社会政策学会史料集



社会政策学会第五回大会記事

大会文書係

               大会文書係 伊藤重治郎
               同     上田貞次郎
               同     福田徳三

概 況

 わが社会政策学会は去〔明治〕四十年十二月第一回大会を開催してより今日まで引続き毎年十二月の下旬を期して大会を開き、第五回大会は昨四十四年十二月二十四、二十五の両日に亙り中央大学大講堂に於て挙行したり。
  これより先、一昨四十三年早稲田大学に於て第四回大会ありたるとき、大会開催地を東京のみに限るは妙ならず、時には地方に於ても之を行ひては如何との説有力なりしが如けれども、事情やや困難にして今日の所直ちに実行し兼ねるにより、とに角一の試として会員講演会を地方に於て開くことゝし、大会は当分東京に於てせんとの議に決したれば、昨四十四年九月三十日、十月一日の両日に亙り、京都帝国大学及神戸高等商業学校の二箇所に於て、会員中の有志高野、河津、関、福田諸博士、中島、服部、堀切諸教授講演を試みられたり。これに関する記事は附録にあれば今これを省き、ここには第五回大会のみの記事を筆録することゝせり。従来この記事は会員河津博士の執筆を乞ふの例なりしも、本回は博士所労にて出席せられざりし故、大会文書係たる下名等〔私ども〕に於て分担することゝなれり。読者幸に之を諒せられよ。
  前回に於て選挙せられたる大会委員等は九月以降しばしば委員会を開きて打合をなし、各任務の分掌を定め、諸般の準備を整へたり。而して庶務係としては高野博士、桑田博士、会計係としては桑田博士、山崎博士、会場来賓係としては中島教授、関博士、堀江博士、文書係としては下名等専ら事に当れり。中央大学出身たる会員稲田周之助君は、諸般の設備に就て斡旋殊に力められたるは委員等の深く感謝する所にして、また中央大学の理事、幹事、職員諸氏が本大会をして成功せしむるに付て執られたる労務の甚だ大なりしことは銘記せざる能はざる所なり。殊に奥田博士、佐藤幹事には深厚の謝意を表せんと欲する所にして、中央大学の新築大講堂が遺憾なく多数の聴講者を収容したるのみならず、休憩室、食堂等の設備のはなはだ完備したることは、会員及来賓の斉しく便宜を感じたる所也。中央大学に於てはその他出来得る限各般の便宜を与へられ、我等の会合を趣味あらしむるに力を致されたる、また忘る可からざる所とす。
  さて本大会には地方より上京の会員甚だ多数なりしも又た従来に例少き所にして、京都大学より神戸、内田両教授、東北大学より高岡教授、神戸高商より津村、坂西、瀧谷三教授、小樽高商より大西講師、大坂高商より松崎、寺尾両教授の来会せられたるは、本回がかつて或人の評したる如く Gelehrtenparlament の実を備ふる所以を発揮するものと云ふ可し。ただ前回会員を派出せられたる山口高商、長崎高商の二校より代表者を見ざりしことゝ、第一回以来本会の為に斡旋到らざるなき河津博士の欠席せられたるとを遺憾とするのみ。その他は各校各方面の会員は一日または二日亙り陸続として出席せられたり。就中添田博士の如きは早朝より出席し討論にも参加して老て益壮なる気炎を揚られ、来賓として、田川東京市助役を始め、有名の士の臨場を忝したるもの少からず(来賓名簿備付なかりし故ここに詳記する能はざれども)。又た独逸チュービンゲン大学経済学正教授ヴヰルブラント先生の参加せられたるは空前の快事と云ふ可し。農商務省よりは岡局長、伊藤技師の来会あり。内閣統計局よりは例年の如く特に局員(河合利安君)を派出して審さに本会議事の経過を知るに意を用られ、万朝報、時事新報、保険評論、国民経済雑誌その他の新聞雑誌も夫々社員を派して報導の任に当らしめたり。斯く本会大会が年を逐ふて社会各方面の注意する所となるは、社会政策研究の必要の益々痛切に感ぜらるゝ証として甚だ喜ぶ可き所なりと信ず。而して本大会は予定の順序を一も変ずることなく無事に終結するを得たるは、また従来に例少き所なりとす。
  今例によりて序を追ふて両日の討論講演の要旨と会合の概略とを略述す可し。先づ委員より会員来賓に配布したる順序書を掲げん。

 社会政策学会第五回大会順序
 第一日 十二月廿四(日曜)午前九時中央大学大講堂に於て開会
一 開会の辞 東京法科大学教授法学博士 金井延君
一 歓迎の辞 中央大学理事法学博士 奥田義人君
一 討議 労働保険
 報告者
 東京法科大学教授法学博士 高野岩三郎君
 貴族院議員法学博士 桑田熊蔵君
 東京法科大学講師法学博士 粟津清亮君
 会員討議
一 懇親会 午後六時より中央大学倶楽部に於て
 第二日 十二月二十五日午前九時中央大学大講堂に於て開会
一 講演
 一 海運会社の積立金 早稲田大学教授ドクトルヲブ、フイロソフヰー 伊藤重冶郎君
 一 労働保険の再保険に於て 東京高等商業学校教授 石川文吾君
 一 救貧費に就て 慶應義塾大学教授ドクトルフヰロソフヰエ 星野勉三君
 一 財政の心理 京都法科大学教授法学博士 神戸正雄君
 一 食物問題と国家社会問題 神戸高等商業学校教授 津村秀松君
 一 私法と社会政策 東京法科大学教授法学博士 松本烝治君
 一 社会政策上の根本問題 神戸高等商業学校教授商学士 坂西由蔵君
 一 日本国字の将来 郵便貯金局長法学土 下村宏君
一 第六回大会委員の選定
一 閉会の辞
 第三日 観覧
 三井慈善病院 (午前十時)
 東京府巣鴨病院 (午後一時)

