社会政策学会第九回大会記事
(国家学会雑誌第二十九巻第一一号掲載文により増減す)
同会文書係
渡辺鉄蔵
森戸辰男
町田成美
櫛田民蔵
我社会政策学会本年度の大会は委員会の決議に基き昨年より期日を繰上げ、去る十月二十三、二十四の両日を卜し、之を東京高等商業学校講堂内に開会せり。第一日を予定の問題に関する報告及び討議に、第二日を会員の講演に、第三日を縦覧に充てたること例年の如し。来賓として男爵後藤新平、医学博士三宅秀、衆議院議員相島勘次郎諸氏の臨場を辱ふしたるの外、東京朝日、東京日日、中外商業、万朝、やまと、中央、東京毎夕、内外通信、東京経済、日本経済、産業組合中央会、第三帝国等の新聞及び雑誌社は各特に其の社員を派遣して本会の模様を逸早やく報導せられしが如き、本会の光栄として感謝する所也。一般聴衆の入場数に至っては、昨年度満場立錐の余地なかりしに比すれば少なく、一昨年度に比すれば必ずしも然からず、可なりの盛会と云ふを適当とせん。本会の予め定めたる秩序は左の如し。
社会政策学会第九回大会順序
第一日 十月二十三日(土曜)午後一時 東京高等商業学校大講堂に於て開会
一 開会の辞 東京法科大学教授法学博士 金井延君
一 討議 社会政策より観たる税制問題
報告者
東京法科大学教授法学博士 河津暹君
京都法科大学教授法学博士 小川郷太郎君
早稲田大学教授法学博士 田中穂積君
会員討議
第二日 十月二十四日(日曜)午前九時 東京高等商業学校大講堂に於て開会
一 講演
倫理の要求と経済の組織 慶應義塾大学教授 三辺金蔵君
経済政策根本思想の変遷に関する研究の一節(経済自由主義を論ず) 早稲田大学教授 浅川栄次郎君
本邦人の月別死亡に関する研究 内閣統計官 二階堂保則君
文明か幸福か 京都法科大学講師法学士 高田保馬君
社会政策の理想 京都法科大学講師法学士 瀧正雄君
社会政策と個人 東京法科大学助教授法学士 渡辺鉄蔵君
営利主義と慈善主義 神戸高等商業学校教授 坂西由蔵君
演題未定 東京法科大学講師法学士 工藤重義君
経済政策の帰趣 東京高等商業学校講師ドクトル 左右田喜一郎君
戦争と農業 東北農科大学教授法学博士 高岡熊雄君
一 第十回大会委員の選定
一 閉会の辞
一 懇親会
午後五時より神田一ツ橋外学士会
一 縦覧 十月二十五日(月曜)
東京府下八王子 府立織染学校
同所 片倉製糸場
久保田撚糸整理工場
井上染物工場
右の予定は諸種の事情により実行上次の如き変更を見たり。尚各演者の登壇順序及時間を掲ぐれば左の如し。
第一日 十月二十三日(土曜)午後一時十五分開会。於東京高等商業学校講堂。津村秀松君、金井延君、高岡熊雄君、順次司会。
一 開会の辞 金井延君 自午後一時十六分 至午後一時四十九分
一 歓迎の辞 佐野善作君 自午後一時四十九分 至午後一時五十二分
一 討議 社会政策より観たる税制問題
報告第一席 田中穂積君 自午後一時五十五分 至午後三時五分
報告第二席 小川郷太郎君 自午後三時五分 至午後四時三十七分
報告第三席 河津暹君 自午後四時四十分 至午後五時四十二分
一 講演 各種消費税の課税方法を論ず 工藤重義君 自午後五時四十三分 至午後五時五十分
午後五時五十二分散会
一 討議会 午後七時四十分開会。於学士会、金井延君司会(非公開)
第一席(講演ノ続キ) 工藤重義君 自午後七時四十五分 至午後八時五十五分
第二席 高野岩三郎君 自午後九時 至午後九時五分
第三席 小川郷太郎君 自午後九時六分 至午後九時三十七分
第四席 高野岩三郎君 自午後九時三十七分 至午後九時四十五分
第五席 小川郷太郎君 自午後九時四十五分 至午後九時五十分
第六席 高野岩三郎君 自午後九時五十分 至午後九時五十二分
第七席 工藤重義君 自午後九時五十二分 至午後十時十五分
第八席 小川郷太郎君 自午後十時十五分 至午後十時二十分
第九席 工藤重義君 自午後十時二十分 至午後十時二十二分
第十席 小川郷太郎君 自午後十時二十二分 至午後十時二十三分
第十一席 工藤重義君 自午後十時二十三分 至午後十時二十五分
第十二席 福田徳三君 自午後十時二十五分 至午後十時三十分
午後十時四十分散会
第二日 十月二十四日(日曜)午前九時三十分開会。於東京高等商業学校講堂。田崎愼治君、福田徳三君、金井延君、稲田周之助君、河津暹君順次司会。
午前之部
一 講演
第一席 高田保馬君 自午後九時三十三分 至午後十時十五分
第二席 渡辺鉄蔵君 自午後十時十六分 至午後十一時十五分
第三席 左右田喜一郎君 自午後十一時十五分 至午後零時七分
午後零時八分休憩
一 会員撮影
午後之部 午後一時十五分開会。
一 第十回大会委員の選挙 自午後一時十五分 至午後一時二十分
一 講演
第四席 二階堂保則君 自午後一時二十分 至午後二時七分
第五席 坂西由蔵君 自午後二時七分 至午後二時五十一分
第六席 三辺金蔵君 自午後二時五十一分 至午後三時二十七分
第七席 瀧正雄君 自午後三時二十七分 至午後四時二十二分
第八席 高岡熊雄君 自午後四時二十二分 至午後五時
一 閉会の辞 河津暹君 自午後五時 至午後五時三分
午後五時三分閉会
今其の経過の大要を誌さんに、津村博士先づ開会を宣し其の紹介を以て金井博士登壇す。
開会の辞 金井延君
本会の起るや、もと社会問題に関する会員相互の自由討究に始まり、後、其の大会を公開するに至りてより会を重ねること茲に九回、第二回大会を本校講堂に開くの光栄を有してより年を閲すること八歳なり。而して久しく本会の力説高唱し来れる社会政策の観念は漸く世人の理解する所となり、其の社会主義と選を異にし個人主義と揆を同うせざるの所以を弁説するの要なきに至れり。回顧するに本会大会第一回の討議問題は実に「社会政策より観たる税制」にてありき。而して本年再び同一問題を掲げて討議攻究せんとする所以の者は本問題の適切緊要なるを認るにあらずして何ぞ。蓋し近時財政学殊に租税制度に関する理論が其の社会政策的任務を力説すること漸く著明ならんとするに際し、我国税制の実際は此れが見地より討究せられず、此れが忠言に耳を仮すこと吝なればなり。広く欧米各国の状勢を通覧するに、其の国是は著しく積極的となり其の職分は多岐に亘り国庫の負担は愈々甚しきを加ふ、此の如き非常なる国費の増加は租税の自然増収に竢つべからざるは明けし。公債其他の収入により之れに応ずることあるべしと雖も、主として之れを仰ぎつゝあるは租税の新設及増徴なり。此の如きは先進諸国共通の趨勢にして我国亦此の原則に洩れず。日清の役を以て一躍東洋の強国となり、日露の役を以て再躍世界の強国と比肩する我国は、其の比類なき地位の向上に伴ふ諸般の制度設備を必要とし、国費は年と共に膨脹するの止むなきに至れり。我国国際上の地位を維持するに必要なる経費は之れを削減するの不可なるは申す迄もなく、現下の形勢に於ては税制全部に亘る減税廃税は到底之れを行ふべからず。果して然らば之れに処するの良策は租税の分配を合理的ならしめ、之れが負担の公平を期するにあり。蓋し税制の適否は直接間接、財産所得の分配上に影響を有し社会政策上の効果逸大なるもの存するあればなり。終りに臨み、本会の為めに講堂其他諸般設備の便益を供給せられたる本校の厚意と、遠路を意とせず札幌神戸京都等より参会せられたる地方会員の労とに対し満腔の感謝を捧げんとす。
