第10回(2003年)学会賞
社会政策学会賞選考経過報告
2003年は、社会政策学会員の刊行著作が、とりわけ労働研究の分野において質量ともにきわめて豊穣な年であった。熊沢誠、大森真紀、田中洋子、富田義典、宮本太郎の5名からなる選考委員(以下「私たち」と略))は、何か月もの間、それらを通読する時間に追われた。その通読の印象をふまえて、04年4月3日の選考委員会で、私たちは今回に独自の選考方針を決定した。
1) 編著本、一般書、論文などにはあえて「眼をつむ」り、選考対象を単独の著者による専門書にかぎる。
2) 学術賞、奨励賞のほか、「今年の収穫」と思われる優れた数点を、制度上は「選外」であるにせよ「社会政策学会推薦著作」として顕彰する。数多の労作を前にして選考を果たさなければならない私たちの心労が生み出した、それは「方針」であった。
その上で、この日には長時間の討議の末、対象とした作品20余点から、その時点で多くの委員がまだ読んでいなかった著作2点、議論が尽くされなかった2点をふくむ12作品を最終選考の対象に選んだ。問題意識や分析視角の鮮明さ、論理の説得性、調査または史的実証の周到さ、一本の構成としての体系性などが考慮された基準である。そして各委員の精読、再読を経た5月8日の最終選考委員会では、この12作品から受賞作品と「推薦著作」を特定した。奨励賞と「推薦著作」の範囲についてはいくらか意見の相違があったものの、私たち自身も驚くほど意見は一致を見た。受賞作品は次の通りである。
【学術賞】
石田光男『仕事の社会科学−労働研究のフロンティア』ミネルヴァ書房
【奨励賞】
禹宗杬『「身分の取引」と日本の雇用慣行』日本経済評論社
首藤若菜『統合される男女の職場』勁草書房
かんたんに理由を述べる。石田光男(敬称略、以下同じ)の作品は、仕事と報酬に関するするルールの探求である労使関係研究が英米と日本でどのような視点と問題意識で行われてきたかを文献的にくわしく検討し、その上で現時点でのルール探求が労働組合による職場規制ではなく経営管理、とりわけ「部門別業績管理」の立ち入った解明として遂行されるほかはないという歴史性を見すえて、ブルーカラー、ホワイトカラーの両部門についてみずからの踏査にもとづく調査研究と記述の方法を示している。この段階での労働組合の役割も概論ながら批判的に検討されている。いくつかの優れた指摘、巧みなききとりに引き出された実務者の興味深い発言に満ち、専門書としては例外的に「おもしろい」書物である。良い意味での「物語性」(事実に吹き込まれるエトス)がある。この書はアカデミックな完成度においては以下に見る中西や禹の研究に一歩譲るかもしれないが、現代日本の労使関係研究についてこれから解明されるべきテーマ、調査研究の有効な視点、人びとの多くが納得しうる労使関係観をもっとも鋭敏かつ正確に示しているのは、一見「軽い」印象を与えもする本書にほかならないと思われる。
禹宗杬(ウージョンウォン)の研究は、戦前から戦後50年代までの国鉄における雇用慣行の形成過程とその論理構造の解明を通して、歴史内在的に日本の労使関係の特質を探求する文字通りの労作である。この研究の特徴は、労使関係の安易な一般論を拒否したあくことなき「日本」への執着であり、取引対象がしかるべき従業員「身分」となる理由、「身分」要求を正当化するために「能力」、「貢献」、「勤続」などの諸概念に労働者が読み込んだ意味、そしてむろん具体的なテーマをめぐる労使の交渉過程が、徹底した文献渉猟を通じて丁寧に解明されている。ただ、この「日本内在的な」労作を読む者は、「身分」要求の背景になっている「掛職」と「手職」、常用と臨時の差別のより具体的な実態、すぐ後に政財界から激しい指弾の対象とされる国労の職場規制はほんとうにそれほど欧米組合主義と疎遠なものだったのか? 国鉄労使関係にとって「公共部門」のもつ意味は? などについて、著者にもう少し説明を求めたくなるだろう。
首藤若菜の作品は、あまり解明されたことのないブルーカラー職場を対象に、職種分離とキャリア分断の区分をはじめとするいくつかの納得的な仮説を示した上で、いわゆる「性別職務分離」の現状と変化の兆しを調査研究している。この対象選定から筋力の性差、勤務形態のもつ意味など、これまでの女性の仕事分野論ではあまり指摘されなかった要因の大切さがみえてくる。また、分析のアプローチには組み入れられていないが、経営はひっきょう勤続が長い者、ほどほどの者、短い者の混成を求めるという指摘も示唆的だ。調査企業が多すぎる、ときに定番の項目に従うかんたんな叙述が頻出する平板なレポートのような部分がある、女性の労働・生活意識分析の切り口が狭すぎる、非正社員の仕事分野との関係把握が弱い・・・などの不満はある。本書はしかし、研究歴なお浅い若手研究者による多面的でバランスの良いジェンダー研究の一つの達成として、十分に注目に値しよう。
さて、これらの受賞作のほかに、すでに述べたように今期は以下の5点をさらに「社会政策学会推薦著作」として推挙したい。著者の名簿順では、次の通りである。
1) 木本喜美子『女性労働とマネジメント』勁草書房
