第1分科会 日雇労働者とホームレス
−−その現実と社会政策的課題
東京における『路上生活者』
――新宿周辺の実態を中心に
岩田 正美(東京都立大) はじめに ここ数年、目に見える形での「路上生活者」の存在が目につくようになった。東京では、従来 の山谷とその周辺ばかりでなく、新宿駅など主要ターミナル周辺、隅田川、多摩川などの河川敷、 上野・後楽園など公園などに、ダンボール・ハウスなどの小屋掛けをして、あるいはベンチやビ ルの陰にボストンバッグや紙袋を抱えて座っている、といったさまざまな形で存在している。し かし、これを積極的に社会問題化していく方向性が今日のわが国には希薄である。その一因とし て、これらの人々の実態把握の欠如がある。ステレオ・タイプなホームレス像とそれに基づく不 十分な社会政策を覆していくためには、社会調査による事実の発見とその意味の検討が不可欠で ある。本報告では、新宿駅を中心とした「路上生活者」を対象に行われた一斉調査と、この地域 でのボランテイア活動を基盤とした参与観察およびインタビュー調査に基づいて、その一端を明 らかにしたい。 1 「路上生活者」の視覚的増大と東京のホームレス問題 1)ここでのホームレスの定義と「路上生活者」 2)特別区内路上生活者概数調査 2 一斉調査(96年3月22日夜)による新宿周辺「路上生活者」の概観 1)数と性別の分布 2)年齢と路上生活期間 3)これまでの主な仕事 4)以前の居住地 3 インタビュー調査からみた「路上生活者」のいくつかの類型 1)出身階層とホームレスへ至る過程 2)「路上生活者であること」のさまざまな〈意味〉 4 東京のホームレス問題とは何か 1)ホームレス型貧困とその複合要因 2)安定層からの析出と不安定就労・居住の〈場〉の縮小 3)長期不安定層の〈再発見〉
大阪釜ヶ崎における日雇労働者と野宿者
中山 徹(大阪府立大学) 福原 宏幸(大阪市立大学) はじめに 近年、大阪釜ヶ崎の日雇労働者の高齢化が一段と進んでおり、仕事に就ける機会が減ってきて いる。 また、こうした動向と並行して、釜ヶ崎とその周辺で暮らす野宿者も増加している。このような 中で、新たな行政施策が求められている。 我々は、大阪府と大阪市から委託されて、1996年9月釜ヶ崎の日雇労働者と野宿者の労働・ 生活実態調査を行った。461名を対象にインタビュー調査を実施したが、その分析から多様な労 働者像・生活者像が明らかとなった。以下では、その結果を報告し、今後求められる政策課題を 提起していきたい。 また、行政だけでなく、労働組合や現地のボランティア団体等も新たな政策の検討を開始して いる。そうした動向についてもふれたい。 1.日雇労働者の多様な諸相 1)釜ヶ崎日雇労働者のいくつかのタイプ 2)壮年者層と高齢者層の労働実像 3)就労日数の少ない労働者達の仕事と生活 2.「野宿者」の生活 1)「野宿者」の日雇労働者の中での位置 2)「野宿者」の生活実態(労働、健康、衣食住、社会保障、社会福祉) 3)「野宿者」の形成過程 3.日雇労働者と野宿生活者の連続性 4.政策的課題 1)課題 2)行政、労働組合などの新たな取り組み
第2分科会 企業内の階層性
−−ドイツ・アメリカ・日本
テーマ設定の意図
座長 木下 順(國學院大学) 昨年度のテーマ別分科会「経営史研究と労働史研究」の論点のひとつは、企業内での一般労働 者と現場監督者との関係、あるいは彼らと技術者・職員層との階層性を帯びた分業関係であった。 今回はこの問題を「企業内の階層性」と名づけ、日本、アメリカ、ドイツの特定の企業について 掘り下げた歴史研究をされている研究者に参加いただいて、それぞれの社会で、階層性を帯びた 分業関係がどのような特質を持っているか、またいかなるメカニズムで形成・再生産されていっ たかなどを議論したいと考えている。 いま私の頭の中にある、分科会のイメージは、次のようなものである。 たとえばアメリカの現場監督者は、歴史的にみると、一般労働者と同質の技術的・文化的な同 質性を基盤として、幅広い権限をもってきた。この「職長帝国」の時代は、ほぼ第一次世界大戦 前後を境にして、急速に変容していった。この頃に、一方では人事にかんする職長の権限が人事 部・労使関係部などの管理組織に吸収されるとともに、他方で新しい作業組織に見合った職長訓 練が模索された。 (この流れを集大成したものが、戦後になって日本にも導入されたTWIである)。たしかに職 長は権限を縮小されたけれども、階層として消滅したのではなく、再編成されたというべきだろ う。 同じようなことは、日本についても言えるのではあるまいか。いや、これ自体が討論のなかで 深められるべき論点である。先走るのは止めよう。ただ、たとえば近年の日本の自動車や鉄鋼に ついての調査研究を読むと、現場監督者は改善活動の中心になっているという。 このような研究が現われはじめた現在、現状分析と歴史研究のそれぞれの分野の研究者が集まる この社会政策学会の大会において、両者の交流を試みてみてもよいのではないか。座長という役 回りを演じる者として、こう考えている。 それぞれの報告者の要旨を見られてわかるように、業種も、中心とする時期もさまざまである。 私としては、ある枠組みを設定した国際比較というよりは、いくつかの筋を立てたうえで、細部 を突き合わせるという試みをしたい。その筋としては、これからさらに詰めてゆく必要があるけ れども、給源としての教育制度も含めた「養成」過程にひとつの焦点を当ててみたいと考えてい る。
戦間期アメリカにおける職場の階層性と労働者
---- GE Schenectady Worksにおけるフォアマンの問題を中心に ----
関口 定一(中央大学) 1.Schenectady Worksにおけるフォアマン問題 2.GE Schenectady Works: 職場組織、労働者の構成、監督者の位置 3.フォアマン: 出自・機能・権威・ステータス 4.1920年代の職場の階層性と労働者:フォアマンとは何か、1920年代の職場問題 の核心は何だったのか
第3分科会 ポスト北京会議の政策展開
フィリピンにおける女性政策
橋本ヒロ子(十文字学園女子大学) 1. はじめに 1947年に国際連合が第1回の女性の地位委員会(注1)を開催してから25年後の1972年、国連 総会は1975年を国際女性年と定める決議を採択した。そして、1975年6月19日―7月2日、メ キシコ市で第1回目の世界女性会議が開催され、世界女性行動計画(以下行動計画)が採択された。 行動計画では、各国政府は女性の地位の向上を図るための国家組織(ナショナルマシーナリー)を 設置するよう勧めている。 フィリピンでは、この行動計画採択前の1975年1月に、大統領令(President Decree)633号が公 布され、フィリピン女性の役割国内委員会(National Commission on the Role of Filipino Women以下 NCRFW)を設置することが定められた。これだけではなく、これから述べるように、フィリピ ンは女性の地位の向上を図るための政策推進に関しては、アジアのみならず、世界のモデル的な 立場にあるといえよう。フィリピンにおいて男性に対する女性の地位は、アジアにおけるその他 の国々に比べると確かに高い(注2)。一方でメデイアを通じて報道されている、一部ではある が悲惨な状況にあるフィリピン女性移民労働者の問題もあり、フィリピン女性政策の実質性、有 効性への疑義が生じるかもしれない(注3)。しかし、女性の地位の向上を図るための女性政策 は、20年前に始まったばかりであり、より厳密にいえば、フィリピンで女性政策が、本格的に 一般女性のエンパワーメントに向けて活動を始めたのは、1986年から始まったアキノ政権以降 であることに留意すべきであろう。 なお、女性の地位の向上を図る施策は、保健省、社会省、農業省、農地改革省、労働雇用省等 様々な省で実施されているが、本稿ではこれらを調整し、統括するNCRFWに焦点を当てて論じ る。 2. フィリピン女性の役割国内委員会(NCRFW)の発展 前述のように1975年1月に公布された大統領令では、NCRFWを大統領に対する助言機関とし て位置づけ、委員長はマルコス大統領夫人、委員は閣議メンバー、女性団体の長、商工会議所の 長等としている。 1986年のアキノ大統領の就任に伴い、NCRFWの 委員長には1985年の第3回世界女性会議の 事務局長であったシャハニ氏が、また、事務局長としては、それまでコミュニテイ活動等を通し て女性運動を進めてきたリケン氏が就任し、 NCRFWのメンバーは全員NGO代表に代えられた。 1989年には中期国家開発計画に対応した「フィリピン女性開発計画(1)989―1992」 が策定され、この計画を実施するために、政令348号がご公布された。 本政令は、女性開発計画の実施、調整、モニター、評価、改正を大統領の諮問の元に、NCRFW が行うこと、そのために、NCRFWは関連省庁会議を招集し、関連省庁は、フォーカルポイント を設置することが定められた。フォーカルポイントの構成、レベルは各省庁に任せられているが、 多くの場合、事務次官を長に関連局長がメンバーとなっている場合が多い。 1991年6月「開発と女性および国家建設法」が公布された。本法律には「男性の対等なパート ナーとして、開発および国家の建設その他の目的のために女性の参画を推進するための法律」と いう副題が付いている。本法律の最も注目すべき点は、本法律の責任省庁が国家経済開発庁 (National Economic and Development Authority 以下NEDA)であるということである。NEDAは NCRFWの協力のもとに、女性の国家開発への参加に直接・間接に関連するすべての省庁が、女 性の国家開発への参画を保証することを強調している。この法律における事業内容として、第1 優先順位を与えられているのが、女性の海外や都市への移住を防ぐため、農村部における女性の ための雇用機会、所得創出機会を増進するようなプロジェクトの策定・実施となっている。本法 律では、各省庁は当該省庁の実施状況について、NCRFWへの6ヶ月毎の報告義務が課せられて いる。 「ジェンダーに対応した開発のためのフィリピン計画1995―2025」が1995年9月第四回世界 女性会議の最中に発表された。この30年計画は内容的にはフィリピン中期経済開発計画に対応 し、6年毎に見直すこととなっている。この計画を実施するために公布された政令273では、各 省庁は本計画の実施状況について大統領に提出する年次報告書に含めることが義務づけられ、 NCRFWは本計画の実施に関して関連省庁と協議の上、政令、通達、ガイドラインを出すことが 認められた。さらに、関連省庁は本計画実施のための経費を毎年歳出予算に組み込むことが定め られた。取りあえず、1995年度から、各省庁は歳出予算の最低5%を女性の地位の向上のため に使うことが義務づけられている。 3.NCRFWの機能と活動;政府の方針、施策、職員の意識からジェンダーバイアスの除去 NCRFWの委員は政令208号で関連省庁大臣(次官が代理出席可)ならびにNGOの代表者半々 になっていが、政令268でNGOがprivate sectorに代えられ、NGOとしては全国女性団体協議会 の代表だけが認められた。 ラモス大統領の就任以来、NCRFWでは、NGO色が弱まる一方で、関係省庁に対する権限が強 化され、民間の影響力が強められていると言えよう。 NCRFWの事務局は、1996年には3部から5部に拡大、定員も65名に増員され、契約職員を 入れると97名となった。NCRFWの予算は年により変化はあるが、平均して半分は国際援助機 関に頼っていると言えよう。NCRFWが女性の地位向上の国家機構としてモデル的な役割を果た しており、国際援助機間としては援助効果があると判断しているためか、フィリピンの経済復興 に伴い減額されつつある海外援助もNCRFWに関しては例外的な傾向を示している。 NCRFWおよび事務局の職務内容を別紙1に示すが、女性政策調整機関としての基本的活動(調 整、モニター、政策分析、調査研究)を行うことになっている。従って、フィリピン女性のエン パワーメントのための施策や具体的なプロジェクト(より良い職に就き収入を上げるための技能 訓練、女性自営業者に対する資金措置など)及び取りたてて女性を対象としない一般の事業を実 施している各省庁がジェンダーの視点で行えるように、NCRFWは各省庁の担当者の意識を変革 し、指導し、相談に預かる役割を果たしている。この意識変革や指導に関して、各省庁のフォー カルポイントのメンバーにはNCRFWが直接行っていたが、その他の職員に対しては、むしろ各 省庁のフォーカルポイントが行えるようにするため、NCRFWはガイドラインや手引書の作成、 ジェンダートレーニングのマニュアル作成、指導者の養成等に力を注いでいる。議員立法を支援 する議会事務局のためのジェンダーの視点をいれるためのガイドラインも作成している。 ジェンダーに対応した開発計画とは、女性を対象にしたプロジェクトを増やすと言うのではな く、すべての開発方針やプロジェクトからジェンダーバイアスを除くことである。開発プロジェ クトに関わるすべての職員の意識からジェンダーバイアスをなくさない限り、その目的が達成で きないため、機関の方針や職員の意識を変えるためのジェンダートレーニング(トレーナーの訓 練も含む)やマニュアルづくりが、NCRFWの主な活動の一つとなっているのも当然であろう。 中央官庁に続いて、地方の出先機関およびその職員のジェンダーバイアスをなくす活動を行う計 画となっている。 各省庁の施策・方針・活動に対するジェンダーの視点によるモニタリングや調整もNCRFWの 主な活動である。そのための方法としては、前述したように、各省庁がNCRFWへ報告書を提出 したり、大統領に提出する省の年次報告書に入れ込む等あらゆる可能な機会を活用している。各 省庁の開発計画を監督し統括しているNEDAや大統領が、モニタリングをするNCRFWの背後 にいると言うことは、日本では考えられないが効果的なやり方であろう。上院下院ともに女性と 家族委員会が設置されており、女性や家族に関わる法案審査をしているがNCRFWの政策調査部 と密な連携を持っている。 4. 展望 1995年に策定された「ジェンダーに対応した開発のためのフィリピン計画1995―2025」が30 年のスパンになったのは、アジアでは比較的女性の地位が高いフィリピンにおいても、男性と同 等な地位に持っていくためには少なくとも30年は必要であるという展望に基づいている。 すべての分野のすべてのレベルにおける男女の割合を40―60%にすることが望ましいという のも目標の1つであるが、公的な分野ではかなり達成可能なのではないかと思える。例えば公務 員は女性の方が多いが、女性の方が一般的に優秀だといわれているにもかかわらず、勤続年数等 の制約でから女性は低いレベルに多い。そのため、省庁の建物に託児所を設けることを法制化し たり、フレックスタイムにしており、女性が働き続けやすい環境整備を着々と進めている。 注1) 日本政府は公式には、「国連婦人の地位委員会」、「世界婦人会議」、「世界婦人行動計画」 というふうに「婦人」を使っているが、「女性」を使った。 注2) 国連開発計画(UNDP)の1995年の人間開発レポートによると、人間開発指標(HDI) では、フィリピンが100位、中国が111位と低いが、ジェンダーエンパワーメント尺度(GEM― 女性国会議員の割合、女性の管理職の割合、女性専門職の割合、収入の配分を元に計算)の順位 がフィリピンはアジアの開発途上国では23位の中国に次いで28位と高くなっており、国の開発 レベルの比べて女性の地位が高いことを示している。それに対して、日本はHDIは3位である のに、GEMは27位と先進国の中で最も低いグループに入っている。 注3) 女性移住労働者の問題は、フィリピンにおける女性差別の結果というより、受け入れ国の 女性ならびに移住労働者差別ならびに移住労働者保護のための法整備の遅れ、さらには移住労働 者からの送金に頼らざるを得ないフィリピンの経済構造に帰することが大きいといえよう。しか し、労働雇用省をはじめ、フィリピン政府は移住労働者の数を減らすための就業機会の充実等を 進めている。さらに、フィリピンの経済状況が改善し、平均収入が向上すれば、男女ともに移住 労働者の数も減少することが予測される。
