社会政策学会第96回大会報告要旨

共通論題「日雇労働者・ホームレスと現代日本」





テーマ別分科会1 戦後日本労使関係史像─近年の成果をめぐって

 

設定の趣旨                    

 

                        座長 佐口和郎(東京大学)

 

 近年戦後日本の労使関係史を総括するような成果がいくつか出されてきている。このことは現在日本の労使関係が大転換の時期を迎えているという認識と無縁ではないだろう。そしてそれは「労働組合運動の危機」という認識のもとで重ねられた80年代前半の成果(清水慎三編『戦後労働組合運動史論』82年、社会政策学会共通論題「先進国における労働運動」84年等)とも性格を異にしている。80年代後半の日本労使関係の特質の究明というアプローチ(社会政策学会共通論題「日本労使関係の特質」86年参照)のみならず、この領域への他分野からのアプローチが進展してきていることにも注意をはらうべきだろう。その意味では、旧来の労使関係(史)研究の方法上の有効性が問われてきているともいいかえられるだろう。

 本分科会はこうした状況認識を前提に、経営史・社会福祉史・外国研究という観点から近年の日本労使関係史を扱った成果に検討を加えることを目的に設定された。すでに書評・合評会等により労使関係論プロパーの側からの検討は進んでいるが、本分科会ではあえていわゆる「外部評価」という方法を採った。他の分野から積極的に日本の労使関係史研究の問題点の指摘を受け討論していくことが、方法上の問題をより明確化し、さらには豊かな戦後史像を共同して作り上げることもつながると考えられるからである。こうした趣旨での分科会は初めての経験ではあるが、報告者には簡潔に問題提起をしていただき、フロアからの発言も重視しながら議論を進めていきたい。

 



テーマ別分科会1 戦後日本労使関係史像 報告1

経営史研究と労働史研究──戦後の日本を対象として

 

橘川武郎(東京大学)

1 はじめにー戦後日本経営史研究にとっての労働史研究の重要性
2 研究の焦点
3 労働史研究への若干のコメント
4 いくつかのメッセージ
5 おわりに

  1 はじめに
 ここでは、本報告の課題を明らかにするとともに、第2次世界大戦後の日本を対象とする経営史研究を深化させるうえで、労働史研究の成果を採り入れることが戦略的な重要性をもつ点を明確にする。本報告の課題は、戦後の日本を対象にして、経営史研究者の立場から労働史研究の最近の動向について若干のコメントを申し述べ、今後の研究方向に関していくつかのメッセージを送る異にある。経営史研究にとって労働史研究が戦略的重要性をもつのは、@労使関係の等閑視が、A.Dチャンドラー以来の伝統的な経営史研究の最大の難点であること、およびA日本経営史研究の焦点は日本型企業システムの史的展開の解明にあり、日本型企業システムのコアに位置するサブシステムは労使関係であること、による。

2 研究の焦点
 ここでは、日本型企業システムのコアに位置するサブシステムとしての日本型労使関係を論じる際の、議論の焦点を明らかにする。現在、経営史や経済史の分野では日本型労使関係の形成時期をめぐって様々な見解が並立しているが、このような状況が生まれたのは、議論の目的と判断の基準が不明確だからである。経営史研究の観点に立つと、議論の目的は、日本型労使関係の形成と戦後日本経済の相対的高成長との関連を解明することにおかざるをえない。このように目的を設定すると、日本型労使関係の形成時期をめぐる判断の基準は、いわゆる「三種の神器」がビルトインされたのはいつかという点ではなく、協調的な労使関係の成立をふまえて、生産現場で日本の労働者が、効率的な生産管理や厳格な品質管理に積極的に関与するようになったのはいつか、という点に求めるべきだということになる。報告者は、議論の焦点を上記のように絞り込めば、1960年代前半の変化にこそ注目すべきだと考えている。

3 労働史研究への若干のコメント
 ここでは、経営史研究の立場から、せんごの日本を対象にした労働史研究の最近の成果について、若干のコメントを申し述べる。2での検討をうまえて、中心的にコメントを加えるのは、1960年代における「能力主義」の受容をめぐる議論に対して、ということになる。

