社会政策はいま、大きな転換期にある。日本の社会政策を学的に検討する場合、社会政策の主体が国家であることは共通の前提であったが、その前提が大きく問い直されている。「労働論から生活論へ」(労働力・労働者から非労働力・非労働者を含めた全体者へ)の領域拡大が事実として進む中で、社会政策が対象とする場と社会政策の政策主体の見直しが迫られている。それは社会政策の現代的意味・有効性を問い直すことでもある。
対象とする場という点では、国家による労働力・労働者政策という軸心は動かせないとしても、公害・環境・福祉問題を媒介にして「地域」という場が顕在化してきた。とくに地域の住民・市民運動の領域では国家との対抗性すら現れている。
政策主体という点では、社会政策学が十分、把握しえない領域で現実に多くの地域運動が起こっており、国家のみが社会政策の主体であるのか、あってよいのかとの疑問も強くなっている。政策主体の多元化への模索である。最近年の地方分権(地域主権)、地域福祉をめぐる論争、働き方をめぐる賃労働とボランタリズム(フォーマルとインフォーマル)など、社会政策学が従来の枠組みを解き放って、一度、大胆に議論してみる状況が生れている。
以上が「国家と地域」をテーマとした趣旨であり、学会によって社会政策の場と主体が
労働と国家に限定されることなく、広く現実の生活領域全体へと解き放たれ、今次学会が新しい場と主体の形成される一契機となることを期待したい。
はじめに
本報告は「社会政策学における国家と地域」を原理的に検討するものである。社会政策学は1896−97年に学会成立をみた時から国家政策研究としての性格を濃厚に持ち続けた。その政策本質が支配的・統合的であるか改良的であるかの争点を超えて、いま、社会政策の政策本質が改めて問われている。いうまでもなく、グローバル化する世界にあって国民国家という垂直的統合体が地域(ローカル、リージョナル)という水平的連携の場によって動揺を続けている。そのような国家と地域の相克にあって社会政策の政策主体はどうなるのか?
他方、社会政策の実現の契機については階級闘争(労働者主体)をめぐって長い論争が行われてきた。しかし、いささか画期的に表現すれば、1960年代後半以降の地域における反公害運動、1970年代以降の消費者運動、1980年代以降の地域福祉運動など、今日、「新しい社会運動」とも表現される地域運動が数多く発生してきた。これら社会運動は勿論、産業の高度化、少子−高齢化、雇用の女性化、家族・消費など生活様式の変容を背景としているが、いずれも地域を運動発生の根拠として生成している。これら地域を場とする社会運動(地域運動)を社会政策学として原理的にどう把握するか? とくに政策主体としての国家行政との関係で地域運動をどう位置づけるか?
以下、社会政策学にあっての主体概念を中心に国家政策と地域運動の関係を論じ、一試論として「地域社会政策」論を展望したい。
1.原理としての国家と地域
国家と地域は原理的にどのような関係に置かれているか? 国家は観念における共同性(国家意識)を中軸に「公共性」の名の下に人々を「国民」に統合する現代的システムである。地域は生存・生活の場であり、住民の共同性を体現する。換言すれば地域は空間的場であるとともに自己形成していく「現実の共同体」をも意味する。
国家は国家幻想(観念)によって国境を形成し国民として生ける人々を統合するが、地域はローカルとして国家を内的に構成・分権化し、リージョナルとして国境を超えて連携する。国家障壁の内外において地域は国家と対峙しており、その調和・相克が現代である。
共同体の位相からみれば国家共同体と地域共同体は異質の原理性を有しており、国家は人為的な国民性(国籍をもった国の民)を原理としており、地域は生活の場におけるメンバーシップ(所属性)=市民性を原理としている。その意味で、国家共同体と地域共同体は原理的に対抗している。
2.生産力概念における国家と地域
