テーマ別分科会1 戦後日本労使関係史像─近年の成果をめぐって
設定の趣旨
座長 佐口和郎(東京大学)
近年戦後日本の労使関係史を総括するような成果がいくつか出されてきている。このことは現在日本の労使関係が大転換の時期を迎えているという認識と無縁ではないだろう。そしてそれは「労働組合運動の危機」という認識のもとで重ねられた80年代前半の成果(清水慎三編『戦後労働組合運動史論』82年、社会政策学会共通論題「先進国における労働運動」84年等)とも性格を異にしている。80年代後半の日本労使関係の特質の究明というアプローチ(社会政策学会共通論題「日本労使関係の特質」86年参照)のみならず、この領域への他分野からのアプローチが進展してきていることにも注意をはらうべきだろう。その意味では、旧来の労使関係(史)研究の方法上の有効性が問われてきているともいいかえられるだろう。
本分科会はこうした状況認識を前提に、経営史・社会福祉史・外国研究という観点から近年の日本労使関係史を扱った成果に検討を加えることを目的に設定された。すでに書評・合評会等により労使関係論プロパーの側からの検討は進んでいるが、本分科会ではあえていわゆる「外部評価」という方法を採った。他の分野から積極的に日本の労使関係史研究の問題点の指摘を受け討論していくことが、方法上の問題をより明確化し、さらには豊かな戦後史像を共同して作り上げることもつながると考えられるからである。こうした趣旨での分科会は初めての経験ではあるが、報告者には簡潔に問題提起をしていただき、フロアからの発言も重視しながら議論を進めていきたい。
テーマ別分科会1 戦後日本労使関係史像 報告1
経営史研究と労働史研究──戦後の日本を対象として
橘川武郎(東京大学)
1 はじめにー戦後日本経営史研究にとっての労働史研究の重要性
2 研究の焦点
3 労働史研究への若干のコメント
4 いくつかのメッセージ
5 おわりに1 はじめに
ここでは、本報告の課題を明らかにするとともに、第2次世界大戦後の日本を対象とする経営史研究を深化させるうえで、労働史研究の成果を採り入れることが戦略的な重要性をもつ点を明確にする。本報告の課題は、戦後の日本を対象にして、経営史研究者の立場から労働史研究の最近の動向について若干のコメントを申し述べ、今後の研究方向に関していくつかのメッセージを送る異にある。経営史研究にとって労働史研究が戦略的重要性をもつのは、@労使関係の等閑視が、A.Dチャンドラー以来の伝統的な経営史研究の最大の難点であること、およびA日本経営史研究の焦点は日本型企業システムの史的展開の解明にあり、日本型企業システムのコアに位置するサブシステムは労使関係であること、による。2 研究の焦点
ここでは、日本型企業システムのコアに位置するサブシステムとしての日本型労使関係を論じる際の、議論の焦点を明らかにする。現在、経営史や経済史の分野では日本型労使関係の形成時期をめぐって様々な見解が並立しているが、このような状況が生まれたのは、議論の目的と判断の基準が不明確だからである。経営史研究の観点に立つと、議論の目的は、日本型労使関係の形成と戦後日本経済の相対的高成長との関連を解明することにおかざるをえない。このように目的を設定すると、日本型労使関係の形成時期をめぐる判断の基準は、いわゆる「三種の神器」がビルトインされたのはいつかという点ではなく、協調的な労使関係の成立をふまえて、生産現場で日本の労働者が、効率的な生産管理や厳格な品質管理に積極的に関与するようになったのはいつか、という点に求めるべきだということになる。報告者は、議論の焦点を上記のように絞り込めば、1960年代前半の変化にこそ注目すべきだと考えている。3 労働史研究への若干のコメント
ここでは、経営史研究の立場から、せんごの日本を対象にした労働史研究の最近の成果について、若干のコメントを申し述べる。2での検討をうまえて、中心的にコメントを加えるのは、1960年代における「能力主義」の受容をめぐる議論に対して、ということになる。4 いくつかのメッセージ
ここでは、3でのコメントを敷延して、今後の研究方向に関して、経営史研究者の立場から、労働史研究者へ向けていくつかのメッセージを送る。今のところ、メッセージの内容は、@企業間競争の視点を導入することの重要性(産業間格差や同一産業内企業間格差の解明を可能にするとともに、なぜ1960年代前半に変化が生じたのかを解く手がかりを与える)、およびA日本の「経営者像」(@大企業における内部昇進の専門経営者、A中小企業を大企業に成長させたオーナー経営者、B中小企業におけるオーナー経営者、の3類型に注目すべき)と「労働者像」との対応関係を明確にすることの必要性、の2点が中心になるものと思われる。5 おわりに
ここでは、経営史研究と労働史研究とのインタラクションが、今後、いっそう重要な意味をもつことを強調する。
報告者の関連業績
1 「『会社主義をめぐって』ー『現代日本社会5 構造』の序論および第1章−5章についてのコメント」東京大学『社会科学研究』第44巻第3号、1992年。2 『日本経営史』有斐閣、1995年。宮本又郎・阿部武司・宇田川勝・沢井実との共著(関連部分は、橘川が執筆した第5章「戦後の経済成長と日本型企業経営」)
3 「日本の企業システムと高度成長」橋本寿朗編『20世紀資本主義T 技術革新と生産システム』第5章 東京大学出版会 1995年。
4「戦後日本の経済成長と経営者企業論の有効性」東京大学『社会科学研究』第47巻第4号、1995年。
5 「戦後日本経営史研究の新視覚ー1960年代前半の画期性」『経営史学』第32巻第2号、l997年。
テーマ別分科会1 戦後日本労使関係史像 報告2
社会福祉史研究からみた戦後労働問題研究菅沼 隆(立教大学)
ここでは戦後の労働問題研究と社会福祉研究を比較して、両者の特徴―違い―を描いてみたい。そこから浮かび上がってくる共通する部分にも触れてみたい。対象としての階層
社会階層を乱暴に3等分して、上層、中間層、下層に区分すると、戦後の労働問題研究は、主として中間層に焦点を当ててきた。社会福祉がもっぱら下層の中の更に下層部分に注目したことと対照をなしている。このような研究対象の分離がいつ頃、どのような経緯で行われたのかは、興味深い。分離の画期をなすものは、占領終結間もない1950年代前半のことであったように思われる。1953年の孝橋正一『社会事業の基本問題』は当時の社会政策論の「言葉」を使わざるを得なかったが、社会福祉を労働問題(社会政策学)から自立した独自の領域として設定せしめたいという願望に満ちていた。1956年の岡村重夫『社会福祉学総論』は、経済学等社会科学の主流を等閑に付して社会福祉学を確立しようと意図した点で、よりラディカルであった。他方、労働問題研究も1950年代前半に政策学から脱皮していった。すなわち、この時以後、社会福祉研究と労働問題研究は相互に国境を接する外国人として、相互不可侵の平和的共存状態にあった。1990年代末の現在までこの構図は基本的に変わっていない。1960年以降も労働問題研究者は、労働者を下層に位置づけたいという願望が強かったと思われる。だが、事実の問題として組織された労働者は、決して弱体ではなかったし、下層でもなかった。(もちろん中間層の内部が同質的だとか、地位が安定的だとかいう積もりは私にはない。)そして、多くの場合、労働者も労働問題研究者も一般的な福祉充実への関心は希薄であった。他方、社会福祉研究者は、福祉充実の起動力として労働者に期待することはあったが、しばしば期待外れに終わった。労働組合が福祉充実の戦闘部隊になりえない点については、労働問題研究者も社会福祉研究者も労働者が抑圧されていて「真の力」を発揮し得ないのだと見なした点で一致していた。
1960年代後半以後、いわゆる能力主義管理をめぐって戦後生まれの労働者に対して「私生活型合理主義」という性格付けがなされたが、そのような労働者が階層的にどのように位置づけられるのかは不分明であった。福祉研究者は「豊かな社会」の到来と「「中流」意識」の拡延を認めつつ、「新しい貧困」を注視した。「福祉ニーズの多様化」「「相対」的貧困」といったタームで、中間層の生活問題に注目するにいたった。この点は社会福祉研究にとって大いなる飛躍であった。だが、既存の福祉諸制度の認定基準の拡大という量的拡充に主たる関心があった。そこでは新しい貧困も貧困であることには変わりはないのであるから、既存の貧困政策に包括すべきだという姿勢であった。
1980年代は、労働と福祉の両方において混迷の時代を迎えた。労働問題研究が1980年代にほとんど何の摩擦もなくホワイトカラーを研究対象に包含し得たことは、中間層と上層との境界が不明確となったことを象徴しており、下層を研究対象としてきたと自己認知してきた伝統的な労働問題研究の動揺を示すものであった。
一方、同時期の社会福祉研究は中間層の福祉ニーズの充足問題という新たな課題が提起され、混迷した。「受益者負担論議」もこれが背景にあり、社会福祉理論の再編成に迫られた。
主体、変革主体
労働問題研究が、〈主体性〉という言葉に込める意味は生産力からみた「経済復興の主体」であったり、政治力からみた「民主主義の担い手」「社会主義革命の中心部隊」などであった。特に〈変革主体〉ということになると、これは民主主義革命または社会主義革命の担い手という意味で使用されていた。ただし、研究者が使用する主体性とは「主体形成」という言葉にみられるごとく、未だ実現されていない理想的な労働者のありようとしてイメージされることが多かった。理想的な主体像からみると現実の日本においては主体は未形成であると観念されていた。その根拠は、企業別組合の存在および日本の労働者特有の階層的上昇志向に求めている。社会福祉研究における主体とは、行政機構と区別されるという意味でのいわゆる住民のレベルで想定されるものであった。労働よりも生活に重点を置いていた。そこでは自治意識・参加意識や福祉意識・権利意識の高い住民の増大が望ましいとされた。だが、現実の「主体」のあり様は意識が低く、理想からはほど遠い段階にとどまっていると見なされている。そこには戦前以来の伝統的な価値規範が戦後も生き残り続けていることをどのように捉えるのかが研究の課題であり続けてきた。また、社会主義の担い手としての住民という位置づけも皆無ではなかったが、実際の住民が〈体制問題〉を議論した例は少なかった。実現されていない理想としての「主体」を追い求めるという点では福祉研究も労働問題研究と同様であった。ここには戦後においても近代化しえない日本人の伝統的特質が残存している点では両研究は共通の認識を示している。
1990年代に入って、労働と福祉の主体像のギャップは広がったように思われる。社会主義体制の崩壊により、労働問題研究はあるべき主体のイメージが描きにくくなった。これに対し、社会福祉研究は〈生活〉という日常性に焦点をあてることにより参加型住民像を強く押し出すことで再生をはかった。ただし、〈少子・高齢化〉の進展のもと対象も下層から国民全体へと急激に拡張しているので、かつての主体とは内容が大きく異なり、理論の再編成を迫られているし、伝統的な価値規範が残存し主体が成熟し得ないという思いはある。とはいえ、主体の混迷は労働問題研究において甚だしいように思われる。
自由と平等
自由と平等に関して両研究の懸隔は大きい。労働問題研究の場合、自由は組織の自由(組合活動の自由など)に重点が置かれたが、集団的労使関係の枠組みが個人の取引契約の自由を拘束するものであったため、自由についての論及は極めて限定された。一方、平等に対する労働問題研究者の評価は分裂している。多くの研究は戦後日本の労働者が平等主義的価値観を抱いた事実を確認しているが、決して肯定的ではない。職工混合組合論などに見られる肯定的な評価と同時に上昇主義的な平等主義には否定的な評価を下す論者もいる。本報告が念頭においている研究も多かれ少なかれ平等主義の弊害を指摘している。社会福祉研究においても自由の取り扱いは慎重であった。経済的自由に関しては否定も肯定もせず、黙認したというのが事実であった。福祉研究では個人の内面の自由を尊重したといってよい(人間の尊厳という言葉がしばしば使用された)。これに対して平等は最も重要な価値とされたが、その平等の内実は「無差別平等」といった恣意性を排除し客観的なルールを厳格に適用するといった意味で使用されるか、すべての国民の結果の平等を要求するような普遍的で一般的な平等を掲げるか、という素朴な平等論が一般的であった。だが、平等を橋頭堡にして社会福祉を位置づけようとする姿勢は今日まで一貫している。平等を重視する福祉研究者にとって労働組合の利己主義的な行動は場合により平等主義に抵触するものとして嫌悪されてきた。
まとめ
福祉国家と労働組合がアプリオリに親和的な関係を取り結ぶことができない点については1970年代後半に早くも栗田健氏が警鐘を鳴らしていた。この報告でもこの点を追認せざるを得なかった。この報告では主として労働問題研究と社会福祉研究の異質性を摘出せざるを得なかった。おそらくその異質性は、労働者/組合が全体社会の福祉にとってどのような意味を有するのか、という問題を労働問題研究者に突きつけているのではないだろうか。
だが、同時に共通性もあるように思われる。それは戦前以来の伝統的な価値規範・行動様式が、生き残り続けているのではないか、という思いである。ただし、社会福祉研究においては、やや楽観的に伝統的価値観を克服することが語られることが多かった。これに対し、伝統的価値観をどのように受け止めるのかについて労働問題研究者の間の振幅は無視できないほど大きいように思われる。
関連業績
論文
「米国対日救済福祉政策の形成過程」、「SCAPIN七七五「社会救済」の発令」「生活保護法(旧法)の形成過程」、『社会科学研究』第45巻2号、3号、第45巻5号(三部作)、1993−4年。
「占領期の民生委員と地方軍政部―無差別平等の名誉職裁量体制の運命」『社会事業史研究』第24号、1996年。
「英国における福祉専門職の現状−DipSWの養成と機能」、長寿社会開発センター『高齢社会における社会保障体制の再構築に関する理論研究事業の調査研究報告書〈第2部会〉』1997年。
翻訳と解説
トシオ・タタラ『占領期の福祉改革』、筒井書房、1997年(古川孝順氏と共訳)。
『GHQ日本占領史 第23巻 社会福祉』、日本図書センター、1998年。
テーマ別分科会1 戦後日本労使関係史像 報告2
近年の労使関係研究が見落としたもの─イタリア労働組合運動史の観点から
斉藤隆夫(群馬大学)
はしがき
私に日本労使関係研究の諸著を全体的に評価する能力はない。従って、以下に挙げる諸著について、イタリア労働組合運動史の史実をベースとしながら、二、三の問題点ないし感想を述べて責任を果たしたい。
栗田健『日本の労働社会』(東大出版会、1994年――以下、栗田と略)
兵藤 サ『労働の戦後史(上)(下)』(東大出版会、1997年――以下、兵藤と略)
熊沢誠『新編、日本の労働者像』(ちくま学芸文庫、1993年――以下、熊沢1と略)
同 上『能力主義と企業社会』(岩波新書、1997年――以下、熊沢2と略)
下山房雄『現代世界と労働運動』(御茶ノ水書房、1997年――以下、下山と略) (敬称を略させていただきます)
T. 論点1 労働者の能力主義競争「受容」の契機について
1.栗田においては、日本の近代化過程で形成された労働者の価値観・行動様式に求められる。
「組織志向型の価値観と行動様式は、長い労使関係の歴史を貫いて伏流永のように受け継がれ、ふたたび規範としての位置を占めるに至ったのである」(P.190)
従って、戦後日本の労働組合史において労働者間競争規制の試みと考えられる諸事例は労働者の価値観・行動様式にそぐわない組合政策とされる。
「総評の労働組合運動が、労働者社会を階級としての連帯に置き換えようとして、ついにそれを実らせることができなかったのは、(中略)労働者の選択の結果であった ](p.190)
2.熊沢においては、労働者間競争規制の試み、ひいては職場社会の企業からの自立の可能性は否定されていない。
「三井三池の坑夫たちは採炭職務の輪番制と合建廃止、作業ノルマの競争制限〔中略)などをとおして、右の構想(職場社会の企業からの自立―引用者うの少なくとも一部分は達成したのだ。定着しうる職場集団に属しているゆえにこそ労働者がなかまとともに企業から自立をとげる、その関係の獲得に鉄鋼労働者が挑む―――私たちはこの時期がはらんでいたそのような一るの可能性を否定することはできないのである」(熊沢1、p.211)
しかし、この可能性が結局は実現されなかった理由は、労働者による戦後民主主義受容の在り方に求められている。
「60年代にいたる頃の日本の労働者の考えかたのなかには、まさに戦後民主主義が、すぐれて個人の能力を発揮できる競争の機会を公平にする考えかたとして定着しつつあったのだ。戦後の展開期以降に、労働そのものとなかま同士の関係のありかたに組合主義が浸透しえなくなつだのは、戦後民主主義というもののこのような受容のしかたのためではないだろうか」(同上、p.104)
だが、私見では、50年代の日本において働きかたや賃金をめぐる労働者間競争規制の試みがささやかであれ可能であったのは、アメリカ型大量生産技術やテイラー主義労 務管理導入以前の旧型職場社会においてであって、それが解体していく状況のもとでは、新しい状況にそった組合政策が必要であった。イタリアの経験はそのことを示していると思われる。そこで、私としては、この時期にイタリア労働組合が打ち出し、その後の運動昂揚を可能にした組合政策を紹介したい。そのうえで、当時、日本で打われた組合政策の問題点を考えてみたい。
3.イタリアの経験
4.兵藤にあっては、能力主義競争「受容」につながる職務給導入の契機は術革新にともなう技能の変化のもたらすインパクトに求められている。
「62春闘に際し、八幡製鉄が職務給導入に踏み切り、賃金カ←ブの傾斜を緩める措置をとったのは若い作業員のこういう不満を解消しようという考えにもとづくものであった。」(P.166)
ただ、後の能力主義管理の導入については次のような叙述がある。
「この間、労働組合が春闘における要求方式として一律プラス・アルファ方式を採用し配分規制を進めたことや、さらに進んでは、人事考課の運用過程に関与し、査定幅の拡大阻止を試みる組合も現れたために、定期昇給即人事考課昇給という企業側のねらいが十分には実現されなかった](P.177)
5.下山においては「労働組合固有の領域での要求連動(中略)という形での労働者の自主性が弱まったのは、労働者のまったく自主的な選択の結果なのであろうか。そうではない。(中略)企業の生産性向上に協力する局面に自主性が特化したのは、1960年代の労務管理による誘導である」(p.48)とされる。
そして、組合政策としては次のように述べられている。
「路線としては.――(1)技術導入に対するに、反「合理化』の観点だけでよかったか。(2)職務給・職能給導入に対ずるに、一律賃上げだけでよかったか。暗黙裡に全職種一本の年令別賃金体系がよしとされたことで、かえって能力主義管理に対抗できなくなったことはないのか。」(p.190)
U.論点2 不安定雇用拡大下の労使関係の展望について
従来、不安定雇用の問題は労働問題としては扱われても、労使関係論の分野ではあまり論じられることのない問題であった。だが、パートタイム労働者や派遣労働者の拡大の下、さらには、日経連『新時代の「日本的経営]』に描かれるような資本の雇用戦略が浮上するなかで、大企業本工・正社員を対象とした労使関係像は日本の労使関係を理解するための典型としての意味を益々小さくしていくのではなかろうか。
1.栗田は「仕事の選択をより個人的な適性や目標に基づくものとする可能性」がうまれ、「これまで労働者の組織志向的な行動様式に対応する労務管理が行われてきた領域で、変 化(雇用形態多様化―引用者)が集中的に進行していることは、その結果が労働者の無権利状態を生み出すことにおわるおそれが充分にある」としつつも、それに対抗する動きがどのような形でどこから発生しうるかについてはふれていない。
2.兵藤は「80年代半ば頃から労働組合のなかにユニオン・アイデンティティの再構築 ―いわば新しい労働組合像を模索しようとする動きが現れてきた」としつつ、具体的には商業労連やJC・電機連合などの動きのなかに、企業社会そのものの変革にチャレンジしようとする息吹を感じとっている。
3.下山は「賃金・労働条件の相対的に有利な『長期型』雇用部分をできるだけ維持・拡大する戦略は有意義である」としつつも、「この型の労働が要求する時間・強度・責任度などに対応できない労働者が存在するということもある」故に、「不安定就労型の部分の組織化と最低賃金制による賃上げ戦略を柱にせねばならない 」としている。
4.熊沢2は労働者をA,B,Cの三グループに分けつつそれぞれの特性におうじた組織 化の方向を提起している。すなわち、Aグループ(長期蓄積能力活用型)、Bグループ (高度専門能力活用型)、Cグループ(雇用柔軟型)おのおのの労働と二―ズの特性を考慮した要求政策と組織化方針を提起しているのである。イタリア労働組合の現状から見て、最も親近感を感ずる発想である。
5.イタリアの経験
以上
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報告関連業績リスト 群馬大学 斎藤隆夫
「労働組合史論の課題と方法」『群馬大学教養部紀要』第27巻
「労働組合運動の団結構造―――イタリアの協約権分節化を中心に―」『賃金と社会保障』、810,811号
「個別企業にみる"暑い秋"」『経済学研究』(北大)、33巻1号
テーマ別分科会2 福祉国家とジェンダー
企画要旨
座長 木本喜美子(一橋大)
福祉国家とジェンダー・イッシューズのかかわりを問うというテーマは,社会科学的なジェンダー研究にとって不可欠なものとして注目されつつある。福祉国家がジェンダー・イデオロギーや家族イデオロギーを埋め込んだかたちで形成され,雇用労働のジェンダー間分割はもとよりアンペイド・ワークの配分にも決定的な影響を与えているからである。欧米では1970年代半ばから福祉国家のタイポロジーに関する研究が蓄積されてきているが,ジェンダー視角を焦点に据えた福祉国家研究(gender-ing welfare states)がひとつの潮流をつくってきている。だが日本では,日本型福祉国家に関する議論自体が不十分なまま「日本型福祉社会」に対するイデオロギー批判に多くのエネルギーがさかれてきたために,「ジェンダー化」の対象となるべき日本型福祉国家論ェ必ずしも明瞭なものとはなっていない。しかし日本でも近年,福祉国家の国際比較や福祉国家のジェンダー化に関する文献が公刊されるようになっており,この研究テーマに関する関心が高まってきている。日本型福祉国家を真正面に据えてこれをジェンダー視角から解析する研究の本格化を期待して,今回のジェンダー分科会では次のような報告を準備している。まずはじめに,ヨーロッパに端を発する福祉国家のジェンダー化という問題意識の意味を1980年代以降の歴史的経緯のなかから把握する。次いで日本型福祉国家の特性を財政的基盤から明らかにすることをつうじて,現代日本におけるジェンダー・イッシューズのたち現れ方との関連を探ろうとする。
テーマ別分科会2 福祉国家とジェンダー 報告1
福祉国家のジェンダー化