歓迎の辞 佐野善作君
続いて東京高等商業学校長佐野博士登壇歓迎之辞を陳べて曰く、今回社会政策学会第九回大会を本講堂に開催することを得しは本校の甚だ光栄とする所なり。輓近文運の隆昌と共に各種の学会相踵いて成立したりと雖も、同一専門の碩学鴻儒を網羅せる本会の如きは極めて少なく、殊に精神科学の分野に於て然り。世人の熟知するが如く本会は経済、財政、統計、商業、政治等の諸学料に関する権威を集め、既に九回の大会を重ね、広く民心を啓発し施政を善導せしこと些少に留まらず。而して本校学生は容易に聴講するの利便を得、殊に問題は学修する処の科目と密接の関係あり。此の点に於ても亦余輩は学生諸子と共に本会に感謝する所あらんとす。されど本校の設備不完全にして討議会及懇親会の為適当なる会揚を提供する能はざるは吾人の遺憾に耐えざる所なり。
歓迎の辞終りて直ちに討議に遷る、問題は社会政策より観たる税制問題なり
報告第一席 田中穂積君
博士は本題の総論的部分を分担し明快なる弁舌を以て説いて曰く、社会政策の目的に租税を利用すること即ち租税によりて分配組織に影響し貧富の調和を計らんとの考案は既に十八世紀後半に存在したりしと雖も、之を極論力説せしは夫のワグネルなり。氏以為く近世国家に於ける財政殊に巨額の支出租税制度公債の募集償還等は社会上経済上頗る重大なる関係を有するを以て之れが分配上の悪影響を避くるに努めざるべからず。否、単純なる消極的態度に甘ぜず、積極的に社会政策的の実現を期すべきなり。今日行はれつゝある累進税率、不労所得重課、勤労所得軽課、小額免除等の諸制度は皆此の社会政策的見地に基くものにして、財政の趨勢は収入時代を過ぎて社会政策的時代に遷れるなりと。然れども余輩の考ふる所によれば、累進税率以下の諸制度は課税の公平を期するよう表はれ来る当然の結果にして、社会政策的見地より論ぜんとするは誤謬たるを免れず。大財産大所得の重課、小財産小所得の免除軽課の如き、限界効用の学理に基き、平等犠牲の原則に準拠し、租税負担の公平を期するを目的とし、財産所得勤労所得に課税の差等を設くる亦同一精神に出でたるに外ならず。かく所謂社会政策的租税の起因する所は負担の公平に存し社会政策に之れ有らざるのみならず、課税によりて社会政策の目的を遂行せんとするは本来不平等なるものを平等に取扱ふて正義の原理に背戻し、貧富懸隔の絶滅を企及して社会政策の目的と手段とを顛倒し、分配組織と生産組織の間に存する不離の関係を無規して生産の進歩を阻害するものなり。故に税制を社会政策遂行の為に積極的に利用せんとするは有害にして無益なり。されど公経済と私経済とは密接の関係あり、国家の財政殊に税制は分配組織に影響すること著大なるを以て、苟しくも之れにより既存の貧富懸隔を増大せしむべき制度は断じて避くべきなり。然るに現今各国の財政々策は之を無視し、反って貧富の対立を甚しからしめんとす。中に就き英は其の批難を被ること最も少く、仏これに次ぎ、社会政策の誕生地独逸亦甚だ遜色あり。日本の如き未だ暗中摸索の裡にあり。租税は之れを収利税消費税に大別し得べく、後者は前者の補充的地位を占むるを当然とす。然るに列国は無智なる無産者か不平を洩すの道を解せざると、消費税が其の性質上負担を感ずること小なるとを利用し、之れを重課すること愈々重く、今や主客処を換へ社会政策の趣旨に反すること甚しきに至れり。仏国国税は昨年に於ける同国予算によれば収利税一割六分消費税専売益金八割四分より成り、独逸近時に於ける三大増税は大体に於て社会政策の目的に副ふ者と称し難く、唯英国二十世紀に於ける租税の増加が収利税九割弱消費税一割強より成るありて吾人の意を強うするのみ。我国に於ても亦三十二年及日露役前後の増税共に消費税に重くして収利税に軽く、近時漸く盛ならむとする廃減税運動に伴ふ減税額三千二百万円中消費税は僅かに六百万円を占むるあるのみ。税制推移の傾向の不合理にして社会政策の命ずる所に背戻すること著しきの一班を窺ひ得べけん。嘗てコルベールの言へるあり「鵞鳥を啼かしめずして其の毛を抜くこれ財政の秘訣なり」と。此の如き暴戻なる財政政策の下に呻吟する国民は禍なる哉。
報告第二席 小川郷太郎君
社会政策より観たる本邦税制に就き熟弁を呵して曰く、余輩は租税の社会政策的目的を高唱するワグネルの所説を排撃する前報告者の見解に同意する能はず。これが論議は今は云はず、仮りに一歩を譲り租税の目的が収入以外に存せずとするも、猶社会政策の見地より税制を論評し得るは明なり。而して我国に於ける税制に関する実際運動は此の重大なる問題に触れ居るや否や疑なき能はず。
租税が財産所得の分配に密接の関係を有するは申す迄もなし。余は課税によりて貧富の懸隔を調和せんとする税制を社会政策的なりと呼び、これが増大を招致するが如きものを反社会政策的なりと言はんとす。本邦税制は果して其の何れに属するや。
先決問題として考ふべきは本邦に貧富の懸隔存するや否やの点なるが、余輩は諸種の事情より其の存在を肯定し、而も其の益々増大しつゝあるの事実を認むるものなり。果して然らば我が国の現状は社会政策の適用を必要とし、他の分野に於ては之が主張実行益々進歩する勢あるに反し、独り租税政策に関して之れを論ずるもの殆んど之れなきは余の了解に苦しむ所なり。
本邦の税制は其の組織に於て税率に於て反社会政策的なり。租税を大別して収利税消費税となし両者相補ひて税制の完壁を期す。消費税は消費の事実を捕捉し之れに能力ありと認めて課税する租税にして、負担を参酌せず公平を欠くの欠点存すと雖も、今日の事情に於ては充分なる存在の理由を有し、之れが全廃を主張する社会主義者の見解の如き当を得たるの論にあらず。加ふるに消費税と雖も全々担税力を考察せざるにはあらず、我が砂糖税及煙草専売に於て品質に従ふて税率を異にするが如き此の目的に副ふものなりと雖も、むしろ稀有の例外に属し、其大部分は米、塩、醤油、酒に関する税の如く何等貧富の差別を設けず、平等の負担を課するものなり。更に進んで織物税に設るが如く何等品質の差別待遇をなさざるため富者に寛にして貧者に酷なるあり。石油税の如く貧者にのみ重課して富者を免除するが如き奇怪なる結果を来せるあり。此の如き租税は累進の思想を去ること遠く寧ろ逆進税とも名くべきものにして、我国消費税制の社会政策的要求に背馳せる凡そ此の如し。転じて収利税を見るに、こは富者資本家を眼中に置くもの、仮令消費税に反社会政策的傾向あるも収利税との組合せだに適当ならば税制全体をして社会政策的たらしむるを得べし。而して我国収利税の現状如何。近時我国社会進歩に伴ふ地価の騰貴は著しき事実なれども、之れに課税せんとする土地増価税は未だ行はれず。戦乱に伴ふ時運変転のため巨万の富をなすものありと雖も之れに税するの道未まだ備らず。今、現存する収利税に付き一瞥を与へんに、直税中社会政策的見地より見るべきものは相続税所得税及収益税の三なり。