歴史社会は生産力によって支えられている。生産力の在り方から国家と地域の関係を問う必要がある。歴史類型的にいえば国家共同体は国家生産力、地域共同体は地域生産力によって基礎づけられ、国家生産力と地域生産力は調和・相克の関係にある。現代経済社会の支配的生産力は国家生産力であり、地域生産力はオルタナティヴ生産力として国家生産力に対抗する関係にある。生産力の内実において類型化すれば、国家生産力は生産力の物的システム(労働力−労働手段−労働対象)に収れんされた近代生産力であり、自然・家族を手段化し、捨象しつつ展開する。対して、地域生産力は地域内在的な生産力であり、地域の自然や家族を包摂した生産力、生態的システムに収れんされた生産力である。エコロジー、リサイクル、環境保全をキーワードとした男女協働の生産力である。
現代経済社会は産業革命以降、国家生産力に支配され続けている。過剰なまでの物的生産力が地域を支配・抑圧している。地域生産力はオルタナティヴな対抗生産力として未だ理念であり、理念から実体への過渡にある。過渡期の断面は1)地域均衡の回復力−過疎・過密の克服 2)食糧国内自給力−生存基盤 3)農山漁村への定住 4)地域循環型経済−産直型流通システム 5)自然の地域共同体的管理などにおいて表現される。
3.戦後地域政策と地域運動
戦後日本における地域政策は上からの開発政策と下からの地域運動の相克によって形成された。戦後の全国総合開発政策を軸とする地域開発・産業開発をめぐる相克、1980年代以降の地域福祉をめぐる相克は地域の在り方をめぐっての政策形成の国家と地域の相克であった。戦後日本国家は産業開発から社会開発、コミュニティ形成へと政策課題をシフトさせつつも、上からの国民統合という中軸はより厳しく貫徹させてきた。対して地域運動は筆者自身のささやかな経験を鑑みても、反対型(公害・開発反対−北浦沖合人工島計画)告発型(公害告発−カネミ油症事件)、提言型(福祉の街づくり)、自己形成型(産直運動、福祉ワーカーズ−「たまごの会」(産直))へとゆるやかに展開をみせ、労働者福祉運動、協同組合運動など既存の運動も広く連携を始めている。地域づくりをめぐる主導権争いが深まり、国家と地域住民の中間に位置する地方自治体(公共団体)の果たす役割が大きくなっている。
4.地域社会政策への試み
社会政策とは何か? 未だ統一した定義はない。しかし「国家による改良政策」という点は動かしがたい規定であろう。問題は政策主体は国家だけか? 改良の課題は? の二点である。戦後社会政策論争第二期以降、政策主体は国家だけでは不十分だということは明白になった。また、改良の課題が貧困から人間疎外へと拡大しつつも、その「人間主義的限界」も指摘され始めた。ポスト100年の社会政策がありうるとすれば、以下の諸点は最低限、包摂したものとなろう。これまでの社会政策学が国家政策に傾斜した点を反省すれば、敢えて地域社会政策へと提言したい。
1)自然、家族の社会政策への包摂(エコロジー、ジェンダー)
2)国家障壁の克服=グローバル化(福祉国家の限界:市民権の普遍的共有)
3)分権と自治−多元的価値社会と複合的政策主体(国家、自治体、ボランタリー団体)
4)地域づくり−地域共同体(コミュニティ)の形成
参考文献(拙稿分)
1.現代社会政策学の方法と課題、『社会政策学会100年』啓文社、1998
2.戦後社会政策論争についての一試論、下関市立大学論集Vol.41,1998
3.NPOと労働者福祉・協同組合運動について、労働者福祉研究45、1998
4.「福祉社会」と今日の地域福祉政策、『現代日本の社会保障』ミネルヴァ書房、1997
5.国家共同体と地域共同体、『個人と共同体の社会科学』ミネルヴァ書房、1996
6.新しい生活論をめざして、『社会政策学と生活の論理』啓文社、1992
7.地域論ノート、下関市立大学論集Vol.35,1992
8.北浦沖合人工島計画に関する覚書(資料)、下関市立大学論集Vol.31,1987
1 「国策」に対抗する地域住民の闘いの基盤
原発反対の住民運動は長い間生産の場の汚染を防ごうとする農漁民、とくに漁業者の闘いとして展開されてきた。高度成長期の公害の第一の被害者たちは、原子力公害を予防するための闘いを始めた。住民の反対運動の物質的基盤は、いわゆる電調審(電源開発調整審議会)上程のための3条件を阻止すること、すなわち(1) 土地を売らない、(2) 漁業権を放棄しない、(3) 地元住民の同意を与えない、ということに尽きる[1]。そのいずれかを守りきれば住民側は勝利できる。後で論ずる新潟県巻の住民投票は、電力による用地買収を阻む20数年にわたる住民運動の展開とその間の原子力をめぐる社会的な環境の変化の上に実現したものである。
