社会政策学会史料集



社会政策学会第一回大会記事

はじめに

   左の記事は会員河津〔暹〕博士が国家学会雑誌に掲載せられたるものなり。ここにその要旨を摘録し、あわせて補筆を加へ、以て本会の記事に代ふ。

準備作業

   社会政策学会は昨年〔1907(明治40)年〕十二月廿二、廿三、廿四の三日にわたり、第一回大会を開催したり。その主なる目的は第一日の工場法討議にして、工場法制定の必要奈何いかが、これを必要とせば、その法規の実体に関し討議して、以て社会の注意を喚起せんとてなり。而してその討議には、広く本問題に関係経験ある朝野の名士を招請し、その意見を聴き、以て本問題の解決をして遺憾なからしむることを期せり。工場法討議に附帯して、翌廿三日講演会を開き、さらに廿四日には府下若干の工場を観覧したり。
  廿二廿三両日は共に午前九時開会、午後六時過に至るまで正午休憩を除きては、間断なく討議講演を継続せり。本会の趣旨を賛成して来臨せられたる朝野の名士はなはだ多く、渋沢〔栄一〕男爵、添田〔寿一〕博士、山根〔正次〕、島田〔三郎〕の両代議士等講演せられたる人のほか、浜尾新、片山国嘉、荘田平五郎、谷森真男、乗竹孝太郎、山名次郎、中島滋太郎、有働良夫、椎尾辨匡、湯目補隆等諸名士が歳末多忙の時季なるに拘らず、臨場傾聴せられしは、本会の最も栄誉とする所なり。こゝに謹んで感謝の意を表す。これ等来賓諸氏のほか、夥多の新聞社もこの挙を賛し、社員を列席せしめ、其記事を報導し、以て世間に紹介せられたるは、是れ亦謝する所なり。
 次に満堂七八百名の傍聴人諸氏が、前後二日にわたり毫も倦怠の色なく、最も静粛に傾聴せられたるは、本会の最も悦ぶ所なり。ここに序を逐うてその顛末を略述せんと欲す。

 本学会の成立したるは既に十数年の昔にあり。一二回社会に対し活動したる外は、社会政策に趣味を有するもの相集りて社会問題につきて研究し、又は事件に関係せられたるもの、もしくは会員以外の先覚諸学者の意見等を聴きて、研究の資となすに過ぎざりき。然るに昨年六月のことと覚ゆ、学士会事務所に於て例会を催したる際、会員中ドイツの社会政策学会の例に倣ひて大会を催し、社会問題中最も緊切なるものにつきて、本会々員の意見を公にすべしとの動議を提出したるものあり。来会々員はあげて之を賛成したりしかば、桑田、中島、平田三幹事に、高野、福田、矢作の三会員を加へて之を特別委員となし、大会開催につき成案を作らしめ、之につきて会員の意向を求め、其上にて之を決行せんとを議決したり。九月十六日例会を開き、特別委員の成案につきて議する所あり。次に掲ぐる規定を可決し、而して委員の選定は之を幹事に一任することとせり。

 一 社会政策学会ハ毎年一回大会ヲ開ク
 一 大会ニ於テハ社会政策ニ関スル討議講演等ヲナスモノトス
 一 大会ニ関スル一切ノ事務ヲ処理スル為ニ委員会ヲ設ク
 一 委員会ハ幹事並ニ大会ニ於テ選定スル委員若干名ヲ以テ組織ス但シ第一回大会ノ委員ハ幹事並ニ例会ニ於テ選定スル者ヲ以テ之ニ充ツ
 一 大会ニ於テ討議スル問題ニ付テハ議決セズ
 一 大会ノ議事ハ傍聴ヲ許ス傍聴者ニシテ討議ニ加ハラント欲スモノハ予メ委員会ニ通告シ其許可ヲ受クルコトヲ要ス
 一 大会ニ於テハ会員以外ノ者ト雖モ社会政策ニ関シ学識経験アルモノヲ聘シテ講演ヲ求メ或ハ討議ニ加ハラシムコトアルベシ
 一 大会ノ記事ハ之ヲ公刊ス

 幹事は協議の上金井延、山崎覚次郎、高野岩三郎、福田徳三、窪田静太郎、矢作栄蔵、塩沢昌貞、河津暹の八名を委員に選定し、前記大会規定とあわせて之を会員に通告したり。十月九日第一回委員会を開き大会開催の準備につき議する所あり。大会の期日は十二月とし、問題は工場法討議とし、主報告者として金井、田島、桑田三博士を挙げ、その承諾を経ることとし、之に次ぎ檄を会員に飛ばし講演を請ふこととせり。委員中桑田、高野両氏を中心としてその準備を進行することゝし、福田博士は特に大会の討議講演を公刊するに就き書肆との交渉の任に当られたり。爾来委員会を開くこと数回、諸般の準備を了へ、ついに十二月廿二日より大会を開くに至りぬ。
委員の名を以て発したる招待状は左の如し。