第1日

 第一日午前九時三十五分開会。稲川周之助君司会席に就き開会を告ぐ。金井博士遅参に付、神戸博士代て簡単に開会の辞を述ぶ。奥田博士もまた遅参に付、歓迎の辞は之を午後に譲ることゝし、直ちに本日の討議問題たる『労働保険』に就て第一報告者たる高野博士登壇す。以下順次演述の要旨を摘記す可し。
 第一報告者、高野博士は本問題に関する総論的報告を試みんとて、先づ労働保険の意義が近時漸く広くなり来れるを以て曰く、最近に至ては(ただ)に労働者が労働に従事せる間に被る種々の危険に対する保険たるのみならず、労働者ならびにその家族の生存上被る危険に対する保険と解せらるゝに至れり。且以前は之を大工業の労働者に限りしが、今日は農工交通の労働者、小農小商小吏の如く労働者と同様の状態にある者にも及ぶに至りしが、しかし事実に於ては大工業の労働者その最も重きを占むるは疑なし。さて労働保険を分類すれば(a)その経営方法より観て之を相互的、営利的及国家その他公その団体の経営の三とする事を得べく、之を(b)加入の方法より観て、任意的、強制的の二と為す事を得べく、更に(c)保険の目的より大別すれば労働不能に対するものと失職保険の二となす事を得。もっとも此両者は均しく労働者に必要にして、いずれをも欠きがたく、特に失職保険は労働者があたかも保険料を払込事能はざる場合にその必要を感ずるものなるが故に、特に保険を必要とす。今各国に於ける実際を観るに、その制度区々たりと雖、その大勢として漸次国家的組織が採用せられ来れるは争ふベからず。もっともそのこゝに至りたる巡路に至ては、各相同じからず。例へば独逸の如き、由来彼が国家主義の国なる事竝びに普仏戦後大工業の勃興により賃銀労働者の増加し来れる事その遠因なる事疑なきも、直接近因としては大宰相比公が社会党を鎮圧せんとしたるに因らずんばあらず。反之近時また国家的制度に進み来れる英国の如き、もと職工組合の如き任意制度を以て自動的に保険するに努め居たるが、労働者の勢力漸く発達して政治上社会上に認めらるゝに至り、その極労働保険が国家的制度となるに至りし也。如斯(かくのごとく)独と英とはその道行を異にしながら、その帰著点を同じうす。いずれを良しとし、いずれを悪しゝとはいひがたきも、若し予をしていずれが望ましきやといはしむれば、英国流也と言んとす。これ蓋し一層よく現今の経済組織に適応せるを以て也。夫れ現今の産業組織は労働者に労働の自由を与ふ。然らばその反面には自己の利益は、自己自から保護せざる可からざるを意味す。然らば則ち国法を以て保険法を定め、之を強制するは原則としては良きものといふべからず。唯労働者が既に自ら努め居るも、専ら之に任し置きて不十分也といふ場合にのみ、国家之を助くべき也。換言すれば、労働者先づ自ら自己の地位を自覚し、自助の方法を以て自ら保護を行ふことを前提とすべし。英国の事例然り。独逸の国家保険制度が成功せる所以の如きも、また労働者が夙にその権利を自覚し、此種保険の必要を感じ、国家的制度の起る前既に相互的制度を以て少からず発達し居たるに因る。若し労働者の間に自覚無く、組織的行動無きに、卒然として之を行はんか、唯彼等をして国家雇主に依頼するに至らしめ、国家社会は根柢ある発達を為す能はざらん。今日我邦にも労働保険既に起れりと雖も、未だ労働者に危険の自覚無く、組織的行動発達し居らざるが故に、之を強制的に行はん事は尚早なりと信ず。(自九時四十分 至十時廿五分)
 第二報告者、桑田博士は高野博士の後を承け、予は我邦労働保険の将来を如何にすべきやを論ぜんとす。換言すれば、(一)我邦に行ふべき労働保険の種類如何、(二)その組織は官営、相互、営利、いずれとすべきや、(三)その主義は任意とすべきか強制とすべきかを考究せんとするものなりとて、各種の保険に就きその所見を明にせられたり。その要に云く、
 第一、災害(または災厄)保険に関しては、雇主をしてその保険料を負担せしむる事各国の例となれり。これ蓋し工場主にして相当の注意を為す時は、業務上の災厄は多く予防する事を得べきものなるが故也、との理論に基く。わが工場法は、雇主が災厄に対する賠償責任を規定したるは甚だ佳なりと雖も、その責任の程度を示さず、かつ工場主は保険の方法を以て個人々々としての責を免るゝを得せしむるの途を開かざりしは、欠点といはざるべからす。さて、災厄保険の主義及組織は如何にすべきやといふに、この保険の保険料は雇主なるが故に、これを営利会社に委するも差支なし。ただ保険会社の認可条件に関しては、厳重なる法制を要す。あるいは相互保険の法により同業組合に於て之を行ふもまた可なるべし。この場合、また法の監督厳重なるべきは弁を()たず。故に先づ当分の間は、相互組織を以て初め之と併行して官業を行ふは妙なるべし。思ふに官業の特長は永続して基礎の鞏固(きょうこ)なる点にして、労働者の如き災厄に罹りたるの故を以て一時に大金を与ふるは種々の弊を生ずるを以て、なるべく年金を与ふるを可とするものなるが、年金制度に対しては特に官業の長を認めず、加ふるに官業は民間相互保険団体より再保険を引受くるに適す。
 第二、疾病保険は本邦に在りて最も必要にして、済生会の事業は最下層者に偏し、医師のいわゆる施療は普及せざる也。而して疾病保険は巨額の事務費を要し、手続き複雑なる上に、病者の真偽判じ難く、狡猾なる虚病者の為めに保険金を取らるゝ事往々なるを以て、営利会社は到底之が経営を引受けざるべく、官業もまた困難とすべし。故に相互保険即ち大工場に於る職工の組合、または数箇町の如き狭き地域の住民の相互組合等加入者同士事情相通じ、虚病を使ふの虞なきの組織によらざるべからず。その主義に至っては任意的となすべき也。
 第三、老廃保険に関しては本邦何等の設ある無きも、近来政府の計画せる小額保険の如き之に相当す。此経営組織を相互的と為すは、西洋にもその例少なからずと雖も、老廃保険養老といひ遺族扶助といひ、その救済は巨額の資を要し、従て保険料を高うするを要す。然るに労働者の程度を以てしては或程度以上に保険料を高むる事難きを以て、此種の保険に対しては相互組織は不適当なりといはざるべからず。更にまた相互保険は広き地域に亙り多人数の保険者を得難きを以て、保険の主旨たる危険を広くしがたく、不適当なりとす。若し夫れ営利会社に委ねんか、労働者の契約金高はむしろ小額なるを以て、割合に費用を要するを以て、基礎固く信用ある大会杜はその経営に当らず、之を引受くる者は不鞏固不信用の小会社なるが故に、到底之に託すべきに非ず。従て結局此種保険は官営ならざるべからざる也。抑も之を官業とすれば、第一安全にして殊に年金制度を行ふに適す。第二に労働者の負担すべき保険料を適度に止め、政府の補助金を以て之を補ひ、以て十分なる保険金を作る事を得べし。元来政府は事業家に対し幾多の補助を与へ来たるも、未だかつて労働者に補助を与へたる事無し。是大に誤れるものにして、政府は労働者に補助金を与ふるの義務あり。独仏伊諸国か老廃保険を行へる、いずれも政府より補助を与へざるは()し。或は官営に反対し、巨額の費用を要すといふ者あらんも、現在の郵便制度を用ふる時は、別に費用を要せざる也。老廃保険の主義に至ては、任意主義によるべきを信ず。思ふに強制々度は労働者が社会改良の必要を考へざるに之を行ふものなるが故に、精神上の効果薄きを免れず。独逸の如きに於てすら、労働者中強制保険を以て一種の租税と解し、不平なるものあり。資本家の側よりすれば、強ひられてする救済出資は快しとせず。為めに此が目的としたる、資本家労働者間の好意的関係は実現するに至らざる也。以上の考究より断言すれば、日本に於て強制的保険を実行せん事は時期尚早と謂はざるべからざる也。(自十時廿六分 至十一時廿五分)
 次で第三報告者たる粟津博士の報告に入る筈なりしも、時間の都合により之を午後に譲り、会員添田博士の討論あり。博士は前両報告者が共に強制保険主義を主張せざるを慨し、我邦の如く人民が将来を慮るの念薄く、従て生計の困難を加ふる処に在ては、国家は必ず之を強制せざるべからず。少くとも工場法を施行すべき工場に行ひ、その成績により之を全般に及ぼすべしとて、強制主義反対論者の論点八項を捕へ、一々痛烈なる駁撃を加へられたり。曰く、
