社会政策学会史料集





社会政策学会弁明書をめぐる論争

葛岡信虎「東京経済雑誌と社会政策」(二)

一月十一日発党の東京経済雑誌は旧臘の経済叢書に載せたる余輩の所論に対して答弁する所あり、爾来また二ケ月を経て、ここに復ひ該記者と相見んとす、記者必ず余輩が長日月を有するを笑はん、余輩が考究思案の長きに過くるに驚かん、但答弁の遅速の如き、人々各々其の便宜あり決して辞柄を巧にするにあらず、然れども必ずしも之を弁するを要せず、畢竟するに問題の本旨と何等の関渉なきものにして、真に是れ一小些事なり、記者の之に驚き之を笑ふに任せんのみ、
経済雑誌記者の説く所を見るに、論旨往々岐路に渉り、其意の在る所を知るに苦しむ、惟ふに記者は余輩の主張する所を充分に思索せずして、漫然言議を弄するものにあらざるなき耶、若し果して然らば余輩は此れと是非を争ふの必要甚だ少きを認むるの外なし、然れども更に之を考ふるに、経済雑誌は当代の名流、一世の有識たる、田口博士の主宰する所、其論議必す根拠あらん、其言説必ず責任有らん、故にこゝに復ひ記者に問ふあらんと欲す

社会政策は社会主義にあらず
余輩は曩に記者が社会政策と社会主義とを混同するを見て、其の全く相反することを説きたり、今其要を録せん、社会主義は今の経済制度の要素たる自由競争と私有財産を廃除し、資本家を絶滅し、土地資本を公有にし、社会を以て唯一の資本を為し、人民を挙て其の傭人と為すを以て理想とし目的とするもの、独仏社会党の形勢を観るに其流派に異同あり其手段に寛猛あるに拘らず、其の理想其の目的に至りては則ち一なり、而して昨年社会民主党と号して世間に発表したる主旨は全く独逸に於ける極端なる社会党の主張を模写したるものにして、余輩が平生力を極めて反対する所のものたり、余輩の主張は現在組織の存続を認め其改良に存す然るに経済雑誌記者は之を以て社会政策と混同するの嫌あるを以て、余輩は之に告くるに社会民主党の旨趣と社会政策の主張とは目的に理想に全く相反すたゝ偶々手段に同しきものあるを見たるのみ決して之を同一視すべきにあらざるを以てしたり、余輩は以為らく記者は能く其意を領得したるならんと何ぞ料らん記者は尚ほ頑然前説を主張して、自ら悟らず、揚言して曰く其目的を云へば一は之を以て一段落となし、一は之を以て終局となすの差あるべしと雖も、此法律の干渉を希望するは一なり、同一の法律を、立てんとする以上は之を同一視せさるを得ずと是れ白を之れ白と謂ふの類なり、羽の白あり、雪の白あり、玉の白あり、白は一なるが故に羽は雪なり玉なりと謂ふに同じ、何ぞ夫れ記者の論理の奇なるや、記者は云ふ槌を以て人を殺すも刀を以て人を殺すも、人を殺すは一なり、博奕して羊を亡ふも、読書して羊を亡ふも、羊を亡ふは一なり、と然り誠に足下の言の如し、支那周代の人、往々此種の弁を用ゆ、若し夫れ一の同を以て之を言へは武人戦場に人を殺すも、獄吏死刑を行ふも、強盗人を殺すも、殺は則ち一なり、午睡して羊を亡ふも、張目監視して羊を亡ふも、亡羊は則ち一なり、殺を殺といひ、亡羊を亡羊といふは不可なきも、直に之を以て其人の行為を同一なりと断すべからず、一面を以て全体を推すべからず、要之記者の言ふ所はこゝに一点の相同しきあれば他の点は総て相同しからざるべからずと云ふに帰す、世間何そ斯の如き没理あらんや、余輩は記者に告くるに社会政策と社会民主党とは、目的に理想に全く相反すを以てし、記者は之に答ふるに手段に同きものあれば其の手段を用ゆるの理由如何を問はす、両者同一なりといふを以てす、即ち殺は殺なり、武人も強盗も相同しといふに均し、記者の意を料るに、労働問題に立法の干渉を為すは其程度如何方法如何を論ぜず自由放任主義者として之に反対すといふにあらん、然らは記者は当に言ふべし、工場法制定、女工幼工保護の如きは何人之を唱ふるも何等の目的を以て之を為すも、総て之に反対すと之を唱ふものは皆同一なりと云ふは強弁に過ぎず、余輩は記者をして、社会政策と社会義とは全く相異なるものなることを知らしむれは則ち足る、豈敢て弁を好まんや、

