1 「企業社会」の形成
第二次オイルショック後の日本経済は、乗用車、生活関連や情報関連の電子機器など大量生産的な大衆消費財の海外輸出を機軸として、先進工業諸国のなかでも高い成長率と低い失業率を示した。この外需依存の経済成長を可能にした、世界市場における日本製工業製品の価格競争力と高品質は、大企業により主導された下請企業群をも巻き込んだ企業集団ぐるみによる生産性向上の努力によってもたらされた。
全産業の模範とされた自動車製造巨大企業の行動原理は、大衆的な精神動員の形をとって、従業員自身による恒常的な要員削減の努力と、労働密度を上昇させるための創意工夫を、強迫的に従業員同士で競わせるもので、日本工業の国際競争力の秘訣とされた。さらに、海外への移植可能性(transferability)が話題となった。
社会の編成のされ方は企業労働中心であり、個人レベルでの行為規範および評価基準としての能力主義、集団レベルでの効率主義、そして業績本位(achievement-oriented)の価値志向が優勢となって、「企業社会」(corporate-oriented society)の出現を見た。
2 「企業社会」の構造変動
1980年代の経済成長は、企業、勤労者家計、国家のそれぞれに、富の蓄積をもたらした。いま、勤労者家計について見れば、それまで、社会全体で取り組まれるべき経済的課題は何より「生活水準の上昇」であったところ、純固定資産の増大にともなって、むしろ「生活の質」が関心の対象になってくる。同時に、所得格差だけでなく「資産格差」が問題化する。
対外純資産の増大は、製造業巨大企業の国際展開と同時的な現象であった。アジアや欧米の現地法人による海外生産が拡大し、「企業集団内の国際分業」が進んだ。国内では、高付加価値化が進むとともに、直接的な製造以外の仕事の比重が相対的に高まった。また、社外資源、特に人的資源の活用による、支援的な業務の外注化が進んだ。これらのことは、労働市場で求められる労働の質的な構成を変化させるだろう。
3 労使関係および人的資源管理の変化
労使関係の領域では、春季賃金交渉の機能が変化しつつあるのではなかろうか。「春闘」は、経済成長期にあっては、大企業から始まって、中小企業、米価、人事院勧告、自営商業のマージン率にまで至る、賃上げ相場の波及による国民的な所得分配メカニズムとして体制内化されており、所得格差を縮小しもした。しかし、生活水準上昇よりも「生活の質」が問われるようになった時、その性格も変わらざるをえないだろう。
だからといって、大企業の企業別労組の機能は重要性を失ってはいない。規制緩和によって働き方の柔軟化が進めば、労使協議に委ねられる部分は大きくなる。少なくとも基幹的労働者については利害代表として、経営にとっては合意形成の媒体として、企業別組合は必要な存在である。
長期雇用慣行は、企画・管理等の業務を行なう基幹的な従業員層では維持され、専門職と一般職では基本的には維持しながら社外からの人的資源導入を積極的に行なっていく、というのが、企業の人的資源戦略であることは、いくつかの調査結果に見てとれる。
非常傭労働者の制度上の位置づけや名称は多様化しているが、処遇面を見れば必ずしも多様化していない。企業集団内という広い異動範囲をもった長期雇用慣行の枠内にある従業員と、多様な雇用形態と名称をもつ周辺的・支援的な従業員という二つの集群に分化している構造に劇的な変化はない。
むしろ、「仕事や働き方の多様化」は、社会サービスの世界の「有償ボランティア」や実にさまざまなNPOに見てとれるような、労働力の脱商品化という現象と関わらせて捉えるべきではないか。
4 追求される「労働生活の質」
1988年を起点として労働時間短縮が進んだ。労働団体や労働基準行政だけでなく、1980年代初めには労働時間短縮の推進に消極的ないし反対の姿勢をとっていた経営者団体も労働時間短縮推進主体の一角を占めたというのは、時代の特徴を示している。もう一つ、やはり1980年代末ころから自動車会社をはじめとする大手メーカーが職務再設計に取り組み始めた。身体的な労働負荷を軽減することによって、従業員の高齢化に対応するとともに、女性労働の投入を可能にしようとする。これら二つに代表される変化は、当初の好景気を背景とした労働力不足がきっかけとなってはいるけれども、本質的には、社会変動の方向を意識した、長期的な展望をもった戦略的なものであり、「企業社会」の構造変動と照応している。
不況局面下の雇用調整や特定の業種における産業再編だけでなく、むしろそれらの背後に隠れた長期的変動と価値志向の変化を見分ける必要があるだろう。
問題意識と課題
@ 今日、新聞の経済欄に目を通すと、人員削減、希望退職の募集、賃金・退職金・福利厚生制度の見直し、などの記事が毎日のように目に入る。かつての日本企業であれば、リストラは企業にとって後ろめたいものであり、新規採用の中止や退職者の不補充、関連会社への転籍などで対処していた事例が多かったが、今では、「市場がリストラを迫る」として大規模なリストラが公然と実施され、対象者も中高年者のみならず若年者にまで広がっている。
賃金においても、「日本=高賃金」、「中高年者の賃金=高賃金」というプロパガンダがあたかも常識として定着したごとく、賃金制度の見直し、総額人件費管理の徹底化が多くの企業で実施もしくは計画されている。極端なケースでは、いったん全員を解雇し賃金を引き下げたうえで再雇用するという企業まであらわれている。そのうえ2001年3月期から退職給付債務の開示を柱とする年金会計が導入されるのに先立ち、退職金制度も大きく変わりつつある。退職金前払い制度を導入する企業のみならず、退職金制度そのものを廃止する企業まで登場している。