4 いくつかのメッセージ
 ここでは、3でのコメントを敷延して、今後の研究方向に関して、経営史研究者の立場から、労働史研究者へ向けていくつかのメッセージを送る。今のところ、メッセージの内容は、@企業間競争の視点を導入することの重要性(産業間格差や同一産業内企業間格差の解明を可能にするとともに、なぜ1960年代前半に変化が生じたのかを解く手がかりを与える)、およびA日本の「経営者像」(大企業における内部昇進の専門経営者、中小企業を大企業に成長させたオーナー経営者、中小企業におけるオーナー経営者、の3類型に注目すべき)と「労働者像」との対応関係を明確にすることの必要性、の2点が中心になるものと思われる。

  5 おわりに
 ここでは、経営史研究と労働史研究とのインタラクションが、今後、いっそう重要な意味をもつことを強調する。

 

 

報告者の関連業績
1 「『会社主義をめぐって』ー『現代日本社会5 構造』の序論および第1章−5章についてのコメント」東京大学『社会科学研究』第44巻第3号、1992年。

2 『日本経営史』有斐閣、1995年。宮本又郎・阿部武司・宇田川勝・沢井実との共著(関連部分は、橘川が執筆した第5章「戦後の経済成長と日本型企業経営」)

3 「日本の企業システムと高度成長」橋本寿朗編『20世紀資本主義T 技術革新と生産システム』第5章 東京大学出版会 1995年。

4「戦後日本の経済成長と経営者企業論の有効性」東京大学『社会科学研究』第47巻第4号、1995年。

5 「戦後日本経営史研究の新視覚ー1960年代前半の画期性」『経営史学』第32巻第2号、l997年。





テーマ別分科会1 戦後日本労使関係史像 報告2
社会福祉史研究からみた戦後労働問題研究

菅沼 隆(立教大学)

 ここでは戦後の労働問題研究と社会福祉研究を比較して、両者の特徴―違い―を描いてみたい。そこから浮かび上がってくる共通する部分にも触れてみたい。

対象としての階層
 社会階層を乱暴に3等分して、上層、中間層、下層に区分すると、戦後の労働問題研究は、主として中間層に焦点を当ててきた。社会福祉がもっぱら下層の中の更に下層部分に注目したことと対照をなしている。このような研究対象の分離がいつ頃、どのような経緯で行われたのかは、興味深い。分離の画期をなすものは、占領終結間もない1950年代前半のことであったように思われる。1953年の孝橋正一『社会事業の基本問題』は当時の社会政策論の「言葉」を使わざるを得なかったが、社会福祉を労働問題(社会政策学)から自立した独自の領域として設定せしめたいという願望に満ちていた。1956年の岡村重夫『社会福祉学総論』は、経済学等社会科学の主流を等閑に付して社会福祉学を確立しようと意図した点で、よりラディカルであった。他方、労働問題研究も1950年代前半に政策学から脱皮していった。すなわち、この時以後、社会福祉研究と労働問題研究は相互に国境を接する外国人として、相互不可侵の平和的共存状態にあった。1990年代末の現在までこの構図は基本的に変わっていない。

 1960年以降も労働問題研究者は、労働者を下層に位置づけたいという願望が強かったと思われる。だが、事実の問題として組織された労働者は、決して弱体ではなかったし、下層でもなかった。(もちろん中間層の内部が同質的だとか、地位が安定的だとかいう積もりは私にはない。)そして、多くの場合、労働者も労働問題研究者も一般的な福祉充実への関心は希薄であった。他方、社会福祉研究者は、福祉充実の起動力として労働者に期待することはあったが、しばしば期待外れに終わった。労働組合が福祉充実の戦闘部隊になりえない点については、労働問題研究者も社会福祉研究者も労働者が抑圧されていて「真の力」を発揮し得ないのだと見なした点で一致していた。

