岩田 正美
《通信》 英国とpoverty lobby
──ホームレス調査スキャンダル
年賀状代わりに送ったメールの返信として、インドで新年を迎えた伊藤セツ会員から、当地での貧困状況に圧倒された様子が送られてきた。そして最後に「でも、インドの社会福祉というのは誰が研究しているのですか。大英帝国はあの国に福祉的なものでは何を残したのでしょうか?」と結んであった。
英国に来る直前に、Raghu RaiのINDIA という写真展を覗いただけで、インドもその他の旧植民地の状況も知らないままに私は英国に来ているのだ。伊藤先生に叱られているようで、思わず首をすくめてしまった。その後、言い訳を考えたわけだが、つまり私は貧困という現実を研究しに来たのではなく、「貧困への社会の態度」を、とりわけその政策を研究しに来たのだ。
貧困の現実の深刻さとそれを「問題とする社会の態度」は必ずしも一致しない。貧困の現実が圧倒的であっても、それを社会問題とはしない国もあれば、しつこく貧困を問題にしてきた国もある。英国はおそらく後者の代表例であろう。ブースからタウンゼントに続く貧困研究の伝統は、現実の政策と積極的に結びつきつつ、相対的貧困や deprivation概念を生み出し、最近はフランス輸入の Social Exclusion,や Social Polarisation などという用語がほとんど貧困と同様に使用されている。インドの飢餓を目の当たりにしたセンがこれに違和感を持ったのは、当然だろう。だが、私の設問は、相対的貧困か絶対的貧困かということではなく、なぜこの社会はそのような多様な概念を総動員してまでも繰り返し貧困を問題にするのか、ということなのである。むろん、だからといって貧困は解決していないようでもあるのだ。
貧困が社会問題の主流であり続けている大きな理由として英国の貧困を具体的な政治課題として絶えず主張していく社会勢力、すなわち poverty lobby の存在があげられている。これは anti-povertyと社会改良を掲げる諸社会団体が競争しつつも、特定の政策課題で協力体制をとって政府に圧力をかけるものであるが、アカデミズムとマスコミを積極的に利用しつつ著しい発展を遂げたといわれている。むろんこの lobby活動はあくまで英国社会の範囲であって、インド等へ関心を広げているわけではない。
ホームレス問題もこの一端にある。Shelter や The Big Issue などの大きな団体は日本でも有名であるが、これらが90年代からホームレス問題の再燃化、とくにRough Sleeperと呼ばれる野宿者の政治問題化に果たした役割は大きい。ホームレスへの住宅供給を地方政府に義務づけた住宅法があるにもかかわらず、90年からロンドンで開始された Rough Sleepers Initiative(RSI)という特別プログラムがその後他の都市にも拡大されると共に、99年には Rough Sleepers Unit(RSU)が発足して、政府は3年間でイングランドの野宿者の3分の2の削減をすると約束した。その場合、各団体は一方でその代表をRSUに送り込んで直接の政策形成に影響力を及ぼしただけでなく(RSUの代表は Shelter出身でホームレスの女帝と称されている)、他方で大量の資金を受け取ってホームレスへのサービス供給主体となった。ちなみに、アカデミズムも政府や大手の圧力団体が供給する研究補助金を介してホームレス研究を発展させた。私が居候をしているブリストル大学のある研究者に言わせれば、これらは「ホームレス産業」なのだそうだ。したがって、ホームレス問題もあらゆる用語で掘り起こされ、若い人のホームレス化が強調されると、対抗して高齢者団体が older homelessnessの大キャンペーンを張り、他方、hidden homelessnessなる言葉もあって、狭隘な住宅問題、借金問題、家族崩壊、刑務所や軍隊からのルートも細かく研究されるという具合である。しかし、路上の物乞いは3年前に来たときより若干増えている感じがする。実際、ブリストルの The Hub という単身者用の drop-in centerへの聞き取り調査では、開設時の95年より毎年来所者数が増えているというのだ。
ところで、RSUが約束した野宿者数の具体的な削減の期限がこの春なのだが、そのため野宿者数調査が11月に行われた。この調査をめぐって最近スキャンダルが発生し、これがなかなか興味深い。それはRSUが数を減らすために、路上でサービスを提供している各団体に圧力をかけて、調査当日にホステルでパーティを開催して足止めをしたり、臨時のベッドを増やしたというのである。これを取り上げたのは、out reach workerの属する労働組合であるが、これにいくつかのマスコミが飛びついた。実際、12月にバーミンガムで開かれた Older Homelessnessをテーマとした会議に出席ししたとき、この調査に関して現場のワーカーからRSUの代表者に異常ともいえるほどの質問が集中していたのを私も目の当たりにした。RSUに参加している圧力団体のトップもこの rough countingに関与していると非難されている。
事の真偽はともかくとして、このスキャンダルが示すのは、政府と一体化し肥大化した「ホームレス産業」の危うさではないか。だいたい、野宿者の数が正確に数えられるわけがない。そのようなことは関係者は百も承知で数の削減を公約し、無理な調査でこれを証明しようとする。ここで俎上に載せられているのは、実はホームレスの数ではなくて、政策の成功を誇示しなければならない政党とlobbyのトップ層に導かれた「ホームレス産業」の矛盾であろう。大量の資金は現場ワーカーの雇用をも拡大させたが、総じてその賃金は低く、政府の批判を忘れて下請化を進める団体に疑問を呈するワーカーは少なくない。
英国の場合、貧困者それ自体や一般市民の貧困への発言は案外少ないことに驚かされる。貧困は貧困者の問題ではなく社会の問題だとはいえ、その社会がここでは「ホームレス産業」のような閉じた社会にのみ代表されてしまっているのではないか。一般市民はただ無関心NIMBYをきめこんで、ひややかに物乞いを避けて歩いているようにみえる。
(スキャンダルについては、たとえば 新聞 The Independent on Sunday 23 Dec. 2001 または雑誌Community care January 2002 など参照されたい)
岩田正美(日本女子大学)
School for Policy Studies,
University of Bristol
〔2002年1月19日寄稿〕
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