社会政策学会第七回大会記事
(国家学会雑誌第二十七巻第十二号掲載文により増減す)
法学博士 河津暹
概 況
大正二年十一月一日並二日、我社会政策学会は第七回大会を明治大学大講堂に開く。第一日は之を昨年大会の際議決せる如く「労働争議」に関する討議に充て、第二日は会員の社会政策に関する講演に当てたり。本年に於て新例を開きしものは、従来会員の討議は之を公開し一般傍聴者に之を聴かしめしが、自然討議に加はるものは社会の誤解を招くを虞り、其態度を明にするに急にして、其問題の骨子につき十分に意見を吐露すること能はざりしを以て、報告者の講演は之を公開するも、会員の討議は会員のみに限り之に参加傍聴せしむることゝし、以て一面には会員をして其説を十分に吐露せしめ、一面には会員をしてよく其問題の真諦を悟らしめんことを期せり。一般傍聴者には多少嫌焉たるものあるやも知れざれども、其目的は実に上述の如きものなれば、学会の趣旨よりすれば或は之を一進歩と称するを得べきが如し。尤も本回之をなしたるは実に試験ともいふべく、若し両三回に亘り之を試みて、成績良好なれば兎に角、若し、良好ならざる暁には再び公開主義を採るやも未だ知る可らざるなり。本会が幸に会員一同の熱心と社会公衆の同情とに由り、年を逐うて隆盛に赴くを得たるは大に慶ばざるを得ざるなり。夥多朝野知名の士は来賓として臨場せられ、都下多数の新聞社は社員を派して本会の記事を報道し、更に数百の聴衆は前後二日に亘りて毫も倦怠の色なく傾聴せられたるは、本会の栄とする所なり。
本会の予め定めたる大会順序は左の如くなりき。
社会政策学会第七回大会順序
第一日 十一月一日(土曜)午後一時 明治大学講堂ニ於テ開会
一 開会の辞 東京法科大学教授法学博士 金井延君
一 歓迎の辞 明治大学長法学土 木下友三郎君
一 労働争議報告
報告者
早稲田大学教授文学士 平沼淑郎君
慶應義塾大学教授ドクトルフイロソヒー 気賀勘重君
京都法科大学教授法学博士 田島錦治君
一 会員討義
第二日 十一月二日(日曜)午前九時 明治大学講堂ニ於テ開会
一 講演
資本労力ノ調和 法学博士 添田寿一君
古代支那ニ於ケル社会問題 京都文科大学教授文学博士 内田銀蔵君
銀行業ノ社会的観察 東京高等商業学校教授法学博士 佐野善作君
日本ニ於ケル労働争議ノ特質 法学士 鈴木文治君
僥倖心ノ意義 神戸高等商業学校教授商学士 内池廉吉君
人ノ集中ト労働問題 長崎高等商業学校教授法学士 山内正瞭君
利子歩合ト国民経済 慶應義塾大学教授ドクトルフヒロソヒー 高城仙次郎君
小額保険論 早稲田大学教授早稲田商学士 宮島綱男君
演題未定 東京法科大学教授法学博士 河津暹君
一 第八回大会委員の選定
一 閉会の辞
一 懇親会
午後五時ヨリ明治大学紀念館
一 縦覧 十一月三日(月曜)
東京市営貸家及ビ職業紹介所 救世軍無料宿泊所
大会経過
右順序は、之を実行するに方りては、演者の都合其他により多少の変更を見たり。今各演者の登壇順並に時間によりて列挙すれば左の如し。
第一日 午後一時十五分開会 佐野博士司会
一 開会の辞 金井博士 自一時十八分 至一時三十五分
一 歓迎の辞 鵜沢博士 自一時三十六分 至一時四十一分
報告
第一席 平沼教授 自一時四十二分 至二時五十分
第二席 田島博士 自二時五十分 至三時三十八分
第三席 気賀教授 自三時三十八分 至四時四十七分
四時四十七分 閉会
討論会 山崎博士司会
午後正六時 開会
出席会員 山崎、阿部、内田、永井、矢野、堀江、下村、大塚、矢作、中島、服部、福田、高野、桑田、渡辺、石原、鈴木、田島、平沼、山本、気賀、勝田、田崎、内藤、田辺、津村、河津、関、添田、佐野、内池、計三十二名
討論者左の如し。
第一席 山本助教授 自六時四分 至六時十二分
第二席 桑田博土 自六時十二分 至六時二十二分
第三席 中島教授 自六時二十二分 至六時二十六分
第四席 添田博士 自六時二十六分 至六時三十四分
第五席 田島博士 自六時三十四分 至六時四十分
第六席 高野博士 自六時四十分 至七時五分
第七席 鈴木学土 自七時五分 至七時二十三分
第八席 山本助教授 自七時二十三分 至七時三十分
第九席 福田博士 自七時三十分 至七時四十分
第十席 田島博士 自七時四十分 至七時四十二分
第十一席 桑田博士 自七時四十二分 至七時四十五分
第十二席 山本助教授 自七時四十五分 至七時四十六分
第十三席 高野博士 自七時四十六分 至七時五十分
第十四席 山本助教授 自七時五十分 至七時五十三分
第十五席 福田博士 自七時五十三分 至八時一分