A 労働分野の規制緩和が叫ばれ、労働法が「改正」され、年金改革関連法案が年内にも「改正」される。経企庁『経済白書』(99年版)では、雇用、設備、債務の3つの過剰を指摘し、企業がリストラを推進して収益性を重視した経営に転換するよう促している。同庁研究会の報告書では、「経営者からみた賃金に見合う貢献をしている社員は、35歳 82.3%、50歳 71.4%、55歳 66.6%」、「このような矛盾を抱えている限り、年功賃金を核とする日本的経営システムは存続できない」という。
国家が、労働分野の規制緩和を積極的に進めているだけでなく、企業のリストラ、賃金制度の見直しを率先して煽っている状況にある。他方、労働組合の組織率は、戦後最低が毎年更新され、98年には 22.4%となった。春闘では賃上げ交渉の隔年化が鉄鋼で始まり、春闘の空洞化、賃金交渉の個別化が急速に進みつつある。
B 新聞の社説では、「企業経営者は過剰雇用の解消による収益(株価)向上を市場から強いられている。総人件費を削減するには、人員削減か賃下げかの選択になる。
安定雇用という日本的労使慣行を尊重するとすれば、賃金体系の変更、賃下げを追求するしかない」(『日経』99年8月3日付朝刊)と語られ、あるいは「解雇法制を改め規制を緩和」(「ひび割れる雇用」『日経』6月3日付朝刊)すること、つまり解雇の自由化が待望される。
C 今なぜ賃金制度の見直しなのか。どのように見直されるのか。その背景は何か。
ここに至るまで国家や財界の人事・賃金政策はどのように展開されてきたか。賃金水準や賃金構造との関連はどうか。この報告では、「日本=高賃金」という「常識」を否定することからはじめ、日経連の人事・賃金政策を検討しながら、これらの課題に接近していく。
「エンプロイヤビリティの確立」(日経連)、「競争型社会への転換」(新経済計画)−−労働と老後の生活に一層の自助努力が求められ自己責任が問われだした90年代末。日本の社会は、労働運動の高揚と社会政策の必要性を一段と高めている。
関連年表
年 月 事 項
1989年 12月 日経平均株価最高値、38915.37円(東京市場)
1990年 10月 株価大暴落、バブル崩壊へ
1991年 対外純資産世界一(現在まで続く)
1991年 直接賃金(為替レート換算)、日米順位逆転
1992年 報酬コスト(為替レート換算)、日米順位逆転
1995年 4月 円相場一時史上最高値、1ドル=79.75円(東京市場)
1995年 5月 日経連「新時代の〈日本的経営〉」
1995年 9月 公定歩合、史上最低0.5%(現在まで続く)
1997年 1月 日経連「ブルーバードプラン・プロジェクト」
1998年 春季 鉄鋼業界、賃上げ交渉の隔年化(複数年協定)
1998年 4月 改正高年齢者雇用安定法(60歳定年義務化、65歳まで継続雇用)施行
1998年 4月 松下電器、退職金前払い制度導入
1998年 10月 富士通、年功給廃止、成果連動型の賃金体系導入
1998年 11月 日経連「労働力流動化に対応する人事・労務管理のあり方」
1998年 12月 労組組織率22.4%、戦後最低(98年6月調査、労働省)
1999年 1月 日経連、7年連続でベアゼロ宣言
1999年 1月 98年の一人当たり現金給与総額、前年比初のマイナス(「毎勤」、労働省)
1999年 4月 改正均等法(差別禁止)、改正労基法(女性の時間外休日深夜制限撤廃)施行
1999年 4月 松下電器、幹部社員に年俸制導入
1999年 4月 日経連「エンプロイヤビリティの確立をめざして」
1999年 5月 日経連「新時代の労使関係の課題と方向」
1999年 6月 賃金に見合う社員、50歳71.4%、55歳66.6%(経企庁研究会)
1999年 6月 鉄鋼労連、来春闘からボーナスの統一要求をしない方針固める
1999年 6月 改正派遣法(派遣の原則自由化)、改正職安法(職業紹介の原則自由化)、成立
1999年 6月 ロック・フィールド、退職金制度廃止
1999年 6月 京阪交通社、全員解雇(6月30日)、賃金を引き下げて再雇用(7月1日)
1999年 7月 新経済計画(99−2010年)閣議決定、〈競争社会への転換〉
1999年 7月 電機連合、定期大会で2002年から隔年春闘への移行を提案
1999年 7月 主要企業の春季賃上げ率2.21%、過去最低(労働省)
1999年 7月 「経済白書」、設備・雇用・債務の過剰克服、過剰雇用228万人
1999年 7月 年金改革関連法案(報酬比例部分の支給開始を2013年度から段階的に65
歳に引き上げ)閣議決定
1999年 10月 トヨタ、事務・技術職の年齢給廃止、成果主義賃金に転換
2000年 団塊世代、50〜54歳層に到達
2000年 3月期 連結決算書の開示が義務づけられる新(国際)会計基準に移行
2000年 4月 新裁量労働制(労基法)施行
2000年 4月 富士通、退職金前払い制度導入(予定)
2001年 3月期 退職給付債務の開示を柱とする年金会計導入
^ 日本の賃金は,性・年齢・学歴・雇用形態・企業規模別などにもとづく重層的な格差構造をもっており,これが戦後日本の経済成長を支えた「日本的経営」の一つの大きな柱となってきた。なかでも日本の性別賃金格差は,先進諸国の中で例外といえるほど大きい。この性別賃金格差は性別職域分離,勤続年数の性差,企業の性別雇用・賃金管理などさまざまな要因から生じているが,それらの根底には,「家族賃金」の思想,すなわち男性の賃金は妻子(家族)を養うにたるものでなければならないという考え方とこれにもとづく制度があり,その反照として,女性の賃金が「単身者賃金」もしくは「家計補助賃金」として規定されてきたという事情がある。
_ 春闘を舞台とする戦後日本の労働運動では「(男性労働者が)妻子を扶養しうる賃金」の獲得をスローガンとし,そのための「大幅賃上げ」要求が一貫して賃金要求の中心となってきた。この「家族賃金」思想とこれを具体化する年功賃金は,それらが戦後の労働者階級の生活向上に一定の役割を果たしてきたことは否定できないが,女性の雇用労働者化の進展にともなって妻子を扶養する男性が労働者の標準とはいえなくなった現在では,再考が必要となっており,性別を始めとするさまざまな賃金格差の是正とそのための労働者階級の連帯の新たな基準・理念が求められている。