2 立地促進策としての電源三法の制定
上述のような住民の原発反対運動を切り崩すために、政府及び電力会社など推進側がとった対策は、露骨な刑事弾圧と、あからさまな買収などによる村落共同体や家族の分断と破壊であった。1960年代末から70年代前半にかけて全国的な反公害闘争の高まりを背景に建設予定地ではどこでも激しい反対運動がまき起こった。
一方政府はエネルギー供給の確保を経済成長維持の基本条件だとして原発への依存をいっそう強める政策を打ち出すが、立地は進まなかった。田中角栄は地元柏崎刈羽における立地促進を直接の動機として、1974年電源三法を制定した。それは典型的な利益誘導政策である(「地域丸ごと買収法」)。さらに政府は原子力船「むつ」の放射線漏洩事故に端を発した原子力行政の行き詰まりを打開するために原子力基本法の改正に着手した。
3 巨大事故の発生と原発反対運動の都市への拡大
ところがその後絶対に起こりえぬはずだった原発事故が次々と発生した。1979年のスリーマイル島原発の炉心溶融事故と1986年のチェルノブイリ原発の爆発事故は、周辺地域に深刻な放射能汚染被害をもたらした。とくに後者は多数の被害者と広大な地域を汚染し、ヨーロッパ諸国だけでなく食料輸入大国である日本にも間接的に影響をもたらした。放射能に汚染された食品や飼料がさまざまな経路を経てやって来た。それは1970年代以降の生活の質の向上に価値をおく安全な食品を求める運動を直撃した。
かくして1980年代後半になり、都市市民による現地の反対運動への支援が始まる。それは新しい社会運動の展開と見ることができる[2]。しかし反原発の大きなうねりは残念ながら数年経たずして後退する。これをただ単に都市の世論は「熱しやすく、冷めやすい」といって済ますわけには行かないが、確実に原発否定の世論は根づいていった。
4 新潟県巻町の住民投票=近代日本の政治システムを変える契機
都市の動きとは異なって、新潟県巻町ではまったく新しい住民の動きが登場してきた。そこで提起されたのは「議会では推進派が多数派でも、住民一人ひとりの意見を聞けば反対が多い」、後に町長に当選する笹口氏の言葉を借りると、「議会制はあっても、民主主義はない」という現行政治制度の欠陥をどのように克服するか、という問題である。巻町の少数派の反原発派がしかけてきた動きは、チェルノブイリ原発事故という決定的な環境変化の中で、紆余曲折を経ながらさまざまなレベルの原発への批判意見を呼び起こした。女性たちを中心とした新しい運動や新旧さまざまな運動体の独自の活動、保守層内部の変化を取り込んでネットワークが形成されていった。その経過は実に興味深い。
さて自主管理の住民投票、町有地売却臨時議会の実力阻止行動、住民投票条例の制定をかけた町議選、推進派町長のリコール、さらに町長選、そしてようやくたどり着いたのが1986年8月の住民投票であった[3],[4]。この間に日本の原子力開発体制を根底から揺るがす高速増殖炉「もんじゅ」の火災事故、東海再処理施設の爆発火災事故、兵庫県南部地震などが続発した。
住民投票条例は巻町以前においても高知県窪川町(1982年)、三重県紀勢町(1995年)、同南島町(1993年)、宮崎県串間市(1995年)などで、いずれも原発建設の是非をめぐって制定されているが、投票が実施されたことはなかった。巻町の住民投票は条例制定によるものとしては全国初めてであった。その後米軍基地の整理縮小を問う沖縄県民投票、産廃処分場の是非を問う岐阜県御嵩の町民投票が続き、以後最近の神戸新空港建設問題まで、今もその動きは止まらない。巻町の住民投票は「国策」に対して「自治」の重さを提起するものであったからだ。
5 原発に依存しない町造りをめざして