(一) 強制は自助の精神を発達せしめ難しとの説あり。而も営々として僅少の給料に衣食せるものが保険に思到るの余裕あらんや、殊に先見の明なき我国民に於て然りとなす。(二)強制尚早論ありと雖、既に工場法を制定す、何ぞ労働保険を尚早なりといはん。(三)或は我邦の親族制度と特有の主従制度を楯として、不必要論を唱ふる者あるやも知れず。主従主義は実に美風なるも我が親族相依るの主義は一大害毒にして、我が経済進歩を沮害せる大原因なり。一日も速かに之を廃し各人の独立を計るには労働保険を強制せざる可らず。(四)甚しきは此制度は労働者をして依頼心を生ぜしむるが故に有害也となすものあり。こは労働者をして負担せしむべき保険料の割合を重うすれば容易に解決し得べき問題也。掛金の半額迄も進んで負担せんとする以上は決して依頼心ありといふベからず。(五)また雇主にとりて迷惑也とする者ありと雖、労働者の困難を救ふは結局雇主の利益也。(六)また国家の負担を云々する者あり。而も国家が保険料の一部を支出するは国家当然の義務にしてまたその利益なり。もし貧民なり廃人とならば国家は何等かの形に於て之を救済せざるべからず。むしろ()かんや、尚その未だ甚だしきに至らざるに於て之を救はんには。(七)或は国家その財源無しといふか。這般(しゃはん)〔これら〕国家の生存に関する重要なる費用を作る能はざるは、真の財政家に非ず。費用無しとて止むべきに非ず。必ず之を作らざるべからず。(八)また保険官営に対して官業万能に過ぐとの批難あるやも知れず。なるほど今日の如く利益あるものを民業より奪ひて官業とするは非也。費用多く、損失し、民業を以て為し難きものにして、社会政策上必要なる事業こそ、之を官業となすべき也。今日の官業は畢竟その等の選択を誤る。要之、(これをようするに)本邦上下一般経済思想幼稚にして将来を慮るの念乏し。今や労働問題は英国の如く可成自助的に立憲的に解決せんとし居たるに、取引を害し生存を危くせんとするに至れり。我官民こいねがわくば彼が覆轍を踏むなからん事をと、荘重の辞熱烈の態度を以て述べられ、聴衆を感動せしめられたり。(自十一時廿六分 至十一時五十分)
 右を以て午前を閉会し、会員来賓打揃ひて撮影の上、午餐後引続き一時五分開会。司会者金井博士は会務の報告として、今年は秋に於て京都神戸に臨時講演会を催ふし、東京よりも会員数名出張講演したる旨を披露し、次て会員一同に代り、中央大学当局者に対する謝辞を述べ、年末多忙中なるに拘らず、万事至らざるなき待遇斡旋を陳謝せられたり。次で中央大学理事奥田法学博士は、謹厳なる語調を以て歓迎の辞を述べられ、中央大学が我大会を歓迎するに三箇の理由ありとして云く、中央大学は社会政策学会の主義に満腔の熱心を以て賛成す、これ一なり。社会政策学会が他の無数の学会と異り、大に事業に熱心にして十年一日の如く為政者に好参考資料を供し、社会を教育しつゝあるを多とする、その二なり。また我が中央大学の子弟をして、会員諸氏の真摯なる研究の結果を聴くを得せしむるは大に予の幸とする所にして、本学が歓迎する第三の理由なりと。続て報告に入る。
 第三報告者 粟津博士は我邦に於て労働保険を実施すべきや否や、之を実施するとせば官業にすべきやの二問題に答へんと欲するものなるが、之に入るに先ち労働保険の種類を理論上、実際上及必要上の三点より観察せんとて、内外諸国の沿革及現状に就き詳細の説明を為し、更に一口に労働保険といふも、労働者を本位として観たるものと、保険を本位として観たるものゝ相違ある由を明にし、進んで労働保険公私営比較論に入り述べて云く、保険の理想よりすれば、保険の需要の発生を待ち、自然の発達に委すを宜しとす。保険の供給に至ても、また自由に民間より現はれ来るを理想とし、実際上にも現に漸々実現しつゝあり。但し民間事業の進歩が不十分なる時は、国家の強制を加へざるべからず。要之、国立とすべきか、民営とすべきかは主義の問題に非ずして、社会の実情奈何の問題のみ。之を世界の大勢に見るに、独逸先づ国営制を取て之に倣ひ、英また之に従はざるべからざるに至り、米に於てすら近時大に此説を為すものを増すに至れり。畢竟経済上労働を重んじ、政治上より民権を重ずるの結果にして、国家的労働保険は現時世界の時代思潮といふべきなり。
 然るに保険国立に反対を唱ふるもの少からず、今その論拠を紹介せん。(一)国家の経営には加入または組織の強制を免れず。しかも強制は人道に反し正理に背き、人間の怨嗟を醸すを免れず。(二)国家補助を為す時は労働者の自助の精神を亡ぼし、保険は一種の救貧制度となり、救助を受るを以て一の権利と考る如き不心得者を生ずべし。(三)職業障害保険の制は雇主責任法の変体にして、此種保険料に雇主之を負担するが故に、保険料は生産品の一項目となる。故に生産品の価格は此種保険料負担工場の生産費を限度として決せらるべく、従て此種の保険料を仕払ふの責なき工場主は不当利得を得るの不条理を来すべし。(四)労働保険は危険の測定を基礎とせざるを以て保険料の定め方不公平也。(五)国庫補助を制度とする以上国家の負担は漸次増大すべく、百年の後を慮り難し。(六)国家的労働保険は富者の財を取来て貧者に与ふるものなるが故に、社会主義也。然ば則ち国家が労働保険を行ふは国家自ら社会主義を実行する訳にして危険極まれり。(七)国家は労働者救護以前に災害の予防、衛生上の施設、保護等為すべき事甚だ多し。これを為さずしてその末たる保護を云々するはその本末を誤れり。
 以上予は之を紹介するに止め、一々批評を加へず。直ちに日本の現在に於ては之を奈何(いかが)すべきといふ問題を討究せんとす。(一)我労働者が死亡疾病につき保護的救済を仰ぐ事切なりと雖も、これ独り労働者にのみ限るに非ず。仮に然りとするも保護を起す前、数多の順序を経ざるべからずと信ず。(二)我邦の政府は和気靄々(わきあいあい)たる中に強制保護を実行し得るの威信ありや、疑無き能はざる也。(三)雇主竝に人民全体に対し労働保護の費用を負担せしむる事を得る否や。工場法の憫むべき運命は之を卜するに非ずや。(四)国家よく保護の費用を支出し得る否や、予は鉄道院の実験に徴しその頗る困難なるべきを思ふもの也。(五)わが経済界は今少しく個人的富豪を出すの要なき乎。貧富懸隔はこれありと雖も、未だ欧米の如くならず。むしろ労働者に金を与へ得る人を作るべきに非ざる乎。(六)保護よりも災害防止設備、衛生等に関する監督を先にせざるべからず。(七)労働保護は着々として事実に現はれつゝあり。鉄道、郵便事務従事員、煙草専売局等を初め、多数紡績業者間に起りつつあり。観し来れば労働保護の実施は国家的ならざるべからずとはいひ難し。さりとて必ずしも私営なるべしとも主張するに非ず。事情が之を許さば民営また可なり。民営を以てして不十分なるに当ては、国営また可なりといふべき歟。(自一時丗二分 至三時十二分)
 以上三報告者の報告終るや直ちに社員の討論に移れり。前四回は共に来賓を招じて演説を求めしが今回は之を全廃し、会員の学術的研究に基ける討論を盛んにして、本会の趣旨の貫徹を一層有効ならしめんことを期せり。而して本回の如く討論の振ひしことなきは、此新案の適切なるを証する所以なりと信ず。以下各論者の論旨を紹介す可し。