所得税は所得を標準として所得に課し通常財産税と併立す。相続税は相続に際し、相続財産を標準とし、財産又は所得に課す、故に屡々動的財産税を以て呼ばるゝなり。一般財産税の存在せざる我国に於て相続税の必要なるは正義の命ずる所、夫の家族制度維持を名として家督相続税を免除せんとの議論の近時貴族院中に提唱せられたる亦以て我国税制に関する反社会政策的思想の一班を窺ひ得べけん。然ども余輩は我国税制に社会政策的色調なしと言ふ者にあらず、所得税相続税に小額免除、定額控除、及累進税率の制あるは何人も注意せる所なるべし。されど此れ等の規定個々に就いて見れば種々の不備を存し、其の実際効果亦疑はしきものなきにあらず。たとへば所得税の累進の如き、申告に関する不公平と基点の過当に高きと株式会社に比例税を適用せるとの理由により其の効果は著しく減殺せられ居る等の如し。既に所得税にして如此不完全なりとせば収益税を以て大に之れが補完を努めざるべからず。我国に地租の設けあるは税制上甚だ可なれども、土地評価既に旧く吾人の要求する所に副はず。尚宅地租の制を改めて都市に於ける家屋税を新設すべきなり。土地と並びて営業の課税せらるべきは正理の命ずる所、殊に商工業者は新興の資本家階級に属し、担税力最も豊かにして、所得申告に虚偽の妙を得たる者なるに於てをや。最後に現代は証券資本の時代なりと呼ばる。此の重要なる有価証券に関する我が税制を見るに之れ亦頗る当を得ず。即ち公債社債には低率の比例税を課し、国債にありてはこれすら徴せず。株式会社は其の純益に課税して配当金を顧みざる等一般所得税たる本来の要求を忘れ、担税力の公平を思はず。殊に将来証券資本の聚積集中愈々大ならんとす時に当り、此の如き税制を存するは反社会政策的傾向の著しき例証なり。之を要するに現今に於ける税制改革は廃減税問題に存せずして租税の公平を来すに在り。反社会政策的傾向を転じて社会政策的に向はしむるにありて存す。
報告第三席 河津暹君
欧羅巴租税制度発達の趨勢は、一言にして云へば漸次国費が膨脹する事にして、而かも一方民主的傾向旺盛となりし為め旧の如く租税収入を増加する事困難なり、故に此両者を調和せしむる為め止むを得ず社会政策的見地より税制を整理せざるべからず。之が為めには第一、直接税と間接税との権衡を改めて税源を多く直接税に求むるに到り、第二に新税源を求むるに到れり。
而して租税制度の改革に常に起る問題は、社会政策的改革に伴ふ収入の減少を如何にすべきやと云ふにあり。之を欧州の財政史に付きて見るに多くの場合に於て財政収入の減少は極めて短期間の事にして其後は財政収入の増加せるを見る、是れ、国民の経済力を増加し税源が養はるればなり。社会政策の見地より税制を整理せし事例として英吉利の税制改正に及ぶべし。
穀物条令廃止以前、英吉利の財政収入は殆全部間接税なりしが十九世紀の央頃より漸次直接税を重くするに到れり。一八七〇年代に臨時税として起せし所得税を永久税とし一八九四年相続税を起せり。而も輓近海軍費の増加著しく殊にロイドヂョーヂ立つに及んで諸種の社会政策的施設を実行するに至りし以て如何にかして之が税源を撚出せざるべからず。之に付き吾人に興味有るは間接税よりも寧ろ直接税の整理なりとす、即「インカム、タックス」並に相続税を改正し諸種の地税を起せり。(一)所得税に付ては一九〇八年以来労力所得と其以外の所得とにより税率を異にせしが今回の改正により更に率を改め、又従来の比例税に「シューパー、タックス」を加徴して累進の趣旨を加味し、又少額所得者に小児の数によりて課税を免除する等の社会政策的立法を施したり。(二)相続税に付ては従来に比して一層累進の率を高めたり。(三)地税に付きては、新に四種の税を起したり、即「アンデエロープド、ランド、デューティー」農業地其他商工業地等に利用せられざる土地に対する課税、土地増価税、復権税、鉱物権税の四とす。第一の税に付きては「スモール、ホールヂング」には課税を免除する等の社会政策的除外例を設け、第二の土地増価税に付ても諸種の社会政策的見地よりする除外例を設けたり。之等の結果英吉利は直接税間接税の権衡宜しきを得るに到れり。同様なる事例は他の諸国にも行はるゝが今其一例として独逸の例を述ぶるれば、千九百十一年二月の法律により従来各連邦税又は都市税として存在せし土地増加税を帝国税として増価の一割を徴収し、地価の漸次増加するにつれて累進率を課する事としたり。兎に角独逸にても相続税を改正し又新税を起して財政膨脹の欠を補ひつゝ社会政策的施設を行ひつゝあり。之等一二の事例に付きても欧州の税制改革は社会政策的見地よりなされつゝあるを知るを得べし。
講演 工藤重義君 各種消費税の課税方法を論ず
と題す、時既に五時四十三分、予定の時刻を過ぎたれば止むを得ず緒言だけに止め詳論は同夜討議会の席上にて継続せらるゝことゝなれり、今其の緒言の要領を摘録せんに左の如し。
消費税が現今各国にて著しき勢力を有し来りしは顕著なる事実なるがルロア、ボリュー氏が「エコノミスト、フランセイ」に英仏独の消費税比較をなす所を見るに仏、一九一二年度決算(専売を含む)消費税五割三分其他の租税四割七分独逸一九一一年度決算(帝国税並に各連邦税を合算す)消費税五割七分直接税四割三分、英同年度決算消費税四割六分其他五割五分、我国大正二年度決算専売を除くときは消費税五割五分、其他四割五分、専売を租税なりとすれば消費税六割二分其他三割八分なり、以て消費税の如何に重要なるやを知るべし。然るに消費税は泰西にても我国にても未だ多く研究されざるなり、泰西にても消費税に関する名著は多く存在するなし、余は茲に消費税中特に重要なる酒醤油織物税等に付き述べんとす。
会員討議は例により非公開とし、学士会事務所を以て其の席場と定めたり。会する者二十三名、工藤学士の報告に先ち高野博士は幹事として明年度大会委員選定の件、及び新入会者の氏名略歴を報告す。決議の結果新たに明年度大会委員として選定せられたるは金井延、桑田熊蔵、高野岩三郎、中島信虎四氏の常任幹事の外、河上肇、堀江帰一、坂西由蔵、藤本幸太郎、関口健一郎、浅川栄次郎、三辺金蔵、櫛田民蔵の八名なりとす。
右決議報告終りて後会員一同別室にて晩餐を共にす。金井博士、工藤学士の講演継続を宣する時既に八時。