──1980年代以降の研究動向(欧米を中心として) 深澤和子(阪南大学)
D.Sainsbury 編の『福祉国家のジェンダー化』Gendering Welfare States(1994年)は、福祉国家の比較研究にジェンダーを組み込む作業を主要な課題とし、それを gendering welfare statesと表現した。従来の福祉国家研究や社会政策研究において無視ないし軽視されてきた女性と福祉国家(ないし福祉国家の諸政策)との関係に光をあて、福祉国家が歴史的にどのようにジェンダー関係に関与し女性の地位を規定してきたか、また、今日それがどのようになっているかを明らかにする作業を、フェミニストは、とりわけ80年代以降精力的に展開してきたが、そうした先人の研究を踏まえて、同書は、従来の社会政策学者や社会学者などがもっぱら担当し、フェミニストがあまりかかわってこなかった福祉国家の比較研究の本格的展開を試みたものであり、それを「福祉国家のジェンダー化」という用語によって集約したのである。しかし、こうしたフェミニストによる福祉国家の比較研究は、単なる福祉国家類型の析出それ自体が課題とされるというよりは、従来の研究が視野に入れてこなかった福祉国家のもつ「人間解放のための潜在力」が女性にどう作用しているかを知るために行うものである。というのも、これまでの主流の福祉国家研究では、福祉国家の影響力があたかも男女に等しく作用しているかのように想定され、こうした前提に基づく福祉国家の類型化は、たとえば、福祉国家(政策)と女性との関連が極めて異なっている国々を同一類型に分類し、女性がどのように自立のための諸条件を確保しているかの差異を見えなくさせているからである。フェミニストは、まさに、福祉国家と女性との関係の各国別差異を浮かび上がらせることを関心の中心に据えているのである。従って、そこでは、これまでの福祉国家の研究者によって析出された種々の概念の批判的検討および類型化のための独自の指標の確定などが重要な課題になるだけではなく、何よりも、福祉国家と女性との関係を具体的に浮かび上がらせるためにも、歴史研究や現状分析も不可欠の構成要素をなしている。この意味で、まさに、それは、J.スコットによって「性差の社会的組織化」とフレーズ化されたジェンダーを組み込んだ福祉国家研究の全面的展開であり、ここでは、それを「福祉国家のジェンダー化」と名付けておく。
本報告は、こうした福祉国家のジェンダー化研究の欧米における発展を辿ることによって、福祉国家のジェンダー化が明らかにしてきたものを整理するとともに、福祉国家のジェンダー化の今日的課題を探ろうとするものである。
目次
1 80年代:福祉国家とジェンダー関係の明確化
1) 70年代の研究成果を基礎にした福祉国家のジェンダー化の開始
2) 福祉国家と女性の多様な関係分析
a 権力と資源配分におけるジェンダー不平等分析
b 福祉国家と女性との“もう一つの関係”分析
c 実践的福祉国家のジェンダー化ーーOECD,ILOなどの分析と政策提言
2 90年代:福祉国家のジェンダー化の新段階
1) 「権力資源学派」の福祉国家類型化論の批判的摂取
2) 福祉国家類型化の新段階
3) 「男性ブレッド・ウィナー家族」イデオロギーと福祉国家の関係再考
3 おわりに
報告関連業績リスト
‘Women and State Old Age Pensions,’Voluntary Provision for Old Age by Trade Unions in Britain before the Coming of the Welfare State:The Cases of the Amalgamated Society of Engineers and the Typographical Association(Unpublished PhD Thesis, University of London, 1996)
「歴史の中の主婦労働──イギリスにおける母親手当要求のジェンダー分析(1)」 阪南大学『阪南論集(人)』32-4、1997年3月
「女性の自立とソーシャル・ポリシー」 阪南大学女性学研究会編『女性学の視座』所収、ナカニシヤ出版、1996年3月
「労働力の女性化とソーシャル・ポリシーの変容に関する研究(その1)」 阪南大学『阪南論集(社)』29-2、1993年9月
「労働者の退職文化の形成と年金問題──イギリス老齢年金形成時における女性の年金権問題」 立命館大学人文科学研究所紀要58号『フェミニズムと生活文化』、1993年7月
テーマ別分科会2 福祉国家とジェンダー 報告2
日本型福祉国家とジェンダー
神野 直彦(東京大学)
1.福祉国家の財政社会学的アプローチ
この報告は「日本型福祉国家とジェンダー」という課題に、財政社会学的アプローチから接近することを目的としている。ここでいう財政社会学的アプローチでは、社会全体が経済システム、政治システム、社会システムという三つのサブ・システム間の相互関係を調整するミッシング・リンクとして財政を位置づけている。
こうしたアプローチからすると、「近代社会」が成立する以前には、経済システム、政治システム、社会システムという三つのサブ・システムが未分離であり、「財政」現象は存在しないことになる。政治システムが「家産国家」から「無産国家」となり、生産要素に私的所有権が設定されて「近代社会」が成立すると、経済システムが自立的に分離し、そのメダルの背面で「租税国家」が形成されて「財政」が出現する。社会システムとは家族やコミュニティなどのように、構成員間における価値共有、多面的・直接的構成員間関係、利他的行為の相互遂行を特色とする共同体的関係を想定している。したがって、社会システムでは貨幣を使用しない。財政を媒介とする政治システムと社会システムとの関係でも、政治システムと経済システムとの関係と相違して、原則として貨幣を使用しない。
「近代社会」では政治システムが、「正当化された暴力の行使の独占」を背景にした、生産要素や生産物に対する所有権の保護という公共サービスに限定して供給しても、社会秩序の維持と社会統合が可能となっていた。「近代社会」では〈伝統家族〉が広範に存在し、家族構成員間および家族間の共同作業や相互扶助による自律的社会秩序維持機能が、社会システムでワークしていたからである。
「福祉国家」では「近代社会」と相違して、政治システムが共同作業や相互扶助に代替する貨幣給付を社会システムに供給することによって、社会統合が果される。つまり、本来は貨幣を使用しない政治システムと社会システムとの関係に貨幣を媒介させることによって、社会統合が目指される。しかし、こうした貨幣給付による再分配を可能にするには、政治システムが生産要素に対して境界管理権を持っていることが必要となる。
2.「福祉国家」におけるジェンダー
「福祉国家」におけるジェンダーは、経済システムの要素市場における男女格差と、社会システムにおける女性抑圧システムとして存在することになる。「福祉国家」は多軸的関連性を有する重化学工業を、産業構造の基軸とする経済システムを前提としている。そうした産業構造は男性の大量雇用と、〈近代家族〉を支配的な家族形態にしていく。〈伝統家族〉の減少による社会システムの共同作業や相互扶助機能の縮小に対しては、政治システムが貨幣給付を代替的に供給する。しかも、労働市場の男女格差の照り返しとして、社会システムに生ずる女性抑圧に対しても、貨幣給付によるアピーズメントが図られていく。
3.「日本型」バリアント
しかし、日本ではこうした社会システムの生活機能を保障する貨幣給付は限定的であった。日本では労働市場の二重構造と、広範な〈伝統家族〉、つまり旧中間層の存在を前提に、二つのチャネルを通じて社会統合が図られていたからだと考えられる。一つは、経済システムによる社会システムの生活保障機能の吸収である。つまり、中心部労働者に対しては終身雇用と企業福祉による生活保障が与えられ、中心部労働者の生産点への統合が図られる。
第二のチャネルは、〈伝統家族〉の共同作業に代替する公共サービスを、地方政府が公共事業を中心に供給するチャネルである。
しかし、「日本型」バリアントでも中心部労働者が男性中心であり、かつ関連部労働者でも男女間格差が存在し、社会システムも女性抑圧的にならざるをえない。しかも、重要な点は児童手当などアンペイド・ワークに対する貨幣給付が未整備なまま放置されていくことにある。
もっとも、こうした「日本型」バリアントは「福祉元年」に向かい解消されていくようになり、貨幣給付の充実が目指されていく。
4.貨幣給付のダウン・サイジング
しかし、1980年代を契機に、「福祉国家」は動揺する。貨幣給付による所得再分配を可能にする条件は、要素所得の境界管理にある。ところが、ブレトン・ウッズ体制が崩れ、経済システムがボーダレス化すると、高額所得を形成する資本所得の境界管理が困難となる。資本所得の境界管理が困難になると、資本所得への課税の強化がたちまちキャピタル・フライトを生じさせる。そこで1980年代以降の税制改革では、所得税の累進性を引き下げ、法人税の税率を引き下げている租税競争が生じることになる。
貨幣給付による所得再分配は、高額所得への課税が不可能になれば、たちまち困難に陥る。そのため1980年代を契機に、貨幣給付のダウン・サイジングが迫られることになる。
5.「日本型」と地方分権
こうした貨幣給付のダウン・サイジングの促進に対して、二つの対応のシナリオがある。一つはこれまでの中央政府が実施する貨幣給付による再分配に代替して、本来的に境界管理をおこなわない地方政府が、現物支給による所得再分配を実行することである。それが地方分権だといってもよい。もう一つのシナリオは女性を家族内に再幽閉し、家族機能を復興させることである。このシナリオは「日本型」対応ということができ、特別配偶者控除の創設が、そのシンボルとなっている。
しかも、資本所得課税に個人単位を適用することによって、資本所得への負担軽減を巧みに実現していく。現に日本の所得税はシャウプ勧告にもとづき個人単位となっている。しかし、シャウプ勧告は個人単位課税が資本所得を不公平に優遇してしまうため、資本所得には家族単位を適用するように厳しく警告した。しかし、家族単位の廃止を求める声を巧みに利用し、資本所得への個人単位課税を実現してしまったのである。
しかし、「日本型」シナリオが成功しているわけではない。というのも、ボーダレス化の背面で進行する情報化は、女性に労働市場を解放することになるからである。そのため日本でも、「日本型」シナリオと、地方分権のシナリオのせめぎ合いが生じると考えられる。
第1図 財政とサブ・システム
第2図 租税負担率と経済成長率
テーマ別分科会3 ワンペアレント・ファミリーの家計・生活・意識
報告1
生活世界の内側──生活意識を中心にして
埋橋孝文(大阪産業大学)
発表当日詳しい資料を配布の予定.
1. はじめに−プロジェクト全体の概要−
2. 生活世界の内側をみる
3. 離婚のバランス・シート
4. 国際比較上の論点をめぐって
5. まとめ−今後の趨勢へのインプリケーション−
ワンペアレント・ファミリーの量的増加の著しい英語圏諸国では、1990年代に入って、たとえばイギリスでの養育費徴収機関の設立、アメリカでの「要扶養児童家族扶助」(AFDC)の改革など、ワンペアレント・ファミリーをめぐる問題は、激しい論議をひきおこし政治問題化している.また、OECDも1980年代後半から各種国際会議の開催や調査研究を通してその対応を模索している.問題の背景には、ワンペアレント・ファミリーの経済基盤が、ツーペアレントのそれよりも脆弱であること、ワンペアレント・ファミリーへの社会保障支出が増大し、厳しい条件下にある財政のひとつの圧迫要因になっている、という事情がある.わが国ではワンペアレント・ファミリーの量的割合が低いが、そのこと自体が、つぎのような興味深い論点をわれわれ日本の研究者に対して提供している.
1)日本は今後、ワンペアレント・ファミリーが増加し、英語圏を後追いするのかどうか.その場合の政策的対応の準備はできているか、政策の内容はどのようなものが望ましいのであろうか.あるいは、その割合がこれまでどおり低い水準のまま推移するのであろうか.
2)今後の量的な推移を別にして、現状でのわが国のワンペアレント・ファミリーの生活・経済環境は、他国と比べてどのような点で共通の性格をもち、どの点で異なっているのであろうか.
こうした問題意識に基づいてわれわれは「離別ワンペアレント・ファミリーに関する6か国国際調査」(家計経済研究所研究事業、注1参照)を実施した.これは同一項目による質的調査である点で画期的なものであり、ワンペアレント・ファミリーの家計・生活世界の内側(意識を含む)に肉薄することを可能にした.今回の分科会では国内で実施したインタビュー調査を中心にして、ワンペアレント・ファミリーの問題に、家計・家計管理、生活支援、意識などの多角的な面から迫りたいと考えている.
注1
1. 名称
離別ワンペアレント・ファミリーに関する6か国国際比較研究(財団法人家計経済研究 所研究事業、1995-1997年度)
2. 調査・研究方法
個別インタビュー調査
3. 対象国
日本、オーストラリア、香港、スウェーデン、イギリス、アメリカ
4. インタビュー対象者
離別ワンペアレント・ファミリーの母親
国内50ケース(関東30、関西20)
海外各20ケース(5カ国で計100ケース)
5. 参加メンバー
日本:埋橋孝文(大阪産業大学)、馬場康彦(日本福祉大学)、木村清美(大阪産業大学)、色川卓男(静岡大学)、濱本知寿香((財)家計経済研究所)
オーストラリア:Lyn Robinson(パース・カレッジ)
香港:Autumn Yu(香港城市大学)
スウェーデン:高橋美恵子(ストックホルム大学)
イギリス:Clare Hemmings(北ロンドン大学)
アメリカ:Katina Georgopulo
海外研究アドバイザー Professor Sheila Kamerman (コロンビア大学)
Professor Jonathan Bradshaw (ヨーク大学)
報告関連業績
「ワンペアレント・ファミリーをめぐる国際的動向と公的政策」『季刊家計経済研究』33号、1997年1月.
『現代福祉国家の国際比較―日本モデルの位置づけと展望―』(日本評論社)、1997年6月.
「都市のなかの家族ー母子家庭聞き取り調査からー」『市政研究』(大阪市政調査会)、1997年10月.
テーマ別分科会3 ワンペアレント・ファミリーの家計・生活・意識 報告2
性別分業の破綻―─夫の稼ぎ手役割の問題が妻の生活と意識に及ぼす影響
木村清美(大阪産業大学)1.はじめに
性別分業構造をもつ社会においては、夫が果たす稼ぎ手役割によって妻子の生活は保障される。稼ぎ手役割とは、お金を稼ぐ役割だけを意味するのではない。イギリスの事例研究(1)が明らかにしているように、夫が自分の収入を握ったまま、妻子の生活を賄えるだけのお金を妻に与えなければ、妻子の生活は保障されない。お金を家族全体に配分することまでを含めた役割が夫の「稼ぎ手」役割である。本報告では、結婚(同居)期間中に家計問題を抱えていた離別母子世帯31ケースのインタビュー結果から、夫の稼ぎ手役割の問題が女性の生活に及ぼす影響を分析する。さらに、夫が稼ぎ手役割を果たさなかったことや離別後の生活が、女性の性別分業観に及ぼす影響についても分析する。近年指摘されているとおり、母子世帯の収入の低さは母子世帯の母親固有の問題ではなく、主な稼ぎ手が女性であることに起因している(2)。市場労働における性別職務分離、男性の被扶養者であることを前提とした女性労働市場、それと表裏の関係にある家庭内での性別分業が、女性雇用者全体の低賃金をもたらし、母子世帯の低所得問題として顕在化する。性別分業構造がもつこのような問題を対象者たちは自らの体験をとおしてどのように把握するのかを考察する。
2.夫の稼ぎ手役割の問題
インタビューでは結婚(同居)期間中の夫妻間の役割分担、意志決定、決定をめぐる対立などについて尋ねている。そこで語られた内容を分析した結果、44ケース中31ケースに、家計に関わる問題が見いだされた。妻側の一方的な回答であることを差し引いて考えなければならないが、すべての家計問題は夫に原因があり、妻に原因のあるケースはなかった。なお、これらの家計問題を対象者自身は離婚理由としていないケースもあった。例えばあるケースは前夫が仕事を怠け収入がほとんどなかったにもかかわらず、無収入の問題は「夫が家庭を顧みない」という問題に含まれるとして、家計問題を離婚理由に挙げていない。本報告では、本人が離婚理由に挙げていなくても、結婚(同居)期間中に家計問題が見いだされたケースをすべて分析対象に含めている。家計問題の内訳は「働かない・怠ける」(9ケース)、「経営不振」(2ケース)、「浪費」(15ケース)、「生活費を渡さない」(5ケース)、であった。「働かない・怠ける」「経営不振」は前夫が収入を得られなかったケース、「浪費」「生活費を渡さない」は収入を家族に配分しなかったケースで、いずれも前夫が稼ぎ手役割を十分に果たしていなかったケースである。収入そのものの問題ではなく、その配分に問題のある「浪費」「生活費を渡さない」ケースが全体の2/3を占めている。
3.分析結果の要約
インタビュー結果を、(1)前夫の収入の渡し方、(2)妻子の生活水準、(3)家事・育児の分担、(4)妻の就労、(5)性別分業観の変化、(6)女性労働問題に対する意識、について分析した。その結果、以下のことが見いだされた。 我々がこれまで行ってきた一般的な夫妻向けの調査(3)では、ほぼ6?7割の夫が収入のすべてを妻に渡しており、その時点で、「夫の収入」は「家計費」になる。それに対し、家計問題を抱える夫妻の場合、収入のすべてを妻に渡す夫は少なく、そのうえ、一旦妻に預けられた収入は後に夫に奪い取られている。これらの夫妻にとって、夫が妻に収入を渡す行為は、単なる形式にすぎない。妻子の生活水準は低く、31ケース中22ケースが、結婚(同居)期間中よりも現在の方が暮らし向きが「上がった」と答えるほどである。「(母子世帯になってすぐ)生活保護を受けていた頃でも、離婚前の生活よりもレベルが高かった」と述べるケースもあった。これらのケースにおいては、性別分業は実質的に破綻していたといえよう。また、生活費の額そのものの上昇だけでなく、収入が安定したこと、計画的に支出できるようになったことを補足説明するケースがあった。収入の安定性と計画的支出が生活水準の主観的評価に影響することがうかがわれた。
夫が稼ぎ手としての役割を果たさない一方で、女性たちはみな家事・育児をほぼ一人で担っていた。そのうえ家計のために働いていた女性も多かったが、結婚(同居)期間中、一度も就労経験のない女性も12ケースあった。その理由は、「夫の反対」「子供が小さい」「ずっと妊娠していた」「夫が家事・育児に協力してくれない」などで、一般にいわれる理由と変わらない。しかし、インタビューを続けるなかで、本人が語っていないもう一つの理由をうかがい知ることができた。それは、女性自身にある「稼ぎ手は夫」という意識である。現実に夫が稼ぎ手役割を果たしていなくても、役割を期待し続ける気持ちが就労をためらわせていたように思われる。
対象女性たちの性別分業観はその職歴にもあらわれており、ほとんどが未婚期に就労していたが、1ケースを除いて、結婚・妊娠・出産などで退職していた。女性たちは「家庭を守る」ことに専念したいと思い、実際に仕事を辞め、家事・育児を一人で担っていた。しかし、夫は稼ぎ手役割を果たしてくれなかった。その経験が、女性の性別分業観に及ぼす影響は一様ではなく、性別分業の否定につながるケースと、維持・強化につながるケースがみられた。前者のケースの中には、稼ぎ手=夫、家事・育児=妻という役割の固定化が引き起こす問題を社会構造全体の問題として捉える視点が芽生たケースもあった。一方、後者のケースには、「夫が外で働く役割を果たしてくれていないものですから、もう働いてくれと...。」「やっぱり夫に稼いで欲しかった」「夫はちゃんと外で稼いで欲しいという思いがある」など、前夫が稼ぎ手として不適格であったことを指摘することばが多くみられた。このように語るケースはみな「働かない・怠ける」問題グループであった。稼ぎ手として基本的な「働く」役割を夫が果たさなかったという「特殊な」状況のために、「夫は外で働く」という役割期待が強化され、性別分業構造のもつ女性一般の問題に気づき難くなるのかもしれない。性別分業観が変化したケースのほとんどは「浪費」問題グループで、前夫が少なくとも「働く」役割だけは果たしていたケースであった。
離婚(別居)後は、結婚(同居)中無職だった女性も11ケースが働きはじめ、全ケース中30ケースが就労している。ただし、結婚(同居)中就労していた女性のうち、その職業をそのまま継続したのは6ケースのみ(常雇2、パート2、自営2)である。女性にとって別居や離婚は転居を伴うため、結婚期間中の職を継続するのは難しい。子どもをもつ母親は通勤に長時間を割くことはできないからである。職業選択の条件は、子どもが小さいうちは「子育てのことを考慮してくれる」「保育園のお迎えに間に合う」「土・日(学校が休み)が休み」など、育児との両立が条件になる。必然的に安定性のある常雇採用は難しく、離婚(別居)後最初に就いた雇用形態は16ケースがパートである。子どもの成長とともに、選択の条件は社会保険・安定性・賃金・将来性に変わっていくが、条件を満たす雇用先を見つけるのは簡単ではない。
離婚(別居)後「稼ぎ手」として働く経験をとおして、企業内の男女格差への問題意識が芽生えたケースもあったが、格差を認識するに至らないケースもあった。そのなかで、次のケースの発言は女性労働問題の「見え難さ」を象徴している。稼ぎ手として働く母親は市場労働だけでなく家事労働も担っているため「労働的にはこっちの方が多い」のに、市場労働だけの男性のほうが賃金が高いのは納得できない、というのである。さらに、このケースは、主婦の「片手間」の労働なら賃金が安くても構わない、とも述べている。女性は稼ぎ手ではなく家事労働を担うものとされ、そのために労働市場においては「片手間」にすぎない労働力とみなされる。まさに「労働的にはこっちのほうが多い」ことが賃金・昇格格差の根源なのであるが、それを認識することの困難性をこのケースの発言は示唆しているといえよう。
〈注〉
(1)ジャン・パール著、室住・木村・御船訳『マネー&マリッジ』ミネルヴァ書房、1994、pp.124-125。
(2)石田好江「母子世帯の家計と所得保障」『国民生活研究』Vol.34,No.2、1994、pp.1-14。
杉本貴代栄「社会福祉としてのジェンダー:『男性問題』としてのジェンダー」『季刊家計経済研究』No.37、1998、pp.7-15。
(3)(財)家計経済研究所編(1995)『消費生活に関するパネル調査(第1年度)』大蔵省印刷局。同(1995)『同(第2年度)』大蔵省印刷局。
報告関連業績
「家計の組織化と性別役割分業観」(財)家計経済研究所編『ザ・現代家計―家計の組織化に関する研究―』大蔵省印刷局、1992年、135-170頁。
「妻がもつ貨幣―貨幣をめぐる夫妻関係―」『季刊家計経済研究』第17号、1993年、62-69頁。
テーマ別分科会3 ワンペアレント・ファミリーの家計・生活・意識 報告3
経済生活
○ 色川卓男(静岡大学)
馬場康彦(日本福祉大学)
1.課題
