社会政策学会史料集



社会政策学会第八回大会記事
       (国家学会雑誌第二十八巻第十二号掲載文より増減す)

同会文書係
 伊藤重次郎
 石川文吾
 森戸辰男
 河津暹
 我社会政策学会は十一月七日、同八日の二日を卜し東京帝国大学法科第三十二番教室に第八回大会を開く。第一日を以て小農保護問題に関する討論に充て、第二日を以て会員講演に充つること例年の如し。会員の自由討議を公開せざること亦昨年の如し。我学会の趣旨漸く天下に知られ、この種の問題に興味を有するものは大会の開かるゝことを翹望して已まざるを以て、前後二日に亘り会場立錐の地なく、来賓も亦甚だ多かりしは本会の私に光栄とする所なり。本会は益々奮励して其趣意を貫徹するを勉めざる可らざるなり。本会の予め定めたる順序は次の如し。
 社会政策学会第八回大会順序
 第一日 十一月七日(土曜)午後一時
 東京帝国大学法科第丗二番教室に於て開会
一 開会の辞 東京法科大学教授法学博士 金井延君
一 討議 小農保護問題
 報告者
 東京農科大学教授農学博士 横井時敬君
 東北農科大学教授法学博士 高岡熊雄君
 法学博士 添田寿一君
 会員討議
 第二日 十一月八日(日曜)午前九時
 東京帝国大学法科第丗二番教室に於て開会
一 講演
 都市交通と都市社会政策に就て 小樽高等商業学校教授商学士 坂本陶一君
 大塞耳比亜主義 東京法科大学教授法学士 吉野作造君
 日本の農業と社会政策 神戸高等商業学校教授 津村秀松君
 社会政策の実現策 ドクトル・オブ・サイエンス 植原悦二郎君
 少年犯罪と其防遏策 早稲田大学教授 井上忻治君
 倫理並に心理より観たる社会的立法 東京高等商業学校教授商学士 藤本幸太郎君
 資本の移動と貿易の変調 慶應義塾大学教授衆議院議員 堀切善兵衛君
 英仏開戦の際に於ける両国大小農制度に関するアーサー・ヤングの研究 法学博士 福田徳三君
一 第九回大会委員の選定
一 閉会の辞
一 懇親会
 午後五時より大学集会所(山上御殿)
一 縦覧 十一月九日(月曜)
 東京廃兵院
 巣鴨監獄
右の予定は諸種の事情より実行上次の如き変更を見たり、尚各演者の発壇順序及時間を掲ぐれば次の如し。
第一日(十一月七日)午後一時十分開会 新渡戸博士、矢作博士、窪田学士、桑田博士順次司会
一 開会の辞 桑田博士 自一時十三分 至一時二十三分
一 小農保護問題
 報告第一席 高岡博士 自一時三十分 至二時三十分
 報告第二席 添田博士 自二時三十三分 至四時〇五分
 報告第三席 横井博士 自四時〇六分 至四時五十八分
 会員討議 矢作博士 自四時五十九分 至五時十分
 午後五時十分散会
討議会 山崎博士司会(非公開)
 午後六時半開会
討論者左の如し。
 第一席 横井博士 自六時三十五分 至七時五分
 第二席 高野博士 自七時六分 至七時十一分
 第三席 高岡博士 自七時十二分 至七時十九分
 第四席 横井博士 自七時二十分 至七時二十二分
 第五席 那須学士 自七時二十三分 至七時二十七分
 第六席 気賀教授 自七時二十八分 至七時三十一分
 第七席 横井博士 自七時三十二分 至七時四十一分
 第八席 伊藤学士 自七時四十二分 至八時十八分
 第九席 矢作博士 自八時十九分 至八時三十九分
 第十席 福田博士 自八時四十分 至九時
 第十一席 矢作博士 自九時一分 至九時二十一分
 第十二席 福田博士 自九時二十二分 至九時三十五分
 第十三席 横井博士 自九時三十六分 至九時四十一分
 第十四席 田中博士 自九時四十二分 至九時五十四分
 第十五席 高岡博士 自九時五十五分 至九時五十七分
 第十六席 矢作博士 自九時五十八分 至十時二分
 第十七席 田中博士 自十時三分 至十時七分
  午後十時十分散会
第二日(十一月八日)午前九時十三分 桑田博士、稲田氏、添田博士順次司会
 講演
 第一席 井上教授 自九時十三分 至十時十一分
 第二席 坂本教授 自十時十二分 至十時四十七分
 第三席 吉野教授 自十時五十分 至十一時三十四分
 第四席 津村教授 自十一時三十五分 至十二時十三分
 休憩
 午後一時十三分開会 山崎博士、津村教授順次司会
第九回大会委員の選挙
 山崎博士は次回大会委員として左の諸氏を指名せり。
 金井延 渡辺鉄蔵 石川文吾 工藤重義
 柳田国雄 米田庄太郎 田崎愼治 気賀勘重
 井上忻治 桑田熊蔵 中島信虎 高野岩三郎
 計十二名
 講演
 第五席 植原ドクトル 自一時十七分 至二時
 第六席 藤本教授 自二時一分 至二時三十七分
 第七席 堀切教授 自二時三十八分 至三時二十三分
 第八席 福田博士 自三時二十四分 至四時二十九分
閉会の辞 津村教授 自四時三十分 至四時三十一分
 午後四時三十一分閉会
今各演者所説の大要を摘記せんに、