第十六席 添田博士 自八時一分 至八時八分
第十七席 内田博士 自八時八分 至八時十五分
第十八席 福田博士 自八時十五分 至八時二十分
第十九席 服部教授 自八時二十分 至八時二十六分
第二日 午前九時三十分開会 桑田博士司会
講演
第一席 宮島教授 自九時丗分 至十時廿一分
第二席 高城ドクトル 自十時廿二分 至十一時廿八分
第三席 内池教授 自十一時廿八分 至十二時十八分
午後十二時十八分 休憩
午後一時廿分 開会 金井博士司会
第八回大会委員の選挙
桑田博士の発議に基き金井博士指名左の如し
金井延、新渡戸稲造、桑田熊蔵、高野岩三郎、中島信虎、高岡熊雄、小川郷太郎、田崎仁義、内池廉吉、宮島綱男、高城仙次郎、坂本陶一、計十二名
講演、
第一席 河津博士 自一時廿四分 至二時十五分
第二席 内田博士 自二時十六分 至三時十二分
第三席 鈴木学士 自三時十二分 至三時五十五分
第四席 山内教授 自三時五十五分 至四時五十四分
第五席 佐野博士 自四時五十四分 至四時五十五分
第六席 添田博土 自四時五十五分 至五時五十五分
閉会の辞
津村教授 自五時五十五分 至五時五十七分
午後五時五十七分 閉会
開会および歓迎の辞
今各演者所述の要領を摘録すれば左の如し。
金井博士開会の辞。先づ社会政策の何たるかに就ては世上之を知るもの漸く多く、之を数年前に比すれば隔世の感ありと雖も、今日尚動もすれば社会政策と社会主義とを混同し、本会を目して社会主義を鼓吹するものなりとなすものあり。両者は学術系統として、実務系統として、氷炭相容れざるものなり、之を混ず可らずと弁じ、本年は明治大学に乞うて大会々場を貸与せられん事を計りしに、明治大学は本会の乞を容れて其講堂を貸与せられしのみならず夥多の利便を供せられしは本会の最も謝せざる可らず。本年の討議は「労働争議」につきてなり。本問題は独り争議其物に止らず其調停を含むものなり。十九世紀は実に労働争議の世紀なり。欧米諸国は之が為に苦しみたること甚だ多し。我国に於ては今日まで幸に労働争議を見ること多からずと雖も、我国経済界にして益々進歩せば、泰西諸国に於て見る如くこの種の問題相踵て起らずとも断じ難し。幸に社会政策上の施設宜しきを得ば、之を根絶せしむるを得るやも知る可らず。たとひ之を根絶せしむるを得ざる迄も、其の惨害を少くすることを得べきを信ず。本会が本問題を選び予め研究するの趣旨正にこゝにありと説かる。
鵜沢法学博士は木下明治大学長に代りて歓迎の辞を述べらる。労働問題は文明国に於て避く可らざるものなり。貴会員が十年一日の如く、この種の問題に没頭し世論善導の任に当らるゝは社会の為に謝せざるを得ず。本明治大学が貴会の為に一臂の力を貸すことを得たるは本大学の光栄とする所なり、と丁寧なる挨拶あり。
報告要旨
次に平沼教授は本問の第一報告者として登壇。流暢明快なる弁を以て、先づ最近の事例を引いて英、仏、西、露、諾、米諸国に於ては今日尚昌に労働争議あること、従て苟も社会を観察するものは之を看過し得ざる大問題なりと説明し、次に根本問題として社会に於ける衝突紛争を概観するに之を利益の衝突と階級の衝突とに分つを得べしとて歴史の事例を引きて之を説明し、労働争議も亦利益の衝突と階級の衝突に外ならずと弁じ、ドレッヂ氏の定義を借りて其定義を解剖し、利益の衝突は、賃金問題、労働時間問題(食事時間問題)、労働団体問題等によりて表はる。利益の衝突はよく其原因に溯りて之が解決の道を講ぜば、其目的を達すること必しも難からず。然れども階級の衝突、即ち資本家労働者階級相違より来る衝突に至っては之を解決すること易からざるなり。現今に於ては Democracy は驚く可き勢を以て発達し来れり。民主々義の要望する所は機会均等にあり。古へにありては業主と使用人の関係は主従関係なり。然れども経済組織の根柢が一変したる以上は到底主従関係によりて其階級衝突を治めんこと望み得べからず。圧せられたる労働者が、団結の力によりて上に述べたる要求を実行せんとするは、諸国の労働組合の発達に徴して歴々之を見るを得べし。圧せられたる階級を漸次優者の位置に立たしむるに非ざれば Klassenkampf は到底之を調停すること能はざるべし。是れ労働問題を研究するものゝ先づ心得置く可きことなりと説明す。