第一席 工藤重義君 酒造税は近き将来に於て一億円に達すべき消費税中最有力のものなるが、第一に課税標準は現行制に依れば製成の時之を査定すとありて製品課税法を採るものの如きも、滓引減量の存するは勿論庫出迄の自然減量を見積らざるを得ず、実際其の期間長期に達するものあり減量も少なからず、故に一石二十円の税金は形式に過ぎずして此の不都合不公平は後述の庫出主義の採用に依て除去するを得べし。第二税率に付ては実際上現今は一律に一石二十円にして、〔 〕の優良酒も濁酒も同様に扱ふは負担の公平を期するに於て不可なるを以て宜しく改めて三等又は四等に分つべきなり、反対論あるべきも採るに足らず。第三賦課徴収の方法として現行制は形式的製品主義と納期主義を採るも予は庫出主義に改むるの合理的にして又実際上にも不可能にあらざるを信ず。納期主義殊に納期の定め方に付ては沿革上経済上等種々の理由の存することは之を諒とすべきも、結局営業者の資力殊に薄資者に於て納税に堪ふるや否やの同題となる。之に付ては現行制の如く不動産の担保を認めたる上、一定期間の猶予を許し、夫れ以上は他の消費税の如き担保制と為さば可なり、万一之を採用するに躊躇せば納期を細分すべし。納期の定め方は一般租税に付ても改正を行ふの要あり。次に醤油税に付ても論議を要す。現行制の如く諸味を醤油の課税標準とするは理論上不可なるのみならず、溜との間に税額の不均衡を来す、厳格の製品庫出主義は行ふを得ずとするも、責めては酒税の現制の如く製成の時査定することとすべし。又醤油溜共に税率の一様なるも不可なり、此点酒に付て述たると同じ。其他自家用醤油税の二期制の如きは多数の納税者に対し徒に手数を煩わするものなり、一期とするも不可なし。織物税の課税の範囲に付ても多少言ふべきことあるも、課税の公平上最も不可なるは一様の税率を以てするに在り。勿論織物は非常に種類多くして、公平なる課税を為すは容易にあらず又従価、従量両主義何れを可とすべきやの問題もありと雖も、現行の如く単純なる従価主義は毫も織物の性質或は国民の必要程度を眼中に置ざるものと云はざるを得ず。之を分て原則上絹織、交織、綿織の三種とし、各税率を異にし、其の範囲内にて従価主義を採ることは不可能にあらずと信ず。毛織物に付ても同じ。其他移出承認省略の特典を与ふるは寛に失すべからず、実際上遺憾なきやは疑はし。砂糖税は前三者と異り、原則上大量生産にして現行法は製品課税主義なるに実際は原料課税に類似せる方法を採り一定の歩合を以て各種製糖に課税しつつあり、右は実際と合致せしむること不可能なるのみならず理論上不公平の結果を生ずるものなり、政府の趣旨は或る理由に基くものなるも寧ろ現行制に劣るものにあらざるか。其他第六種糖の現行税率は第五種糖に比し事実上反対の結果を生ぜずや。要するに各種の消費税を通じて政府は収入のみに重きを置き最も注意すべき負担の公平を期する考少し、之が公平を計るは各税の性質上頗る困難なるは吾人亦之を熟知するも更に立法上之を排して一歩を進めんことを希望するものなり云々。学士は更に進んで小川博士の報告に対し意見を異にする諸点を明にして降壇。
討議に入れる時既に九時十分、問題は先づ高野博士に依って喚起せらる。
第二席 高野岩三郎君 は小川博士報告論旨の大体に賛成なる旨を述べ且つ曰く、然らば小川博士は現行の税制を如何に改正せんとするか、其の改正すべき諸点の先後は如何、ために収入の減少之れありとせば之を補ふの方法如何、是れ吾人の与かり開かんと欲する所也と。
第三席 小川郷太郎君 は高野博士質問の要点に答ふるに先だち(イ)税制整理の問題は社会政策的見解に立つも、所謂公平の原則に拠るも共に同一の結論に到達するを得べきこと、(ロ)本邦財政の現状に鑑み、負担の不公平は必ずや改正を要すと雖も現行一部税種の廃止を主張せざること、(ハ)租税収入の減少は一部税種の廃止に依て生ずべしと雖も、社会政策的改正に依って生すべきものに非らざることの諸点を前提し、進んで個々の実際問題に就て自家の提案を披瀝して曰く、消費税課税方法に関する工藤学士の提案は概して余の賛成する所なりと雖も、電灯税に就ては学士と説を異にし反対に其の課徴を主張せんとす。今之が正確なる統計を論拠として議論し能はざるも、近時我国の実際に於て電灯業は単に大都会に限らず、益々小都会及其接続村落にまで普及せんとするの傾向あるは看取するに難からず。次に専売制度に就ては種々の非難あるも其の税率の階級区分に就ては、却って比較的公平を期し得べき乎と思ふ。狩猟税、骨牌税の如き奢侈税に至っては本邦に於て其発達極めて遅々たりと雖も、当局にして其調査を密にせば、此種の課税賦課の機会は更に多からむ。所謂奢侈税として自動車、倶楽部等に課税する亦可ならずや。更に進んで直接税の方面に於ては、本邦の現状に照し、土地増価税を起すの要あり。これを地方税とするも可、又国税とするも可、其の課税の方法は独逸の例に倣ふべし。所得税は本邦に於て尚ほ未だ収益税の補充税たるやの観あり。本税は其の税率の比較的重きに拘らず、収入の発達は比較的遅々たり。是れ国民道徳の発達幼稚に、申告の虚偽多きに依る所多しと雖も、亦た其の税制の不完全不公平なるに依るは既に報告に依って述べし所なり。之が内容に立入り仔細に改善の方法を指摘するは今其の処にあらず。只だ本税の不備を補ふの方法として本税と収益税又は財産税の対立を主張せんと欲す。各収益の集合に対し一般所得税として税するに拘らず、更に其の所得の源泉たる各収益に就て各個に税するは二重税ならずやとの非難あらん、是れ形式に於て然るのみにして実質に於ては然らず、寧ろ大に正義の原則に適ひ負担の公平を得。是の故に余は一般所得税の外に地租其他の収益税を置く所の本邦の現行制度は之を此の儘維持し以て逋脱の事実を防止するは税制改善の有力なる一法なりと考ふ。先づ地租に就ては其の課税標準たる地価の変動甚しきを以て新たに地価修正の必要あり。社会の進歩都市の膨脹と共に住居問題の漸く切実ならんとするは自明の理にして、都市家屋の所有者の家賃収益は益々大なり。家屋税は本邦に於ても漸く設定の必要に迫れるに似たり。若し士地増価税を以て国税とすべくば、家屋税も亦た国税とすべきにあらずや、地方税としての戸数割戸別割の如きは寧ろ人頭税たるの嫌なき乎。営業税存続の必要は既に報告に際して述べし所、之が内容の改正は多岐に渉るがに今故之を述べず。以上述べし地租、営業税、家屋税の外更に資本利子税を起して本邦収益税制度の完成を計るの必要なき歟。思ふに本邦に於ける公債社債の大部分は大都会に於ける大資本家に集中せられつゝあるの事実あるに拘らず、本邦所得税法は第二種所得とし之を他の所得と分離し、其の間に大小所得の区別を示さずして千分の二十と云へる一定率の比例税を課す。其の少額公社債の所有者に重くして多額公社債の所有者に軽きや明也。公社債の利子は動産所得の一種にして確定的基礎を有す。他の所得に比し軽く税すべき理由を認めず。更に其の内部に於て累進税の適用なきは近世税法の原則を無視し社会政策の要求を無規す。茲に於てか、余は之を所得税より分離し、別に之を以て資本利子税を起し所得税に於ては個人所得として其の取得する利子額を申告せしめ所得税賦課の基礎とすべきことを提案せんとす。而して虚偽の申告は税率の高きに依ること多きが故に其の税率は寧ろ之を低下せんことを希望す。株券は公債社債と同じく動産所得の一種否其の主要部分を構成するものなるに拘らず、一般の所得より分離し之に一定の比例税を課し大小所得を区別せず、会社課税の方法を取りて株主の配当に税せず。是れ公債社債に就て述べし所と同一の理由に依って批難せざるを得ず。会社に税するは株主配当に税するものにして同一の所得を二重に税すとの非難あらむも、会社の所得は会社の純収益にして此の純収益は啻に配当金のみにあらずして積立金賞与金等をも含むが故に会社課税は株主の配当金をのみ税するものと云ふを得ず。而かも会社経営の実際より見れば、所得税の課徴は配当金に影響すると少なく、会社は常に配当率の維持に汲々たる有様なり。是の故に余は公社債の場合に於けると同じく会社所得税の外更に株主の配当に税せんことを提案す。其の税率は公債社債の場合と同じ理由に依って之を低下せんことを希望す。財産税は本邦に於て未だ熟せず、幸に相続税のあるあり、よろしく之を完備して収益税制度を補完するに若かず。法人の財産税は今後の大問題也、資本主義的経済制度の時代に於て法人の課税は最も緊切なる問題と云はざるべからず。