桑田博士の開会の辞。桑田博士金井博士病気の為め出席すること能はざるが為め代はりて開会の辞を陳べらる。其要に曰く本会大会を開くことこゝに八回なり。第一回は本講堂に於て工場法につきて討議する所あり、爾来官私諸学校を煩はして本会を開き来れり、今や再び本講堂に諸君と見ゆるを得たるは今昔の感に堪へざるなり。過去七年間に於ける我国に於ける社会政策の変遷を回顧するに、工場法は幸に輿論の容るゝ所となり、制定を見たるのみならず、今議会に提出せらるべき予算の中に実施の費用として五万円を計上せらるゝと聞く、議会の協賛を経ば実施せらるゝに至るべし。本会としては大に慶ばざるを得ざるなり。而して初め社会政策の意義明ならず、我会員を以て社会主義者と同視するものなきに非らざりしが、現今に於てはこの種の誤解なきに至れり、特に先帝陛下の下し賜へる紀元節の詔勅は社会政策の趣旨に合するものにして、学者と雖も之に一語の加へ得べきものなし。かくの如く社会政策の意味は普く社会の認むる所となりたれども、事業としては産業組合あり、済生会あり、工場法の制定あり、鉄道並に専売局の共済組合あり、内務省の救済組合あり、今又少額保険の運動あり、多少見るべきものありと雖も之を欧州諸国と比較するに著しく懸隔せるを見る。現に我国に於て社会政策の為め費す所百万円を超えず、英国の救民費二千万磅同養老保険費千二百万磅、独逸の労働保険費五千七百万馬克、仏国の労働省の経費一億一千万馬克と比較するに霄壌も啻ならざるを覚ゆ、我徒は大に努めて事業として社会政策を実現せざるべからず云々。
 高岡法学博士は討議問題の第一報告者として発壇、洗練したる弁舌と沈痛なる態度とを以て次の如き報告をなせり。従来我学会に於て討議せられたるは工業に関する社会政策にして、農業に関する社会政策は顧られざりしが如し、然るに今回小農保護問題を討議せらるゝに至りしは大に欣ばざるを得ず。予は本問を四部に分ち、第一部に於て小農の意義を明にし、第二部に於て府県に於ける小農の位置を明にし、第三部に於て農業経営の変遷を論じ、更に第四部に於て小農保護の要点を挙げんと欲す、小農の意義は学者の間に異論あり、種々の標準に由りて之を定むと雖も予はロッシャーの解釈を以て最も穏当なりと信ずるものなり。即ち小農は農場の主人が其家族と共に農場に出で自ら農業に従事し他より労働者を雇入れざるものを云ふ、大農に至っては農場主は専ら其経営に当り農業は労働者をして之に当らしむるものなりとて、学者の説を引照して其意味を詳説し、第二部に入りて農家を養ふに足る最少面積は北海道にては二町五反歩なれど、府県に於ては一町五反歩即ち水田八反畑七反なるが如しとて、詳細に統計を以て詳説し、第三部に入りて、我国農業者の数は年々増加すと雖も、比較的多数は最少面積以下を経営するものなり。従って近年農業経営の変遷を見るに、五町歩以上を経営するものと、五町乃至二町歩を経営するものと、二町乃至五反歩を経営するものと、五反歩以下を経営するものとの四級に分つ時は、二町乃至五反歩を経営するものは増加するも、其他は減少する勢あり、而して其の変遷の勢は固より地方によりて同じからざるなり。概してかくの如き勢あるは何ぞ、二町歩以上の経営が減少したるは蓋し農産物の需要が増加したる為に経営が集約的となりたると人口増加の結果大経営が減少したること重なる原因なるべし、五反歩以下の経営が減少したるはかくの如き小面積の土地を経営するも到底利益あらざればなり。このこと、特に注意するを要す。第四部に進みて、小農の経済的並社会的位置を改良するには種々の施設を必要とす、小農の経済的位置を改良するは第一には農業経営より生ずる収入を増加すること肝要なり、其目的を達するには農業経営の面積を拡張するを計ること最も肝要とす、或は農業が為に粗放に流るゝ恐なきや憂ふるものあれども決して然らず。農業経営の収入を増加するには農耕地を広くすると共に現農耕地の利用を計らざる可らず、特に農民をして人口稠密の地方より人口稀薄なる地方に移すを最も必要なりとす。小農保護は之を以て尽きたりといふ可らず、農業者の収支を合理的ならしむることを努めざる可らず、其目的を達するには(一)農民の品質を改良すること(二)農業の経営を改めて種穀のみに専らならしめざること(三)副業の奨励(四)販路拡張販売方法の改良等最も必要なりとす。而してこれ等の理想を実現するには政府当局の奨励先覚の後援等望ましと雖も更に最も有効なるべきは農業者の自覚にありと結べり。
 第二報告者として添田法学士は高岡法学博士に次で発壇、明快流暢なる弁を振ひ小農保護の必要を説くこと最詳細なり。特に小農保護の必要なることを証する為めに英国の農業及び土地制度の沿革を詳説せり。英国の農業の沿革は遠く十一世紀の古昔より今日までに及びたるが故に之を紹介すること困難なるのみならず却て誤を伝ふる虞あるが故に之を報告速記に譲り茲には其論旨のみを紹介するに止むべし。博士は小農に関する高岡博士の解釈を却けて、農業経営が農場主自ら農耕に従事すると否とに由りて之を区別するは穏ならず寧ろ耕地面積の大小に由るを適当とすと論じ、耕地面積一町内外を小農とし一町乃至五町歩のものを中農とし五町以上のものを大農となすを可とすとなし、我国の経済其他の事情を以てしては小農は大農に比較して適当なりといはざるべからず。之を分配の方面より見れば小農の多きは社会中層のものゝ多きを示し従って社会の基礎の鞏固なるを示すものなり、農業経営よりいふも米国の如く土地面積の広き所は知らず我国に於ては小農を可とすとし、更に政治上軍事上衛生上道徳上社会上の諸項に分ち、東西の実例を引きて小農の大農に比して優れる所以を説きたり。之を英国の沿革に徴するに、英国にては大農制を優れりとし、之が勢を助長すべき制度を漸次採用し従って小農の存廃の如きは之を顧みる所なかりき、従って土地兼併の弊は夙に之を認むるとを得たりしも、十八世紀の末葉より工業が驚く可き勢を以て発達したりしかば農業制度の優劣の如きは殆んど等閑に附したりき、其結果農業の衰退したりしは勿論社会上政治上軍事上道徳上夥多の弊害を見るに至りしかば、近年に至り遅蒔ながら小農保護に関する幾多の制度を設くるに至りしなり。由是観之我国に於て小農保護を計るは社会政策上必要なりと説けり。