 拝啓 陳者本会は趣意書に述たる趣意に依り、多年社会政策の研究に従事致居候処、今般大会を開き別紙順序に依り会務執行致候。幸に御賁臨の栄を得ば、本会の光栄不過之候。右御案内申上度、如斯に御座候。 敬具
 十二月  日
   社会政策学会第一回大会委員
                金井  延   河津  暹   高野岩三郎
                中島 信虎  桑田 熊蔵  窪田静太郎
                山崎覚次郎  矢作 栄蔵  福田 徳三
                塩沢 昌貞  平田徳次郎

       殿

 而して会員へは左の通知を発せり

 拝啓 陳者過般来御報申上候本会大会順序、別紙の如く相定候間、何卒万障御繰合御来会相成度。又懇親会へ御出席の有無、来る二十日までに本郷区駒込千駄木林町十九番地桑田熊蔵宛御報相願度、此段御通知申上候
 十二月十六日
                      社会政策学会

 二伸 第一回大会の義に有之、可成多数の御来会を得度候に付、御知己御誘引の程奉冀望候

大会の日程は左の如く定めたり。
社会政策学会第一回大会順序
 第一日 十二月二十二日(日曜)午前九時東京帝国大学法科大学第三十二番教室ニ於テ開会。
 一、開会の辞 東京法科大学教授法学博士 金井延君
 一、工場法討議
  報告者
  東京法科大学教授法学博士 金井延君
  貴族院議員法学博士 桑田熊蔵君
  京都法科大学教授法学博士 田島錦治君
  (正午より午後一時迄休憩)
  会員討議
  来賓 男爵渋沢栄一君、法学博士和田垣謙三君、衆議院議員島田三郎君、法学博士添田寿一君、衆議院議員医学士山根正次君等の演説。
 一、懇親会
  午後六時より大学構内学生集会所に於て開会

 第二日 十二月二十三日(月曜)午前九時より午後五まで法科大学第三十二番教室に於て開会。
 一、講演
 社会政策上の家内工業 東京法科大学教授法学博士 河津暹君
 工場内の空気と職工の健康 医学博士 横手千代之助君
 農業と社会問題 東京農科大学教授農学博士 横井時敬君
 労働者問題解決の思潮 東京法科大学教授法学博士 高野岩三郎君
 金の力と人の力 神戸高等商業学校教授 津村秀松君
 国際的労働問題 東京高等師範学校教授 中島信虎君
 「ニュージーランド」の社会政策 東京法科大学教授法学博士 山崎覚次郎君
 農民の教育 法制局参事官法学士 柳田国男君
 丁抹の生産組合 東京農科大学教授法学博士 矢作栄蔵君
 「ツァイス」工場の社会的設備 慶應義塾大学教授法学博士 福田徳三君
 帝国鉄道庁救済組合に就て 帝国鉄道庁参事法学士 小林源蔵君
 社会に於ける職工の地位 東京高等工業学校長 手島精一君
 労働の本質を論して労働者と資本家との関係に及ふ 早稲田大学講師「ドクトル、オブ、フヰロソフヰー」塩沢昌貞君
 社会問題 法学士 平田徳次郎君
 一、第二回大会委員の選定
 一、閉会の辞
 一、工場等観覧
   十二月廿四日午前 印刷局工場、芝三田煙草製造所
   同日 午後 鐘淵紡績会社工場、東京養育院