用地買収費、漁業補償、さまざまな調査費名目の寄付金、建設開始と同時に交付される電源三法交付金、完成後の固定資産税、いずれも巨額である。100万キロワット級原発の建設費はおよそ4000億円、その大部分は大手ゼネコンが受注する。たしかに地元にも建設期間中はかなりの金が落ちる。だが建設が終了すると以前より商店街は活気をなくす。三法交付金も入らず、箱物を建設する際に発行した市町村債は赤字となって累積し、その管理運営費は赤字財政を拡大する。また固定資産税は減価償却にしたがって減少する。こうして原発に依存して町造りをした地域は必然的に原発増設論に傾く。
いったい原発を誘致して地域は潤ったのか。巻と同じ新潟県内にある柏崎刈羽原発は、東京電力が地域共生型原発の模範として宣伝しているものだが、実際には市民の住民税が安くなったわけでもなく、市内の商工業が原発建設によって発展したわけでもない。それどころか中心部の商店街の衰退ぶりは甚だしい。原発銀座福井県敦賀市も同様である。宮城県の女川町では人口が激減し、福島町双葉町の財政は悪化した。
現在巻町では原発を当てにした町造り計画の全面的な見直しが行われている。巻町や御嵩町では特別な交付金に頼らない町造りをすすめるために役場内の役職ポストの一新するとともに、住民の知恵を引き出すためのユニークな方策を模索中である。それは自治の根幹に関わる問題で、これからも試行錯誤が続くであろう。
[文献]
[1] M.SUGAI" The Anti-Nuclear Power Movement in Japan" , Helmar Krupped., Energy Politics and Schumpeter Dynamics - Japan's Policy Between Short-Term Wealth and Long-Term Global Welfare- [Berlin: Springer Verlag, 1992]
[2] 菅井「現代における主体形成ー地域住民運動からの接近」(『賃金と社会保障』No. 966、1987年 7月下旬号)
[3] 菅井「住民が決定する巻原発ー民主主義の原点に立ち返る」(『技術と人間』1995年11月号)
[4] 菅井「空洞化した民主主義に魂を吹き込む住民投票」(『木曜通信』NO. 11 1997年10月)
I はじめに
経済構造調整期に入って以降の雇用政策の前提は、国際化、サービス経済化、ME化、労働力の女性化、高齢化、雇用の多様化(不安定雇用)であった。雇用政策の課題は、この前提のもとで雇用の確保と安定を図ることであった。少なくとも90年代の前半、バブル経済の崩壊の時期までの雇用政策は一定の成功を収めた。しかし、バブル経済の調整過程に入った90年代の半ば以降は、雇用の確保と安定の両面で、雇用政策は危機的局面を迎えることになった。雇用政策の論理そのものが再検討を迫られている。
II 雇用問題の構造変化
雇用問題とは雇用の確保と安定を阻害する諸要因の存在である。それは、農業をはじめとする小生産の停滞と解体、産業構造の変動、生産の海外移転を背景として生じてきた。これらに対応して、日本経済は、労働力流動化、減量経営と雇用調整、経済のソフト化、雇用コストの抑制ないしは削減によって対応してきた。そのもとで雇用総量(雇用者数)の増大傾向が維持されてきた。
しかし、90年代半ば以降は、明らかに異なる様相が現れてきている。雇用量そのものが停滞し、失業率も上昇の一途をたどっている。雇用の確保と安定からは遠ざかりつつある。さらに、女性、高齢者、あるいは不安定雇用者の雇用条件の改善は容易に進まない事態も迎えている。
III 雇用政策の展開と危機
雇用政策は雇用創出(雇用の維持と開発)、雇用管理(雇用の安定と活用)、労働力需給システムの整備(雇用の流動化)という面で展開されてきた。雇用政策は雇用確保という面では一定の成功を収めてきたが、その限界も露にしてきている。
【雇用創出】雇用調整に対して、助成金によって企業の雇用維持を促す政策が繰り返されてきている。さらに雇用開発を助成金により支援する政策も展開されてきた。それは産業構造の転換や産業の地方分散にもそれなりに有効性を発揮し、労働力不足の局面すら生み出してきた。しかし、バブル経済の調整過程以降においては雇用創出への刺激効果は減退してきている。
【雇用管理】女性や高齢者などの積極的活用を企業に促し、同時に雇用の安定との調整を図るための制度的な整備が進められてきた。しかしその活用は拡大したものの、雇用安定(平等待遇)の実現は困難になっている。