` この「家族賃金」をめぐって,近年,男女同一賃金の障害となっている「家族賃金」思想を批判し,これを体現する年功賃金制度の見直しを要求する人々と,「家族賃金」思想を『資本論』における「労働力の価値」論の解釈で正当化し,財界の年功賃金解体攻撃に対抗してこれを擁護しようとする人々との間に必ずしもかみあわない論争が行われてきた。まず「家族賃金」概念の把握そのものにずれがあって,その擁護者たちにとって「家族賃金」とは「労働者とその家族が生活できる賃金」であり,それは賃金の本質としての「労働力の価値」の内容であるとされるが,批判者たちが問題にする「家族賃金」とは「成人男性がその妻子を扶養しうる賃金」を意味し,その性差別的な含意の批判が課題とされている。「労働者とその家族」が「人間らしいまともな生活」を確保できるような賃金の要求は,一見すれば性に中立的で,性差別とは何の関係もないように見える。だが擁護者たちが賃金闘争の目標とする「労働力の価値」において,「労働力の価値」は「労働者とその家族が生活できる賃金」と解釈されているばかりではなく,女性の雇用労働者化(労働力の価値分割)の過小評価にもとづいて,事実上「男性労働者が妻子を養うにたる賃金」としてとらえられており,「労働力の価値」に見合う「大幅賃上げ」に賃金要求が収斂されるなかで,女性労働者や若年労働者や非正規労働者の低賃金・差別賃金という問題が看過され,放置されてきた。
a だが,はたして「労働力の価値」は賃金闘争の目標たりうるであろうか。それは労働力という商品の価格(=賃金)変動の重心として実在するもの(Sein)であって,労働者のあるべき生活や「人間らしい生活」(Sollen)を何ら意味しない。労働者階級は,第一に,労働力商品の現在の価値水準に制約されることなく,自らの労働の生産力の発展に照応する「人間らしい生活」とこれを可能にする賃金(労働日中の「必要労働時間」の拡大)を要求しうるし,第二に,賃金の現象形態に依拠して,「同一労働」または「同一価値労働」に対しては性や年齢や雇用形態にかかわらず「同一賃金」を要求しうる(ILO第100号条約,国連女性差別撤廃条約など)というべきではないか。
b 問題は,そもそも「人間らしい生活」とはいったい何かであろう。今日の日本で「男性が家族を扶養しうる賃金」を獲得することが「人間らしい生活」だと定義できるだろうか。それは男性が家計収入を稼ぎ,女性が家事・育児・介護を担当するという性別分業システムを安易に前提した考えであろう。性別分業にもとづく日本企業の強蓄積は女性の低賃金だけではなく,「妻子の扶養」に責任をもつ男性の過度労働と「会社人間」化をもたらし,極端な場合には過労死や過労自殺をももたらしている。
21世紀日本の社会形成の展望が問われ,男女がともに労働権と「家族的責任」権を担う新しい労働と生活のシステムの創造が課題となっている今日,労働者階級の男女が改めて「人間らしい生活」の内容を討議し,さまざまな賃金格差の是正をつうじて賃金水準の上昇をめざす方向で労働運動のあり方を再考すべきであろう。性別賃金格差の是正をめぐる議論は,今日の労働運動や社会改革運動が依ってたつ基準や理念そのもの(人権・平等・連帯にもとづく新しい社会の形成)を問い直すものとなっている。
この報告では,『資本論』における「労働力の価値」と「労働力の価値分割」の今日的把握を中心に,「家族賃金」をめぐる諸論点をジェンダーの視角から検討したい。
製造業におけるここ20年の技術変化の主役がマイクロエレクトロニクス(ME)であったことは大方の認めるところである。本報告ではME化が労働にあたえた影響の検証も論点の一つとなるが、主要な課題は、技術革新と労働の問題を検証するなかから私なりの現代日本の製造業における労働編成の構図を描き出してみることにある。
研究史をたどってみると、80年代はME技術と労働に焦点が当てられていたのに対して、90年代には生産システム論議へと焦点は移った。ところが前者では技術自体の観察に、後者では社会的・経済的・経営的システムの観察に重点がおかれ、両者によって得られた数多くの知見がうまく接合できているとは言いがたい。
そこで本報告では、分析の基底的位置に市場特性をおき、それが生産システムにあたえる影響を検証し、さらに生産システムのあり方が労働編成にどのような影響をあたえ、逆に反作用を受けるかという考察の筋道をおく。市場特性とは、当該の生産主体が手がける製品の革新性の度合、数量特性、市場変化の速度などであり、製品特性によって生産主体の生産戦略の大枠が規定される。生産戦略とは、コスト減を第一に競争戦略を練るか、品質に重点をおくか、あるいは製品の先端性にかけるかなどの選択をさす。この生産戦略は、さらに技術戦略と生産・労働組織とに影響をあたえ、かつ反作用を受ける。技術戦略とは、生産主体が単体ME機器の設置を採用するか、機器をライン化するか、FMSを採用するか、CIMにまでシステム化するか、生産能率管理ソフトを採用するかなどをさす。生産・労働組織とは、JIT、TQM、チーム方式などを採用するかをさす。以上の諸要素はさまざまに組み合わさり、生産システムの骨格をかたちづくる。生産システムのあり方は労働力構成や人材育成など(労働編成)と相互に作用を及ぼし合うことになる。
報告では、上記の諸要素の結合のあり方を整理し、類型を提示することを試みる。類型は市場特性、生産システム、労働編成のそれぞれにそくしてしめすことができるが、市場特性にそくしてしめすと、〈先端技術・製品革新型〉、〈量産多品種型〉、〈量産少品種型〉、〈多品種型〉等に分化する。
ちなみにこれらの諸類型は、どれか一つで特定の国の特性をとらえることが可能であるというたぐいの概念装置ではない。それぞれの国民経済にはそれらの諸類型が並存しているとみられるべき性格のものである。説明の便宜上、日本の特定産業を念頭において類型ごとの内容の説明を行うが、一つの産業内においても諸類型の並存が観察され、一企業内においても同様の見方が可能である点を強調しておきたい。