之につづいて田島法学博士は登壇。平沼教授は労働争議の概論を試みられたるが、予はストライキにつきて報告する所あらんと前提し、同盟罷業は工場閉鎖と性質を同うする。一は労働者側より行ふ所にして、一は資本家側より行ふものなるに過ぎず。而して同盟罷業は見方により之を(一)単独罷業と連業罷業、(二)政治的ストライキ経済的ストライキ(三)攻勢ストライキ守勢ストライキ(四)組織の備はれるもの備はらざるものに分つを得べしとて之を説明し、転じて其本質に及び、ストライキは恰も夫婦喧嘩の如し。労働者が資本家に対してストライキを起すも其本心は永久に資本家と和合せざる事を目的とするものに非ず。寧ろ親睦に和合せん事を希望すればこそ、ストライキを起すなれ。然るに政府当局者動もすれば其本質を知らず、ストライキをなしたるものを目して暴動者として法律を適用すること苛酷に過ること少しとせざるなり。泰西諸国に於ては、ストライキ甚だ頻繁なり。ゼボンスは新聞紙上に之を見ざること甚だ稀なりと嘆じたりといふ。我国に於ては未だ斯の如きに至らず。然れども其ここに至らざるは、畢竟我国経営が幼稚なるが為のみ。更にストライキと法律との関係を見るに、古にありては法律は之を禁じ、之を犯したるものを厳刑に処せり。然れども労働組合起るに及びて、遂に right to strike を認めざるを得ざるに至れり。但しストライキの際暴力を用ひ刑法等に触るゝものは之を罰すれども、ストライキ其物を以て違法の行為とは認めざるに至れり。是れ先進国に於ける思想の変遷なり。我国にては明治卅三年発布せられたる治安警察法あり。其第十七条にストライキに関する規定あり。其文字通りに解すればストライキ其物を暴行と認めざるが如しと雖も、司直の府動もすれば之が解釈適用を誤る事あり。この規定を廃するか少くとも之を改むるを要す。幸ひ我国にては社会主義の傾向を見ること少く、況んやサンジカリズムの如きは未だ其萌芽すら認むるを得ず。今の間に予め之に備へ、経済的見地より之を防止するの道を講ぜざる可らざるなり、と結べり。
第三報告者として気賀教授は主として労働争議の調停策につきて報告あり。労働争議は利益の衝突其骨子たるに相違なきも之をして紛擾を来し経済社会をして其弊に堪へざらしむるものは実に感情の衝突其因をなす事多し。故に労働争議をして円満なる解決をなさしむる道は、資本家と労働者の精神上の融和を計るにあり。資本家労働者互に同情の眼を以て協議をなさば、其争議の解決の如きは蓋し易々たるべし。然れども其事にして望み難しとすれば、第三者の媒介を必要とす。第三者の媒介に二法あり。調停及び仲裁是なり。調停は第三者が両者の間に立ちて意思を疏通せしむることなり。普通は双方の申分を相手方に通じ、其一致を見るまで尽力することなれども、時に或は仲介者其意見を示し以て双方の意の融和を計るなり。独、米、墺にてはこの種の調停法をなす。調停の方法を講じても尚問題を解決すること能はざれば、第二の方法を用ふ。之を仲裁といふ。即ち第三者が双方の申分を聴き之が裁決をなし、係争者は其裁決に従ひて問題を解決するなり。仲裁に二種あり。任意的のものと強制的のものとなり。今諸国に於ける調停仲裁制度の発達を按ずるに、英国にては一八四四年絹糸業に関し調停の為めに雇主と労働者とが各同数の委員を出して協議せしめたることあり。後六十年建築師の争につきても、雇主と労働者より同数の委員を出し調停仲裁をなさしめたり。爾来この方法弘く行はるゝに至れり。政府も遂に調停法を発布し、労働争議の場合には先づ調停局の書記之が調停を試み、次で常設委員会が之に当り、更に其効を見ざる時は調停局の全院委員会が之が調停に当れり。仲裁は雇主並に労働者より三名の仲裁者出で之れを仲裁す。時に或は裁判官之に加はることあり。米国に於ては、州により其制度を同うせず。或は仲裁調停局なるものあり、双方より各一名を出して更に一名を加へて仲裁調停をなさしむるものなり。ニューヨークの如きは二大政党より各一名、労働組合より一名の調停者を出すと雖も、大体に於ては係争者双方より各一名の調停者を出す。鉄道労働者の争議につきては中央政府が之に干与するなり。之について独、仏、白、瑞、和等の制度を略説し、更にニュー、ジーランドに及び、同国にては一八九四年以来強制仲裁制度を採用せり。即ち労働組合に法人格を認むると同時に、資本家にも組合を作らしめ、双方より委員を出し、仲裁局を組織せしむ。若し争議起れば之を仲裁局に提出す。仲裁局は若干の委員と之に裁判官を加ヘて仲裁に当らしむ。其仲裁々判は強制的にして制裁あり。其制裁が実行せらるゝや否やは工場監督官之を監督す。要之、強制的仲裁の方法を採るものあれども、多くは任意的仲裁を採るなり。調停仲裁にして良果を収めんとするには、(一)雇主及労働者双方に団体組織あること、(二)争を解くに当り互に相手方の人格を尊重すること、(三)双方共に公平なる第三者の介入を認むること、(四)解決すべき目的の確定せること、(五)双方が主張を重じ徒に之を誇張せしめざれば十分の効果を収むること難かるべし、と説けり。
