社会政策学会賞 選考委員会報告


 

第15回(2008年)学会賞受賞作

学術賞
二村一夫『労働は神聖なり、結合は勢力なり−高野房太郎とその時代−』岩波書店
奨励賞
榎一江『近代製糸業の雇用と経営』吉川弘文館
宮坂順子『「日常的貧困」と社会的排除−多重債務者問題−』ミネルヴァ書房


第15回(2008年)学会賞選考報告

社会政策学会賞選考委員会

委 員 遠藤公嗣、久本憲夫、竹内敬子、田中拓道、菅沼隆(委員長)

1 選考経過

第15回学会賞選考委員会報告 2009年5月22日
2008年も、優れた業績が数多く発表され、学会にとって実りの多い年であった。ベテラン・中堅会員の長年の研究成果から、若手会員の博士論文まで幅広い年齢層と幅広い分野で成果が出されたことはまことに喜ばしいことであるといえよう。
 以下、選考経過と講評を述べる。  2008年10月12日第5回幹事会にて、選考委員5名が委嘱された。同日、第1回の選考委員会を開催し、互選で委員長を選出、また選考の基準について確認した。第1に、会員の単著に限定すること、第2に、奨励賞は「若手」に授与するが、その「若手」とは年齢で区切らずアカデミック・キャリアで判断すること、第3に、学術賞は複数受賞がありうるが、2点を上限とすることが適当であろうこと、を確認した。また、会員の業績を把握するために、会員名簿にもとづいて、新刊検索を行うこと、そのために学会賞予算を一部充当することとなった。 ニューズレターの第3号および学会ホームページで、学会賞候補作の推薦(自薦含む)を募った。その結果、3名から計2点の推薦があった。
 第1回委員会合意に基づいて、会員歴3年以上の名簿をワールドプランニングで作成した。この名簿をもとに大型書店の書籍検索サービスに名前を入力し、2008年1月から12月に刊行された会員の単著を検索した。この結果、35点の単著が検索された。このうち、教科書、入門・概説書、随想であることが明らかな著作を除外し、推薦のあったものを含めて18点を残し、第2回選考委員会に現物を持ち寄ることとした。
 第2回選考委員会を2月23日明治大学にて開催した。第1回委員会の合意事項を確認した後、第一次選考として、注目すべき業績を絞り込んだ。
 こうして、最終選考に次のものを選定した。

学術賞候補作4点
二村一夫 『労働は神聖なり、結合は勢力なり−高野房太郎とその時代−』岩波書店
川口章『ジェンダー経済格差』勁草書房
三富紀敬『イギリスのコミュニティケアと介護者』ミネルヴァ書房
宮坂順子 『「日常的貧困」と社会的排除−多重債務者問題−』ミネルヴァ書房