 1960年代後半以後、いわゆる能力主義管理をめぐって戦後生まれの労働者に対して「私生活型合理主義」という性格付けがなされたが、そのような労働者が階層的にどのように位置づけられるのかは不分明であった。福祉研究者は「豊かな社会」の到来と「「中流」意識」の拡延を認めつつ、「新しい貧困」を注視した。「福祉ニーズの多様化」「「相対」的貧困」といったタームで、中間層の生活問題に注目するにいたった。この点は社会福祉研究にとって大いなる飛躍であった。だが、既存の福祉諸制度の認定基準の拡大という量的拡充に主たる関心があった。そこでは新しい貧困も貧困であることには変わりはないのであるから、既存の貧困政策に包括すべきだという姿勢であった。

 1980年代は、労働と福祉の両方において混迷の時代を迎えた。労働問題研究が1980年代にほとんど何の摩擦もなくホワイトカラーを研究対象に包含し得たことは、中間層と上層との境界が不明確となったことを象徴しており、下層を研究対象としてきたと自己認知してきた伝統的な労働問題研究の動揺を示すものであった。

 一方、同時期の社会福祉研究は中間層の福祉ニーズの充足問題という新たな課題が提起され、混迷した。「受益者負担論議」もこれが背景にあり、社会福祉理論の再編成に迫られた。

主体、変革主体
 労働問題研究が、〈主体性〉という言葉に込める意味は生産力からみた「経済復興の主体」であったり、政治力からみた「民主主義の担い手」「社会主義革命の中心部隊」などであった。特に〈変革主体〉ということになると、これは民主主義革命または社会主義革命の担い手という意味で使用されていた。ただし、研究者が使用する主体性とは「主体形成」という言葉にみられるごとく、未だ実現されていない理想的な労働者のありようとしてイメージされることが多かった。理想的な主体像からみると現実の日本においては主体は未形成であると観念されていた。その根拠は、企業別組合の存在および日本の労働者特有の階層的上昇志向に求めている。

 社会福祉研究における主体とは、行政機構と区別されるという意味でのいわゆる住民のレベルで想定されるものであった。労働よりも生活に重点を置いていた。そこでは自治意識・参加意識や福祉意識・権利意識の高い住民の増大が望ましいとされた。だが、現実の「主体」のあり様は意識が低く、理想からはほど遠い段階にとどまっていると見なされている。そこには戦前以来の伝統的な価値規範が戦後も生き残り続けていることをどのように捉えるのかが研究の課題であり続けてきた。また、社会主義の担い手としての住民という位置づけも皆無ではなかったが、実際の住民が〈体制問題〉を議論した例は少なかった。実現されていない理想としての「主体」を追い求めるという点では福祉研究も労働問題研究と同様であった。ここには戦後においても近代化しえない日本人の伝統的特質が残存している点では両研究は共通の認識を示している。

 1990年代に入って、労働と福祉の主体像のギャップは広がったように思われる。社会主義体制の崩壊により、労働問題研究はあるべき主体のイメージが描きにくくなった。これに対し、社会福祉研究は〈生活〉という日常性に焦点をあてることにより参加型住民像を強く押し出すことで再生をはかった。ただし、〈少子・高齢化〉の進展のもと対象も下層から国民全体へと急激に拡張しているので、かつての主体とは内容が大きく異なり、理論の再編成を迫られているし、伝統的な価値規範が残存し主体が成熟し得ないという思いはある。とはいえ、主体の混迷は労働問題研究において甚だしいように思われる。

自由と平等
 自由と平等に関して両研究の懸隔は大きい。労働問題研究の場合、自由は組織の自由(組合活動の自由など)に重点が置かれたが、集団的労使関係の枠組みが個人の取引契約の自由を拘束するものであったため、自由についての論及は極めて限定された。一方、平等に対する労働問題研究者の評価は分裂している。多くの研究は戦後日本の労働者が平等主義的価値観を抱いた事実を確認しているが、決して肯定的ではない。職工混合組合論などに見られる肯定的な評価と同時に上昇主義的な平等主義には否定的な評価を下す論者もいる。本報告が念頭においている研究も多かれ少なかれ平等主義の弊害を指摘している。