 第一席 下村貯金局長。報告者及午前の討議者の説に対して順次に批評を加へらる。先づ桑田博士の「傷害保険は民業にても可なり」との説に就き論理上の欠点を指摘し、尚ほ同氏の「疾病保険は共済主義を可とす」との説に対して小規模なる組合の無力なることを述べ、その弱点を救ふ為めには組合連合の必要なることを主張し、また之を官営にするも不可なしと断ず。然る後添田博士に対し、日本の財政の現状より見て保険強制の如き案が直ちに実行の出るものなるや否やを疑ふ。然れども自分は若しその時機を別問題として、単に主義の問題として保険強制の可否を論究するの必要なるを信ず。欧米に於ける任意小口保険の旺盛を極むるに拘らず、解約者の数の非常に多くして、実際保険の目的を完全に到達する能はざるの事実あるは、遺憾といはざるべからず。従来種々の場合に就て観察するも、下級人民が毫も他の圧迫を受けずして、真に自発的に将来の生活の為めに慮るが如きは、実際に行はるべからざることなるべし。故に労働保険を強制(即ち強迫!)するは、止むる得ざることなりと結論す。次に粟津博士に対し、労働保険に加入すべき労働者の意義を、単に腕力に依る労働者の意に解するは理由なきことなり。現今大規模の事業の行はるゝ世の中には、多数の下級事務員ありて、彼等の生活状態の不安定なるは毫も職工、工夫等と異らず。故に労働保険に加入するものゝ範囲は、労働の種類を標準とせずして、収入の金額を標準として定むべし。即ち一箇年幾何以下の収入を得るものは、此種の保険に加入すべしと定むること甚だ必要なりと論定す。夫より尚ほ一言すべきことありとて、老廃保険に関する桑田博士の説を引用し。下級人民に一時に大金を渡すことの危険なることを述べ、年金の必要を論ず。現今日本の官庁に於て冗員淘汰を行はんとするも、老朽者を解雇すれば忽ち路頭に逃ふ所の窮民を生ずるの恐あり。白耳義の如き恩給の多き所にては、老朽者は退職した方その収入を多くすることになる故、容易に吏員の新陳代謝を行ふことを得。是経済的に人物を使用する方法なり。(自三時十五分 至三時四十八分)
 第二席 上田東京高商教授。問題の要点は労働保険を官営にするか、営利会社に委すか、相互組合になさしむるかといこと、竝に之を労働者に対して強制するか否かといふことに帰す。而して自分の信ずる所にては、結局強制主義の官営保険を必要とするに至るべし。蓋し下級人民の全部をして保険の必要を悟り、且之を永続的に実行せしむる不可能なることは、先進国の既に経験したる所なり。英国にては「フレンドリー、ソサイチー」が古き歴史を有し、政府の干渉を受けずに共済主義の組合を作りて労働保険を実行し、中には強大なる組合の発達を見るに至りたれども、是は実に悪戦苦闘の結果にして、且つまた之が為めに払ひたる犠牲の莫大なりしに拘らず、未だその利益を労働者全体に普及せしむるに至らず。組合の当局さへも共済主義の力の足らざることを認めつゝあり。終に最近に至りて、英国政府は疾病及失業の強制保険を行ふに至れり。されば労働保険の方法として結局強制主義を採るに至るべきことは、到底否定する能はざるなり。
 然れども日本に於て今俄かに強制保険を実行すべきやと問ふ者あらば、自分はむしろ之に反対すべし。蓋し欧米の先進国にて強制保険の採用せらるゝに至りたるは、一般国民が真にその必要を悟了したる結果なり。日本が唯その結果のみを模倣しても、決して同一の効果を収むること難し。労働者の自覚を喚起せずしてその依頼心を助長するか如き、社会政策はむしろ為さゞるに如かず。故に今の時代は、盛に簡易保険を起して保険思想の普及を計るべき時なりと信ず。(自三時四十九分 至四時十四分)
 第三席 堀江博士。強制は人民の自由を害するが故に不可なりとの説は誤れり。労働保険の如きは、若し之を強制せざることきは、更に大なる強制を為す必要に迫らるるものなれば、是むしろ大なる強制に代ふるに小なる強制を以てするに外ならず。されば主義に於て自分は強制を不可とするものにあらず。然れども時機の問題になれば、今はその時にあらずといはんとす。何となればその外に尚ほ多くの為すべきことあればなり。保険の如き弊害の生じたる後に之を救済する方法にして、弊害そのものを除く方法にあらず。工場に於ける危険の予防の如き、一般衛生設備の如き、職業紹介の如き、予防法を先にして、然る後救済策に及ぶを正当なりとす。済生会の如きもその冠履を転倒したる一例なり。元来人を陥穽へ墜して置て、然る後「カワイソウ」なれば揚げてやらんといふは、理窟に合はぬことならずや。ロンドンにては貴婦人慈善家が、貧民に対して「ボタン」の取れたる服あらば之を付けてやらんといひしに、貧民は却て此に服の取れたる「ボタン」ある故に、服を付けて与へられよと答へたりといふ。日本の社会政策を行ふものまた宜しく此点に注意すべきなり。(自四時十五分 至四時二十六分)
 第四席 神戸博士。自助と強制と相反するものゝ如く考ふるは誤れり。労働保険は強制に依て自助の目的を達せんとするものゝみ。また弊害の予防法を講ずる前に保険を行ふは、先後を誤れりと為す所の説は、自分の感服せざる説なり。保険の実行に依て予防設備の進歩を見たるの例は、独逸に於て毫も珍しからざるにあらずや。尚ほまた労働保険は少からざる国庫の補助を要し、従て財政上の負担を増すものと考ふるは、智恵のなき考なり。そもそも財政の運用に流動資金の必要なるは言を俟たず。例へば彼の郵便貯金の資金の如き、国庫の融通を助くること少からざるなり。また独逸にては政府が十五億マルクの保険資金を有せり。尚その他にも財政上の困難を取除く方法あれども、之は他日に譲るべし。之を要するに、苟も労働保険を必要なるものとせば、吾人は毫もその財政上の困難を恐るゝ必要なし。有為なる財政家は必ずその財源を発見すべし。 (自四時廿六分 至四時四十分)
 第五席 伊藤技師。現今の制度に於て労働者の賃金は正当に支払はれつゝありやと問ふものあらば、自分は否と答ふべし。家を貸し道具を貸すものはその家または道具に元入れたる資金の全部を取戻す丈けの賃貸料を要求するも、労働者が雇主より受くる所の賃銭は、此の如く充分ならず。賃銭が充分ならざればこそ、多年勤続の後にも家に余財なくして、病気に罹れば療治費なく、業を失へば日々の糊口に窮し、老廃者となれば人の憐を乞ふの外なきに至るなり。労働者は此の如き場合に至りても、尚ほ不足を感ぜざる程の賃銭を得ざるべからずとせば、その方法は保険を措て他に求むべからず。蓋し以上述ぶる所の理由に依りて、労働者に充分の報酬を与ヘんとするも大なる雇主にあらざれば直接に之を為す能はず。大なる雇主も小なる雇主も一様に之を為し得せしむるには、その危険の平均を求むる所の保険を行ふの外なし。而して保険は強制主義を可とすべし。保険は元来強制的貯蓄なればなり。(自四時四十分 至四時五十三分)
 第六席 石川東京高商教授。自分は労働保険の強制を主張するものなり。小学教育の如きは諸文明国とも皆之を強制せり。而してその初は多少之を迷惑と思ひ、苦痛と感じたる人民もあれども、そは短き期間のことにして、今は何人も小学教育の必要を悟り、何人もその強制に不服を唱ふるものなし。されば或論者は強制の前に先づ保険の必要を悟らしむべしといふも、自分は強制の方法に依りてその必要有益なる事を知らしめんとするものなり。前弁士の内には、結局労働保険を強制する外なけれども、今は任意になし置きて保険思想の普及を計るべしと論ずるものあり。然れども余は之に反対していはんとす。労働保険の理想は任意にあり、併しその状態に至る手段として強制主義を取るべし。(自四時五十三分 至五時)
 第七席 関博士。第十九世紀の大勢は個人的の仕事を社会的に変ずるにあり。而して工場法と労働保険とはその重要なるものなり。工場法は弊害を事前に防ぎ、労働保険は同じ害を事後に救ふの差あるのみ。故に此両者は之を相関連せしめて研究せざるべからず。また保険は、工場法と異り、多大の金を要する仕事なり。此点に於て救貧問題と関連することを知らざるべからず。尚また保険は、その種類に於て、実行方法の上にも、大なる差違を生するものなれば、傷害、疾病、失業、老廃等を一々別々に論ずべく、決して一概にいふべからす。今単に傷害及疾病保険に就ていはんに、傷害保険は既に労働者賠償法に依りて雇主の責任と定められたるものを保険することなれば、之を強制するにしても毫も労働者の自助心を傷くることなき筈なり。次に疾病保険は傷害保険に似たるものなり。労働者の疾病は屡々その工場に於ける労働に帰因するものにして、その場合にはその損害の責任は傷害の場合と同じく負担すべき義務あり。現に英国の一九〇六年の法律は、疾病を傷害と同じく雇主の責任に帰すべきものとなせり。されば工場に於てその労働者の為めに疾病保険を付するは大に理由あることなり。依て、兎に角日本にては、此二を以て労働保険を創めんことを希望す。(自五時 至五時八分)
 右を以て討論を終結せり。なお他にも討論参加を希望する会員少からざりしかど、時間既に切迫したれば、司会者津村教授は之にて第一日を閉づる旨を宜告したり。時に午後五時十分なりき。