オーストラリアの女性政策と女性運動
──政府のコミットメントを引き出す女性政策機構とは──
田中和子(國學院大学) 1.はじめに 第4回国連世界女性会議(北京会議)の準備段階で、同会議を「コミットメントの会議」とな すよう提唱し、1995年9月の北京会議本番でも60カ国以上の政府のコミットメント表明を引き 出すことに成功したオーストラリアは、国内女性政策機構構築の上でも、一つのモデルを提供し ている。 本報告では、オーストラリアの女性政策機構(主に連邦政府のそれに焦点を当てる)が作り出 される牽引車となったオーストラリアの女性運動の動向にふれた後、同国の女性政策推進メカニ ズムの特徴について概観し、最後に1996年3月の新政権成立以降の変化について言及する。 2.オーストラリアの女性運動 (1)1970年代の女性運動の活性化と政府への働きかけ オーストラリアの女性政策の性格を知るには、まず同国の女性運動の特徴をみる必要があるだ ろう。 オーストラリアは、ニュージーランドに次いで、1902年という最も早い時期に女性参政権を 獲得した国である。しかし、そのことが即、女性の政治的パワーの拡大にはつながらなかった。 いくつかの女性団体が運動をくりひろげたにもかかわらず、女性の公的領域での影響力は、戦前 ・戦後を通じて必ずしも大きいものとはならなかった。 この状況を変えたのが、1960年末から1970年代初頭にかけてはじまった、いわゆる第2波の 女性運動である。新しい女性運動は、活動の焦点を、政府組織の中にフェミニストを直接送り込 み、その政策や機構を女性や女性運動の要求を反映したものにつくり変える、という“戦略”に 収斂させていった。そして、結果的にそうした官僚機構をつくり出すことに成功するのである。 この運動の中心になった女性団体が、女性有権者ロビー(Women's Electral Lobby, 通称WEL) である。 (2)WELの活動 政党に属さない女性のロビー・グループとして発足したWELは、1)平等賃金、2)雇用機会均 等、3)教育への平等なアクセス、4)無料の避妊サービス、5)中絶の権利、6)無料の保育所という 6つの要求を掲げて政治活動を展開したが、72年の連邦選挙に際して、各候補者に対し、上記 の要求についての彼らの考えを聞くインタビュー調査を実施し、その結果を公表した。これが女 性の有権者の投票行動に影響を与えると同時に、議員達の女性問題への関心をも高めるところと なり、保育問題、避妊、同一価値労働同一賃金等が政治的争点を形づくった。選挙に勝利した労 働党は、直ちにこうした問題に取り組む旨を表明し、一方、WELは、政府内に女性政策機構を 作り出し、反差別・機会平等立法を制定するためのロビー活動を続け、フェミニストを国会や政 府官僚機構に送り込む活動を展開した。 こうしたWELの活動の成果は、たとえば1983年段階の調べで、女性の国会議員の28%がW ELのメンバーであるか、元メンバーの人々であったという数字に、あるいは1990年に西オー ストラリア州の4人の女性の閣僚のうち、州知事を含め3人までが、また南オーストラリア州の 3人の女性の閣僚のうち2人までが、WELのメンバーだったという事実にも示されていよう。 立法府ばかりでなく、WELのロビー活動によって作り出された政府の女性政策担当部門や機 会平等部門にも、多くのWELメンバーが入っていった。WELに代表される女性運動からの要 請を身にまとい、政策決定・策定に影響力を及ぼす議員や官僚の地位についたフェミニストたち は、フェモクラット(femocrat)と呼ばれている。WELは、これらの女性たちの政治的トレー ニングの場でもあったといえよう。 3.オーストラリアの女性政策推進メカニズム (1)女性政策機構における「車輪モデル」 1973年に生まれたウィットラム政権の下で、女性政策機構づくりが開始された。そこで問題 とされたのは、いかにして女性政策担当部門が周辺化(マージナル化)されるのを防ぎ、最大限 効果的に女性政策の開発と浸透をはかるかということであった。そこで採用されたのが、まず首 相府に女性政策全般にわたる調整機能を持つ女性政策調整部門をもうけ、一方で、各主要省庁に も女性政策部門を設置して、放射状の連携システムを作るという方法である。キャンベラ大学の 社会政策学者メアリアン・ソウァーは、前者の首相府女性政策調整部門を車輪の軸頭に、後者の 各省庁女性政策部門を輻にみたてて、この方式を「車輪モデル」ないしは「中央・周辺モデル」 と呼んでいる。このモデルの背景には、独立した女性問題担当部局(女性省、男女平等省など) を設けるという方法(「独立省モデル」)に比べ、この方式が、官僚機構内部での女性問題担当 部門の孤立化やマージナル化を防ぐのに効果的であるという認識がある。 この「車輪モデル」による女性政策機構が実質的に形づくられるのは、1976年、フレイザー 政権の下においてである。すでに、首相府内に設けられていた女性問題部を核とする、また保健 省、教育省、社会保険省、移民・民族問題省その他の省庁に設けられた女性政策部を輻とする女 性政策機構が誕生した。また、同年6月には、女性問題に関して首相を補佐するオーストラリア 初の大臣も任命されている。以後、女性問題部が女性問題担当室へ、さらには女性の地位局へと 改組されるといった変化はあるものの、車輪モデルに依拠した女性政策機構は、大枠において維 持されている。 (2)女性政策の二つの柱 オーストラリアの女性政策の最も大きな特徴は、一方で、政府の予算措置による女性の福祉・ 健康・性差別防止等にかかわる広範なサービス事業をうち立てるとともに、他方では、たんに女 性に向けた政策のみならず、政府のあらゆる政策をジェンダーの視点からモニターするメカニズ ムを作り出した点であろう。 特に、政府予算による女性中心的なさまざまなサービス活動の支援とならんで、オーストラリ アの女性政策に独自性を与えてきたのが、政府のさまざまな分野での施策が、女性に対してどの ようなインパクトを与えているのかを、そのすべてにわたってモニターするという試みであった。 これは、女性と男性の社会的地位や役割が未だ異なる以上、政府のどの領域のどんな施策も、決 して両性に対して同一のインパクトをもたらすことはありえない、という前提にたつ。1984年 の導入当初は「女性財政プログラム(Women's Budget Program)」と呼ばれ、のちに「女性財政声 明(Women's Budget Statement)」へと名称を改めたこのプログラムは、連邦各省庁・機関に対し、 毎年、その部局の活動や施策がどの程度女性の生活に影響を与えるかに関して報告することを要 求した。すなわち、それまで男女の区別なく、一括して報告されてきた各部局の施策が、男女別 に記録され、評価され、報告されることが求められるようになったのである。この女性財政報告 がカバーする範囲は、教育、雇用、賃金、年金、公共投資、税制、不払労働など、多岐にわたり、 それらの諸局面における政策のインパクトが、ジェンダーの観点から吟味された。その結果、こ れまでジェンダーに無関心だった各部局の政策担当者の間に、いかなる政府の施策も、両性に対 して決して中立的ではありえないという認識を広めるところとなったのである。こうした認識こ そが、政府のあらゆる機関の政策をジェンダーに配慮したものへと変えていく出発点となるとい えるだろう。 政府の施策全般に投入される支出は、女性を独自の対象とする女性政策への支出に比べ、その 規模がはるかに大きい。したがって、それらをよりジェンダーに配慮したものにすることは、あ らゆる分野における男女平等あるいは「ジェンダーのメインストリーム化」という課題に対して、 極めて重大なインパクトを与えることになるだろう。政府の諸施策がどの程度女性に還元されて いるのかをはかる、いわば物差しの役割をはたす女性財政報告システムは、連邦政府だけでなく、 州政府においても採用された。 (3)連邦女性の地位局 連邦政府の各省庁が実際の利用に供しうる女性財政報告を提出するよう促し、それらの報告を 取りまとめて、報告書の作成を行っているのが、女性の地位局(Office of Status of Women)であ る。 女性の地位局は、連邦レヴェルにおける女性政策機構のいわば車軸の中心をなす機関であるが、 同局が、政府の諸政策全般に関して最高調整機能を有する首相府におかれ、各種の内閣提案や閣 内プロセスへのアクセスが可能である“戦略的位置”を占めていることは重要である。 同局の政策アドバイス・モニタリング機能に関しては、報告の中でより詳しく言及する。 4.新政権成立後の変化 1995年3月の新政権誕生により、社会政策の力点が「社会的公正」の実現から「効率性」や 「結果」の重視へとシフトする中で、オーストラリアの女性政策および女性政策推進機構にいく つかの変化が生じている。報告の最後では、この点についてもふれる。
自由論題 第1会場 女性労働
鳥取県における男女の労働意識と実態分析
藤原 千沙(東京大学大学院) 1995年北京で開かれた第4回世界女性会議を受け、昨年12月には日本国内の新しい行動計画 である「男女共同参画2000年プラン」が策定された。各都道府県や市区町村でも女性プランの 策定や改訂が相次ぐなど、日本の女性政策は男女共同参画社会をめざす新しい段階を迎えている。 だが、国連を中心とした国際機関の動向とそれに合わせた日本政府の取り組みは、はたして地域 の女性のニーズに合致したものなのだろうか。国連の北京行動綱領にも政府の行動計画にも、そ の策定過程で日本の女性NGOは積極的に関わってきたが、それは一部「進歩的」女性の関与で あって一般女性には縁遠いなどと指摘されることがある。 とくに、女性政策論議や国際ニュースにふれる機会の少ない地方女性は、いまだに3世代同居 率が高く、家庭志向で性別分業肯定的であり、政府がめざす男女共同参画社会の実現など求めて いないとみなされることがある。だが地方の女性は、婚姻後も働く率が高く子どもの数も多いの で、実態を的確にとらえればむしろ都市女性より女性政策へのニーズは高いとも考えられる。と りわけ労働問題は地域差があり、都道府県ごとの労働力率の最高値と最低値の差をみても、男性 の8.1ポイントに比べて女性は15.4ポイントと大きく、全国平均値や都市で働く女性を基準に施 策を進めるのは危険である。各地域それぞれにおける意識や実態、政策ニーズの把握を基礎とし て、各地域の実情に即した施策の展開が必要であろう。 以上の問題意識をもとに、本報告では、鳥取県における男女の労働意識と実態分析を試みる。 報告者は1996年、鳥取県が県の男女平等施策をはかるうえでの基礎資料収集として行った県内 男女就業者を対象とする調査に、調査委託機関のメンバーとして調査の設計段階から参画する機 会を得た。本報告では、その調査結果のなかからいくつかの項目を個票データをもとに再集計し、 他の地方自治体調査との比較を通して、鳥取県という山陰一地方の特徴を析出する。また、過疎 化が進む農業県であることを考え、県内における都市的地域と山間地域との差にも注目する。 [報告の前提] 分析対象である鳥取県の基本指標のいくつかを、「国勢調査」「県民経済計算年報」「賃金構造 基本調査」「全国消費実態調査」の最新データからあげておく。 鳥取県は本州の南西部に位置し、北は日本海、南は中国山地に挟まれた、東西に細長い県であ る。森林面積が県総面積の74%を占め、人口は61万人と全国で最も少なく、鳥取市、倉吉市、 米子市、境港市の4市と、31の町、4つの村からなる。39市町村のうち人口自然減の市町村が28 団体存在し、12団体が過疎指定を受けている。高齢化率は19.3%(全国14.5%)で全国5位の 高さであり、生産年齢人口の割合は63.6%(全国69.4%)と全国45位である。労働力人口は34 万人で、労働力率は男性78.1%(全国78.8%)、女性55.4%(全国49.1%)であり、女性の労 働力率は福井県56.1%に次ぐ。就業者のうち第1次産業従事者の割合が14%(全国7%)と高 く、雇用労働者の割合は70%(全国74%)と低い。一人当り県民所得は2445千円(全国3037 千円)、県内就業者率は98.4%(全国92.2%)である。きまって支給する現金給与額は、男性は 299千円(全国361千円)で全国41位、女性は189千円(全国21!8千円)で全国34位であり、男女 賃金格差は全国平均より小さい。月平均実労働時間は男性186時間(全国187時間)、女性178 時間(全国176時間)である。二人以上の勤労者一般世帯の勤め先収入に対する男性世帯主の収 入割合は67.9%(全国79.2%)、女性配偶者の収入割合は18.2%(全国11.2%)であり、有業 人員は2.03人(全国1.71人)である。親族世帯のうち核家族世帯が占める割合は64.2%(全国79.2 %)、直系3世代世帯の割合は25.7%(全国14.1%)である。 本報告では次の調査の個票データを用いて分析を加える。 調査主体:鳥取県 調査名称:「鳥取県女性労働問題に関する意識と実態調査」 調査時期:【予備調査】1996年6月1日 【本調査】 1996年7月1日 調査対象と選定:鳥取県に居住する満18歳から59歳までの男女 (本調査の対象となる客体を抽出するため予備調査を実施した) 【予備調査】男性3000人、女性5000人を、1995年3月1日現在の住民基本台帳人口 (20-59歳人口)により、県内全39市町村に比例配分各市町村での対象者の抽出は、該当人口を 割当数で除した数を抽出間隔とした無作為抽出。 【本調査】予備調査の有効回答者のうち、1ヵ月以上雇用されている雇用労働者全員、 家族従業者全員 調査票:雇用労働者用(全52問)、家族従業者用(全22問)、男女同一調査票を使用 調査方法:県から調査対象者に対する直接郵送方式 調査機関:財団法人とっとり政策総合研究センター 調査報告書:『とっとりの男女がともにつくる労働と生活−鳥取県女性労働問題に関する意識と 実態調査報告書−』鳥取県発行、1996年11月 有効回答率:【予備調査】女性49.4%(2469人)、男性42.2%(1265人) 【本調査】雇用労働者;女性84.0%(1254人)、男性79.5%(820人) 家族従業者;女性83.8%(166人)、男性68.4%(13人)