時既に薄暮に近ければ、司会者桑田法学博士は立ちて、委員の決議に基き討議は会員のみ之に参加することに決せりと宣言して、会を閉ぢたり。
討論要旨
午後六時本会々員は楼下の一室に集り、午後に次で討論会を開けり。山崎博士議長席に就き、会員順次その意見を陳べたり。第一席に山本京都大学助教授は立ちて、予は本日諸先輩の報告を聞き、大に疑の存する者あり。諸氏は労働者がストライキをなすは当然のことにして毫も咎むべきものなしとなすものゝ如し。然れども、ストライキは経済機関の活動を止め経済社会に害毒を流すこと少しとせず。之を抑えざる可かず。今日我国労働者の為に計るに、其人格等の改善より急なるはなし。先覚者がストライキを奨励する如きは其意を得ず。若し資本家労働者の間に立ちて調停等のことをなすは、蓋し政府の事業なり云々と述ぶ。
之に次で桑田博士は曰く予は諸君の討論の問題を提出せんと欲す治安警察法の改正なり。同第十七条には暴行強迫の伴ふ同盟罷業と誘惑煽動に由る同盟罷業を罰せり。暴行等の伴ふものは暫く措き、誘惑煽動に由るものを罰する如きは其意を得ず。誘惑煽動は同盟罷業のエッセンスなり。之を罰すべしといはゞ、即ち同盟罷業を罰するに当らずや。当に改正せざる可らず。我国にては調停機関は政府の事業ならざる可らずとの山本君の説には賛成なり。工業監督官に調停仲裁をなす権限を与ふるが最も良からん。問題は強制を行ふや否やの点にあり云々。
第三席 中島高等師範学校教授は桑田君の第一の点につきて疑あり。桑田君の説明と田島君の説明とは異る所あり。予を以て見れば誘惑云々は悪意あるものと解せざる可らず。即ち悪意あるものを罰せば可なり。故に改正の必要あらざるなり云々。
第四席 添田博士は立ちて、先刻来予が曾て用ひたる主従関係の文字を捉へて云々するもの少からざりしが、予が主従関係といひしは命令服従の関係をいひたるに非ず。敦き情誼なり懇情なり。田島君の如く之を夫婦関係と称するも可なり。諸君は徒らに文字の末に拘泥するなきを希望す。先刻平沼君は利益の問題と階級の問題とあり前者は決し易きも後者は解決し難しといはれたり。階級の争の如きは情誼に由りて決するより他に道あらざるなり。謂ふに本問題の如きは、一旦争議起りて之が調停の道を講ずるは末なり。宜しく基本に溯りて資本家と労働者との間に争なからしむるを要す。予が情誼を説く所以のものこゝにあり云々。
第五席 田島博士は立ちて曰く、本日の報告に夫婦関係の文字を用ひたる所以のもの主従関係にては命令服従の関係と誤解せらるゝ処ありしが為なり。添田博士が主従関係は情誼を本とすといはれたるが故に、予の見る所と異る所なきものの如し。治安警察法の改正は賛成なり云々。
第六席 高野法学博士曰く第一山本君の説には全然不賛成なり。山本君は一方には friendly society や trade union には賛成せらるゝに拘らず、労働者の改善修養に力を用ふべきものなりと説かるゝに至っては、これ等の組合は無用なりといふに近かるべし。其対内的方面と対外的方面は如何にして之を結び付けんとするや、対内的方面は対外的方面なくして決して望む可らざるなり。或は対外的方面は国家が之に当れば可なりといはるゝやも知る可らずと雖も、これ社会主義の世の中か、中古の世の中を想像せらるゝものなりと。博士は更に話頭を転じて治安警察法に及び、此条文の如きは兎角濫用せらるゝ恐あり。其結果はいふまでもなく、労働者に不利益を来すなり。故に之を廃止せん事を希望す、と述べ、更に話頭を転じて添田博士が主従といふ文字を捨てゝ Social solidarity といはるゝに至っては頗る同感なり、但しSocial solidarity は互に人格を尊重するが主なり。然らざれば其理想を出現する能はず。労働者は今日法律上資本家同等なるも、事実に於ては同等にはあらざるなり云々。
第七席 鈴木学士は曰く、先刻来治安警察法の適用につき議論ありたるが、其実際の運用につきて予の与り知る所にてはさまで不都合あらざるものゝ如し。即ちこの種の問題起るや、労働者の主なるものが予の許に来り相談する所あり。其陳弁する所を聞き其問題の起れる警察署に至り、予は卿と協力して解決せんと欲す。予の意見は云々なり、予はこの意見を以て運動せんと欲す、幸に暫く傍観の位置に立たれんことを乞ふといへば、遂には其目的を達し解決するを得るなり。治安警察法あるも差支なきものゝ如し。又仲裁の方法につき議論あり。国家が強制的になすがよろしきや、工場監督者に之をなさしむるがよきかの論あれども、我国にては政府が悉く之を行ふこと不可能なる可し。成程我国の労働者の品性は概して劣等なるに相違なしと雖も、其少数のものは向上発展の精神に富むが故に、強制的になすは得策に非ず。資本家労働者双方より委員を出して誤解を解くを可とす云々。