第1日

 十二月廿二日午前九時法科大学第三十二番教室に開会せり。山崎〔覚次郎〕博士司会者となり、金井〔延〕博士の開会の辞あり。工場法討議に移り、主報告者金井田島両博士の報告あり。次いで渋沢男爵の演説ありき。正午司会者は休憩を宣告せり。それより会員一同は紀念の為めに撮影し、おわりて食堂に赴けり。
  午後一時十五分再たび開会せり。金井博士司会者となり、主報告者桑田博士の報告あり。それより会員及び来賓の討議を開けり。詳細は速記録に譲り、ここに之を略せん。午後六時討議終結し散会せり。
 かねての計画に従ひ大学構内学生集会所に於て、来賓及会員の懇親会を開く。会する者島田代議士を初めとして数十名の多きに上れり。窪田〔静太郎〕衛生局長を座長となし、席上種々有益なる談話もありしが、桑田博士は起立して曰く、本会も百名以上の会員を有し、今日の如き盛大なる討議会を開くを得たれども、本会成立の往時を追想すれば無限の感に打たるる者あり。本学会の創立は二十九年神田今川小路玉泉亭に於て、独逸工場法の輪講をなしたるにはじまる。爾来幾度の変遷を経て、以て今日あるに至れり。それにつけても思出さるゝは、高野博士の令兄故高野房太郎氏が本会の為めに大に尽瘁せられたること是なり。氏にして今日本席に在るを得ば、如何なる辞を以て諸君に告けんと。高野博士も之に対して、亡令兄のために感謝の意と無限の述懐とをのべられたり。席にあるものは覚えず襟を正うして、感慨やや久し。山崎博士立ちて本会はなお記臆すべき二人の庇護者を有せり。故日野伯爵と故広部周助氏となり。伯爵の本会の為に陽に陰に尽くされたるは吾人の猶記臆に新なる所なり。広部氏は本会の為に尽されたるは勿論、農商務省の嘱に応じて、身を以て工場法の調査に当られたり。氏の病は蓋し源をこゝに発したるに非る乎と。会員交々立て、或は所感に或は追懐に、其胸裡を吐露して興尽る所を知らず。某会員の提議により会員一同起ちて我国労働者の為に「プロジット」をくめり〔乾杯した〕。一同散会したるは九時半なりき。

第2日

 翌廿三日午前九時より法科大学第三十二番教室に於て講演会を開けり。講演会は独逸の社会政策学会に於てはなさゞる所なるが、社会政策に干する知識を普及する上には効果あるべしとて、特に一日を割いて之に当てたるなり。
  午前九時、司会者桑田博士は簡単に開会の辞をべられ、先づ神戸教授の講演あり。それより諸氏の講演あり。正午休憩をなし、午後一時四十分再び開会。司会者金井博士は第二回大会委員選定に干し、会員にはかる所ありしに、桑田博士立ちて委員長に於て指名せられんと請求し、之を賛成する者ありしかば、金井博士は
 金井、桑田、田島、山崎、高野、中島、窪田、福田、塩沢、矢作、建部、小野塚、関、平田、河津、
十五氏を挙げたり。それより再び講演に移り、金井博士司会の下に、会員諸氏順次登壇、六時過となるも予定の講演を終了する能はざりしかば、司会者は已むなく之にて閉会するの宜告をなせり。講演をなす能はざりし者は山崎博士、高野博士、矢作博士、河津博士、中島教授、柳田参事官の六名なりき。是等の諸氏は柳田氏を除くの外、皆約の如く講演原稿を寄贈せられ、之を本書に輯録することを得たるは、本会の栄とする所なり。
 翌廿四日、会員は印刷局工場、芝三田煙草製造所、鐘淵紡績会社工場、東京養育院の観覧をなせり。本会は是等諸所の主事諸氏が多大の同情を寄せられ、斡旋尽力の労を執られたることに付き、謹んで感謝の意を表す。
 廿六日夕、委員一同帝国大学会議所に会し、本大会の為め特に上京せられたる田島、神戸、津村三教授の為めに歓迎慰労の宴を張れり。席上第二回大会の期日と討議題につき凝議ぎょうぎする所あり。期日は十二月とし、討議題は「社会政策より観たる関税改革」と決し、矢作博士、河津博士、神戸教授を以て主報告者と定めたり。
  工場法討議は、会員中内容に干し多少の異見こそあれ、その制定を希望する念に至ては異る所なしと雖も、次回の討議に至っては、一人としてほとんど意見を同うせずといふも過言に非るを以て、討論の日は甲論乙駁、今回に倍して活気を添えん乎。田島博士は本会の主義を普及する為め、京阪地方に本会講演会を開かるべき希望を陳べられたれば、何れも同意の旨を応へたり。こゝに擱筆するに臨み、田島、神戸、津村三教授が遠路を意とせずして参会せられ、本会の為めに一層の光彩を添へられたるを謝す。

〔2005年4月12日掲載〕


《社会政策学会論叢》第一冊 『工場法と労働問題』(同文館、1908年4月刊)による。

 なお、ここでは読みやすさを考慮して、原文にはない「はじめに」「準備作業」「第1日」「第2日」の小見出しを加え、原文では簡単にすぎる句読点を詳細にし、漢字の一部を仮名に改めている。また、〔 〕内は二村が追加した注記である。





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