社会政策学会第95回大会報告要旨



【共通論題】「社会政策学会100年−−百年の歩みと来世紀にむかって」




大会プログラム

目  次

  1. 「生成期における社会政策思想」池田 信
  2. 「戦時期の社会政策論」山之内 靖
  3. 「本質論争から労働経済学へ」高田 一夫
  4. 「〈転換期〉の社会政策学」武川 正吾
  5. 「21世紀の社会関係と社会政策学」中西 洋
  6. 「労使関係論と社会政策」仁田 道夫
  7. 「社会政策とジェンダー」竹中 恵美子
  8. 「高齢社会と社会政策」三浦 文夫




生成期における社会政策思想

    池田信(関西学院大学)

〈戦前社会政策思想・理論研究の視角〉
 戦前の日本の社会政策思想とこの思想にたつ社会政策学者の研究は、戦後の社会政策学会員によってまともに論じられることはほとんどなかった。ある論者は、社会政策学者の主張を紹介しながら、社会主義を支持する立場に立ってそれらを資本主義擁護の反動イデオロギーとして論難した。またある論者は、学会史料の丹念な収集にもとづいて論述を試みながら、「下から」の改良を否定したとする強固な先入観に囚われて極度に不自然な解釈を施す結果を招いている。ある論者は、経済還元主義に立ってはじめて社会政策の科学的な把握が可能であると考え、この時期の政策論的な主張と研究にはきわめて冷淡であった。
 影響力をもつ政策イデオロギーは、現実を構成する。この認識に立ってそれがどのような理念、どのような現実の理解、どのような政策構想をもち、それがどれだけの現実性をもちえたかをそれらの存立諸条件と関わらせつつ解明することが必要である。また社会政策学者の研究の成果を問うならば、それが現実をどのように、どこまで認識していたかを究明すべきであろう。
 社会政策学会は反自由放任主義、反社会主義の立場を表明し、私有財産・自由競争の体制を基本的に支持し、「上から」の改良と「下から」の改良によって社会調和を図ることの必要を強調した。これは学会前半期の代表的な理論家であった桑田熊蔵の思想でもあった。後半期の代表的な理論家である福田徳三は、団体交渉・労働協約による労働契約の規制を私法の政策化として捉え、それを生存権の理論にまで敷衍し、また財産国家から労働国家(福祉国家)への転換を主張した。また資本主義経済の拡大再生産が行き詰まる必然性はないとして、早晩その行き詰まりに逢着するという社会主義者の理論を批判した。  社会政策の研究会が発足してから100年を閲している。この時点に立って社会政策思想の足跡を振り返り、再評価することは意義あることと思われる。いま危機にあるとはいえ福祉国家の体制が存続し、他方ソ連・東欧社会主義体制が悲惨なまでの結末を遂げたことを考えるとき、社会主義者よりも社会政策思想家の方がはるかによく将来を見通していたといえるのではないであろうか。
 戦後の社会政策学会で支配的であった経済還元主義、それの亜種としての経済・階級還元主義は、それらの論理ゆえに肝心の政策論自体の確立を妨げた。またその論者たちは資本主義経済システムが他の社会諸システムを完全に制覇するものと考え、それらの相互対立と相互浸透の関係と関わらせて社会政策を理解することを怠った。社会政策理論を確立するためには、これらの面でのあらたな探究が必要であると考える。生成期の社会政策思想・理論をこの問題意識と関わらせて論じていきたい。

〈報告の対象となる時期〉

 日本社会政策思想の始点は、社会改良主義の理念をもつ思想家が、先進国の社会改良主義とその政策から学びながらも、日本の社会的現実からの問題提起に刺激されてその政策的対応の構想を抱いてそれを具体的に明示したときに求められる。1891年における添田寿一、金井延、佐久間貞一、高野房太郎による農商務省職工条例案批判と工場法支持の主張がそれに当たる。
 社会政策思想は政府の対応を批判しつつ先導することから次第に政府の政策理念と融合する。1922年には 社会政策の統一的行政機関であることを明示する機関が設置され、桑田と福田がその参与に加わるが、ここにその区点を設けることができよう。戦前の社会政策学会が活動した時期は、およそ上の時期に相応する。1896年に研究会として発足し、1899年に社会政策学会趣意書を発表する。そして1907年から社会政策学会年次大会の開催を開始し、1924年の第18回大会を最後に消滅する。それは社会改良主義を政策理念として標榜するする研究機関であったが、1919年から労働組合運動が活発化したことを契機にして「上から」の改良を主とし「下から」改良を従とする派と、後者を主とし前者を従とする派との対立が強まり、また社会改良主義を守ろうとする派と社会主義を是とする派との対立が生じて、組織としての統一性の維持が困難となったのである。
 報告においては、この時期の学会員たちが諸問題をどのように取り上げ、論じたかを概観したあと、二人の代表的な理論家、桑田と福田の社会政策基礎理論を取り上げてその成果と限界とを現時点から評価しなおすことを試みたい。

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戦時期の社会政策

              山之内 靖(フェリス女学院大学)