報告では、上記の諸類型をもちいて日本の製造業に展開する生産システムと労働編成のあり方と特徴を整理し、ME技術革新の進行した時代にそれらの類型間の位置関係がいかに変化したか、あるいは各類型内部がいかに変化したかにふれ、さらに近年の構造変動を本報告で提示した視点からみるとどうなるかという点にまで言及したい。
1990年代の日本は規制緩和の十年であった。それはまた日本の「失われた十年」でもあった。しかし,この十年を市場原理主義の十年と呼ぶことはできない。たしかに市場原理主義にもとづいて規制緩和は進んだ。財政構造改革法も成立した。しかし財政構造改革法にもとづく98年度予算がデフレスパイラルを加速することが明らかになるや,政府はただちに財政構造改革法を凍結し,99年度予算で積極的な財政出動をおこなうにいたった。さらに,巨額の不良債権をかかえる銀行にたいして公的資金の投入をおこなっている。すなわち一方で市場原理主義的な政策が,同時に他方でケインジアン的な政策がとられているのである。これは日本における市場原理主義の破綻を意味している。1999年2月の経済戦略会議の答申は,このグロテスクな現状を追認するものにすぎない。
しかし,90年代を総括しようとするとき,日本における市場原理主義の論理的実践的破綻を指摘するだけではまったく不十分である。問われるべきは,この「失われた十年」が日本資本主義にとってどのような意味を持っているのか,何がどう変わろうとしているのか,日本型資本主義は日本型であることを止めようとしているのか,である。出発点は,いうまでもなく,日本型資本主義とは何かを検討することである。どこまで説得的な議論ができるのかは別にして,2000年を目前にして90年代の総括をおこなう必要がある。
さしあたり,つぎのような構成による報告を考えている。
1 Global Capitalism論
1.1 90年代アメリカのイデオロギー Global Capitalism
1.2 日本のおける"global standard"論への変質
2 市場原理主義の主要ターゲット
2.1 金融
2.1.1 メインバンク資本主義論の誤謬と法人資本主義論の難点
2.1.2 安定株主資本主義
2.2 流通 過剰就業問題
2.3 労働 「全部雇用」
2.4 公共部門 日本の「小さな政府」
3 規制緩和の影響
3.1 金融ビッグバン
3.2 大店法の緩和と廃止
3.3 労働市場の流動化
3.4 行政改革
4 日本型資本主義のゆくえ
はじめに
90年代における財界戦略の新展開のもとで、労働者の状態が大きく変化した。そこで、本報告では、第一に、財界戦略の「新展開」とは何か、これを確認する。第二に、そのもとでの労働者状態の「変化の特徴」を検討する。第三に、以上をふまえて21世紀初頭の「労働運動の可能性」を考える。
氈@90年代における財界戦略の新展開
(1)「競争力強化」のための財界・政府戦略の新展開
a)「規制緩和」の徹底
b)「グローバル」化対応の産業・企業の大再編
c)コスト削減の全面追求
(2)「競争力強化」のための「雇用システム改革」
a)労働力の「流動化」
b)雇用形態の「多様化」
c)労働法制の「改正」
(3)「集団管理」から「個別管理」へ
a)低コスト化・効率化の徹底追求
b)年功賃金・終身雇用の解体
c)「T個Uの重視」・エンプロイヤビリティ(「個別管理」強化)
労働者状態の急激な変化
(1)雇用・賃金・労働時間
a)失業・不安定雇用の増大
b)賃金・賃金体系の変化
c)裁量労働制など労働時間の変化
(2)生活・労働力の再生産
a)労働者の生活実態の悪化
b)「生活」に対する意識の変化
c)ナショナル・ミニマムをめぐる問題
(3)労働者の権利と法制
a)労働者派遣法の変更と労働者
b)労働契約法制の変更と労働者
c)労働時間法制の変更と労働者
。 労資関係・労働運動の展望
(1)「集団的労使関係」から「個別的労使関係」へ
a)「集団的労使関係」の形骸化
b)「個別管理」強化と労資関係の「個別化」
c)「個別化」の矛盾
(2)「日本的経営」の崩壊と労資関係
a)「日本的経営」の経過
b)「日本的経営」の現段階
c)「日本的経営」の崩壊と労資関係
(3)「職場安定帯」・「社会安定帯」の不安定化
a)「職場安定帯」の現状
b)「社会安定帯」の現状
c)「安定帯」の不安定化
おわりに
21世紀初頭の労働者・労働組合をめぐる情勢を展望し、労働組合の課題に言及する。
栗木安延(著)『アメリカ自動車産業の労使関係―フォーディズムの歴史的考察―』
(社会評論社 1997年)
本書の意図は、「レギュラシオン学派が軽視している」(21頁)、プレ・フォーディズムからフォーディズムへの発展過程における労働運動の重要性を明示することにある。
著者はまず、「個別企業としてフォーディズム形成の先駆」(139頁)であったフォード社を例に、プレ・フォーディズムの時代を二つに区分する。ひとつは、フォード社の福祉部が中心となり、労働者の労働意欲や倫理性が重視された時期(1908年から27年まで)であり、あとひとつは、保安部が中心となった暴力とスパイによる管理の時期(1927年から41年まで)である。前者は、第1部「フォーディズム初期段階」で、後者は第2部「フォード・テロ」でそれぞれ詳述される。
1908年から27年まで続いた「福祉部時代」では、フォードT型の大量生産が招来した労働力不足に対処するため、黒人、身障者、犯罪者、移民労働者までもが大量に雇用され、半熟練・不熟練を含む広汎な労働者が5ドル賃金と福祉部主導による数々の企業内福祉を享受した。これは、19世紀資本主義には見られない現象であった。もちろん、この時期のフォード社従業員の生活レベルの上昇は、賃上げが経営者による一方的なイニシアティブであったこと、インフレによって名だたる5ドル賃金も実質的な価値を下げつづけたことなど一定の限界を持っている点で、第2次大戦後のフォーディズムとは質的な差異がある。