2) 中西洋『日本近代化の基礎過程(下)−長崎造船所とその労資関係:1855〜1903年』東京大学出版会
3) 野村正實『日本の労働研究−その負の遺産』ミネルヴァ書房
4) 平岡公一『イギリス社会福祉と政策研究−イギリスモデルの持続と変化』ミネルヴァ書房
5) 森建資『イギリス農業政策史』東京大学出版会
いずれも労作であるこれらを制度上は選外とした理由は、著者の研究経歴という点で奨励賞になじまない、学会賞としては視点の説得性、問題意識の新鮮さ、分析の深みなどについて選考委員の間で(そしておそらくは読者の間で)意見のわかれる余地があった、この学会での受賞としてはテーマが少し間接的である・・・など実にさまざまである。しかし、会員のこれからの産出を励ます意味では、「今年の収穫」と言うべき会員の仕事はできるだけ広く顕彰されるべきだろう。以下では、長時間にわたって議論した「問題点」はできるだけ省略し、主として著書の特質や「推薦」とした理由のほうを端的に示しておきたい。
1) 木本の著書は労働組織および女性の主体的な労働意識に注目して百貨店とスーパーにおけるジェンダー的分業の現状と克服の課題を探るもの。「マネジメント」の要請する仕事の質と女性の仕事に向き合う主体的な姿勢との関係にもう少し立ち入ってほしかったけれども、「年期」のうかがわれる方法論を前提とした精力的なききとりを通じて、「男性中心の組織文化」に抗して積極的に、あるいはそれに適応してしかるべく消極的に、噴出する女性の多様な労働意識を首藤本を凌ぐ迫力をもって描き出している。
2) 中西の研究は日本の産業革命期1885年〜1903年における三菱長崎造船所の経営のほとんどすべての側面を、ときに個人履歴にまで及ぶ徹底きわまる資料収集とその提示を通じて描く。幕末から本書の対象時期までを扱う82−83年の(上)(中)に続く完結編であるが、1065ページ以上に及ぶ大冊。事柄のよってきたるところの分析は、叙述が広大に広がる明治国家論などの遠因論と経営陣の意見対立などの近因論の双方が考慮されており、「後には草一本生えない」印象である。この敬服すべき大研究が最大の関心を寄せたのは、すぐれて経営史、企業の「治者」たる経営者のエトスとビヘイビアを通しての「日本の近代化のかたち」であるかにみえる。
3) 野村の作品は1970年代後半以降の日本を対象とした労働研究史の批判的総括である。近年の学会ではまれに見るポレミークな作品であり、やはり後学に裨益するところがある。読者は一般に高い評価を受けている小池和男の業績への批判の厳しさにたじろぎもし、「間違いの程度の差」というものにもう少し寛容がほしいと思いもする。しかし長文の引用を辞さず、用語の正確さを問題とし、命題が実証されているか否かをどこまでも問う議論の運びには、一研究者としての誠実さと批判精神が横溢する。90年代以降については、6点の研究を取り上げて評価し、研究のフロンティアを展望している。
4)平岡はイギリスの社会福祉に関する、主として政府文書を用いた政策科学的研究。普遍主義vs.選別主義の多面的な検討が興味深く、これからの福祉社会論が避けて通れない諸テーマ――パッチワーク、分権的多元主義、コミュニティケアなどのイギリスでの展開についての、おそらく本邦初のくわしい紹介が見られる。個々の論争点、諸政策の問題点などの立ち入った検討はなお物足りないとはいえ、多くの文献を渉猟して、「なお先進国」イギリスの社会福祉を研究する意義を、相対化しつつ再確認している。
5) 森の著書は第一次大戦から戦後の47年頃にいたる、自由貿易体制と農業保護政策の葛藤が織りなすイギリス農業政策を、【農業生産−労働力供給−労働賃金−最低賃金制−賃金スパイラル−労使関係】という連関から労働政策と関わらせて分析している。徹底した一次資料の収集と参照による政策研究の粋を示している。緻密で論旨に飛躍がない。しかも政府部局間、組合幹部vs.一般組合員という複眼をもって多様な政策主体の動きが描かれ、労使関係のイギリス的特徴も十分に把握されている。内容が多くの学会員の関心からやや遠いこともあって読み通すのはかなり持久力を要するが、きわめて手堅い史的実証研究といえよう。
ちなみに私たちは、今後は学会賞のなかに制度として「学会推薦著作」というカテゴリーを設けることを勧めたい。学会員が1000名を超え、専門分野もきわめて多様化している現在、選考委員の若干の増加とともに、そのような扱いが必要になるだろう。今期はこのような推薦枠を設けてもなお、あるすぐれた特徴を備えているのに一次、二次選考で「対象外」とせざるをえなかった作品も少なくなかった。そのなかには私たちの依頼に応じて快く寄贈していただいた書物もある。あらためて感謝するとともに、とりわけハードルの高かった今期のこのような選考結果に寛容な了解を乞う次第である。
2004.5.22
社会政策学会賞選考委員
熊沢誠(委員長、文責)、大森真紀、田中洋子、富田義典、宮本太郎
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