自由論題 第2会場 福祉問題
戦後日本における婦人保護事業の展開
堀 千鶴子(一橋大学大学院) T 報告の狙い 今日、社会福祉の分野において、女性を対象とした領域の一つに婦人保護事業がある。婦人保 護事業とは、1956(昭和31)年に成立した売春防止法の第4章「保護更正」部分を根拠法とし ており、実践の具体化は婦人相談所、婦人相談員、婦人保護施設によって遂行されている。法的 には、対象者は「要保護女子(性行又は環境に照らして売春をおこなうおそれのある女子)」と されている。 売春防止法施行直後の婦人保護事業の主な役割は、集娼地区に従事している等の直接的に売春 問題をかかえている女性に対する援助であった。しかし今日では、性の商品化が隆盛となり、売 買春も多様化・拡大している一方で、婦人保護事業の対象者には表面上、売買春問題をかかえた 者が減少し、さらに婦人保護施設の利用率の低さ等から、婦人保護事業は危機的状況にあるとい われる。そこで、本報告は、戦後における婦人保護事業の展開を再確認し、婦人保護事業の今日 的役割を再検討する試みである。 U 報告の構成 1.婦人保護事業の沿革 (1)売春防止法の成立 (2)婦人保護事業の目的 2.婦人保護事業の展開 (1)対象者の変化 (2)施設の動向 3.課題と展望
介護保険と措置制度をめぐる論争に関する一考察
田中 きよむ(高知大) T 問題の所在 現在、2000年度からの施行をめざした介護保険法案が国会で審議されているが、この法案 にいたる介護保険構想をめぐっては、賛成論(介護システムとしての保険方式支持派)と反対論 (措置制度等による税方式支持派)を両軸とした盛んな議論が展開されてきた。 しかし、両派それぞれが推進か抑止かという立場に固執するあまり、どちらの方式にも存在す るはずの長所・短所が公平かつ客観的に検討されにくくなっている。本報告は、どちらの方式を も絶対視することなく、両方式の各々の方向性を追求した場合、それぞれにどのようなメリット があり、また、どのような点が課題になるかという観点から、将来にむけた介護システムのあり 方を考察する。 考察の進め方としては、従来の措置制度と介護保険構想それぞれの基本的特徴をおさえつつ、 両制度をめぐる諸論点を吟味しながら、保険方式あるいは税方式それぞれの方向性を追求する場 合の政策課題を明らかにしてゆきたい。いずれの場合も、短所を完全に払拭できない限り、最善 のシステムを描くことは難しいにせよ、短所を極小化してゆくための次善の方向性を探ってみた い。 U 従来の措置制度の基本的特徴 長所:生活保障に対する公的責任の明確化、所得再分配機能による低所得者保護、等。 短所:権利性が弱い、財源の増大に制約・抵抗がつきまといやすい、等。 V 介護保険構想の基本的特徴 長所:契約的性格が強く権利意識が醸成されやすい、財源が担保されやすい、等。 短所:サービスをめぐるトラブルを発生させやすい、制度離脱者の発生、等。 W 保険方式および税方式をめぐる諸論点の検討 1)権力性と権利性について 2)給付決定のあり方の問題 3)給付対象者の範囲の問題 4)給付内容の問題 5)介護と医療の関係について 6)給付対象者の費用負担の問題 7)財源調達・調整の問題 8)サービス基盤整備と計画推進の問題 W 介護システムの展望〜より民主的で合理的な方向を求めて〜 1)税方式の課題と方向 2)保険方式の課題と方向
福祉が生産と雇用を誘発する効果について
−−1990年産業連関表による分析
塚原康博(明治大学) 1 問題意識 本報告では、福祉活動を労働力や中間財等を投入して福祉サービスを生産する産業部門の1つ とみなすことにより、福祉が雇用や他の産業部門の生産をどれだけ誘発する効果があるのかを産 業連関分析を使って定量的に明らかにする。 もちろん、福祉の第一の目的は、社会的にハンディキャップを負っている高齢者、児童、障害 者等に生活支援のためのサービスを提供することであるが、これから本格化する少子化・高齢化 社会においては、このような福祉サービスを家庭内労働に頼ることは困難であり、そのような労 働が主に女性に担われていることを考えると、福祉サービスの供給を家庭内労働に頼ることは、 両性の平等の観点からも望ましいことではない。 そこで、福祉サービスの供給主体として、公的な組織や非営利組織、さらには民間組織による 福祉サービスの提供に期待がかけられている。現在、国会の審議を通じて、公的介護保険が導入 されようとしているところであり、この保険が導入されれば、民間組織による福祉サービスへの 参入も促進されると予想されている。 このように、社会の少子化・高齢化にともない福祉サービスが拡大していけば、福祉活動が経 済や雇用に与える影響も無視できないものとなるため、福祉活動を1つの産業として位置づけ、 それが雇用や他の産業部門の生産に与える効果を明らかにしておくことは、今後の福祉政策の効 果を考えるうえでも必要不可欠なアプローチとなろう。 2 分析方法 本報告では、上記の問題意識の下に、現在公表されている最新の産業連関表である1990年 の産業連関表を用いて、福祉が雇用や生産を誘発する効果の産業連関分析を行う。 本報告では、 公表されている産業連関表を物財産業24部門とサービス産業部門24部門に再編成し、サービ ス産業の中に社会福祉部門を分離・独立させた。社会福祉部門を1つの産業部門として分離・独 立させることで、福祉の雇用および生産の誘発効果をみることが可能になるのである。なお、本 報告は、宮澤健一教授を座長とする医療経済研究機構の研究プロジェクト「医療と福祉の産業連 関分析研究会」の研究成果の一部である。 ここで用いる福祉活動の定義は、1990年の産業連関表に準拠したものであり、福祉事務所、 児童福祉事業(保育所等)、老人福祉事業(特別養護老人ホーム等)、精神薄弱・身体障害者福 祉事業(精神薄弱者養護施設等)、更生保護事業等による社会福祉施設サービス活動および社会 福祉地域サービス活動のことである。なお、1985年の産業連関表と比較すると、1990年 の産業連関表では、社会福祉活動の範囲が拡大され、福祉事務所の活動と社会福祉協議会の活動 が新たに含まれることになった。それゆえ、1985年との比較を行う際には、定義変更の影響 に留意する必要がある。 ここで、分析対象となる1990年に至るまでの社会・経済状況を1970年代から振り返っ てみると、日本は1970年代に2度の石油ショックを経験したが、石油ショックにより低成長 経済へと移行したため、国の歳入が大幅に不足し、1970年代の後半から大量の赤字国債を発 行するようになった。国債の発行が増え続ける中、財政再建の必要性に迫られた国は、1980 年代のはじめに第2次臨時行政調査会を設置した。そして、第2次臨時行政調査会は行政の効率 化や財政支出の整理合理化を主たる内容とする答申を5次にわたって提出した。このような状況 の下で社会保障も見直しを迫られ、効率化のための数々の制度改革がなされてきた。 社会保険に関する制度改革では、被用者医療保険の本人給付の引き下げや年金給付の引き下げ がはかられ、社会福祉に関しては、地方自治体の民生関係の公務員の抑制、公立の社会福祉施設 の民営化、民間社会福祉法人への措置委託等の政策がとられてきた。さらに、1980年代後半 には、国庫支出金の補助負担率の引き下げ措置がとられ、施設福祉関係の国の補助負担率は従来 の10分の8から最終的に10分の5に引き下げられた。他方で、この措置に合わせ、地方の自 主性を尊重するという方針の下で、社会福祉施設の入所措置が機関委任事務から団体委任事務へ の改められた。以上のことより、1980年代の社会福祉は、国の財政再建に端を発する行財政 改革の影響を強く受け、地方への権限委譲や民営化・民間委託が進行することとなったのである。 3 分析結果の要約 (1)国民経済上の地位 社会福祉活動の生産額についてみてみると、1990年の産業連関表による社会福祉活動の生 産額は2兆4590億円であった。社会福祉活動の生産額が産業連関表の国内生産額に占める比 率と公共的サービスに占める比率はそれぞれ0.28%と3.08%であり、いずれの比率も小 さい。これは、行財政改革の影響によるものと思われるが、今後はこの比率が拡大していくこと が予想される。 (2)需要構造 社会福祉活動は、他の産業の原材料として使用されないため、中間需要がゼロであり、すべて 最終需要部門によって需要される。それゆえ、社会福祉活動は最終需要を通じてのみ生産波及効 果を受け、他の産業部門からの中間投入を通じた生産波及効果は受けない。需要先では、地方政 府による需要がもっとも大きい。これは、社会福祉活動において、地方政府の役割が大きいため である。 (3)投入構造 中間投入率は28.40%であり、他の産業部門と比較すると、低い部類に属する。中間投入 の内訳をみてみると、中間投入比の大きい順に、食料品(4.25%)、医薬品(3.05%)、 卸売業(2.50%)、その他対事業所サービス(1.72%)、建設(1.57%)である。 食料品は社会福祉施設等の利用者へ食事として提供されるものである。粗付加価値率は71.5 9%であり、他の産業部門と比べ、高い部類である。粗付加価値投入の内訳をみると、賃金・俸 給の比率が大きく、賃金・俸給、社会保険料、その他の給与および手当の3つの合計を人件費と すると、66.43%であり、48産業部門の中で教育、公務(地方)、保健衛生に次いで4番 目に大きい。それゆえ、社会福祉活動は、マンパワー依存的な産業といえる。 (4)中間投入を通じた生産波及効果 ある産業部門に1単位の需要が生じたとき、中間投入を通じて、当該部門も含め産業部門全体 で何単位の生産が誘発されたのかを集計して示す逆行列係数の列和をみると、社会福祉活動は、 産業全体の平均と比べると他の産業への生産波及効果は小さい。 (5)消費活動を通じた生産波及効果 社会福祉活動が各産業の生産を誘発する効果は中間投入を通じたルートだけではなく、生産の 増加が所得の増加を生み、所得の増加が消費の増加をもたらし、さらに消費の増加が生産の増加 を誘発するルートもある。前者は各産業部門の生産活動を通じた生産誘発ルートであるが、後者 は家計の消費活動を通じた生産誘発ルートである。とりわけ、人件費比率の高い社会福祉活動の 場合には、消費活動を通じた生産波及効果は大きいと考えられるので、このルートを考慮しない と生産波及効果を過小評価するおそれがある。そこで、消費活動を通じた生産波及効果のルート に注目した分析も行った。 大阪府の産業連関表を使い、消費を通じたルートによる生産波及効果の推計を行った先行研究 として永峰(1995)があるが、ここでは、永峰(1995)に依拠した分析を行い、この効果を求めた。 それによると、社会福祉活動の消費を通じた生産波及効果は、全産業部門の中では高い部類に入 り、公務(地方)、教育、保健衛生に次いで4番目に大きい。 中間投入を経由したルートと消費活動を経由したルートを合計した総効果を求めてみると、消 費性向の値次第(70%以上)では、社会福祉活動の効果は、全産業部門の平均を上回る生産波 及効果があることが判明した。これは、従来の通念に反し、社会福祉活動の生産誘発効果は必ず しも低くないことを示すものである。 (6)雇用を誘発する効果 ここでは、ある産業部門で1単位の生産を行うのに必要となる雇用者数を示す雇用係数を取り 上げ、次に、ある産業部門の1単位の生産が産業全体で究極的にどれだけの雇用者増を誘発する のかを示す雇用誘発係数をとりあげる。 雇用係数(生産額100万円当たりの雇用者数)の大きな産業はサービス産業に集中している が、これはサービス産業が人手を要する労働集約的な産業であるためである。社会福祉活動の雇 用係数(0.1750)は48産業部門中で最も高く、このことからも社会福祉活動は最もマン パワー依存的な産業として位置づけられる。 次に、雇用誘発係数をみてみると、ここでも、雇用係数の場合と同様に、係数の大きな産業は サービス産業に集中しており、社会福祉活動の雇用誘発係数(0.1998)は全産業部門で最 も高い。 参考文献 医療経済研究機構(1996)『医療と福祉の産業連関分析研究報告書』 塚原康博(1996)「医療活動の産業連関に関する研究」『医療経済研究』第3号、39-54ペー ジ. 塚原康博(1996)「人口の高齢化と地域福祉政策」『季刊社会保障研究』第32巻、第2号、 190-198ページ. 永峰幸三郎(1995)「福祉への投資は見返りのない投資か」『経済セミナー』488号、68-76 ページ. 宮澤健一編(1992)『医療と福祉の産業連関』東洋経済新報社.