本発表の目的は、「本調査」によって得られたインタビュー結果と数値的データに基づき離別母子世帯の経済生活の実態を明らかにすることにある。この目的に沿って本発表の課題は、第1に全国調査(「家計調査」、「全国消費実態調査」)との所得分布等を比較することによって「本調査」対象母子世帯の位置を確定すること。第2に「本調査」対象母子世帯の類型化を行い類型別の母子世帯の特徴を明らかにする。
2.本調査対象世帯・家計データの留意点
「本調査」は日本だけの調査ではなく日本以外の5カ国の同一質問項目での共同調査を実施しており、各国の研究者との調整が必要であった。
(1)費目の概念及び収支バランスに関する「本調査」と「家計調査」との違い
@「家計調査」では見えにくい日常的な生活レベルのお金の出し入れ、すなわち、その月に、いく らお金が入ってきて、いくら出ていったのかが明確になることに重点をおいた。
A「実収支以外の収支」に関してはみせかけではなく実際の貨幣の流れに組み入れている点が「家 計調査」とは大きく異なる。
B消費費目に「酒・たばこ」「家政婦・ベビーシッター代」を追加したのは、英国、米国の家計調 査の費目と調整した結果である。
(2)比較のための概念調整
@「本調査」と「家計調査」を比較する際に「家計調査」のデータを「本調査」の概念に合わせて 加工している。
Aとりわけ実支出以外の支出は、貯金は、預貯金の純増額に置き換えている。保険掛け金はそのま まであるが、借金返済は土地家屋借金返済と他の借金返済と分割払い購入借入金返済と一括購入 借入金を合計したものとなっている。また実支出以外の支出の合計は、以上の3費目(貯金、保 険掛け金、借金返済)の合計としている。これ以外の費目は、母子世帯にとってはほとんど発生 しないので省略した。
(3)対象世帯の調整
全対象サンプルの中で死別母子世帯、未婚母子世帯、信頼性に欠ける票、は全体の分析から除外されているが、家計分析において信頼性が低いと判断される2ケースはここでは除外した。この中で一般母子世帯は、27ケースであるが、平均値を算出するときは最大値ケースと最小値ケースを除いている。とりわけ1ケースでは、勤労所得がゼロで年収が14,400,000円もあるため平均を算出する場合に影響が大きすぎるので平均値算出からは除外したが、信頼性は高いので分析サンプルとしては残した。
3.本調査対象世帯の位置
(1)「家計調査年報」(1996年)との家計データ比較
(2)「全国消費実態調査」(1994年)との所得分布比較
4.一般母子世帯と母子寮世帯の家計比較
(1)収入の分布、水準、構造
(2)支出水準と構造
(3)消費支出の水準と構造
5.単独母子世帯と同居母子世帯の家計比較
(1)収入の分布、水準、構造
(2)支出水準と構造
(3)消費支出の水準と構造
6.まとめ
*以上、発表当日に報告できないが、押さえておく点をまとめた。3節以後は、当日に改めて資料を配布する予定である。
報告関連業績
色川卓男(静岡大学)
「日本におけるワンペアレント・ファミリー研究の現状と課題─生別母子世帯を中心に─」(『季刊家計経済研究』第33号、1997年)
テーマ別分科会3 ワンペアレント・ファミリーの家計・生活・意識 報告4
養育費受け取りの実態
濱本 知寿香((財)家計経済研究所)
1.はじめに
離別母子世帯の増加を背景に、児童扶養手当の収入制限が引き下げられることが検討されている。そこでは、対象者をしぼることを通じて、生活に困窮している家庭に重点的に給付することが期待されている。この手当額の削減にともない最も影響を受けるのは、養育費を受けず、就労により自立しようとしている世帯である。その一方、養育費があるために勤労収入をほとんど得ていない場合は、児童扶養手当が減額されることはない。このような児童扶養手当の削減・給付の重点化は、真に必要としている者への給付につながるとはいえず、逆に、離別母子世帯間の収入格差の拡大を生み出すことにもなる。
ところで、離別母子世帯間の収入格差を生み出す要因の一つとして、夫からの養育費の受け取りの有無が考えられる。本来なら、親が離婚した場合でも子を養育する義務は父母ともにあることから、養育費の取り決めは離婚時になされ、子への養育費支払いが継続して行われるべきであるが、現状はそのようになっていない。これまで養育費を確保する制度が整っていないことがその原因とも考えられるが、これに加え、結婚生活中の夫妻関係や離婚原因、離婚後の生活に対する意識の違いも養育費受け取りの有無と関わってくるだろう。
そこで本報告では、インタビュー調査の結果をもとに、養育費受け取りの有無の背景にあるものを、生活意識や自立度も考慮しながら浮き彫りにしてみたい。そして、離別母子世帯の生活保障施策の検討に向けての視点を整理したい。
2.勤労収入、社会保障給付と養育費
養育費の受け取りの有無により離別母子世帯間の収入格差が拡大している(発表当日に配布する資料参照)。
3.養育費
(1)養育費の実態
養育費の実態をみるために、@養育費取り決めの有無、A養育費受け取りの有無(あり、かつてあり、全くなし)と、夫の子に対する関心、離婚原因、離婚後の準備・自立度との関連をみる。
@養育費取り決めの有無別にみた特徴
養育費を取り決めなかった者は、養育費の取り決めをしなかったのでなく、暴力から逃げることで精一杯で取り決めをする余裕がなかった、事業の失敗や借金のために取り決めができなかったと答えている。しかも、夫が養育費を支払うことについては当然という意見が圧倒的となっており、養育費の必要性を感じながらも前夫の状況から取り決めをあきらめていることがわかる。
A養育費受け取りの有無別にみた特徴
・養育費を受け取っている場合、離婚する前から離婚後の生活を考え、自立した生活を送っているパターンと、夫の異性関係などの理由により、苦労せずに養育費が確保でき、さらには親、福祉に依存するというパターンがあり、同じ離別母子世帯であっても、離婚後の生活実態や自立度は大きく異なっている。
・定期的に受け取っている者は離婚後経過年数が短いことから、養育費の支払いが確保される制度についての検討も必要である。
・養育費をずっと受け取っていない者の中には、前夫には全く頼れないことから、離婚後年数の経過とともに自立度がかなり高くなり、福祉にも頼らない生活へ移行している様子がうかがえる。
・逆に、前夫から養育費を受け取り、かつ多額である場合には、福祉から脱却するというより、むしろ依存する傾向がみられる。
・養育費の取り決めをしなかったにもかかわらず、前夫からの養育費を受け取っているという者については、前夫が子を大切にしている様子がうかがえる。
以上の結果から、養育費の確保が制度化されていない現状では、前夫に経済力があるか、あるいは、女性に自立志向があって前夫からの養育費が受け取れる状況にある場合(前夫の暴力のために逃げ出さねばならないとか、事業失敗で多額の借金を抱えている状況にない場合)に養育費の支払いが行われていること、そして、離婚後の生活に対する自立度が低い者に対して養育費はむしろ自立度を低め、福祉への依存をもたらしていることがわかった。問題は、今回のような児童扶養手当支給額を削減するという改正が、自立度の低い者に対して、より重点的給付をすることにある。
(2)養育費に対する意識
「一般的に夫が養育費を支払うことについてどう思いますか」とたずね、自由に回答してもらった結果、40ケース(一般論ではなく本人の状況を述べた4ケースを除いている)のうち、「当然」、「当たり前」、「支払うべき」と明言したものは34ケースにものぼった。また、あとの6ケースのうち4ケースは消極的に支払うことを肯定している。ただ、当然と答えた者の中には、養育費を「子のため」と考えておらず、養育費の問題と夫婦の問題を混同してしまっているケースもみられた。夫、妻自身が養育費について正しく理解することも養育費確保のためには必要であろう。
4.むすびにかえて
一口に離別母子世帯といっても、生活状態、意識の面も含めると、多様な離別母子世帯があること、また、夫と妻の離婚前後の生活状況や意識が養育費受け取りに反映されることになり、それが収入格差を生みだしていることがわかった。今後は、離別母子世帯は貧困といった位置づけをするのではなく、こうした多様な母子世帯を認めたうえで、それに応じた生活保障施策を構築していく必要があるだろう。その際、住居の確保がないことには何もできない、保育施設がないことには働きにも行けない、あるいは、現行の児童扶養手当の2段階制が就労を抑制している、というインタビュー対象者の指摘も考慮すると、自立しようとする意欲を損ねないという視点が重要であろう。そのためには、これまでのような児童扶養手当の改正により解決するのではなく、就労、住宅、養育費も含めた総合的な施策が望まれる。
報告関連業績
「母子世帯と所得保障」(『社会福祉研究』第63号、1995年)
「母子福祉施策の地域比較」(『季刊家計経済研究』第33号、1997年)
「母子世帯の家計」(『季刊家計経済研究』第35号、1997年)
テーマ別分科会4 非定型労働の今日的問題
報告1
家内労働者・在宅テレワーカー・インデペンデントコントラクター
(Manu-home worker・Home tele-worker・Independent contractor)
神尾京子(家内労働研究会)
I. 非定型就労層(Atypical workers or earners)とは何か(私見)
―ILOの見解をふくめて1.雇用労働者(Empoyees)[定型就労層] *職場労働者
@正規雇用労働者(Regular employees)= 正社員・本工・社内工=正規職員・常勤フルタイマー(青 壮年男子基幹労働力・女子エリート労働力)
A非正規雇用労働者(Irregular employees)= パート・派遣(個人派遣)・臨時・アルバイト、非常 勤・外勤・契約・嘱託・出向・歩合給・有期社員、期間工(季節工)・社外工(グルー プ派遣)・等
2.非定型就労層(Atypical workers)= 家内労働者(内職・下職)・請負労働者(一人親方・手間 請け)・日雇(土木作業・清掃作業)・露天商・行商・訪問セールス・マネキン・家事 使用人・ホームティーチャー・路上販売・路上サービス・在宅テレワーカー・芸能パフ ォーマー・フリーター・等 *職場なき労働者
*1Aの下層を2の上限にすえるとする(たとえば個人経営で働く”ひとりパート”など) との説あり。
**また下限には非就労層=要扶助層(被救恤層)をのぞく、こととする。
《特徴点》
@生産労働・建設労働が多く、いずれも衣食住の日常生活に不可欠の、きわめて社会的に有用な 業務(多くがDirty work-3K)であること。
A女性が多数を占め、かつ児童労働の苗床であること。
B金銭稼得労働であるが、とくに児童労働ではUn-paid workが多いこと。
Cかけもち就(Multiple job)で世帯の生計を補っている例が多いこと。
D極端な低報酬であり、かつ非衛生的な作業環境(Sweat shop)にあること。
E家計上でも副収入にすぎず家族総働きで生計を支えていること。
F全世界の総勤労人口中、圧倒的マジョリティを形成していること。
G既成労組の組織率は、その数%(ヒトケタ)にすぎないこと。
H種々雑多な就労層が混然と錯綜しており、したがって定型層との境界線も不鮮明(線引きは困 難)。
I収入層もピンからキリまでバラツキがはなはだしい(これをMicro-entrepreneurと分類する国も ある)が、その大多数は極貧層であること。
II. 家内労働者(Manu-home worker)の現状・法制・組織づくりILO家内労働条約
―とくに途上国における事例を中心に―1.途上国において、とくに進出(多国籍)企業の重層下請の底辺として、したがって輸出むけ産業 を主力にFTZ周辺で急増していること。その大部分が未組織であり、また立法上・行政上の施策は、 ほとんど皆無にひとしいこと。
そして先進国ではテレワークに主力が移行しつつある。
2.その状況下で先進女性たちによる地域を基盤とする組織づくりが進行している。
《事例》@インドにおけるSEWA(自営女性の会) 在アーメダバード
A同じくWWF(働く女性のフォーラム) 在マドラス
《事業内容》
@地域センター(Community union)・駆け込みセンター(Drop-in house)等を設立して、ここで
A共同受注・求人開拓・仕事おこし・その授産・ワークシェアリング・一括納品・検品・記帳・ 技能指導・職業訓練・識字教育・情報提供・交流、
B安全衛生・住宅改善・共同保育・近代設備の導入・啓発活動のほか、
C日掛け貯金・共済基金の設立・友愛銀行への共同出資と小口融資(Micro-credit)など相扶互助 の共同組合の性質をそなえ、また
D作業条件・工賃交渉などの団交、ロビィング活動・政治行動にくわえ、
E学習・文化レクリエーション活動・等も行なう、
F異業種・異企業に従事する地域住民(未就労者・求職者をふくむ)による小地域(Grass roots) 組織(Group)であること。
*これらの実践は、わが国の京都内職友の会・家内総連でも経験ずみであり、
**かつILO家内労働者(第29項)にも条文化されている。
III.在宅テレワーカー(Home tele-worker)の諸類型と
SOHO(Small office & Home office)の動向
1.随時型と常時型 [雇用型と”請負自営”の「独立」型と]
随時(Occational)型[企業人事]
被傭者たる身分を有し、かつ職場勤務を常態としながら時に自宅で被傭者として命ぜられた 自己の職務上の作業に従事する場合もあるタイプ(週3日以上の出社が目安)=在宅テレワ ーカーに非らず(ILO条約第1条b項)。
*在宅勤務社員
常時(Usual)型[仕事さがし・求人さがしが課題]
自宅で常時みずから受注した仕事に従事するのを常態とし時に出社する場合もあるタイプ (出社は週あたり1日以下が目安)=ILO条約にいう法定(De-Jure)在宅テレワーカー。 *在宅就労者
2.在宅テレワーカーの2類型[給源=”女・老・害(外)”路線]
オンライン(On - line)型[待ち時間をふくむ]
@情報通信機器を用いて文書作成・設計・等を行ないE-mail等で納品する、
A端末相互間で情報を交換(受発信)しあいReal timeで業務を行なう。
主として男子(高年・若年)に多い型 *米加型
オフライン(Off-line)型[出来高工賃制]
あらかじめ端末機器に原稿などを入力し、そのOutputを後日Disket・Print・Fax等で納品する =データ入力・ワープロ内職・テープ起こし・翻訳・等。
主として女子(育児年齢層)に多い型 *日仏型
3.在宅テレワーカーとSOHOの相違点
○SOHO(スモールオフィス・ホームオフィス・モバイルオフィス)経営者
=バーチャル企業の社長。
◎在宅テレワーカー=個人で依頼主(Client)から受注して従事。
*”在宅ワーカー”=マスコミ命名の俗称
《問題点》
@ 発注主はビジネス業者か最終消費者(End user)か。発注主とは直結か、またFinisher(Editor, rewrite-man, anchor-man)等が介在(検品工)か。
A 在宅テレワーカー間のネットワークで仕事をシェアリングするさい、フラットな水平分業関係 か下請け分業関係(Vertical)か。 *オフショア型も
IV. インデペンデントコントラクター(個人請負嘱託)と
ILO請負(契約)労働(Contract labour)条約
1.米国におけるインデペンデントコントラクターの事例(略)。
○特定業務の在宅(自社内)請負(単発契約・継続契約)従事 =非定型就労
×非常勤(有期)職員(専門職・管理職)=短期勤務契約 =非正規雇用
2.仲介業者(Intermediary)介在の合法化(規制つき)かヤミ周旋人の暗躍か(略)
V. 定型就労層の独立(自営)性と従属(雇用)性
―ILO家内労働条約の批准と国内法(家内労働法)改正にむけて―
1.ILO家内労働条約における「独立労働者(Independent worker第1条a項)」の定義にてらして、わ が国(労働省)のいう「独立型」労働者とは何か。
2.ILOの規定する独立労働者とは経済上の自主裁量(Autonmy =Own account in business)権を有す るSelf-employed workerとくにOwn accounter(Risk taker)をいう。
《その他「現行法」の改正点とホームワーカーの範囲》
@機械器具・機器・装置・材料・等の提供(所有)の有無不問(第1条a 項 iii)
A法定(De-jure)家内労働者=製造加工(ハード製品)・ワープロ内職(準)
法定外(De-facro)家内労働者=テレワーク・事務内職(簿記・宛名書き・翻訳・校正 ・筆耕・添削・テープ起こし・等・ホームティーチャー (ピアノ教室・英語教室)
*非定型就労に対する先進国の組織労働者=大労組の見解(反応)と立場―略。
関連業績
@ 「急増する在宅テレワーカー 家内労働のハイテク化・国際化のなかで」
(『「経済大国」日本の女性』新日本出版社)1990年1月(初出『経済』1988年8月号)
A 「産業構造の変質と最近の家内労働―家内労働法制定20年によせて」
(総合労働研究所『季刊労働法』153号) 1989年10月
B 「サテライト勤務の現在と未来」
(月刊『労働運動』309号)1991年6月号
C 「テレワーク時代の仕事と暮らし―在宅就労=家内労働で働く女性」(日本婦人団体連合会『婦 人白書 1994』ほるぷ出版)1994年8月
D 「職場の分散化で変わる働き方―SOHOの時代・モバイルオフィスの時代―在宅就労=家内労働 で働く女性」(日本婦人団体連合会『 婦人白書 1997』ほるぷ 出版)1997年8月
テーマ別分科会4 非定型労働の今日的問題 報告2
わが国における派遣労働問題
長井偉訓(愛媛大学)
1はじめに
今日、雇用・就業形態の多様化が進展する中で、従来の臨時工・社外工、家内労働、パートタイマーに加えて、派遣労働、契約制社員、請負的自営業者、テレワーカーなど、いわゆる「非定型労働」の形態で働く者が急速に増加する傾向にある。このような「非定型労働者」の増加の背景や労働市場における位置づけを巡っては、従来より様々な方法や視点からの研究が存在する。
本報告は、これまでの研究を整理しながら、分析の対象を主にわが国の派遣労働問題に限定し、実態を踏まえた上で、派遣労働を巡る理論的・政策的諸課題に関していくつかの論点を提起することにある。
2 派遣労働の実態〜その変化・諸特徴
3 理論的・政策的諸課題を巡って
関連業績
1 「労働者派遣法「見直し」を巡る論点」、『愛媛経済論集』(愛媛大学経済学会)、第15巻第1号、1996年。
2 「労働者派遣法『見直し』の評価と論点」、社会政策学会編『技術選択と企業・社会』(社会政策学会年報第70集)、1996年。
3 「雇用の弾力化・労働市場の規制緩和政策の展開と労働運動の基本的課題」、愛媛自治体問題研究所『愛媛の自治』No.26、1996年。
4 「労働者派遣法の規制緩和と派遣労働の新動向」、加藤佑治・内山昴監修『規制緩和と雇用・失業問題』新日本出版社、1997年。
5 雇用・労働市場の弾力化と日本的労使関係ー派遣労働の活用実態とその変化をふまえて」、日本労働社会学会編『転換期の「企業社会」』(日本労働社会学会年報第8号)、1997年。
テーマ別分科会4 非定型労働の今日的問題 報告3
アメリカにおける非定型労働問題の現状
仲野 組子(同志社大学)
はじめに
1980年代の産業・企業のリストラクチャリング、政府の規制緩和や労働組合攻撃は、労働者の雇用のされ方を大きく変えた。産業・企業は国際競争、国内競争に直面し、吸収合併、レイオフ、アウトソーシング、技術革新、リエンジニアリングを遂行すると同時に、雇用をジャスト・イン・タイム化することによって非定型の不安定なさまざまな雇用形態を生み出したのである。
本報告は、雇用形態の多様化といわれるものが労働者にとって何を意味するかを、雇用形態に則して考察する。結論を言うならば、雇用形態の多様化とは労働コストの削減や雇用のジャスト・イン・タイム化から一歩進んで、歴史上労働法として確立してきた雇用主責任を回避することを意味する。従って、労働者(雇用者)概念の喪失の傾向が存在することである。ここでとりあげる雇用形態は、この傾向を合法的に巧妙に示した”人材派遣”と雇用主責任を回避した形態である自営請負業(Independent Contractor)である。
T 人材派遣業と自営請負業(Independent Contractor)の概要
(1)人材派遣業の概要と問題点(図表、資料を当日配布する)
合衆国では、人材派遣業は今日のような形をとったものは1940年代後半に出現し、70年代初めに労働省より公正労働基準法上の雇主であることを規定され、一般企業の雇主義務を履行しさえすれば、営業は自由となった。唯一、税法上、同一企業に1年以上継続的に派遣される者は派遣先の労働者であるとみなされるということが制約である。人材派遣労働者数は賃金台帳上250万人存在し、事務職、工業職を中心にしているが、専門的な職業から日雇労働職まで広く存在している。人材派遣会社は、一般企業の雇用者を人材派遣業に移籍して賃金台帳関係の仕事もすべて請け負うTHS payrollingも行っており、最近ではまた、派遣から正規雇用への就職ルートもつくり出している。
この人材派遣業が急増したのは、80年代の技術革新によるOA化の進展によってである。事務職としてコンピュータのオペレーターを大量に送り出したのである。その後、工業職にも進出し、製造業の不熟練、半熟練工、また日雇の人夫としての職にも送り出している。企業としてはManpower社やKelley Service のような少数の多国籍企業から、地方の10名以下の労働者を多数の小零細企業まで、企業規模でいうとピラミッド状をなしている。
労働者の実際の働かされ方は、ほとんど派遣先のいわれるままに働き、気に入られなければ解雇され(仕事は終了したといわれる)る状態で、賃金も専門職以外は低い。
(2)自営請負業(Independent Contractor)について
はじめて労働統計局が調査した1995年2月のCPS特別調査の規定によれば、自営請負業(Independent Contractor)とは、この他にIndependent ConsultantやFreelance Workerを含み、店のオーナーやレストランの店主などを除くものとなっている。そして従来からあるSelf-Employment(自営業)の約半数が自営請負業であるという。この場合のSelf-Employ- mentには、非法人に加えて法人化したものも入っている。職業としては、男性では経営管理職、専門職、精密機械生産・修理、セールス職が多く、女性では専門職、セールス職、サービス職が多い。産業では、男性はサービス業や建設業、女性は圧倒的にサービス業に多く、他は卸・小売業である。
賃金は、2つの調査でみてもIndependent Contractorは正規雇用より高いとはいえない。そして、自営業自身、男性と女性では職業・収入において二極化するほどの開きがある。