 午後六時中央大学倶楽部にて予定通りの懇親会を開く。出席者はヴヰルブラント教授、奥田中央大学理事を始め、京都大学の神戸、内田両教授、東北大学の高岡教授、神戸高商の津村、坂西、瀧谷三教授、大阪高商の松崎、寺尾両氏、小樽の大西氏等地方よりわざわざ上京の会員甚だ多数なり。在京会員出席者は桑田、高野、福田、堀江、佐野、関、上田、持地、堀、稲田、中島、石川、伊藤、塩沢、服部、守屋、五島、小山、矢野、下村等の諸氏総計三十名の多数に及べり。席上桑田博士は我社会政策学会第五回大会に於て、同学にして同志たるチユービンゲン大学経済学教授ヴヰルブラント博士を来賓として歓迎するを得たるは、一同の深く光栄とする所なる旨を述べ、福田博士はその意を布演し、且つ我会の成立沿革竝に各大会の経過及本日討議の進行等に就き詳細なる紹介の辞を独逸語にて演述して、ヴヰ教授の為めに乾盃し、会員一同之に和したるの後、ヴヰ博士は独逸語にて感謝の辞を述べ、本会の繁栄を祝して乾盃せられたり。桑田博士は再び起って中央大学の為めに謝辞を呈し、奥田博士之に答へ、かくて一応の形式を終るや、会員は順次に起立して邦語または英語にて長短夫々の卓上演説を試み、最後にヴヰ教授は英語にて再び感謝の辞を致され、応酬の歓語堂に充ち、主客共に少からざる印象を得て愉快に散会したるは九時過なりき。唯一の遺憾は金井、山崎、河津諸博士が病気の為め例年の如く出席せられざりしこと是のみ。