自由論題 第3会場 労使関係
電気通信産業の職場の労使関係
――人事労務管理制度の改編と労働組合
平木真朗(東京大学大学院) 目的 本報告は大きな環境変化という条件における労使関係のあり方を検討することを目的とする。 環境条件は労使関係に大きな影響を与える変数である。しかし労使関係を構成するのは一定の意 志・目的をもった人間の集合であり、なんらかの選択が行われると考える。ある環境変数を与え ることだけでは、労使関係の結果を語りつくすことはできない。環境変化によって何が変化し、 何が変わらなかったのかを一つの労使関係の事例を通して検討したい。 今回取り上げるのは、NTTの職場の労使関係で、状況は調査時点(1994年)におけるもの である。 2 環境要因 NTTの職場の労使関係をとりまく環境要因として以下のものがあげられる。第1が経営形態 の変化である。公共企業体であった電電公社は1985年に株式会社NTT(日本電信電話株式会 社)となった。この制度改編は政策、法制度の変更といった外部的な動きによって生じた点で環 境要因としてとらえることができる。第2は競争の導入である。制度改編の結果、それまでほぼ 電電公社の独占であった国内電気通信産業に競争が導入された。第3は、政治圧力である。NT Tの経営形態については1985年時点で決着したわけではない。NTTの組織分割を求める政府 側の圧力は依然として健在であった。NTTは要員合理化、競争条件の整備などの政策要求に応 える形でこの圧力に対抗してきた。 3 経営の対応 上述の環境変化に対応するためにNTTがとった施策は以下の通りである。 第1が組織改編である。まずそれまでの職能別ライン組織に代えて、地域・サービス別の事業 部制を導入した。これは、経営効率を高め競争に対応する側面があるとともに、サービス別の収 支を明確にすることで、競争条件の公正化を図るという政策要求への対応でもある。次が現場事 業所の再編である。それまでの現場事業所(電話局)を集約するとともに、管理段階を簡素化し た。これにより、現場事業所(支店)により多くの資源を配置し権限を与えることで経営能力を 強化し市場競争力を高めることが図られた。それは同時に人員の合理化も可能にした。最後に職 種構成が変化した。技術革新によって要員が減少していた設備保守部門の人員を減らすとともに、 新しい通信ニーズに対応するためのサービスである、通信システム営業部門の人員が増加した。 第2が労務管理制度の改編である。人的資源管理という点では、1)市場競争に対応できる人材 の育成と、2)新しい経営条件のもとでの制度運営に必要な資源の最適化が課題となる。1)にあた るのが査定を伴う職能資格制度である。これは労働者間の競争を導入することで能力向上の動機 を与え、市場競争に対応できる人材育成を図ったものといえる。同時にそれまでの職種区分を減 らし格差を均等化することで配置転換、職種転換を容易にすることも目指されているといえる。 2)にあたるのが教育訓練制度の運営である。Off-JT重視、現場事業所の権限強化といった変化が 起きた。それまでの中央集権的、画一的、過重な集合訓練といった運営を見直すことで、現場の 実態に見合った訓練体制を構築する一方で、経営責任が強化された現場の負担を軽減することも 目的とされる。 4 職場の労働組合の対応 この間のNTTの労働組合である全電通(全国電気通信労働組合)の基本姿勢の論理は雇用確 保(目的)→NTTの経営維持(手段)→経営合理化への協力(具体的姿勢)と整理できる。先 に触れた労務管理制度に関しては、全電通は公社時代、教育訓練の機会均等・画一的運営、査定 拒否による競争拒否という方針を持ち、それを実現させていた。しかし民営化後は制度改編を受 け入れた。環境要因の劇的変化(独占・公共企業体→競争・株式会社)によって、具体的姿勢が 変化したわけだが、最終目的としての雇用確保が中軸として機能していることでその変化は理解 しやすい。 しかしこのような変化を経営側の要求を丸ごと受け入れたとみるのは一面的である。職能資格 制度においては、制度運営が公平に受け入れられること、年功的要素も残すこと、また教育訓練 制度のおいては、日常業務によって集合訓練が犠牲にならないこと、といった発言を行っている。 また組織改編、要員合理化の実施過程で雇用が維持されるように、配転、再訓練などへの発言も 行っている。 こういった状況は職場の労働者の構成にも現れている。職能資格の分布をみると勤続年数と資 格等級の逆転といった競争もみられる。他方で全体的な等級分布はほぼ勤続年数に対応したもの となっている。また通信システム営業という新しい職場では、若い年齢層ではトレイナビリティ の高い大卒労働者が配属される一方で、要員合理化の進む設備保守部門からの配転者も多く配属 されている。それは競争への完全対応を目指す経営側の意図と、既存メンバーの利害(雇用)を 守ろうとする組合の意図との妥協、現状での労使関係の均衡点を示すものといえる。 5 今後の課題 労使関係はそれぞれ自立した意図を持つ主体(労組、経営)が織りなす関係である。環境要因 の変化の結果は一意的でない。また、片方の意図が一方的に貫徹すると考えるのは非現実的であ る。経営側の要求が通ったように見えるケースでも、詳細にみれば、そこにはさまざまな組合の 意図も実現していることがわかる。それは今回扱ったNTTの職場の労使関係においても同様で ある。当事者の意図と手段、方法を区別して、関係のダイナミズムの中で何が変化し何が変わら なかったかの検討を基礎として労使関係全体の評価が可能となるだろう。
1980年代の日本的労使関係の特質
石井 徹(つくば国際大学) はじめに 1990年代に入って、日本的労使関係に対する評価は下がる一方となった。単に、評価が下 がるだけでなく、その崩壊と変革が主張されることの方が多くなってきた。日本的労使関係は「特 殊な環境」のもとで成立したのであって、大競争時代にはふさわしくないものとされ、年功賃金 とか終身雇用は変革されなければならないというのが、財界や規制緩和論者の大方の論調となっ てきたのである。世界的に評価された1980年代とは大変な様変わりである。このような変化 を矛盾なく説明するには、日本の企業社会に形成され確立された日本的労使関係について新しい 視点から再検討を加え、その特質を解明する以外にはないと考えられる。 本報告では、日本的労使関係に関する諸説の検討を行い、独自の日本的労使関係論を提示した い。その上で、今現在進行している変化の世界史的意義を明らかにしたい。 1.諸説の検討 日本的労使関係の通説は、いわゆる三種の神器(終身雇用・年功賃金・企業別組合)であるが、 その中で何を重視して日本的労使関係を展開するかによって様々な説が展開されてきたといえよ う。たとえば、年功序列賃金を基軸にすると、日本の伝統的文化を重視して日本的労使関係を展 開することになるであろうし、またOJTを過大評価する論者によれば、年功序列賃金は労働者 の技能形成に対応した合理的なものであり、よって普遍的なものとなるのである。 しかし、日本の伝統を重んじる説(文化論的アプローチとする)は歴史的変化を説明できない。 また、1980年代を代表するOJTを重視する説(技術論的アプローチとする)ではME化の 推進や中高年層中心のリストラを説明できない。さらに、1990年代に顕著になってきた生産 の海外移転については、なおさら説明できないのである。 1990年代に入って規制緩和が叫ばれるようになるとともに注目された説は、詳しい歴史研 究に基づく「戦時体制」としての日本型経済システム論の展開であった。この説によれば、日本 的労使関係(三種の神器にみられる現象)は戦時にその本質が形成されたことになるであろう。 したがって、このような歴史研究をもとにすると日本型経済システムは「1940年体制」であ り、異常な体制であるから解体されなければならないとする説が登場するのも、ある意味では当 然のことであろう。つまり、大競争時代を迎えた日本が労使関係の面においても規制緩和という 合理化を迫られるようになったとき、「1940年体制」論は規制緩和推進のための有力なイデ オロギーとして意味があったのである。 しかし、「戦時体制論」では戦後改革の意義が無視され、高度成長への日本的労使関係の作用 が否定され、1980年代に世界的に評価された日本的労使関係の意義が説明できないのである。 また、日本的労使関係は「特殊な環境」とか「キャッチアップ」の時代にだけ機能したという主 張にも大いに問題がある。概念自体がきわめてあいまいなのである。たとえば、「キャッチアッ プ」ということが、後発国における生産力が先進国に追いつく意味で使われていると考えると、 さらに意味を限定して基軸的産業の生産力が欧米に追いつくと考えるならば、軽工業では戦前に は追いついていたであろうし戦後のアメリカ型の重化学工業生産力であれば、1960年代後半 には導入が完了しアメリカに脅威を与えるようになったのは事実であろう。自動車産業に限定し ても1970年代後半にはアメリカの生産力を越えたと考えられる。また、「特殊な環境」とい う言い方は、「1940年体制」論と同じで、戦後の日本経済に起こった高度成長等、あらゆる ことが「特殊」な出来事になって、結局、1990年代の「大競争時代」こそが資本主義の歴史 において正常な事態ということになるであろう。果たしてそうなのであろうか。 2.日本的労使関係考察の方法について 日本的労使関係の本質を捉えるためにはまず方法論的整備をしっかり行うということである。 第一次大戦以後、世界資本主義は新しい生産力としてのアメリカ型重化学工業の登場で変質した ということを理解することが重要である。世界農業問題の発生や世界恐慌の発生が我々に示した ことは、従来の植民地体制が維持しがたくなったということ、また国際的農工分業体制が崩壊し、 市場経済の自動調整機能としての金本位体制が維持されがたくなったということである。その問 題が解決されないために結局ブロック経済化し第二次大戦が勃発したのは周知のことであろう。 よって、アメリカは戦後圧倒的経済力と軍事力を背景にしてIMF・ガット体制を築き、世界資本 主義体制の枠組みを支えたといえよう。このようなパックス・アメリカーナの下で日・欧の高度 成長はありえたということである。 資本主義が市場の自動調整機能を失ったということは、自らの力では社会的再生産を担えなく なったことを意味する。よって、国家が資本主義体制を維持するために労働同権化を根底とする 福祉国家の確立を目指さざるをえなくなったのである。その方向を決定づけたのが世界恐慌の勃 発であり、その後の労働力市場の崩壊であった。したがって、ニューディール政策は単なる景気 回復政策ではなく資本主義体制の維持政策であったということになるであろう。 国家は資本の反対を押し切ってまで労働組合を立法において容認し、こうして労働組合は労働 力市場の統制を行い資本と対等の立場で労働条件の改善を目指すことになったのである。そのこ とは資本主義の歴史においてはじめてのことであった。そして、労働組合に属さない婦女子や障 害者などの弱者に対してとられたのが社会保障制度であったということになるのである。さらに いっておけば、労働同権化は企業のコスト増に直結するので、これを回避するためにはケインズ 的成長政策を国家はとらざるをえなくなるのである。管理通貨制を前提に紙幣を増発し戦後公共 投資を繰り返してきたことはこのことを実証しているのである。第一次大戦以後、資本主義は変 質し労働同権化を根本とする福祉国家体制をとらざるをえなくなったことを前提に日本的労使関 係の本質を考察することで日本的労使関係の特質と90年代の変化の意味を明らかにすることが できるのである。 3.日本的労使関係の本質 世界資本主義の変質の影響を受けながら、日本における労使関係も変質してくると考えると、 戦前においてもある程度の変化がみられるのは当然であるが、1980年代に象徴される日本的 労使関係は、戦後の混乱と労働改革によってその基本が形成されたといえよう。戦後の混乱期に 職場ごとの闘争が労働同権化の盛り込まれた労働改革によって容認され、そこに企業別組合がで きたのはある意味で自然である。アメリカではなぜ産業別組合ができたかといえばアメリカでは 組合のできる以前に大量生産方式が確立されており、労働力市場を統制するには自動車産業の労 働者は団結し一体とならざるをえなかったからである。量産方式のほとんど存在しない中、資本 の生産サボタージュなどにたいして生活を守るためにはそれぞれの職場を守らざるをえないのは 当然であろう。よって、そのことが日本で産別闘争が挫折した根本理由であった。 そして、企業別組合が成立し雇用保障を要求することで成立したのが終身雇用・年功賃金であ った。年功賃金は今日では高コストの賃金体系として評判が悪いが、できた当初は必要とする生 活費そのものであった。労働者といっても様々な年齢構成で成り立っており、独身者や妻帯者、 大家族の世帯主とか様々であったから、かれらの個別の生活事情を踏まえて決められたのが年功 序列賃金の根本であった。したがって、これ以上安い賃金体系は考えられないのである。だから、 最近高くなったのは為替レートのこともあるが、それは終身雇用を維持するために企業が人事査 定を導入して、年々少しずつの昇給と企業への貢献度に応じて昇進する仕組みをつくったためで ある。終身雇用によるモラールの低下を防ぐために労働者間の競争を引き出そうとした結果なの である。企業は終身雇用の負担が大きいのでできるだけ経営をスリム化した。正社員をできるだ け少なくし普通のときにでも残業があるようにするとか下請けの利用や臨時工の導入を推進する ことになる。また、いったん採用したら容易に解雇できないので、能力がなくても適材適所を求 めてローテーションを組まざるをえなくなるのである。つまり、OJTは終身雇用を維持するため に少しでも、効率化するための一つの手段に過ぎないのである。よって、「内部労働市場」の拡 大は、労働者のOJTのためにそうなったのではなく終身雇用を維持するために起こったのであ る。企業内福祉の充実なども少しでも企業に協調的な労働者をつくろうとした結果によるのであ る。こうして企業にとってはきわめて協調的な労使関係が形成されたのである。 だが、その威力が発揮されたのはオイルショック後の、つまりパックス・アメリカーナ 体制崩壊後のことであった。欧米の労組に比べて企業に協力的な日本の労組は、ME合理化に抵 抗せず、そのことがME合理化を徹底させのである。このような意味で日本の労組は1980年 代の日本の経済大国化に貢献したのである。その一方、労組の反対でME合理化に遅れた欧米各 国は、サッチャーリズムに代表される新保守主義が台頭し、日本とは対照的にその後労働組合の 力を弱める闘争に明け暮れることになったのである。ところが、ME化は、技術や技能の海外移 転を容易にし社会主義崩壊後の東欧や東アジアへの資本の移転を推進することになったのであ る。 こうして大競争時代がはじまり、日本の労働者は福祉制度のほとんど整っていない賃金におい て4分の1とか10分の1以下の諸国との競争にさらされることになったのである。つまり、日 本的労使関係は先進国同士の関係においては威力を発揮しえたのであるが、非福祉国家との競争 には対抗できないことが明確になったのである。よって、今現在直面しているのは、規制緩和に よって福祉国家体制を解体するかどうかの体制問題なのである。
自由論題 第4会場 労働市場
機械産業における雇用システムの新展開
――生産システムの90年代的展開を視野に入れて――