第四席 高野岩三郎君 社会政策的見地よりして直接税制度の完成を計るは恐らく非常の困難を伴ふべし。非常の困難あるも尚ほ之が可能なるに於ては余は小川博士の指摘せる諸点に賛成せん。只だ乍併此の直接税の完成によりて得る所の収入は之を如何にすべき、其儘保維すべき乎、又之を以て消費税の一部廃止を行ふ乎、小川博士の意は何れなりや。余一個の意見としては消費税の一部廃止を主張せんと欲す。塩専売を廃する可也、石油消費税を廃する尚ほ可也、学者の理想を忌憚なく云はゞ百尺竿頭更に一歩を進めて軍事費を削減するも、消費税の一部は之を廃止せざるべからず。
第五席 小川郷太郎君 軍事費の増加は世界の大勢也。経費増加の傾向は之を認めざるを得ず。余は此の前提の下に於て税制を論ぜんとす。欧州諸国の租税史に依れば、消費税は当初生活品に課せられ漸次に奢侈品に課せられたるの傾向あり。故に欧州に於て生活品課税の存続するは沿革上の理由あれども本邦に於ては然らず、本邦の塩専売の如きは全く西洋の模倣也。高野博士の廃止を主張する塩及石油課税の如き性質上固より廃止すべきものにして、米穀輸入税の如き亦た然りと云はざるべからずと雖も、以上の如き経費増加の前提の下に於ては他に収入の確立を見込みてのことにあらざれば一概に廃止するを得ず、余輩は寧ろ万止むを得ざる者として之を認めんと欲す。但し其の税率其他の方面より之が改正の急なるは勿論也。終に通行税中市街電車の通行税の如きは宜しく廃止すべきものと考ふ。
第六席 高野岩三郎君 小川博士は経費増加の原則を認むと雖も、経費の増加とは経費の常に絶対的に増加すとの意に非らずして一定の期間に於て全体の方向より云へば増加の傾向にあるも、其の期間内に於て或は減じ或は増すことを許すものに非ざる乎。果して然りとせば、消費税廃止の目的を以て経費を削減する必ずしも不可無けむ。
第七席 工藤重義君 租税負担の公平を得んがために、消費税其のものに改正を加へ、更に所得税と営業税に改正を加ふるは余の賛成する所なるも、家屋税の設定には同意し能はず。家屋税は単に家屋の賃貸に依りて利する所の資本家たる家主に税するに止まらずして自己の家屋の所有者にも税するものあり。家屋税の転嫁は極めて容易なるの事実あると共に其の課税標準に就ては頗る疑なき能はず。本税は固と市街地に行ふべき性質のものなれども、実際本邦の大都市には本税の設定せられざるは少なし。理論上或は可ならむも国税として本税を設定するは、都会と地方との権衡を失し実際上の目的に添はず。日清戦後一度議会に提案となりたるも否決せられしは此故也。営業税は固と仏国の例に倣ひて設定せられしなり。仏国に於ては従業者数賃貸価格等を課税標準とし人の自由権に立入らざるを本旨とするも、本邦の同税法に於ては此長所を滅却し人権を浸害する惧れあり。余は本邦営業税の課税標準を変更し全然外的標準を捨て収益に課税すべきを主張せんと欲す。資本利子税は現今墺露及び其他の小邦に行はるゝに過ぎず。本税は転嫁し易く脱税亦た行はれ易く、無記名の社債を税するは実際上甚だ困難なり。理論の上にてはとも角実際上よりは直ちに賛成し能はず、寧ろ営業税を完備し所得税を修正して其の欠を補ふに若かず。会社課税は賛成、殊に其の積立金の課税は至極適当なりと考ふ。但し税率にして重き時は会社の発展を阻害するが故に其の軽きを希望す。相続税は本邦の実際に於ては不動産相続税にして、動産は多く隠蔽せらる。故に銀行預金の如きは之を検査するの条項を加へ虚偽の申告を防止するを可とせん。間接税にして本邦の実際に於て廃止すべきもの一も之れなし。余は軍備拡張論者也、如何なる犠牲を払ふも軍備は完成せざるべからず。消費税一部廃止の目的を以て軍事費を削減するが如き全く余の同意し得ざる所也。
第八席 小川郷太郎君 工藤君と余とは大体に於て意見の一致あり。只だ其の異なる所は家屋税と資本利子税に就てのみ。故に此の点に就て弁ぜん。家屋税設定の困難は技術上の問題にして、税其のものは決して不可なるに非らず。地方税としての家屋税制度は極めて不完全にして、其の課税標準は多く建坪に依ると雖も、都会地に於ては士地価格の騰貴するが故に従来の建坪標準主義を、固守する能はず。田舎は或は建坪にても可ならむも都会地に於ては之に依ること能はず。而して問題は主として都会の問題也。本税を収益税の組織より分離して地方税に一任せんよりも、理想としては多少の技術的困難を排し国税として統一するの可なるを信ず。資本利子税中無記名債券の課税に就ては技術上の困難あれども、支払の際債務者をして申告せしむるの方法等を採る必ずしも不可能ならずと考ふ。
第九席 工藤重義君 は之に対し、プロイセンが国税たりし家屋税を地方税に移したる例を引き、其の実際上賦課の困難なるを指摘し、更に進んで小川博士が所謂公社債の利子及び株主配当に対して新たに資本利子税を起さんと云ふは是れ二重に租税を設定するものにして其必要なしと論ずるや。
第十席 小川郷太郎君 は起って曰く、是れ根本問題也、学士の称して以て二重税と云ふは形式のみ、実質に於ては然らず。土地の所有者は地租を納め所得税を納む、然るに有価証券の所有者は単に所得税を課せらるるに過ぎず。不動産所得に地租と所得税とを並び課するは租税制度を完全にする所以也。動産収益にのみ収益税を免ずるは負担の公平を得ざると共に、税制の完全を妨ぐるものと云はざるべからず。
第十一席 工藤重義君 は之に答ふるに、理論上は則ち然りとせんも、課税の目的を達せんには必ずしも小川博士の説の如く別に之を所得税より分離して新たに資本利子税を設定するの要なきを主張し、本問に関する二氏の論争は更に継続せられんとする形勢あるや。
第十二席 福田徳三君 は起てり、曰く、本討議は国税に就てのみ、何人も未だ附加税に論及せざるが故に議論の価値は其の一半を減ずる者と云はざるべからず。小川工藤二君の論争に関し余は小川君に同意す、蓋し本邦の実際に鑑み――納税道徳上、徴税技術上――所得税のみを以て公債社債株券等有価証券の所有者を完全に税するは極めて困難なるものあれば也。余が小川君に賛成するは寧ろ実際上の理由に出づ。国情を異にする欧州諸国の例によりて吾を律せんとするは不可、本邦の如き納税道徳の低き処にありて外形的課税標準を必要とするは工藤君の言の如く、富者階級に対する課税と認めらるべき地租営業税減廃の不可なるは小川君の言の如し。幸に本邦には収益税として地租あり、宜しく重く税すべし。従来地租営業税の増徴比較的軽微にして消費税の増徴比軽的過重なるは議会に其の代表者あると無きとに依る。消費税の増徴は今後益々甚しからむを憂ふ。最後に家屋税国税論は余の遽かに賛同し得ざる所、寧ろ地方税たるが ergiebig ならずや。