第八席 山本教授は再び立ちて高野博士は予の意見を反駁せらるゝも、尚之に服すること能はず。労働者をして労働組合を設けしむるには異論なし。然れども労働組合をして専ら其組合員の生活を容易にし、其幸福を進むるを主眼とすべきものなりと思ふ、と述ぶ。
第九席 福田博士は曰く、経済組織にして今日と変りなく、経済の進歩にして息む所なくんば労働争議は必然来らざる可らず。之を起さしめざらんとするも、蓋し能はざるなり。山本君は労働組合を以て道徳的団体となさんことを希望せらるゝも、これ架空の論といはざる可からず。治安警察法にある条規の如きは、勿論廃せざる可らず。世界何れの国にかかくの如き法律を有するものあらんや。予が之を廃せんとするは、畢竟之を保存するは我国辱なるが故なり云々。
第十席 田島博士曰く刑法にても亦暴行等の伴へる同盟罷工は之を罰するを得べし。治安警察法は之を廃さずとも、其文字を明にして、裁判官等をして濫用せしめざる必要あるを覚ゆ。
第十一席 桑田法学博士曰く、予は治安警察法制定当時の事情を知れり。司法官連中はこの条文の文字が不明なるの理由を以て反対したるが、行政官は之を制定するの必要ありとて通過せしめたるものなり。田島博士のいはるゝ如く、文字を尚明瞭にするは異論ある可らず。然らざれば之を廃止するを可とす。山本君に問ふ、資本家の行ふ工場閉鎖は如何に思はるゝや。
第十二席 山本助教授、諸君の予の説につきいはるる所は多少の誤解を含むものゝ如し。よろしく、文字の末に走らずして、意のある所を汲まれんことを望む。ロック、アウトは勿論宜しからずと考ふと応ふ。
第十三席 高野法学博士曰く、予等は山本君の説を誤解するに非ず。而も之につきて論ずるは、蓋し思想の違なり。予の主張する所は労働組合が労働者の位地を高め、利益を進めんとするも、実行の之に伴ふものなくんば目的を達すること能はずといふにあり。
第十四席 山本助教授之に応じて曰く予は決して労働組合は実行すべからずといはず。ストライキは宜しからずといふなり。調停仲裁の如きは実行に非ずして何んぞや。高野博士の実行は必ずストライキに陥るといふ論は、未だ解すること能はず。
第十五席 福田法学博士再び立ちて一派の諸君はストライキを蛇蝎視せらるゝも、若し之を禁じなば更に危険なるサボタージ等を見るに至らん。予は諸国に於ける労働問題の趨勢を見て、かくの如く信ぜざるを得ず云々。
第十六席 添田博士曰く、福田君は諸国に於てはかくの如き歴史あり。我国も亦其運命に陥らざるを得ずといはるゝも、先進国のなす所を研究し批評し其長を取り其短を捨て、先進国がよく解決し得ざる所を解決するは実に快心のことに非ずや。我が国経済学は正にかくの如き使命を有するなり云々。
第十七席 内田文学博士曰く資本家と労働者が互に尊重し合ふは最も望ましきことなり。添田博士の情誼論には賛成せざるを得ず。所謂実行の方法も直ちにストライキの手段に訴へずとも、使ふものは使はるゝものを思ひ、使はるゝ者は使ふ者の事情を酌まば、自ら円満なる解決を見ること難からざるべしと思ふ。外国の風習には善きものあり悪しきものあり。ストライキの如きは悪しき風習なり。之を避けんことを希望す。
第十八席 福田法学博士曰く添田博士は経済学を以て ought to be の学とせらるに似たり。予は之を信せず。過去に於て然り、現在に於て然りと説明すべきものなり。之に基きて政策を立つるは政治家の任務にして、学者の任務に非ず。
第十九席 服部教授曰く、諸君は未だ仲裁は強制的になすべきや否やにつき論ぜられざるものの如し。一言するの要あり。この問題につきては強制すべきものに非ず、強制するも効なくして害ありと其理由を説く。
時既に九時を過ぎ興湧いて止る所を知らず。山崎議長は討論終結を宣し、討論は本夕の如く公開を禁ずるが討論の目的に副ふものなりや否や、諸君に於て御考へ置かれたし云々と希望を陳べらる。
大会記念講演会
十一月二日社会政策大会講演会を開く。傍聴者は前日の如く殆んど場に満てり。