1. まえおき−−世界的条件としての「総力戦状況」−−

20世紀の歴史は『極端な時代』( ホブズボーム) だと評されている。これを社会科学の方法に即して言い換えれば、あらゆる自然的で内在的な発展の条件( 段階論的進化) を越えて、社会が飛躍的な質的変化・再編成を経過した、ということであろう。この飛躍的な変化を強制したもの、それが総力戦であった。総力戦は世界のあらゆる社会にとって外在的強制となり、それへの対応を余儀なくさせた。しかし、「総力戦状況」を外在的だと見るのは、国民社会を分析の単位とみなす近代の認識に囚われた者の観点に過ぎない。総力戦時代においては、「総力戦状況」という世界的条件こそが社会的全体性となったのであり、それぞれの国民社会は、「総力戦状況」の内部的布置関係として理解されなければならなくなったのである。日本の軍事戦略家石原莞爾が第二次世界大戦を「世界最終戦争」と規定したのは、この事実を捉えたからであった。
「総力戦状況」は、市民社会を国民社会へと編成替えする。市民社会も当初から国民的ではあったが、そこからは階級関係が展開してくる。階級関係を越えた国民的統合を志向すること( グライヒシャルトゥング) 、そのためには異質なものを一つの透明な一体性へと結合する強力なシンボルが不可欠であった。このシンボルの下に、差異は一方で否定され( 日本の創氏改名) 、他方で抹殺( ナチのユダヤ人問題) される。内に差異をはらんだ帝国は、総力戦時代を経過することにより、帝国の解体( 英帝国、ソ連帝国のケース) か、帝国の国民国家への脱皮( アメリカ合衆国のケース) かを迫られる。

2. 総力戦時代に関する従来の定式

1)帝国主義戦争と捉えるマルクス主義正統派。マルクス主義は経済の領域に分析の基盤を求め、資本主義→階級関係→国家( 階級支配の共同事務処理機関)→帝国主義という視点を導出する。しかし、この観点はヘーゲルの『法哲学』における家族・市民社会・国家という三層の移行関係と比べた場合、市民社会( 経済) レヴェルに視点を限定したと言う点で、視野狭窄を免れない。
 2)民主主義と全体主義の対立と捉える観点。フリードリック、ブレジンスキー。
 3)組織資本主義の権威主義型と民主型の対抗関係と捉える観点。ユルゲン・コッカ、ハンス・U・ヴェーラー。
 4)ニューディールとファシズムの対抗関係と捉える観点。関口尚志。
 5)アメリカ合衆国をも全体主義と捉えるフランクフルト学派。アドルノ、ホルクハイマー、マルクーゼ。 5)を除き、A)「総力戦状況」という世界的条件を社会科学的分析の単位と見なしていない点で、B)家族・市民社会・国家の総体を対象とし、この三者の間の関連に即して分析するというシステム論的視点を欠いている点で、これらの定式には限界がある。

3.  社会科学におけるシステム論の登場−−その系譜関係−−

カール・レーヴィット『ヴェーバーとマルクス』(1932 年) は、マルクスの疎外概念とヴェーバーの合理化概念の類似性に着目した。ヴェーバーは禁欲的職業人( 近代社会の成立を担った主体) にたいして批判的懐疑の立場を取っていた、とレーヴィットは言うのである。ヴェーバーにおける近代への深い懐疑の念は、一方ではニーチェの近代文明批判( キリスト教批判) に対する共鳴盤として働き、他方ではカリスマ革命という極端な非民主的リーダーシップ概念をもたらした。
レーヴィットのこの指摘は、その後のヴェーバー研究史において十分に生かされることがなかった。とりわけ日本のヴェーバー学の主潮流をなしたグループにおいてそうであった。ここでは、全く逆に、ヴェーバーはプロテスタント的人格類型を代表する社会科学者だと見なされ、西洋近代のダイナミックな発展志向とアジア社会の停滞性を対置するステロタイプの認識を引き出すに当たり、その基準とされた。
 この認識のズレが戦後社会科学に残した負の遺産は測り知れない。A)アメリカでは、タルコット・パーソンズがヴェーバーのカリスマ概念を批判し、この異形のカテゴリーの誕生を、官僚制的合理化による制度的硬直性の過度な強調と結びつけた。パーソンズは、ヴェーバー社会学のこの隘路を突破する道を探索し、「総力戦状況」という条件のもとに、システム論的観点を開拓した。パーソンズによれば、現代社会はマルクスとヴェーバーの両者が予想した限界を越える柔軟な可能性を獲得したのである。B)「総力戦状況」の下で日本の大河内一男は革新官僚( 昭和研究会) と連携し、総動員体制の科学的=合理的構築に関与した。大河内の「戦時社会政策論」には、機能主義的=システム論的な総合への傾向が現れていた。しかし、戦後日本の社会科学は、大河内をも含めてヴェーバー理解のステロタイプ化へと後退してしまう。この結果、近代から超近代( システム化された現代社会) への移行を理論化する道は閉ざされてしまった。c)京都学派は< 近代の超克> に理論的拠点を提供し、市民社会から国民社会への転換に向けたシンボル的動員に貢献した。市民社会派と京都学派は対立関係にあったとする見解( 石田雄『社会科学再考』1995年) は、事の一面しか捉えていない。両者は異なった角度から、共に市民社会の国民社会への編成替えを企画・構想したのである。付論。保田与重郎( 日本浪漫派) の位置。