 第三報告者横井農学博士は添田博士に次で其薀蓄を吐露して小農保護の為めに気焔を揚て曰く、余は小農を解して主として労働に依り生計する農業者とするものなり、即ち自己及び家族又は家族以外に尚雇人を使用して親しく農事に従事するものを意味するものにして、他人に農耕をなさしめ自ら監督の地位に在るもの即ち大農と区別せんと欲す、而して吾国には五反以下の土地を有する農業者最も多きものゝ如く、是等の中都会に近き地に在るものは蔬菜を此の土地に作て都民に販売するを得るのみならず、其の余暇を利用して収入を謀る機会亦存するを以て生計比較的容易なり、都会を距る事遠きも山林に近きものは又山仕事に依り生活を助くる途あるを以て其生活幾分容易なるも、都市にも遠く山林にも遠き中間の地にある是等小農の生計は最も憫むべきものあり、然るに吾政府が是等農民に対する保護は甚だ薄きの感あり、農工銀行の設立は農民を利するを目的とせるものなれども、実際に於て現時の農工銀行は其特色を失ひ来り、農民を利せざるのみならず却て其の存在の結果農業者の為に謀らんとする金融機関の発生を妨ぐるの感あり、或地方にては所謂正条植ゑを強制して植ゑ方宜しからざる者に罰を加ふるの例ある如き無用の干渉も亦甚だしからずや、是等農民の窮迫につきては彼等自身の不心得も亦因を為す所あり、例へば田舎の常として冠婚葬祭等の機会に於て無用に大金を費すが如き之なり、されど外部より加へられたる圧迫亦大に与かる処多し、祠堂金奉納金等の名目の下に宗教家の課する処の負担、赤十字・武徳会・愛国婦人会等に殆強制的に加入せしめられて生ずる失費、其他都会の地より入り込む多数の押売り人が彼等に蒙らしむる費用決して些少にあらず、而して地方警察官吏は平常村芝居や盆踊りに極端なる制限を設けて彼等の娯楽を制止することには注意到らざるなきに拘らず、是等小農の膏血を絞る〔虫+牙〕虫の如き徒の跳梁に対しては殆何の取締をもなさざるなり、吾国の教育は亦農民に幾多の不利を与ふるものなり、特に農家に適切なる教育を為すにあらずして教育の為めに教育するが如きは無用にして又有害なり、其の結果として農家の負担は加はり却て優良なる子弟は続次田園を去りて都会の地に入るに至るべし、今次の如き米価下落の日に於て是等小農の苦痛は一層甚だしきものあり、或は他日米価上騰の日を待ちて売らば可ならむといふものあらんも、斯くの如きは農民の決して堪へざる所にして、彼等にとりては租税の支払肥料代の返付等に要する資金は収穫を売りて始めて得らるゝの状態に在るを知らざる可らず。斯の如くにして吾小農は塗炭の苦境に在り、牧畜は普通にあらざるも之に代るべき養蚕弘く行はれ、此他にも不充分ながら各地それぞれの副業もあり、生産は増し収入は殖えつゝあるに拘はらず、支出の増加最も甚だしくして却て生計難の声高し、此の儘に放任せらるゝに於ては吾国の小農は減せざるを得ざるべく、吾農業は衰へざるを得ざるべきなり。
 以上を以て報告を終へたれば尚時間の許す限り会員をして意見を陳べしむることゝし、其余は夕餐後討論をなすことゝせり。
 矢作法学博士は司会者の許を得て登壇して其意見を陳ぶ。其要に曰く。大体に於て余は報告者の意見に賛するものなるも、一の述ぶべきは小農の保護以外に小農補充策と云ふべき手段必要ならむ、即ち海外の或国に依りて実行せられ居る如く、小農以下に在る者を保護誘導して小農たり得るに至らしむる事之なり、農業保護の為めに設けられたる機関が予期せられたる目的に副はざるは誠に悲むべき処にして、農工銀行の或るものは其内の有力者の用に供せらるゝものあり、産業組合も其の設立数の多きは功を誇らんとする郡長等が濫造せる結果に出づるもの多く、従って監督行はれざるなり、小農の保護には策なきにあらざるも其の策を適当に実行する人物なきは惜むべきなり、積弊を一洗せん為めには農民の自覚を第一義とすべし、然も農民の思想に大なる感化を有する地方の新聞雑誌が、其事業の性質上常に都色に於て発行せられ、動もすれば農民の利を謀るに吝なるが如き態度ある事は看過すべからざる所なりとす云々。
 時既に五時半を超え討議を継続する事不便なりしかば之にて一先づ休会する事とせり。
 午後六時半大学集会所に於て討議会を開く、出席者数十名、山崎博士議長席に就く、論争の主点は「小農は果して保護すべきものなりや」「保護すべきものとすれば其の緊急適切なる方策奈何」との二問題に関す、論戦席を換ふること十七、之れに費す時間三時間と四十分、寔に盛なりと謂ふべし。
今其の大略を記さんに、
 第一席 横井博士は前出同博士の報告を補遺すべしとて、下の如き諸方策の緊要なるを説く、即ち、農家収入の増加、経費の節減、農産物市場の拡大、穀倉制度の普及、市場組織及商慣習の改善、互助組合、肥料取締、米価調節、穀物検査、負担の軽減、水利の改良、農村の宗教教育衛生及一般習俗の改良、小作農保護、共有地の保存、土地売買の制限、農業保険、家産制度、選挙区及選挙取締、兵役、関税、交通に関する方策等にして、その項目殆んど三十に達す(三十分)
 第二席 高野博士は高岡博士に対しては、報告中に省略せられたる消極的政策の内容を明にし、且農民の自覚を喚起すべき具体的方法を説明せんことを望み、横井博士に対しては多端なる諸案中何者が現状救治の策として緊急適切なるやを示されんことを求む(五分)