今日問題になっているのは、企業が正規雇用の労働者をレイオフして、同じ仕事を自営請負業として再び雇うことである。1994年でそのような事実上雇用者である自営請負業が410万人存在するという調査がある。また、女性事務職の自営請負業で在宅労働者(育児をしながら仕事をする)も相当数存在するといわれている。
U 雇用形態の多様化は何を意味するか
直用型のパートタイマーやオンコール・ワーカーなどは、労働時間が短く、昇進がない、いつでも解雇されるという点では正規雇用に比べて不利な状況にあるが、雇主−雇用者との関係はまだ明確である。この関係を不明にしていくリード役は人材派遣業の存在である。人材派遣の場合は、一般企業では分離していない雇用と使用の関係が分離することによって、雇用責任が事実上と形式上に分かれてくる。労働者と派遣先は使用関係とはいえ、派遣先は事実上解雇権を持つ。しかし、実際に手を下すのは人材派遣会社である。人材派遣会社は派遣先の雇用関係を委託されているので、採用・解雇の権限を持つ。しかし、実際は、派遣契約に縛られているので、労働者との雇用関係は雇主としての主体のないものである。そして、さらに悪いことには、派遣会社は労働者に、派遣先の言いなりにならないのならば雇用を与えないという形で脅すことによって、不法行為や差別行為を通してしまう。
ここに二重のからくりがある。第一に事実上の雇主である派遣先の雇用責任をのがれさせていること、第二に人材派遣会社は雇用関係を持つという権威のもとに労働者を派遣先の労働諸条件に従わせ、文句を言わせないということである。この結果、社会的にみるならば、派遣会社と派遣先とが一致して雇用責任をとらねばならないものが、お互いになすりつけることによって不明確になってしまい、とどのつまり、労働者は泣き寝入りすることになっていることである。つまり、労働者は労働法上の保護をかなぐり捨てることによって職につかざるを得ないのである。
このような雇用関係の回避は、自営請負業において最もシンプルな姿をとる。雇用関係をもたない、仕事の請負にすることによって、企業は労働コストの削減(付加給付を支払わない)、労働法上の保護をまぬがれ、労働組合を作られることもないのである。
また80年代以後、地方自治体の現業部門(たとえば清掃)の民間への下請化が増大したが、この下請業者が清掃人を雇用せずに、自営請負にするという形態もはやりだしているようである。
このような雇主−雇用者の関係の回避は、労働組合がレーガン大統領時代に攻撃され組織率が低下し、譲歩せざるを得なくなった状態の下で増大してきたものである。そして、特に80年代以降増大するアウトソーシングの受け皿となるビジネス・サービス産業の中に多いのである。サービス職を100万人以上組織しているサービス従業員労働組合の委員長スウィーニーは、次のように証言している。
「…我々のメンバーには、大変多様なサービス職や産業で働いている労働者が存在する。これらの職場の多様性にもかかわらず、だんだん増大する共通した困難な特徴がそれらを結びつけている。つまり、コンティンジェント雇用の増大である。
われわれはこの傾向を、通例の労働協約、労働基準、税法、市民サービス法によって確立された義務をのがれるために、雇用者のある部分またはすべての部分において、関係を再規定しようとする傾向としてみなしている。これらの義務はわれわれの社会が生きるために労働を売らなければならない人々に対して、市場の荒々しい影響を緩和する手段として発展させてきたものである。」
関連論文
「合衆国における労働市場論と不安定雇用問題」 関西大学大学院『千里山経済学』第27巻1-2合併号(1994年)
「アメリカ合衆国の人材派遣業」 同上第29巻1-2合併号(1996年)
「合衆国の人材派遣業と雇用リストラ」 『労務理論学会研究年報』第6号(1997年4月)
「アメリカ合衆国の雇用増大における人材派遣業の役割」 『日本労働社会学会年報』第8号(1997年)
「アメリカ合衆国の規制緩和と雇用構造の変質」 加藤佑治・内山昂(編)『規制緩和と雇用・失業問題』新日本出版社、1997年
自由論題 第1会場「ジェンダー」
報告 1
福祉国家の規範理論とジェンダー
山森亮(京都大学大学院)
*はじめに
これまでの福祉国家がジェンダーの不平等を再生産してきたことが指摘されている。他方で、福祉国家がジェンダーの平等を促進してきた部分があることも指摘されている。それではジェンダーの平等を促進する福祉国家の論理とはどのようなものであろうか? その論理はジェンダー以外の差異の平等を指向する論理とどのように関係するだろうか? これらの問いに答える道は多様であるが、本報告ではさしあたり福祉国家を支えてきた規範に焦点を当てたい。
*福祉国家と規範
拙稿「福祉国家の規範理論に向けて:再分配と承認」(『大原社会問題研究所雑誌』no.473、1998年4月)で、報告者は福祉国家における主要な規範として<再分配>と<承認>を抽出し、現実の社会政策においては<再分配>には「功績」と「必要」の二つの方向性、<承認>には「同質化」と「差異化」の二つの方向性があることを指摘した(図1)。
*ジェンダーの平等を求めるための論理
*<差異の承認>の規範の必要性とその困難
*再分配-承認のジレンマ
*ジェンダー以外の差異とジェンダー
*おわりに
報告関連業績リスト
〈論文〉
@「福祉国家の規範理論に向けて:再分配と承認」
『大原社会問題研究所雑誌』473号、1998年4月、法政大学大原社会問題研究所。
A「必要と福祉 −福祉のミクロ理論のために(1)−」
『季刊家計経済研究』38号、1998年4月、家計経済研究所。
B「必要と経済学 −福祉のミクロ理論のために(2)−」
『季刊家計経済研究』39号、1998年7月、家計経済研究所。掲載決定済。
C「貧困・社会政策・絶対性」
川本隆史・高橋久一郎編『応用倫理学の転換』ナカニシヤ書店所収、近刊。
自由論題 第1会場「ジェンダー」 報告2
官製フェミニズムの到達と限界:
フィンランドの女性労働の特徴と課題に関する一考察
高橋睦子(宮崎国際大学比較文化学部)
本研究では、フィンランドにおけるジェンダー・バイアスの表象としての男女間賃金水準格差問題に注目し、女性労働からみたフィンランド福祉国家の光と影について考察する。
1. フィンランドの福祉国家の展開
フィンランドの福祉国家は女性労働を支援し、基本的には男女平等は法制度面ではすでに実現している。フィンランドにおける福祉国家の本格的な発展は1950年代末からであり、北欧の福祉国家として最もよく知られているスウェーデンに比べれば、福祉国家のスタートは遅いものであった。フィンランドでも福祉国家の萌芽は社会福祉分野の諸政策が法律化され始めた戦前期30年代に指摘されている。しかし、フィンランドは、17年のロシア帝国からの独立(共和制採用は19年)、内戦(18年)、冬戦争(39-40年)・継続戦争(41-44年)という2回の対ソ連戦争を経験した点で、中立国として戦禍に直接巻き込まれることのなかったスウェーデンとは社会状況を大いに異にしていた。フィンランドでの福祉国家建設が出遅れた背景としては、工業化や都市化がフィンランドにとっての戦後復興期にあたる1950年代に大いに進行したことも要因の一つと考えられる。現在のフィンランドの産業は工業・サービス部門とし、都市人口が総人口(約510万人余)の約65%を占め、ヘルシンキ周辺の首都圏とタンペレ市やトゥルク市を含む国土南西部に人口が集中している。労働力市場では、80-94年にかけては、男性の労働力率は75-79%、女性は69-70%で推移し、就労人口の約4分の1強は公共部門に属し、男性対女性の比率でみれば、民間部門では61:39、公共部門では33:67で、とくに公共部門の労働力への女性進出が明らかである。公共部門は、福祉国家の発達とともにとりわけ女性にとって重要な雇用者としての役割を担ってきた。労働組合の組織率は80%以上で、中央労働団体による労働協約は給与所得者全体の95%をカバーしている。 近年の特記事項としては、90年代前半に大量失業を伴う経済不況のために、フィンランドの福祉国家が本格的な危機に直面したことが指摘できる。他の西欧福祉国家で危機が叫ばれていた80年代には、フィンランドは失業率3.5-5.5%と当時の欧州連合諸国の平均失業率の約半分の水準であった。ところが、90年代に入って経済状況が一転し失業率も急上昇し、94年には18.4%にまで達した。96年から今日にかけては経済成長は好転し95年から加盟したEUとの経済政策協調も順調な反面、失業率の改善は経済成長よりもはるかに緩やかな速度で進んでいる。
2. フィンランドにおける官製フェミニズムの到達点とフェミニスト批判
フィンランドにおける女性の社会進出度は世界的にも屈指の水準にあり、男女平等政策での政治・行政レベルの積極的な取り組みは官製フェミニズムとも呼ばれる。フィンランドでは、1906年にヨーロッパで最初に男女平等普通選挙権が成立したことが法制度面での男女平等実現の端緒とされている(地方選挙では18年)。これは女性参政権の保障に限らず、国政レベルへの女性議員の進出を促進する上で重要なステップであった。最初の女性議員選出は1907年であり、近年の総選挙では常に総議席200のうち3割強から4割弱が女性議員で占められてきた。教育制度や女性労働への社会的支援体制の充実は、女性の社会進出にとって不可欠であった。男女平等の教育制度は女性への教育機会を保障し、男性と同等かそれ以上の学歴を獲得することで自らのキャリアへの端緒を得た女性も少なくない。女性の社会進出の結果、「女性初」という言葉はほとんど聞かれなくなった。また、女性労働への社会的支援は、きめ細かな社会福祉サービスが育児や高齢者ケアをよくカバーしていることと、とくに出産・育児と就労の両立が保障されていることから理解できる。女性の職業意識が極めて強く、社会的にも家庭と労働とを両立させることが自明視されている。核家族化や少子化も進行し、戦後のライフスタイルの変化によって高齢者とその家族の別居がもっとも一般的である。さらに、フィンランドの女性労働の大半はフルタイム労働であり、あくまで家事と育児を生活の中心に据えるという意味での主婦概念は今日のフィンランドでは働く女性が幼い子供と過ごす育児休業の一時期のみに当てはまる。
一方、フィンランドの女性労働には官製フェミニズムではいまだに克服されていない課題も残されている。この後述べる男女間賃金水準格差も未解決の課題の一つであるが、フェミズムの啓発を受けた研究者たちは、官製フェミニズムが一方では男女平等を促進しつつ他方では男女不平等を温存する機能を果たしてきたと指摘している。フィンランドのフェミニスト研究者がとくに批判しているのは、官製フェミニズムそのものが従来のジェンダー分業について無批判であったために、保育・介護というケアの仕事を女性のための仕事とする伝統的な見解は温存され、この結果、育児や高齢者へのケア・ワークに携わる社会福祉サービス部門と女性労働の相互依存を高めながら福祉国家が発達・拡大してきた点である。この点で、官製フェミニズムは、働く女性の労働と家庭の両立に支援の手を差し伸べてはきたが、同時に、社会福祉部門のケア労働の大半を女性労働の導入によってしのいできたことからすれば、ジェンダー分業の在り方そのものや女性労働とケア労働の関係の見直しには積極的であったとはいえない。
職種別の男女分布にも大きな偏りがあり、さらに、職種間の賃金水準格差を反映して賃金水準の男女間不平等が未解決の問題として社会的に認識されている。このようなジェンダー・バイアスが賃金水準格差に及ぼす影響は、フィンランドのみならず他の北欧諸国でも指摘されている。ジェンダー・バイアスが職種別男女分布の不均衡として表象されるまでには、まず、学校教育の段階での科目・進路選択における男女の偏りが大きな要因となっている。教育制度やその他の法制度で男女平等が保障されていても、実際に社会で受容されてきたジェンダー関係を見直す努力なしには、男女平等は制度上のスローガンに過ぎない。
80年代末からの北欧諸国の政府間共同プロジェクトでは、初等教育の後半か中等教育において女子生徒の理科系科目への興味をとくに維持し励ますような試みが実験的に行なわれている。これがどのような成果を上げるかどうかは別問題としても、こうした試み自体に積極的に取り組んでいる点では、北欧福祉国家の官製フェミニズムの柔軟性は評価されよう。ただし、この北欧プロジェクトは、ケア労働に組み込まれているジェンダー・バイアスについて早急な変化を求めることはせず、既存の職種間の賃金水準不均衡にも直接踏み込んではいない点では、官製フェミニズムへの批判には部分的な対応をしているとも考えられる。
3. 男女間賃金水準格差問題に対する労使団体と政府の取り組み
男女間の賃金水準格差は、職種別の男女不均等分布という問題にとどまらず、職種間の賃金水準格差の問題にも深く係わっている点で複雑である。とくに後者の職種間格差は経済構造のバランスとも関連し、大量失業を克服しきれないでいるフィンランドの労働市場の現状からすれば、この格差の是正が経済政策において一層優先されるまでにはまだ時間がかかるであろう。労働における男女平等への公の監督体制としては、社会保健省では男女平等監督官の下に男女平等監督課が置かれ、さらに、別途に設置されている男女平等・労働問題の専門家5名からなる男女平等委員会は、男女平等監督官や労使中央団体の要請によって具体的な問題を審議する。86年にの国連・女性差別撤廃条約の批准によって、87年には「男女間の平等に関する法律」が発効している。同法第8条は職場における男女差別の内容をいくつか指摘しているが、「1人または複数の被用者に対して同等に
任務にもかかわらず性別を理由に労働条件や給与その他の権益において不利な扱いをした場合」も含まれている。同法は95年の改正によって、政策決定過程等の委員会における男女定員枠の原則や、企業における男女平等の促進をさらに強調している。 男女間賃金格差問題には、教育や職業訓練に応じた職業選択や昇進の機会・動機での差異などいくつかの要因が重なり合っている。同じ仕事には同額の賃金が支給されなければならないという法律上の基本原則にかかわらず、女性労働はともすれば男性労働よりも低い賃金水準に甘んじがちである。男女間の平均賃金水準格差は、70年代には順調に縮小傾向にあったが、80年代末以降は格差縮小には歯止めがかかっている。90年代に賃金の上乗せを獲得してきたのは男性労働を主力とする輸出産業であり、女性労働の多いサービス部門や公共部門では目立った賃金上昇はない。サービス部門は女性労働を多く抱えているが、労使交渉に携わるのは圧倒的に男性の代表者で占められている。
所得政策の一環として、これまで男女間賃金水準格差の是正・縮小のために労使団体や政府はさまざまな取り組みを展開してきたが、性別と賃金の関係にとくに関心が寄せられるようになったのは80年代である。89年に初めて実現し今日まで継続している男女平等調整金は、労働協約の対象となる特定の業種で女性労働が多数派であることを根拠とする賃金割り増しであったが、国民経済全体からすれば微々たるもので給与の0.1%に過ぎなかった。また、実際の配分方法は業種ごとの決定にゆだねられ、業種によっては性別を問わず全員に均等配分したケースもあり男女間格差の是正としては大きな効果を上げるには至らなかった。90-91年の男女平等調整金は、特定の業種で女性労働が多数派であることに加え賃金水準そのものの低さを根拠とし、他の調整金や上乗せ分と合わせて中央労働団体による賃金調整に組み込まれ、男女平等調整金の配分についての一環した指針は得られず、業種ごとに男女平等調整金の意味合いも異なる結果になった。このように、女性の賃金上の地位向上は低賃金水準の是正との連結によって進められており、こうした施策が効をさらに奏するまでにはさらに時間が必要と考えられる。
報告関連業績リスト
「フィンランドのボランティア活動」『世界の福祉』 (国際社会福祉協議会日本国委員会発行)No.36, 1995, pp. 1-12.
「フィンランドの社会福祉サービスにおける民間部門の役割:民間団体ソピムスヴオリの事例研究」Comparative Culture(宮崎国際大学紀要)1997, vol. 3, pp. 150-162.
The Emergence of Welfare Society in Japan. Ashgate, UK. 1997.
また、(共著)出版プロジェクトにて、「フィンランド企業の女性労働」および「フィンランドの社会福祉」について執筆(今秋以降出版予定)。
自由論題 第2会場「高齢問題」
報告1
保険・医療支出を中心とした老後生計費に関する一考察
──世帯主年齢階級別消費支出分析によるアプローチ−
山本克也(早稲田大学大学院)
1 はじめに; 平成9年9月に医療保険制度が改正され,健康保険などの被保険者本人の負担率は1割から2割に,また,老人保健適用の高齢者は,外来の場合,同一医療機関で月1,020円から1回500円(ただし,同一医療機関2,000円が上限)になるなど診療費の一部負担が増加した。今回のような改正は、家計にとっては医療の価格が上昇することと同義であり、その場合、家計の消費行動は、
他の財・サービスの消費を抑制し,医療支出の水準を維持する。
他の財・サービスの消費を維持し,医療支出の水準を抑制する。
のどちらかに変化することが考えられる。
制度改正による保健医療支出の変化を,医科診療代と医薬品の対前年同月実質増加率からみると,医科診療代は,医療保険制度改正後,月を追って減少幅は縮小するが,4か月連続して大幅な実質減少となっている(図1)。一方,医薬品の動きをみると,3月は(消費税率引上げ前の駆け込み需要?)大幅な実質増加となり、特に制度改正後の9月以降は4か月連続の実質増加となっている(図2)。また、外来患者数も対前年同期比でみてみると改正以後は減少傾向にあり、医科診療代の減少を補完する結果となっている(図3)。
もちろん、改正後間もなくであり、統計的に十分なデータを得ることはできないが、図1〜3が示すように改正後の消費行動はb)になっていると考えられる。
消費行動がb)の場合、
I) 医療サービスの消費量は十分なのか
II) 医療の価格に問題はないのか
といったことが新たな問題となる。家計における医療消費の問題、とくに高齢者世帯の生計費との関連でこれを考える場合にはいくつかの問題点があるが、本報告では、
医療統計の問題点およびその展望
家計が医療の価格について感応的であるのかどうか
高齢者世帯の消費の特徴
の3点について考察を加えることにする。
2 分析の方法; 80年代以降、例えば84年10月の患者負担引上げ(被保険者負担1割負担の導入)、86年の老人保健制度の改正などに代表されるように、自己負担を増加させるものが存在する。家計の負担増を強いる社会保障制度の変更があった場合に,家計の消費行動に変化が起こるのか否かあるいは、家計の属性(世帯主の年齢)によって消費構造が異なるのかといった問題に対処するために支出関数の推計を行なう。支出関数に関する先行研究はEngel(1895)に始まり近年でもDeaton(1980)など数多く存在するが、今回はlog(MCAREt,i) = β1 + β2log(LEXPt,i)+β3 AGEt,i + μt,i
(t=70〜95, i=1,……,10)が基本モデルとして適当と考えられる。ただし,LEXPは消費支出,MCAREは保健医療支出,AGEは世帯主の年齢,μは誤差項であり,添え字のtは年,iは,世帯〜20歳,……,65歳〜の10年齢階級を表わす。各変数は総合消費者物価指数で実質化した。各変数を対数に変換しているのは,推定された係数値が支出弾力性を表わすからであり、この値は消費支出全体の変化に対して保健医療支出がどれだけ変化したかを示すもので、制度改正の家計に及ぼす影響を測定する一つの指標となる。なお、不均一分散の問題を回避するため、実際の推計に関しては世帯数をウェイトにした最小二乗法(WLS)を採用することにする。
3 保健医療統計について; 今回の推定に用いたデータは,1970年〜95年までの『家計調査』より勤労者世帯の世帯主の年齢階級別1ヶ月平均の収入と支出表をプールした10年齢階級別のデータである。しかし、現行の医療保険制度の下で行われる医療サービスが現物給付の形態をとるため,医療サービスの大部分が,直接に金銭で支払った額である「保健医療」(家計調査分類費目)の中には現れてこないことは、保健医療支出の支出関数の推定にとっては重大な問題である。医療費として家計調査から把握できるのは,「保健医療サービス」という名目での医療受診の際の患者負担の額だけであり,その内訳は診療代,入院料,他の保健医療サービスである。「入院料」には,通常の入院費用のほかに分娩費用が含まれており,分娩費用を含まない国民医療費より広い概念となっている。また、医療保険のために拠出された保険料の負担も,非消費支出の「社会保障費」の費目の中に他の社会保険料負担と一本にされて計上されているため,家計における医療費負担の状況の分析にはかなりの制約がともなうが,家計調査の規模,支出・収入のデータが同一サンプルから得られることなどを考慮すれば,家計の医療サービスに対する支出行動の概略を捉えることが可能となるであろう。
4 結果の概要; 80年代半ば以降の公的医療保険制度の改正は,各家計の消費行動に影響を与えていることがわかった。1970〜1985年と1986〜1995年の支出関数を推定した結果,低・中年齢世帯(〜54歳)の保健医療の支出の弾性値は,1970〜1985年には0.341であったのが1986〜1995年には(−)0.387へと変化した。また,高年齢世帯(55歳〜)は1970〜1985年では0.961であったのが,1986〜1995年には(−)0.541となっている。すなわち,とくに高年齢世帯の保健医療支出が抑制されていることが明らかになった。各家計は患者負担の増額に対して感応的な消費行動をとっているのである(詳細な結果は報告時に配布する資料に譲る)。
(参考文献)
Deaton A. and Muellbauer J., Economics and Consumer Behavior., Cambridge University Press, Cambridge, 1980.
Engel E.,Die Lebenskosten Belgisher Arbeit Familien., Heinrich, Dresden, 1895.
永山貞則, 森田誠.「ライフステージと消費構造−世帯主年齢階級別の消費支出の国際比較−」(季刊『家計経済研究』, No.12, 1991所収)
総務庁統計局.『家計調査年報』各年版.1980-1995.
総務庁統計局.『家計調査総合報告書・昭和22年〜61年』.1988.
報告関連業績
1.「わが国の人口構造と報酬比例年金の関係」 『日本年金学会誌』第14号,1994年,pp.23-36.
2.「世代重複モデルによる公的年金制度の分析─人口高齢化における財政方式と経済成長の関連に ついて─」 『日本年金学会誌』第16号,1996年,pp1-7.
3.「世代重複モデルによる公的年金制度の分析─若年期の労働供給行動と世代間トランスファーの 関係について─」 『早稲田経済学研究』第44号,1997年3月,pp.207-216.
4.「老後生計費に関する一考察─特に高年齢世帯の保健医療支出の動向について─」 『早稲田経済学研究』第46号,1998年,pp.139-159.