4. 素材としての大河内理論−−『戦時社会政策論』の構想−−
省略。山之内靖『システム社会の現代的位相』(1996 年、岩波書店) 、第二章参照。

5. 結び−−「総力戦状況」の終焉と新たな模索−−

 1914年( 第一次世界大戦) から1989年( ベルリンの壁崩壊) にいたる「極端の時代」を全体として考察しようとするとき、「総力戦状況」の連続性という観点の導入が不可欠となるであろう。ソビエト同盟の崩壊は、戦時動員型社会主義の最終崩壊を物語っている。それと対応するニューディール型の戦時動員体制も転換の時を迎えた。国民国家はグローバル化( 規制緩和とはその別名に他ならない) の時代において今一度、世界的条件に対応すべく、編成替えを迫られている。しかし、この新版編成替えは単に「さらば戦時経済」( 野口悠紀雄) と見るべきものではない。と言うのも、それは「総力戦状況」下に展開した強力な国民化を不可欠の前提としているからである。
国民的統合も、帝国の国民国家への編成替えも、ともに不可能な時代において、ポスト・コロニリズムという非統合型のイデオロギーが登場してくる。このグローバル化の時代において、かつて国民的統合を可能としたそれに取って代わる新たなシンボルが形成されるのであろうか。あるいは多元的なシンボルが並立・競合( 神々の闘争、ヴェーバー) するのであろうか。それとも人類は、統合をもたらす何らのシンボルをも欠いたまま、あてどもなく浮遊する「不確実性の時代」に入り込んだのであろうか。こうした難題に直面している今日の社会科学にとって、パーソンズ的なオプティミズムを脱却し、システム論を批判理論へと組み換えること、これが不可避の課題となっていると思われる。

(1997年8月24日作成)

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本質論争から労働経済学へ

                        高田一夫(一橋大学)


1. 本質論争の特徴

 社会政策本質論争とはどういう論争だったか大きく整理すると、次の2点にまとめられよう。

(争点1)社会政策とはどういう範囲の政策をさすのか
 とくに、経済政策と社会政策の違いは何か、をめぐっての論争
 大河内理論=社会政策は経済政策の一部である
 日本には対立見解なし

評価
 これは大きな争点でにはならなかった=日本マルクス経済学内部での論争のため、視点には共通性があった。しかし、理論的立場の異なる学説では異論多し。
 ドイツでの論争では、社会学的な理論構成の立場から、社会政策は経済政策とは異なる独自の政策理念をもった「社会関係政策Gesellshaftspolitik」(社会政策=Sozialpolitik)との主張が行われ、多くの賛同者をもったのと対照的だ。
 後に、第2次大戦後の英米流社会政策論(social policy)が紹介されたが、ここでも社会関係への注目が強かった。
 そのため、労使関係や雇用問題の深刻さが低下した1980年代以降、本質論争のこの面での継承は途絶える。

 参考:国家活動の分類私見

                            ┌─国家体制(憲法、議会など国家権力のあり方)    
                 ┌─内政─┼─ 経済政策(生産力に関する政策)                
  国家の活動 ──┤         └─社会政策(生活に関する政策)                  
                │         ┌─国家体制(戦争、領土、主権など)              
                 └─外交─┼─ 経済政策(貿易、金融、投資など)              
                            └─社会政策(人口移動、年金通算、環境規制など)  

 ここで生活というのは、大河内氏の晩年の理論の「働く生活」だけでなく、働かない生活も含め、最終的な目標となる生活プロセス(社会学でいうコンサマトリーな生活)を指す。生産としての労働は経済政策の対象でもあるが、生活としての労働は社会政策の対象である。

(争点2)政策主体は何か、その政策はどのようにして決定されるのか
 ここが本質論争の中心点の一つであった。

大河内理論=政策主体は国家、媒介者として社会運動、知識人など
 岸本英太郎など批判者=推進力としての社会運動

 評価
 政策決定の構造については、大河内理論も批判者達も大きな相違はない。
 違いは国家のイニシアティヴを大きくみるか、社会運動の圧力を大きくみるかの違いだけであった。社会改革の推進に関する意見の相違を反映しているのであり、理論的相違ではなかった。
 この問題の系論として、後に国家論の議論が盛んに行われるようになった。
 要するに、社会政策本質論争は、理論的にはマルクス経済学の中の論争にとどまり、社会運動との関連での意義は大きかったが、社会科学全体への波及はみられなかった。

2. 労働経済学への横滑り

 社会政策論の基礎理論として、労働経済学の研究を推進せよ、との提唱である。  マルクス経済学の裏返しとして、アメリカ労働経済学を導入せよと主張したことになった。アメリカ労働経済学は当時、制度派経済学(内部労働市場論はその最後の成果か)から新古典派へと移行しつつあり、日本では新古典派の影響が強くなった。
 政策効果の実証など、これまで日本にみられなかった視角を導入した点で大きな成果があった。しかし、日本ではアメリカほど政策情報へのアクセスが整備されておらず、政治家もあまり熱心でない。
 また、新古典派は市場経済重視であり、労働経済学は政策抜きの経済学になりがちだった。
 その結果、提唱者の考えとは裏腹に、政策論はむしろ、公共経済学において盛んとなり、社会政策学会においては、大きな理論的進展はみられなかった。


3. 現代的課題への示唆

  1.  国家の領域と民間(市場)との接合、競争、補完についての視点が欠けていた。
  2.  経済政策とは異なる社会政策の政策理念の確立−−新自由主義からの挑戦にどう答えるか。
  3.  政策科学のための技術論の進展を促進する。例えば、再分配政策の有効性についての論証、規制の経済的効果、市場と連動した国家政策のあり方、等々。
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転換期の社会政策学

                           武川正吾(東京大学)