桑田博士起って討議終結を宣する時夜正に十時四十分。
第二日、廿四日午前九時三十分開会。一般聴衆の入場は前日より少なし、尚ほ可なりの盛況と云はん乎。常日第一席の講演者として予定せられし早大教授浅川栄次郎氏が病気のため欠席せられたるは本会の遺憾とする所也。依って予定を変更し、
第一席 高田保馬君 文明か幸福か
一般の見解にては文明と幸福とは相伴ふものと信ぜらるゝも余は此二者は寧ろ相背馳するものなりと惟ふ。文明とは享楽の増加を意味するものにして若し文明と幸福とが相伴ふものとすれば幸福は今日著しく増加したるべき筈なり。然るに吾人が生命を持続せんとする最も根本的なる欲求に背きて自己の生命を絶つ者即自殺者が今日の社会に於て益々増加するを見る。吾人は茲に於て翻って幸福の本質如何を見ざるべからず、吾人の幸福は欲望満足によって決定せられざるなり、カーライルは其衣装哲学に於て吾人の満足せしめつゝある欲望を分子とし吾人の有する総ての欲望を分母としたる分数が幸福の程度なりと云へり、余は吾人の幸福は満足せしめんと欲して満足するを得ざる欲望に反比例すと信ずるなり。果して然らば今日の社会に於ては満足せしめんと欲して満足するを得ざる欲望増加するを以て人民の不幸は益々甚しく自殺者の増加する又怪むに足らざるなり。斯の如く欲望の増加し来るは欲望自身の性質に基くものにあらずして今日の社会階級制度殊に貧富の懸隔に其因を有するなり。吾人は抜かん欲して抜く能はざる力の欲望を有す、此欲望により上流階級のものは自己の力を他に誇示せんが為めに一の欲望を生じ、他の階級亦力の欲望により之を模倣して茲に欲望の増加を見るなり。然るに貧富の懸隔甚しくなれば貧者が満さんと欲して満すを得ざる欲望益々増加して彼等の不幸が増加するなり。今日貧民の状態は改善せられつゝあるも富の集積は一層甚しき速度を以て行はれつゝあり。此大勢にして変ずるなくんば吾人は文明か幸福か二者中何れか一を択ばざるべからず。経済政策は吾人の幸福を求めんとするならば生産の改善よりも分配の改善に向って努力せざるべからず、極端に云へば生産の如きは問ふ所にあらず分配状態さへ改善すれば可なり。云々。
第二席 渡辺鉄蔵君 社会政策と個人
個人は古より共同生活を営み来りしは争ふべからざる事実にして又其必要が存在したるなり。個人と社会との関係は密接にして個人は自己の住せる社会の向上を計り又自己の向上を計るが為に活動す。向上したる社会に住する個人は多くの幸福を享有す。而して個人が活動せざれば社会は向上せず。之を以て個人は自己の生存を保証する社会を進歩せしめんが為めに自己も向上せざるべからず。然らば社会の向上個人の向上に如何なる事が必要なりやと云ふに、第一は個人の自覚なり。個人が自己の向上発展を計りて活動するや往々にして他の個人又は社会と衝突を生じ、此衝突不調和を調節する種々の手段を要す。社会政策は此等の手段の一にして経済上個人と個人又は社会と個人との間に起りし衝突を調和せんとして起りしものなり。社会政策は右の目的を実行するに種々の手段機関を有す。而かも個人が自覚して自力を以て此調和を計るにあらずんば社会政策は到底完全に又永続して行はれ得るものにあらず。社会政策の手段中最も多く個人の自覚を必要とするは労働組合なりとす。第二に他の方面より個人を尊重せざるべからず。斯の如き観念にして存在すれば雇傭条件労働条件の改良等は円満に行ふるべく、之が理想的に発達するに於ては弱き個人を救済する設備は不用となるべし。我国にては未だ工業幼稚にして労働者少く労働者は全く微力にして企業家との衝突は起らずと称して可なり。而かも社会政策は宗教家学者によりて先称導せられ、政府も止むを得ず之に追随し、工場法も漸く実施せらるるに到れり。尚嘗て我国に於て労働組合の運動明治三十二三年の交盛なりしも挫折し目下友愛組合最も盛なり。但し我国に於ては未だ商業使用人に対する社会政策的施設は一も行はれず。
第三席 左右田喜一郎君 社会政策の帰趣
経済生活が人類内面生活の一面的解釈たるは疑を容れず。凡そ内面生活は外界自然と同じく、二個の見地に立ち之れを観察し得べし。一は自然必然的普遍化概念構成によるものにして、此の観方によれば人類の内面生活は自然科学として心理学の対象を形成し、他は目的論的単一化概念構成によるものにして、此の観方に従へば人類の内面生活は価値概念と直接不離の関係に立ち、吾人の歴史生活を形成す。経済生活は其の根本に於て既に経済てふ一種の歴史的範疇に制約せらるゝが故に先天的に一種の歴史生活なりと謂ふべし。而して此の歴史生活が認識論上可能となるが為には『文化価値一般』なる先天的形式に係らしむることを要すること、恰も外界自然の智識に先天的条件及原理を必須とするに同じ。吾人の内面生活を此の文化価値一般に係はらしめて実際上の価値判断を下す所に政策の根基存在す。此の理により経済生活は『経済的文化価値』に係はりて認識論上始めて可能となり、経済政策の根基は此の実際的価値判断の上に置かるゝなり。此の如き先天的条件規範たる価値は其の認識の係はるべき範囲に於て論ずれば何等の内容的制約をも許さず、此の意味に於てのみ其の妥当性は普遍的客観的たり得るなり。経済生活及び経済政策を此の形式に対して規範実現と云ふ方面より論ずれば、前者は其の経済的文化価値なる規範を内容的に実現する過程の全体にして、後者は此の如き規範実現に或る一定の方向を与へ、其の究極として或る一定の結果を生ぜしむべき意識的努力なり。而して経済政策の帰趣は此の意義に於ける規範実現の内容が客観的普遍妥当性を具有すべしとする要求に存す。而も此の如き内容は認識の対象としては絶対的に不可能なり。故に之を主張する形而上学の排すべき所以を知りながら猶且つ規範と内容との間に吾人の経験を超越したる本質的結合を思ふことなくして止み得るかは当に経済哲学最終の問題なり。
左右田君の講演終りて後休憩、此間会員一同撮影。
午後一時十五分午前に引続き開会
第四席 二階堂保則君 本邦人の月別死亡に関する研究