奨励賞候補作4点
榎一江『近代製糸業の雇用と経営』吉川弘文館
宮坂順子『「日常的貧困」と社会的排除』ミネルヴァ書房
石塚史樹『現代ドイツ企業の管理層職員の形成と変容』明石書店
金成垣『後発福祉国家論』東京大学出版会
 これらの候補作を委員全員が読み、第3回選考委員会で選定することとした。
 なお、次の作品は最終選考には残らなかったものの、優れた業績として高く評価された。
伊藤周平『介護保険法と権利保障』法律文化社
江里口拓『福祉国家の効率と制御』昭和堂
佐藤卓利『介護サービス市場の管理と調整』ミネルヴァ書房
里見賢治『新年金宣言』山吹書店
森詩恵『現代日本の介護保険改革』法律文化社
 なお、故吉尾清氏の『社会保障の原点を求めて−イギリス救貧法・貧民問題(18世紀末〜19世紀半頃)の研究』関西学院大学出版会の取り扱いについて検討した。研究水準の高さを確認したが、故人となられていることを考慮し、候補から除外させていただいた。また、阿部彩『子どもの貧困』岩波書店を候補作に入れるべきという意見もあったが、他日、本格的な業績の刊行を待つべきということになり、候補から除外させていただいた。
 5月2日に明治大学にて第3回選考委員会を開催し、以下のように受賞作を決定した。
学術賞1点
二村一夫『労働は神聖なり、結合は勢力なり−高野房太郎とその時代−』岩波書店
奨励賞2点
榎一江『近代製糸業の雇用と経営』吉川弘文館
宮坂順子『「日常的貧困」と社会的排除−多重債務者問題−』ミネルヴァ書房
以下、選定理由を述べる。
学術賞
 二村一夫『労働は神聖なり、結合は勢力なり−高野房太郎とその時代』(岩波書店)は、高野房太郎についての日本初の本格的評伝であり、二村会員が30年余にわたって研究してきた成果である。いうまでもないが、高野房太郎は日本における労働組合運動の生みの親であり、また明治期における社会政策学会の数少ない会員の一人であった。本書は、高野房太郎について、その誕生から死亡までの本人と周辺の諸資料をくまなく渉猟して、これまでよく知られていなかった無数の事実を発掘し、その本格的評伝となっている。さらに、これまでの研究では、労働組合期成会や鉄工組合などをキーワードとする初期の労働組合運動については、片山潜・西川光二郎著『日本の労働運動』に依拠することが多かったが、本書は、この共著に潜むところの、重要な事実の誤りを数多く指摘し説得的に是正している。
 本書は、読みやすさを優先して、全部の注を省略し、それらはインターネット上の『二村一夫著作集』に収録の本書オンライン版にゆだねている。しかし、このことによって、本書の学術研究上の価値はそこなわれていない。それどころか、推測して記述せざるを得ない個所では、本書は、その推測の根拠を必ず明記するという周到さを備えている。物語風歴史書ではないことが、本書では意識されている。本書は、日本の労働運動の黎明期について、その歴史像の再構成に成功したと評価できる。この分野についての今後の研究は本書を基準とし、本書におおく依拠するであろうことは間違いない。選考委員の全員一致で、本書は学術賞にふさわしいと判断された。
 なお望蜀の感を述べれば、本書の一部、たとえば生協運動の先駆者としての高野房太郎については、さらに発掘できる事実が存在する余地を感じられた。もっとも、これらは後学にゆだねられた研究課題であろう。

奨励賞
 榎一江『近代製糸業の雇用と経営』(吉川弘文館)は、1896年、京都府何鹿郡に設立された郡是(現グンゼ)の製糸工女の戦前期の雇用関係の変化を、近代工業と農村社会の相互関係に留意しつつ詳細に分析したものである。そして、その過程で工女たちがいかに大規模工場での労働に適応していったのか、という問題を、著者は、従来あまり利用されてこなかった工女自身の声も丹念に拾いつつ検証している。分析の対象は朝鮮工場における「失敗」の事例にまで及び、雇用制度の確立における社会基盤形成の重要性が示される。本書は、極めて研究史の厚いわが国製糸業の歴史に果敢に取り組んだ意欲作である。雇用関係を農村社会との関連で立体的にとらえた点、発掘が難しい工女自身の声を利用した点、それ故に著者自身が目指したように工女の存在が「リアリティ」を持って描かれている点、植民地も分析の射程に入れている点などが高く評価された。他方、経営資料は権力関係の下で作られているということについての批判的な姿勢が若干弱いのではないか、という点が指摘された。

 宮坂順子『「日常的貧困」と社会的排除−多重債務者問題』(ミネルヴァ書房)は、社会的に重要な問題でありながら、その実態が十分に把握されていなかった多重債務者問題について、その全体像を明らかにしようとした意欲的な研究である。多重債務者問題は、従来の労働研究や貧困研究からもれ落ち、自己破産として顕在化するのでなければ把握が困難であった。本書はこの問題を「消費者信用」(金融)の存在によって「誘発」され、日常的生活において生じる「貧困化の過程」として捉える。さらに従来の統計の不備を補うべく、当事者へのインタビュー、関係諸機関へのアンケート調査などを多角的に組み合わせ、その実態を体系的に解明することに成功している。その結果、世帯構造によって問題の現れ方が異なること、特に経済基盤の脆弱な女性が多重債務に陥りやすいこと、社会的排除と密接に結びついていることなどが明らかにされている。今後の社会的な取り組みへの示唆を与えた点で、本書の意義は大きい。一方「日常的貧困」などの分析概念の定義、ジェンダーに応じた問題の体系的な把握、消費者金融の役割に関する考察が、やや不十分ではないか、という指摘もなされた。これらについては次回作でさらに踏み込んだ考察がなされることを期待したい。