はじめに
 私に与えられた課題は「『転換』期の社会政策学」ということであり、ここでいう転換期とは「ポスト高度成長期」のことだという。そして、この「ポスト高度成長期における労働と生活をめぐる新たな問題に対して、それまでの守備範囲を拡大しながら社会政策学が『再編』され始める様相を捉える」というのが、大会事務局からの要請である。
 そこでまず、高度成長の終焉から現在までの変化をどのようにとらえるか、ということから始め、次いで、日本の社会政策学がどのように再編成されたか、というよりは、どのように再編成されなければならなかったか、という点にふれたい(というのは社会政策学が十分に再編成されたと私には思われないからだ)。最後に、再編が不十分となった理由について考えたい。
 高度成長以降の「転換期」をあらかじめ特徴づけておくと、それは「福祉国家形成と福祉国家危機の同時進行」であり、この特徴は世紀末の現在にまで及んでいる、というのが私の基本的な時代認識である。

1973年の意味
 ポスト高度成長期が1973年に始まるという点については大方の合意が得られると思う。この年に第一次石油ショックが起こり、これをきっかけとして日本は翌74年度にマイナス成長を経験した。75年度にはプラスに転じたが、以後、かつてのような実質10%前後という高成長に復帰することはなかった。
 1973年は低成長時代の始まりという意味で記憶されるべきであるが、この年が日本における福祉国家形成の開始時期であったという点についても記憶されてしかるべきである。というのは、この年は、当時、「福祉元年」と呼ばれ、年金や医療をはじめとする社会保障給付の大幅改善があったからである。社会保障制度が国民全体に適用されたという意味では1960年前後の皆保険皆年金の意義が大きいが、社会支出のGDPに対する比率の大きさという点から言うと、1973年が日本における福祉国家形成の嚆矢である。しかも73年以降低成長が続いたにもかかわらず、政府は「福祉優先」の姿勢をある程度貫き、社会支出は順調に伸びていった。もっともこのことが80年代の財政危機の一因となる。
 ヨーロッパの福祉国家は第二次大戦直後に成立し、「戦後の黄金時代」と呼ばれる50年代60年代の経済的繁栄のなかで成長した。これに対して日本の福祉国家は、高齢化が遅れたことや、一人当たり国民所得が福祉国家形成に足る水準にまで達するのが遅れたことなどのため、欧州諸国から約30年のタイムラグを有して出発した。

1980年代の変化
 ところが皮肉なことに、日本が福祉国家化を開始した時期に、ヨーロッパでは福祉国家への合意が揺らぎ始めた。70年代後半には多くの国で「福祉反動」(welfare backlash)が見られ、80年代の初めには「福祉国家の危機」が叫ばれるようになった。わが国は福祉国家形成には30年近く遅れたが、この福祉国家危機には10年足らずで追いついてしまった。
 1980年代の初頭に始まった行財政改革は先進諸国に共通の「福祉国家の危機」の日本版であった。同じ頃に唱えられるようになった日本型福祉社会論は、通常は福祉国家の全面否定として受け取られている。しかし私には、それはむしろ日本型福祉国家のイデオロギーであったように思われる。つまり(1)相対的に低い国民負担率、(2)近代家族への過度の依存、(3)必要よりも労働や貢献の重視、などの点に特徴のある日本型福祉国家の追認であったように思われる。
 80年代初頭に始まった社会保障を含む行財政改革の結果、政府は社会支出の伸びを抑えることに成功した。これは70年代と80年代の社会保障給付費の対国民所得比を比べてみると歴然とする。しかし80年代を通じて、一方で老年人口比率は伸び続けたし、他方で女性の労働力率も上昇を続けていたから、この時期、必要な社会支出はむしろ拡大し続けていたと見るべきであろう。

1990年代の混迷
 社会支出の抑制策の結果、必要な社会支出と現実の社会支出の乖離は、80年代を通じて拡大した。このため矛盾は累積されたが、それは潜在化したままであった。ところが80年代末には、それまで潜在化していた矛盾が顕在化するようになった。とくに介護の問題では政府もその方針を転換せざるをえなくなった。こうした問題の顕在化にあたっては80年代後半の好況も有利に働いた。
 しかしまた90年代の景気後退のなかで、年金や医療に対する抑制策がさらに強化されるようになった。とはいっても80年代末に一度開けられたパンドラの箱を閉めることもできない。結局、ベクトルの異なる諸政策が並立している、というのが90年代の今日の姿であろう。

社会政策学の再編?
 以上のような転換期のなかで、社会政策学はその「守備範囲」を広げて一般化し、そうした一般化された社会政策学のなかで、それまでの社会政策学が伝統的に対象としてきた労働問題を位置づけるための努力をすべきであった。しかし、そうした再編が学会規模で起こるということはなかった。再編の努力が80年代以降間歇的に現れたが、それらは例外的であった。また大会報告で社会保障が次第に重視されるようになってきたが、それも依然として不十分だと言わざるをえない。
 このように社会政策学の再編が不十分にしか行なわれなかったのは、日本型福祉国家の(必要ではなくて)貢献や労働の重視という特徴と関連しているかもしれない。日本型福祉国家のこの特性は80年代以降も変化せず、それどころか日本社会は、この時期に会社主義や企業中心社会の性格をいっそう強めた。日本の社会政策学は、こうした福祉国家の亜種たる「労働国家」(workfare state)の形成にあたって、企業中心社会と共犯関係にあった、と言ったら言い過ぎだろうか。