 第三席 高岡博士は第一問に答へ、消極的政策に就ては添田横井両博士の遺憾なく説破せられたる所なるが、余は農業者をして一層勤勉ならしむること、又所謂農民の負担特に宗教に関するものの軽減を最要なりと考ふ、農民自覚の喚起に就ては、普通教育及初等農業教育の進歩を竢ちて初めて達し得べく、更に附言すべきは、副業の農業に対する悪影響なり、これ副業盛大なる地方の実情の例証する所にして、農業経営を拡張し、以て全力をこれに致させなば、此の弊を嬌むるに庶幾乎(七分)
 第四席 横井博士は高野博士の質問に答へ、農村の改善は各種方策の相伴ひ行はれて初めて達せらるべく、特に一二を挙ぐる能はず、されど禍源は官民共に真面目の心を失ひたるにあれば、吾人目下の急務は、先づ現状を批判し、忌憚するところなく其の短を挙げ、その妄を弁じ、公私の反省を促すに若くはなしと(三分)
 第五席 那須学士も亦農村は地方的特色多く概括的方策を論ずるも効少く、具眼の士、よく地方的事情を攻究し適切の策を施すを以て最上の策なりとす、農民自覚の喚起に就きては教育と共に産業組合の効果大なるべく、農業金融の普及、農家の次男三男の処分、及村医制度の研究、また、大に重要なるを説く(五分)
 第六席 気賀ドクトルは質問して曰く、横井博士は田舎疲弊の原因を所謂ゴロ的〔虫+牙〕虫の跋扈に帰せられたるが、如此寄生的浮浪階級を醸成したる原因如何(三分)
 第七席 横井博士答へて曰く、所謂ゴロ的〔虫+牙〕虫の発生は、一方封建の余弊を受け、他方県会政党の悪影響を被り、又農村利益の保護のため時として斯の如き者を必要としたる等の事情も、此の機運を促進したるべし、官公吏すら往々にしてゴロツキ化せんとする現在に於ては、特に農民利益の真の保護なきを最大の憾とすと(九分)
 第八席 伊藤農産課長は、各地方に対する政策を画一に示すは不可能なれど、ある程度に於て共通の点あるは疑を容れずと前提し、経済的方面に在りては産業組合の奨励を第一とし、欧州各国に於て組合運動の見るべきは悉く小農地方なり、我国の過小農の程度は欧の比にあらず、組合運動の必要愈々切なり、されば単に現在の不振を以て将来を悲観するは聊か早計に失すと考ふ、次に述ぶべきは、金融政策なり、政府の郵便貯金奨励の如きは、地方の資金を吸収して都市に集中し、田舎金融を阻害するの譏りなき能はず、之れに対し小額なる低利資金融通の如きは殆んど何等の効力なけん、而して農家金融の潤沢は米価を調節す、蓋し日本米はその性質上独専的食料品にして、年の豊凶が市価に及ぼす影響逸大なり、されど連続せる二ヶ年の平均を見れば略平作に近きものあるを以て、農家にして金融の道を得、過剰米の翌年に持ち越し能ふとせば、需給其の均整を保ち米価の動揺その度を減ずべし、尚副業を否定する人あれども、余はその弊を嬌むるに努めば小農救助の一策なりと信ず、技術的方面にありては乙種農学校の改善を急務とす、独逸に於ける冬期農学校の制に倣ひ、年限を短縮し課目を簡単にし、現実に農耕に従事しつゝあるものゝ技術的開発を努むべし、又小学校と家業との連絡を計り、在学中より農業に親むの習慣を養成し、且農業学校卒業者の修得せる知識を実習せしむべき設備を造り農事研究の発達を促進するを要すと(三十六分)
 第九席 矢作博士は南独北伊の実例を引証して小農保護のため宗教家の活動すべき余地の大なるを述べ、識見と温情とに富める宗教家の助力を竢ち、農民は物質的幸福と併せて精神的慰安に与り得べしとなす、なほ日本人は私情に泥みて公義を行ふ能はず制度完備して実績揚らざる我国の諸制度はその禍源を此処に遡り得べし、農業教育に関してはデンマルク国民高等学校に学ぶべく、人格ある教師により適切なる課目に付き有効なる教授をなさば、極めて短期間に於て其の目的を達し得べく殊に教育と実際生活との連絡に注意するを要す(二十分)
 第十席 問答数次の後、談は小農保護可否の根本問題に遷る、先づ火蓋を切りしは福田博士なり、曰く、諸君の議論を聞くに悉く我田引水なり、党派的なり、社会政策学会に於て云ふべき論にあらずして農会に於てすべきものなり。横井博士の縷々数万言よく小農の窮状を示して余薀なしと雖も、この事実は、又、小農の経済的存立の不能を語るにはあらざるか、小農減少はその証左なり、小農の不振は斯の如き農業経営給養力を欠ぐに職由す、かくて生ずる余剰の農民は転じて商工業に行き以て自活の道を求むるに若かず、大農の増加と資本主義の圧迫に対する反動として案出せられたる欧州学者の論議を移して直ちに過小農に苦しむ我国に適用するを許さず、救済の道は唯一なり、曰く資本主義の洗礼これなり、かくて小農の減少を見るとも、毫も憂ふるに足らず、寧ろ慶賀すべき事項なり。(二十分)
 第十一席 矢作博士前論を駁して曰く、余も亦大規模経営の利は之れを知ると雖も、農業は商工業と異る特殊の事情存在するにより、中小規模の農業には特種の利益あるを以て、資本主義適用の効果商工業に於けるが如く著しきもの存するなく、且産業組合の方法により幾分大経営の利益を収め得ざるにあらず、尚、現在の小規模農業が給養力を欠如せるは明なるも、幼稚なる我国商工業に余剰農民を吸収する能力ありとも稽へられず、適当なる方法による勢力範囲の拡張を竢ち、大農組織を実行するは極めて望ましきなれど、現下の状勢に於ては退いて余力を養ひ発展を将来に期するに若かずと(十分)