第一席 宮島学士登壇「少額保険論」と題し、少額保険とは保険額の小なる一種の保険なりと説明し、逓信農商務省に於ては之が調査に従事し、民間に於ても三会社は専業に、一会社は兼業として之を営まんことを出願せりとて、本邦に於る本問題の沿革を略述し、次で其特質に及び(一)保険金額の小なること、(二)医的審査を行はざること、(三)保険金溯源期間若くは支払停止期間の存すること、(四)保険料の簡易なること、(五)保険料の短期払なること、(六)集金人を派すること、(七)使用する死亡表を用ふること、(八)小児の保険に応ずること、(九)営業費を要すること多きことの九項を挙げ、諸外国の事例を引いて之を説明し、其の官営の可否に移り官営説を主張せり。其理由は一は其保険の性質にあり、即ち同保険は営業費を要すること甚だ多きものなれば、之を官営とせば郵便局等官の機関を利用することを得るのみならず、競争して得意を奪ひ合ふが如きことなかる可きが故に、営業費を節約することを得べきなり。二は我国の事情なり、即ち保険業界に於て現今少額保険を托するものなく、従て之を官営とするも、其の利益を害するものにあらず。却て保険思想を普及せしめて利益ある可し。我国に於て保険業界の欠缺を補ふものといはざる可らず。或は官営を難じて官吏の無能を云々するものあれども、是れ為にする所あるか、若くは事実を知らざるものゝ言のみ。之を以て官営説を破るに足らずと結べり。
第二席 高城ドクトル登壇。「利子歩合と国民経済」と題し、国民性が明に利子歩合に表はれ居ることを説明し、世人の猛省を望まんと欲すと喝破し、先づ利子歩合決定の諸学説を説明し、資本の需要と供給が一致する点に於て定り、其高低は企業心の原簿貯蓄心の多少に関連すと断定し、近年我国の利子歩合は漸く高く八分以上にして諸外国に比して遙に高位にあり、物価の騰貴も其原因なるには相違ある可らずと雖も、我国利子歩合が諸外国に比して高き理由となすを得ず、他に原因を求めざる可らず、之を需要の方面につきて観察すれば企業、行政費陸海軍費の諸項目に就きて調査するに陸海軍の膨張の速度は企業の膨張等に比して遙に高位にあり、是れやがて其需要を増加せしめたる原因なり。然るに供給の方面につきて之を観察すれば、到底其需要に応ずること能はざれば頻りに辞を設けて外債を募集して其欠を補ふ。其の外債を募集すること頻繁なるが為に、我国の外国金融市場に於ける信用の程度は恰も支那と伯仲の間にあり。是れ決して我国の名誉には非ざるなり。而も外債募集の結果は金利の低落となり、不急事業の勃興となり、貯蓄心の減少となる。我国人の貯蓄心の減少し、奢侈の増進したることは歴々として統計を以て証明することを得とて、夥多の統計数字を以て説明を加へ、此の如くんば我国経済の前途は毫も楽観を許さず、之が救済策は須く先づ外資輸入を打切るにあり。之が為に金利は暴騰し、不景気を招くやも知れざれども、之が為に国民の貯蓄心を旺盛ならしめ、不急の事業は陶汰せられ、利子歩合も亦適当の水準に帰し、国民経済をして健全ならしむるを得べきなりと結べり。
第三席 内池教授登壇、「僥倖心の意義」と題し、先づ僥倖心の意義を陳べ、理外の理に由り、予測す可らざる利益を得んとするを要素とすることを説き、之が経済方面に顕はるれば賭博となるなり。賭博は原始時代に於ては有力なる社会制度なり。今日尚種々の方面に亘りて勝負をなすは畢竟野蛮の遺風といはざる可らず。賭博の現今の国民経済に及ぼす影響を考ふるに、現代はIndustrialism の時代なり industrialism の心的要素としては営利主義と理知主義とを建設的となさざる可らず。営利主義は人類の競争的野性に基きて起りたる財産獲得の精神と称するを得べく、現今社会各方面を支配せり。更に現代は機械応用盛なれば、人心益々計算的となり理知的となれるなり。然るに、賭博は一見営利主義に類するが如しと雖も、理外の理に由りて利益を得んとするものなれば、営利主義とは相容るゝものに非ずして、経済を破壊するものなり。経済社会の破壊ともいふ可き恐慌の如きは、賭博欲によりて誘致せらるゝものなり。其の理知主義と相容れざるは一層明白なり、要之、賭博は経済社会の破壊的分子なり。然るに賭博は近年益々旺盛となる傾向あり。其原因は物質主義の流行と、労働社会の単調にあるものゝ如しと論じ、シャドウェル氏の所説を引いて英国に於てすら近年賭博の流行益盛んなることを証し、かくの如きは経済社会の為め決して慶すベき現象には非ず、之を救済するは徒に法律を以て之を禁遏せんとするよりは、人類の心に潜める「働かんとする精神」を振興するを努むるを以て得策とすと断ぜり。
時に午後零時十八分なりしを以て、司会者は暫時休憩を宣し、会員等午餐を喫して後一同講堂の前に集り、紀念の為め撮影をなす。
