、日本や韓国の応援団のユニフォーム、ニッポン、ニッポンというかけ声、新幹線が遅れないできれいだということ、韓国の人々が応援の後掃除をしていったということ、等々は全体主義的な傾向と映ったようだ。遅れない鉄道などは考えられないのである。ついでにイギリスの学校で早朝から集まり、授業を遅らせたというのも全体主義ではないかと、誰かがラジオでいっていた。その学校の生徒の母親がインタビューに答えて、あら強制ではなく、選択だし、うちの子は喜んでいったから、いいんじゃない?と受け流していたが。 逆に、イギリスの愛国主義の激減を憂う声もあった。1966年ワールドカップ優勝の頃のフットボールは国民のスポーツであったのに、今や商業主義で、イギリスのプロチームが日本人を含めた外国人を「買う」のは、市場を広げたい一心に他ならない、と嘆く声もある。あるコラムニストはイギリスで、トルコ人やブラジル人が母国の勝利に驚喜していたけれど、誰もそれをとがめない状況を嘆いていた。
それで思い出したが、私がこちらに来た頃D.ブランケットが打ち出したAsylum seeker と移民に対するBritish Citizenship Test(英国に来る以上、英語、英国の歴史や文化の理解、女王への忠誠を誓うことを課す)をめぐる論争があった。その中で、多民族化が進む今日の英国で、たとえばクリケットやワールドカップでイギリスが負けたときに、移民は少なくとも喪の期間は沈黙を守る程度の配慮があるべきだ、というようなことを書いた人がいた。それが最低のcitizenのマナーであるというわけである。今やその程度のマナーをもった移民もいなくなったし、誰もそれを問題にしない、ということになるのだろうか?とはいえ、英語のテストとか、文化といってもウェールズやスコットランドはイングランドとは違うよ、という声がすぐ起こるのがこの国でもある。
ともあれ、イングランドの負けた日は、奇しくも主にこのAsylum seekerをめぐる共通ルール(規制)づくりをめざしたEUサミットが開かれていた。ヨーロッパ勢が早めに負けてしまったワールドカップへのいらだちが、他民族化の急速の進行への恐れが高まるヨーロッパで、どのような形で出てくるだろうか、と考えると少々不安な気持ちにもなる。オリンピックもそうであるが、スポーツの国際試合というのも、考えてみればなかなかややこしいものである。愛国心をめぐっては、私の住む地方都市にこの9月にオープンする Empire and Commonwealth Museum も目下の話題である。大英帝国の負だけでなく栄光もまた展示すべきだという愛国者たちの熱意が実ったのだそうである。
ワールドカップで負けたら、国民的鬱状態が出現するのではないかと、BBCテレビでいっていたが、むろんそのようなことは起こらなかった。人々はまた何事もなかったかのように平常生活に戻ったかと思ったら、皆の興味は今度はウインブルドンのテニスだそうで。
日本は今度はドメスティックに、そろそろ高校野球ですか?
岩田正美(日本女子大学)
School for Policy Studies,
University of Bristol
〔2002年6月25日寄稿〕
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