 第十二席 福田博士は再び自説を弁護して曰く、余は土地所有の大小を説くにあらず、経営の大小を論ずるなり、又大農を推賞するにあらず、唯過小農を不可とするなり、保護は反って偸安を生むが故に米価維持策の如きは失当にして、寧ろ米価下落を以て最善の奨励策とす、要は資本主義の洗礼なり資本主義の対立なくしては組合運動も単なる形骸のみ、然りと雖も余は過剰農民の海外発展に賛する能はず、内地商工業は多大の吸収力を有し又有すべし、吾人は外に向ふの前、先づ深く堀るを要すと(十三分)
 第十三席 横井博士は福田博士の最後の語句を引用し、深く堀ること、これ小農なり、深く堀れば一町は五町となり十町ともなる、徒らに面積を拡大せんとのみ考ふる大農論者は此の点を看過せるなり、米価の高きは農業に禍すとの説は当らず、米価高き程農業は改良せられ、生産は増加す、これを商工業と一轍に論じ去らんとするは謬論なり、終りに小農保護を不自然なりとして非難すれども、都会に於ける工業労働者保護と何の差異かある、後者を歓迎して前者を排斥する余其の理を知るに苦しむと(五分)
 第十四席 田中博士は横井博士の説を駁し、小農が無限に生産を増加し得べしと言ふが如き論は、報酬漸減法の作用著しき農業に於て之れを認むべからず、過小農の不可なるには定論あり、我が農政家の執るべき方針は自ら明なり、更に高岡博士に対し耕地拡張方法の説明を求め、終りに矢作博士に対し商工業に吸収力なしと言ふも独逸の実例は如何、過小農保護は工業の発達を妨げ、布いて農村救済の道を奪ふ所以にあらずやと(十二分)
 第十五席 高岡博士は質問に答へ、耕地拡張の方法は耕地面積の増大耕地利用の増加及農民の分配にして、後者は内地殖民、商工業への転業及海外移住の三ありと(二分)
 第十六席 矢作博士亦田中博士の所論に答へ、米価の下落は万能膏にあらず、之れのみによりて直ちに工業を盛大ならしむる能はず、関税の撤廃が海外移民の増加を誘致したるは英独経済史の教ふる所、農民離散し農業萎靡して商工業興らずば、果して何処に国民経済の基礎を置くべき、宜しく全局を達観し暫く保護関税の不利を忍ふに若かず、又現今の如く人口増加の趨勢著大なるに当りては、単に国内移住を以て満足せず海外発展の途を講せざるべからずと(四分)
 第十七席 田中博士は再び自説を主張し穀物関税は工業を阻害し以て農業救済を遅くす、関税撤廃が即時に工業を熾にすると言ふにあらざれども徹廃が一日遅れば工業の進歩一日遅れ農村の救済も亦一日遅る。而して農民の大部分は産米を販売する余裕なきものなれば米価の下落が其の経済上に及ぼす影響は極めて僅少なるべきなりと(四分)、
其他諸氏の間に質疑応答あり議論愈佳境に入るも時に限ありて之を許さず、十時十分解散す、終りに報告者の一人たる添田博士が差支の為め出席せられざりしは特に遺憾とせざる可らず。
 第二日前掲の次第に従ひ午前九時より講演会を開き、津村教授の講演終るや既に正午を過ぎたれば司会者は休憩を宜し、出席会員は同講堂の前に集り紀念の為めに撮影し食堂に赴けり。午後一時十五分再び開会し、司会者山崎博士は次回大会委員選定を会員に諮る。桑田博士は司会者に於て指名すべきことを提案し賛する者ありしかば、司会者は前出諸氏を指名して同大会委員とす。
当日講演の大要を挙ぐれば左の如し。
 第一席 井上忻治氏「少年犯罪と其防遏策」
 時間の都合上余は本問題の攻究を其の消極的方面及び之に必要なる機関論に止めんとす。リストも云へる如く犯罪は社会生活の一形式とも認めらるゝものにして之に加ふるに罰をのみ以てして其の防遏を期する如きは誤れるの甚しきものにして適当なる保護亦併せ行はれざるべからず、此意味に於て近時刑事政策革新運動漸く熾なるが其中最も一般的に世人の注意を惹きつゝあるものは即ち少年犯罪者に対する政策之なり十九世紀後半の刑事統計に従へば少年犯罪の増加は最も顕著にして特に累犯の増加せること甚だしきものありて累犯者は大概二十歳前後迄に初犯を為せるものたることは蓋し児童問題に対する注意を斯くは喚起せる要因なるべし而して本問題を解決する為めには先づ少年犯罪人の一般的特質を究めざるべからず犯罪少年の前身は皆不良少年にして破廉恥、残忍、傲慢、剛情にして浪費を喜ぶ其原因は甚だ多かるべきも概言せば第一生物的原因と第二社会的原因とに分類し得べし生物的原因は先天的なるものにして生れながらに神身の不具なるに原づく此素質を有する少年は固有の悪癖を有す社会的原因は後天的なるものにして所謂 Milieu socialの醸成せる処なり。即ち主として教育関係及び経済関係及び家庭の事情の宜しからざる事之なり少年の意志感情は周囲の情況に依り如何様にも変化するものなるが上彼等には一種の強き模倣心あるものなるを以て教育の如何は重大なる結果を生ず新聞紙、芝居、活動写真の如きは一の社会的教育なるを以て亦与る所甚だ多し、文明の進歩は欲望を複雑ならしむるも此欲望を満足せしむべき手段は同時に増加せざるを以て経済上の苦痛爰に加はり犯罪の機会即ち発生す孤児私生児の如き家庭の暖味を知らざる少年は世を癖み人を猜み犯行を敢てして憚らざるに至る事多し。是等忌むべき傾向に備ふるの策として先づ少年の心理を研究せんに彼等の意志は大人の夫れと異り甚だ動揺し易きものにて或欲情の刺激の下には彼等は突飛なる悪事を行ふを省みざるものなるを以て適当なる手段に依り之を善導する事は必しも難事にあらず従って彼等の罪を責むる為めには特別の裁判所、特別の刑法を設くるの必要あり此点は久しく唱道せられ来れるが千八百九十九年シカゴ市に初めて特別なる少年裁判所設けられてより米国の各地続て欧州の重要なる地に其の設立を見るに及べり米国の学者は犯罪少年を一種の病人と考へ恰も少年の疾病に小児科なるもの存するが如く特に少年の為めに治罪の策の存在を要求したるなり、少年の犯罪者ある時は成年者の如く拘禁を為さざるを原則とす、殊に十五六歳以下の少年には止むを得ざる場合の他は拘禁を禁ずる国少なからず少年裁判所にては犯罪者のみならず家なき放浪児、乞児等凡て無監督の状態にある少年をも管轄するものにして其大なる特色は少年判事の任命にして単独制なるを普通とすこの判事は児童の心理に通じ各犯罪者の性質を親切且つ組織的に研究して其感化を期するものなり。