第2日

 第二日午前九時二十五分開会。司会者桑田博士開会を告げ、直ちに会員の講演を始む。
 第一席伊藤早稲田大学教授は『海運会社の積立金』と題し、海運業の特色として好不況常なく収益不定なる事、及び長年月の中には資本に対する収益漸次減少するの傾ありとて、種々の例を挙げて之を論証し、従て海運業者は之に備ふる為め、特に会計の基礎を鞏固にせざるべからず。而して当業者が実際上執る所の手段に二あり。一は船価償却にして他は即ち積立金なり。元来船価償却は営業費の一項目にして、積立金と同一視すべきものに非ざるも、海運会計の実際より論ずれば、之を分割して取扱ふ事極めて困難なりとて、先づ船価償却金の性質を明に、進で海運会社に特有なるべき積立金中各社に共通なるものとして、(一)利益配当経済積立金、(二)船舶改良積立金、(三)船舶拡張積立金を挙げ、その必要なる所以を詳説し、偖て奈何なる程度に積立を為すべきやといふに、その経営する航路の範囲及性質使用船舶の種類、貨客の状態、競争者、政府との関係、その他諸種の事情により到底一様にいひ難きも、世界諸国の重要なる大会社の会計状態を比較し、その資本金及社債に対し積立つベき金額として、十分安全なる程度、普通必ず備ぶべき程度、危険状態に入る程度の三つに分ち各大体の割合を示されたり。(自九時廿六分 至十時二十八分)
 第二席石川教授は『労働保険の再保険に就て』と題して、再保険は一時の大損害の為に保険の計算に大なる禍を生することなからしむるの方法なり。危険を手軽に広く分配する方法なり。されば一口の金額少きものは再保険の必要少し。また共同保険と称して、数人の保険者が共同して一の保険契約を引受くる場合にも、その必要少し。之を実地に就て見るも再保険は、海上保険に多くして陸上保険に少し。また損害保険に関しては多少行はるゝとも、生命保険には殆んど行はれずといひて可なり。その理由は海上の危険が見込付き難き上に一口の金額多く、特に近年中商業界の繁忙となるに伴れて予定保険の流行を来し、一艘の船に沢山の荷物が積込まるに故に、保険者は不知不識一艘の船に積込みたる多くの荷物を保険する場合を生し、一時の海難の為めに莫大なる責任を生することあり。之を避くるの途は再保険を最も良しとす。是再保険の行はるゝ原則の大要なり。
 翻て労働保険の場合を見るに、その性質は大体生命保険の範囲に入るものなれば、一見して再保険の必要は甚だ少きの感あり。加之その一口の金額は無論小額なるに依りて、益々その必要の感を薄くするものなり。併し余の信ずる所にては、此事極めて必要なり。何となれば(第一)工場に働く多数の労働者は恰かも同じ船に積合せたる荷物の如く一の災害の為めに同時に損害を受くるの危険大なり。(第二)労働者の出入頻繁なるは倉庫会社の荷物の出入頻繁なるに似たるが故に、工場主に於て必ず予定保険をなすの必要を生ずべし。(第三)労働者の生活の不規則なること、その徳義心の不完全なること、竝に診査を全廃すること等に依りて、危険の測定を困難ならしむ。
 再保険が必要なりとせば、次に生ずる問題は如何に之を組織すべきかといふことなり。保険の学問上より見れば、再保険は総て損害保険なりと雖も、労働保険の場合には之を生命保険会社に委する可とすべし。併し一歩を進めていへば、むしろ之を官業とするに如かず。余は労働保険その者を官業にすることを好まざれども、その再保険は是非之を官業となさんことを主張す。蓋し労働保険を小規模にすれば危険の平均を取る能はず。大規模にすれば労働者の自治の精神を薄くして、所謂「共ギンミ」の足らざる弊に陥るべし。故に小規模の保険団体を多く組織せしめて、更に再保険の方法を利用せしむるは、最も策の得たるものなり。然れども此再保険者がその地位勢力を害用するときは甚だ危険なるに依り、政府自ら之に従事すべし。唯保険の鞘取商買なからしむることを注意すべし。此の如くすれば政府は再保険を利用して、大に労働保険の普及を奨励することゝなるべし。(自十時廿九分 至十一時廿三分)
 第三席下村貯金局長は、『日本国字の将来』と題し、文字は精神的食物にして、日本国字の日本人に於けるは猶日本米の日本人に於けるがごとし。即ち欧州諸国民は各国共通の食物を食ひ、その供給を世界に仰げるに反し、日本人は特殊の食物を用ふるが為め、需要も供給も一小島内に限られ居る也。我が文字も之に同じく思想上の食物の供給を直接には外国までに仰ぐ事能はず。況や我が思想界の産物をその儘海外に輸出して彼の賞翫を得ん事をやとて、大に我が文字の特性を不利とし、進んで、小中大学に於て困難なる漢字を学修する為めに要する時間と労力に及び、若し漢字を廃するを得ば大学教育近の間に五箇年間を節約し得べく、此金額五億円。更に学校卒業後各人が日常文字の点画に意を労する為めに費す時間を計算すれば、その年額二百万円を下らざるべく、英仏学者の所説より考ふれば、或は総計にて一年十億円に及ぶべきかと断じ、之に対する救済策として、東京の新聞社をして連合して協約を為さしめ、終局は仮字のみとなすの目的を以て漸次漢字を減少し行き、一方に小学校にては正科として羅馬字を授けしむべし。然らば国字は終に仮字のみとなり、国民皆ローマ字を知るに至らば、之をローマ字に改むる事を得べしと説かれたり。(自十一時廿四分 至十二時廿七分)右にて午前の講演を終り休憩す。

 午後一時五分開会。予定の順序により次回大会の委員を選定す。福田博士動議、高野博士、佐野博士賛成。従来の例に倣ひ、司会者の指名を乞ふことゝなる。司会者山崎博士左の十一名を指名す。
 金井延、桑田熊蔵、高野岩三部、中島信虎、建部遯吾、河上肇、石川文吾、堀切善兵衛、坂西由蔵、岡実、永井柳太郎。