白井邦彦(機械振興協会) 1、はじめに 近年日本的雇用システムの見直し論が盛んである。そうした議論においては、一般的に人材の 流動化による長期雇用制度の見直しと能力主義的人事管理、賃金システムの徹底が主張されてい る。そしてその代表的な議論は95年5月に日経連が発表した『新時代の「日本的経営」−挑戦 すべき方向と具体策』といえよう。そのなかで日経連は従業員を「長期蓄積能力活用型グループ」 「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分け、前一者の少数先鋭化と後二者 の積極的活用を主張している。 こうした主張は経営者の側からすれば、人件費コストの削減という観点から、従業員の側から すれば、女性・高齢者の就業率の増大や、必ずしも特定企業に継続就労を望まない層の増大とい う要因から、一定程度合理性をもつことは否定できない。 一方我国製造業、とりわけ機械産業のの競争力の強さは製造現場従業員の優秀さにあり、その 源泉は同一企業での長期にわたるOJT中心の能力開発システムであり、そうした意味からも長 期雇用制度、年功賃金制度といった日本的雇用システムは、産業競争力を支える重要な要素とし て、少なくとも現業人材については安易に見直すべきではないとの有力な見解も存在している。 そこで本報告では、報告者も参加した機械振興協会経済研究所で行われた調査(96年11月、 機械関連企業の1、000工場を対象に行い、189工場より回答を得た「人材の流動化と日本 的雇用システムの展開と課題に関するアンケート」調査、および工場ヒアリング調査)を中心に、 各種統計資料を参考にしながら、機械産業現業従業員に対する雇用システムの今後の展開につい て考察し一試論を提示してみることにしよう。なお本報告においては機械産業現業従業員のうち、 中規模以上の企業の男子本工層を主として対象にしている。 2、調査から得られた事実の特質 前記調査の特質といて以下の4点が指摘されうる。 第一は「現業労働者」については「長期雇用制度」は今後とも「維持すべき」であると考えて いる工場が大多数であるのに対して、「年功賃金制度」については「能力」を基準とした賃金決 定方式へと「変更すべき」と考えている工場が多数を占めているという点である(図1、2、3)。 第二は多くの工場から「変更すべき」と考えられている「年功賃金制度」であるが、「現業労 働者」の賃金カーブは「ホワイトカラー」のそれと比較すると、傾斜が緩やかであり、しかも 30歳代半ばを境にそれまで以上に傾斜が緩やかになり、しかも賃金上昇が頭打ちになる時期が 早いという構造をもっているという点である(図4、図4-補)。このことは「現業労働者」につ いては「年功賃金制度」といっても、「能力開発に10年かかる」ということから考えて(さら にその後5年間をそれまで企業が投資した訓練費用の回収期間と考えれば)、これまでの「年功 賃金カーブ」はかなりの程度その時々の「職務遂行能力」を反映するものであったということを 意味しているし、同じことではあるが「年齢」というものがある程度その時々の「能力」をはか る基準として合理性をもちうるものであったことを示している。 第三は「配転出向」等の形態についであり、その特質として第一に「他職種への配転」が最も 頻繁に行われており、しかも今後はとりわけ「中高年層」に対してこれまで以上にそれを行って いく指向が示されているということであり、第二に「中高年層」が最も頻繁にさまざまな形態の 「配転出向転籍」の対象となっているという点である(図5)。このことは「現業労働者」につ いては中高年層を中心に「配転出向転籍」という形態での内部労働市場、中間労働市場による人 材の流動化が今後さらに進むことを意味している。 第四は大多数の企業が「60歳(ないしそれ以上の)定年制」を採用している一方で、定年ま で従業員を正規従業員として雇用したいと考えている工場はきわめて少ないという点である(図 6,7,表1)。 3、雇用システムの展開に関する一試論 さて、以上の4つの特質は今後の「雇用システム」の展開を考える際、以下のような文脈の中 でとらえるべきことと考えている。 特質一より企業に必要な能力を開発し活用するためには、企業内での長期にわたるOJT中心 の技能形成が必要であるため、「長期雇用制度」はそれにとって合理性をもつため、「維持すべ き」であるが(逆にいえばその限りで維持すべき)、一方中高年者が従業員の過半数を占めると いう年齢構成(表2)からいって賃金コストを減らすという観点から、これまで以上に「能力」 と「賃金」が直接対応する機構の構築を求めているといえる。そして特質二で示された賃金、年 齢、能力の関係から考えて、「賃金」と「能力」が直接対応する機構の構築とは、「賃金」決定 の際の「能力」評価の基準から「年齢」という要素をはずすとか、「年功賃金カーブ」を変化さ せるということよりも、むしろ現在の「年功賃金カーブ」を基本的に維持しつつも、「年齢」= 「賃金」にふさわしい「能力」のひろがり深まりとその発揮を個々の労働者に対しより厳格に求 めるということであろう。つまり今後企業は現業労働者に対して一方その年齢時の賃金額に値す る能力を開発し最大限活用するために、年齢に応じてこなしうる仕事の幅と深さがこれまで以上 に広がっていくことを要請し、「年齢」=「賃金」と「能力」の厳格な対応関係を求めていくと ともに、他方ではとりわけ賃金額が高い「中高年層」について、それが可能な層と困難な層を厳 格に区別し、前者に対してはさらに一層遂行可能な職種職務領域が広がっていくことを求めると ともに、後者に対しては、これまで以上に多様な形での外部排出機構を整備していくということ を指向しているということである。この点は特質三、四からより明確であろう。 さらにここでは企業による「長期雇用制度」に対する評価は「能力開発活用」面からのもので あり、それゆえ新たな能力の開発が必要な層をそのために外部に出向させたり、逆にこれ以上能 力発揮が望めない層を出向転籍等で外部に排出すること自体はなんら「長期雇用制度」を維持す るということと矛盾することではないことには留意すべきであろう。 要約すれば、「長期雇用制度」「年功賃金制度」は現業労働者の能力開発とそれへの報酬とい う関係を全体的に短期長期両側面で均衡させる制度であるが、個別労働者レベルでみれば、不均 衡が生じ、企業の側からすれば現在の機械産業をめぐる経済経営環境上そのコストを負担するこ とは困難になっているため、内部労働市場・中間労働市場を活用した人材の流動化(配転出向転 籍)を促進することでその不均衡を是正しようとしているといえるであろう。「日本的雇用シス テム」の重要な要素をなす、「長期雇用制度」「年功賃金制度」は「現業労働者」についていえ ば、「能力主義的人事管理」と矛盾するものではなく、むしろ両者は表裏一体の関係にあると考 えるべきであり、今後の機械産業の経済経営環境を考えれば、日本的雇用システムはより能力主 義的側面を強化した形で、その本質的性格を明確化した形で展開していくといえるであろう。 4、残された論点−生産システムの90年代展開と雇用システム−
自由論題 第4会場 労働市場
経済構造変動下における地域労働市場の再編
阿部 誠(大分大学) はじめに 1990年代に入ってからの急速な円高や国際競争の新たな展開の下で、電機産業など組み立て 型産業を中心にした生産の東アジアへの移転は新たな段階をむかえた。それにともなって、国内 生産の縮小・撤退や中小企業の転廃業、大規模な人員削減などが「産業空洞化」として大きな問 題になっているが、とりわけ、急速な雇用構造の変化とその下での失業者の増大など、雇用問題 に大きな関心が寄せられている。 こうした「産業空洞化」の問題は、生産の海外移転によって国境をこえた生産・分業構造がど のように形成され、国内の生産体制、経済構造がいかなるかたちで再編成されているかという分 析をふまえて議論される必要がある。今日の雇用問題を考えるうえでも、国内生産体制の再編に あわせて雇用構造がいかに変動し、労働市場の再編がどのように進んでいるのかという分析が必 要となる。 本報告は、こうした観点から、1990年代に海外移転が進んだ「生産機能」を主に担ってきた 地域に即して、地域の産業構造が構造変動のなかでいかに動揺し、再編されているかを分析する とともに、その下で地域労働市場がどのように変容しているのか、また、そこでどのようなかた ちで雇用問題が顕在化しているのかという点について考えてみたい。具体的には1990年代の東 北地方の地域産業構造の変動と労働市場の再編について分析する。 1.電機産業の構造変化と東北経済 本報告は、東北地方の電機産業を分析の主たる対象としている。東北地方には、1960年代末 から70年代初めの工業再配置政策の時期と高速交通網の整備が進んだ1980年代後半から90年 代初頭にかけて、電機産業の量産工場、分工場が数多く進出し、それにともなって労働集約的な 下請け中小企業が簇生した。1975年から1995年までの東北地方の工場立地件数(累計で7150件) のうち21.5%を電機産業が占めている。この結果、東北地方に大企業から下請け企業に至る重 層構造をもった電機産業の産業集積が生み出され、日本のリーディング・インダストリーであっ た電機産業の生産体制を支えていたということができる。 しかし、電機産業では、1990年代に入ると生産の海外移転を急速に進め、国境をこえて生産 ・分業体制を再編成していった。その結果、1992年以降国内での生産規模が縮小され、事業所 数、従業者数、出荷額などが減少してゆく。東北地方でも、1991年まで電機産業の生産規模は 拡大してきたが、1992年に従業者、出荷額などが減少に転じ、1994年は91年に比べて従業者で 16.3%、出荷額で8.8%減少した。この間に電機産業全体で従業者数は21万人、10.4%減少して いるのであるが、このうち21.2%を東北地方での従業者数の減少が占めている。東北地方の電 機産業は労働集約的な量産工場と位置づけられているだけに、生産の海外移転の影響を強く受け たということができる。こうしたなかで倒産、工場閉鎖や工場の集約化、人員削減などが進んだ のである。 2.海外移転にともなう地域産業への影響 それでは、生産の海外移転にともなって東北地方の地域産業はどのような影響を受けたのだろ うか。福島県が1995年度に行った「福島県産業空洞化対応調査」によれば、福島県内の製造業3096 企業のうち、円高や取引先の海外展開の影響をうけているとする企業が60%に及び、とくに電 機企業は316企業の85.4%が「影響あり」と回答している。とくに自社製品をもたない下請け 企業ではその比率が高い。具体的な影響としては、利益の減少が50.2%と高く、次いで受注量 の減少47.5%、コストダウンの要請が42.9%となっている。とくに加工組み立て型では、コス トダウンの要請が70.0%、受注量の減少が60.1%と高くなっている。 一方、「円高や海外展開の影響をうけている」と回答した企業1247社を対象に行われた同第2 次調査では、円高、海外移転の対策として、諸経費の節減、生産体制の見直し、雇用調整、不採 算部門の整理などを行った企業が多い。また、雇用調整の実施状況については、雇用調整を行わ ない企業が42.8%を占める一方、新規採用の抑制を行ったところが35.2%、稼働時間、残業時 間の短縮が26.1%、正社員のパートへの切り替えが10.9%、希望退職募集を行ったところも10.3 %にのぼっている。 ところで、回答企業のうち75%が下請け受注をしているが、そのなかで受注先が海外移転し たところが27.0%、規模縮小をしたのが24.9%、製品の転換が12.4%、閉鎖・転廃業も7.3% にのぼり、受注先企業に大きな変化が生じていることがわかる。こうしたなかで、受注単価の低 下が85.2%、納期の短期化が60.9%、受注ロットの小型化が60.6%といった影響がでている。 他方、外注を行っている企業は49.2%であるが、円高に対応した外注方針の変化として、内製 化の促進をあげるところが43.5%、外注先の選別・育成の強化が37.5%になっている。とくに 加工組み立て型については、それぞれ52.2%と38.8%と高い。 このように生産の海外移転による産業再編はとくに組立て型の下請け企業に影響が集中して現 れている。東北地方では、もともと工業の集積や技術の基盤が乏しかったところに大手メーカー の進出にともなって労働集約的作業を中心とした下請け企業が急速に生み出されたため、取引き や技術、設備などの点で親企業に依存する脆弱な中小企業が多い。それだけに、大手メーカーの 海外シフトによる国内生産体制の再編の下での外注量の削減や単価の引き下げ、外注先の選別・ 再編などは、基盤の弱い下請け企業の経営を揺るがし、倒産や工場閉鎖・縮小などをひきおこし ている。こうした影響は農村工場などの労働集約的な工場にもっとも強く出ているといわれる。 3.地域産業再編の下での就業構造変化 このような地域産業の再編成は就業構造にも大きな影響を及ぼしている。労働力調査によれば、 東北地方の就業者数は1993年以降減少しており、とくに女子就業者の減少が大きい。産業別で は、農林業とともに製造業の就業者数が目立つが、これには電機産業の生産縮小やその結果とし ての電機産業での就業者の減少が大きく影響している。一方、サービス業などの就業者はかなり 増加しており、この点からいえば、電機産業をはじめとする製造業の就業者減少の下で、サービ ス業などがある程度まで雇用の受け皿になっているとみることもできる。しかし、現在のところ は、サービス業の就業者の増加数は農林業や製造業などの就業者の減少を下回っており、それが 全体としての就業者の減少につながっている。しかも、第三次産業にはパートタイム雇用も多い など、就業が短時間であったり、不規則であったりするものも少なくなく、必ずしも製造業の代 替的な雇用の場を提供するものではない。また、卸・小売業は、大型店の進出による商店街の「空 洞化」の下で男子の就業者が減少している。たしかに第三次産業に雇用拡大が期待されはいるが、 こうしたなかでは電機産業での「雇用喪失」を穴埋めするものとなり得ないのではないだろうか。 4.地域労働市場の再編と雇用の流動化 こうした地域産業の構造変化の下で、大企業でも、また中小企業でも人員削減が相次いでおり、 雇用調整(人員削減)のデータをみても1992年頃から件数、人員ともに増加し、地域差はある もののいまだに高い水準を保っているところが少なくない。この結果、東北地方の完全失業率は 1991年から上昇傾向を示し、95年には2.6%に達している。一方、求人・求職動向については、 求人数が減少するとともに求職者が大幅に増え、この結果、有効求人倍率は91年に1.26(パー トを含む)であったのが、1993年に0.79となって1を切り、95年には0.73まで低下した。 しかし、これら東北地方の求人倍率は全国水準よりも依然として高く、また、完全失業率は全 国よりも低い。このことは、厳しい雇用情勢ながらも、相対的には求人が確保されていることを 示している。職安の求人・求職という偏りがあるにせよ、求人の出ている主な産業は、製造業、 建設業、小売業、サービス業などであり、このうちもっとも求人数が多いのは一貫して製造業で ある。しかも、製造業のなかでも電機産業の求人がかなりの比率を占めているところが少なくな い。 こうした雇用の動きは、電機産業の離職者の再就職状況にも反映している。報告者は、昨年10 月に郵送形式で離職者調査を行った。回収数は50件と多くはないものの、この結果によれば、 再就職した者が40名、内職についた者が1名、再就職していない者は7名となっている(ほか に不明が2名)。そして再就職した者のうち、構内下請けを含めて電機の組立て工場に再就職し た者が20名と半数を占めているのである。構造変動の下で流動化している労働市場の内部で移 動している者がかなり多いということができる。 このことは、地域産業構造が変動するなかで、電機産業の雇用の「空洞化」が直線的に進んで いるわけではなく、一定の雇用が確保されていることを示している。結局、東北地方の電機産業 は、生産の規模を以前より縮小させながらも、生産品目や下請けなど生産体制の見直しを進める ことを通じて、一定の部分が再生産されているといえる。いいかえれば、東北地方の豊富で安価 な労働力に依存した構造の再生産でもある。しかし、東北地方のように労働力に依存した量産型 の電機産業は、生産の海外移転の下その存立基盤を失っており、一部の生産機能が地域に残った としても、その基盤が不安定であることに変わりがない。経済環境の変化や企業の経営戦略の見 直しのなかで雇用は絶えず流動化することになろう。今日の雇用問題は、こうした一層の流動化 を通じた雇用の「不安定化」というかたちで現れているといえよう。 報告者の関連業績 雇用の流動化と終身雇用慣行、賃金と社会保障1124号、1994年2月下旬号 構造調整下の電機産業における雇用構造の変動、大分大学経済論集第45巻第6号、 1994年 構造変動の下で動揺する地域経済、協同総合研究所報「協同の発見」第59号、1997年共通論題 「アジアの労働と生活」
共通論題の企画について