裁判所の模様も普通の夫れと異り全く別の建物を用ふるか或は普通の裁判所を使用すとせば特定の日に於て之を開き裁判所らしく思はしめざるを主眼とす従って傍聴を許さゞるは勿論検事も弁護士もなく只後文述ぶる処の Probation Officer が立ち合ふ他は法服を着せざる少年判事が膝を突き合せ頭を撫でつゝ懇談的に取調べを行ふものなり判事の権限は甚だ広く米国の如きは全く無限にて良心の命ずる所に従って行へば可なるものにして判決期の如き亦定まらざるなり。Probation Officer は裁判所構成の一要素にして米国各都市に一人宛置かれ判事に属して犯罪少年の保護監督に当るものにして犯人生ずる時は其人物犯行の事情等を調査して判事に報告し判事より更に其少年を此官吏に托する旨の決定ある時は彼は或は自ら其少年を監督するか或は自己の信ずる慈善家に之を托し判事の命ずる義務を遵守せしめ其経過を判事に報告し大柢一年間に亘りて監督を為し善果生ぜるものは釈放し然らざれば更に Probation の期間を延長し或は判事より更めて有罪の判決を為すものなり此他感化制度(Reformatory system)に就きても説明の要あれども時間の都合上之を省略する事とせり。
 第二席 坂本陶一氏「都市交通と都市社会政策に就て」
 都市に於ける人口は比年増加しつゝあり従て都市の交通機関は社会政策と離る可らざるものなり、幹線鉄道及び定期船は何れも其の終始点を都市に置くものにして各方面より多数の人口を引き付け来り都市の面積は愈増大し交通機関の発達に自然の要求として現はれ来るものなり而して一方又交通機関の発達に伴ひて都市の面積増殖す然るに都市の発達愈大なる時は都会内の生活は愈無趣味となるを免れざるものたるを以て勢ひ事業地と住居地を区別し終日熱燥の巷に奮闘せる人に朝夕閑寂なる天地に清き慰安を享有せしむる策に出でざる可らず米国の如きは都会に近き風光佳麗なる地方の大地主が自ら鉄道を此地と都会との間に布設し都門の地に活動する人の住居地たらしむる例少からざると共に鉄道業者として都会に近き地に自ら公園を設けて平常黄塵の裡に労働する人々を廉価に紫明の地に清遊せしむるもの亦甚多し。労働者の為めに市内物価高き地を避けて郊外の地に簡易なる生活を為すの途を啓き日々低廉なる運賃にて市内に通勤せしむるは社会政策上重要なる問題なり労働者の多数が種々の点に於て不利なるに拘らず市街の地に住する所以は労働を得るに易き事通勤の為めに時間と費用を要せざるが為めに外ならず労働を得る事の難易は交通機関に関係する事なけれども通勤に当り生ずる時間と費用との損失は交通機関の改善に依りて大なる程度迄除去せられざる可らざるなり。海外殊に英国にては慈善事業又は市営として郊外の地に労働者の為め住居を作り此地と市中との間に便利なる交通機関を設けて吾人の要求を果たしつゝあるもの少しとせず。
 第三席 吉野作造氏 「大塞耳比亜主義」
 今次欧州大乱の勃発するに至りし導火線は墺国皇儲大公及同妃暗殺にあることは人の汎く知る所にして事のこゝに至りたる所以のものは大塞耳比亜主義の運動にあることも亦概ね知悉せらるゝ所なり。雖然所謂大塞耳比亜主義とは何ぞやといふに至っては其真義解せられ居らざるに似たり。抑も大塞耳比亜主義とは二箇の事実を前提とす。即ち塞民族が一箇独立国を形成せること並に其独立国以外に塞民族存在すること是なり。今日所謂塞耳比亜民族なるものゝ範囲を尋ぬるに之を広義に解すれば南方スラブ民族中よりブルガリア人スラヴォーネン人を除きたる残りの全部なり。然るに此広義の塞民族は実は東亜の二団に別れ居り互に異りたる文明を有す。即ち東の一団はモンテネグロ、ボスニア、ヘルツェゴヴィナ、及セルヴィアを包含するものにして之を狭義のセルヴィア民族とし、世間普通に称せらるゝ塞民族とは即ちこれなり。之に対し西に在るものとはクロシア人なりとす此東西の二団はもと同一民族なりしも後のクロアシア族となりしものは平坦地に居りし為め疾く団結して国家を形成し十世紀に至り始めて王と称するものを戴くこととなりしが十一世紀末より匈牙利王クロシァ王を兼ねるに至れり。狭義にいふセルヴァ即ち東の一団は山岳地に在りたる為め団結し難く国家を成す之とも亦遅く十三世紀に至って始めて今のセルヴイアの地に一独立国を成すに至れり。十四世紀の初バルカンのシャーレマンと称せらるるステファン、ドウーシャン出で殆ど全バルカンを支配したることあり(是今日大セルビア主義者が回想して当時の盛況を再現せんとする因をなせり)しが其領土は彼の死と共に四分五裂し、塞耳比亜国は竟に土耳古国の一領として十九世紀初に至しが、一八〇四年独立を初め一八三〇年全然自治を得たり。かくて漸く大塞比耳比亜主義を興すに至りしが、一方クロアシアに於ても一八四〇年頃より匈牙利と分離して純然たる独立国とならんとする運動を起せしが一八六八年終に匈牙利との妥協成りてより其運動は変じてクロアシアに加ふるにスラヴオーネン人を以て之を打て一丸の国家となし之を墺匈国なる二連立国家に参加せしめて以て三国鼎立国家を形成せんとするに至りぬ。殊に此機運は一八七八年ボスニア、ヘルツェゴヴィナが墺匈国に合併せらるゝに至りてより一層確実優勢となり来れり。然るに如斯ツリアリズム主義が優勢となり確実となり行くことは年来塞耳比亜国が夢想せる大塞耳比亜国を形成すべき主たる部分を奪ひ去り行く実情となり結局大塞耳比亜主義の実現を挫折せしむべきものなるが故に茲に塞耳比亜は猜疑嫉妬の眼を以てツリアリズムを視ることとなり最近一九〇八年に至り愈墺匈国が完全にボスニア、ヘルツェゴヴィナを合併するに至りてより愈此主義の発展を妨げんとするに至り終に該主義の最も有力なる後援者を以て目せらるる墺太利国皇儲大公を暗殺するに至りしなり。