ところが、1927年にハリー・ベネットの手によって保安部が組織されたのを機に、フォード社の労務管理は百八十度転換する。当時のマスコミに「フォード・テロ」と名づけられた、暴力が支配する「保安部時代」に突入するのである。しかしこの時代も、37年の「跨線橋の闘い」や41年の「フォード・スト」に代表される労働運動の高まりとニューディールの後押しを受けて、フォード社とUAW(全米自動車労組)間の協約締結(41年)という形で終わりを告げるのである。
以上の要約から明らかなように、確かに、プレ・フォーディズムに欠けていた労働組合の制度化が、戦後フォーディズムを花開かせたことは疑いない。だが、国民経済全体をさすマクロ概念としてのフォーディズムを、フォード社という企業レベルで分析するという方法論的妥当性は大きな問題として残らざるをえない。
平尾武久 伊藤健市 関口定一 森川 章(編著)『アメリカ大企業と労働者─1920年代労務管理史研究─』(北海道大学図書刊行会 1998年)
はじめに
1 画期的な共同研究
2 従業員代表制に焦点をあてたアメリカ20年代研究の重要性
3 方法的視点をめぐる論点
a)国際比較
b)制度の国際的伝播(Diffusion)
4 20年代従業員代表制の評価
Jacoby仮説との対応
5 個別事例研究についてのコメント
a)GEスケネクタディ(第6章)
b)ハーヴェスター(第5章)
c)グッドイヤー(第8章)
d)USラバー(第9章)
むすび
富田義典(著)『ME革新と日本の労働システム』(批評社 1998年)
本書は「日本の製造業におけるマイクロエレクトロニクス革新が職場レベルの労働システムにあたえた影響」を解明することを課題としている。著者によれば、表題の「労働システム」とは、「従来の労働研究でとりあげてきた論点である賃金、労働時間、人事労務管理、技術訓練、労使関係、労働市場など」とともに、「近年生産システム論により提示された論点を労働研究へと読み換えることによって得られた論点を含む概念」であると定義されている。
本書においては、綿密、かつ周到な実証研究にもとづいて上記課題にアプローチされているが、まず「序章 課題と方法」において、従来の研究史の整理のうえに本書の分析視点が提示されている。以下、本書の構成を簡単に紹介しておく。
第1章と第2章では製造業の基盤部門である機械加工職場を対象に、労働力構成の全体像と生産管理システムの特質が検出されている。第3章、第4章では、自動車部品工業を対象に生産分業システムにおける市場・技術・労働システムの分析が行われている。第5章では、F M S 化が最も進行している巨大自動車工場の車体溶接工程が検出されている。さらに第6章と第7章では対象産業が広げられ、I C 工場と化学工業
の労働システムが分析されている。以上のような分析をうけ、最終章においては、労働市場の機能と生産管理システムを軸に日本の製造業における労働システムの見取り図が提示されている。以上に見られるように、本書においては、これまで研究が偏りがちであった電気や自動車産業に限定されることなく、装置産業にも視野を広げてME 研究がおこなわれている。他方、分析視点としては、熟練分析の方法を継承しつつ
職場の労働力構成の全体像が検出され、さらにこの分析を基礎に、M E 化が生産管理、とくに要員管理と能率管理にあたえる影響が周到に検討されている。日本的生産システム論を視野に含んだ研究という見地からするならば、やや視野の狭さを感じないわけではないが、これも一歩一歩実証研究を積み上げていくという著者の研究姿勢によるものと思われる。
井上雅雄(著)『社会変容と労働―「連合」の成立と大衆社会の成熟―』(木鐸社 1997年)
本書の課題は、「『連合』の成立に帰着する第二次労働戦線統一運動の内的論理」を解明することをつうじて、「総評型労働組合運動の終焉の根拠とその意味を、70年代後半以降の日本社会の変容の歴史的コンテクストのうちに探ること」におかれている。労働戦線統一運動をめぐる分析はあくまでも「素材」であり「入口」にすぎない。
著者の照準は、本書のタイトルからも明らかなように、「労働」を切り口として日本社会の変容―それは「対象に深く内在」しようとする著者自身の「価値観そのものの変容」を迫るほどのものであった―の意味を解読するところに定められている。本書は、著者独特のスタイルで描き出された現代日本社会論であり、かつまた研究者として生きるための座標軸を再定置しようとする試みでもある。そうした姿勢に評者はまずは深い共感を覚える。
著者は自らの仮説を次のように述べる。80年代半ば以降今日にいたる「社会秩序の急速な崩壊現象」がなにゆえにもたらされたのかを探る鍵は、「それ以前の石油危機以降の10年間の社会変容=大衆社会の成熟のうちにあり、総評労働運動の転換・解体と労働戦線の統一の成功は、その帰結ではなかったか」。第1章から5章までの著者の分析はあくまでも「緻密」であり、主体側の「転換」の必然性が歯切れよく「論証」されているのであるが、終章で描き出される結論は、一転して分析なき「所信」の表明に終わっている。評者としては、その「ズレ」にまずはできるだけこだわってみたい。
本書の構成を簡単に示しておく。第1章と第2章では、第一次及び第二次労働戦線統一運動の性格とその背景および結末の意味が分析されて、後者のそれが「成功」したもっとも基本的な要因が「総評の運動路線の事実上の転換」にあったことが明らかにされている。続く第3章では、そうした転換を必然化した要因として、@75春闘の敗北、Aスト権ストの敗北、B合理化反対闘争の困難が取り上げられ、労働戦線統一運動が「成功」した労働運動の内的論理が解明されており、さらに第4章では、総評の運動路線の転換を草の根で体現した代表的事例として、全国金属労働組合によって試みられた経営参加運動の実態が分析されている。これらの章では、主体の「転換」を促しまたは強制したはずの経営サイドの分析はみあたらない。それはなぜだろうか。