工場法と社会政策
経済雑誌記者云ふ、社会政策論者の工場法は社会民主党の工場法と同一ならさるかと、答て云はん、或は同きことあらん、或は異なることあらん、社会民主党の人々は単に工場法制定を唱へたるも、未た工場法の案を世に公にせず、故にたゞ彼輩が工場法を定むと揚言したるを知るのみ、今は之を是非するの時期にあらず、社会政策学会が工場法に関して既に定案あり、学会に於て之を公表するの時あらん、念ふに記者は工場法に関して、誤解を抱くものゝ如し、依て余輩が所謂工場法につきて数言せん、余輩は千八百二年以来英国に於て発布せる数種の工場法令鑑み、時勢の進歩と人民の程度と、国内の事情に準して、之を制定せんと欲す、而して其要を挙くれば、工場の衛生、危害の予防、幼年工の教育、執務時間、工場監督等に関する規定を設くるにあり、工場の衛生、危害の予防の如きは、工場主が殊に意を用ゆべき所、労働者の利害に関すること極めて大なり、而も工場主たるもの或は利を射るに急にして之を顧みるに遑あらず、或は不注意の為め、設備を怠るなきを保せず、故に余輩は立法の規定を以て其設備を実行せしむるの必要を認む、幼年工の教育の如きは国民普通教育の施行と同一の理由による必ずしも多言を要せず、成年工、女工、少年工、幼年工等の区別に従ひ男女の体格、年齢の多少に準じて執務時間の制限を設け、或は夜業を制限若しくは禁止し、或は幼年工の最少年齢を定め、若しくは工務の性質、危険の多少に観て、之に使用する職工の種別を定むるが如きは立法の干渉を要す、利得を主とする企業者に放任すべきにあらず、而して是等の諸規定を履行するためには常に監視董督を要す、随て工場監督の制度を定めずんばあるべからず、是れ余輩が工場法に望む所の概要なり、英国に於る工場法令も大約此旨意に出づるものたり、察するに経済雑誌記者は此種の工場法にも反対するならん、何となれば記者は此の如き法は如何なる所に於ても悪結果あるものなりといへばなり、思ふに記者は貨物交換に関しては一般の利害に鑑みて之が制限の法を設くるも可なり、労役に関するものには何等の法規も総て是れ害ありと云ふにあるか、飲食物売買につきては之に関する法律を要するも、工場の衛生に関しては工場主の為す所に放任すべしと云ふにあるか、普通の建築物につきては法律を以て危害の予防を命ずるも、工場内の危害は之を企業者の自由に放任するを可とするにあるか余輩は敢て記者の説明を求めんと欲す