福祉国家と福祉社会
 こうした共犯関係(?)は、社会政策学の福祉国家に対する無理解によるところが大きいと思われる。日本の社会政策学の歴史は百年であり、社会政策の歴史はそれより短いかもしれないが、それでも相当長期に及んでいる。この長い歴史のなかでフォード主義に対応した福祉国家の成立は決定的であり、それ以前とそれ以降では社会政策の性格は決定的に異なる。福祉国家の下では国民の生活の隅々にまで国家介入が及び,もはや労働は労働だけ切り離して論じることができなくなっている。しかし日本の社会政策学は,この点を十分に見てこなかったのではないだろうか。
 こうした福祉国家の無理解は福祉社会の無理解にもつながる。福祉社会論が登場したときに取られた社会政策学者の態度がそれを物語っている。福祉社会論ののなかに含まれた時代錯誤的な要素の批判に眼を奪われ,そこに含まれていた「福祉国家の限界の問題」を正当に評価しようとしなかった。しかし,この点は,福祉国家と密接な関連を持っていたフォード主義が変貌を遂げた現在,福祉国家あるいは社会政策の現在および未来のありようと大きく関わっている。この点を欠いて21世紀の社会政策を考えることはできないだろう。

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21世紀の社会関係と社会政策学

                           中西 洋(法政大学)


I 〈人の社会〉の科学史
 I-1 ヨーロッパ的な〈人〉の観念−−〈人と社会〉or 〈人〉と〈社会〉  

  1. 古代人と近代人…………………………………………〔ポリス的動物〕
  2. 近代人と現代人

I-2 〈人〉中心主義からの脱却−−〈人の社会〉と〈サルの社会〉  

  1. 霊長類の一種としてのヒト
  2. 〈人の社会〉の特性……………………………………〔〈支配=所有〉する動物〕
                           〔〈信約能力〉をもつ動物〕

II 人の〈社会組織〉と〈社会ルール〉
 II-1 〈社会組織〉の3層構造−−〈市場〉〈集団〉〈国家共同体〉
 II-2 〈社会ルール〉の3層構造−−〈法律〉〈道徳〉〈慣習〉or〈正義〉〈正→愛〉〈公正〉



III 近代社会から未来社会へ

 III-1 "近代"のラディカリズム
 

  1. "自由な人"と"意志する人"
  2. "自由な個人"の自己拘束−−〈主権国家〉と〈私的所有〉  
  3. 〈家族〉の"婚姻"への萎縮−−〈自由=独立人〉と〈家族〉


 III-2 "近未来"のイメージ
     
  1. 〈活動力所有〉の優先権−−私的所有の序列化  
  2. 〈遊び共同体〉の連邦的結合−−プルードン型とパスカル型  
  3. 〈友愛共生体〉としての家族の再建−−"共同"と"贈与"



 III-3 近隣共同体(ネイバーフッド)との棲み分け−−"自然"(ネイチュア)としての人

     
  1. "ほえる獣"との交際  
  2. "美しいもの"を見る楽しみ  



IV 〈価値〉の科学
IV-1 社会科学にとっての〈価値〉−−〈真・善・正〉と〈快・美・愛〉
IV-2 〈価値〉の探究
     −−ホッブス、アリストテレース、プラトン、トマス・アクイナス、孔子
     −−〈価値〉の総体系…………………………………… 〔〈神〉をもつ動物〕
IV-3 "信仰"と"思想"の不滅性
IV-4 "目的"の科学の必要性−−"政策学"の新地平



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労使関係論と社会政策

                            仁田道夫(東京大学)
1 はじめに
 社会問題と社会政策
 社会政策の視点


2 社会問題へのアプローチとしての社会政策と労使関係

      
  1. 社会改良主義としての社会政策   
  2. 制度・政策の失敗と新自由主義   
  3. 社会主義アプローチの解体

3 学問分野としての社会政策と労使関係研究の方法

  1. 労使関係論の方法   
  2. 歴史的接近と固有の労使関係   
  3. 労使関係の変動と戦略的選択   
  4. イデオロギーの役割  
  5. 全体社会との関わり


4 社会政策の諸課題と労使関係  

      
  1. 労働組合の制度政策闘争と労使関係   
  2. 労使関係政策をめぐる論点

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社会政策とジェンダー

                       竹中 恵美子(竜谷大学)

 21世紀を目前にした今、20世紀文明の象徴であった国民国家そのものの在り方が問い直されつつある。1970年代に始まった現代フェミニズムがつきつけた最大の問題も、自由と平等原理が結局は実質的に不平等を生み出してしまう近代市民社会そのものへの告発であったといえよう。
 国民国家そのものが、一見中立的な装いをしながら、その内在的論理において性差別を組み込んでいること、つまり国民国家の基礎単位となっている家族(近代家族)の家父長制的構造を析出するとともに、それと市場との内的関連構造を問い、その補強のための国家の役割の問い直しを迫るものであった。
 ところで市場の原理を解明する経済学は、資本主義経済の解剖をおこなったが、そのさいの経済を成り立たせている市民社会の全貌を解明するには至らなかった。むしろ市場以外の領域は、非市場として考察の外に追いやり、不問に付すか、軽視してきた。そしてペイド・ワークの対極にある膨大なアンペイド・ワークをもっぱら担う女性たちは、その非市場的位置づけのゆえに、大きな社会的役割を担いながらも無視されつづけてきた。その意味でフェミニズム・アプローチは、「市場」の経済学の理論的枠組みそのものへの挑戦として始まったといってよく、「市場」の経済学に代わって、「生産」と「(人間の)再生産」のトータルな経済学を提唱する点に特徴をもつている。
 まず現代フェミニズムによって、直接的影響を受けて来たマルクス経済学の分野では、70年代以降、資本主義経済の下での女性の抑圧の物質的基礎の解明にむけて、家族、市場(企業)、国家(福祉国家)へと、そのジェンダー構造の包括的な解明にむけて研究が進められてきている。
 しかしこうした動きは、マルクス学派に止まらない。同時に新古典派経済学の領域 でも、80年代後半から90年代にかけて、ジェンダー視点や、フェミニスト・アプローチによる新古典派経済学の理論や学説の再点検が始まっている。1990年には、新古典派、制度学派、ラジカル派、マルクス派、計量経済学派などの研究者が結集してフェミニスト・エコノミスト国際学会(International Association for Feminist Economics)が設立されており(93年より雑誌Feminist、Economicsが年3回で発刊)、共通の課題は、既存の諸学説の基礎にある仮説の概念(合理的経済人など)、方法論や解釈にみられるジェンダー・バイアスの検証におかれている。