評者がもっとも興味深く読んだのはやはり第5章である。ここでは、「70年代後半から80年代前半にかけて顕在化した日本社会の変容の内実とその意味」が、実に手際よくかつまた鋭く考察され、分析の射程は一気に広がる。列挙すれば、@総評の運動路線の転換を主導した組合リーダーの現実認識の変化、Aそれをもたらした労働者と国民の社会意識と価値観の変容、Bその社会的・経済的根拠としての、階層間の経済的格差と社会移動からみた「平等主義的社会」の形成と階級の不在、Cその形成に果たした戦後教育の機能、そして、D社会変容の象徴的表現としての消費の意味の変容によってもたらされた、大衆消費社会とニュー・ミドル・マスの出現である。ここでは、これまで流布されてきたさまざまな通説的議論との異同に注目すべきであろう。
それにしても、著者が描き出すような日本社会において、なぜ「連合」どころか「全労連」や「全労協」までもが存在の根拠を見出し、構造化された差別がいっこうに解消されず、古典的な労働問題が噴出し続け、その結果としてニュー・ミドル・マスが色褪せ動揺したりするのであろうか。評者には、「階級」の不在こそが労働問題を内攻させて社会不安問題化し、その解決の行方をめぐって「階級関係」の実在をあらためて浮かび上がらせつつあるようにさえみえる。はたして、著者の思い描くオルタナティブな日本社会像はいったいどのようなものであり、またそれはどのようにして実現可能となるのであろうか。著者の提起した課題の広さと重さゆえに、議論はつきない。
久本憲夫(著)『企業内労使関係と人材形成』(有斐閣 1998年)
本書は現代日本の労働システムの形成期を高度成長期とし、その中心たる民間大企業労使関係の形成・確立を企業別組合の「社員組合」機能に見定め、その日本労働システムの形成・確立過程を歴史的モデルとして明らかにしようとした高い研究水準にある意欲的な労作である。
1 本書の特徴
本書の最も大きな特徴の1つは、企業別組合を一方の側の通説である労務管理の補完物とみる見方に疑問を持ち、企業別組合を労使関係を形作る最も重要な要素として認識し分析していることである。もう一つの特徴はこの社員組合機能をもつ企業別組合の存在が技能形成システムに深く関与していると認識し分析していることである。
2 本書の意義と課題
本書の意義は特徴で述べたように民間大企業の企業別組合が高度成長期に対抗的から相互信頼的に変容していった有り様を労働市場の内部化、高技能化、異動のフレキシビリティーなどの日本の労働システム形成と並行的に示したことにある。
また、企業別組合は日本的労使関係論論争のなかで肯定・否定の評価論が争われたわけだが、氏は歴史モデルとしてその変容可能性を導入していることで、この評価論で肯定的見解を出しつつも、肯定論者とは一線を画している。
これら意義を評価する一方で、検討すべき課題もある。まず第1に、企業別組合の日常の地道な活動が経営の性格を変容させたことについてである。本書の最も味わうべき点である。しかし、経営の受容できる範囲のなかでの性格変容とみることを完全に
は払拭しきれていないのではなかろうか。第2に、企業別組合の組合員の意見集約活動についてである。意見を集約するだけでなく経営の意図を伝達する役割を担うことになっているのか否かの検討は必要ではないだろうか。第3に、企業別組合の社員組
合機能の脆さについてである。確かに社員組合機能は確認される一方で、その範囲の限定性が絶えず進む方向にある。これは大企業社員とそれ以外の中小企業社員あるいはパートなどの関連労働者との階層を生み出す機能を企業別組合の社員組合機能が兼
ね備えているとみることはできないだろうか。社員組合機能が今回、企業内労使関係に絞って語られてきたが、企業外への展開について語られる研究も重要ではなかろうか。
以上、浅学者で的を射たコメントではなく筆者に対して恐縮しているところだが、筆者の胸をかりるつもりでこれらの意義と課題について述べたい。
中西 洋(著)『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論』(ミネルヴァ書房 1998年)
近代社会の総括はいかに可能か
中西氏の書物は、賃金、労働組合、国家を巡る言説の分析を通して、19世紀から20世紀前半にかけて大きく展開した西欧と日本の社会の構造を明らかにしようとする雄大な作品である。著者はこれまでの著作においても、国家に関する理論的枠組の構築、社会主義の再検討といった課題に取り組んでおり、本書はそれらを踏まえた上で体系的な近代社会像を提示している。国家論の提起に際して著者によって明らかにされたように、著者の研究は社会政策論の再構築という課題に向けられている。今ここに一連の研究の総括が提示された。本学会が追及してきた諸問題への優れた原理的考察として、我々はこの作品に取り組まねばならない。
本書は英、独、仏、イタリア、日本で賃金、組合、国家に関してどのような言説が行われたかをサーベイした上で、イギリスについて更に立ち入った分析を行っている。
本報告は、まず、本書の方法的問題に簡単に触れ、次いで、イギリスについて、著者とはやや異なる分析視角を提示することを通じて、この凝縮された大作から学んでみたい。本報告はおおよそ、次のような構成をとる。
1 若干の問題の指摘―はじめに、本書の構成、方法についての問題点を簡単に指摘する。
2 著者の近代社会像は19世紀イギリスを念頭に構築されている。18世紀イギリス、20世紀イギリスの賃金、労働組合、国家の特質に言及しながら、著者の近代社会像をできる限り相対化してみたい。
伊田広行(著)『21世紀労働論―規制緩和へのジェンダー的対応―』(青木書店 1998年)
諸般の事情により,学会当日レジュメを配布いたします.