 第四席 津村秀松氏「日本の農業と社会政策」
 農村の疲弊を救ふの方策として耕地整理とか農具の改良とか種子の改良其他種々の案を唱ふる者あるも、是等孰れも先づ低利資金の存在を前提とす。然るに近時種々の改良案の唱へられ試みらるゝものあるに拘らず、実効の見るべきに至らざるは職として低利資金の供給乏しきに因らずんばあらず。勧銀総裁の演説に由れば我国農民の負債総数額は十五億にして其中勧銀及府県農銀より貸出せる金額僅に三億三千六百余万円のみ其他大部分は決して低利といふ可らざるものなり。其利率は事実如何程なるやは確知し難きも数年前農商務省が関東にて一部の地方と関西にて一部の地方とに就て取調べたる結果に由れば利率は平均一割二三分乃至一割五分に上れりといふ。以て一般農民の使用せる資金が寧ろ高利なるを知るべし。而して最近某所の調査に由れば我国農民の生活費は一人一日十銭に上るものは甚少部分にして平均は約八銭なりといふ資力の薄弱なる実に言語に絶す。政府が種々の施設をなすも農民にして改良を実行する資力斯の如く乏しきに於ては其効果の挙らざる蓋し当然といふべきのみ。
 農事改良を行ふの困難なるに就ては一個本邦特有の事実あり。欧州大陸の如きに於ては大規模経営、大地主にして多数は自作農なるに我邦は小規模小地主にして大地主は悉く小作せしめ中地主も亦多く自作せず、これ欧州に於て有利なる改良工夫も直ちに本邦に採用すべからざる一大原因にして彼に在りては地主自ら改良の資力もあり且つ経営者として改良の利を収め得べきも我邦に在りては地主は単に投資家たるに過ぎず唯利廻を顧みるのみ。特に近来金融機関が中央集権の傾向を現はし来りたると相伴ふて土地所有の上にも亦中央集権の傾を現じ来れり。蓋し日本人が日本米に対する特殊の執着を有するが為め日本米をして全く特殊貨物たらしめ従てかゝる特殊貨物を生産する田地は極て安全なる投資物なりとの信念を懐くに至らしめたると同時に地方の人士は交通機関及商業組織の発達に由り株式買入を悦ぶ風流行し来り茲に田畑は従来の田舎の農家の手より漸次都会の投資家の手に移ることとなり此事実は近年の統計上(イ)自作農盛減−(ロ)大地主増−(ハ)兼業農増加することの三点に由りて明に示されつゝあり。事茲に至っては益農業的投資家の特色著しくなり所謂地主連中の運動しつゝある事はつまり投資家自身の利益のみにして実際困窮せる農民の為には何にもならぬのみか寧ろ苦痛を増す様な次第となる。試みに見よ地主は米価の低落を防がん為に関税を課するに努むるに非ずや、又彼等は地租軽減に奔走するに非ずや又彼等は農工銀行等の重役となり所謂低利資金を借り出して之を囲ひ米の元手となし米価の釣上げ策を講じ或は同資金を以て土地を買占め又は甚しきに至っては此資金を以て活動写真館を建設するが如き実例あり、かくの如くんば百の改良案も幾億の低利資金も竟に其効を成す期なかるべきなり。
 第五席 植原悦二郎氏「社会政策の実現策」
 社会政策を研究するは之を実現するに必要なるに相違なしと雖も芸術等と異りて之が実現機関の研究を等閑に附すべからず。
 社会政策は多くの場合政府の力に依りて実現せらるゝものなれば、実現機関の研究とは政府の研究を意味するものなり。其研究の必要なるは夥多の例を以て説明するを得べし。一二の例を挙ぐれば同じ鉄道国有の場合に於ても、民主国と我国の如く官僚が其の経営に当る国とは社会公衆に対する関係に於て異らざるを得ず、労働保険の如きも本会の報告者は官営を以て勝れりと論じたれども、政府の組織如何に由りては其の労働者に及ぼず影響同じきことを得ざるなり而して我国の社会政策を論ずるものは欧米に於ける議論政策を移して我国に適用せんとすれども是れ大なる誤謬なり。蓋し自己のことを最もよく知るものは自己なれば、社会政策を行ひて最も効果あるべきものは労働者自身ならざる可らず。労働者が自ら社会政策の実現機関となりて初めて社会政策は最も美しき果実を生ずるを得べきなり即ち社会政策上最も必要なることは国民に由りて国民の立憲政治を作るに在り云々
 第六席 藤本幸太郎氏「倫理並に心理より観たる社会的立法」