曩きに本会例会に於ては余が本邦人口死亡の研究中其青年死亡に就て述べたり。本席に於ては本邦人口の月別死亡に就て述べ以て聴者諸君の批判を乞はんと欲す。期間は明治三十二年より同四十四年に至る最近十三年間に過ぎず。是れ材料の制約あって止むを得ざる也。余が研究の結果により(一)本邦人月別死亡比例を曲線に描く時は、一年中二つの山二つの谷を形成し後山は前山よりも高く(二)男女の別に依る月別死亡比例を曲線に描けば、其の前山に於ては男の線高く女の線低く、後山に於ては男の線低く女の線高し。換言すれば本邦人口別死亡の状態は酷暑残暑の季節に最も高く次で冬期に高く晩春初夏の候に低く、其の男女別に於ては冬は男の死亡多く夏は女の死亡多し。是れ果して人口月別死亡の常態なりや、問題は是也。今緯度の高低より観て世界に於ける人口月別死亡の定型は凡そ四あり。(イ)一年中前半に山あり、後半に谷ある者(諾威型)(ロ)一年中前半にも後半にも山と谷とありて前山は後山より高き者(南方独逸型)(ハ)一年中前半にも後半にも山と谷とありて後山は前山より高き者(西班牙型)(ニ)一年中前半に谷あり後半に一の山ある者(フィリッピン型)即是也。本邦は緯度の上より云へば第二型に入るべき者にして、年の後半よりも年の前半に於て比較的死亡者多かるべき筈なるに却って反対の現象を呈し第三型に属するは何故なるか。今之が原因に就て考ふるに自然的原因(主として気象関係)中常住的及一時的変化の何れにも依るを認め難く、寧ろ社会的原因(最広義にして人事現象の一切を網羅す)に依るもの多きを認む。而して此の許多の社会的原因中特に重要なる原因は男女別に依って起る現象にして即ち本邦人口の酷暑残暑の候に死亡率高きは女の死亡率が同季節に高きを以てなり。同季節に女の死亡率高きは消化器病、呼吸器病の死因多きに依るも、其の最大の原因は死因としての結核性疾患多きこと也。而して女特有の死因たる産褥熱は多く之に与からず。夏期女に結核性疾患多きは其の体性が同季節に於て特に抵抗力弱きに依ると雖も、亦其の営養状態の甚しく不良なるに依るものと云はざるべからず。今や本邦に於ても経済の発達と共に女子職業問題は漸く切実ならんとするに似たり。本邦人口死亡の現状に照し、女子の営養問題否一歩を進めて云へば女子を奴隷視する旧慣故俗の撤廃は特に重要の問題なりと信ず。
第五席 坂西由蔵君 営利主義と慈善主義
吾人の経済生活を支配する原則は営利主義即ち「獲んとすれば与へよ」との有償主義なり。此の原則は経済の世界に留らず技術の世界にも行はる。有償主義が自然と人間との関係に於て発生する時は之れを技術的有償主義と呼び、人間と人間との関係に於て発生する時は之れを経済的有償主義と称す。而して現代社会に於ける代表的対価は貨幣なるを以て今日経済的有償主義と言へば即ち貨幣有償主義を指し、茲に吾人は之れを名けて営利主義と呼ばんとす。営利主義は私有財産を前提す。無償主義より有償主義に、有償主義より営利主義に遷るに従ひ、社会は共有共産の制より私有財産の制に改まれり。有償主義は個人の自由を前提す。営利主義の発達は他の一面より見れば個性の発達にして、活動の自由なくして個性の発達は望むべからず。営利主義の発達の歴史は亦経済的自由主義発達の歴史也。今日の経済組織は個人の独立自衛の基礎に立ち、経済政策の出発点到達点は常に個人の独立にあり。此の点を閑却し之に逆行する政策は悉く有害無益なり。社会政策の期する所は労働者を弱者として憐むにあらず、有償主義を守り其人格を尊重するに存す。貧民救助の如き慈善制度と雖も此の例に洩れずして、之を行ふに当りては救助は可成之を一時的のものに限り而も彼等の自尊心を害ふことなきを要す。是れ実に英国救貧法の真髄にして近時に於ける救貧制度の精神亦此処に存す。然るに現代社会に於ても無償主義の原則は絶滅せるにはあらず。今日と雖も家族生活を支配するものは無償主義なり。されど家族団体間にありても漸時財産の分割行はれ其の員数は常に減退の傾あり。且是等小団体の外に流るゝは滔々たる営利主義の風潮にして営利の流に棹す能はざる者は共有共産の昔を夢み無償の原則を墨守せんとし、称して慈善主義と言ふ。兄弟相愛を説く基督教の推賞せしものは共産の制にして私有財産の認許は慈悲救恤を条件とせり。されど此の如き思想は今日の経済思想と相容れず、慈善主義は前代の遺物にして、吾人経済生活発展の妨害物なり。慈善主義は社会の進展に逆行するが故に自然強制の手段に訴へざるを得ざるべく、現代社会制度によりて保障せられたる個人の自由は之が為めに其の存在を危ふせらるゝことなしとせんや。然るに奈何、近来我国に於ては曰く東北救済、曰く白国義捐、曰く何、曰く何と慈善主義の横行甚しく、私立廃兵団の如き亦営利主義に匿れて慈善主義を強制せんとす。社会進歩を阻止する此の如き制度を黙過し毫も世人の怪む所なきは慈善主義に対する迷信の深きに起因す。吾人は其の謬妄を匡し個人の自由独立を基礎とせる営利主義の樹立に努めざるべからず。
第六席 三辺金蔵君 倫理の要求と経済の組織
現在の経済を維持して倫理の要求に合せしめんとすることは不可能なり。倫理の要求は自己の幸福と共に他人の幸福を図るにあり。抑も人には霊的の満足を求むる念と動物的の満足を求むる念とあり。霊的の満足は自己の満足と同時に他人を満足せしむることを得れども動物的の欲求は単に自己のみを満足せしむることを得て他人の満足と両立せしむることは困難なり。而して他方に経済行為は各個自由に其好む所を行ふことを得るものなるを以って現在の営利主義財産私有主義による組織は結局倫理の要求と合致せざるものと云はざるべからず。現在の状態は倫理の要求に忠なるものは自由の経済生活を行ふことを得ず。反対に倫理の要求を無視すれども経済生活に自由の活動をなすものが幸福なる生活をなし世間は寧ろ後者を羨望して前者を冷笑するにあらずや、是何たる矛盾ぞや。然らば此矛盾をいかにして匡正すべきや。二の方法あり、一は財産私有の撤廃にして、一は社会改良主義の実行也。倫理の上より見れば前者の方徹底的なり。然れども倫理が人の共同動作Co-operationを要求することは人の共同生存Co-existenceを前提とす。故に勿論個々の生存従って財産の私有も之を認めざるべからず。然れども無制限の財産私有は倫理の要求を阻害するが故に之を強制するの必要あり。之をなすものは即文明生活なり、此調制をなすものは法律及各種の社会政策的制度なり。之によりて倫理の要求と経済生活の要求は調和せられ適当なる経済組織を見ることを得べし。
第七席 瀧正雄君 社会政策の理想
余は左右田ドクトルと立場を異にし人生の解釈として「プラグマチズム」を採る、故に経済政策の問題に就ても自己現在の信仰を基礎とし立論し画策し実行す。而して余は宗教、芸術、法律政治等一切の社会的生活は所詮経済的生活の基礎に立つものなりと信じ、経済生活を以てマルクスと共に「人生に必要なる物質的条件を調達する生活」の意味に解し、此の見地によりて社会政策の理想を論ぜんとす。然らば此の如き社会政策の理想は果して如何。先現在の経済社会と社会政策との関係を見るに社会政策の要求は所得分配の不公平を公平ならしめんと云ふにあり。今回税制問題討議の結果に見るも或は現在の直接税を重課し或は特に富者階級の負担たるべき新税を起さんと云ふにあり。然れども若し資本に税すること比較的重からんか、資本は固と国境なきが故に直ちに吾が国土を去るべし。所得の分配と云ふも所詮分配すべき源資ありての物種なり。分配すべき源資なくして何の社会政策が是あらむ。翻って現在生産社会の実情如何と云ふに、分配の源資は殆んど行詰りの状態にあり。若し此の儘にして止まんか、吾が社会政策なるものゝ前途や蓋し思半に過ぎん。ブローン氏の「エコノミック・レヴュー」に公にせる資本労働調和論(若くは小企業保護論)及び最近英国に於ける国勢調査の結果は之れを証して遺憾なし。然らば現在の生産社会は是れ以上分配の源資を増殖するの途無きや否や、試みに問はん、現在の経済組織は果して企業者をして其の全力を傾倒せしめつゝありや、技術の進歩を完全に利用しつゝありや、学者の所謂完全独占の外に所謂不完全独占は随所に行はれて生産を制限する事実なき否や。此の如くにして分配の資無しと云ふは云ふものゝ誤のみ。然り私有財産制を維持しつゝ社会政策を云ふものゝ誤のみ。経済社会の革命は常に資本の集中にあり。而して是れ又経済の本則に従ふ自然の理法也。将来の社会政策は此の理法に基き宜しく資本の公有企業の公営に着眼する所無かるべからず。此の理想に対しては世上多くの反対論存在すと雖も皆吾人を承服するに足らず、然り、天下は天下の天下なり、要は只だ社会の各人が此の如き思想に基き其の信ずる所を個々に実行するにあり。