山下袈裟男(著)『戦後の社会変動と高齢者問題─実証的研究の軌跡』(ミネルヴァ書房 1998年)
本書は表題のとおり著者の1960年代からほぼ40年間にわたって、社会変動の中で高齢者問題を分析した実証研究の軌跡である。この時期はいうまでもなく、高度成長期以降の工業化・サービス産業化が急展開し、その反面で、家族と地域社会の変貌が進み、都市と農村の双方で高齢者問題が社会問題として顕在化し、かつ普遍化した時期にあたる。
本書の構成
序章 実証主義の社会学
1章 日本の村落と生活の原点
2章 島嶼住民の生活変容
3章 農村の変容と高齢者
4章 都市自治体の福祉行政と住民
5章 人口減少地帯の福祉施策と高齢者問題
6章 地域福祉と在宅福祉サービス
7章 農村の高齢者と在宅福祉サービス
8章 国際化と外国人労働者
結章 戦後の社会変動と高齢者問題
農村社会学・地域社会学者として出発した著者は、序章で本書の方法的基礎と研究姿勢を示し、1章で既に変化を内包する農村を描く。これを原点に、その節目節目の農村の変容を、調査地点を入念に選択し、高齢者とその家族への悉皆調査を積み重ね、変容の地域的な格差や特質、都市的生活様式の浸透、福祉施策への受容姿勢をビジュアルに描く。それは、結章における地域独自の福祉政策の展開の必要性の提言と、地方行革が中央主導で自治体合併を進めることへの危惧につながる。この点の政策論には説得力がある。
ところで、本書は都市福祉行政や社会福祉制度論、外国人労働者問題までを含めて、日本の高齢社会の全体像を描出しようとする。現下の福祉制度の急展開に言及しようとする著者の意欲は理解できるが、実証を離れた飛躍がある。著者流の都市労働者の老後研究がほしいところである。制度論と実証の関係を考えてみたい。
二木 立(著)『保健・医療・福祉複合体』(医学書院 1998年)
1 本研究の3つの意義、本研究の3つの限界、今回の調査結果の信頼性(pp.26-30)などで、評者が行うべき作業が既に著者の手によって客観的に行われている。とくに介護保険発足に伴う、今後の動向を見極めるための貴重な基礎データとしてタイムリーな意義を持っている。
2 医療の本体(標準的部分)は社会保険でまかない、「上乗せ」「横だし」部分について希望者に有料で提供できるしくみをつくる、というこれまでの厚生省の医療制度改変の本質を、多数の著書で精力的に分析してきた著者の作業の中に、本書を位置づけることが重要である。
3 保健・医療・福祉の連携・統合はプライマリケア分野で意味が大きい。セカンダリケア(ターシャリケアも含む)と区別されたプライマリケア分野の確立を前提とした連携・統合問題が日本では議論されなければならないのではないか。
イギリスを例にとると、プライマリケアとくにGP(開業医)の役割が変化しはじめ、従来はNHSのGate Keeper、つまり患者のふるい分けが主な任務であったのが、現在は病院サービスの一部とコミュニティサービスを取り込んで、プライマリケア分野で総合的サービスを提供する役割が強化されてきた。そうした方向を追認し、公衆衛生機能をも取り込み、関係者が行動しやすくするというのが1997年プライマリケア
法と1997年白書「新しいNHS」なのである。プライマリケアトラストはその完成形態である。
他方、福祉の側では介護ケアとホテルサービスを区別し、前者は無料、後者は有料という高齢者ケアの新しい制度がロイヤルコミッションによって提案されている。税方式の無料の医療と福祉の統合が現実の政策課題として議論されている。
日本での議論につなげるとすれば、プライマリケアとセカンダリケア(ターシャリケ
アも含む)とを機能的・制度的に区別することの重要性に着目するという点である。
機能的には、プライマリケアに公衆衛生、保健事業、コミュニティケア、それに福祉を含めて考えるということである。プライマリケアの分野でこそ「保健・医療・福祉統合」の意味が大きい。制度的には、外来や慢性病を中心としたものと急性入院を中心としたものに区別して、その経営経費の特性にあった診療報酬制度を工夫するといった方向が合理的なように思われる。
岸田孝史(著)『措置制度と介護保険』(萌文社 1998年)
はじめに
本書は、わが国が当面する介護保険の導入や社会福祉基礎構造改革に関わる基本問題を「措置制度と介護保険」に焦点をあて、措置制度の果たす役割を評価する立場から、制度の仕組み、改悪の歴史的展開、批判の論点と反論、これからの課題にわたって
、「公的責任制度の再構築をめざして」という視点でまとめられたものである。以下、本書の構成、論点、課題にわけて考えてみたい。
本書の構成・論点・課題
著者は、本書の「はじめに」で、「戦後福祉制度における措置(措置費)制度の歴史と役割、今日的な意義について、その制度内容の簡単な解説も含めて整理し」、「そのなかで、制度改善の課題と方向も提起しながら、措置(費)制度に対する歪曲に満ちた批判に対して反論し」、「二十一世紀日本の『権利としての社会福祉』の形を考えることが、本書の主題である」と述べている。
本報告では、この主題にそくして、措置制度の役割と意義、批判と反論の論点、これからの社会福祉と措置(費)制度の役割についての著者の視点と課題を中心にとりあげ、報告者としての書評(評価と今後の課題)としたい。
川上 武(著)『21世紀への社会保障改革―医療と福祉をどうするか―』(勁草書房 1997年)
本書の著者である川上武(敬称略)は、周知のように、医師として多忙な臨床活動に従事するかたわら、社会科学にたいする深い造詣を背景に、わが国の医療問題を中心に社会保障や社会福祉について縦横に論じ、提言してきた泰斗であり、単著で30余冊にもなろうかという著作が刊行されている。
本書について論じようとすれば、当然のことながらそのような川上の思想と理論の全体について通暁していることが求められることになろうが、評者がその任でないことはあらためて断るまでもない。微力ながら取り組んでいる社会福祉の歴史論や政策論の視点から若干のコメントを試みることで評者としての責めを凌ぐことにしたいと思う。