 社会福祉研究においても自由の取り扱いは慎重であった。経済的自由に関しては否定も肯定もせず、黙認したというのが事実であった。福祉研究では個人の内面の自由を尊重したといってよい(人間の尊厳という言葉がしばしば使用された)。これに対して平等は最も重要な価値とされたが、その平等の内実は「無差別平等」といった恣意性を排除し客観的なルールを厳格に適用するといった意味で使用されるか、すべての国民の結果の平等を要求するような普遍的で一般的な平等を掲げるか、という素朴な平等論が一般的であった。だが、平等を橋頭堡にして社会福祉を位置づけようとする姿勢は今日まで一貫している。平等を重視する福祉研究者にとって労働組合の利己主義的な行動は場合により平等主義に抵触するものとして嫌悪されてきた。

まとめ
 福祉国家と労働組合がアプリオリに親和的な関係を取り結ぶことができない点については1970年代後半に早くも栗田健氏が警鐘を鳴らしていた。この報告でもこの点を追認せざるを得なかった。この報告では主として労働問題研究と社会福祉研究の異質性を摘出せざるを得なかった。おそらくその異質性は、労働者/組合が全体社会の福祉にとってどのような意味を有するのか、という問題を労働問題研究者に突きつけているのではないだろうか。
 だが、同時に共通性もあるように思われる。それは戦前以来の伝統的な価値規範・行動様式が、生き残り続けているのではないか、という思いである。ただし、社会福祉研究においては、やや楽観的に伝統的価値観を克服することが語られることが多かった。これに対し、伝統的価値観をどのように受け止めるのかについて労働問題研究者の間の振幅は無視できないほど大きいように思われる。

 

関連業績

論文

「米国対日救済福祉政策の形成過程」、「SCAPIN七七五「社会救済」の発令」「生活保護法(旧法)の形成過程」、『社会科学研究』第45巻2号、3号、第45巻5号(三部作)、1993−4年。
「占領期の民生委員と地方軍政部―無差別平等の名誉職裁量体制の運命」『社会事業史研究』第24号、1996年。
「英国における福祉専門職の現状−DipSWの養成と機能」、長寿社会開発センター『高齢社会における社会保障体制の再構築に関する理論研究事業の調査研究報告書〈第2部会〉』1997年。

翻訳と解説
  トシオ・タタラ『占領期の福祉改革』、筒井書房、1997年(古川孝順氏と共訳)。
  『GHQ日本占領史 第23巻 社会福祉』、日本図書センター、1998年。

 



テーマ別分科会1 戦後日本労使関係史像 報告2

近年の労使関係研究が見落としたもの─イタリア労働組合運動史の観点から

斉藤隆夫(群馬大学)

 

    

はしがき

私に日本労使関係研究の諸著を全体的に評価する能力はない。従って、以下に挙げる諸著について、イタリア労働組合運動史の史実をベースとしながら、二、三の問題点ないし感想を述べて責任を果たしたい。

栗田健『日本の労働社会』(東大出版会、1994年――以下、栗田と略)

兵藤 釗『労働の戦後史(上)(下)』(東大出版会、1997年――以下、兵藤と略)

熊沢誠『新編、日本の労働者像』(ちくま学芸文庫、1993年――以下、熊沢1と略)

同 上『能力主義と企業社会』(岩波新書、1997年――以下、熊沢2と略)

下山房雄『現代世界と労働運動』(御茶ノ水書房、1997年――以下、下山と略) (敬称を略させていただきます)

T. 論点1 労働者の能力主義競争「受容」の契機について

1.栗田においては、日本の近代化過程で形成された労働者の価値観・行動様式に求められる。

 従って、戦後日本の労働組合史において労働者間競争規制の試みと考えられる諸事例は労働者の価値観・行動様式にそぐわない組合政策とされる。

2.熊沢においては、労働者間競争規制の試み、ひいては職場社会の企業からの自立の可能性は否定されていない。

 しかし、この可能性が結局は実現されなかった理由は、労働者による戦後民主主義受容の在り方に求められている。




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