【労働力需給システム】労働者派遣という新しい需給システムの定着とともに、公的職業紹介の機能回復が図られてきた。しかし、規制緩和というかたちで雇用の安定よりも雇用調整に対応した労働力移動の促進に力点が移されつつある。これが必ずしも雇用増加と確保につながらないことは事態の推移が示している。
IV 雇用政策の展望
雇用政策が雇用の確保と安定という課題の実現から遠ざかりつつあるとすれば、雇用政策の論理そのものが全面的に見直されなければならない。その際に必要とされる視点は、地域における生活基盤の安定である。
基本方針 | 雇用創出 | 雇用管理 | 需給システム | |
---|---|---|---|---|
1985 | 男女雇用機会均等法 | 労働者派遣法 | ||
1986
|
国際協調のための経済構造調整研究会報告
|
雇用調整助成金運用基準緩和
輸出型産地を緊急雇用安定地域指定 特定地域中小企業対策臨時措置法 30万人雇用開発プログラム |
男女雇用機会均等法・指針と省令
高年齢者雇用安定法:60歳定年努力義務 |
雇用対策推進本部:広域移動
|
1987
|
経済調整特別部会報告:構造調整の指針
第4次全国総合開発計画:多極分散型国土 |
地域雇用開発等促進法 | 改正労働基準法:週40時間目標
|
産業雇用安定センター
総合的雇用情報システム |
1988
| 世界とともに生きる日本―経済運営5ヵ年計画
第6次雇用対策基本計画:ミスマッチ対策 |
改正特定不況業種雇用安定法
産業雇用安定助成金制度創設 |
小規模企業人材円滑化支援事業:人材あっせん
|
|
1989
|
|
大規模雇用開発促進助成金
雇用安定・改善事業統合 |
パートタイム労働指針
時間外労働協定指針:年間450時間 |
人材Uターンセンター開設 |
1990
| 行革審最終答申
|
|
高齢者法改正:継続雇用の努力義務
高齢者対策基本方針:60歳定年目標 |
派遣労働者受け入れ企業の指針 |
1991
| 経済審議会:今後20年間の長期展望提示
|
改正地域雇用開発等促進法
中小企業労働力確保法 |
育児休業法
|
|
1992
| 第7次雇用対策基本計画:人手不足対策
生活大国5ヵ年計画 |
雇用支援トータルプログラム
雇用調整助成金の申請基準緩和 |
パートタイム労働問題研究会報告
労働時間短縮促進法 |
産業雇用高度化ガイドライン:労働移動促進
|
1993
|
|
雇用調整助成金の大幅拡充
|
パート労働法
改正労働基準法:法定労働時間40時間 |
|
1994 | 高齢者法一部改正:高齢者派遣自由化 | |||
1995
| 新6ヵ年計画:構造改革のための経済社会計画
第8次雇用対策基本計画:「失業なき労働移動」
|
改正特定不況業種雇用安定法施行
|
介護休業法
|
雇用対策協議会の設置:労働移動促進
人材資産形成プログラム:新産業への移動 人材銀行の紹介を在職者に拡大 |
1996 | 規制緩和計画:有料職業紹介大幅自由化 | |||
1997
|
|
|
均等法改正、及び女子保護規定撤廃
中小企業への週40時間労働制適用 |
規制緩和計画改定:有料職業紹介原則自由化
規制緩和計画改定:労働者派遣自由化 |
1998
|
|
雇用分野の総合経済対策:雇用給付金拡充
雇用活性化総合プラン 改正中小企業労働力確保法 |
パート労働法改正見送り
改正高齢者法:60歳定年義務化 改正労働基準法:裁量労働制拡大 |
職業安定審議会報告:労働者派遣原則自由化
労働者派遣法改正案閣議決定 |
1999 | 職安法改正方針:民間職業紹介原則自由化 |
1.問題意識
共通テーマを考慮すれば、本報告が設定された目的は、地域の社会政策の展開にコミュニティ・ユニオンがいかなる機能を発揮できるかを検討することにあると思われる。コミュニティ・ユニオンは、現在のところでは、地域の社会運動としては、限界的な位置を保っているにすぎないが、地域の社会システムの改革につながる要素がある。報告ではこの点を考慮し、コミュニティ・ユニオンの実態を概括する。
2.歴史からみた地域労働組合運動