本書を通じて著者は社会保障改革論のあり方について、2つの問題提起を試みている。第一には、社会保障改革についての議論は制度レベルでのミクロ的あるいは技術的な改革論ではなく、何よりも社会保障の将来方向についてのマクロな水準における議論が必要だということであり、そのための手法としては戦前戦後の経験のなかで形成されてきた「日本型医療・福祉システム」を剔出してその功罪を問い、かつその延長
線上において社会保障の将来像を論じるという構想である。第二には、21世紀の社会保障を経済社会の上部構造ではなく下部構造に位置するものとして論じるという構想である。
このような著者の構想のうち第一の構想については、社会福祉の改革について類似の方法による議論を試みてきた者として、十分に同意することのできる議論であり、学ぶところが多かった。なかでも、キーワード的に言えば「福祉の医療化」、「医療の福祉化」という視点や「技術自体」と「技術システム」、「技術効率」と「経営効率」などの視点はそこに込められている思想や理論とともに、社会福祉における改革問
題を論じるにあたっても参考になる部分が多い。また、第二の構想についても、柔軟な論理の展開で語られており、興味深い提言になっていると思われる。
一部啓蒙書的な性格づけもあろうかと考えられるが、著者の透徹したはぎれのよい論理展開を通じてあらためて考えさせられる所説に満ちた秀作である。可能であれば、本書刊行後のここ数年間の基礎構造改革論について著者の見解を聞いてみたいものである。
古川孝順(著)『社会福祉のパラダイム転換―政策と理論―』(有斐閣 1997年)
本書の課題は、転換期の社会福祉と社会福祉研究のありようを、パラダイム転換という文脈の中で明らかにすることにある。社会福祉パラダイムの類型化とその特質を、集権主義対分権主義と自由市場原理対社会市場原理の対抗軸を用いて展開し、1950年代の戦後改革の一環として確立した「国家統制―公設公営主義パラダイム」(沍^)の転換が、現在進められている80年代の「統制型分権―自治民活主義パラダイム」(。型)のままでいくのか、それとも著者らがめざしている「自治型分権―福祉多元主義パラダイム」(「型)に転換するかを問う第3章と第8章は、他の章における丁寧な検討とあいまって説得的であり、政府主導の社会福祉改革をなぞるだけの「改革論」とは趣を異にしている。
失業・貧困問題が深刻化している現状のなかで、本書を素材にして改めて社会福祉の課題と改革の方向を検討するが、その論点は生存権の普遍的保障をめぐる以下の点にある。
1 1950年代の社会福祉パラダイムの理解をめぐって
「国家統制―公設公営パラダイム」は「措置=生存権パラダイム」とも表現しているが生存権保障は克服されるべきパラダイムか、それとも達成されたものか。
2 50年代社会福祉パラダイムの総括をめぐって
「一部の貧困者の福祉であった」か、「ナショナル・ミニマム保障は達成された」かこのことを検証するための視点は、@60年代以降80年代に至る社会福祉の発展をどうみるか、A国民生活の現状をどうみるか、が重要である。
3 社会福祉の普遍性をめぐって
「選別主義から普遍主義へ」を「選ばれた貧困者のみの享受からすべての国民が享受できるものへ」か、「選別的給付の否定による無差別平等保障の普遍主義へ」か。
4 社会福祉の課題をめぐって
Well-being,QOLの課題の中で、とくにSocial work(社会福祉実践)の課題は何か。
*WHOの障害概念をてがかりに
加藤 寛・丸尾直美(編著)『福祉ミックス社会への挑戦−少子・高齢化時代を迎えて』(中央経済社 1998年)
本書は,慶応義塾大学とライフデザイン研究所との間に設けられたコンソシアムの研究成果であり,編者他12名が分担執筆している。「福祉ミックス」は,福祉システムの実態や形成メカニズムを検討する分析枠組として,近年注目を集めるようになったコンセプトである。福祉ミックスアプローチを日本の福祉システムの検討に用いて実態把握や政策提言を試み,一冊の書籍としてまとめた研究成果はまだ限られている。
そうしたなか,より「プロダクティブ」な多元的福祉供給システムを究明しようとする本書が刊行された。構成を示しておこう。
序章:福祉ミックス社会とは何か/第1章:日本における社会福祉サービスの展開と行政の役割/第2章:市場重視の福祉ミックス/第3章:福祉の内需拡大効果と労働力創出効果/第4章:福祉サービス供給におけるボランティアと非営利組織の役割/第5章:在宅介護サービスにおける非営利組織の役割/第6章:子育て支援の意義−保育園整備のコストと就労女性のもたらすベネフィット−/第7章:環境問題にみる政策
ミックスと価値創造/第8章:福祉指標による高齢者福祉の比較と分析/事例紹介:福祉のまちおこしと障害者福祉雇用。
政府や市場,非営利民間組織を含むやインフォーマル部門といった多様な福祉セクターが固有の長所短所を併せ持つことを認識し,単なる公費節減論を越えて最適な組み合わせを考える,また,福祉サービスの改革に資金を投入することは「負担」ではな
く高付加価値を生み出すプロダクティブな「投資」であることなど,随所に重要な論点が提示されている。しかしながらその一方で,複数の執筆者による類書にありがちな欠点を本書も免れてはいない。アプローチの仕方が統一されておらず,福祉ミックス社会の現状と課題を明瞭に析出することには成功していない。また,福祉ミックス論について体系的な検討が加えられているとは言い難く,理論面での分析にも物足り
なさを感じる。福祉セクターの機能面(サービス供給のみならず,財源調達や規制・調整機能が含まれる)の掘り下げや各セクターの特性についての検証,サービス供給の多元化を軸に繰り広げられている福祉改革の動向やそれを規定する諸要因への考察などが必要なのではなかろうか。そこで本報告では,本書を批判的に検討し,本書が示した論点を素材として,現時点における福祉ミックス論の到達点について論及する
ことを主たる課題とし,福祉ミックス社会の今後の方向性を探るための議論に供したい。