自由論題 第2会場「高齢問題」 報告2
年金政策の負担・給付システムをめぐる諸論点の検討
――第3号被保険者問題を事例として
田中きよむ(高知大学)
現在、1999年の年金財政再計算期にむけて、負担・給付システムをどのように調整するか、ということが厚生省および年金審議会で検討されている。給付・負担システムをめぐっては、学界でもさまざまな視点から多様な議論がなされているが、重要な焦点の一つに、第3号被保険者問題がある。
1985年の法改正により、国民年金に第3号被保険者が設けられたわけだが、第3号被保険者が実際には保険料を納めず年金給付を受けられることについて、賛成的な立場と批判的な立場との間で論争が展開されている。政府・審議会でも、第3号被保険者問題を検討課題の一つにしている。
第3号被保険者の負担・給付をめぐる議論は、専業主婦らの女性の年金をどう考えるかという問題にとどまらず、公的年金、ひいては社会保険・社会保障はどうあるべきか、という問題や、女性の労働をどう評価するか、という問題をも巻き込む広がりをみせている。その意味で、逆に、その問題の評価が、年金をはじめとする社会政策のあり方の評価にも影響を与えるといっても過言ではない。
その問題が論じられる場合、論者によって評価の基準が異なっていたり、同じ評価基準でも論者によってその意味するところが異なっていたり、重点のおき方が異なっていたりする。あるいは、様々な評価基準が十分に整理されたり深められることのないまま、論点が錯綜している場合もある。さらにいえば、特定の結論ないし価値判断に鋳込むかたちで議論が展開されているふしもある。
本報告では、上のような問題意識のもとに、第3号被保険者をめぐる論争を、基礎年金と被用者年金、被用者世帯と自営業世帯、3号制度と免除制度、世帯単位と個人単位、応能負担と応益負担、公的年金と私的年金、年金制度とその他の制度、公平性と効率性、市場労働と家庭労働、税負担と保険料負担、などの諸論点にわたって整理しながら、包括的な視点で各論者の主張の妥当性を検討しつつ、筆者なりの代替案をも提示してみたい。
報告関連業績リスト
本報告に直接関連する業績はないが、敢えて薄い関連のものを挙げるとすれば、以下のものがある。
田中きよむ「介護保険と措置制度をめぐる論争に関する一考察」(『高知論叢』59号、1997年)
田中きよむ・高知県地域福祉研究会「地域住民の福祉意識・ニーズの動向と展望――高知県にお けるアンケート調査を事例として」(『高知論叢』61号、1998年)
自由論題 第2会場「高齢問題」 報告3
大都市における高齢者の経済的地位について
−公的年金、収入、就業、子との同居を中心に
塚原康博(明治大学短期大学)
1.本研究の目的
本研究では、大都市(東京都23区)における高齢者(65歳以上)の経済状況を明らかにするために、公的年金の受給額、公的年金を含めた高齢者の収入、世帯全体の収入の状況をデータで示し、公的年金が高齢者の最低生活の保障において果たしている役割、公的年金の受給額と社会階層との関連、高齢者の就業行動や子との同居行動の決定要因等をクロス表やロジット・モデルを用いて分析する。ただし、経済状況を分析する場合は、高齢者が1人のケースと2人のケースでは、生活に必要な収入が異なるため、本研究では、高齢者夫婦2人のケースと単身高齢者1人のケース(独身、離別、死別のいずれか)を分けて分析することにする。
なお、本研究は、平成8年度の文部省科学研究費補助金を受けて実施された平岡公一・お茶の水女子大学助教授を研究代表者とする研究プロジェクト「社会政策と社会的不平等の再生産の関連性に関する総合的研究」の研究成果の一部である。
2.データ
調査対象者の範囲は、東京都23区に在住する65歳以上の高齢者である。男女別の分析を可能とするために、調査対象の範囲から男女それぞれ500人ずつを無作為抽出した。有効回収率は、男が61.8%(309人)、女が69%(345人)であった。本研究では、男女別の分析を行うわけではないので、男女比を母集団の男女比(4:6)に一致するようにウエイトをかけたサンプル(583人)を使用する。
3.本研究の分析結果の要約
上記のデータを使用した分析からさまざまな知見が得られたが、ここでは主な結果のみを列挙しておこう。
@公的年金の最低生活の保障機能については、高齢者が持ち家の場合に、公的年金の収入のみで生活保護の基準からみた最低生活を賄おうとすると、高齢者夫婦の約4分の1、単身高齢者の約2分の1が最低生活を維持できない。それゆえ、公的年金だけで老後の最低生活を維持することは困難であり、とりわけ単身高齢者についてそれが当てはまる。
A公的年金の受給額と社会階層との関連については、50歳時点でその人が属していた社会階層と公的年金の受給額との関連が強い。これは、公的年金制度が現役時の職業や所得を反映したものとなっているからである。また、高齢者夫婦と単身高齢者のいずれの場合においても、50歳時点で商工農自営業であった人の公的年金額が相対的に低いが、これは商工農自営業には定年がないため、公的年金給付が制度的に低い水準に押さえられているためだと考えられる。
B高齢者の収入のみで、最低生活が賄えるか否かについては、高齢者が持ち家の場合に、高齢者の収入のみで生活保護の基準からみた最低生活を賄おうとすると、高齢者夫婦の約4%、単身高齢者の約2割が最低生活を維持できない。世帯収入のみで最低生活を賄おうとすると、高齢者夫婦の約3%、単身高齢者の約1割が最低生活を維持できない。フローの収入のみに注目した分析では、単身高齢者の生活がより苦しいと推測される。ただし、厳密な分析を行うためには、金融資産等も考慮しなければならないが、金融資産の金額に関する質問では無回答の比率が多いため、金融資産も含めた分析は断念した。
C公的年金の給付額が就業選択に与える分析においては、自営業者の場合に就業が選択変数になっていない可能性のあるので、自営業者をサンプルから除くと、高齢者夫婦の場合は年金給付が就業選択に影響を与えないが、単身高齢者の場合は公的年金の給付額が低いと就業を促進する。これは、@の結論から明らかなように、単身高齢者の場合、公的年金を主とする非就業所得だけでは、最低生活を下回る人がかなりいるため、これらの人が経済的な理由で就業を選択せざるをえなかったためだと思われる。
D高齢者の収入が子との同居に与える影響については、サンプルを子がいる高齢者に限定するとき、高齢者夫婦の場合は、収入が子との同居に影響を与えないが、単身高齢者の場合は、収入が低いと子との同居を促進する。これは、Bの結論から明らかなように、単身高齢者の場合、本人の収入だけでは、最低生活を下回る人が少なからずいるため、老親が子の経済的な支援を求めて同居を選択しているためだと考えられる。なお、高齢者夫婦と単身高齢者のいずれの場合にも、高齢者か子のいずれかが持ち家の場合には、子と同居する傾向がみられる。これは住宅を保有していない者が住宅サービスの便益を受けるためだと考えられる。
E最後に本研究から得られる政策的インプリケーションを述べておこう。本研究から公的年金やそれを含めた高齢者の収入が最低生活に必要な水準と比べて少ないケース、とりわけ単身高齢者において少なからずみられるこのようなケースでは、経済的理由から就業したり、子と同居したりする傾向がみられる。しかし、就業できるかどうかは年齢や健康状態にも左右され、子に頼れるかどうかは子の側の事情やそもそも子がいるかどうかという事情に左右されるため、今回の分析で相対的に不利な状況におかれていることが判明している単身高齢者については、注意深い政策的な対応が必要であるように思われる。なお、日本の大都市のみならず、アメリカにおいても、単身高齢者が経済的に不利な状況におかれていることが実証的に明らかにされている。アメリカの事情については、塚原康博(1990)「高齢者の経済的地位−アメリカにおける実証研究について−」『海外社会保障情報』第93号、50−58ページ.を参照されたい。
報告関連業績
1.「高齢者の経済的地位−アメリカにおける実証研究について−」『海外社会保障情報』、 第93号、1990年12月、50-58ページ.
2.「適正な老齢年金額の年齢階層別分析」『季刊社会保障研究』、第28巻、第1号、1992年6月、
45-54ページ.
3.「ヴィネット調査による年金意識の研究−公的年金の受給者・非受給者別の計量分析−」 『明治大学短期大学紀要』、第53号、1993年3月、109-13 0ページ.
4. 「人口の高齢化と地域福祉政策−在宅福祉サービスの実証分析−」『季刊社会保障研究』、 第32巻、第2号、1996年9月、190-198ページ.
5.「年金、収入、労働」『社会政策と社会的不平等の再生産の関連性に関する総合的研究』平成8 年度文部省科学研究費補助金研究成果報告書、1998年3月、31-46ページ.
自由論題 第3会場「医療・福祉」
報告1
日本における医師の配置・移動構造
──医局制度の分析を通じて
猪飼周平(東京大学大学院)
日本においては、「医局」とよばれる組織の人事が、日本の医師の配置・移動構造の主要部分を作り出している。本報告では、医局の人事システムにおいて形成される医師の配置・移動パターンである「医局制度」の実証分析を行う。
「医局」とは、元来病院の診療科組織や詰所のことであるが、本報告が分析の対象とする医局は、市中病院のそれとは性格を異にしている。医局は、公式には大学医学部臨床系講座のスタッフや大学院生・大学病院の勤務者・市中病院の勤務者などの地位にある医師が、医局の成員として、大学医学部講座および大学病院診療科の最高責任者である教授のもとに、インフォーマルに組織されたものである。医局の成員は、「医局員」とよばれるが、このような身分は公式的なものではない。
全国には、大学病院の診療科ごとに、2千近い医局が存在しているが、個別医局は、それぞれ、大学病院や、医局が人事権を握る市中病院(「関連病院」とよばれる)に医局員を配置している。それによって、個別医局は、@病院の医師需要への対応、A医局員の経済的基盤の保障、B医局員の臨床能力形成、C研究成果の生産といった諸機能を、バランスを取りながら達成しようとしている。
このような医局の人事によって生みだされる医局制度を、実証的に分析することの意義について、ここで簡単に触れておきたい。
医局は、総体として、若年医師の大部分を中核とした広い層の勤務医を組織している。また同時に、医局は、総体として、相対的に規模の大きな市中病院の常勤医ポストを中心に、その人事権を掌握している。このような医師と市中病院に対する広範な支配力のために、医局の人事は、日本の医師の配置・移動の基本的特徴を生みだすものとなっているのである。
たとえば、勤務医の平均勤続年数が、30代後半から40代前半にかけて急激に伸びていることが、統計的に確認できるが、それは、直接的には、この時期以降の医師に対する医局の人事的介入のあり方が、それ以前の医師に対するものとは異なっていることによって生じている。
他方、医局の人事は、医師の身につける臨床能力に強い影響を与えている。医師の能力形成における主要な手段は、実地における臨床経験の蓄積であるが、医局の人事は、若年医師が積む臨床経験の内容に対して、直接的かつ強い影響を及ぼしている。
たとえば、医局の人事は、相対的に規模の大きな病院を中心になされているが、このような病院における臨床経験は、より専門的な機器が利用可能な条件で、より狭い範囲の疾病・より難治性の疾病を患った患者に対処する能力を形成するのに適したものである。そこで修得された能力は、さまざまな診療形態において行われる診療に必要な能力全体からみれば、部分的なものに過ぎない。医局制度にみられる人事上の特徴の一つは、将来の開業医と将来の勤務医を区別する仕組みが存在していないということである。このため、日本の開業医は、勤務医と同種の臨床能力をもった医師として育成される。このような開業医の能力形成のあり方は、英国におけるGeneral Practitionerとも、医局制度が一般化していなかった昭和20年代以前の開業医とも、明らかに異なっている。日本の診療体制の特徴として、診療所と病院の機能分化が進んでいないことは、よく指摘されることであるが、この問題は、医師の能力形成制度としての医局制度との関連を考察することによって、理解が深められるだろう。
これらは、医局制度の分析が、医師の配置・移動・能力形成−それらは、医師によって供給される医療の量・質両面において重要な要素である−を構造的に把握するにおいて、分析の焦点となることの一端を示している。
ところが、これまで医局制度が正面から検討されたことはまれであったといえる。むろん、このことは、医局制度が、社会科学諸分野の研究者たちの関心を喚起しなかったということではない。それが、医療の質的要素を理解する鍵であることは、早くから指摘されていたことである。たとえば、西村周三(1987)は、米英との比較から、日本の卒後教育制度がインフォーマルに形成されていることと、医師の専門間分業にみられるある種のあいまいさとの関係に注目している。このように、医局制度に対して、高い関心が寄せられてきたにもかかわらず、医局制度の具体的構造を明らかにする作業がなされてこなかった背景には、医局制度が、非公式的制度であることや、その閉鎖的性格によって、接近が困難であると考えられてきたことが大きいと思われる。
だが、医局が内部向けに発行している医局員名簿などから、医局制度の構造的特徴を解明することは、ある程度可能である。
本報告においては、次のテーマについて検討がなされる予定である。
@ 医局制度の構造的特徴、すなわち日本の医師の配置・移動の特徴を解明すること。
A 医局の人事権の形成メカニズムを解明すること、および医局の人事システムが医師の能力形成に与える影響を検討すること。
B 医局制度の生成を追跡することによって、医局の人事が、医師の配置・移動・能力形成を規定していることの歴史的意義を考察すること。
自由論題 第3会場「医療・福祉」 報告2
看護・介護職員養成政策の問題点と課題
高木和美(サンビレッジ国際福祉専門学校)
保健婦助産婦看護婦法で定められた看護婦の業務範囲は、「傷病者若しくはじょく婦に対する療養上の世話又は診療の補助」であり、極めて狭く限定されしかも医師に従属的な内容となっている。「看護」の内、傷病者の世話の部分が歴史的に最も早く社会化されたのであり、現在の看護婦の定義と類似の法令を1915年の内務省令看護婦規則にみることができる。しかし、看護とは、人間の社会的な存在と健康の維持・増進・回復・予防、看とりに不可欠な身のまわりの世話である。看護の内、傷病者以外の人間の世話は歴史的には遅れて、世帯の小規模化と賃金の価値分割が進む中で社会サービスとして社会化されていくのである。社会サービスとしての看護は、生命・生活に危険を伴う素人の「結果を偶然に頼るやり方」ではなく、科学的総合的な人間の生活と健康に関する知識・技術並びに倫理に基づく方法で遂行することが求められる。心身の状態や年齢のいかんを問わず、総合的科学的な人間の身のまわりの世話が看護なのである。保助看法に定める看護婦の業務は、看護の一部にすぎない。
さて、看護職員の範囲に関しては、日本では保健婦、助産婦、看護婦、准看護婦の有資格者のみをさすが、ILO看護職員条約(第149号)では、「看護ケア、看護サービスを供給する全ての範疇の人々」と規定し、看護職員勧告(第157号)において、教育レベルに対応した合理的な職員構造が示されている。それは、専門看護職員と補助看護職員、看護補助者に分類されている。看護補助者は無資格者であるが、従事する職務に見合った適切な理論教育と実地訓練が与えられるべきとされている。つまり教育訓練の到達点、資格取得状況に違いがあろうとも、人間の身のまわりの世話にあたる職員は全て看護職員と位置づけた。(1)職員全体の教育訓練の底上げをし、(2)全ての職員にキャリアアップの道を開き、(3)合理的職階制度に基づく職務と権限の明確化を図り、(4)賃金格付けを資格、キャリアに対応させることは、看護職を魅力あるものとし、結果として質のよい看護サービスを公衆に供給する重要な条件と判断されたのである。ILOやWHOで看護職員に関する国際文書が検討された時期(1960?1970年代)は、各国で高齢者や障害者の日常生活の世話が部分的に社会サービス化がなされる途上であった。その時期に、生活の世話である家事を社会化した場合の、その担い手の業務の本質について深い検討が加えられたとは考えられない。しかし、看護を「人間が人間的諸活動を行いうるように健康を促す生活の世話」と定義するならば、ホームヘルパーや社会福祉施設の寮母もILO条約にいう看護職員にくくりうる。
特別養護老人ホームへの入居やホームヘルプサービスを求める高齢者人口が増加の一途を辿り、無資格の身のまわりの世話の担い手が増大する過程で、彼らに求められる業務には、看護の基礎知識・技術が不可欠であり、食事介助や衣服の着脱、居室の清掃等どれをとっても、科学的合目的的に行う必要があることが明らかになった。また、生活の世話の担い手にはサービス利用者との信頼関係を築き、人権を守る力量も問われている。このような情勢のもと、政府は看護職員以外の身のまわりの世話の担い手を介護職員と呼び、ゆるやかな資格取得条件の国家資格「介護福祉士」を用意した(1987年)。ただし、介護福祉士の養成課程と看護職員のそれとは完全に切り離された。今のところ介護福祉士は准看護婦の賃金格付けより低くおかれ、施設等における介護福祉士の配置基準は定められていない。
法律上、介護福祉士の業務は、「身体上又は精神上の障害があることにより日常生活に支障がある者につき入浴、排せつ、食事その他の介護を行い、並びにその者及びその介護者に対して介護に関する指導を行うこと」とされている。しかし、「本人の社会的自立・健康」を促す一連の行為は、看護と区別することは不可能である。
日本では、看護を医療の専門技術とし、介護を社会福祉の専門技術とする「分離論」や、看護と介護を同じ行為をしていも目標のとり方と目標に至るプログラムのたて方が異なる等、看護職員と看護職員を分離養成することに根拠を与える「理論」が、制度を支えている。
しかし、それらの「理論」は、健康や医療、看護の概念を狭く捉えるものである。また社会福祉が医療保障や所得保障など生活保障諸制度の中に最終的に位置する制度であるという制度構造の分析が乏しい。筆者は、介護は看護と分離しえないものなので、その教育訓練システムは一本化されるべきと考える。世話の担い手を分断する制度・政策は、介護職員をILO看護職員条約(日本は1997年10月現在、未批准)の対象労働者からはずすことにも通じ、看(介)護職員全体の社会的地位・賃金を抑える働きをし、相対的に看護の質を低下させる。看護の質を向上させるためには、少なくとも保助看法と社会福祉士及び介護福祉士法を見直し、新たにキャリアアップ可能な一元的看護職員養成制度と資格制度を作ることが必要である。筆者はそのための試案を作成した。
報告関連業績
*「農村における地域福祉マンパワーについて−地域福祉マンパワーの現状、その役割と課題−」 『地域福祉研究』No.19 1991年6月30日発行「地域福祉研究」編集委員会編集 日本生命済生 会福祉事業部発行
*「患者住民からみた『在宅重視』診療報酬改定の問題点−地域医療・地域福祉の視点から「在宅政 策」をとらえる?」『日本の地域福祉』第6号 1993年発行日本地域福祉学会「日本の地域福 祉」編集委員会編集 日本地域福祉学会発行
自由論題 第3会場「医療・福祉」
報告3
保健・医療・福祉複合体──全国調査に基づく評価と将来予測
二木 立(日本福祉大学社会福祉学部)
はじめに
「保健・医療・福祉の連携と統合」は、今や、医療・福祉分野の社会政策研究のキーワードになっている。この場合、通説では、自治体主導でしかも、個々の独立した保健・医療・福祉施設間の「連携と統合」が想定されている。一部では、「病院を中心とした統合モデル」も提起されているが、その場合に念頭におかれているのは、公立病院である。それに対して最近は、全国各地で、私的医療機関(病院・診療所)の開設者が同一法人または系列法人により老人保健施設・特別養護老人ホーム等を併せて開設し、保健・医療・福祉サービスを事実上一体的に提供する動きが生まれている。このような「保健・医療・福祉複合体」(ヘルスケア・グループ。以下、「複合体」)の「事例報告」は、専門雑誌誌だけでなく、新聞でも行われるようになっているが、これの全体像は既存の官庁統計ではまったく分からない。そこで、報告者は過去3年間、全都道府県の「関係者」の協力も得て、私的医療機関「母体」の保健・福祉施設の全国調査を継続してきた。今回、その調査結果を報告するとともに、「複合体」の評価と将来予測を行いたい。
私的医療機関「母体」の定義と調査方法
私的医療機関「母体」の保健・福祉施設は、操作的に、@日赤、済生会、病院を開設している社会福祉法人が直接開設している施設、A医療法人等(狭義の)私的病院の開設者またはその関係者(配偶者や役員)が理事長となっている系列の社会福祉法人等が開設している施設、B医師会が設立母体の社会福祉法人が開設している施設と定義した。医療施設を開設している法人と系列法人をあわせて「グループ」と呼ぶ。今回は、老人保健施設、特別養護老人ホーム、ケアハウス、有料老人ホーム、在宅介護支援センターの5種類の保健・福祉施設について全国調査の結果を報告する。なお、特別養護老人ホームは自治体と日赤、済生会、社会福祉法人しか開設できず、老人保健施設は個人では開設できない。官庁統計がまったくないため、以下の3つの代替的方法で調査した。@各種施設名簿の照合と当該施設・グループへの電話調査。A全都道府県の3種類の「関係者」に依頼して情報収集(報告者独自の情報ネットワーク:各都道府県の保険医協会、児島美都子日本福祉大学名誉教授の教え子のMSW等)、B当該グループへ資料寄贈依頼。また、Aの一部からは、個々の「複合体」の光と影についての「非公式」情報もいただいた。あわせて、東海地方を中心にして、各施設を直接訪問してヒアリング調査を行った。
調査結果
1.保健・福祉施設種類別の私的医療機関母体施設割合(表1)
老人保健施設では、私的医療機関母体の割合は85.0%(対総数)、89.8%(対私立施設)に達していた(以下、対私立施設総数割合のみ示す)。なお、厚生省調査では、病院・診療所「併設」施設の割合は60.3%にとどまっている。これは、「併設」の定義が「同一施設内又は公道をはさんで隣接」ときわめて狭いためである。特別養護老人ホームは典型的な社会福祉施設であるが、それでも、私的医療機関「母体」が35.9%も存在した。この割合は、ケアハウスでも31.5%、有料老人ホームでは21.2%であり、在宅介護支援センターでは、49.2%にも達していた。
2.母体私的医療機関の種類(表2)母体医療機関の種類をみると、病院がもっとも多いが、診療所も2〜3割を占めていた(最大は特別養護老人ホームの33.7%、最小は有料老人ホームの17.2%)。表には示さなかったが、いずれの施設でも母体病院の大半は医療法人立であった(老人保健施設では85.5%、特別養護老人ホームでは64.2%)。
3.病院・老人保健施設・特別養護老人ホームの「3点セット」開設グループ(表3)
報告者は、病院・老人保健施設・特別養護老人ホームの入院・入所「3点セット」を開設しているグループが、もっとも典型的な「複合体」と考えている。このようなグループは、1996年末で全国に259存在した(済生会は全国単一組織であるが、8府県でそれぞれ「3点セット」を開設し、しかも各都道府県支部単位での独立採算制のため、8グループと見なした)。これらグループの病院の開設者をみると、医療法人が200(77.2%)で飛び抜けて多く、以下公益法人19、個人17の順である。「3点セット」開設グループには病院チェーン(同一または系列法人で2病院以上開設)が多く、全体では35.1%、医療法人では29.0%、個人でも11.8%が病院チェーンである。他面、病院の半数以上(54.8%)が300床未満の中小病院である。この割合は医療法人では60.5%、個人では76.5%に達している。つまり、医療施設の「複合体」化は、大病院の「専売特許」ではなく、民間中小病院、さらには診療所にとっても、十分実現可能な選択肢なのである。
考察−「複合体」の光と影
一法人またはグループが医療サービスと福祉サービス、入院・入所サービスと在宅サービスを「ワンセット」で柔軟に提供する「複合体」は、患者・利用者の利便性の向上という点でも、「規模の経済(スケールメリット)」や「範囲の経済(複数の類似サービスの生産による費用節減)」を通しての経営効率化という点でも、単独施設に比べてはるかに有利である。しかも、介護保険(2000年度創設)で、@医療給付と介護給付の一体化と給付上限設定、A特別養護老人ホームの契約施設化、B福祉サービスの供給主体の多様化が行われるため、「複合体」の利点が現在よりも飛躍的に強まることは確実である。なお、「3点セット」開設グループは、介護保険構想が登場した1995年以降急増している。ただし、「複合体」にはこのような光の面だけでなく、@「地域独占」(患者・利用者を囲い込み、利用者の選択の自由を制限し、施設間連携を阻害)、A「福祉の医療化」による福祉本来の発展の阻害、B「クリーム・スキミング(利益のあがる分野へ集中)」による「利潤極大化」、C(中央・地方)政治家・行政との癒着等の「影」の面があることも見落とせない。
この側面の監視・予防は、行政と医療専門職団体、市民(団体)に課せられた新しい課題である。
報告関連業績
1)二木立「病院主導の保健・医療・福祉複合体の実証的研究」『病院』55(11)〜56(12),1996-1997.
2)二木立「すでにおこった未来−保健・医療・福祉複合体」『月刊新医療』1998年2月号.
3)二木立『日本の医療費−国際比較の視角から』医学書院,1995.