正、不正、当、不当
余輩は曩に説て曰く職工団結して政府に求むる決して非ならず、製造主資本家の相結びて、其の利害を防衛すゐと何ぞ異ならん、要は其請求の当、不当、其行動の正、不正を問ふべきのみと而して記者は此言を解せず頗る其の正不正、当不当を定むる方法なきに迷ふものゝ如し、乃ち曰く社会政策論者は法制の当、不当を断ずるに常に極端なる利己心と尋常なる利己心とを以てす、然れども如何なる程度以下の利己心は尋常の利己心にして、如何なる程度以上の利己心は極端なる利己心なりやと、記者請ふ、斯の如く無益に心意を労するを休めよ、夫れ利己心に限度あることなりし、多に多を求め、隴を得て、蜀を望み、凡て満足する能はざるは人情の常なり、資本家も然り、普通人も然り、職工も亦た然りとす、何を以てか其の当不当、正不正の程度を定め得ん、人の行為、人の希望は、絶対の正、本来の当あるのあらず、当不当、正不正は其結果につきて定まるのみ、其の影響する所に由りて之を言うのみ、之を行為し、之を要求する人より見ては之を定め難し、其行為につき其要求につきて、仔細に其影響を審にし其の結果を考へ、国家社会の利害、一般経済の消長に照し時勢の必要、文化の程度に準じて、利弊を商量し、損益を打算して後始めて法制の当不当を断ずべきなり、社会国家の事は都て此理によりて決するの外なし、国家社会の利害に照して後に利己心の極端と尋常を定むべきなり利巳心を準として之を定め得ざるなり何となれば利己心には限極なく、尺度なければなり、
記者の心裡には極めて不思議なる僻見あるが如し、工場法の如き、職工の陳情によりて定むる法律は総て悪性なりと為し、職工の要求は総て初めより不当の要求なりと為すものゝ如し而して職工団結すれば必ず不当の要求を為すものと断定するもゝの如し、職工の不当の要求を納れざれば工場に関する立法は成立せざるものと認むるものゝ如し、記者は曰く余輩が反対する所以は此の如き法は如何なる所に於ても悪結果あるものなりといふにあり、其要求は初めより不当の要求なりといふに在り、制度其宜しきに適し施行其方法を愆らずといふが如き事は此の悪法に於て求め得べきにあらずと云ふにあるなりと以て記者の心裡には不思議の僻見あるを知るに足らん而して記者は更に其理由を説明して曰く夫れ職工団結して婦女小童の労役を禁止せんことを要求し(余輩は却て之を禁止することを言はず体質年齢に準して其の労役を制限するにあるのみ、思ふに職工に妻子あるものは其の禁止を望まざるべし)政府之を納れて法律となすときは必ず左の結果あることなり第一職工婦女小童の低廉なる労働(婦女小童の労働は低廉なるにあらず、其技能に応ずる賃銀なり)の競争を排斥し得たるを以て其賃銀を騰貴することを得る事、第二婦女小童は其職を得る能はざるを以て餓死すべき事第三資本主は賃銀騰貴の為め損失すべき事と記者請ふ杞憂を抱くなかれ、婦女小童は決して餓死せざるなり、英国が工場法を施行して以来已に数十年を経たるも未だ婦女小童の餓死を聞かざるなり、職工賃銀の騰貴或は之れ有らん、賃銀の騰貴は資本家に取りても(職工には勿論)喜ふべきの顕象なり多数職工の賃銀を増すは其の生活を高め其消費を大にする故に貨物の需要を増し製造主の利益を加ふるに至るべし、資本主は又た賃銀騰貴のために必ず損失すべきにあらず賃銀の多少は職工の技能に準じて云ふべきもの精巧の労働者ならば仮令賃銀多きも、却て資本家を利せん、余輩の主趣は職工の地位を高め、職工の教育を完全ならしめ、職工の技能を進め、職工の収入の多くし以て資本主と労働者と交々相利せしめんとするに在り、経済誌記者が杞憂する如き法を制せんとするにあらず、之を要するに記者は職工は一種の人類にして、その言ふ所は却て理なきものとの僻見を有するが故に此の如き言説を為すならん

職工必ずしも無知ならず、資本家必しも有智ならず
経済雑誌記者曰く職工等の理由なき要求する勿れ夫れ職工等は無知なるものなりと記者は斯の如き僻見を有するが故に常に余輩の言説を誤解するなり、夫れ富者必ずしも智ならず、貧者必しも愚ならず、社会上の地位高きもの却て智識有るにあらず、地位卑きもの却て智足らざるにあらず、資本家必しも知者にあらず、職工は却て無知なるにあらず、夫れ知不知は資性、教育経歴、境遇によりて判る、此数者相依り相交りて知の多少を現す、而して知者必ずしも資本家たらず、職工と雖も必しも無知のものにあらず、且夫れ事に当るものは其事に就て偏するの弊あるも其情偽を明にし其の真味を知らんとするには当事者の希望意識を聞て之を決するを可とす、資本家に於ても然り、職工に於ても然り、其の偏す所は之を矯めて可なり、其の理の有る所は宜しく之を取るべし、職工の言といへども、理あれば之に賛すべきなり、余輩は職工の言に雷同するものにあらず、職工之を欲するが故に、社会政策を行はんとするにあらず、職工之を欲せずといへども、社会を利し随て彼等を利するものは、之を行はんことを期す、余輩が主張する工場法の大部分は思ふに多数職工の好まざる所ならん

外国労働者の傭使
余輩は言へり、外国労働者の傭使を禁ずるが如きも、時と場合とにより正理の必要存するとあり但し米国加奈太の例を以て可なりといふにあらず経済雑誌記者は反問して曰く然らば則ち他国に於て同一なる法制を立つるも極端なる利己心の発動にあらざるかと余輩は仔細に之に答ふるの必要を認めず、既に時と場合といふにあらずや、米国カナダ同一の場合同一の情態に於て同一の法を立るは、其の不可なる論なきのみ、時勢と情況とによりて同一の法則も異様の意義を有す、法則の可否は時と所を離れて之を是非すべきにあらず、外国労働者の制禁の如きは其時に於ける一国の事情、社会の程度、労役者及企業者の利害を考覈して定むべきものたり一部労働者の行動のみによりて之を決するべからざるは勿論なり