以下直ちに講演を続行す。
 第一席、『救貧費に就て』星野慶應大学教授。救貧費は何故に出すべきものなりや。また出す理由ありとせば如何なる程度に出すべきものなりや。是救貧費に関して論ずべき二大要点なり。而して吾人は先づ此に第一の問題を解釈せんとするものなり。凡そ現時の交通経済、貨弊経済の時代に生活するものは、自ら金を儲けてその生計を支ふる必要なり。また普通の場合には、各人がその勉強に依りて必要丈けの金を儲け得る様に、社会の組織が立ち居るなり。然れども日進月歩の世の中には、新しき競争者の出現に依りて旧式なるものゝ収入が奪はるゝことあり。また恐慌の来襲に依りて、無産者階級一般に急に生活の困難を感ずることあり。此の如き原因の為めに貧窮に陥りて生活の途に窮する所の鰥寡孤独かんかこどく〔妻のない夫、夫のない妻、孤児、老いて子のない者〕の輩を救ふが為めに、救貧費は必要となるなり。且また世運の進歩は欲望の向上を来し、物価の騰貴を来す事は、広く各国一般の経験したる所なり。特に諸強国の財政は国際競争の避くべからざる結果として、近年頻りに膨脹し、之が為めに下級人民の生活を困難ならしめたるものまた甚だ軽しとせず。蓋し租税の賦課はその抵抗の少き所に従て消費税を主眼とするに傾き、而かも此消費税も贅沢品よりは必要品に課する方が確実に多額の収入を得るの便宜あるに依りて、自然必要品に重課する事となる。是に於て物価を騰貴せしめ、人民の生計を困難に陥るゝものなり。また彼の所得税の如き、日本の制度は制度として頗る進示したるものなれども、之を実行するに当りて脱税の多きことまた驚くに堪へたるものあり。而してその取立の方法は下級に対する程厳重なり。此くして下級人民の生活は概して益々困難に陥る傾向あり。然るに一方に於て、昔の家族制度は漸次に衰へつゝあり。昔は親族中に貧窮者あれば之を扶助するが人間の義務なりしと雖も、今や此の如き思想はむしろ卑屈なる依頼心に基くものとして排斥されつゝあり。是に於て貧窮者はその苦痛を何人にか訴へざるべからず。その不平は終に彼等を駆て社会党たらしめ、革命党たらしめ、以て社会の秩序を乱し、その根柢を破壊せんとするに至る。是実に避くべからざる勢なり。されば救貧費は現代の社会に於て有無何れにても可なりとふ性質のものにあらず。是非なければならぬものなり。即ち社会保存の必要手段なりと断定せざるを得ず。但し救貧費の程度に至りては、租税負担の程度と同じく頗る複雑なるが故に、今日述ぶる能はず。之を後日に譲らんとす。(自一時十分 至一時四十六分)
 第二席 坂西神戸高等商業学校教授は、『社会政策の根本問題』と題し社会政策を以て博愛慈善に出づるものとなし、または慈善を標榜するの誤を訂し、仮令慈善を以て労働保護を行ふものありとするも、そは這般特殊なる雇主の生存及意思状態あるを条件とし、決して永続し得るものに非ず。真の労働保護は、雇者被雇者間人格の対等を認め、双方利害共通なりとの観念に基かざるべからず。蓋し無制限なる自由競争を実行せんか、強者は弱者を抑圧し、弱者は十分にその能力を発揮する事能はざるべし。されば社会政策は適度の保護を弱者に与へ、以て弱者たる労働者をして十分その能力を発揮せしむ。此意味に於て社会政策は救貧制度に非ずして、純然たる生産政策と一致するものなりと喝破せられたり。(自一時四十七分 至二時二十三分)
 第三席 『私法と社会政策』松本博士。近年社会政策的意味を有する行政法財政法の進歩は頗る著しきものあれども、私法の方面にありては羅馬法以来大変化なく、依然として旧日の阿蒙たるが如し。併し独逸の新民法の如きまたは来年より実施せらるべき瑞西の民法の如きは、多少社会政策の意味を以て単純なる法理の結論を左右する傾向あり。元来旧式の民法には幾分か旧式の社会政策的規定を加味したるものありしに、日本の民法は此旧きものを除去したるのみにて、新しきものを加ふることをなさず。故に最も非社会政策的のものとなりたり。余の信ずる所に依れば、社会政策は元来情実論なり。或は遠き将来に於て、二十世紀の識者が社会政策等と云ふ不徹底の思想を尚びたるを笑ふことゝなるやも計られざるなり。併し法律もまた単に冷酷なる論理のみに依て制定すべきものにあらずして、情実を斟酌せざるべからず。現今の日本にては、法を立つるに情実を用ふる形跡あり。是冠履転倒にあらずや。由来私法と社会政策の縁故遠きものゝ如くに考へらるゝは、大なる誤解なり。余はその両者の関係密著なることを明かにせんが為めに私法の内容に立入て論ずべし。
私法を大別して(一)専ら人に関するもの(二)法人その他団体に関するもの(三)財産に関するものとなすべし。
(一)の部門に属する法律にして特に社会政策上重大の意味を有するは家族制度の問題なり。即ち家といふものを認むべきや否や、婚姻のこと、夫婦の権利義務、離婚の条件を如何にすべきや、親子の関係、私生子の地位を如何に解すべきや、遺産相続を一子相続にすべきや、均分相続にすべきや等の問題あり。
(二)の部門にては法人の外部関係特に「トラスト」の如き大法人の国家立に個人に対する関係を重要なるものとす。
(三)の部門にては物権法の範囲にて、所有権の保護及制限に関する重要なる根本問題あり。その他永小作人と地主の関係、質入人と質権者との関係の如き問題あり。次に債権法の範囲にて契約自由の原則に対する例外規定の問題あり。日本民法第九十条即ち善良なる風俗云々の規定は、即その目的を有するものにして、若し裁判官が相当の智識判断を以て之を解釈するならば、立派なる社会政策が行はるベき筈なり。また各種契約の内には雇傭といふ社会政策上の大問題あり。日本民法中雇人の権利に関する規定なきは欠点といふべし。また不法行為に就ては、現今は過失なければ責任もなしとの原則を立つれども、是には例外を設けざるべからず。労働者賠償法の生ずる所以、此にあり。日本にては工場法と鉱業法に此種の規定あれども不完全なり。
 最後に民事訴訟法は私法に非ざれども、私法の施行上大なる関係あり。現今の訴訟法は手続き繁雑にして、無産者に不便なり。法律相談所の如きは枝葉の論のみ。社会政策学会の如きは宜しく我民事訴訟法改正問題に関して大に論ずべき筈なるに、之を為さゞる余の遺憾とする所なり。
之を要するに従来社会政策と私法との関係疎遠になれば、私法学者社会政策を知らず。社会政策家もまた私法を知らざるに帰因するものなれば、今後は両者の併せ研究せられんことを希望するものなり。(自二時二十四分 至三時三十分)
  第四席、『食物問題と国家社会問題』津村神戸高等商業学校教授。先づ明治二十年以来米価が年毎に驚くべき歩調を以て騰貴し来れる趨勢を示し、その原因は人口増加の急速なるに対し、内地産米の増加が伴はざるにありとし、日本人は特に日本産米に対し一種強烈なる執著を有し、台湾支那等に産する物を以て代用に供せんとするも極めて困難なりとて、種々の実例を以て之を論証し、従て日本米は此特殊の執著の為め随分驚くべき高価に上るも尚需要を減ずるの憂無きものなるを以て、買占投機の目的物としては極めて適当なるを指摘し、一転して日本に於て近来大富豪の現はれ来れる実状を説き、是等富豪の勢力の下にある資金を以てすれば、端境期に中央市場に在る現米を買占め、思ふが儘に市場を左右せん事決して難事に非ざるべし。況や諸種の大仕掛なる買占に慣れ、曩には我が石油業に手を下し、或は樟脳買占を企てたる如き、外国人にして我日本と日本米の特殊緊密なる関係に著眼するに至らば、何時にても買占を実行し、引渡を受け入庫して頑固に暴価の出現を待たん事、彼等の財力と胆力とを以てせば実に易々たり。マルサスの人口論は、将に我邦に向てのみ適切に当篏らんとすとて、大に警告を与へられたり。 (自三時丗一分 至四時丗一分)
 第五席、『財政の心理』神戸博士。近時財政学の上に心理的研究を用ふるの傾向進み来り、また実際にも国費の増加するに従て、財政上の負担に対する国民の悪感を除去するの方法を研究する必要起れり。故に学問上実際上共に此問題の興味を喚起するに至れり。
 本問題の内容は第一、財政上の意思作用、第二、租税の負担に関する心理なり。第一の部門にて二三の問題を挙ぐれば、例へば政府予算の分取の如き、租税制度制定の如き場合に、一部の利益の為めに国家全体の利益を犠牲にして顧ざらんとする事実あり。而かもその内には有意的行為の外に無意的行為あり。無意にして公共の利益を無視する例少からず。是心理上より研究すべき問題なりとす。
第二、租税の負担に関することは之を五に分つべし。(一)租税の性質、(二)徴収方法、(三)政治上の事情、(四)人民の性質、(五)納税の時に於ける事情是なり。
(一) 租税の性質に於ては次の関係あり。
(1)戦時の税は平時よりも軽く感ず。
(2)古きものは新らしきものよりも軽く感ず、従て変更は少きを可とす。
(3)軽き税は重き税よりも比例以上に軽く感ず。
(4)物税は人税よりも重く感ず。
(5)間接税は直接税よりも軽く感ず。
(6)収入税は支出税よりも軽く感ず。
(7)不労所得税は勤労所得税よりも軽く感ず。
(8)不労所得税中規律的に一定の財産より生ずる所の所得に課するものは、外界の理由に依り入来る所得に課するよりも重く感ず。
(9)生産的財産に課するものは、享楽的財産に課するものよりも重く感ず。
(10)享楽的財産中奢侈的のものに対する税は、必要的のものに対する税よりも軽く感ず。
(11)公平なる税は不公平なる税より軽く感ず。
(二)徴収方法に就ては次の関係あり。
(1)一回全納よりも、数回分納を軽く感ず。但し農民の如き例外あり。
(2)一回税務官と交渉するものよりも軽く感ず。
(3)徴収法が急になれば、その比例以上に重く感ず。
(4)公平なれば、不公平なるよりも軽く感ず。
(5)他人が脱税をなす場合には重く感ず。
(三)政治上の事情に就て左の関係あり。
(1)国の経費支出が公平なる場合は軽く感ず。
(2)官僚政治の場合には軽く感ず。
(四)人民の性質に就て左の関係あり。
(1)貧乏人は富者よりも重く感ず。
(2)絶対の必要費多き人は、その少き人よりも重く感ず。
(3)奢侈的の人は軽く感ず(消費税に関して特に然り)。
(4)公共心厚き人は軽く感ず(直接税に関して特に然り)。
(五)納税の時に就て左の関係あり。
(1)生活上困難の時は重く感ず。
(2)不景気の時は重く感ず。
さて以上述べたる内にて(五)は政府の力を以て直接之を左右すること能はざれども(一)より(四)までは之を軽く感ぜしむる方策あり。次の如し。
第一、 民意を尊重すること。
第二、 経費を節約し且会計監査を厳重にすること。
第三、租税を整理して生産業に課するものを軽くすること。
第四、取立方法及税務官の態度を公平にすること。
第五、国民経済の発達に勉むること。
第六、人民が国家公共を尊重する心を養ふこと等なり。(自四時三十一分 至五時五分)
 右にて予定の講演全部演了したれば、司会桑田博士は簡単に閉会の辞を述べ、無滞閉会したり。時に午後五時十分。
 此夜六時半、八重洲町中央亭に於て、地方より上京の会員慰労を兼ね新旧委員の打合会を開くこと例年の如し。出席者は神戸、高岡、津村、坂西、瀧谷、寺尾、松崎、田崎、大西諸君を始め総計二十一名にして、此等上京諸君の卓上演説ありたる後、宴を徹し、別室に於て次回大会の問題、期日場所、報告者等に就て協議会を開き、各自の希望を述べたり。次回の問題としては『社会政策の基礎』『農民負債』『小作制度』『物価騰貴』『土地増価税』等の発議ありしも、採決数回にして高野博士提案の『生計費問題』大多数を得、之に決定せり。期日に就ては十二月は短日にして開会に便ならざれば、九月の下旬にしたしとの説有力なりき。場所は明治大学、専修学校等の議あり。此等の案件は凡て、幹事及委員に一任し、適宜決定することゝし、報告者の指定もまた之に従ふことゝなれり。