午後一時廿分再び開会金井博士司会者となり、次会の大会委員の選定を会員に諮る、桑田博士の動議に由り司会者の指名に一任することとなり。金井博士は新に八名の委員を指名し、之に幹事三名を加へて次会の委員と定む。
第四席 河津博士登壇、「欧州に於ける公開市場」と題し、近年都市が膨張するに従ひ、如何にせばこれ等多数の者に食料品を最も新鮮に、最も廉価に供給すべきやの問題生ぜざるを得ず。公開市場の如きは其目的に出でたるものなり。而して欧州の公開市場は其起源よりいへば経済的原因よりも衛生的原因其重きをなすものなれども、其結果よりいへば市民をして最も廉価に食料品を得せしむ。欧州の都市にして公開市場の必要ありとすれば、我国の都市は更に其必要あり。何となれば我国の商業組織は不完全にして、生産者より消費者の手に入るまでには多数の者の手を経ざる可らず。従て其価を騰貴せしむること少からざればなり。欧州都市に於ける公開市場を見るに、中央市場と小売市場とが巧に連絡を有ち、其目的を達す。而して中央市場の位置は、交通の便宜しく外部より貨物を移入するに最も便にして、而も成るべく都市の中心に近きものならざる可らずと論じ、諸大都会に於ける実例を引いて之を説明し、更に転じて公開市場は官営ならざる可らず、市場を夥多の小区に区画し生産者等に対して一定の料金を徴して之を貸与し、一般人民をして直接にこれ等生産者等と接触せしむべしとて、伯林の市場の設備を説明し、其の経済上の影響は、之が為に商業組織を簡単にするを以て価格を低廉ならしむるのみならず、市中の普通の小売商人を牽制して価格を高からしめざるの効あるべし、何となれば中央市場も小売市場も一定の価格を以て食料品を売捌くを以て、普通の小売商人にして価格を高くして以て利益を得んとすれば、公開市場に奔って所要のものを求むるに至るべければなり。我国にても欧州都市に倣ひて公開市場を設置するの急務ありと結べり。
第五席 内田文学博士登壇。「古代支那に於ける社会問題」と題し、古代支那に於ても人種問題と社会問題とが歴然として存したりき。人種問題は漢人種と異人種との問題なり。即ち漢人種は如何にして夷狄を同化せしむるやの問題なりき。政治家学者のこの問題に対する態度を概観するに自ら二派あり。一は文治主義ともいふ可く、一は武断主義ともいふ可し。前者は放任主義を主眼とし、自ら異人種をして徳に化せしめざる可らざるを主張し、後者は積極主義とも称すべく、拓地植民等に由りて之を同化せしめざる可らざるを説くなり。其の論ずる所今日の帝国主義に近似す。其社会問題も多くの点につきて近世の社会問題に類するものあり。蓋し前漢の末葉までは、支那社会は頗る近世式色彩を有せり。而して当時の社会問題も亦富の分配の不平均を骨子となすものなり。富の分配の宜しかざる原因は、土地農業制度の変遷と商工業の発達となり。古井田の制ありしが遂に消滅し、土地兼併が盛に行はるゝに至れり。又昌に開墾事業が行はれて土地私有が増加せり。是れ農業制度の変遷なり。当時貨幣の流通昌となりたるのみならず、大仕掛の生産が発生し、商工業の面目一新せり。この社会問題の解決救済にも、種々の主義並び存したり。(一)限田主義とも称すべく土地所有に制限を置かんと主張するもの、(二)抑商主義、(三)復古理想主義是れなり、とて之を詳細に説明し、歴史の研究に従事するものは宜しく普遍的事実と特種的事実とを区別し、東洋諸国の経済的発達にも夫々特有の点あれば、欧米先進国の文明を輸入するに当りては、各国の国民性が経済上如何に特異の働をなすかに注意せざる可らずと論結せり。
第六席 鈴木博士〔鈴木文治学士〕登壇。「我国労働争議の特質」の題の下に、先づ我国の同盟罷工に関する統計的材料欠如せるが故に、勢実験に本きて、この種の問題を解決せざる可らずと説き、其特質として次の諸点を挙ぐるを得べし。(一)我国の労働者に健実なる組織なきこと、(二)調停仲裁の機関なきこと、(三)同盟罷工者は法律上罪人とせらるゝこと、(四)其の最も著しき特例として感情的なる事なり。蓋し我国には古来主従関係あり、其長所は上下一致するにあり。其短所は上のもの権力に由り下のものを圧するに在り。近時工業組織の変革に伴ひ、主従関係の長所は之を見る事少くして、独り其短所を見ること多し。故に主従関係に由りて本問題を解決せんとするも其効なからん。故に一方には教育の普及するあり、一方には生活難の生ずるあり。益々労働者の反抗の気運を助長するなり。従て我国の労働争議は、経済上の問題といはんよりは感情の問題なり、人格尊重の問題なり。故に本問題の解決としては、(一)職工の人格を認むること、(二)職工と資本家との意思感情の疏通を計ること、(三)健全なる労働団体の発達を計ること、(四)工場法を実施し治安警察法を改廃する事なり、と論ぜり。