コーディネーター 佐口和郎(東京大学) あらためていうまでもないが、この種のテーマで共通論題が設定されるのは本学会では初めて のことである。むろん経営学・財政学・労働法学などの学会でもアジアを対象とした研究集会・ シンポジウムがもたれ始めており、本学会がこうしたテーマを取り上げることは決して先進的と いうわけではない。だが労働・社会保障・福祉研究においてこの領域での研究が一部の例外を除 いて相対的に手薄であったことは否めない。むしろ参加者が国際経済論・開発経済論・地域経済 論などの近年の成果から積極的に学び、今後少なくとも欧米と同程度にはアジアの実状について センシティッブになっていくことが最大の獲得目標であるといえる。 報告の柱は、まず「世界システム」の中でのアジアの位置、労働・生活問題発生の構図を踏ま えた上で、それが労働力の形成過程(都市インフォーマルセクター論も含む)、労働市場の階層 構造、労務管理・労使関係、社会保障、児童労働などの諸局面でどのように現れているのか、さ らにはそれらが政策的(社会・労働運動側の対応も含めて)にいかに処理されようとしているの かを探るという形で設計されている。 共通論題の設定にあたり企画委員として報告者に共通に意識していただきたいと考えている論 点は以下の通りである。まず第一はアジアを対象に問題を設定することの新しい意義についてで ある。労働分野における欧米研究を考えてみると、50―60年代の研究者の関心は労使関係の 理想型の析出であったり、段階論の典型の抽出であったといえる。70年代に入り日本的労使関 係論の展開の中で欧米と日本との静態的比較、80年代では進出企業への「日本モデル」の移転 可能性論(連関)が中心的問題関心となった。今日アジアを対象にしていくという場合はこうし た欧米研究とは異なった問題意識に裏打ちされていることは明らかである。その「なぜアジアな のか」についてを明示しての議論が必要であり、以下のやや個別的論点もすべてそれに関わる。 第二は国際経済の新たな展開(「世界システム」)と地域経済統合、そのアジアレベルでの実状 と今後の評価についてである。そのうえでEU、NAFTAと比較してアジア地域での経済の相互依 存の展開はどのような特徴をもっているのか、「政治統合なき経済統合」のもつ問題性などが議 論となろう。これらは「アジアの労働と生活」を考える上での基礎的領域としての位置を占める といえる。 第三はアジアの「多様性」の解釈についてである。アジアに関する研究会でしばしば確認される アジアの「多様性」は、社会・経済発展の非収斂性という議論に親和的である。様々な地域を対 象とする今回の共通論題ではそれぞれの局面での個別性がどのようなメカニズムで形成・再生産 されているのかをまず明確にしておくことはそれ自体として極めて重要な課題となる。そのうえ で、この多様性をとらえる共通の尺度・方法にまで議論が及ぶことを期待したい。例えば近年、 アジア地域研究のなかでは、社会・経済システムにおける社会慣習の役割が注目されてきている。 市場・政府を代替・補完するものとして社会慣習(コミュニティより広い概念として)をとらえ るという方法である。セイフティネットや所得再分配などの問題にとって「慣習システム」がど う作用しているのかという視角は、日本や欧米の労働・生活問題の新しい分析にもつながりうる 可能性(社会的諸制度の多様性の再解釈)をもつかもしれない。またこうした議論はそれぞれの 社会での家族・親族関係の問題にも深く関わるだろう。むろんこれは一つの提案にすぎないので あり、各報告者が多様性をとらる共通の尺度について何らかの形で意識してもらいたいと考える 次第である。 第四は「人権」概念の再検討である。日本では「人権」という術語はあまり吟味されていない(誤 解をおそれずにいえば手垢にまみれた)印象を拭えないが、国際的なレベルでは「人権」は深刻 な問題として取り上げられつつある。国際的レベルでの「人権」問題の今日的意義は何か、そこ でのファンダメンタルな「人権」とは何かなどが検討される必要があろう。児童・女性・外国人 労働などはその中心的対象をなすだろう。またその場合、国際的な対応としては新しい段階に入 りつつある「環境」問題との比較も重要な論点である。 第一の論点を除いて、これらの論点の意識の程度は各報告者によって濃淡があってしかるべき であると考えている。また詳しい実態把握をふまえた各報告者なりの咀嚼を期待したい。
世界システムの中の東アジアの工業化と労働
平川 均(東京経済大学) はじめに 東アジアの工業化を論じる場合、「国民経済」を前提にして説くのが一般的である。しかし、 その分析枠組みは、成長する今日の東アジアの工業化と経済成長を十全に説明しているとは思わ れない。東アジアの工業化において注目さるのは、急速に、1)工業化初期から世界市場に浸透し、 2)その製品の技術水準が高度化するとともに、3)民族資本が成長していること、併せて4)多国 籍企業のグローバル生産と関わる工業化の側面が強いことである。これらの特徴を「国民経済」 の枠組みのみで捉えることは難しく、それを越えるメカニズムを理解するためには、むしろ世界 システム的認識が必要である。 本報告では、東アジアの工業化を後発工業化の観点から捉え、その段階性と特徴を検討する。 そして、それが労働にどのような影響を与えるかを考える。 [1] 東アジア工業化と経済学の接近方法 点としてのNIES論から面としての東アジア工業化論に工業化論の対象を拡張するとき、 東アジアの工業化と経済成長を説く理論も変わる。現在の接近法は、4つに大別できる。1)「国 民経済」論的成長連鎖論、2)企業論的工業化論、3)歴史的工業化論、4)世界経済論的工業化論で ある。その他の解釈もあるが、例えば、儒教文化論は成長の後知恵的解釈と思われるし、華人経 済圏論は発展に伴って今後大きな経済的あるいは政治的インパクトをもつと思われるむしろ将来 的要因を既成の成長論に混入させている傾向が強い。 1 「国民経済」論的成長連鎖論 1) 新古典派東アジア成長論と国家主義成長論 新古典派は、市場メカニズムに基づく比較優位産業の勃興と説明。しかし、国家主義的立場か らの反論を経て修正(世銀『世界開発報告1991』;『東アジアの奇跡』*1)。 国家主義的アプローチは、経済への国家介入を主張*2。NIES・東アジア工業化の論争軸 は「国家か市場か」→形式的には産業政策論的アプローチへの収斂現象=日本モデルの拡大解釈 *3。権威主義開発体制への親近感も生まれる。 2) 構造転換連鎖論と雁行形態的発展論 渡辺利夫の「後発性利益」論→「構造転換の連鎖的継起」(構造転換連鎖)論。 他方、経済企画庁『経済白書1994』(p.304)は、雁行形態型発展を説く。 共に理念的には各国を自立した経済=「国民経済」と捉える。連鎖論は、各国の政策的転換能 力を強調し一国的経済の成長の連続と捉える。後者は、赤松要の本旨に沿えば、後発国による先 進国型「国民経済」へのキャッチアップ・モデルとなる。 2 企業論的東アジア工業化論 多国籍企業の国際的展開から東アジアの成長を説く理論は、このアプローチに属する。なかで も注目されるのは、東大社研の会社主義。 「会社主義論は何よりも企業の組織や行動に着目する・・・日本的経営もしくは日本的労使関 係は、今日では、終身雇用、年功序列、企業別組合の三身一体として常識化されている。・・・ それは安定した相互信頼型の労使関係をもたらし、相対的低賃金のもとで合理化を容易に進める 条件となり、個々の企業の拡大をつうじて国民経済全体を高成長させる基本的構造」である(* 4)。 この日本型生産システムが直接投資を通じて東アジアの工業化を実現*5。 会社主義論は、基本的には企業論的な視角から東アジアの経験を説く点に新しさがある。 3 歴史的東アジア工業化論 歴史論的アプローチには、東アジアが独自の交易圏を形成してたきたとするもの*6と、日本 の帝国主義的支配が工業化の基盤を作ったとするものとに分類されるが、現時点で東アジア工業 化と直接に関わるのは、後者*7。しかし、これらは、朝鮮の工業地帯が「北」にあったこと、 中国の重工業地帯も内陸部であり、現在の成長と地域的なズレがみられる。結論的には、戦前と 戦後の断絶。両者は段階的に異なる(→基盤:国民経済と世界経済)。 4 世界経済論的東アジア工業化論 1)従属論と新国際分業論 →重化学工業化と技術蓄積、民族資本の発展を説明出来ず 2)世界システム論 →ウォーラーステインは当初NIESの成長可能性に気付かず。 3)ただし、成長は、NIESに始まり東アジア全域に拡大。しかも、NIESも他の東アジア 諸国も市場、資本、技術移転などの点で、国際的条件が極めて重要。これは国民経済の外部に推 進力をもつ「玉突的成長連鎖」。 まとめ:「市場か国家か」から「国民経済か世界経済か」へ ・NIES論の主要な論争軸は、1980年代後半以降「市場か国家か」→産業政策モデル。 ・東アジアの成長が地域的に拡大することで、認識枠組みが「国民経済」であることを明らか にする(構造転換連鎖論・雁行形態論) ・企業論的東アジア成長論が新しい見方として注目される(現実の反映)。 ・しかし、企業論のみで東アジアの経済成長を解けない。成長の主要な要因(市場、資 本、 技術、労働力(逆頭脳流出)など)が外在的である故に、世界経済・世界システム論的なアプロー チが必要となる。 [2] NIES開発モデルと東アジアの工業化 1 20世紀開発(=第4世代工業化)モデルとしてのNIES開発モデル 1)20世紀の3つの開発モデル i 社会主義中央計画型工業化 ii 輸入代替型工業化 iii 輸出主導型工業化 ◆国家か市場かの2分法では成功、失敗の説明不能(国内市場か世界市場か) 2)後発工業化と世界経済の重要性 i ガーシェンクロン ii アムスデン iii 金泳鎬*8 NIESで国際的条件は必須 ∴ 18世紀 国内市場=国民経済→世界市場(毛織物業者vs英東インド会社 キャラコ論争) ;19〜20世紀初め 国民経済→世界市場;戦後=東アジア開発モデル 世界市場 →→ 社会主義と輸入代替型開発は、20世紀初頭までの正統的アプローチ=失敗! 2 ASEAN、中国・・・の工業化=「2回目のNIES」現象*9 ◆NIES(東アジア)工業化モデルの定義 現代世界経済の要請に第3世界が輸出主導型工業化を通じて応えた成長=「世界経済の 招致 (invitation of world economy)」*10*11 市場と国家の関係:国家優位=国民経済形成→現在は市場=世界経済優位 国家の役割:「国民経済形成能力・自立経済開発能力」→「世界経済への参画能力」 [3]東アジア工業化の国際的構造と労働者 1 「新国際分業」から新段階の「新国際分業」へ i)1960年代の新国際分業 単純な労働力の利用 → 70年代、本格的には80年代後半以降、 ME化と高度情報化:工業先進経済における経済主権の喪失*12*13と東アジアの成長 「資本主義の逆転」現象*14と「倫理なき資本主義」*15の共存 逆転現象 a)重化学工業化→軽薄短小 b)労働組合→組織率・交渉力の減少 c)福祉国家→民営化*16 → グローバル・コンペティション ii)アジアのヒエラルキー構造の再編 中心−周辺分業構造 → シンガポール・香港を地域 センターとする地域分業構造へ 2 アジアにおける国際労働移動の高揚:地域的に不熟練労働の流出と頭脳回帰の共存 i)アジアのmigrant workers 少なく見積もっても260万人 特徴はcrazy-quilt pattern(つぎはぎの掛け布団型)送出と受入の同時発生*17 主要送出国 インドネシア、ビルマ、フィリピン、中国、インド、バングラデシュ 送出・受入共存国タイ、マレーシア(130万人以上、半数は不法)、韓国 受入国 日本、香港、シンガポール、ブルネイ ii)NIESにおける頭脳回帰(reverse brain drain:逆頭脳流出) アジアNIESは高等教育における海外留学比率が高く、かつ80年代からは海外から大量の 帰国→先端技術の移転と蓄積 3 工業先進経済における雇用形態の変化とアジアの労働者 i)NIESにおける労働集約的軽工業における不熟練労働者の急減 韓国衣服産業 1987→1992 31・8%減、1992のみで靴26・2%減 エレクトロニク ス産業の女子減少率 男性の3倍 香港製造業労働者数 1981→1992 40%減 雇用形態の趨勢:臨時工化(casualisation)a)パート化 b)短期下請労働化 c)見習い、訓練扱 いでの雇用 d)最低賃金以下の夏期労働*18 国内下請化とFDI 韓国中小企業下請率 1991年電気86・6% 製造業平均79・1% ii)ASEAN、中国、インド、バングラデシュの輸出指向工業化(FTZ)と女性化 iii)バーチャル労働と雇用形態の不安定化 →東アジアへの影響 科学技術政策、教育重視 東アジアでは労働者のコンピュータ利用容易。ただし、多数の雇用不安定化 むすび−東アジアにおける労働運動の出現とその意味− 工業先進経済における労働運動の停滞とアジアにおける高揚:韓国の労働運動の経験を、単線 的発展史観で理解すべきでない。工業先進地域の弱体化した労働運動の代替を東アジアに単純に 見いだすのは誤りだろう。今後強まる傾向は、高度情報化による労働・雇用形態の質的変化。正 規男性労働者中心の運動は変革*19を迫られ、新しい主体、運動(女性化、臨時化、パート化 等、人権、環境、NGO等)が国内的国際的に模索されるだろう。 (注) *1 World Bank(1993), The East Asian Miracle: Economic Growth and Public Policy, Oxford:Oxford University Press.白鳥正喜監訳(1994)『東アジアの奇跡−−経済成長と 政府の役割』東洋経済新 報社。 *2 Amsden, Alice H.(1989), Asia's Next Giant: South Korea and Late Industrialization, Oxford: Oxford University. *3 村上泰亮(1992a,b)『反古典の政治経済学(上)(下)』中央公論社。 *4 馬場宏二(1991)『現代世界と日本会社主義』東京大学社会科学研究所『現代日本社会T 課題と視角』東京大学出版会。 *5 日本多国籍企業研究グループ(1993)「韓国・台湾における日本型生産システム−−日系自 動車・電気工場の『適用』と『適応』」『社会科学研究』第45巻第3号、12月、73頁;末廣昭(1995) 「アジア工業化のダイナミズム」工藤章編『20世紀資本主義U』東大出版会。 *6 杉原薫(1996)『アジア間貿易の形成と構造』ミネルヴァ書房;川勝平太の諸論文。 *7 中村哲(1991)『近代世界史像の再構成』青木書店;堀和生(1994)「東アジアNICs成立 の諸条件」京都大学経済学会『京都大学・慶北大学学術シンポジウム 東アジア資本主義の構造』 12月13〜14日、於京大会館他。 *8 金泳鎬(1988)『東アジア工業化と世界資本主義―第4世代工業化論―』東洋経済新報社。 *9 平川均(1993)「アジアNIES開発モデルとは何か」柳田侃編『アジア経済論』ミネルヴァ書房。 *10 平川均(1994)「プロローグ アジアNIEsへの視点」平川・朴編『アジアNIEs―転 換期の韓国・台湾・香港・シンガポール−』世界思想社、18頁。 *11 平川均(1997)「東アジア工業化ダイナミズムの論理」粕谷信次編『東アジア工業化ダイナ ミズム』法政大学出版局。 *12 宮崎義一(1995)『国民経済の黄昏』朝日新聞社。 *13 ギル、S.(1996)『地球政治の再構築』(遠藤誠治訳)朝日新聞社。 *14 伊藤誠(1990)『逆流する資本主義』東洋経済新報社;(1995)『日本資本主義の岐路』青木 書店。 *15 本山美彦(1996)『倫理なき資本主義の時代』三嶺書房。 *16 伊藤誠(1996)「高度情報化と資本主義市場経済」伊藤・岡本編『情報革命と市場経済シス テム』富士通ブックス。 *17 Far Eastern Economic Review, May 23,'96. *18 Committee for Asian Women(1995), Silk and Steel, Hong Kong, pp.21-27. *19 Arrighi, G.(1996), Workers of the World at Century's End, Review,Vol.XIX,No.3.