 社会的立法とは社会政策の法律の義なり。福田博士は近頃某所に於て今回の戦乱は社会政策の法律を破壊し尽したりと論ぜられたるも予を以て之を見るに平和恢復の曉には幾多の社会的立法を見るに至るべきを信ぜんとす。蓋しこれ等の立法は国民の倫理的社会的心理が実現せられたるに外ならざるなり。之を工場法の制定の由来に徴せよ、当時自由派の思想の影響を受けて工業主は女工幼工を虐待すること甚しきものありて其の最も甚しきに至りては五歳未満の幼児を使用し、眠を催す時は之を水中に投じて醒しめ更に労働せしめたりと云ふ、斯の如く人道に背くことの多かりしが故に社会の倫理的社会的心理は之を許さず遂に工場法の制定を促したり。又之を独逸について見るホルン将軍は工業地方に於ける徴兵の検査成績に由り同地方の青年労働者が健康を害すること甚しきを知り国家の前途上大に憂ふべしとなし之を国民に訴ふる所あり遂に社会の倫理的社会的心理の衝動を促し遂に工場法の制定を見るに至れり。又之を労働保険法の制定の由来に徴せよ、労働者は現今の経済組織の下に於ては自由民なりと雖も其状真に憐むべきものあり労働者が労働し得る間は不完全ながら衣食の料を得べしと雖も、労働すること能はざるに至らば妻子を養ふこと能はざるに至るべし、こゝに於て倫理的社会観念を動すに至れり。然れども、独逸の労働保険法の発布を見る迄には少からざる犠牲を出さざるを得ざりしなり。而して斯の如く国家の暖き手に由りて作られたる労働保険法は労働者の心理に如何なる影響を及したるか大体に於ては良好なる影響ありしことは争ふべからずと雖も尚且つ暗面あることを記せざる可らず、例へば労働者は病気の時は多くの扶助を得るが故に故らに其病気を永びかす傾あり。かくの如きは国家の同情を破壊するものといはざる可らざるなり。要するに社会的立法は良く倫理並に心理より之を研究するに非れば全きを得ること能はざるべし云々。
 第七席 堀切善兵衛氏「資本移動と貿易の変調」
 日露戦争後我国民は財政経済に関し神経過敏となりしものゝ如し。外債十三億円を超ゆ、これ憂ふべし須く輸出を多くして以て正貨の流出を防がざる可らずとは多くの学者政治家に由りて唱へられたる所なり。思ふに輸入の超過するは其超過すべき理由あるが為なり。資本は貨幣に限るに非ず種々のものあり、我国は生産の為に資本の実体を輸入するなり、こゝに於て輸入超過あり、従て外資の輸入を止むれば輸入超過は求めずして止むるを得べきなり。一面に輸入超過を国家の為に憂べしとなすに拘らず一方に外資輸入を奨励するは矛盾といはざる可らざるなり。国民経済の目的は生産を昌ならしむるにあり輸入超過を抑制するには非ず。我国の最も欠くる所は資本なり、生産を昌にするが為に資本を輸入するは毫も憂ふべきを見ざるなり。今次の戦争後は諸国は戦後の経営の為に資本を要するが故に我国は之を輸入すること能はざるべし従て輸入超過は止まるべし之と同時に我国は自ら資本を作らざるべからざるなり。
 第八席 福田徳三氏 「英仏開戦の際に於ける英仏両国大小農制度に関するアーサー・ヤングの研究」
 福田博士はヤングの経歴、人物、並に農業及び経済に致したる功績を叙し、其学説に入り其の不朽の大著としては一七七四年に出版したる political arithmeticと其旅行記特に仏国旅行記を推さざる可らず其旅行記の中にヤングは農業に関する其研究を吐露して尽さざるなし。其の意見に由れば農業を発達し其国経済を隆盛ならしむるは(一)大農制を敷くことにあり小農の如きは私経済よりいふも国民経済よりいふも決して採るべきに非ず(二)共有地を私有地に移すべし(三)三圃農法は土地利用方法としては十分ならざるが故に輪農法に収めざる可らずといふにあり、而して英国は大農法に由るが故に農業の発達を見れども仏国は小農制を採るが故に其の発達を望むこと難しと説くのみならず英国の優れる点九条を挙げ之を外国に移すに当り遭遇すべき障害と其救済法とを論ぜり、又ヤングは人口論と生存権との関係に関してマルサスと異り生存権を認むるなり。マルサスは猥りに人口が増加すれば勢社会多数のものは困難すべく従てこれ等は生存する権利なしとなすも、ヤングは然らずこれ等労働者等は生存権あるが故に之に応ずべき方法を案出せざるべからずといふなり両学者の所説氷炭相容れざる如しと雖もマルサスは人口は natural demandに由りて支配せらると解しヤングは社会人事の demand に由りて支配せらると解するが故にこの結論の差を生じたるに過ぎざるなり従てヤングが小農制を斥けて大農制を推す所以のものこゝに胚胎するなり決して矛盾あることなし。ヤングは英国の富強の原因を説いて大過なしとすれば、昨日来諸先輩に由りて説かれたる小農保護の論は大に疑を以て之を迎ふるの要あるを覚ゆ云々。
 時に五時を過ぎたるを以て司会者は閉会を宣し併せて会員諸氏の中遠く来会せられたるものに対し特に感謝の意を陳べたり。
 同六時予定の如く大学構内山上御殿に於て懇親会を開く、会するもの数十名の多きに上れり高岡、津村、阪本、内池、坂西等遠来の会員諸君を主賓として夕餐を共にす、食後桑田博士は立ちて遠来の会員諸君に対して一応の挨拶をなし本会の益々隆盛となるは会員諸君の熱心の致す所なりといふ之に対し高岡博士は答ふる所あり。其れより明年の討論題につき協議する所あり採決の結果「社会政策より観たる税制問題」につき討論することに決し期日会場等は挙て幹事に一任することに決せり其より種々快談あり歓を尽して散会せり。
翌九日は会員中の有志のものは巣鴨監獄並に東京廃兵院を縦覧せり、両所共特に本会に同情を寄せ種々便宜を与へられたるは本会の大に謝する所とす。終りに臨み帝国大学は本会の為に其の講堂を貸与し種々好意を以て本大会をして成功せしめられたるは本会の感謝する所なり。

〔2006年1月2日掲載〕


《社会政策学会論叢》第八冊 『小農保護問題』(同文館、1915年7月刊)による。





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