自由論題 第4会場「労働市場」
報告1
90年代の新規大卒労働市場−学校歴格差と企業の採用行動
松尾孝一(京都大学大学院)
1 本報告の課題
バブル崩壊後の不況を契機に、日本の伝統的な雇用慣行は変化を遂げつつあるとされる。その主たる内実は従来の固定的な雇用慣行の変化であり、雇用の流動化であろう。そのような傾向が今後も続くならば、いわゆる終身雇用を前提としてきたコア的労働市場が縮小することは不可避であろうし、新卒者の労働市場も自ずと変容を余儀なくされよう。その変容は新卒者の働き方の選択肢の多様化というよりは、コア的な労働市場に入れる者とそうでない者という形で新卒者間の階層的分断化を助長させることも危惧されよう。このような問題意識に立脚しつつ、本報告では、90年代の新規大卒者の労働市場を主たる分析対象に据え(それは大卒がこれまでコア労働力予備軍であったこと、バブル期以降の景気変動の影響を最も被ったとデータ的に判断できることなどの理由からである)、好況から不況へと激変したこの時期の新規大卒者の民間企業への入職に関する数量的データを分析することによって、新規大卒労働市場のいわゆる学校歴間格差拡大の状況をまず析出したい。さらに、データの分析を踏まえつつ、コア的労働市場の変化という状況の中で、企業の採用行動が就職機会格差形成という面でどのような問題点を内包しているのかを指摘したい。
2 入職データに見るバブル崩壊後の新規大卒者間での就職機会格差拡大
(1)80年代後半以降の大学数の急増と大卒供給の増加
(2)バブル崩壊後の新規大卒者全体の就職状況の悪化
例えば、『賃金構造基本統計調査』のデータから計算すると、従業員数5人以上の企業への就職者のうち従業員数1000人以上の企業への就職者の割合は、56.9%(91年卒)から36.4%(95年卒)へと低下している。低下率では、高卒の同33.6%→23.1%、短大高専卒の35.6%→20.5%を下回る。バブル崩壊後の不況による新卒者の就職状況の変化の度合いは、大卒においてより大きかったと言えよう。
(3)大卒者間での学校歴による就職機会格差の拡大
『サンデー毎日』が毎年集計している企業の大学別新卒採用数のデータを使い、90年代における学校歴別(いわゆる大学の銘柄・入試難易ランク別)の採用動向の変化を調べてみた。一応、旧帝大・早慶クラスの大学のうちデータの揃っている7校(東大・京大・一橋大・神戸大・名大・早大・慶大)をA群、いわゆる有名私大として明治・青学・立教・中央・法政・関学・関大・同志社・立命の9校をB群、いわゆる中堅私大として日大・東洋・駒沢・専修・京産・近畿・甲南の7校をC群として挙げ、この3群の比較を中心に大企業就職者数のデータを分析してみた。対象業種としては、学部卒事務系採用者が中心であり内部労働市場が制度化されているという意味から都銀・商社・保険を中心にし、またメーカーとして鉄鋼も取り上げた。新卒労働市場が売り手から買い手へと激変した90年頃から96年頃までの時期のデータを分析した結果、@景気が悪くなり採用総数が減少するほど入試難易度の高い大学の出身者の占有率が上昇する、A入試難易度の高い大学は各年の採用数の変動が少ない、B採用総数が減少すると旧帝大・早慶クラス(A群)以外の大学からの採用数はより大きく減少する、CただしB群とC群との間では採用数の変動の度合いに有意な差はない、という傾向が確認できた。この傾向は特に都銀と商社において顕著であった。
3 就職機会格差をもたらす採用行動
−先行研究・調査の概観と90年代の現実データから見たそれらの問題点
新規大卒者の就職先のデータから、「威信の高い(入試難易度の高い)大学の出身者ほど大企業への就職において有利である」という命題を実証した研究は多い(上記のデータもその命題を裏付けるものであった)。しかしそれらは主として結果からの判断であるという限界があり、それだけで大企業が採用政策上彼らを優遇しているとは言い切れない。また、大企業が現実に入試難関大学出身者を採用上優遇しているとしても、それ故に彼らが大企業への就職において有利であると述べるだけでは同義反復の域を出ない。従って、彼らが有利になるメカニズムに切り込んで説明する必要がある。とはいえ人的資本論やシグナリング理論等の経済理論からの説明では、現実の労働市場でどのような選抜が行われるのかについては射程に入れていないという不十分さがある。その意味で企業の具体的な採用基準や採用方法に切り込んだ説明もが必要であろう。とりあえず本節では、その点に関しての先行研究・調査を概観してみる。
・学歴に関する企業の意見調査(リクルートリサーチ[1994])
・採用基準と関わらせた説明(日本労働研究機構[1993]、立道[1994]等)
・採用方法の運用と関わらせた説明(苅谷[1995]、竹内[1995]等)先行調査・研究からは、大企業は採用者の学校歴を軽視してはいないが、必ずしも難関校のみで採用枠を埋めようとはしないという志向も同時に持っていることが示唆される。大企業は旧帝大(及びそれに匹敵する大学)、地方国公立大、有名私大、中堅私大、というふうに各大学ランクごとに採用枠を割り当て、各ランクからバランス良く採用しようとする志向を持っているということである。採用におけるこのような選抜方法を竹内は「分断的選抜」と呼んでいる。しかし大学の偏差値ランクごとにバランス主義的に採用枠を配分しても、学生数の偏差値別正規分布の形状から偏差値の高い大学の学生は当然に稀少となるので、彼らは相対的に「売り手市場」となり、冒頭の命題が成立するというのである。
しかし、この「バランス主義」の実態がどのようなものかは、現実のデータに即して検証されなければならないであろう。確かに、先の90年代のデータによっても、大企業の新卒採用にそのようなバランス主義的な配慮が読みとれないわけではない。しかし、同時にその「バランス」の恣意性も明白である。採用数の配分は、例えば都銀上位6行の場合旧帝大・早慶・一橋・東工・神戸の12校から採用総数の約5割も採用しているように、難関校に極端に厚く、偏差値分布の密度に応じた学生数の比率には全く対応していないからである。竹内も指摘している難関校生が有利になる上記のメカニズム以上に、現実のデータからみたその恣意性は指摘されるべきであろう。
4 企業の新卒者選抜方式の意義と限界
採用者の学校歴を意識し、大学ランク別採用者数のバランスを配慮する採用政策は、それ自体企業の学校歴重視主義の産物であろうが、それは下位校にも枠を配分するという意味でいわば積極的是正策という側面はある。それは先の採用データからも読みとれる。もしメリット主義的採用を徹底化すれば、公務員試験の例からも明らかなように特に不況時に難関校が採用枠の多数を占めてしまう現象が生じるであろう。人材の多様性確保という表向きの理由以上に、そのような現象を防ぐ積極的是正策として大企業は「分断的選抜」を行っている面はあると考えられる。またそれ以外にも、各大学とのコネクションの確保という理由や、各大学卒業生がもつ人脈等の取り込みという理由もあると思われる。積極的是正という側面だけでは同一ランク内での採用校数もなるべく増やそうとする企業の姿勢は説明しがたい。しかしいずれにせよそのような採用方針の下では、相対的に稀少な難関各校からは毎年採用されるが、あまり稀少でなく代替性の高い中堅各校からは毎年採用されるとは限らなくなる。すると最近のように不況下で採用総数が減少してくると、毎年の採用によりコネクションが形成されやすい難関校からの採用が自ずと優先されるようになると考えられる。要するに難関校とのコネクションの確保という側面の方が前面に出てくるのである。
従って、「分断的選抜」方式も、難関校間での採用枠の水平的分割と、難関校とそれ以外との差別的分断とをもたらすという意味で、就職機会格差を生み出しやすい仕組みを3で述べたメカニズム以上に内包していると言えよう。要するに、現在の大企業の新規大卒者選抜方式は、実態面でも難関校優遇と言わざるを得ない上に、メカニズムとしてもそうなりやすいものを内包しているということである。
そして、今後コア的労働市場の縮小と大卒供給の相対的増加によって大企業新卒労働市場の需給のアンバランスが拡大するとすれば、(一定以上の)各ランクの大学に採用枠を割り当てていくような大企業の「分断的選抜」は、中堅校にも枠を与えることによって積極的是正策となる意義よりも、その弊害(難関校による採用枠の独占、採用における学閥による談合等)の方がより目立つようになるであろう。
5 政策的方向性
【参考文献】
苅谷剛彦編[1995]『大学から職業へ−大学生の就職活動と格差形成に関する調査研究』 広島大学大 学教育研究センター
竹内 洋[1995]『日本のメリトクラシー』 東京大学出版会
立道信吾[1994]「大卒事務系社員の採用基準の研究」(東京都立労働研究所『労働研究所報』 NO. 15)
日本労働研究機構[1993]『大卒社員の初期キャリア管理に関する調査研究報告書』日本労働研究機構
リクルートリサーチ[1994]『学歴に関する企業の意見調査』
自由論題 第4会場「労働市場」 報告2
一日雇労働者と社会保障
──日本最大の日雇労働市場「釜ケ崎」における展開と現状
上畑恵宣(高野山大学)
1.はじめに
野宿者−路上生活者−ホームレス、と言われる人たちがバブル崩壊後の不況の深まりと長期化の中で、全国の大都市周辺で急速に増大し、衆目に触れ社会問題化するまでになった。政策学会での日雇労働者問題の論議の中で、不況の波をもろにかぶる不安定就業階層の姿と、諸問題が浮きぼりにされるに至った。 失業対策事業は終焉し、失対労働者は日雇労働市場から去っていった。しかし、不安定就業者は、むしろ縮小より、パート労働、派遣労働、フリーターなどと姿を変え拡大していっている。日雇労働者への社会保障制度は、失業保険や健康保険の例をみるように、当初は一般労働者と別建てで、遅れて対応がされていた。しかも、それは全日自労などの血のにじむような闘いの中で勝ちとられていったものである。一方、「寄せ場」と言われる青空日雇労働市場の多くの日雇労働者にはその不十分な制度すら全く無縁な存在でしかなかった。3万人にも及ぶ日雇労働者を抱える、全国最大の日雇労働市場「釜ケ崎」で、社会保障制度の埒外におかれていたその多くの日雇労働者が、どのようにして、その制度を自らの側に引き寄せていったのか、そして現状はどうなのか、若干の問題提起をしてみたい。
2.日々雇用、日々失業の日雇労働者と失業保障
1)「土方殺すにゃ刃ものは要らぬ、雨の三日も降れば良い」
雨が三日も降ればまさにお手上げの日雇労働者にとって、「飯場」は、たとえその飯場が「タコ部屋」であっったとしても、「駆け込み寺」の役割を果たした。それに代わる逃げ込み場所は「拘置所」でしかなかった。さもなくば、非人間的な路上死が待ち構えていた。失業状態が続くとき、このような過酷な状況に追い込まれるのが「日雇労働者」の宿命であった。
2)「失業保険法」の制定と「日雇特例被保険者」
失業保険法が施行されたのは戦後間もない1947年、そして二年後の改正で、日雇労働被保険者に関する特例が設けられ、日雇労働者に失業給付の道が開かれた。その対象の多くは職安登録の失対労働者が中心だった。職安に登録しない青空日雇労働市場の日雇労働者にとっては、この折角の失業保障も全く無縁な存在でしかなかった。
3)「ドヤ証明」と「就労申告書制度」の採用
失業保険の日雇労働被保険者手帳を作る時の住所確認(住民票などによる)は、ドヤ街の日雇労働者と職安を隔てる一つの壁だった。さらに、その就労先が圧倒的に失業保険の未適用事業所であったこともあって手帳は無用の長物でしかなかった。大阪万博開催時に、地区労働者の労働組合が組織され、日雇労働者の失業保障は新たな展開を見せた。その突破口が、「ドヤ証明」による手帳交付と、「就労申告書制度」である。この二つは、地区日雇労働者に失業保障の道を開く画期的な事柄となった。しかし、これは大阪だけの特別措置であったために、全国的に拡大することはなかった。
4)「就労申告書の廃止」と雇用保険適用の促進
この大阪での「就労申告書制度」は、本庁労働省から見れば違法な許し難い措置であり、制度廃止へむけて大きく動き出した。労働組合を中心に現場では、廃止受け入れの条件とし、未適用事業所の一掃を求めた。こうして、労働者は手帳を出しさえすれば印紙を貼付して貰える状況が出来あがった。やがて、暴力団と結びついた「ヤミ印紙」の売買、手帳金融への発展は、「就労申告書制度」では不可能であった全国的拡大を見せた。しかし、大阪ではヤミ印紙貼付の摘発で、手帳を失う労働者が増大していった。そして、このことが一方で、折角の失業保障の網の目のほころびを大きくしてゆくことになった。
5)不況と日雇労働者の失業保障
こうして、地区「日雇労働者」にもやっと社会保障の網の目が掛かるようになり、その効果は第一次オイルショック後の不況の中で劇的な形で現れた。しかし、その後の展開は楽観できるものではなく、行政改革の進行は、拡大し続けた白手帳所持者への締めつけの展開となって現れた。失業給付は、不況になれば増えるのが普通であるが、日雇の場合は不況による就労日数の低下で、アブレ手当の受給資格要件を欠くことになった。
3.3K職場での労働災害、日雇労働者の労災補償
1)労災事故の多発、危険にさらされる日雇労働者
西成労働福祉センターでの労災相談での、産業別推移をみると、地区労働者がその時々の産業界の要請に応えてその就労先を転々としてゆく様が分かるが、その多くは3K職場である。死亡事故などの重大災害を見ても、下請け末端で働く労働者の事故死が見える。
2)「ケガと弁当は自分持ち」
かって、日雇労働者は仕事でケガをしてもほとんど労災補償は受けられなかった。重層下請け下の、まして怖い雇い主であればなおさらのことである。おまけに、労災治療に代わる日雇健保もなく、ケガで仕事は出来ず、収入は途絶え、野宿を余儀なくされる。
3)労災保険休業補償費立て替え事業
日雇労働者が労働災害にあったとき、雇用主は労災手続きをとりたがらない。センターでは、雇用関係の実態なり、建設業での元請け責任を問うことによって、労災として手続きとらせた。次の難問は休業期間中の生活保障問題であった。常用労働者と違って労働が出来ずに、賃金収入が途絶えたとき、どうやって生活をするのか。せっぱ詰まった労働者を目の前にして、センターでの労災休業補償費の立て替え制度が始まった。しかし、いま、不況の長期化の中で、労災隠しが進行しており、示談で済ませる傾向が強まってきている。
4.日雇労働者の健康破壊と医療保障
1)日雇健康保険は日雇労働者の健康を守り得たか
日雇労働者健康保険法は、アンコと呼ばれた青空日雇労働市場から就労する労働者には全く無縁な存在でしかなかった。「就労申告書制度」と連動しての大阪での日雇健保の手帳交付の進展は、1975年の日雇健保の給付内容の大幅な改善で、オイルショックの不況のどん底で、雇用保険と並んで地区労働者の生活を支えるもう一つの大きな柱となった。しかし、残念ながら1984年の日雇健保廃止を伴った健康保険法の改正は、自己負担の拡大となって、ふたたび医療保障の網の目のほころびを大きくしていった。
5.建設業退職金共済制度と建設日雇労働者
現在、「寄せ場」から就労する日雇労働者の多くは建設労働者である。不況や、高齢で、建設業からリタイヤせざるを得なくなったとき、いくばくかの退職金が得られるようにしたのが、「中小企業退職金共済法」施行後5年後に、期間雇用の多い建設業に特例的な措置として発足した建設業退職金共済制度(建退共)である。これには、雇用形態による区別はない。日雇労働者が皆その建退共の手帳を持っているかと言えば、ノーである。
6.日雇労働者の老後の生活、無年金者の老齢保障
地区日雇労働者の平均年齢は54,1歳までに高齢化、老後の生活問題が切実なものとして迫ってきている。被用者年金としての厚生年金保険には、健保や雇用保険と違って日雇労働者に対する特例が何ら設けられていなく、老齢年金には全く無縁な存在となっている。このことは、健康保険の全適とあわせて解決すべき課題であると考えられる。国民年金への加入はより困難である。公的扶助は、稼働能力がある限り、65歳までは門前払いである。日雇労働者は55歳からの十年間をどう対処したら良いのであろうか。
7.国民の最後の拠りどころ公的扶助と日雇労働者
憲法25条の規定は、生活保護法の中で具現化し、社会保障制度の最後のネットとなっている。そのネットに大きな穴があいているとしたらどうなるか。はじめに触れたように、大都市の周辺に幾千の人たちが、路上で生活を余儀なくされている状況がその現実を物語っている。「稼働能力」があれば追い返し、「住所不定」だから相談に乗れないと断る。
8.追いつめられた日雇労働者
野宿・路上生活者の増大は、経済大国日本の社会保障の網の目がいかに粗いかを図らずも露呈した。社会保険の網の目からこぼれ落ちた日雇労働者は、国民の最後の受け皿である公的扶助の網の目からも落ちて、路上死を遂げる。それは果たして自業自得なのか。
9.今、緊急に必要なもの−日雇労働者への社会政策的対応
1)基本的には、仕事、雇用の保障をすることである。
山谷での、「特別就労対策事業」や「日雇労働者吸収要綱」、大阪での「高齢者特別清掃事業」などの形態での対応の拡大である。
2)次に求められるのは、日々失業の日雇労働者への不況下失業時の生活保障である。
「雇用保険」による一般的対応は、再就職しやすい若年層と、再就職が困難な中高年者層とでは、その失業給付日数に大きく差を設けている。日雇労働者でも、高年齢者のより一層の就労機会の狭さを考えれば、年齢に応じた対応が求められてもよい。
3)最後のネット公的扶助の適正な運用を図ること。
4)日雇労働者の社会・労働保険の一本化を図ること
10.おわりに−労働組合運動と社会保障−
報告関連文献
@「巨大な日雇労働市場−釜ケ崎」 『建設労働資材月報』 NO.61 1980年6月
A「釜ケ崎30年−日雇労働者の就労と福祉のために」『第29回全国出稼者大会誌』1993年2月号
B「ドヤ街における公的扶助−東西比較論」 高野山大学『密教文化』192号 1995年11月
C「公的扶助の縁辺グループ”住所不定者”への公的扶助の対応」 高野山大学『密教文化』195号 1996年12月
D「野宿(路上生活者)に”稼働能力活用の場”はあるのか」 『賃金と社会保障』1221号 1997年10 月
自由論題 第5会場「諸外国の社会政策」
報告1
中国における社会保険制度の史的展開過程(1951−81年)
焦培欣(中央大学大学院)
<報告の趣旨>
1979年以降の中国における「改革・開放」政策は、経済メカニズムを計画経済から市場経済へ移行させるとともに、従来の社会保険制度や社会救済制度では対応できない新たな国民生活問題を生み出した。具体的には、農村部における農家を生産単位とする生産請け負い責任制の確立は、20数年間にわたった人民公社集団経済に取って替わると同時に、集団経済の一環をなしていた従来の農村社会救済制度の機能をマヒさせた。そのために、政府は貧困者の救済問題を議事日程に乗せるようになった。 一方、都市部における国営企業の経営メカニズムの立て直しという改革は、企業内過剰雇用の削減を余儀なくし、経営管理が悪い企業の倒産も認められるようになった。これらの施策の実施によって生ずる大量の失業者や倒産企業の退職者の生活問題については、これまでの社会保険制度や社会救済制度では対応できない。経済改革に伴って速やかに発展してきた私営企業、合資企業の労働者及び自営業者の社会保険未適用問題も放置できない問題になってきた。そこで、政府は、第七次五か年計画の中で、中国的特色をもつ社会保障制度の構築という新たな政策目標を設定した。本報告は、この社会保障計画の中で主要構成要素として改革・再編されることになる中国における社会保険制度を中心に取り上げ、その成立と史的変遷過程を考察し、社会保障政策の理論という視点からその特徴と問題点をまとめた。
<報告の内容>
はじめにI、国民経済復興期(1949−52年)における社会保険制度の設立
1、企業労働者を対象とした社会保険制度の創設
2、国家機関などの人員の社会保険制度の設立
II、社会主義改造期(53−56年)における制度の拡充
1、企業労働者を対象とした社会保険制度
2、国家機関などの人員の社会保険制度
3、農業労働者に関する労災・疾病保険の導入
III、社会主義建設期(57−65年)における制度の諸改革
1、定年・中途退職の給付条件と給付水準の統一
2、疾病・業務外災害の退職制度の統一
3、医療給付の改革
4、レイオフされた労働者への社会保険の適用
5、職業病患者の労災保険の適用
6、見習工を対象とした社会保険給付の変更
7、社会保険の事務面での簡素化
IV、文化大革命期(66−75年)における制度の後退と破壊
1、社会保険制度への攻撃
2、社会保険機関の破壊
3、財源調達制度の変革
V、国民経済整頓期(1975−81年)における制度の復興・改革と機関の整備
1、定年及び中途退職制度の改革
2、国家機関などの人員の傷病手当金の向上
3、社会保険機関の整備
結び
<主要参考文献>
[1] 郭彬蔚・譚宗級編著、『中華人民共和国簡史』上冊、吉林文史出版社、1988年。
[2] 王占臣・任凡主編、『社会保障法全書』上・下巻、改革出版社、1995年。
[3] 中国社会保障制度総覧編集委員会、『中国社会保障制度総覧』、中国民主法制出版社、 1995年。
[4] 中国法制出版社編、「中華人民共和国社会保険法規選編」、中国法制出版社、1995年。
[5] 中国研究所編訳、『新中国の労働法』、中国資料社。
[6] 劉伝済・孫光徳編 、『社会保険与職工福利』、労働人事出版社、1987年。
[7] 黄犂若蓮著、唐鈞など訳『中国社会主義的社会福利』中国社会科学出版社、1995年
[8] 張友琴編著、『社会保険と社会福利』、夏門大学出版社、1995年。
報告関連業績
(1) 中国における社会保障制度構築の基本方向について、中央大学大学院論究、Vol.29,No.1(経済 学・商学研究科編)、p287-297(1996)。
(2) 中国における社会保険の歴史的展開 −社会保険制度の成立過程(1949-56年)−、中央大学大学 院研究年報第27号、p15-25(1998)。
自由論題 第5会場「諸外国の社会政策」 報告2
1990年代以降のポスト冷戦と情報ネットワーク化における労資関係
――アメリカ労資関係を中心として
杉山 清(名城大学)
1.報告の目的─課題設定(問題提起)の理由と限定