インドネシアにおける労働市場の形成過程とその特質
山本郁郎(金城学院大学) 1.労働市場形成論の課題 インドネシアはスハルト「新秩序」体制のもと1966年以降GDP年成長率6.6%におよぶめざま しい経済発展をとげた。だが、70年代には石油ブームを背景に「フルセット型」経済構造の構 築をめざし、ブーム終焉後構造調整をへて、80年代後半以降ようやく輸出指向型発展の軌道に のった。その歩みは他のAESEANとは異なる特徴を示している。 発展途上の多くの国々と同じく、インドネシアでも労働力の再生産が行われる自立的な機構と しての労働市場はなお形成途上にある。したがって、労働市場論の課題も労働市場内部の仕組み やその働きに限定するのではなく、労働市場形成のメカニズムとその特質に着目しなければなら ない。その課題は次のように具体化できよう。 (1)農村階層分化の特質と農村過剰労働力の存在形態 (2)都市過剰労働力の規模と存在形態−−都市労働市場と「Informal Sector」 (3)農村−都市間移動の規模と特質 (4)雇用関係と技能形成−−労働市場への定着化と「segmentation」 2.農村階層分化の特質−−過剰労働力析出のメカニズム インドネシアの総人口は1990年に約1億8千万人、71年以降年率2.2%の増加である。人口増 加率は農村1.2%に対して都市5.3%、人口増加の57%は都市で発生している。にもかかわらず、 農村居住人口は90年になお約7割をしめる。経済活動人口は70年代は年平均124万人、80年代 には年平均215万人増加した。70年代には増加数の1/3以上が25歳未満の若年層でしめられ、 また、80年代には増加数のほぼ半分が都市で発生した(表-1)。にもかわらず失業率はきわめて 低く、都市の若年層をのぞいて雇用問題は存在しないかにみえる。しかし、「就業」の内容を検 討すると、失業率の低さは「完全雇用」ではなく、「全部雇用」と呼ぶのがふさわしい。不完全 就業はなお中心的な課題のひとつである。 都市過剰労働力の集積そのものが農村からの移動に負うところが大きく、労働力給源としての 農村の重みはなお圧倒的である。国土面積の7%に満たない土地に人口の63%が集中するジャワ の農村は、小・零細農家(<0.6ha=64.5%)と土地なし世帯(33%)が大きな割合をしめることで知ら れている。インドネシアでは70年代に本格化する「緑の革命」(労働節約型農業生産方式の導入) と農業の商業化が、それまで農業「雇用」労働依存慣行によって抑えられてきた農村の階層分化 を顕在化させた。しかし、その過程は古典的な両極分解論ではとらえきれない。上層農は農業収 益の一部を非農業営利機会や子弟の教育などに投下する。また、慣習的な稼得機会を奪われた下 層農・土地なし層は、村内・地方都市あるいは大都市へ移動して非農業就業機会についたり、農 業労働者として他地域へ季節的出稼ぎに出ることによって世帯としての最適な労働供給戦略を展 開する。こうした農外就業・所得がもたらすダイナミズムがさらに階層分化を複雑に進める。若 年層とくに高学歴層は別として農村との紐帯は断ち切られない。東南アジア農村に広く見られる 現象である 3.都市−農村間移動のパターンと特質 労働市場形成過程の研究にとって農村−都市間移動は主要な研究領域を構成する。しかし、労 働移動の量や移動労働者の属性を統計的に把握することはむずかしい。(1)求職移動、(2)Circular Migrationなど非定住型移動、(3)近年増加している通勤移動、(4)Squatter(不法滞在者)等は統 計にあらわれないからである。 移動のパターンと変化の方向だけを見る(表-2)と、おおまかに三つのパターンを認めること ができる。(1)ジャワを中心に人口凋密な農村地帯から都市化・工業化の進むジャカルタへの移 動。(2)同じくジャワ3州(中・東ジャワおよびジョクジャカルタ特別州)を中心にスマトラ・ 東部インドネシア地域(カリマンタン・スラウェシ他東部の諸州)の人口希薄な地域に新たな農 業フロンティアを求めての移動。(3)拡大ジャカルタ首都圏(一般にJabotabekと呼ばれる)の形 成に伴う移動。また、スマトラや東部インドネシア地域では、近年地域内州間移動が活発になり 地域経済圏の形成を思わせる。いずれにせよ都市への移動が農業フロンティアを求めての移動と の間で選択されていることは興味深い。 この定住型移動のほかに出稼型移動がある。定住型移動が一般に相対的に上層の農家出身者に 多く、フォーマル・セクターに雇用を求めるのに対し、出稼型移動は下層農・土地なし層出身者 に多く、インフォーマル・セクターに就業機会を求めることが多い。出稼型移動は家族や同郷の 成功者に住居・仕事の世話などを頼る形で行われることが多い(pon-dok system)ことから、同一 村出身者が同一職業につく傾向がある(chain migration )。また、出身農村と強いつながりを持ち つづける者が多い。 4.都市過剰労働力の存在形態−都市労働市場とインフォーマル・セクター− 産業構造の高度化につれて就業構造も確実に変化している(表-3)。その過程にはいくつかの 特徴がある。(1)2次産業就業者の割に3次産業就業者が多く、いわゆる「過剰都市化」が見ら れる。(2)自営業者や家族従業者の割合が大きく(表-4)、都市労働市場を賃労働範疇のみで見る のでは十分ではない。零細企業や自営業者はインフォーマル・セクター(IFS)の中核をなす。IFS は小資本、土着資源、適正技術をもって雇用と所得の発生を目的とする小規模経済活動単位と定 義される。IFSを雇用労働市場が形成されるまでの過渡的存在(「都市雑業層」)あるいはFSに 雇用をえるまでの「待機場所」とみるのではその本質を見損なう。統計では自営業・家族従業者 数の変化に景気変動と逆相関が見られ、 IFSが縁辺労働力として機能する部分があることは否定できない、だが、製造業小・家内工業の 成長に示されるその構造的な強靱さは、IFSが雇用と所得発生機構として独自の論理をもつこと を示し、固有の研究領域を構成する。 5.雇用関係と技能形成−−労働市場への定着化と「segmentation」 製造業は従業員規模20人以上の大・中企業が産出額の82%を占めるが、従業員数では、小企 業(5-19人)家内工業(4人未満)が3分の2強を占める(表-5)。製造業は被雇用者比率のもっ とも高い業種であるが、いちじるしく小・家内工業に偏っており、労働市場への労働者の定着化 そのものが問われねばならない。 定着化は雇用関係と技能の特質に深く規定されている。機械金属加工業の調査によれば、日系 企業では企業特殊的熟練の育成のために、「新規高卒」を中心に労働市場の内部化が進んでいる。 他方地元中小・零細企業では市場の狭隘さと激しい競争の下で、経営安定化のために受注品拡大 政策がとられ、それに対応して時に女子を含む未熟練・若年労働力が大きな割合をしめる。彼ら は最賃水準の賃金と職業的生涯の見通しの乏しさから境界的存在であり、一般に欠勤率が高い。 そうした環境下で技術=製品差別化戦略を指向する企業は、その担い手の企業内養成を指向しつ つも、熟練労働力への依存を断ち切れない。このように労働市場も多層に「分節化(segmented)」 されている。 【関連文献】 「インドネシアにおける製造業労働者の社会的性格と労働市場の構造」『金城学院大学論集』通巻第32号、1990年 「インフォーマル・セクターと都市労働市場」『同上』通巻第33号、1991年 「インドネシアにおける中小企業の経営政策と技能形成」『同上』通巻第36号、1994年 「改革下の中国国有企業における人事権限の制度的構造」『経営研究』第8号、1994年 「国有企業における雇用・人事管理政策の展開」愛知学泉大学・中国国家経済体制改革委員会他 編『中国の企業改革』税務経理協会、1995年
マレーシアの経済発展と労働力構造の変化
−−エスニシティ・ジェンダー・国籍
吉村真子(法政大) はじめに マレーシアは、1970年代以降、新経済政策(New Economic Policy:NEP。90年以降は国家開発 政策)の下で めざましい経済成長をとげ、その工業化の成果からNIEs第2世代とも言われてい る。その新経済政策の大きな特徴は、ブミプトラ(Bumiputera:「土地の子」の意。おもにマレー 系を指す)優先の方針であり、積極的な工業化政策によって産業部門別の就業構造が変化したの みならず、商工業部門にマレー系が優先的に導入されることによって、民族間分業ともいうべき 従来の就業構造が変化してきた。70年以降は女性の就業率も増加し、その雇用は労働集約型業 種に集中しているが、そうした業種の不熟練労働者も、マレー系優先の雇用のために農村出身の マレー女性が多い。また経済発展にともなって労働力不足も深刻化し、農業・建設業・一部の製 造業・家内サーヴィスなどは外国人労働力に依存するようになっている。 このように、1970年代以降のマレーシアの労働力構造の変化は、(1)商工業部門へのマレー系 の優先的導入による従来の民族間分業の変化、(2)マレー系女性の製造業部門への参入、(3)外国 人労働力の導入、の3つで大きく特徴づけられる。そうした状況から、マレーシアの労働市場は、 産業・業種、職種や職階ごとに民族や性、国籍によって分断されているともいえる。本報告では、 そうした1970年以降のマレーシアの経済発展における労働力構造の変化を分析することを目的 とする。 1.新経済政策下のマレーシアの経済成長と産業構造の変化 1970年代以降の工業化推進と経済成長の達成。 英領植民地時代のゴム・錫輸出に依存する経済構造からの脱却。 →工業化と農業の近代化・多角化。 GDP比 農林水産業 31%(1970年)→ 19%(1990年) 製造業 13%( 同 )→ 27%( 同 ) サーヴィス業 56%( 同 )→ 54%( 同 ) 輸出 1次産品 79%(1970年)→ 41%(1990年) 製造業製品 11%( 同 )→ 59%( 同 ) 就業人口 農林水産業 51%(1970年)→ 28%(1990年) 製造業 11%( 同 )→ 20%( 同 ) 2.ブミプトラ政策による就業構造の変化 新経済政策の目的:@貧困の根絶、A社会構造の再編成。 新経済政策の出てきたきっかけ:1969年の「5月13日事件」(「マレー系vs.華人」)。 その背景:英領植民地時代に形成された民族別の就業構造。 「小農のマレー人、錫鉱山・商人の中国人、エステートのインド人」 → 民族間の所得格差(マレー系の平均所得は、非マレー系の半分ほど)。 農村部における低生産部門・職種へのマレー系の集中と貧困の構造。 新経済政策によるマレー系優先 (資本所有、雇用、教育、許認可事項、土地所有、貸付金など) → 商工業部門におけるマレー系の優先的導入による、就業構造の変化。 マレー系 第1次部門 66%(1970年)→ 29%(1990年) 第2次部門 12%( 同 )→ 31%( 同 ) 第3次部門 22%( 同 )→ 40%( 同 ) → マレー系の賃労働化の促進。 → 公務員など、公的部門での雇用の増加。 3.1970年代以降の女性労働 女性の労働参加率の上昇:36%(1970年)→ 47%(1990年)。 多国籍企業の労働集約的な輸出指向型業種(電子・電機、繊維・衣服産業)に集中。 ブミプトラ優先による農村出身のマレー系の若年女性の労働市場参加。 → 1970/80年代の「ネガティヴ・イメージ」としての女性工場労働者。 イスラム教徒としてのマレー女性と農村社会との摩擦と衝突。 女性労働の選好: 「不熟練・半熟練労働」としての低コストの賃金労働者としての位置づけ。 「器用な指先」、「従順で素直」、「辛抱強い」、「視力がいい」。 業種・職種・職階における性別分業。 資本集約的業種、マレー系の熟練男性労働者を選好。 労働集約的業種、マレー系の不熟練・半熟練女性労働者を選好。 経営・管理職、技術・専門職、男性が圧倒的に多い。 事務職、労働集約的工程の生産工、女性が圧倒的に多い。 → そうした職種・職階の差による、男性と女性の賃金水準の格差。 政府にとって、女性の労働参加促進は、労働力不足解決のための重要な方策。 4.マレーシアの労働力不足と外国人労働者 失業率の低下と労働力不足の深刻化。 労働力不足、とくに農業、建設業、製造業に集中→ 外国人労働力に依存。 その背景:全体的な労働力不足に加えて、3K部門・3K職種嫌いの傾向。 低い賃金水準・労働条件、劣悪な労働環境に加えて、ネガティヴなイメージ。 1988年以降の法制の整備と不法就労外国人の登録の推進。 外国人労働者の中での違い 国籍(インドネシア、バングラデシュ、フィリピン、タイなど)。 宗教・言語・文化。 性差(男性と女性)。 社会問題・政治問題としての外国人労働者問題。 多民族社会マレーシアにおける民族問題と外国人労働者。 社会的コストの負担(医療費・教育費や社会不安)と「必要悪」という見方。 歴史における外国人労働者(錫鉱山の中国人、ゴム・エステートのインド人)。 おわりに ―― Wawasan 2020に向かって ―― 2020年に先進国入りを目指すマレーシア。 労働力不足の深刻化と賃金の上昇 → 多国籍企業による労働集約的工程の移転の検討。 ハイテク化、情報化を目指す政府:労働集約的業種から、資本集約的業種への高度化。 技術移転。 「情報コリドー」構想。 国民電気製品」構想。 労働力不足への対策 → 機械化、オートメ化による省労働力化。 ハイテク技術の導入など業種・工程の高度化。 研修などを通しての人材育成。 女性の労働参加の促進。 定年退職者の就労の促進。 パートタイム雇用の促進。 地域経済圏構想と労働力移動。