 ではこうした研究動向が、社会政策論議に与えたインプリケーションは何か。それは大きく分けて三つに要約されよう。
 第1は、社会政策の守備範囲(政策領域)の拡大化である。これは日本の社会政策が労働政策に収斂させてきたことへの批判的視座を含むものであり、とくに労働政策と家族政策との連動の重要性を示唆している。
 第2は、社会政策において、「男女の厚生の同等化」を重視する視点であり、近代家族を強化させる社会政策に対する批判的視座である。
 第3は、ジェンダー・アプローチからみた社会政策の最大の問題が、ジェンダー・ニュートラルな社会システムの形成にあること、したがって経済活動におけるペイド・ワークとアンペイド・ワークの構造を析出し、そこに存在する性別偏りをフェアーに構造調整するための政策が、重要な鍵となるとする視点である。
 とりわけ日本にとっては、高齢・少子社会と経済サービス化の一層進展する中で、20世紀型労働者の標準モデル(「家族を従者として従えた成年男子労働者」)が標準としての位置づけを失い、“効率と公平の双子の目標”を追求せざるを得ないだけに、ジェンダー・ニュートラルな社会システムの構築は不可欠な課題である。
 そこで本報告では、21世紀にむけてのジェンダー視角からみた社会政策課題を明らかにするため、国連が各国にむけて開発を要請しているアンペイド・ワークの経済的評価の議論を中心に据え、とくに日本の「無償労働の貨幣的評価」(1997・5経企庁報告)の意義と問題点をとりあげる。つづいてEU、ならびにオランダの事例を参照しながら、いかにジェンダーに偏った社会政策から離脱して、ジェンダー・ニュートラルな社会システムに向けてシフトして行くか、当面する日本の社会政策の課題について、私見を述べたいと思う。

 報告は、以下の順序で行うこととしたい。
【目次】 I 現代フェニミズムとジェンダー・アプローチ

  1. メイン・ストリームの経済学・社会政策への挑戦
    • 「生産」と「再生産」のトータルな経済学の提唱
    • 家族、市場(企業)、国家のジェンダー分析 
  2. 社会政策論議に与えたインプリケーション
    • 社会政策の守備範囲(政策領域)の拡大化
    • 男女の厚生の同等化と近代家族の批判的検討
    • ペイド・ワークとアンペイド・ワークのジェンダー構造の批判的検討

II ジェンダー・ニュートラルな社会システムを求めて−−その社会政策的課題−−

  1. 時代認識−公平と効率(社会的効率)の双子の目標
    • 背景−人口構造の変化( 合計特殊出生率の低下、高齢社会への移行、経済サービス化と雇用の女性化)−標準的労働者モデルの変化
    • ジェンダー再構成からみた二つの経済パフォーマンス・モデルとその選択
      • a)stakeholderビジョン
      • b) deregulationビジョン
  2. 21世紀への戦略−アンペイド・ワークの社会・経済的評価とその政策への具   体化
    • アンペイド・ワークの経済的評価の意義とその目的
    • EU、女性の権利委員会「女性の非賃金労働(=無償労働)の評価に       関する報告」(1993年)、ならびにオランダ政府委員会報告「アンペイド・ワークの再配分にむけてのシナリオ」
III 日本のジェンダー視点からみた社会政策の今日的課題
  1. 日本における「無償労働の貨幣的評価」(1997年)の意義と問題点  
  2. とくに二つの論争点をめぐって                        
    • 政策単位は 家族単位か個人単位か
    • コンパラブル・ワース(Equal Pay for Work of Comparable Worth)の日本への適用をめぐって
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高齢社会と社会政策−−社会保障・社会福祉を中心に

三浦 文夫(社会事業大学)

はじめに
 21世紀社会を特徴づけるものとして高齢社会を捉え、1970年から今日までの高齢化の歩みとそのなかでの社会政策(とくに社会保障・社会福祉政策)を総括し、今後の高齢化とそれに対応する社会政策の課題をとくに社会保障・社会福祉政策の観点から問題提起的に論ずることにしたい。

1. 高齢化社会、高齢社会を捉える視点
 高齢化とは人口転換(人口動態革命)によって、人口(年齢)構造における高齢人口の割合が高まる状態をいい、高齢化社会とは高齢化が進行する状態にある社会を意味し、高齢社会とはこの高齢化がある一定の水準でほぼ安定する状態の社会とされてきた。しかし、最近では高齢化率が14〜15%前後の水準を越える社会を高齢社会といったりし、人口学的に必ずしも明確な定義はなされていない。
 人口の高齢化は経済・社会の発展(産業化)の予期せざる結果として現れるが、高齢化が一定の水準に達すると、それは国民生活だけでなく、経済・社会の在り様に影響していく。その意味で高齢化は社会政策に深い関わりをもつことになる。