第2次大戦後、「地域労働運動」という用語は各時代に異なった意味をもたされてきた。争議手段としての「地域スト」、争議への大衆動員と政権戦略の両面をもったぐるみ闘争、中小企業労働運動とかさなりあうとともに中小企業労組の統一行動を意味した「地域闘争」、1980年代の地域生活圏闘争などがそれである。
3.コミュニティ・ユニオンの成立
コミュニティ・ユニオンは地域労働運動の歴史としては最終盤の1980年代に登場する。出発点は、1981年に総評がパートタイマーの組織化に着手し、本工組合への加入のほか、地区労と提携して自立的なパートユニオンの結成を提唱したことにあった。このため、最初はパート・ユニオンとよばれることが多かったが、実態としてはパート以外の労働者も参加するようになり、全国各地に同種の地域労働組合が成立し、1989年コミュニティ・ユニオン全国ネットワークが成立して、この呼称が定着した。
1980年代の前・後半の時期にコミュニティ・ユニオンが成立した理由の1つはオイルショックののちの企業の減量経営のなかで、正規従業員を「減量」し、女性パート労働者の急増、派遣型労働者、外国人労働者の登場など、雇用形態の多様化が促進されたことにある。雇用形態の多様化は、産業構造の変動とともに、労働組合の組織率の低下の主要な原因であった。大企業労働組合への影響力を喪失していた総評と総評系地域組織は、組織上の危機感を深め、組織拡大の方向としてこれらの多様な雇用形態のもとにある労働者層に着目し、多様な雇用形態のもとにある労働者自身の組織化を求める動きと連動した。
4.コミュニティ・ユニオンの特質
1)組織単位と組織対象
基本的には労働組合の組織対象として大企業あるいは官公庁の従業員以外の分野への組織を拡大する手法として、地域単位の個人加盟方式を採用している。現在、全国ネットワークに参加している多数のコミュニティ・ユニオンは、組織形態において多様な内容をもっており、職場単位組織の加盟と個人加盟を併用し、実質的には職場単位組合の方が主力となっているケースもみられる。たとえばパート労働者をとってみると、ある企業における雇用関係は不安定であるが、地域には定住しており、安定的な組織としては地域を単位とすることが求められることになる。雇用契約も一般に個別の労働契約として成立することが多いから、企業、職場を単位とする集団的な労使関係にはなじまないことが多い。
コミュニティ・ユニオンの組合員のなかでは、女性の比重がきわめて高い。対象としている非正規従業員のなかでの女性の比率の高さを反映している。外国人労働者が40%程度を構成しているユニオンもある。また組合員のなかには、喫茶店の店主、独立の編集者など、自営業に属する人々、管理職なども参加している。
2)労働法規の重視
活動内容の面で、他の中小企業労組と共通する側面としては労働法規の重視がある。近年の労働法分野における規制緩和については、もっとも強い反対意見を表明している。
3)雇用をめぐる紛争
解雇や倒産をめぐる紛争は中小企業労組にも多い。解雇をめぐる紛争は、一般労組系列では争議団のかたちをとることが多く、コミュニティ・ユニオンにおいてもそうした事例は存在するが、多数の事例は、団体交渉によるというよりは、ユニオンの介入による個別の話し合いによる解決が多い。
4)相談活動
コミュニティ・ユニオンの活動の重要な部分が個別の組合員からの相談に対応することにある。残業が多すぎる、残業手当が不払いである、年休がとりにくい、など団体交渉というよりは相談にもとづく経営者との個別の話しあいで解決をはかるケースが多い。社会保険出張所や労働基準監督署との話しあいや事務手続きにかかわるものも多い。
5)共済活動
すべてのコミュニティ・ユニオンは労働者自主福祉事業としての共済制度をもっている。一般にコミュニティ・ユニオンの組織は小さいから自前の福利事業をもたないため、地域の他の労働者福祉活動とネットワーク的な提携関係を結ぶ事例が多い
6)事業活動
コミュニティ・ユニオンのなかには、組合員の就業の場の保障と組合自身の財政基盤の確立の2つの目的をかねて、事業活動を展開しているケースがある。この部分は、本大会でべつのテーマとされている労働者協同事業とかさなりあっている。