今年3月25日付の「日経」の朝刊第1面は、戦後日本の労資関係の終焉を記す記事が載りました。富士通は今年10月から年功序列型の賃金・人事制度を全廃し、全社員(約4万6千人)の昇給・昇格を職務能力と目標達成度だけで決める「成果主義型」の制度に全面的に移行する、と。富士通がこのようにまず先鞭をつけた根拠は、ポスト冷戦以降の1990年代から本格化した、新しい地平としてのパソコン・ネットワークとグローバリゼーションを企業の組織と経営戦略や業務に取り込めなければ、大競争(メガ・コンピティション)から脱落せざるをえない、という新たな企業環境を富士通の経営陣が覚悟したためではないでしょうか。戦前来の前近代的土壌に冷戦体制に合わせて造形された日本的経営が、優越した経営手法として世界から称賛され、それとは対照的に米国企業が低迷し破綻に瀕していた1980年前後からほんの10数年を経ただけで、日米は「再逆転」しました。つまり、労使協調ないしは企業一家の骨格をなしてきた日本的労務システム(年功序列と終身雇用)を「完全に取り除」(「日経」3月25日)き、世界的標準(グローバル・スタンダード)に似せた企業スタイルを取らざるをえないと、富士通は決断したのでしょうか。富士通は日本的経営と新たな企業環境との矛盾を集約する位置に置かれ(一つ、MEとパソコン・ネットワークの商品性質[ソフトの優位とスピード]を想起)、日本的経営を継続していれば、ゆくゆくは企業存亡が必至となるからでしょう。この方向は、今後、日本の大企業の基調となるでありましょうし(「日経ビジネス」参照)、ここでの組織労働者が戦後日本の一支柱をなしてきたわけでしょうから、今後の日本の労資関係は言うに及ばず、ポスト冷戦後の日本の仕組みを展望する上でも、ポスト冷戦の新たな事態の世界史的位置とそれへの視座は決定的な意味を持つように思われます。本報告の課題は、日本的経営が寄って立つ世界史上の地盤に出現してきた新たな地平を、その中枢に当たるアメリカ労資関係に則して、その歴史的位置を闡明することにあります。ですが、日本的経営に係わり富士通を冒頭で取り上げましたのは、次の理由からです。本学会の大会の共通テーマに係わり、本報告が対象とする1990年代以降、1993年から96年までの共通テーマに限っても、現実からの要請をまともに受けて緊要なテーマに取り組まれたことを認めた上で、そこでのテーマ(および方法視角)と次元を異にする新たな事態との靭帯に係わる問題意識や考察が希薄であるように感じてきました。ポスト冷戦やそれに係わるグローバリゼーション・自由化・大競争ーそれを新たな世界市場革命と言い換えてもいいでしょうがーの事態は、第2次大戦後の構造の転換として、それに基本的に係わる労資関係も転換したと、まず事実において認めることができるのか否か、戦後の労資関係の転換を事実において認めたならば、社会科学としては、まずは戦後労資関係をどのように総括(範疇的編成)したらいいのでしょうか。次に、ポスト冷戦のこの新たな枠組みの上で取り結ばざるをえない労資関係をどのような世界史的位置として把握し展望を与えたらいいのでしょうか。他面で、戦後資本主義世界における労資関係の枠組み(「冷戦型労資統合」)の「終焉」に複合して、インターネットに象徴されるパソコン・ネットワーク化が、1990年代から本格定に立ち上がりましたが、これを社会史の上でどのように位置づけたらいいのでしょうか、情報化が戦後労資関係の枠組みやシステムにどのような関係(軋轢)を実際上、持ち込み、また労資関係や労働者に対してどのような展望を授けるのでしょうか。このように、1990年代の社会科学は、この歴史的課題との対峙を余儀なくされております。グローバリゼーションや情報化を枕言葉に用いたり事実に流すことではない筈です。1990年代の新たな地平に立つことによって、今までの業績の根本的で本格的な総括(点検)が新ためて可能となるでしょうし、1990年代以降は、個別具体的な実証研究であったとしても、新たな地平との連携を抜きにしては、その研究の社会科学上の所在や意義さえ不明となるのではないでしょうか。「資本論」に占める「機械と大工業」と「世界市場」の位置(そこでは資本の実存条件として)が、1990年代以降ではそれも次元を異にして(ここでは始めから資本の止揚が迫られ本来的な「共産主義」社会を創出する条件として)出現していると見るべきではないでしょうか。この報告要旨の冒頭で、日本の個別企業を取り上げました意図もこの点の取っ掛かりを学会員と共有したいがためであります。本稿の方法視角をもう少し浮き上がらせるために、僭越だと思いますが、筆者の見地から本学会の具体的な大会の共通テーマを以下で取り上げてみたいと思います。1994年の大会でのテーマ「現代日本のホワイトカラー」では、情報化を利用するリエンジニアリング的合理化の視角からの分析は皆無に近いように推察いたしました。日本を先取りする米国での今日の労働問題における一特質は、M・HammmerとJ・ChampyあるいはJ・Rifkinによって指摘されていますように、厚遇に扱われ戦後米国内の冷戦体制の支柱でもあったホワイト・カラーが大量に解雇され恒常的な失業(ないしは労働条件の劣悪化)に見舞われている事実です。その要因が情報化を利用した組織と経営手法・業務の根本的な改変であったことも、すでに周知の事実です。もしその視角からの考察があれば、少なくとも富士通で行われようとしている事態への大胆な接近や展望が可能であったように思われます。1995年の大会でのテーマ「技術選択と社会・企業」では自動車産業を通して、「日本の技術の強みと問題点が取り上げられ」(年報、「はしがき」)ましたが、この取り上げ方には新たな事態が想定されておられたのでしょうか、また分析自体にも1960年代と1990年代のデータが併存しておりますように、1990年代以降の歴史的転換を媒介せずに論証がなされているように推察しました。現実の要請に応えるテーマとその実証的分析の意義を認め、かつ多々学習もさせて頂きましたが(この点は全ての大会に言えることです)、他面、筆者の見方からすれば、1990年代の新たな地平を過去から照射するという後ろ向きな(たとえばトヨタ生産方式への)アプローチとも映りました。1996年の大会のテーマ「21世紀の社会保障ー戦後50年の総括と展望」では、戦後冷戦体制の段階把握を抜きに分析が進められ、それが学会における方法視角のコンセンサスであるように見受けられました。戦後の社会保障を根本で支えた経済的条件を抜きにして、テーマが設定されておられえるように思われました。本報告の趣旨を一つ浮き彫りにする目的で、最近の大会の共通テーマに寄せて、筆者の見地からその方法視角を照射してみたまでです。1990年代に出現した新たな事態(地平)の歴史的位置づけを、本学会の守備領域(労資関係および生活等)において本学会がテーマにされること、そのための呼び水としてささやかな呼び掛けになればと願ったのが、本報告の目的・趣旨であります。この報告要旨の大半を費やして、敢えて会員の関心事に則して論述を試みましたのも、そのためでありました。1990年代の新たな事態は始まったばかりか流動的でさえあります。世界史の位置に係わり極めて重いテーマではありますが、やりがいのある歴史的責務を帯びたテーマでもある訳です。筆者も具体的な分析を始めたばかりで、途方に暮れ暗中模索の状態で、具体的分析を通して論証を披歴するという報告ではなく、方法視角に限定した問題提起的な報告でしかありません。むしろ会場の会員と共に一緒に意見交換をして相互に認識を深める場になれば、と願っております。
2.報告要旨(メモ)
報告の基本的の趣旨は、最近の拙稿の2点(別紙「業績リスト」参照)にすでに述べられており、両方の拙稿に基本的に係わりますが、本報告は以下の拙稿が主題です。「1990年代央におけるアメリカ労資関係の歴史的位置」但し、上記の2点の拙稿で基礎視角に係わり明示的でない把握があるために、その点を補足することで、報告の簡単な趣旨説明に換えます。1990年代以降を、以下の二条の軸線から戦後資本主義世界を限定づける新たな世界史的段階と規定づけます。一つが、ポスト冷戦の意味です。戦後資本主義世界は究極で最後の統合形態(冷戦帝国主義体制)として始めて再建が可能となり、その体制で労資関係も安定的で恒常的な統合形態を取りえました(冷戦型労資統合)。この体制は、自らの(冷戦の)論理から1971年にIMFを解体し、これによって冷戦体制を経済的に循環(軍事インフレ蓄積)させる「管理」手段を喪失しました。それ以降は不安定で「無政府」的な過程(規制緩和・自由化)を経由して、1990年前後の社会主義体制の崩壊により世界が文句なしに資本主義市場に統合(世界市場革命)され、世界が大競争場裡に入ります。これにより資本主義世界の安定的な体制や労資統合は資本主義史上で終焉し、世界はバルカン化の時代を迎えます。他方の軸線は、情報ネットワークがメーンフレームを中心とするネットワークからパソコン・ネットワークへと転換したことに係わります。前者はパソコンを端末とし、情報の上意下達を旨とする階層序列的組織にマッチし分断的支配を指向します(日本的経営との照応)。後者は個人の自律を中心に据え開放的で双方向で対等・直接的です。この転換にはサイバー・スペースの共同的利用に関わる生産力的次元の転換が伴いました。パソコン・ネットワーク化が資本主義的に利用される以上は、労働者を次の場裡に追いやります。合理化の究極の形態・リエンジニアリングと新人類の創造をも可能とさせる技術的性格との絶対的矛盾。1990年代以降は、グローバリゼーション・大競争と情報ネットワークとが相互作用しながら複合して、労資関係を演出させて行くでしょう。
報告関連業績
1)「1990年代央におけるアメリカ労資関係の歴史的位置ーグローバリゼーションと情報ネットワーク化の視角からの整理」(『名城商学』第47巻、第4号、1998年3月)
2)「労資統合に関わる諸学説分析ー「冷戦型アメリカ的労資統合の歴史的位置」に寄せてー」(『名城商学』第47巻、第3号、1997年12月)
自由論題 第5会場「諸外国の社会政策」 報告3
ビスマルク社会保険の労働者階級への影響、1885年−1914年
小梛治宣(おなぎはるのぶ)(日本大学)
1880年代にビスマルクによって導入された労働者保険ないしは社会保険は、当時の労働者(およびその家族)にとって、どれほどのメリットをもっていたのであろうか。この点に関しては、従来その用いる「ものさし」によってさまざまな評価が下されてきている。一例を挙げれば、社会主義者取締法との関係から、労働者サイドの反発を買ったことは事実である。また、資本の一部からも保険料のもたらす産業負担を根拠に否定的なとらえかたがされてきていた。
本報告では、供出と給付との関係、とりわけ、疾病保険の具体的な給付内容(現金給付、現物給付−医療サービス)や老齢年金の給付水準、その受給状況などを「ものさし」として、ビスマルク社会保険の実質的な効果を探りたいと考えている。
たとえば、疾病保険の場合には、現在と異なり、当時は現金給付(主に病欠期間中の賃金保障)の占める割合がきわめて大きい。1885年の給付状況をみると、現金給付が支出総額の51.4%を占めているのに対して、現物給付(治療、薬剤等)の方は、39.4%にとどまっている。これは、現物給付が大きなウェイトを占める現在の給付状況からすれば、奇異な感じがするはずである。これは、何を意味するのであろうか。当時の医療そのもの(医師、診療所、病院など)の普及状況、それらと疾病金庫との関係などとも関連させながら、疾病金庫はどのような役割を担い、直接・間接的にどのような影響を労働者階級(およびその家族)に及ぼしたのか・・・。直接的な「給付」による効果ばかりでなく、医療の社会化や、年金積立金による結核診療所などの建設、あるいは災害保健法の「災害予防規定」などがもたらした社会保険の副次的効果についても併せて明らかにしてみたい。
はじめに
1.疾病保険の効果
(1)病気休業補償金の役割
(2)現物給付の内容
(3)医療制度への影響
2.災害保険法の副次的効果─「災害予防規定」
3.年金保険の効果
(1)受給資格と給付額─どの程度の年金が支給されたのか
(2)積立金利用による付随効果─国民病の予防・根絶への影響
4.社会保険と救貧制度
むすび
報告関連業績
(1)「ビスマルク社会保険の労働者階級への影響」、『経済集志』(日本大学)59巻2号(1989年7月)
(2)「ドイツ第二帝政期における『ドイツ商工会議』と社会政策」、『現代経済の分析と課題』(剄草書房)、1989年
(3)「ビスマルク労働者保険成立におけるドイツ重工業圧力団体の影響」、『西洋史研究』(東北大学)、新輯18号(1989年11月)
(4)「ドイツ社会政策の形成に関する史的考察」、『経済集志』(日本大学)67巻2号(1997年7月)
共通論題 日雇労働者・ホームレスと現代日本
企画の趣旨
コーディネーター 玉井金五(大阪市立大学)
97年の第94回大会で「日雇労働者とホームレス」の分科会を開催した。分科会では実態調査に基づいた報告(東京、名古屋、大阪)をもとに、できるだけ現状の正確な把握に努めた。分科会では、今三つの地域がどのような状況に置かれているかが明らかになったし、その異同も浮かび上がった。結果として、問題の重要性が十分認識できたと思う。
では、今後いかなる施策を打ち出すべきかということが問われるし、また新たに発生しつつある課題への回答が求められるのはいうまでもない。たとえば、最近ではホームレスの生活保護をめぐって名古屋での林訴訟がある。それは、これまでの生活保護行政のあり方の是非を問う重大な契機となりつつある。また、日雇労働市場への外国人労働者の参入も大きな問題を引き起こしており、とくに、中高年日雇労働者との競合が表面化してきているのはそのひとつである。
そこで、97年の分科会を拡大・発展させる形で第96回大会の共通論題「日雇労働者・ホームレスと現代日本」を組むことになった。本体会では、分科会での議論を踏まえて社会保障や国際労働市場も含む、もう少し大きな視点から本課題に接近してみたいと考えている。
つまり、やや総括的な言い方になるが、日本の高度成長を担った労働者が今どのような境遇に置かれようとしているのか、当時構築されつつあった社会制度に包摂しきれなかったことが現在いかなる形で発現してきているのか等々。これらに対する社会政策的な回答を与えずして戦後の、いや20世紀の総決算はできないであろう。
幸い、97年春の大会は「アジアの労働と生活」が共通論題として組まれた。アジアのトップランナーとしての日本の労働者の不安定層がどのように変容してきたのか、またアジアの労働市場との関わりでみるといかなる構図が浮かび上がるのか、さらには視野を広げて欧米の状況との比較からするとどのような特質が摘出できるのか、といった点においてもテーマ上前年とかなり連続性を有すると思われる。
共通論題(6月6日) 報告1
課題と視角
岩田正美(日本女子大学)
1 「日雇労働者・ホームレス」──いま何が課題か
1)現代の社会問題としての「日雇労働者・ホームレス問題」
日本における失業問題や貧困量の相対的少なさ。
他の国における問題量の拡大としての「社会問題」化と日本の状況
「少数」であることを含めての現代日本の「問題」としての意味は何か。
2)現代の「日雇労働者・ホームレス」の焦点は何か
@ さしあたりの定義
「日雇労働者」・・・雇用形態からみた労働者の階層区分
ただし、社会保障の欠落や未組織などを含めた不安定就労層一般を代表する社会階層 としても捉えられた。不安定就労層は貧困層の給源として把握されてきた。
「ホームレス」・・・「慣習的な住居と職業の喪失」=社会への帰属性の喪失
ただし、地位や集団的属性を示さない。多様な極貧者が示すある存在の状態。
ふるまいや外観によって社会が区分するやや曖昧な概念。近代の所得で示される貧困 概念に代わって近年ひんぱんに使われ始める。類似の概念としてアンダークラス。
A 現代日本における就労の不正規・非定型化と「日雇労働者」問題の変質
○ 一般労働者の不安定就労化。だが必ずしもそれが貧困と直接には結びつかない。
○ 寄場などの伝統的な単身の「日雇労働者」のホームレス化。
○ サービス部門を含めた多様な不安定就労場面の展開と浮沈の激しさ。
雇用形態の位置や不安定では共通性をもつのに、ホームレス化しつつある単身の「日雇労働者」は分離され、「異質なもの」と見なされやすくなる。就労が実現している場合にのみ「労働者」となり、「労働者」となったときだけ国民として遇される。
貧困の給源としての「不安定就労層」という社会階層の解体。
B 社会から「排除された人々」「異質な貧困・失業」としての共通性
「日雇労働者・ホームレス」問題は、失業や貧困といった近代的社会の基本的社会問題の内実をもちながら、社会への帰属を欠いた「異質な貧困・失業者」として把握される。
社会の支配的な「労働者像」「生活者像」から逸脱した変わった者、自由人として社会の監視や凝視の対象となり、近代的労働問題・貧困問題としての把握の外、周縁におかれる。
C 課題;
「排除・周縁化」が現代社会からどのように生み出され、どのような意味を持つか。
2 視角
1)ここでの「異質な貧困・失業者」問題の「異質化」を構成する要素
@就労の極端な不安定性と一部インフォーマル化。
Aビジブルな極貧。公衆の面前にさらけ出され、凝視される貧困。
B単身化ないしは家族からの逃走・分離
C地域的流動と社会的物理的空間からの「排除」
「ヤド」「シュクシャ」などへの依存と「不法占拠」「居場所」をめぐる抗争と排除 D制度からの「排除」と「離脱」
2)一般社会との関連
@一般社会の不安定就労化、流動化の高まりとの関係。
A家族など生活基盤の変化との関係。徳に非婚・単身化の動向。
B都市の空間支配との関係。都市再開発政策と「居場所」の喪失。
C福祉国家との関係。「排除」を進める装置としての社会政策。
3)現代に本社会と「異質な貧困・失業者」の形成
@「異質な貧困・失業」
▲ 都市下層社会から都市下層へ(中川)
労働者家族としての生活構造の獲得とその上での貧困や失業
→「近隣型」貧困・・・福祉国家政策の基礎
→「貧困プール論」としての「不安定就労階層」への対策
▼ 異質性の再生
80年代ごろからの先進国における「異質な」貧困や失業への再注目
一般社会そのものの不安定性は隠蔽され、「異質性」がクローズアップされる。
A「一般社会」から「異質な失業・貧困」へ開かれた道筋
▲「職場」「家族」「地域」から離脱する人々の雑多性。
さまざまな職業からの失業・倒産者。
逃避する人々。家出青少年。家出老人。
アルコール依存やさまざまな疾患や障害を抱えた人々。
地上げによる追放など。
▼これらの人々を吸引してきたこれまでの社会的装置
(1) プールとしての不安定就労層
建設やサービス業の日雇、都市のインフォ−マルな就労場面等の存在
雑誌売り・新聞拡張員・サウナ従業員・看板持ち、屋台、賄いなど
保証人なしで就労できる労働場面。
(2)都市の避難所としての装置
「ヤド」「シュクシャ」「シセツ」の存在
山谷、釜が崎等の「ヨセバ」など「囲い込み」の装置
病院、福祉施設など一時的避難所の多さ
B社会の「囲い込み」装置の縮小と目に見える「ホームレス」化
プールとしての「不安定就労層」の変質
建設労働などにおける習熟の拡張
都市再開発と「多数者」による都市空間の支配
ゲントリフィケーションと「ヤド」「シュクシャ」の高価格化ないしは縮小
寄場の縮小
社会政策の変容
病院入院日数の減少。分権化と住民性の強調の拡大。
C 「異質性」の意味
一方で、現代日本社会一般における流動や不安定、非組織との連結、あるいはその象徴という内実。
他方で、現代日本社会一般における支配的な「労働・家族・地域生活」の社会的イメージ
(dominant social images; Wright)からの極端な脱落としての外観。異質性は、人々の労働・家族・地域生活に関しての社会の支配的なイメージとの関連で作られる。
4)福祉国家の諸制度との関連
福祉国家のもつ労働者・市民イメージとイメージからはずれた「異質な失業・貧困」
福祉国家の諸制度と「異質な失業・貧困」への三つの対応
@制度「対象者」としての部分的取り込み
社会保障・福祉の特例措置
住民としての登録の奨励・労働者としての自立助長
A制度からの排除
「怠け者」「自由人」というレッテル。不法占拠の違法性の強調
B当事者の脱「対象者」化
「裏切り」「たかり」「無断退所・行方不明」
「反抗」としてに不法占拠・「行方不明」
5)「声なき対象」から「生きている主体」としての捉え直しはどのように可能か
関連業績
1) 「ホームレス問題と行政の対応」 東京市政調査会『都市問題』第88巻第10号
2) 「路上の人々─新宿1995-96年」 東京都立大学『人文学報; 社会福祉学』No.2811997年3月
3) 「現代の貧困とホームレス」 庄司・杉村・藤村編『貧困・不平等と社会福祉』有斐閣 1997 年4月
4) 『戦後社会福祉の展開と大都市周辺最底辺』ミネルヴァ書房 1995年
共通論題(6月6日) 報告2
日雇労働者の高齢化と労働市場──大阪に即して
福原宏幸(大阪市立大学)
中山 徹(大阪府立大学)
はじめに
近年、建設業の日雇労働市場は大きく冷え込んできている。その結果、日雇労働者の失業が一層深刻化している。わが国最大の日雇労働市場である大阪・釜ヶ崎地域では、十分な仕事に就けず、簡易宿泊所に宿泊できない日雇労働者のために年末年始の時期に臨時宿泊所を設けているが、1997−98年の年末年始にはその収容人数が2200人であった。その人数は、ここ数年増加の一途を辿っているが、たとえば1991年に比べ2倍以上に達している。また、1997−98年には、失業期間の長期化という事態に対応して、宿泊期間延長の措置も講じられた。他方、こうした日雇労働者の平均年齢は、1960年代前半には33歳であったものが、1996年には53歳となり、高齢化の進行が著しい。建設不況の波は、これらの高齢者には一層厳しく、多くが野宿・路上生活を余儀なくされている。
日雇労働者の労働と生活は経済不況によって深刻さを増しているが、報告者は、これを単に一時的問題として捉えるのではなく、日本の経済社会の構造的な問題として捉える必要があると考えている。
ところで、報告者は、他の研究者達と共同で1996年9月に釜ヶ崎の日雇労働者・野宿者の労働・生活に関する調査を行った。以下の報告では、その調査結果にもとづき釜ヶ崎労働者の労働・生活実態を明らかにし、彼らの抱える問題に対して何らかの政策的対応が必要であることを論じていく。
1.高齢日雇労働者の就労状況と仕事保障
−大阪における釜ヶ崎地区日雇労働者調査を事例として− 福原宏幸
(1)釜ヶ崎地区労働者の現状
1)1997年、釜ヶ崎日雇労働市場の動向
2)行政の対応
97年夏 労働センター開放
97年越年 簡易宿泊所 収容人員2,200人
労働センターの開放
98年1月 炊き出し対象労働者数 約1,200名
3)建設産業求人構造の変化
4)高齢日雇労働者の排除
55歳以上労働者への求人の著しい減少
釜ヶ崎労働者の平均年齢 54歳
(2)釜ヶ崎日雇労働市場の歴史的推移
1)1960−70年代前半 寄場労働市場の制度化
2)寄場労働市場の求人構造の変化
造船・製造業・建設→建設への特化
囲い込み半場の増加・新聞広告し求人の増加→寄場の地位の相対的低下
建設業における工法の近代化→一般土木工への求人の減少
中高年層の来釜労働者の増加→多くは一般土工に
(3)高齢日雇労働者の現状
1)高齢労働者像
2)就労日数
3)特別清掃事業の就労日数
(4)政策的課題−自立支援、政府・自治体、労働者連帯
1)視点
2)具体的政策
2.日雇労働者の「野宿者」化と社会福祉・社会保障
−大阪における釜ヶ崎地域日雇労働者調査を事例として− 中山 徹(大阪府立大)
報告課題
日雇労働市場の構造変化のもと、日雇労働者の高齢化と「野宿」生活を余儀なくされる日雇労働者が増加している。本報告では、彼ら
の生活とその形成、政策の現状と問題点に関して、大阪「釜ヶ崎地域日雇労働者調査」を事例として明らかにしたい。
(1) 日雇労働者の高齢化と「野宿」生活
1) 日雇労働における就労と居住の不安定性−「野宿」生活の必然性
2) 日雇労働者の類型と「野宿者」の位置
(2)「野宿者」の「生活」−調査結果より-
(3)「野宿者」の形成と社会福祉・社会保障
(4) 問題点と政策的課題
報告関連業績(福原宏幸)
・『増補版 大正・大阪・スラム−もうひとつの日本近代史』新評論、1996年(共著)。
・「近代日本スラムの労働=生活過程」(『社会政策学会年報』第32集)、1988年。
・「釜ヶ崎労働者の現在を考える」『市政研究』103号、1994年。
・『あいりん地域日雇労働者調査』社会構造研究会、1997年(共著)。
報告関連業績(中山徹)
「ありいん地域日雇労働者調査」社会構造研究会、1997年3月、(分担執筆)
庄谷玲子・中山徹「高齢在日韓国・朝鮮人」御茶の水書房、1997年3月
中山徹「『在日』高齢者の生活と社会保障・社会福祉」『社会保障と生活最低限』中央大学経済研究所、1997年7月
共通論題(6月7日) 報告3
建設就業構造の変化と日雇・季節労働者
椎名 恒(北海道大)はじめに
1.建設産業の下請と雇用構造の長期的趨勢と現段階
2.北海道における建設季節雇用労働者の就労と生活実態
3.建設現場労働者の運動と日雇・季節労働者をめぐる政策課題
おわりに
共通論題(6月7日) 報告4
ホームレスと生活保護行政
吉村臨兵(奈良産業大学)
はじめに
路上生活者を狭義のホームレスとすれば,定住状態にないという点で,簡易宿泊所で生活する人々は広義のホームレスに含まれよう。これらドヤ生活者は生活保護制度と労働行政の狭間に位置し,文字どおりホームレス化する可能性をはらんだ脆弱で無防備な状態にある。こうした脆弱さは,健康で自己管理能力も旺盛な比較的若年の日雇労働者にはあまり見られないことだが,高齢化によって稼働能力が減退するとともにプライドも萎縮するという局面に至って急激に顕在化する。また,一度失業が常態化した人々は,路上と更生施設等を行きつ戻りつする軌道から抜け出せなくなることも多い。このような「ホームレス化」の傾向が経済構造一般の産物であるのは論をまたないとしても,とりわけこの発表で念頭に置いているのは,その傾向が現在の社会政策関連行政によって構造的に生み出されている部分もあるのではないかということだ。そこで,広義のホームレスの状況と行政的対応の関係について,いくつかの角度から検討を加えることにしたい。
1 ホームレスの生活・健康状態
1)高齢化:
釜ヶ崎などの寄せ場にあってはホームレスの高齢化が進んでいるが,その結果として腰痛などの外科的疾患や,慢性の内蔵疾患など,おおよそ加齢に必然的に伴う疾患をかかえている者が多い。また,路上強盗の被害を訴えるケースも少なくない。
2)ドヤ:
簡易宿泊所の集中する地域には,それらが半定住的な住まいとして機能している地域と,そうでない地域がある。もっとも,前者の地域にあっても決してその居住環境は良好というわけではなく,建設省の定める居住最低限をはるかに下回るものだし,後者にあっては結核等の感染症の蔓延を助長しかねない構造の建物もしばしば見られる。また,簡易宿泊所の部屋代は基本的に市場原理によって決まるので,その値上げに対してドヤ生活者は無防備である。
3)半失業:
加齢による健康状態の悪化や景気変動のために,就業日数から見て失業に近い状態が生じやすい。
4)地域社会と半定住:
遠隔地の住み込み仕事への就労が断続するような経歴の持ち主の場合にはとりわけ,地域社会との間で安定的な関係が築かれていない。また,地域社会側にはこれらの者を排除しようとする論理が働きがちで,災害などの場合には特にそれが顕在化する。
2 生活保護行政の射程
1)生活保護制度の枠組みとホームレス:
生活保護の体系は福祉国家の一要素として,やはり近代家族をモデルに組み立てられており,半定住あるいは不定住の者は視野に入りきらない面がある。こうして,ホームレスの生活の最低条件を保障する枠組みとしては,生活保護法のほかいくつかの法律が存在する。
2)「ドヤ保護」と「収容保護」:
生活保護法それ自体には被保護者の定住を条件としている部分はないが,制度上の想定と現実の運用の間にはずれがある。例えば,半定住的なドヤ生活者を生活保護の対象と見なすかどうかは,市町村や福祉事務所によって判断が異なる。
3)労働行政と生活保護:
現状では,失業給付が受けられなくなっても,これに代わって生活扶助などがすぐさま受けられるという制度になっていない。一例をあげると,失業→失業給付→失業給付切れ→ドヤ代支払不能→路上→ようやく収容保護,というルートを経て初めて生活保護の枠組みに到達することになり,そうなったときにはすでに慢性疾患の悪化や労働意欲の喪失をきたしがちである。
報告関連業績リスト
「貧困線と公的扶助」 玉井金五・大森真紀編『社会政策を学ぶ人のために』,世界思想社,1997年, 所収。
(翻訳)石原忠一監修,吉村臨兵他訳『都市と持続可能な開発──地球会議'94 背景論文』,大阪地 方自治研究センター,1996年。(原著:Diana Mitlin and David Satterthwaite, "Cities and Sustainable Development", International Institute for Environment and Development, 1994.)