資本集中と労働者の地位
余輩は十九世紀経済状態の変遷を略叙し、資本集中の傾向を説き、富資の増殖生活費用の増加あるに反し労働者の所得之に伴はざるを論じたるに、経済雑誌記者は、云く「氏は資本主の富大は労働者をして困難に陥らしめ、資本の増殖、利息の下落は賃銀を減少するものなりと信ずるの人なりと見えたり余輩は氏は必ず経済書を読みたる人なることを知る、経済書の如何なる部分に利息の低減は賃銀の減少を発することを記するものあるや」と余輩は甚だ経済書を読まずと雖も常識を以て之を考ふるに、資本の増加は利息の下落を生ずるの傾向あるを知る、少くとも流動資本の増加、投資を求むる額の増加は利息の下落を生ずるを知る、利息の低減は賃銀の低減を生ずるや將た賃銀の増加をずるやは容易に之を断ずべからず、利息と賃銀との間には更に直接の関係なし或は云はん、資本の増加は労働基金の増加を来す、労働基金の増加は賃銀を増加すと(労働者の数を前後同一なりと仮定して)是れ一派論者のドグマなり、此派の人々は資本集中と労働者の関係を知らざるなり、彼輩は資本主は其の資本を増すと共に進で之を労働者に分与するものと夢想するならん乎、資本家には利己心少きものと仮定するならん乎、資本集中の趨勢は一面に於ては資本家をして自ら保ち自ら大にするに急にして、一意に賃銀の低下を希図し、一面に於ては産業を少数の人に集むるが故に、資本家には独占の実を現し、其の間に労働者に関する競争の力を少くす、資本家が低廉の労働を欲するは人情の然る所、而して資本家間に労働者を求むるの競争の動力少しとすれば如何、資本家が労働者に就て競争すれば労働者の賃銀を高からしむるも、其の競争なければ何人が好んで賃銀を高くするものあらんや資本の増加は更に労働者に益を分つなし、更に労働者に就て云はんか、巳に資本家に於て労働者を求むるの競争なければ労働者には低廉の賃銀を去つて、多額の賃銀に赴くの余地なし労働者間に於ける職を求むるの競争は勢ひ賃銀を下落す、即ち労働者には賃銀の競争無くして地位を求むの競争あるのみ、賃銀少しといへども之に就かざれば生路を失ふ、止むを得ずして之に従はんのみ然らば即ち資本の増殖は必然労働者の賃銀を増すにあらず資本の集中は却て賃銀の下落を促すにあらずや況んや利息の低下に於てをや、更に賃銀と一様の関係なきにあらずや
経済雑誌記者は云ふ今日ヨウロツパ、アメリカ等の賃銀は日本に数倍するも彼の職工の不平を抱くは全く下女の井戸瑞会議と同しく凡て満足する能はざる人情に発するものなりと以て今日労働者の困難は資本集中の余弊にあらず単に不平なりとの証となせり、是れ最も思はざるの甚きものといふべし、賃銀の高下は直に其貨弊数字の多少を以て定むべきにあらず、ノミナルの賃銀とリアルの賃銀との区別を忘るべからず、生計の程度、日用必需品の価格によりて之を決すべきなり、欧米の賃銀我に数倍すと雖も之を以て直に彼等は相応の賃銀を得るものと断すべきにあらず、又今日の職工は旧時の中等社会よりも幸福なりといふも未た之を以て労働者は已に応分の地位を保つといふべからず、職工の状態の困難なるや否や地位の当を得るや否やは其時代に於ける情態と比照すべし、たゞ職工のみは豈に旧時に比較して稍々幸福なるに満足すべきの運命あるものならんや

法制を以て労働問題に干与するは何故に非なる乎
経済雑誌記者は余輩の言ふ所につきて尚ほ種々の批評を試みたるも多くは問題外に亘り或はまた誤解に出づるもの多きを以て、こゝに言はずたゞ記者は常に法律を以て労働問題に干与するは経済の理に反すと論して更に其の理由を云はず故に余輩は曩に其説明を求めたるに記者は更に之に論及せず、顧みて他を言ふのみ、たゞ一二極端の悪例を挙くるに止まる、甚た遺憾に堪へず、記者は云ふ、
法制を以て労働問題に干渉するは何れの時何の所を問はず、害なり、経済の理に反すればなりと余輩は敢て記者の所謂経済の理を聞かんを要す

〔2008年1月25日掲載〕


『経済叢書』第6号(明治35年3月)





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