7)地域の生活課題
現状ではそれほど多くのユニオンが参加しているわけではないが、内容上は、1970年代の生活闘争、1980年代の生活圏闘争をひきつぐかたちでの地域での生活課題にとりくんでいるコミュニティ・ユニオンが存在する。
8)ナショナルセンターとの関係
コミュニティ・ユニオンは、ナショナルセンターの系列は意識されているものの、自立性が高いことに特徴がある。コミュニティ・ユニオン全国ネットワークが形成されているが、自立的なユニオンの連帯組織として位置づけられている。
5.コミュニティ・ユニオンをめぐる論点(略)
関係文献
1)「地域生活圏と現代労働組合運動」、平和経済計画会議編『地域生活圏と現代労働組合運動』、1981年、労働経済社、(第I部 総論)
2)「地域労働運動の課題と展望」、『季刊労働法』、141 号、1986年10月
3)「コミュニティ・ユニオンの構想」、コミュニティ・ユニオン研究会編『コミュニティ・ユニオン宣言』、1988年、第一書林
4)「コミュニティ・ユニオンの今後」、『労働調査』第327 号、1996年5月
1.私たちの取組みの現状
(1) 歴史
・中高年雇用福祉事業団全国協議会(1979年9月)→日本労働者協同組合連合会
(1987年5月)→協同労働の協同組合法(労協法)制定運動、高齢者協同組合の
設立運動へ
(2) 事業規模の変化
・全国連合会 現状事業高 150億円 組合員8000人
・センター 1982年事業高約2000万円 組合員20人
1999年度 80億円 組合員3000人
・主な事業
委託中心のサービス業から、それも含め直接市民地域と結ぶ、福祉・介護の仕
事のはじまり。
(3) 質的変化
・失業闘争からの出発−労働組合運動における「事業団」方式による「雇用確保」
・「労働者協同組合」への意識化−ICAへの加盟(1992年)
(1980年レイドロウ報告のインパクト)
・労協運動の本格的発展(労協法制定運動)と高齢者協同組合運動の展開
(4) 事業経営路線
・全組合員経営から共感の経営へ
・人と地域が必要とする仕事を協同でおこし、事業として成り立たせ、社会的に有用
なものへ発展させる。
2. 社会の現状をどうみるか
−私たち労協の社会的使命を考えるにあたって
1)「国民国家」「大量生産、大量消費、大量廃棄」システムの破綻
2)資本主義の暴走−市場至上主義の流れ
3)市民の覚醒、分権的社会の到来
4)私たちの取組みの中から
・労協法に対する各方面の反応
・ 高齢者の現実と東京高齢協生協法人認可の意義
3. 当面する労協運動のテーマ
1) 現在の中心的スローガン
−新しい福祉社会の創造
・「労働の人間化」「地域の人間的再生」
2) 労協運動「5つの理念」
1. 新現場主義
2. 事業・運動の総合的・地域的な協同のネットワークの創造・確立
3. 政策、制度への市民の参加と改革、必要な新しい政策、制度の市民的創造
4. 新しい社会システムととしての協同センターの確立
5. 市民の新しい力と協同労働を協同組合再生の力に
(1/15日本労協新聞参照)
3) 制約の多い委託型の仕事の中での労協運動から、地域、市民と直接結んでおこす
仕事へ −労協法の必要
4) 介護保険制度施行への対応から地域保健福祉運動・事業へ全力をあげる
・ ヘルパーの養成(講座の全国展開)
・ ’99年度実験事業への取組み
・ 地域福祉事業所の確立
・ 2000年4月〜 介護保険施行時全国で指定業者に
5) 協同組合運動の新しい発展と労協運動
−協同組合間提携、協同セクターの確立めざして
4. 探求課題、実践課題
1) 市民が市民として社会的、地域的必要に応える事業・運動に参加するというこ
と。
2) 「市民的公共性」−新しい公共性の創造
・社会制度・法と市民と協同のあり方
・そもそも公共とは何なのか
3) 市場はコントロール可能なのか
・市場至上主義−市場可能主義的考え方の危険
・対抗、コントロールは何によって可能か
・市場と市民と協同と
−「人間的市場」は可能か
4) 労働をめぐって
・雇用労働が労働形態の全てか
・ 労働のあり方をめぐる多元性、多様性の社会的認知−協同労働−労働者協同組合
法案の提起
5)介護・福祉の新たに形成される市場は、公共と市民自立の関係の実験場