共通論題(6月7日) 報告5
外国人労働者の流入と日本の不安定層
井口 泰(関西学院大学)
本稿は、1980年代後半以降に流入した外国人労働者の労働市場に及ぼす影響、特に我が国不安定層に及ぼす影響を検討することを目的としている。このため、外国人労働者の現状を概観し、その流入のメカニズムと生産・雇用や技術及ぼす影響を再検討し、政策的含意について論じる。なお、本稿の「不安定層」とは、臨時・日雇い労働者のみならず、一定期間の就業確率が相対的に低いか、その変化が大きい労働者を総称している。
1 日本の外国人労働者受入れの実態
1)日本の外国人労働者受入れシステム
日本政府の外国人労働者受入れ政策の基本方針は、1988年に決定され、現在に至るまで数次にわたる経済計画等の改訂にかかわらず、基本的には変更されていない。即ち、専門的知識や技術を有する外国人は可能な限り受け入れるが、いわゆる単純労働者の受入れは慎重に検討するというものである 。以上の方針に基づく出入国管理及び難民認定法の別表第1は、外国人が日本国内で行ってよい活動の種類によって23の在留資格の内容を定め、このうち16の在留資格が就労を認めている。また別表第2は、日本人との関係から4つの在留資格を定めている。
この受入れシステムは、「資格要件適合性(ポジテイブリスト)」方式であり、欧州諸国などで自国人雇用への影響を考慮して外国人雇用を制限する「労働市場テスト」や「数量制限」などの方式は、わが国では採用されていない。(表1)
2)外国人雇用の現状と諸問題
外国人雇用に関する包括的な統計は日本には存在しない。筆者推計によると、永住権
のある外国人を除く外国人労働者数は、1980年代後半に急増したが、1990年代前半には
、経済が停滞するなかでも微増傾向にある。総数は1996年に64万人程度に達し、雇用者>数のほぼ 1.2%に相当する。その特徴的な点を掲げると以下の通りである(表2)。
@ 不法残留者の総数が安定化し、その滞在が長期化し、摘発もやや頭打ちである。
A 不況長期化のなか、南米日系人の着実な増加と請負・派遣形態の増加が目立つ。
B 経済情勢の変化から、外国人留学生や就学生の就労も、やや頭打ちとなっている。
C 就労目的の外国人は、特に興行関係の規制強化から入国・滞在者が抑制された。
D 不況により停滞した研修生や技能実習生は回復する傾向がみられる。
E 日雇労働市場への外国人労働者の参入が、近年目立つようになった。
2 外国人労働者流入の理論的枠組み
1)流入する労働者の類型
近年におけるアジア諸国から我が国への国際労働力移動は、国際的な所得格差や雇用機会格差を原因とする「出稼ぎ型」であり、その滞在は一時的で、かつ帰国を前提とする。このような労働者にとっては、賃金水準が高い就業機会であっても、就労確率が低い場合には、高いリスクやコストをかけて日本へ移動することは困難である。このため、常用雇用でなくても、仲介者や情報ネットワーク等を通じて就業確率を高める必要がある。なお、不況が長期化するなかで、本来は「出稼ぎ型」の外国人労働者も、就労機会に恵まれずに次第に「滞留型」ない「定住型」に変化する可能性がある(図1)。
2)労働力の国際移動の理論的考察と実証例
ア 国際労働力移動の誘因
ここで、我が国における外国人労働者流入の影響を検討するに当たっては、周知の仮説である@とAを踏まえつつ、新たにBの仮説を導入して考える。
@ 国際的な賃金格差が移動費用を十分に上回れば、国際移動が発生するとの説。
A 期待報酬から移動コストを引いた額が現在所得を上回れば、国際移動するとの説。
B 仲介者が介在して国外就労確率が高まり、期待報酬から移動費用や手数料を引いた額 が国内より国外で高まると国際移動するとの説。
国際労働力移動の専門家F・マーチンは、送出国で安定した雇用に従事する労働者も、国際的な所得格差が10対1を超えれば、国際移動が発生し得ると指摘している。しかし、ここでは、国際移動に伴う様々の不確実性が考慮されない。開発経済学者のH・トダロは送出国内の農村から都市インフォーマル部門への移動を理論的に説明するため、就業確率明示的に導入して期待報酬の現在価値を計算し、これから移動コストを引いた額が農村での所得を上回れば、移動が発生しうるとした。これを国外の就業機会にも適用し、国際労働力移動は、農村から都市インフォーマルセクターへの移動後に同様の原理で発生するという2段階の説明が一般的とされた。しかし、国内・国外とも、就労確率は労働市場でのマッチングの方法によって変化するはずである。そこで、就労確率を左右するものとして国際的な仲介業者の存在を考慮することが重要になる。もし、特定の仲介業者の仲介によれば、現地でのジョッブ・マッチングの成功率が高くなり、その確率と報酬を乗じた額が仲介業者に対する支払いを十分に上回れば、大都市又は農村の別なく、国際移動が発生しうる(図2)。
○ 新しい実証研究の例:「タイからの労働者移動調査」(1997)
1996年に、日本労働研究機構の研究チームが、タイのバンコック及びウドンタニ地域の住民に、海外就労の希望を調査したところ、バンコックでは2割弱だがウドンタニでは4割弱に達した。その理由のほとんどは、生活費や、暮らしレベルをあげるためという。低学歴の者ほど海外就労希望が多い。大都市部に流入した者の方が海外就業希望は低い。海外就業経験者の場合、自分の貯金と家族の借金で旅費を工面した者が多い。ブローカーを経由して就労ビザを取得した者が大多数だが、1割は観光ビザである。海外で就労して、目標金額を稼いだ者が57%を占める。滞在期間は中東が6年で長く、日本やアメリカは短い。ウドンタニ出身者の半数は農業従事者であって、海外で製造業などで働いた場合に、技能・技術を身につけたと回答している。出稼ぎは家族のためであり、自分のためとする者は少数である。この傾向は女性において顕著である。帰国後の生活は前より良くなった者が多く、だまされた等の否定的回答は少数であった。
イ 外国人雇用が生産の柔軟性や技術選択に及ぼす影響
外国人労働者が生産・雇用や技術に及ぼす影響は、1970年代以降、欧州や米国のほか、最近は、日本や韓国・シンガポールなどでも議論され、以下の仮説が用いられている。
@ 外国人労働者受入れは、労働集約的な生産構造を温存する効果があるとの説。
A 外国人労働者受入れは、生産・雇用の柔軟な運営に寄与し、悪影響は小さいとの説。
B 外国人労働者受入れは、産業構造の急激な変化を緩和する効果があるとの説。
C 外国人労働者は、パートタイム労働者など非正規雇用と代替関係があるとの説。
D 外国人と自国人の間で労働市場が分断され、両者は補完的に機能するとの説。
このうち、@からBは間接的に他の雇用に影響するが、その実証研究は十分でない。CとDの外国人労働者と日本人労働者の代替・補完性に関する研究の方が進んでいる。
〇 新しい実証研究の例:「外国人労働者に関する日米共同研究」(1998)
統計研究会・キャリフォルニア大学による「外国人労働者に関する日米共同研究」のグループは、1996年の春から夏にかけて、日本の浜松地区とアメリカのサンジエゴ地区において実地調査を実施した。その結果、サンジエゴ地域では雇用する労働者の外国人依存度は3分の2に達し、浜松の8%と大きく異なる。主たる労働者は不熟練であるが、浜松では4割なのに、サンジエゴでは8割に達する。サンジエゴでは外国人の主体は不法移民であるが、浜松では日系人が多く不法就労者も含まれている。 サンジエゴでは、外国人の仕事と自国人の仕事の「職域分離」がはなはだしいが、浜松はあまりみられない。このため、機械化や合理化で外国人依存を減らすことは、浜松では可能であり、8割弱の企業では措置が効果的であったという。
サンジエゴの労働者は、地位が不法であるのに永住を希望している。浜松では、一定額の貯金を目標とする労働者が大半を占め、永住希望は9%に過ぎない。もっとも、浜松では景気低迷や家族の同居で、目標達成が先送りされている。
浜松では、景気低迷で自国人労働者の雇用が容易になったとする企業が6割に達するがサンジエゴではほとんどない。しかし、浜松でも、生産労働者と若年労働者については、3割強の企業が調達困難とし、いわゆる3K労働の労働力確保の困難さが反映している。
3 まとめと結論
わが国労働市場の外国人労働者への依存度は低い。多くの外国人は日本人の希望しない職場に就労しているものの、極端な「職域分離」は生じていない。外国人労働者が日本人労働者、特にその「不安定層」に与えている影響は、まだ限られたものといえよう。しかし、不法就労者は「滞留化」する傾向を強めている。個別事例をみると、ブローカーや同国人ネットワークから外れて就労確率が低下し「不安定層」に転落したり、健康に障害が起きたり、犯罪に巻き込まれる場合もある。極端な例は「トラフィキング(人身売買)」であり、犯罪組織から逃亡しNGOの保護を求めざるをえない場合もある。
また、日系人については、海外のみならず国内においてもブローカー依存が高まり、直接雇用を促進する行政の動きとは逆行している。これには、不況下で柔軟な労務提供を求める企業が増え、大型違法ブローカー摘発事案が減少しているなど様々な要因が作用しており、日系人の就業や生活の安定性を損ねる場合があることは否定できない。
政府においては、周辺諸国との国際協力を基礎に、労働力の流出防止、組織犯罪の摘発の強化、不法就労の再発防止の強化、公的就労経路の不法な民間事業者に対する拮抗力の強化、外国人労働者の保護に関するNGOとの連携等について、関係行政機関が協力して積極的に対処することが望まれる。
報告関連業績リスト
「国際的な人の移動と外国人労働者対策」労働省広報室編、『労働時報』1998年6月号所収(予定)
『国際的な人の移動と労働市場』日本労働研究機構 1997年
「わが国の雇用政策と外国人労働者問題」、日本労働研究機構編『リーデイングス日本の労働』
共通論題(6月7日) 報告6
フランスの「ホームレス」問題
都留 民子(広島女子大)
1)ホームレス(SDF)問題の所在
80年代半ば以降:「新しい貧困(nouvelle pauvrete)」の一形態としてのSDF・青年、家族もちの「家なし(sans-abri)」の出現を契機に、従来の「浮浪者」,「物
乞い」に替わって「不定住者(sans domicile fixe: SDF)」の呼称
・「新しい貧困」=伝統的貧困(固定的・世代継承的な貧困)ではなく、労働市場悪化(不安定雇用、失業の拡大)、社会保障の「穴」、家族の危機から生じた貧困90年代:SDFは「家なし、雇用なし、金なし」として「排除(exclusion)」の極限形態
・「貧困」から、最大の社会問題として「排除」の概念「貧困」は、所得基準(最低賃金又は平均所得の50%など)で測定
→対策は所得保障
「排除」は、雇用、住宅、社会的権利、社会的絆からの排除
→対策は諸領域での「参入(insertion)」施策
2)SDFの推計数とその属性
表1.情報・経済予測局(BIPE)によるSDFと「住宅困窮者(mal-loges)」の数
(1990年
国勢調査に基づく)人数
世帯数
平均世帯員数
人口比
住宅から排除された者
・不定住者(SDF)
・宿泊施設入所者
・緊急施設入所者202千人
98
45
59147千
82
20
45
1.2人
2.3
1.30.4%
0.2
0.1
0.1代替的住居居住者
・安ホテル居住者
470
304
1.5
0.8住宅困窮者
・車中等生活者
・最低基準に満たな
い住居居住者1,576
147
1,429
864
50
814
2.9
1.8
2.8
0.3
2.5
その他
・労働者寮入所者
・親や友人宅寄宿者
176
2,800
160
1,283
1.1
2.1
0.3
4.9
La citoyennete du SDF, Diogene ,1994,p.20から、一部修正
表2.各種調査・報告書によるフランスの「家なし」の推計数
対象 数(千人) ウレザンスキ・レポート('87)
*1
家なし(sans-abri)と
一時しのぎ住居居住者
200―400
政府諮問機関・経済社会
評議会(CES)の報告書
EEC理事会('87)
*2家なし(sans-logis)
200―500
ヨーロッパ第二次反貧困計画
における報告書シャセリオ・レポート(‘93)
*3不定住者(SDF)
250
社会問題相への作業委員
会報告書「家なし」支援アソシエイション
欧州連合(FEANTSA)
('93) *4家なし(sans-abri)
627
フランスのアソシエイションの報告に
基づく
各報告書より作成
SDFの特徴
1.恒常的に路上生活をおくっている者ではない
住宅困窮→ホテル、宿泊所、親の家、友人宅などへの居候、公共の場での宿泊
等流動的、かつ断続的な生活
例)1.生活条件調査研究センター(CREDOC)調査 1995年1月の754人の極貧
者への聞き取り調査、L'epreuve de la pauvrete.Enquete approfondie aupres
de 754 personnes en situation de pauvrete…
91人が35歳未満の路上生活青年(juens a la rue)〓:最近の宿泊場所では
駅、地下鉄が24%、緊急施設が24%、社会福祉施設18%、アソシエイション11%
63人が35歳未満で家族や友人宅に寄宿して求職活動
2.カトリック系新聞(La croix)パリのSDF343人(男性216人、女性127 人)
全体(%) 男性(%) 女性(%) (就労)失業・無業者
就労経験有り
経験なし
実習生
労働者78
19
59
9
1378
12
66
10
1280
31
49
6
14(収入)参入最低限所得(RMI)のみ
社会手当(家族手当,
失業手当)のみ
賃金と社会手当
賃金のみ
物乞い
収入なし19
19
5
26
10
17
20
13
6
28
13
18
18
30
4
22
6
16
(日々の宿泊場所)友人宅
宿泊施設
ホテル
空き家
路上、地下鉄、駅
その他7
76
4
9
12
37
69
5
11
16
37
87
3
6
5
4
J.Damon,Les SDF, La documentation francaise,96,p.31
2.青年、或いは若年成人が中心
(CREDOC調査)25歳未満が25%、25から35歳未満が34%、54歳以上は7%(La croix調査)21歳未満14%、21から29歳まで42%、30歳代27、40歳以上10%
3.単身と若年の女親世帯が顕著
(CREDOC調査)ひとり女親は157人、約20%
4.住居喪失の契機:失業→収入減・家賃滞納→強制退去
そこに家族の崩壊が絡む
(CREDOC調査)個人的住居のない人々(281人)の住居喪失の直接要因(MA)
は家賃の滞納で26%、配偶者と家族の別離24%
3)SDFに対する社会的施策:緊急施策と一般施策
@緊急施策(「あくまでも一般施策にのせるための跳躍台、或いはテコ」ウレザンスキ・レポート)
a.宿泊所扶助(aide a l'hebergement):民間の出獄者保護施設から、74年に国の財政責任のもとで「資力の不足した人、家族…で住居の欠如しているもの」の社会扶助施設として展開(原則6ヶ月の入所期間)
・76年以降は「社会復帰宿泊センター(CHRS)」として、作業場(atelier)、職業基礎教育センター(centre de formation)を併設の方向
・94年1月現在、約1000施設で約38000人の入所者(厚生省調査)
男性6割、単身5割、16歳から29歳5割、50歳以上1割(60歳以上2%)実習・参入就労・補助雇用3割、民間雇用1割、失業者(未登録含む)3.5割、
無業者(学生、年金生活者など)1.5割
b.その他の「連帯」活動
・人道的アソシエイションの活動の拡大と社会的、公的な認知
「夜のスープ」(炊き出し)、食料・燃料支給、無料診療所、緊急宿泊所、
職業養成、家の斡旋や家賃補助、緊急貸付金(84年以降、国の補助金)
政府の審議会でイニシアティブを握る(グローバルな貧困対策要求)
・失業者・SDF自身の組織
「路上新聞」の成功、空き家の占拠
97年秋から新年にかけ、失業扶助など社会的ミニマムの増額、反排除法
を要求して失業補償手当支払機関(ASSEDIC)など占拠(7割の世論支持)
・国鉄、パリ交通局などの組織的支援活動・パリ市などのワゴン車による市内循環-緊急援助活動(SAMU-social)
A一般施策
参入政策:排除された人々に、相談、身体の衛生、読み書き、最低限所得、医療の保障、宿泊施設から住宅の確保で「社会参入」をはかり、実習、見習いなどの職業養成、参入就労'(補助雇用)などの「前職業参入」、最終的には正規雇用を確保する「職業参入」の方向
a.失業者への補助雇用政策:青年へのAPEJ、長期失業者への民間企業への補助雇用としてCRE→CIE、公企業での補助雇用TUC→CES、女性へのFGIF、障害者補助雇用AGEFIPH、起業補助金ACCRE等
b.88年参入最低限所得(RMI):SDFは認可アソシエイションに住所登録し、手当受給可能(93年報告書では全受給者の5%から8%、28千から4万人がSDF)
c.医療保険への加入もRMI方式で、国の保険料と自己負担金負担で無償サービス
d.住宅保障
82年キオ法「住居への権利は基本権の一つである」
89年メルマス法:賃貸契約解除規制、家賃統制、賃貸の団体交渉権認可
90年ベソン法「住宅の権利保障は国民全てに対する義務である。…住宅への入居
に特に困難を抱えている人々は適切で独立した住宅にアクセスする為に、そして
住み続けられるために国、自治体の援助を受ける権利を有する」(1条)
「県住宅評議会」:住宅申請の登録と社会住宅入居優先順位づけ
県と国の特別基金「住宅連帯基金(FSL)」
入居保証金、家賃の賃貸者への直接払い、中間的家主であるアソシエイションへ
の補助金、家賃滞納解決のために家主への補償金、光熱費や保険料の
免除、住宅問題のソシャルワーカーへの補助金
強制退去の予防措置など
90年「住宅建設および居住法典」の改正、91年「都市基本法」、94年「居住法」
→社会住宅(HLM)の供給増の諸措置
住宅保障政策の評価(経済社会評議会95年報告書『極貧との闘いの公的施策の評価』)
・住宅のための国家予算減少(国内総生産比は83年2.2%、92年1.8%)
・社会住宅の建設はすすまず、リスト登録の待機者の増加。登録申請の諦めが
増加し、不適切な民間借家に入居を余儀なくされている
・極貧者は社会扶助(宿泊施設)に流れ、そこに滞留しているB反排除法(loi d'orientation relatif a la lutte contre les exclusions)の制定へ
報告関連業績リスト
・「フランスの貧困に抗する社会保護」、白梅短期大学紀要29号、1993年3月
・「フランスの参入最低限所得(RMI)制度の受給者」、白梅短期大学紀要32号、
1995年3月
・「『ウレザンスキ・レポート』における貧困との闘い」、
広島女子大学生活科学部紀要、1997年12月
・「フランスにおける公的扶助制度」、
平成6、7、8年度科学研究費補助金(一般研究(C))研究報告書、1997年6月