第七席 山内法学士登壇。「人の集中と労働問題」の題の下に近年人口の増加に伴ひ都会膨張の結果を生ず。これ増加せる人口は都会に於て商業に従ふなり。現に欧州の都会に住するもの七八割は商工業に従事するなり。都会に人口が集中する結果、(一)不衛生的事項の増加、(二)過度の労働、(三)病者殊に狂人の発生、(四)変質者の発生、(五)簡易なる娯楽機関殊に活動写真の隆盛等の顕象を見る、とて多くの事例を引いて之を証明し、更に転じて、多数のものが群居する時は自然利害衝突の機会を多くす。同盟罷工が多く都会に発生するは畢竟之が為にして、北米合衆国に於て比較的この種の顕象を見ること少きは、其工業が諸方に散在するが故なり。而して同盟罷工が比較的世上の注意を惹く事多きは、(一)同盟罷工が多く公共事業に発生すること、(二)同盟罷工が国境を超えて他国に影響を及すが為なり。特に近年社会の中堅たるべき中流階級が漸次過激的傾向を生じたるは最も憂ふベ事にて、中流階級の健実なる発達と都会集中の弊害の矯正とは、吾人の最も注意すべき問題なりと信ずと述ぶ。
次に佐野法学博士は登壇し、予は銀行の社会観の題にて卑見を述ぶべき筈なりしが時間なきが為に之を中止し、卑見は之を論叢中に掲載せんと欲す、幸に諒せられんことを請ふとの挨拶あり。
第九席 添田法学博士登壇。「資本と労力との調和」の題にて、資本と労力とは性質上同一物なり、然るに現時は分れて熾んに戦へり。其衝突の原因は、(一)産業革命、(二)貧富の懸絶、(三)労働者の自覚、(四)生計の困難、(五)学説の変遷、(六)民主々義の発達等なり。就中民主々義の発達を以て顕著とす。特に近年に至りては漸次過激破壊的色彩を帯び来れり。米国のI.W.Wの運動の如きは其の例なり。而して欧米先進国はこの問題の為に大に苦しみつゝあり。然るに翻って我国の状況を見るに、欧米先進国とは大に趣を異にす。産業も尚幼稚にして労働者の自覚もなきは、前論者の説くが如し。然れども其の弊の未だ甚しからざるは我国の幸福なれば、宜しく先進国の覆轍を鑑みて、其の短を捨て其長を採るに勉めざる可らず。労働争議の調停仲裁には自ら道あるべし。然れども之を既発に医せんよりは、寧ろ其本源に溯りて労働争議の如き問題を生ぜしめざるを可とす。予は此問題を解決するには情誼を外にして他に道なきを信ず。予の年来主従関係の文字を用ひたるものの意、実にこゝにあり。予が情誼を説くや或は之を迂遠とし、或は之を誤謬なりとなすものありと雖も、この論や資本と労働との調和を目的とするものなれば、進化論に徴するも近世科学のエナージー論に由るも、決して誤れるものにあらず。我国経済学者は、先進国の解決し得ざる問題を捉へて十分に解決して、我国経済学の真価を宇内に発揮するは実に快心のことに非ずやと結べり。
懇親会
以上を以て所定の講演を終る。時に午后五時五十七分。続て六時三十分明治大学内所定の宴会場に於て来賓並に会員の懇親会を開く。出席者三十余名、京都大学の田島、内田、山本三教授、東北大学の高岡教授、神戸高商の津村、内池両教授、長崎高商の山内教授、小樽高商の坂本教授を正賓として数次トーストを挙げて懇談時の移るを知らず。桑田博士の発議により第八回大会の討議題を議す。提案せられたるもの小作問題、米穀取引所問題、婦人労働問題、内地移民問題、相続税問題、家族制度問題、小農保護問題あり。採決数次の上、小農保護問題を次回の討議題とするに多数決し、十時近く散会す。
翌三日、例により会員有志者の観覧あり。午后一時半、浅草玉姫町東京市営職業紹介所並に貸長屋に参集する会員金井、添田、高岡諸博士を始め約二十名。田中太郎氏の案内により詳さに両所経営の状況を研究す。続て一同築地月島に赴き救世軍労働寄宿舎を視察す。将校数氏懇に説明の労を執らる。かくて午后六時一切の観覧を終り、有益なる半日の視察を完うしたることを喜びつゝ、一同解散せり。右両所主任諸氏の周到なる斡旋に対しては、茲に厚く謹謝の意を表するものなり。猶ほ明治大学の理事当局各位に対しては両日に亘り会場を貸与せられ諸般の便宜を図られたることを、会員一同に代り深謝せざる可からず。
〔2005年11月30日掲載〕
《社会政策学会論叢》第七冊 『労働争議』(同文館、1914年4月刊)による。
なお、ここでは読みやすさを考慮して、小見出しを加え、人名・演題などを太字とし、原文では簡単にすぎる句読点を詳細にした。