第3日

 翌二十六日、会員の有志十数名は三井慈善病院を参観したり。早川千吉郎氏の紹介により、事務長代理船尾栄太郎氏一同に対し案内の労を執られ、病室、診察室、研究室、書庫、講堂、施薬、受附等隈なく巡覧し、茶菓の款待を受けて同院を退出したるは十二時過なりき。午後二時東京府巣鴨病院を参観す、ここには追加入の会員数名あり。医員二名(残念乍ら名を逸す)懇切に嚮導説明せらる。例の葦原将軍の室に至り、医員氏は社会政策学会々員の参観あるにつき何か御話をと請はれしに、将軍は豪然として『何、農商務省の糞を喰って生きて居る奴等には用はない、さっさと帰せ』と答へて振向きもせざりしは当日の珍談に数ふ可きや。巡観を訖へて後、別室に於て医員氏と種々談話を交換して後辞して出でしは黄昏の頃なりき。かくて地方より上京の会員諸氏は、不少印象を与へて夫々帰途に就かれ、ここに第五回大会は愉快なる記念を以て一切恙なく成功ある終結を告げたり。

〔2005年4月14日掲載〕


《社会政策学会論叢》第五冊 『労働保険』(同文館 1912年5月刊)による。

 なお、ここでは読みやすさを考慮して、原文にはない「概況」「第1日」「第2日」等の小見出しを加え、原文では簡単にすぎる句読点を詳細にし、漢字の一部を仮名に改め、明白な誤植は訂正した。また〔 〕内は二村が追加した注記である。





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