1.日本における1980年代からの福祉政策の自治体への移管の動き
(1)1987年の機関委任事務から一括自治事務への移行過程
・ 財政負担の中央政府から地方自治体への移管
・ 中央の財政問題の行き詰まりのつけまわしの面も
・ 自治体の条例化による福祉政策の可能性
(2)ゴールドプランと自治体による高齢者保健福祉計画づくり
・ 中央の目標値を超えた地方からの積み上げによる新ゴールドプランへ
・ トップダウンからボトムアップへの動きの背景
(3)障害者プランやエンゼルプランの自治体での作成の取り組み
・社会サービスを利用して自立生活を営む自由の保障
・ 高齢者政策と同じようにすべての自治体で定着しなかった理由
(4)介護保険による保険者=自治体と地域政策
・ 地域における支援を利用しながらの自立生活
・ 生活している地域での社会サービスの利用
・ 財政負担とサービス利用との身近で透明が関係
(5)福祉のまちづくりにかかわる市民ルールの形成と条例化による自治体設計
・ 生活の拠点としての地域社会の重視
・ 特別な対象者の課題から広く市民全体の共通課題に
(6)分権推進委員会による機関委任事務から地方分権への提案と分権計画
・ 機関委任事務の廃止と自治事務への転換
・ 自治体の自己決定権の確立と政府間の対等な関係
・ 自治体の条例づくりと市民自治のあり方
・ 財政の分権が伴なっていない限界と市民の公的負担のあり方
2.福祉政策における施設中心主義から地域生活の登場
(1)国家による特定の対象者に限定した最低水準の生存の保障
・特別対策として社会から切り離された福祉対象者の性格による確定
(2)地域からの隔離と「保護」と「治療・訓練」を中心にした施設型の福祉政策
(3)全国的な水準での所得保障と医療サービスの提供から社会サービスニーズの登場
(4)障害や疾病を持ちながらも地域生活を営む生活者としての主体の主張
(5)パターナリズムからの解放と自己決定の権利の主張
(6)生活者(市民)の参画による統合された社会の構築
3.福祉政策における自治体サービスと市民の自発的な事業によるサービス
(1)地域を基本にした市民生活のあり方と市民主体による生活の自己設計
(2)中央政府の全国的な生活保障の政策体系と地域の独自性に対応した生活の保障
・全国一律の基準と地域の格差の積極的な評価・独自性の認識
(3)自立生活の支援にむけた自治体政策と多様なサービス提供事業者の参入
・市民が利用者として行使できる選択の自由
(4)市民の多様な活動を通じての社会参画とコミュニティの維持
・サービスを利用する存在から企画し提供する市民としての活動
(5)市民の自発的な事業をつうじた社会問題の解決とその補完としての自治体政策
・社会サービスにおける雇用政策の重要性と地域産業の確立
・ 市民自主事業NPOの対行政(対政府)の意義付け
・ ペイドワークとアンペイドワーク、ボランティアなど
(6)自治体の行政から市民自治の支援への公共概念の広がり
・ 自治体行政と市民との権力関係と相互協力関係の重なりあい
4.国家主導的社会政策から市民社会支援政策の確立の展望
(1) 全国的階級概念から地域における市民概念へ主体の転換が意味するもの
(2) 国家による集団的生存の確保から社会の支援による個人の自己決定権の保障へ
(3) 行財政的に自立していない自治体行政と弱体な市民社会
(4) 地域社会における企業と自治体・市民との接点が少ない現実の関係
(5) 国家主権による市民の包摂・統合の力学に対抗する市民の政策形成能力
[関連既発表文献]
大谷 強 『自治と当事者主体の社会サービス』1995年、現代書館
大谷 強 「福祉のまちづくり条例と地方主権の確立」
『産業と経済』(奈良産業大学)第11巻第4号、1997年3月
大谷 強 「福祉・保健分野における地方分権化の問題と課題
―「地方分権推進委員会第1次勧告」を踏まえてー
『社会福祉研究』第68号、1997年
大谷 強 「地方分権時代における条例の意義と課題」
『部落解放研究』第121 号、1998年
大谷 強 「連載・介護保険法を私はこう読む」
『市政研究』(大阪市政調査会)第119 号〜第121号、1998年