アジアの発展途上国における社会保障構築への視点
菅谷広宣(岐阜経済大学) はじめに 1. 貧困対策 2. 保健医療対策 3.社会保険および関連制度の諸問題〜アセアン諸国の現状から〜 (1)リスク分野別の問題点 a)労災部門 b)老齢・遺族・障害の部門 c)疾病・出産部門 d)失業部門 (2)制度の全般的問題点 a)国庫負担の在り方 b)適用除外の問題点 c)社会保険のカバレッジをいかに広げていくか d)国民からみた制度への信頼性 おわりに 【関連既発表文献】 1.「タイ」(田中浩編,『現代世界と福祉国家』,御茶ノ水書房,1997年,所収) 2. 「導入期のタイ社会保険―1990年の社会保障法(90年法)を中心として−」(『早稲田商 学』,第357号,1993年) 3. 「タイにおける社会保険の形成過程」(社会政策学会年報第37集『現代の女性労働と社会 政策』,御茶ノ水書房,1993年,所収) 【参考】 アセアン諸国における社会保険および関連制度の概況(注) 1)フィリピン フィリピンには、公務員を強制加入とするGSIS(Government Service Insurance System)と、民間を 対象(労働者その他特定の範囲の人々は強制加入)とするSSS(Social Security System)という社会 保険があり、これらは老齢・死亡・障害、傷病・出産をカバーしている。ただし、GSISおよびSSS は直接的には医療給付を行なわず、それぞれから徴収された保険料は単一の基金に組み入れられ、 その基金によって医療が提供される。この基金はかつてMedicare Programという名称であったが、 1995年の法律(National Health Insurance Act)により、現在は国民健康保険に改組されている。改組 後まもないこともあり、この制度も当面はGSISとSSSの被保険者をカバーしているのみである が、長期的にはすべての国民に加入を広げていくよう企図されている。保険料率は、このかつて のMedicare Program部分が2.4%(これを労使折半)、それ以外の部分は8.4%(事業主5.1%、被用 者3.3%)となっている。なお、労災に関しては別建ての社会保険制度があり、保険料は賃金の1% を事業主が全額負担することとなっている。 2)タイ タイでは1990年の社会保障法(90年法)によって、民間労働者を強制加入とする総合的な社 会保険制度が導入された(現在強制加入は、10人以上の企業が対象)。段階的措置により、まず 導入されたのは傷病・出産・障害・死亡の4部門であり、98年からは老齢と家族部門が、そし て最終的には失業部門がくわえられることになっている。保険料は、最初に導入された4部門に は労使がそれぞれ1.5%を拠出し、国庫も同率の負担をする(合計4.5%)が、その他の部門につ いてはまだ確定していない。なお労災部門に関しては、90年法以前より別建ての社会保険制度 が実施されており、業種に応じ賃金の0.2〜2.0%の保険料を、全額事業主が負担することになっ ている。他方、農村地域では、プライマリーヘルスケアの推進ともかかわる地域型医療保険の普 及がはかられている。 3)マレーシア マレーシアにはEPF(Employees' Provident Fund)およびSOCSO(Social Security Organization)という 制度がある。両制度とも、民間労働者は基本的に強制加入であるが、SOCSOでは一定の賃金額 以上の者は任意加入となっている。EPF、つまりブロピデントファンドは、労使からそれぞれ賃 金の10%、12%を徴収しているが、その拠出金は退職時の支払いに充てる勘定1(拠出金の60%)、 住宅購入時や退職準備期(50歳)の支払いに充てる勘定2(拠出金の30%)、医療費の支払いに 充てるための勘定3(拠出金の10%)という3つの勘定から構成されている。他方、SOCSOは 労災補償および業務外の障害・死亡をカバ一している。EPFでは、加人者の退職時には、その理 由が障害であれ死亡であれ、積立金の引き出しができるが、それは一時金である。これに対して、 SOCSOでは、年金の給付が用意されている。SOCSOは社会保険の仕組みであり、保険料率は労 災部分が事業主負担により1.25%、他の部分が1%を労使折半となっている。 4)シンガポール シンガポールには社会保険制度がなく、国民の生活保障においてはCPF(Central Provident Fund) が非常に大きなウエイトを占めている(一定賃金額以上の被用者は強制加入)。これは、住宅取 得時や加入者が死亡または障害を負ったときの一時金支払いに充てるための普通勘定(労使折半 で賃金の30%)、医療費の支払いに充てるためのメディセイブ勘定(労使折半で賃金の6―8%、 年齢による)、老後と不慮の事故に備えるための特別勘定(労使折半で賃金の4%)、55歳からの 退職勘定という4つの勘定から構成され、55歳からの退職勘定には最低4万シンガホールドル を残すことが求められる。その不足分は子どもに充当してもらうこともできるが、退職勘定は60 歳から月ごとに均等で引き出されることになっている。なお、労災については事業主責任におい て民間保険への加入が制されている(ただし、一定賃金額以上の者等は除外)。 5)インドネシア インドネシアには、公務員を対象としたASKES(医療保険)・TASPEN(年金)、軍人を対象と したASABRI、民間部門および国有企業労働者を対象(従業員10人以上、または賃金月額の合 計が100万ルピア以上の企業は強制加入)としたJAMSOSTEKがある。 JAMSOSTEKは労災・死亡・老齢(内容はプロビデントファンドであり、死亡・障害・解雇等の 場合にも支給される)・ヘルスケアの4つのプログラムから構成されており、拠出率は順に0.24 ―1.7%(事業主負担:業種によって異なる)、0.3%(事業主負担)、5.7%(事業主3.7%、被用者 2.0%)、3.0または6.0%(事業主負担:未婚者3.0%、既婚者6.0%)となっている。これらを合計 すると、事業主負担は賃金の7.24―11.74%、被用者負担は賃金の2.0%(プロビデントフアンド の部分のみ)となる。なお、死亡プログラムは、プロビデントフアンドに上乗せの一時金を遺族 に支給するものである。 6)その他 ブルネイは、石油・天然ガスの輸出から潤沢な国庫収入を得てきたため所得税がなく、医療費や 教育費を無料としてきた。1人当たりGDPも欧米先進国並みの水準にある。しかし、21世紀に は石油・天然ガスともに輸出能力が急減すると予測されており、これら天然資源への依存から脱 却した工業化を目指している。生活保障に関わる分野でも、1993年に公的部門、翌94年には私 的部門へプロピデントファンドが導入されている。 社会主義市場経済化を推進し、1995年にアセアンへくわわったベトナムでは、老齢・障害・死 亡、傷病・出産、労災をカバーする社会保険が、特定の行政区域においてパイロットプロジェク トとして実施されている。保険料率は合計で事業主15%、被用者5%であり、従業員10人以上の 企業等は強制加入となっている。なお、東南アジア10ヶ国すべてを含む機構への発展をめざす アセアンには、カンボジア・ラオス・ミャンマーも加盟の方向で動いている。このうちミャンマ ーでは、傷病・出産、労災をカバーする社会保険が、適用地域を徐々に拡大しながら実施されて いる。保険料は、傷病・出産部分は賃金等級に応じ、0.5〜1.0%を労使がそれぞれ拠出し、労災 部分は賃金の1%を全額事業主が負担している。 (注)各国資料を基本としているが、U.S. Department of Health and Human Services, “Social Security Programs throughout the World”および『海外社会保障情報』No.110〈特集:アジア諸国の社会保 障(所得保障・医療保障)〉も参考とした。なお、以下で特に記述がない場合でも、公務員や軍 人には特別の保障が各国で行なわれている。また、途上国に焦点を当てた本報告の趣旨からして、 シンガポールやブルネイをここに含めることには無理もあるが、アセアン加盟国として参考のた めにあげておくこととした(ただし、UNDP,“Human Development Report”では、両国とも発展 途上国に分類されている)。
ネパールの児童労働の発生要因と問題点
谷 勝英(東北福祉大学) 今回の報告内容の骨子は以下の通りである。くわしい資料は当日配布したい。 1.児童労働の概念と捉え方 2.ネパールの児童労働におけるアジアでの位置 3.ネパールの児童労働の実態と特徴 1)都市部−−主にカーペット工場 2)農村部−−家業(農業労働)と茶プランテーションでの労働 4.ネパールの児童労働の問題点 5.ネパールの児童労働発生の要因 6.ネパールの近代化と児童労働 7.ネパールの児童労働に対する対策 8.国連(ILOとユニセフ)及びINGO、NGOの児童労働に関する対策や活動 9.ネパール児童労働の展望
韓国労働者の求める「人間的待遇」の意味
金 鎔基(小樽商科大学) T.1987年以来の労使攻防の展開 1.民主労組運動の攻勢(1987〜89年) 「民主化宣言」と民主労組運動の盛り上がり しばしば既存の労働法の枠を超える労働攻勢 経営側の戦略:a)組合リーダーの勢いをくじく b)公権力による争議鎮圧 個別争議の政治化傾向と政治主義的運動理念の普及 2.経営側の反撃と民主労組の苦悩(1990年〜) 企業規模間賃金格差の拡大 大企業労働者の下層からの離脱(賃金上昇と雇用安定)とマイホーム主義、 運動理念における政治主義の後退とリーダー層の苦悩 経営側の新しい戦略:a)労使協調主義リーダーを支援(現代自動車)、b)組合を<上からではな く下から>変える戦略(大宇造船) b) は4年間無争議を達成した先進的事例として他の企業に波及される傾向が見られた。 いわゆる「日本型モデル」輸入をめぐる論争 大宇造船の新経営戦略:職制による職場掌握と組合活動家の孤立化を図る。 経営主導の小集団活動(班生産会議)。経営危機=生産性意識の普及運動。 経営首脳のアグレッシブかつまじめな実践。左翼理念に対する正面きっての攻撃。 3.対等な共存を目指す最近の動き 労働法改定:韓国民主労総を法認しようとする動き 「労働法改悪」反対ゼネストの背後には「首切り法案反対」という大衆の危機意識がある。低成長経 済への転換と合理化の必要性。労働者の服従を「お金で買う」戦略の限界点を示唆するのではな いだろうか。 大宇造船の事例: a) 労組リーダー層における現実主義路線の普及。 b) 経営側の戦略変化。 U.韓国労働者の求める「人間的待遇」の意味 1.焼身自殺による抗議と経営主導型労使協調戦略の挫折 現代自動車: 焼身自殺事件と協調主義リーダーシップの崩壊 ライン・ストップ争議と戦闘的組合活動家の大衆的地盤 大宇造船:4年間無争議の終焉 組合側の巻き返しが成功した要因は、a)組合の戦略が現実主義、大衆獲得戦略に転換したこと、 b)中年の一般組合員の焼身自殺 2.朴さんの遺書 職制による職場掌握戦略を労働者はどう受け止めていたか。 a) 「持っている者だけが威張る世の中」 b)「人間らしく生きようと」 c)「(組合)集会に参加する権利まで奪われて」 87年、労働者は「人間的待遇」を要求して立ち上がった。 まず、経済面では、大幅賃上げが続けられてきた。しかし従来諦めていた潜在的欲求、例えば、 住宅、乗用車、教育費のような「人並み」の水準に追いつこうとする「欲求」はむしろ強まり、現実 とのギャップに対する焦りが倍増するプロセスにも注意を払うべきであろう。 次に、そもそも「人間的待遇」とは、経済面だけで処理されうる性質のものではなかったことが 重要である。 87〜89年頃の職場は、「解放空間?」。そこにおける仲間間の連帯感、一体感は、労働者の長年 味わってきた社会的疎外感を癒す側面があった。職制主導の職場掌握により仲間間の緊張を極点 にまで押し上げていたのである。 3.権威主義的管理と抵抗 面従腹背の情緒:「どんなやつでも俺を無視しちゃいかん、俺を無視しちゃ」 生産能率管理の事例:現代自動車、現代重工業、大宇造船 巨大工場におけるテーラー主義的管理、といった世界共通の問題。 しかし韓国固有の歴史的事情による要因を勘案せねばならない。 労働者の従順さ(87年以前の)と「儒教的伝統」を結びつけてきた議論への疑問。 50年代の事例:従業員の義務ばかりを強調した就業規則の意味 「伝統的権威」を振りかざす「温情主義的関係」が支配的になる可能性は、少なくとも解放 直後(1945年)の激動期以来の韓国ではなかったのではなかろうか。 4.社会的上昇志向の強さとその含意 「学歴身分制」批判と人事制度改革問題。 日本を上回る平等化要求 文化的同質性 能力観の日韓比較:「能力主義管理」の導入を阻む要因 5.労使対等の協調:新しい実験