2. 高齢化に関するいくつかの特徴

  1. 世界における日本の高齢化の特徴(表1及び表2参照)
    • 2005年以降の日本の高齢化率は世界でトップ
    • 高齢化の速度がとくに早い

  2. 1970年から現在までの高齢化の特徴(表3参照)
    • 生産年齢人口比率がもっとも高い時期における高齢化の進展−−従属人口指数のもっとも低い時期における高齢化
    • 高齢化率は欧米先進国に追いつく時期

  3. 今後の高齢化の特徴
    • 高齢化のテンポはより速まる(高齢化倍加年数=表2参照)
    • 高齢化水準(表3参考)
    • 少子・高齢化傾向の一層の進展(老年化指数)
    • 長命革命の進行と80歳以上人口の激増
    • 地域別高齢化の推移
    • 高齢化と家族(世帯)構想の変化
    • その他


3. これまでの高齢化社会における社会保障

(1) 高齢化との関わりでの各種審議会での答申・建議等と政策展開

  1.  1968年 『深刻化するこれからの老人問題』(国民生活審議会・老人問題小委員会)
  2.  1970年 『老人問題に関する総合的諸施策について』(中央社会福祉審議会)
  3.  1973年 老人医療費支給制度。5万円年金、健康保険家族給付率7割へ等
  4.  1974年 『今後の老人対策についての提言』(老人問題懇談会)
  5.  1975年 『今後の社会保障のあり方について』(社会保障長期計画懇談会)
     同 年 『今後の老齢化社会に対応すべき社会保障のあり方について』(社会保障制度審議会)
    • 人口高齢化に伴う労働力人口の中高年齢化および高年齢・高齢者の雇用問題
    • 年金受給者の増加と年金の成熟化による年金給付の増大
    • 高齢化に伴う有病率、受療率の増加と医療保険(財政)及び医療システムの問題
    • 要介護老人の増加とそれへの対応
    • 家族及び地域社会の変動による老人疎外への対応や過疎地域での老人対策等
  6.  1973年以降の年金改革をめぐる論議と77年の社会保障制度審議会の『皆年金下の新年金体系』および79年『高齢者就業と社会保障年金』の建議→85年の新国民年金法へ
  7.  1982年 老人保健法、84年退職者医療制度、1986年の老人保険法改正
  8.  1985年 『老人福祉のあり方について』(社会保障制度審議会、建議)    同 年 長寿社会対策大綱
  9.  1988年 『福祉ビジョン』(厚生省・大蔵省)、『長寿・福祉社会を実現するための施策の基本的考え方と目標』(厚生省・労働省)→高齢者保健福祉推進10カ年戦略(ゴールドプラン)
  10.  1989年 『今後の社会福祉のあり方について』(福祉関係3審議会合同企画委員会)
  11.  1990年 福祉関係8法改正
  12.  1995年 『社会保障体制の再構築について』(社会保障制度審議会、勧告)
  13.  1997年 社会保障の構造改革の動き


(2) これまでの高齢化社会と社会保障政策の総括(表4参照)
  1.  70年代中頃までの高齢化対策=老人対策……diswelfare としての老人問題の認識と高度経済成長下での対応
  2.  70年代以降は高齢化の進展に伴う社会保障需要の増大と低成長、財政逼迫下での対策(福祉見直しと臨調・行政改革進行のもとでの社会保障政策の再検討)
  3.  高齢化の進展と行財政構造のなかでの社会保障制度の再構築の動き→社会保障のトリレンマ(高齢化に伴う社会保障需要の増大、約500兆近くの公共部門と低成長)=社会保障の給付と負担、社会保障の給付構造(年金5、医療4、福祉その他1)のアンバランス
    (とくに福祉分野への給付・財源配分の必要)



4. 高齢社会における社会保障、とくに社会福祉のあり方

(1) 今後の高齢化の進展と社会保障

  1.  今後の高齢化と高齢社会の特徴
    • 少子傾向の進展(合計特殊出生率=中位仮定、1995年1.42、2000年1.32、20005年1.43、2010年1.50、2020年1.59、2025年1.61)
    • 総人口は2007年の12778万人をピークに減少→2050年10050万人、生産年齢人口は1995年の8726人から減少しはじめ、2010年に8119万人→2020年5490万人
    • 従属人口指数の激増(表3参照)……2020年には1930年、40年と同じ高さになる(ゼレンカ・ラロック係数でみると従属人口の負担は100以上)→老年(従属)人口指数の増加
  2.  少子化の影響→生産年齢人口とくに若年労働力の減少、社会保障負担への影響等
  3.  社会保障と経済・財政との調和を如何に図るか
    • 社会保障の経済に与えるプラス効果とマイナス効果(『社会保障体制の再構築』「経済構造の変革と創造のためのプログラム」、1996年閣議決定等参考)
  4.  社会保障の構造改革の道筋
    •  1996年 介護保険法案国会提出
    •  1997年 児童福祉法改正
    •  同 年 医療保険・老人保健制度改正案国会提出予定
    •  同 年 年金制度改革の検討開始
    •  同 年 医療制度の抜本改正案のとりまとめ
    •  1998年 医療制度の改革の順次実施予定
    •  1999年 年金制度の改正
    •  2000年 介護保険の実施