 他の候補作について簡単に講評をさせていただく。
 川口章『ジェンダー経済格差』について。男女間の雇用格差に関する経済理論はすでにいくつかあるが、いまだ不十分である。既存の理論に違和感をもつ川口会員が本書で打ち出したのは、ゲーム理論にもとづく統合的なモデルである。本書では、日本的雇用制度における女性差別慣行の構造が明晰に分析され、最後に格差を解消するための政策提言が試みられている。全体としてオリジナリティが高く、意欲的な研究である。学術賞とするかどうかで最後まで意見が分かれたが、「革新的企業」の役割についてやや楽観的すぎるのではないかという意見もあり、最終的に学術賞にはわずかに届かないという判断となった。ただし、こうした理論を踏まえた研究はきわめて重要であり、今後多くの研究成果が出されることを期待したい。

 三富紀敬『イギリスのコミュニティケアと介護者』は、イギリスのみならず広く欧米諸国の介護者支援について、精緻に研究した文字通りの労作である。緻密な実証分析と介護者支援策の必要性を明らかにした点が高く評価された。だが、主たる対象であるイギリスにおいても介護者支援策が様々な困難を抱えていることを指摘しているにもかかわらず、その困難さを踏まえて政策的教訓を導くことに成功しているとはいいがたいのではないかという点、また、所得保障の財源論が展開されていない点などに疑問が残った。三富会員はこれまで『イギリスの在宅介護者』(第7回奨励賞受賞)、『欧米のケアワーカー』を著し、本書はその第3部に該当する。委員会では、これらの研究を踏まえて日本の介護者支援のあり方についての研究と政策提言をまって三富会員の業績を評価することが望ましいと判断させていただいた。

 石塚史樹『現代ドイツ企業の管理職層職員の形成と変容』について。大卒ホワイトカラーの労使関係上の重要性の高まりは世界共通の課題である。本書は、今まで明らかにされていなかったドイツの主として化学産業の「管理職層」の組合活動に焦点をあてたものであり、この点において学術的貢献は非常に大きいといってよい。そのため、最終選考において奨励賞に値するのではないかという意見もあったが、分析がやや弱く、経営学的観点からみてもやや不満が残ることから、惜しくも受賞には至らなかった。

金成垣『後発福祉国家論』は、比較福祉国家論のレジーム類型論に「時間軸」という視点を導入し、韓国・日本などの東アジアの福祉国家の「座りの悪さ」を解明しようとする意欲的な研究である。先行研究の処理のしかたなど理論的な取り扱いが優れている点、韓国の福祉国家のプロセスを詳細かつ明解に紹介している点が評価された。とりわけ、韓国の福祉国家研究に与えるインパクトは大きいものがあると考えられる。だが、著者が終章で自覚されているように、各国の福祉国家の特質を究極的には人々の「働き方」に求めるのだとすれば、本文の叙述の方法は相当に異なったのではないかと思われる。

最後に選考の過程で感じた印象を2点指摘したい。
 第1に、作品それ自体の完成度の高さを評価することになると、歴史研究の評価が高くなる傾向があるということである。というのも、長年の研究の蓄積が可能で、オリジナリティが比較的明解であるからである。これに対して、新領域の研究、理論的研究、現状分析などは難点を指摘しやすく、評価が分かれやすく、受賞に至りにくい傾向がある。「荒削り」な部分があっても、「優れた」部分を積極的に評価することも必要ではないかと思いつつ、完成度とのバランスで苦しい判断をせざるを得なかった。
 第2に、学術賞の選考基準は、絶対的なものとするべきかどうか、難しい点がある。過去に該当作なしの年が何度かあるように、学術賞には「研究のマイルストーン」として「圧倒的な印象」を与えるというある種の絶対的な基準があるように思える。我々もこのような過去の基準を多少意識し、学術賞については慎重になった。だが、これでは受賞者はなかなか増えないことになる。その基準をやや緩めて、相対的評価とし、当該年で最も優れた研究に授与することにしてもよいのではないかという思いも生じた。
 会員が心血を注いで作り上げた作品を評価・選考することに、罪の意識に似た苦しみを感じた作業であった。同時に、このような作品と正面から向き合うことができた喜びもいだくことができた。

以上