第八席 高岡熊雄君 戦争と農業
本問題は稍新奇を衒ふが如き観あるも決して然らず、西史を繙けば既にギリシャ時代に表はれ、国史を開けば既に上古に之れが存在を見出し得ん。されど近来此の種の研究熾盛を極めし者は夫の軍国主義の提唱者独逸国に外ならず。蓋し列国包囲の間に介在せると農業国より商工国への過渡期に際し農業衰頽に向ひしとによるなるべし。余輩は以下兵力の充実と農業、軍資の供給と農業、戦時食物供給と農業との三部に分ちて之れを論ぜんとす。(1)戦争の勝敗を決する一大原因は兵員の多寡及其の強弱なり。現時欧州の大動乱に参加する兵数は一千万に騰ると伝へらる。我国兵員の数は之を正確に知り難きも、陸軍は平時二十五万戦時六十万を算すとなすものあり。之れに最近の二師団増設に伴ふ兵員の増加を加算すれば更に多数に上るならん。而してこれ等兵員充実の条件如何。兵員の充実する第一条件は人口の多少に存す。他の事情均等ならば人口の大なるは兵員充実の力大なるなり。此点より見れば独は仏に優り、露は何れにも勝りて最も有利なり。五千三百万の人口を有する我国亦敢て遜色なしと謂ふべし。職業調査未だ行はれざる我国に於ては精確を期し難きも全国戸数の五割八分が農家なる事情より察すれば、我国人口の過半が農民にして、其の兵力充実上重要の地位を占むるは疑ふべからず。且国家は永久の存在を期するものなれば常に其の人口の増殖に勉めざるべからず。人口の増加は来住移住及自然増加の両者に依り、更に後者は出生率の死亡率超過に原因す。然るに注意すべきは人口増殖に関する都鄙の差異の著しき事実にして我国の統計も亦明かに之れを証せり。更に進んで都会人口の自然増加も亦田舎人民の新鮮なる血液の混入により辛じて現今の度合を維持しつつあるは欧州学者の指示する所なり。又我兵制に従へば男子は十七歳より四十歳迄兵籍に身を置くものなれば、比較的長寿なる農業者が此の点に於て貢献する所大なる亦睹易き所ならん。尚農業者は身体強健にして軍事に適当なるは軍事当局併に一般世人の既に認むる所、其の他農民は概して服従の観念に富む。兵力充実上農業の重要なるは疑ふの余地なし。(2)今日は力の競争にして力は単に兵力に限らず、財力なり。日々巨万の富を糜しつゝある欧州の動乱はある点より見れば財力の戦なり。翻って我国情を見るに我国富は駸々として増殖しつゝある所なるが明治三十九年に於て国富約二百二十七億円中五割七厘は農業界に属し、我国年々の生産力は約三十億円にして其の五割三分は農業の所産たり。果して然らば軍資の負担に関し農業の地位の重要なる敢て呶々の弁を費す要なからん。(3)交通機関の発達は経済的距離の短縮を来し、世界分業の実を斉し、世界を挙げて一大経済団体となせり。吾人は其の経済文明に寄与せし所大なるを疑はず。されど個人と人類との間に国家国民てふ連鎖機関の介在する以上、吾人は国家の存立と国民経済の維持とに努めざるべからず。世界国家の存立せざる限り極度の世界分業は常に或種の危険を伴ふものなれば、吾人は国民経済を主とし世界経済を従とし、両者の利害相反する時は後者に幾分の犠牲を忍ぶべきものとなす。食料品生産に就て殊に然り。夫の独逸が四面楚歌の裡によく英の餓死政策に耐え来り将来耐え得るの望を有するは、今日迄幾多の反対を排し多少商工業の発達を妨ぐるも尚食料品自給政策を敢行せるに起因す、今日より見れば自給政策の大功は過去に於て幾分商工業の発展を阻害したる小過を償ふて余あり。我国亦独逸と同じく否独逸にも益して此の方面に備ふる所あり、以て国家の独立と国民経済の安固とを期せざるべからず。農業は平和の職業にして農民は破壊革命の民にあらずと雖も、猶農業は平時戦時に於て軍事に貢献する所著大なるものありて存するなり。
続いて河津博士閉会の辞を述べ散会を宣す、時正に五時を過ぐる十分、会員一同相携へて学士会に趣き懇親会を開く。
午後六時十分懇親会開催、金井博士先立ちて京都、神戸、北海道等の遠方より来会せられし会員諸氏の熱心に対して謝辞を述べ、次ぎに今回の会揚として講堂を貸与し且種々の便宜を与へられたる東京高等商業学校に対して懇篤なる感謝の意を表して乾盃す。京都大学の田島博士は遠来の客を代表して又福田博士は当日差支へありて出席せられざりし東京高等商業学校長佐野善作博士の代理として答辞を述べ、且つ福田博士は次年度大会の会場として慶應義塾の使用を要望し、其決定は幹事に一任することゝなれり。尚ほ第十回大会の討議問題につきて種々協議の上左の如く決定せり。
而して右報告者指名は幹事に一任することゝし、又札幌に社会政策学会の講演会を開くことにつきても之を幹事に一任することゝし種々快談を交へ九時散会せり。
第三日は例により之を縦覧日に充つ。生憎の雨天なりしに拘らず、会員同行者十四名、福田徳三、中島信虎、高野岩三郎、左右田喜一郎、小川郷太郎、三辺金蔵、内藤章、吉野作造、坂西由蔵、田辺恒之、渡辺鉄蔵、高岡熊雄、田崎愼治、森戸辰男の諸君外に東京府庁より法学士木村君来り加はり嚮導の労をとらる。午前九時三十五分新宿駅発、同十一時過ぐる八王子駅着、同地織染学校長早崎亀寿氏及南葛城郡長高崎襄氏の来り迎へらるゝあり。両氏の案内に随ひ一同車を列ねて先づ片倉組製糸工場を訪ひ、工場并に寄宿舎の観覧を終へ(十一時二十七分−零時二十分)、続いて井上工場に於ける器械織の状況を視察し(零時三十分−同四十分)、転じて久保田商会所属の手織工場を訪ひ(零時五十五分−一時十五分)更に同商会所属の撚糸染色整理工場を観る(一時二十七分−一時五十分)。
かくして工場の縦覧終り、一同府立織染学校に趨き、昼餐の饗応を受け、後校長及地方有志の懇請により同講堂に通俗講演会を開く。聴衆堂に満ち盛大を極む。弁士及演題左の如し。
偶感 吉野作造君
我が国の工業と織物業 小川郷太郎君
我が国産業の将来 渡辺鉄蔵君
欧州の大戦と我邦の経済界 福田徳三君
其間他会員は同校職員嚮導の下に同校の諸設備殊に実習場を参観し、右終りて四時十五分同校を辞して帰途に就く。
終りに臨み本会視察旅行に就き有形無形に多大の便宜を与えられたる前記諸氏并にこれに関連し種々高配を煩はしたる東京府知事井上友一氏に対し厚く感謝の意を表するものなり。
附記 左右田学士及工藤学士の講演要領は特に両学士より原稿を賜はりしものにて文書係一同の感謝する所也(文書係一同)
〔2006年1月2日掲載〕
《社会政策学会論叢》第九冊 『社会政策より観たる税制問題』(同文館 1916年4月刊)による。