(2) 社会福祉の展開

  1.  社会保障給付構造の是正と「福祉その他」のシェア拡大の必要
  2.  福祉8法改正にみる「福祉制度改革」の考え方と残された課題
    • 福祉の一般化、普遍化……生活保護事業の温存
    • 在宅福祉を軸とする地域福祉の推進
    • 市町村中心の実施体制(分権化)……児童養護、精神薄弱者福祉、母子・寡婦福祉及び生活保護行政
    • 保健・医療その他関連施策との連携と総合化
    • 福祉サービス供給システムの多元化
    • 計画的行政の推進……ゴールドプラン、障害者プラン、エンゼル・プラン等
    • その他
  3.  1990年以降の動向
    •  91年 老人福祉法改正(訪問看護制度の創設等)
    •  92年 福祉人材確保法、看護婦等人材確保法、医療法改正(療養型病床群)
    •  94年 「21世紀福祉ビジョン」、高齢者介護・自立支援システム研究会報告
    •  同年 新ゴールドプラン
    •  95年 社会保障制度審議会の勧告
    •  96年 6月介護保険制度大綱、9月介護保険法案の修正、11月国会提出
    •  97年 5月衆院において介護保険関連3法案可決、参院で継続審議
    •  同年 障害者保健福祉関係合同企画分科会での総合的障害者保健福祉のあり方についての審議開始
    •  同年 児童福祉法改正
  4.  介護保険と社会福祉
    介護保険の創設は介護を医療から切り離すことによって、医療制度の改革に連なるだけでなく、社会福祉にも種々の影響を与えることが予想される。
    • 被保険者 第1号被保険者、第2号被保険者(低所得および医療保険非加入者の取扱い→介護扶助の適用)
    • 要介護認定(要介護者、要支援者)と非認定者の取扱い
    • 保険給付 在宅サービス(12種類)、施設サービス
    • 利用者負担 1割、食費
    • 保険料 第1号被保険者(所得段階に応じた定額保険料)、第2号被保険者(医療保険からの徴収)
    • 公費負担 給付費の2分の1、その他事務費、財政安定資金、保険料格差是正、(総給付費の5%)のための費用
    • 2000年施行、ただし見直し規定がある

福祉への影響
 5. 分権化と社会福祉
 このような高齢社会に対応する社会保障、社会福祉の構造改革の動向のなかで、とくに介護サービスを含む社会福祉の展開にとって重要な課題となるのが分権化との関わりである。年金、医療保障の仕組み等は全国一律に普遍的に構築されるのに対して、地域によって大きく異なる国民生活とそれに基づく福祉ニーズへの対応は、住民のもっとも身近な市町村においてなされることが望ましいからである。この分権化は国の権限や財源の地方への委譲、再配分と規制緩和が中心となるが、同時に介護を含む社会福祉サービスの実施責任をもつ市町村が主体性をもった行財政能力をのつことが肝要である。このための市町村の自主的な努力と同時に、必要に応じて市町村を支援し、市町村で果たし得ないサービス等については広域的な対応および都道府県の支援が必要となる。その意味で分権推進委員会の勧告とその実現は社会福祉行政にとっても重要な課題となっていく。
 それと同時に分権化は究極的には住民自治の確立につながるものであることを看過するわけにはいかない。もともと分権化は主権者としての国民(住民)の行政ニーズに如何に的確に対応するかという観点から、行政の合理化、効率化を図るための手段であるとすると、その原点はまさに住民主体の行政=住民自治を目指すものということができる。それを社会福祉の観点からいえば、住民本位(利用者本位)の福祉サービスの構築ということになる。そのために、行政レベルでいえば、福祉計画や政策策定、運営、サービス評価への住民(利用者)参画・参加を促進する機会と方式を開発する課題の提起とともに、必要に応じて直接にサービス推進への参加、協働が必要となる。
 また現物サービスを中心とする介護サービスを含む福祉サービスにとって、公平かつ平等を建て前とした標準的な行政サービスに加えて、多様な民間サービスの参入による福祉ミックスの形成と制度化されたサービスの仕組み(フォーマル・サービス)と並んで、家族、近隣、ボランティア等のインフォーマル・サービスのネットワークが必要となってきている。その意味で従来型の行政主体の福祉システムではなく、多元的なサービス供給システムと同時に、フォーマル、インフォーマルな重層化されたネットワークの形成が求められる。そしてこのネットワークは可能なかぎり利用者の身近な生活の場において形成されることが求められ、市町村の行政範囲から日常生活の場としての小地域(コミュニティ)における介護等を支える協働システムの構築が新しい課題となっていく。最近、「第三の分権化」を軸にパートナーシップがキーワードとなっているのはそのためである。超高齢社会への対応の一つの視点として重視しておきたい。


むすび
 かつてパッカードは高齢化は静かなる革命といったことがあるが、まさに21世紀に予想される高齢社会は、わが国の社会保障の構造改革を不可避的なものとする。とくに社会福祉にとっては、従来の立ち後れを克服するとともに、少子・高齢化の進展のなかでこれまで以上に増大し多様化する福祉ニーズに対応できる仕組みを構築することが緊急の課題となってきている。この報告ではとくに介護保険および分権化の動向との関連で考慮すべきいくつかの課題を提起したが、このほか改めて社会福祉事業法の改正とともに、生活保護を含む福祉各法の改正問題が今後の課題になることは避けられないであろう。これらについてはべつの機会に論じられなければならない。



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